浮草

今年はヨーロッパに戻るのは秋にしようと思うが、存在が予測される手間がかかるものの面倒を見る人びとなどが必要で、思ったように減らなくて、どさ回りの旅一座みたいである。
小津安二郎の「浮草」
http://www.kadokawa-pictures.jp/official/ukigusa/
みたいだのお。
そしたら、わしは二代目中村雁治郎だったのか。
玉緒のやつめ、しょーもない男と結婚しくさって。

どこにでもひとりでふらふらと出かけて、メキシコの道ばたでおにーちゃんから自転車を買ってぎっちらおっちら乗っていたりした頃がなつかしいが、人間も築29年ともなると、そーゆーわけにはいかないよーだ。
なんとなく寂しい気がする。

9月にコモへ行って、そこでのんびりしようと思ったが、バルセロナに9月にいなければいけないのが判明したので、それが出来なくなってしまった。
10月以降でないと無理です。
わしも友達もコモは夏しかいたことがないので、すべりひゆどんが知ってるかなー、と思ってツイッタで訊いてみたらセシウム入りのどんぐりをとって遊べるが雨が多いんちゃうか、という。
トスカナへ行けば?

トスカナへ行きたしと思えど、トスカナはあまりに高し。
せめては新しき暖炉を買いて 雨の降る旅にいでてみん

なんちて。
トスカナには家がねーんです。
ずっとむかしフロレンスでころころしていたアパートは、わしのものちゃいまんねん。
https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/dolce-vita/
でも、ゆわれてみれば、「山の家」という名前につられてコモなんかにボロ家を買うよりトスカナやウンブリアのほうがえがったかのお。
ぐだぐだぐだ。

仕方がないので、なけなしの法力をはたいて、ゴマをたいて、いまから清明で雨雲のないコモの湖を実現せなばならぬだろう。

ひとりで、ぶらぶらしてるときはよかった。
まったく何も考えないですんだ。
「ひとりで旅する気軽さ」ということには、外から見てわかる気軽さだけではなくて、たとえば3日くらい同じおパンツをはいていて臭くなってもダイジョーブである。
耐えがたくなると、シャワーで洗って、乾くまでベッドで仰向けになってチ○ポコ潜水艦の練習をする。
畳の上の水練、というがな。
ときどきチン○ンを左右に振ってみたりして、水のなかで出来ない事もできます。
サンフランシスコのベストウエスタンはベッドとテレビの関係が非常にうまく出来ていて、チ○チンを機関銃の照準のように使って、画面のなかのひとを狙撃することができる。
うまく当たるとカンドーします。
きみもやってみられるがよい。

メンドクサイと公園のベンチで寝る。
駅でも空港でも寝る。
日本でやったら東郷神社のベンチでお巡りさんに怒られたが、やさしいものであって、
「もしもし、こんなところで寝ていたら風邪をひきますよ。日本語がわかりますか?」という丁寧さであった。
いいひとだったな、あのひと。
このあいだ新宿の反原発デモの映像のなかで、歯をくいしばって、必死に無表情をつくっていたお巡りさんがいたが、わしをベンチで起こしたお巡りさんは、動員されないですんだろうか。

むかしを振り返ると、バラバラで脈絡のない映像があちこちに視えている。
真冬のシカゴからメンフィスに行く途中で寄った小さな小さな町の暖かいステーキハウスでは棚から好みの肉の塊をとりだして、勝手にグリルで焼くが、いちばん小さい塊が1キロある。
近くのテーブルで宴会をしている一団が「きみ、こっちに来いよ」というのでコミューナルテーブルの端っこに座った。
みんなでチョーくだらない話をして楽しかったが、わしが2キロ近い肉(ただし骨ふくむ)を平らげたのを見て、50歳くらいのおっちゃんが、タメイキをついている。
おっちゃんの前の皿には、半分にも遠く及ばないくらいしか食べられていないステーキが載っている。
そのとき、おっちゃんは「I’m making myself miserable」といった。
書いただけでは判らないが、冗談めかしていても、はっとするほど哀しげであって、
わしは、そっと眼をそらしてしまった。
若いということは、そのままバカで残酷であるということで、わしには咄嗟にどう言えばいいかわからなかったし、おっちゃんが食べ残したステーキのことを言っているのではないのに気が付いてしまったことを隠すこともできなかった。
その上に眼をそらしてしまうのだから、救いがたい無礼者であるとゆわねばならない。

バルセロナの、あちこちに干してある洗濯物のあいだからガウディの大聖堂が見えているアパートの屋上で、ニニャパストリのラブソングをくちずさんでいる若い女や、
マンハッタンのアパートの階段に座って、なにごとかじっと考え込んでいる子供、
セントラルパークのマッドハッターの像にのぼって大喜びのチビ、
セントジェームスの裏通りで行き会って、「今日は、まことに寒い日であるな、我が友よ」と言ってコノリーのコートの雪を払う見知らぬ男の口からもれる白い息。

粉々になった記憶が、孤立して、救いをもとめるでもなく、わしの脳髄のなかに散乱している。

そうして、わしはモニとともに年をとって、あたりまえだが、いつか死ぬだろう。
子供の時には、どうしても理解できなかった、この「人間は必ず死ぬ」という事実が、
築29年ともなると、少しわかってくる。
重みがわかる、のではなくて、それが重くも軽くもなくて、ただの生物的な事実だということが過不足なくわかってくる。
人間は生まれてきて、ただ死ぬだけで、その過程で獲得する意識も、たとえそれが宇宙を理解したり、神の存在あるいは不在を証明しても、実はそのことには何に意味もない。
人間が死ぬのと狐が死ぬことのあいだには、まったく何の質的な違いもない。
わしには想像がつきやすい理由でヨーロッパよりも日本で遙かに重大に受け止められているらしいパスカルの人間は考える葦であるという言葉は、それ自体、人間の孤立した知性の非望の自転なのであると思う。

わしのじーちゃんは、若いときに結婚して、そのまま離婚の機会を逸してしまった(^^)結婚生活の良い点は、じーちゃんがばーちゃんを見ると、それはいつまでも19歳で結婚したときの花のようなばーちゃんであって、年齢が見えないのだよ、とゆっておった。

あのシワシワのばーちゃんが19歳の乙女にみえるなんて、結婚て便利だな、と思ったので、いまでもよくおぼえている。
そのときに、じーちゃんは口が滑って、ばーちゃんが死んだら、ワードローブの服はそのままにして、ばーちゃんの服に顔をうずめて毎日匂いをかいでくらしてやる、と言ったので、ヘンタイというのは、なんという美しいものであろうと考えた。

もう振り返るのは、ここいらでいい加減にして、モニとふたりで、前を向いてすごさねばならない。
どさ回り一座でいいや、もう。
そうすると、コモ湖のシブイ山の家は増築しねーとなんねーのか、あーメンドクサイ。
メンドクサイが、この面倒くさいことだけが人の一生の実体なのであるから、やむをえない。

しょーがないのさ。
ノージンジャー(©義理叔父)。

でわ。

This entry was posted in 近況報告. Bookmark the permalink.

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s