ステルス税

わしは初めのオカネのかたまりをチョーくだらない発明でつくった。
中松博士みたいである。
あの溜池にあった看板は、よく見ると眼が動くところが天才中松です。
看板の文句。
えーと、なんだっけ、「世界の天才、中松博士」だったっけ。
ほんとうは発明なんかしてないんだよ、あのひと、と耳打ちする日本人友達がいたが、いーじゃないそれでも、それも、こころごころやさかい、と綾倉聡子もゆーておる。
義理叔父がガキのとき義理叔父学校にやってきて、
「きみたちはいくら頑張っても秀才にしかなれないから、天才のわたしになるのは無理ですが..」と話し始めたそーです。
延々と延々と自分がいかに天才か絶賛してから、最後は自分が「発明」したスプリングがついたパチモンのバッタの足みたいなやつに乗ってステージの端から端まで、汗まみれでぴょんぴょん跳びくるってみせたそうである。
偉人であると思う。

本人からすると宝くじにあたったのと何も変わるところがなかったが、わしはカシコイので、それまでにかなりの額になっていた妹からの借金を返すようなバカなことはせずに、踏み倒して、凍死することにした。
なにしろ、もとが賭博好きの、朝までブラックジャックテーブルに貼り付いているクソガキだったので、賭博にあてようかと思ったが、あれは「金を稼ごう」と考えると必ず敗北する遊びなので、怠けるための殖財には向いておらん、と考えて、銀行に預けてほうっぽらかしにして暫く忘れることにした。
へろへろと地球の表面を徘徊しながら、あーでもないこーでもない、と凍死方法を考えました。
なんでも、のんびりやるのが習慣なんですのい。

わしが凍死というと株の売買をすると思うひとがいるよーだが、そんな下品なことはしません。
ときどき、するけど。
ファンドグループみたいに投資家をつのったりもしない。
ひとりでできるもん(註)の世界を生きてきたんですのい。
たいへんコンサーバティブな凍死をする。
ときどきサンスー上、かっこいいと思われる曲芸的なアグレッシブ路線をとります。
それが職業上のささやかな楽しみなのだと思われる。

オカネというものは、得体のしれないものであって、あっても幸福にならないのは、よく知られている。
数量であらわすのはバカっぽいが、だいたいひとの一生における5%くらいだろーか。
でも、この5%は嫌な5%であって、ないとはなはだしく苦労することになる。

ニュージーランドは、もとはオカネの神様が罪滅ぼしに作ったような国で、オカネというものがいらなかった。
ちょうど、20世紀の終わりまでそうだった。
前世紀の終わり、わしが小学校の頃、南半球の夏に欧州からやってくると、何もかもぶちとぶくらい安いので、いったいこの国はどーなってるんだ、と考えた。
おぼえているもので言うと、ケンタッキーフライドチキンのいまもあるクオーターパックの鶏さん3個入り
http://www.kfc.co.nz/menu/boxed-meals/quarter-pack
が、5ドル。当時の日本円で280円だった。
クライストチャーチのパパヌイという中流程度の家庭が多くある住宅地の、日本式に言えば3LDKの一戸建てが15万ドルから19万ドルで、これは日本円で言うと830万円から1000万円ちょっとです。
クライストチャーチは伝統的にオークランドの住宅価格の7ー8割くらいなので、クライストチャーチに較べて変動が激しいオークランドでも1200万ちょこっとで家が買えたでしょう。

大学を卒業したばかりのカップルは、いちゃいちゃもんもんしてみたり、朝まで、きゃっきゃっとゆって笑い転げて話したり、いろいろふたりでやってみて、こいつでいいや、ということになると、まず初めにホームローンを組んで一戸建ての家を買った。
ホームローンの利率は、当時で9%くらいではなかろーか。
いまは、ずっと低くなって6.5%やなんかだが。

ニュージーランドに限らず、西洋文化圏から来ると、日本の家は「年数が経つと安くなる」ので、怪訝な気持ちになる。
欧州などは「築200年」なんちゅうのは、ごろごろあるからです。
ニュージーランドは近代の歴史として、ほぼ日本と同じくらいの若い国なので、煉瓦や石で出来てエラソーな家でも、100年、とかいう歴史しかないところが日本と同じだが、
違うのは「築何年」という考えがないことで、家というのは、通常、買ったときよりも売るときの方が価格が高いはずのものである。
逆に言えば、15年して価格が倍にならないような家を買ってはいけない、という。

わしは日本にいるとき社会を経済の面から観察して、普通の勤め人がローンを組んで家を購入する理由が判らなかった。
多分、所有欲ということだんべな、という至極曖昧で納得のいかない結論でお茶を濁す(なんてオモロイ表現でしょう)しかなかった。

だって、買ったら、その途端に価値が半分になるものに一億とか出しちゃうやつ、ふつーいねーよ。
5000万円、いきなりドブですやん。

メルセデスベンツのSクラス、みたいクルマを買うのと消費行動としては似ている。
あのクルマ、買って、ぶっと角を曲がったら、もういきなり半額だからな。
しかし家は、もっとずっと高いし、第一オートマティックギアのなめらかさに感動しながら自分の家を運転して会社に通勤する、というわけにはいかないだろう。

日本のオカネ話をしたついでに、もうひとつ述べておくと、日本は、オカネに関しては、なんだか小さな穴が空いたバケツの水のようであった。
よく判らないうちにオカネが減っていく国だ、という気がしました。
使いでがない、というか、なあーんか欺されてるみたい、というか、
ひょっとすると日本にはビンボ神がたくさんいて、銘銘の横にそっと立って、100円あれば10円、というように、くすねてるん違うか、という気がすることがよくあった。
終いには、息をするのにも誰かにピンハネされているよーな気がしたものでした。

奇妙なこともたくさんある。
この頃は、あんまり見なくなってしまったが、日本語サイトを見ると、増税、というようなことが書いてある。
各国と較べれば日本の税金はまだまだ安い、と書いてあります。
400万円、というような年収の世帯を考えると、所得税についてはこれはほんとうでいろいろな国の税率をわざわざ調べてみる気はしないが、すげー安いかもしれません。
「控除」とかいうのがいろいろあって、ただでさえ安い所得税がもっと安くなる。

しかし、じっと話を聞いていると、厚生年金と社会保険料っちゅうのを別に取っている。
しかも、いくら払ってるか勤め人のほうでよく判らないように支払額の半分は雇用主が払う仕組みになっておる(^^)
従って、きみが月6万円払っていると思っている保険料は12万円なのね。
ボスから見れば、きみが受け取っている月50万円の給料は56万円として払われている。
朝三暮四というか、まるでサルをだまくらかしているような幼稚なトリックで、とても人間が自分の仲間に対してつくった制度にはみえません。

でも、ずっと、やってんだって。
文句、でたことないもん。

なんで?

ちょっと離れたところ、といっても2キロくらいのところだが、そこにテイクアウェイを取りに行くべ、ということになると、オークランド人はタダ高速を使って、ホイ、と取りに行く。
東京に住んでいてうんざりしたのは、これが出来ないんですのい。
いまサイトで見てみると、飯倉から天現寺まで距離制の新料金でもETCで500円、現金900円(^^;)
テイクアウェイよりも高くなってしまう。

電話がリンリン、リンリン、とリーーーン、リーーーンなアメリカとは違う英連邦特有の鳴り方で鳴るので、クライストチャーチの家にいたわしは、ほいほいほいと出ます。
友達は固定電話のような前世紀の遺物にかけて寄越さないので、マーケターかなあー、からかっちゃるべ。
どっかの奥さんが旦那にかけた間違い電話だったら、
「まあ、ダーリンまってたのよ! 奥さんは出かけるから、先に来ててって言ったじゃない!」と作り声をして罪のない悪戯をしよう、と忙しくも楽しい想像をめぐらせながら受話器を取り上げる。

電力会社のプロモーションであった。
向こう6ヶ月5割引にするから、うちの電力会社に変えるべし、という。
ソッコーで変えます。
すると、また元の会社から電話がかかってきて、一年間2割引でいいから、元に戻してくれ、という。
じゃ、6ヶ月の期間がすぎたら、元に戻すし、と約束します。
しめしめ。
もちろん6ヶ月がたったら、相手からこーゆーオファーがあったんだぞ、とゆって、もっと安くしてもらう。
消費者というのは甘くないのよ。
けけけけけ。

日本の逆上するくらい高い電気料金の請求書をみるたびに、わしは、電力会社に苛酷な競争を強いるニュージーランドをよく懐かしんだものであった。

日本の物価の特徴は、その全般的な高さよりも、「必要なものほど高い」ことにあると思う。
びっくりするほど、どころか、正気が疑われるほど高い飲み物は別格として、生きるのに必要な食べ物がすげー高い。
住むところに至ってはクマさんでも住むの嫌がりそうなボロイ家(すまん)に、大家さんは、30万円というような破廉恥な家賃をつけて、ニコニコと微笑んでおられる。

さっきからずっとブログを読んでくれている人は、「買ったらバカやてゆーけど、でも、自分は日本で家買ってもってたやん」とゆーであろうが、これが理由なのね。
頼んであったアパートを観に行って、これならなんとか住めるかなあー、台所がちょっとボロイけど、と思う部屋が何の気なしに家賃を訊いたら140万円だった(^^)
わしの傍らに立って上品な顔をして微笑んでいる英語タンノーな不動産おばちゃんのケツから手を突っ込んで奥歯をガタガタゆわしちゃろーか、と思いました。
やむをえないから、買うことにした。
売り飛ばすときに奇跡が起こって損をしなかったが、いま考えても、くだらない買い物だったと思います。

ふつー、生活必需品が嗜好品に較べて奇妙に高いというのは政治がバカタレであることを示している。
誰かが積極的にオカネを抜き取っていることを示している。
どこの国の歴史でも過去にはあったことだが21世紀になって、まだこんな野放図な無茶苦茶をしているのは日本だけではあるまいか。
だって、あんなんしてたら、若い人、食えないやん。
もっと正直に商いをせないかん、と石田梅岩もゆっておる。

ニュージーランドでもあるいは連合王国ですら、家でごーろごーろしていて何もしないでいるとオカネはなくならない。
でっかいベッドでモニとふたりで寝転んで、モニはいい匂いがするのおー。
ほっぺもどこもスムーススムース。すべこくて、気持ちいいのおー。
とゆって遊んでいると、一円もかかりません。
すべての出費に実質が伴っておる。
使わなければ減らない。

日本では息をしても呼吸代が自動引き落としになっておって、人間でいるとみな自転車操業においつめられてゆくような不思議な経済システムになっていた。
家がボロイ(すまんすまん)ので、ひとびとは町へ出る。
町へ出れば地下鉄代を払い。紅茶代を払い。食事代を払い。
なにもかもオカネで時間と場所を買ってゆかねばならない。
うー、たまらん、窒息しそうな社会だ、と考えました。

オカネの最大の効用はオカネについて考えなくてすむことだが、日本では「オカネを考えなくてすむ幸福」になかなか手が届かないもののよーである。
バカガイジンども(わし含む)は、日本にいるとき、いろいろな物品の価格に含まれてしまったさまざまな規制コストやあるいは農業家本人たちが自信をもって述べるところによれば競争力がまったくない農業を救うための助成金、高速料金のようなバカげた言いがかりに似た公共料金とゆーよーなものを一括して「ステルス税金」(JST)と言い囃して喜んだが、本来、国がやらなければいけないことの放棄や税金という名前でない税金、雇用主や大企業に支払い義務を負わせることによって税金を現実の負担者であるひとりひとりの日本人から見えなくしたシステムは、それ自体が民主主義に対する欺瞞であって、国がひとりひとりの国民に対して慢性的に繰り返している犯罪であると思っています。
だめじゃん。

だめだめだと思うぞ。

註:「ひとりでできるもん!」は、実際に観たことはないが、コンセプトを聞いただけでカンドーしたNHKの番組。DVD出してけろ。出たら、わしはすぐ買って観たいです。

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