Monthly Archives: February 2012

日本の古典_その3 岡田隆彦

岡田隆彦は「詩を書く自分」が嫌いだったに違いない。 William Morrisについて書いているときの自分のほうが、遙かに好きだったようにおもえます。 だが岡田隆彦は頭のてっぺんから爪先まで、魂の表面から奥底まで、まるで全身に「詩」がしみ通るようにして、「詩」で全身がずぶ濡れになるようにして、詩人だった。 それも「抒情詩人」という、彼がいちばん嫌いなタイプの詩人だった。 そういう人間でなければ「ラブ・ソングに名をかりて」というような詩を書けるはずがないからです。 「 降りしきる雨の日に  あるいはまた干からびた冬の日に  私は変ってしまった  と言ってくれ  君の青白い額に唇を重ねると  唇が青くなってしまうのだ  こんなものが愛だとは  どこかの賢人さえも  僕らの所へやってきて叱咤するだろう  せめてもこの代に生れたことを喜び合って  いつものように電車に乗って帰ってくれないか  いつものように僕は手を振って君の顔を見ているだろう  君の額は悲しいし  僕の髪は長すぎる  あんなにきたないものでないので  性の話はしたくない  君と僕との小話は  不潔な根性丸出しに  アイラヴユウで始ったが  結句アイヘイチューで終らない  ぼやけたものだ  いつもの花屋に寄る気はしないが  黙って駅まで歩いていこう  それから僕は旅に出る  そこは平たい太陽が今も覆いかぶさっているだろう  砂ぼこりのたちこめるその里で  ジンとサンチマンへの抵抗力を作って  いっぱし月給取になり  自信に満ちて二等車から丸の内に降りるだろう  もう君は愛してくれないだろうから」 都会のまんなかに生まれた私立大学の学生にとって、1950年代末から60年代初頭の東京はどんなものだったろうか、という質問にこたえて義理叔父が貸してくれた本の一冊が岡田隆彦の詩集だったが、その若い男の心の定型をそのまま切り取って詩にしたような、過不足のないリズム、意識と思考を追って、意識を追い越しもせず、遅れすぎもせず、伴走というには1歩か2歩遅れ気味に、自分の意識の流れについていく詩の数々に、すっかりうっとりしてしまった。 日本語の教科書がわりに、そのまま暗記してしまったのは、言うまでもありません。 二等車、というのはいまでいうグリーン車のことだが、 「いっぱし月給取になり … Continue reading

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メキシコ_日本

1 去年の8月にフランスからニュージーランドに帰ってきて、そのままずっとオークランドにいるので半年が経っている。 考えてみると、こんなに長いあいだ一カ所にじっとしているのはひさしぶりで、普段はもっとずっとあちこちをうろうろして暮らしている。 どこかの町に行っても、そこに最低一箇月はいるのでないと話にならない。 一週間や二週間なら、カンクンかプーケのチョーでかいプールがあるホテルに泊まって、 一日中プールサイドでごろごろしたり、プールのまんなかにあるバーへ泳いでいってカクテルを飲んでバーテンのにーちゃんや他の客と話して遊んでいたりするほうがいいと思う。 わしが普段つかっているイギリスやニュージーランドの旅券では簡単にとれる観光滞在許可は3ヶ月の国が多いが、3か月というのはよく出来た期間であるとも言えて、同じ町に3ヶ月いると自分のまわりに「世間」やそれに伴う人間関係がちゃんと出来てしまうので、やや鬱陶しい感じもしてくる。「引っ越してきたばかりの人」になってしまう。 自分ででかけた国のなかで最も、というよりは飛び抜けて変わっていたのは日本だが、自分が知っている社会とかけ離れているという点ではメキシコも変わっていてよかった。 メキシコにはところどころ観光地というよりも観光租界と言ったほうが良いような町があって、たとえばカンクンはアメリカです。 911が起こるまではアメリカ人はカンクンに行くのに旅券がいらなかった。 自分が自分であることを証明するもの(というと随分哲学的だが)があればよくて、運転免許証ですませるひとが多かった。 むかしは貧しい漁村だったところに開発業者が水の色が美しいカリブ海の名前と細い美しい干潟の形に目をつけてコンピュータグラフィックを使って仮想的に町を設計した。 CGを使って設計した町はカンクンが初めてだったが、ホテルのオーナーたちは、それがすっかり気に入ってあっというまに、まるで世界中のリゾートホテルのギャラリーのような不思議な町ができあがった。 カンクンの町を走る、たしか10ペソ(これを間の抜けた観光客が真に受けてほんとうに丁度10ペソで1ドルのアメリカドルで払うことを期待して地元のひとたちは「10ドル」と呼ぶ)のバスで端から端まで眺めて通ってみると、文字通り世界中のホテルが軒をつられていて、ホテルカタログみたいな町です。 http://www.cancun-map.com/maps/cancun-map.asp 前にも書いたが、たいていのホテルはカンクン全体がそれで有名な「all inclusive」で、到着日と滞在日数によって色が異なる腕輪をつけて、ホテル内にだいたい4つから8つくらいあるバーやレストランほかの施設はタダで使えることになっている。 わしなどはケチなので、そんなことをすると、いちばん高いレストランのいちばん高いロブスターばかり食べて、いちばん高いワインを飲み、食後はもっともゴージャスなバーに行って最高価格のカクテルばかり飲みそうな気がするが、アメリカ人は「汚染されても鯛」と日本の諺にいうとおりで、やはりオカネモチの国民であって、ホットドッグを食べたければホットドッグを食べ、高いレストランでは寛げないし、第一高級レストランで異様にみえないために相応なカッチョイイかっこをするのはメンドクサイというので、ショーツとアロハでプールサイドのバーでサンドイッチですませたりする。 「元を取る」というチョー下品な考え方をもたないので、衣食足って礼節を知る、という背が高くて2メートルあった上に儒冠をかぶっていたせいで遙か彼方からでも目立ったに違いない、あの悔しがりな中国人の言葉はほんとーだなあー、と思います。 カンクンのことをうっかり書いてしまったので余計なことを書くと、ホテルリゾートから離れた下町にでかけて行くとわかるが、カンクンはもともとは鮫が名物でむかしはお土産品の代表は鮫の顎骨だった(^^;) ちょっと沖合までいくと鮫に遭遇するというのは、ふつーのことで、カンクンと言えどメキシコなので防護ネットなんてありません。 鮫はまだそれほど危険ではないとしても、バラクーダがたくさんいる。 賢いわしは出かける前にスーツケースに潜水用具を詰めていたときに妹に注意された、というか嘲笑されたので、もちろん元から知っていたのにたまたまど忘れしていただけで妹に言われて初めて知ったわけではないが、海にははいらず、砂浜で悠然とカクテルを飲んでいただけだったが、あるときイギリス人のおじちゃんが、血相を変えて海の中から全速力で砂浜めざして波間を走りながら 「バラクーダだ! バラクーダだ!」と絶叫すると、そこいらじゅうの人が阿鼻叫喚となって砂浜に殺到するのを眺める機会にめぐまれて、「ジョーズみてえ」、けけけけ、と午後を楽しんだりした。 地元のひとに、泳ぐことあるの?と訊くと、とんでもない、と言う。 鮫やバラクーダがいるからかのい?とたたみかけると、 鮫は正面から向き合えばダイジョーブだし、バラクーダは…まあ、あれは、ほら人生の避けがたいリスクだから、っちゅうようなことを言います(^^) 達観しておる。 達観しているわりには海をこわがって絶対にはいらないが。 閑話休題。 欧州人にとってのカンクンがコズメルで、コズメルの島と対岸のプラヤ・デル・カルメンにはイタリア人やスペイン人がいつもごろごろしている。 ときどきバスで、大陸欧州人に較べると明らかにパッとしない身なりの集団があらわれるが、それはイギリス人である(^^) わしはプラヤ・デル・カルメンの町 http://en.wikipedia.org/wiki/Playa_del_Carmen が大好きだったが、2005年のハリケーンと、その影響をうけた不景気で、好きだった店が、どれもこれもなくなってしまった。 中南米の国と同じで、北米のメキシコもイタリア人とスペイン人が多い。 簡単に想像がつくようにスペイン料理やイタリア料理のおいしい店が小さい町でも探せば必ずひとつはあって、メキシコのいいところのひとつです。 メキシコ料理もおいしいが、わしがうまれてから食べたスパゲッティのいちばんおいしい店のひとつはプラヤ・デル・カルメンにあった。 あまりにおいしいので二皿たいらげて、Tシャツの正面におおげさに飛びちったトマトソースをくっつけたまま目抜き通りをホテルまで歩いて、わしを見て大笑いするメキシコ人たちに手を振りながら帰ってきたのをおぼえている。 観光地よりも内陸の古い小さな町のほうが良いに決まっている。 … Continue reading

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荒涼

狂っている、という言葉を使えば、すべてが終わりになってしまうような気がする。 狂気は相対的社会的なもので、全員が狂っている社会では誰もが正常だからです。 だから狂気についてなにごとかを述べるということは、自分がどこに立っているか、ということの表明でしかない。 ある居酒屋チェーンの従業員の自殺について、第一報を誰かが伝えていて、記事を見ると 「体が痛いです。体がつらいです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」という日記が引用されていた。 誰かに聞いて欲しいと考えて、SNSに記事を引用したが、すぐに削除してしまった。 その居酒屋チェーンが日本に行った初めの年から嫌いだった。 格言を引用するのが好きなひと、というのは ちょっと謙遜するひとをみると「実るほどこうべをたれる稲穂かな」と言いますね、というようなことをすぐ言いたがるが、その居酒屋チェーンの社長は、言葉が出てくるところが、格言を手持ちのトランプのカードから選んで相手に提示してみせれば自分が相手に伝わると信じこんでいる「格言語」を話すひとびとと丁度おなじ浅さから出ていて、自分では相手を感心させる言葉を連ねているつもりなのに、客のほうは、その男の浮薄さにうんざりしてるというような、自分ではやり手のつもりでいて、その実尊大なセールスマンとあまり変わらないひとに思えたからでした。 だからブログ記事にも何度か揶揄(からか)って書いた。 そもそも「いやだな」と思ったもとになったのが「わたしたちは、誠実がモットーなんです。わたしたちの店に来ていただいてメニューのどの品物でも食べていただければ、それが真実であることがわかっていただけると思います」という発言だったので、いちど従兄弟を誘って冗談で行ってみたことがあった。 てらてらと光ったプラスティックのメニューからいくつか選んで、どの品物もたいそうプラスティックな味であるのを確認したふたりは、予想通りの結果に満足して帰って来たものだった(^^) SNSに自殺してしまったひとの日記を引用してから、たしかまだ日本ではひとが寝静まっている時間であるのに、あっというまに居酒屋チェーンの社長について、間歇泉がふきだすように「そうだと思っていた」という意見がSNSを通してスクリーンにこぼれるように現れたので、そのとき初めて、日本のひとも「皆」がそう思っているのを知った。 へえ、と思いながら削除したのをおぼえています。 そんなにたくさんのひとが知っているのなら、書いてもしかたがない、と思ったのかもしれないし、たくさんの人間と一緒に非難の合唱をするのは嫌だな、と思ったのかもしれない、どちらだか判らないが、自分の気持ちを詮索する習慣がないので、どっちでも構いやしない、ということになっている。 ひとつだけ付け加えておきたいのは、「もういいとしなのだから、病院に行けばよかったのに、バカだな」というひとや「自分なら、そこまで追い詰められる前に会社をやめている」というひとがたくさんいたが、気づかぬうちにそれが出来ない心理状態に追い込まれてしまったから自殺してしまったので、そんなひどいいいがかりはない、と思う。 人間が、非人間的な力、個々の人間を抑圧して、知らず知らずのうちに人間の集団を人間性を破壊する巨大な装置にかえてゆく力に恵まれているのは、なんという皮肉だろう。 ナチを生んだドイツ人は、むかしから、その悪夢を思い出しては、自分達が悪魔であったかどうかをたびたび振り返って検証しなければならなかった。 フランス人の執拗な復讐心が引き起こした一連の経過の自動的な結果、とドイツ人達は考えたがったが、外に向かって言う訳にはいかなかった。 BBCでナチの歴史を繰り返さぬためにドイツ人がおこなった特別授業の様子を観たことがあったが、ひとりの女の子が突然たちあがって、 「もう、こんなのほんとうにうんざり! ナチがドイツ人だったのは判るけど、わたしはナチじゃない! わたしがユダヤ人たちを殺したわけじゃないわ!」と叫ぶ。 観たのが子供のときだったので、番組の内容はあらかた忘れてしまったが、自分よりもいくつか年が上の女の子の「怒りに燃えあがった」という表現がぴったりの透きとおるように青い目をおぼえている。 ドイツ人が帳簿までつくって綿密に丹念に殺していったのはユダヤ人たちだったが、日本人が社会としてのいまを生き延びるために殺していったのは自分達の未来だった。 いまでもフクシマについて話題がでることはある。 昨日も近所に住む建築家がやってきて、先週、道路の側に引かれた駐車禁止の黄色い線の上に駐めてあったクルマがどこから来たか知っているかと訊きにきたときにも、フクシマの話が出た。 どうやらこのひとの両親の家の近くに日本人の一家が越してきたらしい、ということからです。 「政府や学者はたいした危険ではない、と言っているみたいね」というと、そうらしいね、とつぶやいてから、自分に言い聞かせるように、おそろしいことだな、という。 医者も医学の研究者も物理学者も、知っている限りの友人たちはみな、 「安全なはずはない」というが、それ以上の詮索をしない。 実際に安全かどうかも調べないのは、自分の国の話ではないということもあるかもしれないが、どちらかと言えば、原子力を電力発電に使おうと決めたときに、それが事故を起こした場合には未来においてたくさんの人間を殺すにちがいないという予測に立つことを黙契としてスタートしたのであって、その危険を疑うような姿勢の人間には核の力は触れさせないことを常識としている。 だから会話は始まり方も終わり方も、いつも判でおしたように同じで、 「日本人たちは低放射性被曝は安全だということにしてしまったようだ」 「安全なはずがないではないか」 「ひどいな」 で終わる。 その「ひどいな」や「残酷なことだな」には、さまざまな意味合いがこめられている。 昨日、日本語インターネット上のいろいろな発言を見ていたが、もうフクシマから出た瓦礫が安全なのはいつのまにか既定の事実になっていて、瓦礫の搬入を拒むひとびとの「住民エゴ」がどこから来るのかが問題になっていた。 eメールの受信箱をあけても、日本語のメールでは「異常な事態になった」と訴えているのは医師の友達たちだけであって、それも外国に何年か住んでいた研究者に限られるようだ。 もうすぐ、放射性物質が危険だというひとをキチガイあつかいするときがくるだろう。 だがそれは、どう言い繕ってみても「あいつは自由主義者だ」という言葉が最大の憎悪を表す言葉であったむかしの日本と同じ社会があらわれたことを示しているにすぎないようにみえる。 … Continue reading

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本のゆくえ

かっこわるい部屋が嫌いなので、むかしから本はわしの生活の大敵だった。 数学の本ならば、(良い本であれば)それでひと夏らくにつぶれるくらい効率的だが、困ったことにわしは推理小説や怪奇小説も好きなのである。 翻訳なんて読んじゃダメよ、とあんだけブログ記事やツイッタで言ってるのだから翻訳は読まないが、と続くとわが友ナスどんなどは信じていたよーだが、それはわしのチョーえーかげんな性格のほうを忘れているからで、めんどくさいとヘーゼンと翻訳を読む。 ドイツ語のものを英語で読むくらいは自分でも許せる感じがしなくもないが、中国語を英語で読んだりする。 いけないのではないかと思うが、いけなくてもいいや、ということになっておる。 日本にいったときにはメンドクサイのでロシアの怪奇小説アンソロジーを日本語で買って読んだりしたこともある。 なんだかすごくヘンだったが、奇妙でねじけた面白さがあって病みつきになってもいいな、と思ったりした。 そーゆー極端ないいかげんさが災いして、どこにいってもおよそ「わしの家」と名がつくところには「洪水」と呼びたくなるほどの数の本が並んでいる。 わしの住んでいる家にはライブリがふたつあるが、一個はわしが寝室を改造してつくったもので本棚を自分で作って壁につくりつけた。 それ以上長いと板がクルマにはいらないという、わしっぽい理由で2.6mの高さでつくってある。板の幅は本が3列でラクショーで並べられるくらいにとってある。 棚上棚を架す、というべきか、上に本棚を継ぎ足すための木材も買ってあるが、まだ作ってはない。 いかにもライブリぽい感じの本棚ではつまらんと思って白色で塗ったら、遊びにきた妹にものすごくバカにされた。 救いを求めて日本語ツイッタで書いたら、今度はすべりひゆというむかしからのお友達に バカにされた。 近所のおっちゃんに散歩の途中で出会ったので、本棚を白で塗ったら、バカにされた、女びとはものをはっきり言うからかなわぬ、と述べたら、頷いて聞いていたおっちゃんが「しかしライブリの本棚が白はひどいね」と、今度はしみじみとバカにされました。 悪趣味で退屈で誰にも愛されない巨大な白い本棚があるライブリは、わし専用なので、ライブリなのにベッドがおいてある。 ヘンなの、ときみは思うだろうが、どうせ白い本棚が壁一面を占めているヘンなライブリだから、ヘンでいいのです。 リムのベッドに寝転がって枕を高くして、というと日本語では違う意味になってしまうが、枕をふたつ重ねて肩を首のうしろにおいて、ずらっと並んだ本の背表紙を観ていると、なーんとなく崩れてきた石版で学者が死んだりしていたらしいくさび形文字時代の図書館のことを思い出す。 本を紙でつくる世の中になってからも落ちてきた本の角に頭をぶつけて死んだ歴史家くらいは、いそうである。 紙の本は、市場での位置、というのは、取りも直さず人間の生活のなかでの位置を変えつつある。 読書人口が減ったというが英語世界で眺めている限りでは本を買う人が減っただけで読書人口が減った、というわけでもなさそうに見えます。 日本では「大学生なら読んでおくべき本」や「ビジネスマンなら読まねばならない本」というようなベキ・ネバ本があったというが、そんな戦陣訓みたいな読み方をされる本のほうは気の毒なことであった、と思う。 本が売れなくなった理由のひとつは、「読んでおくべき本」よりも、やりたい遊び、のほうが大事であると目が覚めたせいもあるだろう。 ツイッタで、このひとはいいなあ、面白いなあ、とか、尊敬しちゃうなあ、と思う人の「フォロワー数」をみると、だいたい200くらいです。 1000くらいになると言葉使いが観客用になってきて、怪しくなる。 わしが見た範囲で言うとgameover1001などという人は、フォロワー数が1000人を越える頃から、ときどき演説をするようになって、見ていてアホみてー、と思うことがある。 一般に日本語ツイッタではフォロワーが1000を越えると言う事が「公論」になってしまって、くだらねーという感じがすることが少なくないよーだ。 世間を流通してまわって消費されているわけではない、自分の頭で丁寧につくった他人の考えを理解できるためには、その考えを以前に自前でもったことがある(考えたことがある)ひとだけであるという。 まったく自分にとっては新奇な、思いもよらなかった考え方に遭遇した場合は通常自分にとって既知のもっとも近そうな考えによって代替的に「理解」されるが、ほんとうはちっとも判ってない、というのがふつーであるよーだ。 多分すぐれた日本語の作家が書いたものを考えや情緒の原型のまま理解できているのも、そのくらいの数の読者だろう、と想像はつく。 1000、に届くのは難しいよーな気がする。 20000、というようなフォロワー数があるのは、無償でエンターテイメントを提供しているよーな人のアカウントで、たくさんのひとの公約数をめざしている点で、あるいは期せずして公約数に位置してしまっている点で、テレビのようなものであるよーにみえる。 これが英語世界になると、10万以上のフォロワー数のひとは(フォロワー数がおおきくなりやすい)実名に限らず仮名でもごろごろいるが、ツイッタの140文字制限がもたらす英語ツイッタと日本語ツイッタの性格の差のせいであろうと思われる。 本で言えばジョーク集、みたいな人が多いのね。 いまみると472万人のフォロワーがいるデミ・ムーア( https://twitter.com/#!/mrskutcher )のように、殆ど自分ひとりでE!チャンネル http://au.eonline.com/ をやっているよーな人もいます。 考えてみると本もツイッタも情報量や情報を切り取るやりかたが違うだけで、本質において同じようなものだ、とみることも出来るだろーか。 iBooksのようなソフトウエアが出て、仮想的に、むかしの言い方で言うデスクトップパブリッシングが誰にでも簡単にやれるようになったので、発行部数300くらいを目指すような不思議な出版世界があらわれてくるかもしれません。 実際ツイッタで知り合ったビオトープガーデンの泉さんは、iBooksを見てすぐ考えたことは「テキストブックをどんどん作ろうということだった」とゆっておった。 … Continue reading

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Made in Occupied Japan

子供のときにほんとうは入ってはいけないことになっている、食器が収納されている部屋にもぐりこんで遊んでいたら「Made in Occupied Japan」と書いてある食器があって不思議な気持ちになったことがある。周りにおかれている磁器や陶器からすると、ちょっと安っぽい感じがする(ごみん)食器で、捨ててしまったのかどこか奥深くにいってしまったのか判らない、このあいだ両親の家にでかけたときには、もうなくなっていたが、多分、ノリタケであると思う。 高校生の頃にふと思い出して、調べてみると、蒐集家がたくさんいるひとつのカテゴリーをなしている陶磁器の分野であって、へえ、と考えたりした。 アメリカにはコレクターが多いので骨董店でみかけるものも、ずいぶん不当な値段がついている。 オーストラリアやニュージーランドの、小さな町のそのまた外れにある、60年くらい前の普通の生活必需品を新品よりも少し安いくらいの値段で売っている骨董店に行くと、同じ程度のものがアメリカの半額以下で売っている。 いつかモニが面白がって手にとってみているので、一枚だけ買った大皿が、この家にもどこかにあるはずである。 日本は戦争に負けた国である。 あたりまえではないか、と言う人がいるだろうが、日本に行ったときのことを考えると、到底あたりまえと思えるようなことではなかった。 わしが日本にたびたび出かけた5年間は、2005年から丁度福島第一事故が起きる前の年の秋までで、20年近く続く社会と経済の停滞に日本が苦しんでいた、その断末魔だったが、それでも絶対的な豊かさはたいへんなもので、広尾山の家でも軽井沢の「山の家」のまわりでも、欧州人には理解できない数のランボルギーニやフェラーリ、ポルシェがたくさん走り回っていて、モニとふたりで食事をすると4万円は確実にかかる料理屋は、しかし、金曜日の夜ともなれば満席で予約をしなければテーブルがとれないこともあった。 1945年、日本で、あるいは日本が植民地化したり、傀儡化したりしていた地域では、 日本という国家の集団サディズムの代価を、サディズムの中心であった軍人と官僚の代わりに、(軍人や官僚は「内地」にとっくに遁走していたので)日本の普通の市民が文字通り身体で支払わされていた。 戦争に負けた側が判で押したようにうけるたくさんの殺人と強姦があった。 他の国にも共通の傾向があるが、日本は自分が被害者になった記録をことさらに隠しとおす。 アジアで言えば儒教諸国のように大声で被害を言い立てる文化をもたないので、たとえば「南京虐殺はなかった」と言って世界中の国から恥知らずぶりを攻撃される一方で、自分達が受けた集団強姦や殺戮の被害は、「貝のように」口をつぐんで、その苦しみが共有できるもの同士で、ひっそりと語りあわれるだけだった。 アメリカ占領軍による性犯罪ひとつとっても、「ほとんどなかった」という、たとえばいまのイラク人やアフガニスタン人に対するアメリカ人たちの態度ひとつみても「空想的」としかいいようがないことを「統計に基づく史実」として述べてあるが、到底、信用するわけにはいかない。 聞き取りにくい声、とこのブログ記事でもtwitterでも何度も同じことをいうが、 だいたいにおいて打ち負かされた側、踏みつけにされた側の真実は、打ち負かした側、足で相手の顔を地面に押しつけるようにして勝ち誇った側が、「証拠をみせろ」 「典拠はなにか」と常にあざけって冷笑するように、ほんとうの絶望の淵においこまれたものの声など、「証拠」を通して聞こえてくるわけはない。 ではどうすれば聞こえるのかというと、退屈で読むに値しない、とされていて、実際に読んでも日本語もおぼつかない文章が多い「自分史」の本や、まったく関係のない事件、たとえば犯罪の犠牲者の証言の途中で、突然、「私は米兵に連れ去られた過去があるのを夫に隠しており…」というような言葉で語られる。 日本社会には「キズモノ」を忌むという無惨な伝統があるので、外国人に強姦されたなどということは、絶対に認められない事件であったのは、いまの日本社会も本質的に同じなので、理解するのに努力はいらない。 「耐えがたいほどの痛みを共有してゆく」というのはほとんど家族だけがもつ機能だが、 日本の家族には歴史的にそういう機能が欠落している。 日本国憲法はアメリカ軍が日本人の手をわしづかみにして自分の思い通りに書かせたものであるのに決まっていたが、それが事実として認められることは長いあいだ忌避されていた。 ひとびとは、アメリカ人の風俗をデッドコピーして勝者の生活に憧れたが、70年代を通じて社会が自身を取り戻すにつれて、そういうこともなくなっていった。 日本が破滅的な敗北から気を取り直すのには凡そ40年という時間がかかったことになる。 日本の60年代、というような時代を調べて時間をおりてゆくと、ヒットチャートにはアメリカの曲がたくさんある。 1963年のヒットチャート1位にある「ヘイ・ポーラ」 http://www.youtube.com/watch?v=tVUNbdQ-cDY&feature=related は、Paul &Paula http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_%26_Paula の「Hey Paula」だろう。 http://en.wikipedia.org/wiki/Hey_Paula_(song) 一方では、 天皇という神格化された絶対王権(昭和天皇は王とは異なりイギリス王室と同じようなものだった、というが、何冊か本を読んだ限りでは、あとで天皇を守るために作り上げた解説のように思われる。ジョージ6世などは、あんなものすごい権力を与えられたらどもりどころかひとことも話せなくなっていたのではなかろうか)をアメリカ人の手で否定された日本人たちは、やや原理的と呼びたくなるような占領軍の行政官たちのリベラル思想に基づいて「戦後民主主義」を築いていった。 「鉄腕アトム」というアニメを観ると、当時の日本人の切実で「哀切」という言葉を使いたくなるほどの民主主義への希求が感じられる。 日本人なら誰でも知っていることらしいが、ロボットを日本人と読み替え、傲慢で独善的な人間たちをアメリカ人ないし欧州人と読み替えることによって、日本人は「この世界で日本人であることの意味」を懸命に問うていった。 … Continue reading

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Sei matto

エンリコ・フェルミは、ローマの人で、20世紀を代表する科学者のひとりです。 理論にも実験にもすぐれていて、ほぼジョーダンのようなひとであった。 マイケル・ジョーダンのようにバスケットボールで超人だった、という意味ではなくて、物理学の世界で非現実的なくらいの才能を発揮したひとだった。 http://en.wikipedia.org/wiki/Enrico_Fermi 人間の歴史上、最高の科学者は誰か、といえば、イギリス人なのでべたぼめするには甚だしく都合が悪いが、アイザック・ニュートンに決まっている。 ニュートンというひとは、神様のやることを微分してしまった初めのひとであって、その「微分」といういまでは世界を理解するためには人間にとって最低限不可欠で絶対に必要になった道具を使って、たったひとりで世界を初めから最後まで説明してしまった。 2番目、ということになると、候補が200人くらいいると思うが、フェルミはフォン・ノイマンやアインシュタイン達と並んで、最後の5人にはいるくらいのひと、と言って間違いにはならないだろう。 わしが物理を教わった先生はフェルミを2番目に偉大な科学者だ、とゆっていた。 2番目だったらアルキメデスちゃうかなあー、と不服に思ったので、よくおぼえている(^^) ツイッタで、「光より速い素粒子」が誤りかというニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120223/t10013237921000.html について、「イタリア人なんかに機器を扱わせるから実験を間違うのだ」という、なんだか「日本人の傲慢」を絵に描いたようなコメントを見てぶっとんだが、それに同調して笑ったひとも多かったようだった。 わしは思わずカッとなって、たったひとりのフェルミも出なかった国のくせに、くだらねえことを言って得意がってんじゃねーよ、と悪態をついてしまった。 まことに心性として下品である。 温和で成熟したおとなであることをもって四海に鳴るわしとしたことが、はしたないことであった。 ツイッタでイタリア人を小馬鹿にしていたのは防衛省の元役人のおっちゃんだったが、いまだにハーケンクロイツのお友達なのが誇らしくてたまらなかった軍国のむかしを懐かしんでいるらしい日本の自衛隊の雰囲気がよく判るような発言だと感じました。 恋人と母親を同一視してしまう不思議な習慣や素材を重視する料理への考え方において、イタリア人と日本人は似ていると思うことがある。 英語圏では男が女の乳房にふれることは女が男のち○ちんに触れることとまったく同等であって、男が女の乳房にあまえて吸い付くなどという不気味な愛情表現はありえないが、イタリアの男には、そういう人もいそうな気がする。 「20年も一緒にいれば、女房なんてかーちゃんみてえなもんだから」というようなことを、イタリアの人はおおっぴらにいう。 ふと思いついて「日本では実際に、『かーちゃん』と呼ぶのよ」というと、さすがにぎょっとしたような顔になるが、すぐに笑って、「気持ちわかるよ」といいます。 英語人なら、「そういう気持ち悪い話題を口にだして言うなよ」と考えて顔をしかめて返事をしないところである。 なんだかものすごくマジメなのに一方で破天荒なくらいデッタラメな印象も、日本とイタリアは似ている。 観察していると、日本のイタリア人に対する感覚は、たとえばドイツ人のレッドネックが言うことのオウムの口まねに過ぎなくて、「イタリア人はなまけものだから」というようなことを述べることによって、あたかも自分がドイツ人並である妄想にひたるものであるらしい。 ひどい「西洋コンプレックス」(という言葉は、もう死語だべ、と思っていたのに)に陥っているおっちゃんやおばちゃんたちほどイタリア人を小馬鹿にしたような冗談を言いたがるようで、それをネタに先進文明人ぽく盛り上がるのが好きなよーだが、横で見ているわしのほうはゲンナリしてしまう。 カンベンしてくれ、と考える。 理由は簡単で、わしはガキンチョのときからイタリアとイタリア人の築いた文明を途方もなく尊敬しているからです。 いま、われわれが西洋文明と呼んでいるものは、要するにローマ人がつくった文明のことである、という大枠もあるが、何よりも、たとえば父親のイタリア人友達の家を訪ねていけば、階段のてすりには精妙で典雅な彫刻が一面にほどこされ、息を飲むような壮麗なデザインの壁紙があって、室内が一個の美の宇宙をなして、「美の洪水」と呼びたくなるような空間をつくっている。 町を歩いても、イタリアに行って、多少でも観光地でない下町を訪れたことがあるひとなら誰でも見知っている3輪のトラックや、道路の脇にさりげなくとめてあるビアンキの美術品に最も近いモーターサイクル、フロレンスの間口一間で、ほんの少しの空間を店にしてあるだけで後ろに広大な工房がひろがる職人たちの店の傍らに飾ってある得も言われぬ形の靴や鞄、人形、文房具。 イタリア人がもっている「美」への偉大な感受性は、現代の工業製品にも活かされていて、そこへいくとイギリスやドイツなどのイタリアに較べれば圧倒的に文明が遅れている国の製品ときたら、「機能的」と言い訳することになっているデザインができないことへの体裁の良い言い訳でつくられた不格好な外見に、残りの特徴は「壊れない」という頑健で病気をしないのだけが売り物の農夫の美点じみた売り文句だけである。 言うまでも無く「典雅」や「優美」というようなものはイタリア人のものであって、夏の保養地ひとつにしても、コモの湖に行けば、他のアメリカや欧州の保養地のような地域全体が見るにたえない安普請な書き割りじみたいまできの開発とは異なって、そもそも保養地というものがどういうものであったかを教えてくれる。 オペラひとつとってもワグナーが大好きな日本のひとの趣味は、それはそれでいいに決まっているが、わしはミラノ人のジュゼッペ・ヴェルディやトスカナ人のジャコモ・プッチーニのほうがワグナーの百倍は好きである。 もっともそれは「軽み」や「弱々しい線で描かれた繊細」がないところには文明を感じない、わしの感じ方の問題が大きいのは自分で知っているが。 ワグナーも、付き合いでときどきは聴きに行くが、あんまり伽藍っぽい音楽を聴かされると、つい、ダッセエー、肥だめの臭いがするわ、とかいけないことを考えてしまう。 ワグナーのクライマックスで、緊張の面持ちで陶酔している観客席のまんなかで、ひとりでつまらなさそーにしている態度の悪い顔のガキがいたとしたら、わしであるに決まっておる。 ちびガキンチョの頃は、両親の強制お供で、あんなマクドもタイムアウトもないとこに行くのやだなー、だせー、と思いながらよくひきずられるようにしてイタリアへ出かけた。 着いたら着いたで、ぺらぺらとイタリア語をよくしゃべる妹を横目に、くっそー訳わからん言葉でしゃべりまくりやがって、おしゃべりな国民だのおー、と、まさか口には出さないが心のなかでは悪態ばかりついていた。 それがだんだん「文明」というものを理解できるようになってくるにつれて、自分達が作っている万年筆について「熱狂的」というしかない態度で「お若いひと、お若いひと」と繰り返し呼びかけを挟みながら、わしのような愚鈍なガキに二時間も熱心に説明してくれるおっちゃんや、相手は子供であるのにはにかみながら、テーブルにゆるゆると近付いて「料理、おいしいかい?」とゆって、おいしい、というと、これもあれも、と料理屋のおごりで出してくれた若い料理店主、夜の山の斜面にぽつんと小さな灯がともっていて、何も書いていない、ツタにおおわれたドアを開けると壮麗なインテリアの広大な空間がある田舎町のレストラン、 二年も経って訪れたのに、「まあー、よく来たわね!元気だった?風邪はもうなおったの?」と大喜びで迎えてくれる村のひとたち。 フクシマの原発の話をして、でも、日本の科学者は安全ってゆってるみたい、と言うと 「安全でも、わたしはやっぱり子供達が心配だよ。どうして逃がしてあげないのかねえ」とゆって、俯いて、すっかり涙ぐんでしまっているおばちゃん。 … Continue reading

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おおきなお世話

「除夜の鐘 俺のことならほっといて」というのは中村伸郎の有名な句だが、 この小津安二郎がたびたび起用したせいで外国人たちにも馴染みの深い俳優は、連合王国かニュージーランドに生まれれば、さぞかし幸せだったろう、と思います。 イギリス人は、日本人が自分達に似ていると思っていると言われるとびっくりしてしまうが、それには「日本人の集団主義」対「わしらのひとりでできるもん主義」という重大な対立、という観念的で、根拠を問われると「戦争のとき」なんたらで曖昧な、わりと由来がええかげんな信念があるからだと思われる。 イギリスに住んだことがあるひとは知っていると思うが、イギリス人から見た日本人は、日本人から見たイギリス人と丁度逆で、「自分達と全く異なる対極にいる人間たち」であろうと思う。 正反対、と意識されている。 ひとりでできるもんな自分達の社会の基本的なイメージが、社会と個人の関わりで、イギリス人やニュージーランド人は、 社会に対して「ほっといてくれ」といつも思っている。 なにしてよーが、わしの勝手だろーが、と考えている。 それが社会の基本的な感情なのだから、態度の悪いやつが多いわけである(^^) 他人をかまうことが人生の一部と信じていて、他人も自分を自動的にかまってくれるものだと確信しているアジアからの移民のひとが欧州に来ると、この「わししかないのよ」に押しつぶされてしまう。 あまりの自己中心主義に辟易してしばらくすると欧州社会を心から憎むようになるひともいる。 もっとも当の欧州人のほうは、お互いを自己中心主義、と意識しているわけではなくて、「そんなもんだろう」と思っているだけです。 アジアの人のほうを、「どうして、このひとは自分というものがないのだろう?」と思っている。 偏見は判断のエネルギーを節約する、という。 めんどくさいので、アジア人=自分がないひとびと、というふうに決めてあるひともたくさんいるよーだ。 大陸欧州人の心の根底には「人間がお互いに分かり合うなんちゅうことがあるだろうか?」という深いわだかまりがある。 通常の状態では、言葉やなんかで人間がお互いにわかりあえるなんて、あるわけねーだろ、と思っている。 正常なときはそうである。 ところが、稀に感情が爆発したりなんかして、いっちょう他人とわかりあってみるか、とおもうことがある。 恋人同士、夫婦のあいだですらそうだが、一緒に住んで同じベッドに眠って、もしかしたら分かり合えるかも知れぬ、と考えて自分の一生をかけた実験というか冒険にのりだしてみる。 全身全霊、というが、文字通り、そこまでの一生で積み立てた魂のエネルギーを全部おろしてきて、全部費消する。 はたからみていると、なにもそこまでやけくそにならんでもえーのに、と思うくらい欧州人の恋愛はすべからく大恋愛である。 だから「別れる」ちゅうようなことになると、大たいへんで、人生がぶっこわれてしまう。 いつか同じような話をしたら、「その割にはアメリカ人とか、ほいほい別れて気楽なもんだよね」という日本のひと(男・40代)がいたが、まことにケーハクな嫌らしさ、というべきで、なにからなにまで、というのは財布から魂まで共有して、それが100%できないと感じれば一緒にいられない、と思う、という切実な気持ちがわからない、というのは驚くべき鈍感さだと思います。 ほんとうは欧州人とアメリカ人では、ずいぶん「結婚」「恋愛」について考えが違うが、どちらにも共通しているのは、離婚などは死ぬ直前まで行ってしまうほど思いつめて、ぼろぼろになりながら行う。皆が身にしみて極限までいってしまう感情の激しさと魂を抉りとられてしまうような痛みを知っているので、当のアメリカで「気楽に」などと言えばよってたかって殺されるかもしれない。 日本でも若い人はふつーに「我慢なんてとんでもない。何度でも別れてやりなおしたほうがいい」というが、たいへん良いことだと思う。 きっと、他人へのもぐりこみかたも真剣をきわめたものなのでしょう。 日本にいたときには、楽しいことやおもしろいこともたくさんあったが、 「余計なお世話じゃ」と思うこともたくさんあった。 高速道路を走っていて横断橋に「注意!」で始まる警告が書いてあるので、前を見るのをあきらめて警告の標識を日本のひとに較べて時速で劣る日本語読解力を集中して読むと「前をみて運転しよう!」と書いてあったりする(^^;) 前にも書いたが、「ここから先に行くと崖から落ちます」という崖っぷちの標識版を見たこともある。 日本からもどってからも、福島第一事故がどんどん進行して、カバーアップしようとする政府のカーテンの下から、メルトダウンになって収拾がつかない実態が見えてくるようになっていた頃、中国では鉄道事故があって、事故の処理をみて、 「これでは中国の将来が思いやられる」 「いくらなんでも、こんな事故処理では遺族がかわいそうだ」 「さすがは中国w」 などといって、日本のひとは大喜びだったが、燃えている自分の家から他人の家の夫婦喧嘩を見て、心配をしてみせて、鬱憤をはらすのは、趣味がわるいだろうと考えた。 フクシマなどは、自分の国の問題と実感できないようでした。 日本のひとと話していると、緊急切迫のときほど妙にのんびりしている、というか、現実の事態にうまくアクセスできないでいる、というか、「他人事(ひとごと)ですから」というときの一定の声の調子というものがあるが、現に自分の社会が直面している焦眉の危機について「たいへんですから」と「他人事ですから」と寸分違わない声の調子で考えているように見えることがある。 さし迫った危機としての現実が言葉を通過して思考におよぶころには「ひとごと」と同等な切迫感ないし切迫感の欠落になってしまう、というのは、個々の人の情緒が現実へのアクセス不調に陥っていることを明瞭に示している。 子供の時から拒否したい現実や命令を自分を偽って肯定して受けいれつづけると同じ反応を起こす。 … Continue reading

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ピザっ!

「冷えたピザが好きですねん」というとぎょっとした顔をする人がいるが、わしは好物です。 おいしいのよ。 現にいまこうやって書いているときも昨日ツイッタでだらしなくだべっておったら日本では同じものが3100円すると判明した300円のドミノスのピザを食べておる。 朝ご飯です。 ピザ、というものはわしにとってはどういう食べ物であったかというと、子供の時でいうと二ヶ月に一回くらい食べてもいいことになっている「悪い食べ物」「いけないもの」「禁断の果実」だった。 よーし、今日はプロジェクタのスクリーンを下ろして、本格的に怖い映画みるぞお、ポルターガイストでひいひい泣いてくれるわ、というような場合、妹とわしは、じっとかーちゃんの様子をうかがう。 ふたりでこそこそ相談する。 おもいきって訊いてみよう、と衆議一決すると、 たいていは妹が大使として派遣されて、 「ピザを食べてもいいですか?」と訊く。 妹が、それで一生の楽(らく)をつくっている、内面とは何のゆかりもない、わが妹ながら純真無垢な感じがする、天使のような笑顔を浮かべてもどってくると、わしも一緒に「いええええーい」 「極悪ピザ、ばんざあーい」と歓喜する。 カウチの上で跳ねます。 普段はコカコーラなど飲んだら座敷牢にいれられてしまうが、ピザを食べるときだけは飲んでもいいことになっていた。 イタリアはマジなピザがうまい国で、あたりまえだが、ドミノスとは違う食べ物です。 マルガリータ。 日本でもおいしいところがたくさんあるが、イタリアは、桁がふたつくらい違ってうまい。 都会の料理屋ではいちばん安い食べ物でもあって、テーブルとテーブルがものすごく近い、ガイドブックに載らない、でも町では有名な「おいしいピザ屋」で6ユーロ(630円)くらいと思う。 もちろんソースによるがパスタの半分くらいの値段。 わしが大好きな某村のピザ屋は、バジルもトマトも庭でとれたものを使う。 頼めばピザの上にのっけてくれる卵も裏庭で猫といつもにらみあいを続けている鶏一家のものである。 ソーセージも何もそういう調子の地元のものなので、ものすごくうまい。 イタリア人は食べ物に対する考え方が日本人とよく似ているところがある。 素材が新鮮でうまければ、それがいっちゃんいーだろー、という考えがそれで、イノシシのステーキでも仔牛でも、オリーブオイルで焼いてそれだけで食べさせたりするのが、うまい。 ピザも、同じ思想に拠っているもののようであって、だから、シンプルなマルガリータがひどくおいしいのだと思われる。 パスタは「アルデンテ」という考えがないので無茶苦茶まずいが、ピザはスペインもうまい。ツナとかタコとか訳のわからねーものが載ってるピザが特にうまいよーだ。 わしのバルセロナのアパートのすぐそばには、途方もなくうまい「スペイン式ピザ」の店があって、この店はたいへん有害である。 バルセロナにはカタロニアやスペインの他の地方のおいしい店が、これでもかこれでもかとあるのに、食べ物を考えるのがメンドクサイと、ついそこのクソうまいヘンタイピザを食べてしまう。 いつもひとが行列しているが、さばくのが速いので、そんなに待つわけではない。 食べ物のために行列するのが嫌いなわしでも、並ぶのが嫌ではありません。 便宜上、「並ぶ」と書いたが、実はスペイン人は並ばない。 なんだか、ぐじゃっ、とひとがいるだけだが、それがスペイン式の行列で、誰が誰のあとか客も店も厳密におぼえている。 観光客がそれと気づかず、先に割り込んで注文でもした日には、大顰蹙もいいところであって、店内が阿鼻叫喚の様相を呈する。 えええー、だって、そんなん店のどこにも書いてないからわかんねーじゃん、というひとがいそうな気がするが、目の前のひとびとを30秒も観察すれば頭が鶏でもわかることで、そういうことを当然と納得することを「文明」といいます。 「並んで下さい」というような張り紙は、したがって、その社会には文明が存在しないことを示している。 イタリア料理にマルガリータがあって、ピザハットにグリージイでべったべったな肉肉したピザがあるのだから、そのあいだには両者をまたぐミッシングリンクがあるのであろう、と考えるのがおとなの分別というものだが、実際、ミッシングリンクは現存していて、その店はブルックリンにある。 名前をど忘れしちったが、マンハッタンからブルックリン橋をぶらぶら歩いて行って、下りてすぐのところにある。 店の壁に、「アメリカピザ発祥の店」と麗々しく書いてある。 フランク・シナトラやマリリン・モンローがこっちをむいてニッカリ笑っている写真が飾ってあります。 えっ?おれの本に書いてある発祥と違うって? … Continue reading

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どこかで見たひと

特に日本に生まれたいとおもったことはないが、日本にうまれても、それはそれで何とかなっただろうとは思う。 義理叔父という従兄弟の父親がいて、このひとは年齢が離れていても友人であるとおもっているが、このおじちゃんは日本人でもあって、その割には気楽に暮らしてきたようにみえるからです。 話を聞いていると、どーも中学や高校はさぼってばかりいたよーだ。 学校をさぼって、渋谷の大盛堂書店やヤマハ、青山の根津美術館、京橋のフィルムセンター、銀座の旭屋書店、神保町の古本屋、そういうところにばかりいた。 その頃は、まだガキが街をうろうろすると、ときどきお巡りさんが追いかけてきたもののよーで、制服は着ていなくても、顔をみればガキとばれる義理叔父は、よく全速力で246号線を走ったりしたという。 ジョギングをしていたわけではなくて、後ろから警棒もったお巡りさんが追いかけてくるからです。 むかしのお巡りさんはマジメだったようだ。 「あれってさ、タバコ喫ってるとやばいのよね」と義理叔父は言う。 14歳から20歳までタバコを喫っていた。 ある雨の日、タバコを買いに行くのがめんどくさかったのでタバコをやめた。 このブログ記事を読む人が義理叔父とはわしのことではないかとおもうわけである。 似ている、と思います。 このひとは節目節目で難しい学校に(多分カンニングで)合格しているが、 「それが日本の社会の窮屈から逃れるゆいいつの方法だったんだよ。別にブランド主義じゃないのよ」と述べている。 実際、義理叔父の母親である鎌倉ばーちゃんに聞くと、当時は鎌倉でなくて渋谷区に住んでいたが、ひるまっからぶらぶらしていても、「あそこのXXちゃんは、頭がいいけど変わり者だからしょーがない」ですんだそーだ。 「有名校に行っていなければな、おまえ」と、義理叔父はよく酔っ払うと言う。 「いまごろはとっくに山椒大夫に売られておる」 長じて、トーダイに裏口入学した。 表からはいったわけではないのは、義理叔父のお友達がみな保証してくれるので、動かぬ事実であると思われる。 ほんとはバカなのに、とは、身内であるから、いくらなんでも言わないが、それからずっと「トーダイ出」で他人の目をくらませてきた。 もっとも、義理叔父の名誉のために言うと、まさか自分から学歴を言い出したりはしません。 おばちゃんやなんかにひつこく訊かれたときだけである。 ここから先は、あんまり詳しく書くと経験から言って張り倒されるのが判っているので、安全保障上書かないが、基本的に義理叔父のやりかたは他人と競争することなく「別リーグ」を設立して、そこのお山の大将で暮らすという方法であったようだが、日本の社会にいろいろ意地悪されかけたりしたものの、トーダイがものを言って、あるいはわしに似たチョーテキトーな性格が幸いして、比較的楽ちんな人生を送ってきたもののよーである。 日本の楽しみ方、のようなものは、すべてこの義理叔父から教わった。 わしが大学にはいってからは、休みがあると、ガメ、航空券代だしてやるから日本に来いよ、といって従兄弟と3人であったり、2人であったりしたが、あちこちに一緒にでかけたものだった。 だから日本人にうまれても、なんとなくやれたよーな気がする。 実際、義理叔父は30歳をすぎてからは、ほとんど午前中に起きたことがないよーだ。 とてもダメな人であって、それでもそうそう大変でもなく生活できているのだから、どんな社会でも苛酷を逃れる道はあるのだろう。 日本にうまれていれば、理学ではなくて工学をやったと思われる。 イギリスやニュージーランドより土壌として手をつかって工学をやるうえで恵まれた国だから。 英語とかは興味がなかっただろう。 ヘンなものばかりつくって、おまえは研究者じゃなくて職人かと苛められながら、ときどき銀座の鮨屋でへべれけになって、呂律もまわらず、まっすぐ歩けもせずに終電で逗子の家へ帰ったのではあるまいか。 たいしてインターネットも使わず、たまたま見つけた裕福そうなニュージーランドのクソガキの、しかも日本語で書きやがったブログを読んで腹をたてては、こおーのクソガキが、楽しやがって、と毒づいていたりしたものだと思われる。 夜中にはときどき鎧摺の小径を抜けてチョージャガサキに歩いていったりしただろう。 低くて小さな、暗い山影をみあげて、日本はなんて良い国だろう、と考えたにちがいない。 それから、長者ヶ崎の小さな砂浜に腰を下ろして酒を飲む。 夜光虫って綺麗だなあー、と思いながら、少し眠ったりする。 もう30歳すぎちゃったけど、おれって結婚しないのかなあー。 なんだか女のひとが同じベッドで眠る生活なんて、現実じゃないような気がする。 セックスは体液があるから好きになれない。 … Continue reading

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雪の日のブランコめざして

「完全なる神がつくりたもうた驚異的に精緻な人間」という意見にはむかしから色々な反論がある。 盲点、などは聞いたことがあるひともいるだろう。 人間の目は視神経が内側から外側に突き抜ける構造になっているために、盲点が生じてしまっている。 http://en.wikipedia.org/wiki/Blind_spot_(vision) 脊椎動物はみな盲点を持っているが、イカには盲点はない。 表皮由来の水晶体眼なので視力も人間よりすぐれ、老眼も近眼もない(^^) 「神がつくりたもうた」とすればひどい手抜きで、しかも人間の眼は基本的に脳の一部なので、脳が露出しているなんて気味が悪い、とわしなども考える。 むかしの医学では「人間の身体の部品は百年もつように出来ている」とゆっていたが、最近は(例によって例のごとく)学説が変わって「だいたい50年」という信長が好きだった幸若舞みたいな説になった。 周囲の人間を観察すると、人間が正気のひととして人間らしい活動をするのは、だいたい20歳から50歳くらいまでであって、あとはそれまでのシリーズのエピソードの同工異曲というか総集編というか、残映のような人生というかで。医学が発達しようが栄養状態がよくなろうが、実働は30年前後であるらしい。 わしの考えでは人間のなかで最も偉大な場所に到達したと思われるゴータマは80歳まで生きた。 なにひとつ不自由のないラッキーなやつだったが、29歳で、酒池肉林にも、もてもてで、 いちゃいちゃもんもんシホーダイなのにもすべて飽きて、全インドの王か覚者かの二択を自分に迫って覚者の道を選んだ。 この世界の醜い表層の下にある自然こそが人間の涅槃なのだと悟って成道したのが35歳だという。 ゴータマを人間の一生の例として考えてみる、というのはアホいが、しかし、考えてみるとゴータマも他の人間と同じで30代を中心に一生がまわっていたように見えます。 わしは子供のときからのんびりが好きで、急かされるのが嫌いだった。 道を渡るにも走るという習慣がない国に育ったせいもあるかもしれません。 このあいだロンドンに帰ったときに舗道を走っている30代くらいのおっちゃんがいたので、ぶっくらこいてしまったが、わしが子供の頃は公道を「走る」というのはイギリスでもニュージーランドでも人目をひく、異常な行動だった。 この頃はオークランドでも「小走り」に道路を渡るひとをみるようになったが、そういうひとが現れたのは極く最近のことです。 クライストチャーチでは、まだ、むかしのままで、道を渡るのに走るひとはいない。 義理叔父に言わせると、英語人、特にわしや周りのひと(頭の回転がチョーはやい妹は除く)の会話はいしいひさいちの名作「地底人対最底人」 http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20110403/1301783223 の会話に最も近いという。 「間(ま)の取り方が同じで、見ていて可笑しい」と失礼なことをいう。 その一方で、義理叔父自身が知らないのは、この人はしびれを切らすのか、相手がまだ返事をしていないのに、また自分の意見を重ねて言うので英語世界では「悪い人ではないが失礼なひと」ということになっている(ばらしてもうた) このブログでは、何回も繰り返しでてくるが、「時間」が違うからだと思います。 「急かされるのが嫌いだ」と書いたが、わしは、学校や家で急かされたことはない。 英語世界の基準からゆってもチョーのんびりなわしが、うーんと、えーと、と心のなかで考えていると、みながじっとわしを見ている。 それでも言葉が出るところまで行き着かないので、えーと、うーんと、をしていると、先生なり母親なりが、「ゆっくり考えていいのですよ」と相の手をいれるであろう。 で、やっと考えがまとまって、 「わかんねー」と言うと、また相手が滔滔と持論を述べる、というふうであった。 シンガポールの大学に近いところにあるホットドッグ屋で行列に並んでいたら、いくらなんでもわしほどではないが、のんびりな女の子が、ホットドッグを注文している。 屋台の高いところからみおろしたにーちゃんが「マスタードいる?」と訊くと、えーと、あーと、どーしよーかなー、「いれてください」という調子で、考えながら注文していたら、わしがぶっくらこいたことに後ろで並んでいた学生たちが、「ぐずぐずすんな!並んでるあいだに注文ぐらい考えておけよ!おれたちは昼休み短いんだぞ!」という。 女の子はローバイしてます。 注文が終わって紙袋を渡すときになると、ハンドバッグを開けて財布を探す。 すると、また、「あーあ、いまごろになって財布かよ」 聞こえよがしに「ちぇっ!」と舌打ちしてるひともいる。 このひとたちって、ばーかみたい、とわしは考えたが、シンガポールは観察によると忙しい国で「効率」ということを最も尊ぶよーであった。 わしは、ああいう国では到底生きていかれない。 オカネがあっても時間がなければ、そのオカネで、あーゆーウフフなことや、ムヒヒなことをしてモニと遊べないので、冷菜凍死とゆっても忙しいことはやる気がしない。 そんなんでダイジョーブなのか、という人もいるが、あいつは一年に5日くらいしか働かない、引き籠もりで人とも全然あわない、という定評が出来てしまったので、わしが働かないからとゆって怒る人はもういなくなった。 なにごとも「慣れ」である。 … Continue reading

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トランジット、あるいは冴えない破滅について

飛行機が飛ばなくなる日は必ず来る。 石油がなくなるから飛ばなくなるのだが、その日でも燃料は空港のタンクにちゃんとあるだろう。 …なぞなぞみたいですのい。 管制官の給料がでなくなれば、飛行機は飛ばない。 パスポートコントロールの係官がいなくなれば国際線は飛ばしても意味がなくなってしまう。 あるいは航空会社が離着陸料を払えなくなる。 燃料に使う石油が枯渇するまえに飛行機は飛ばなくなるが、理由はだいたい、そんなことだろう。 福島第一原子力発電所事故のあとの議論を眺めながら考えたのは、人間は未来のことを考えるのが途方もなく下手である、ということだった。 80年前に農場主が「土壌」というのと2012年の農場主が「土壌」というのでは、同じ言葉を使っているが違うものをさしている。 たとえて言えば「スポンジ」かなあ、と言う。 滋養もなにもない土、使いつくして大地の滋味を搾り取りつくした以前には土壌だったなにか。 窒素・リン酸・カリウム、と言う。 カルシウムもマグネシウムも必要だろう。 問題は、というか、ここで考えようとしているのは有機無機を問わずこの肥料が野菜なり穀物なりの食料になるためには、大量の石油を消費していることで、そのうちには石油のお題にしたチョー退屈な記事を書くだろうが、印象として現代の農業は石油化学工業である。 石油はエネルギーとしてよりも、人間の現代文明の支配的な要素として重大な意味をもっている。 ちょっと調べてみれば判るが、石油が(枯渇ではなく)足りなくなると、人間の生活などあっというまに停止してしまう。 産地でつくられた野菜は畑につみあげられてただ腐ってゆき、70年代にそれで日本社会がパニックに陥ったようにトイレットペーパーはスーパーマーケットの棚から消えてしまう。 石油の価格が倍になるくらいでも、生活は不安定になるのだから、これから予想される5倍、10倍、というようなフェーズでは、どういうことになるか、わしみたいにチョー暢気な人間にも予想がつく。 原子力が石油の代替として求められる頃には、石油の原価が高くなりすぎていて、いまの現代社会はそもそも成り立たなくなっているのでエネルギーだけが代替されても無意味なのである。 トーダイおじさんのひとりはむかしむかし20代の係長として鉱業課という部署にいた。 経産省。 若かりし頃のおっちゃんがいた頃は通産省とゆった。 石油の備蓄をやれと言われて石油のベンキョーをしたら、どう考えても備蓄タンクなんかでどうにかなる不足量ではないので、「将来世界的に原油が不足する」というレポートを出したら上司に怒られた。 石油なんてものはな、探せばあるんだ、バカ、そんなことは堯舜の世から定まっておる、とゆわれたそーです。 ふりかえってみると、その頃はほんとうだったんだよねえー、とトーダイおっちゃんはいまは薄くなった髪の毛をいとおしそうに掌でなでつけながら言う。 でも、いまは、ほらこれだから、と鉛筆で描いてみせたのは、わしら全員が頭を悩ませている、件の曲線です。 http://coachingtohappiness.com/wp-content/uploads/2010/09/world-population-graph.jpg 去年、日本語ツイッタを見ていたら、「人口は食料が減れば減少に向かうんだから、食糧危機なんか起こるわけがない。食糧危機なんか考えるバカの気が知れない」と書いている「日本的秀才」のパチモンのようなひとがいてRTつきまくりでうけていたが、ちょうどその頃日本でも何度も繰り返し報道されているソマリアという一国だけで一日2500人が餓死している現実 http://www.asahi.com/international/update/0729/TKY201107290690.html を、こうもあっさりと無視できる鈍感さというものはたいしたものである、と思う。 実際、人口増加曲線も2050年くらいを境にS字曲線に形を変えてゆくのでなければならないが、グラフがようやく単調な増加からフラットなplateauになる頃にはだいたい90億人から95億人くらいのところにある計算で、毎日大量の餓死者を出しているアフリカ諸国からお腹が空いてもいないのにホールチキンをレストランで頼んで、ほぼまるごとゴミにしてしまうティーンエージャーがおおぜいいるアメリカまで、いまの世界の貧富のバラエティの、そのままの構成で2050年も暮らしていると仮定すると、実は地球がまるまるもう一個あっても資源が足りない。 plateauという言葉を使ったので思い出したが、いま(2012年)のような世界の状態を英語ではbumpy plateauちゅうような呼び方をするひともいる。 どういう表現かというと、原油が1バレル200ドルになると買い手が減るので100ドルに下がる。 あるいは相場によっては100ドルをさえ下回る。 原油の価格が上がれば製品の価格があがり、それでは商売にならないので、製造が中止されて、市場が冷たくなり、需要が減って原油が売れなくなる。 そうすると原油価格がさがる。 しかし、いまの石油依存症とでもいうべき世界の骨格が形成された、というのは個人の側から言い直すと、平均よりもやや高いくらいの年収があれば人間らしい生活が出来る世界が形成された頃のWTI価格は、そもそも1バレル3ドル近辺だった。 それが1973年に1バレル5ドル超に引き上げられて世界は大パニックに陥り、1974年に11.65ドルに上がることによって産業と社会の構造そのものが変化を強いられることになった。 日本が、この時期の「新しい、石油が高い社会」に適応できたゆいいつの国だったために空前の繁栄を遂げたのは(当の国の国民なのだから、あたりまえだが)日本でもよく知られていると思います。 … Continue reading

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ズボンとパンツ

1 「ズボン」という言葉は死語なのかどうか調べてみたがよく判らなかった。 こういうときは従兄弟か義理叔父に訊くことになっているが、eメールを出しても返事がこないので結局、まだ判らないままである。 パンツという言葉に変わっていそうなものだが、記憶によれば「パンツ」は下着の意味で女びとの「ズボン」をパンツと言うだけだったような気がする。 英語世界には「キャプテン・アンダーパンツ」 http://en.wikipedia.org/wiki/Captain_Underpants という有名なガキ読み物があるが、 日本語には「アンダーパンツ」という言葉はなかったと思う。 「パンツ」や「アンダーパンツ」のことをぐるぐると考えていたら、頭のなかの言葉に黄色いシミがついてきたので、部屋を出て、ホールウエイを歩いて台所へ行く。 VOGEL’Sのトーストを二枚焼きながら、小さい目玉焼き用フライパンに二個卵をいれてストーブに載せる。 と、ここでもう間違えている。 日本語では「ストーブ」はヒーターのことなので、コンロと言わねばならないが、わしの家は自分では使わないデカイほうの厨房にはガスがあるが、ふだん使うキッチンは電気なので、コンロとは言わないだろう。 日本でも電気で調理する電磁なんとかがあったはずで、電磁トップというのだろうか。 そうやってわけがわからん、と思っているうちに、めんどくさいから「ストーブ」と書いてすました顔でいる文章が、過去記事を見ると、いくつかあります。 2 もともと日本語を専攻にしたわけでもなく、それどころか日本でなにかをしようとか、日本人観光客相手の商売をしようとするのでもないので、わしの日本語は途方もなくいいかげんである。 もう何回も繰り返し書いたのでそろそろ止すが、日本の文化や社会をしってみたいという欲求もあまりなくなってきて、日本語で考えることによって生じる別人格を楽しむだけのために、この頃は日本語を書いている。 自分でもおもしろいと思うが、こうやってなるべく日本語の時間をつくる習慣を維持しようと思っても、まわりに日本語が判るひとがいるわけでもなし、無理は無理なので、だんだん日本語が衰えてゆく。 なにを面白がっているかというと、読み書きのうち、まず「読む」ほうが衰えだすことで、これは実は予想と逆だった。 まず、書くほうがダメになるだろうと思っていた。 わしは、威張ると、最盛時は一日に5冊、というような日本語の本が読めた。 いまはもう全然ダメで、一冊の本を読むのに、二ヶ月かかったりする。 何ページか読むと、くたびれる。 現代文よりも古文のほうが楽で、最も楽なのは現代詩である。 なんだかヘンな順番であるな、と自分でも考えたが、これは多分「音」によっている。 つながりの悪い「音」で出来た文は、読んでいてひどくくたびれる。 ぜんぜん外れているかもしれないが、英欧語の本はいくらでも読めるのは、「音」がつながっているからではなかろうか。 メンドクサイ、という酷い理由で、わしはむかしから外国語の本を読んでいても辞書なんかひいたことはないが、それは「別に書いてあることがわからなくてもいいのさ」と考えているからでもある。 書いてあることが判らなかったら本を読んだことにならないではないか、というひとが当然いると思うが、それはわしの途方もないええかげんな性格をしらないからなので無理もない、わしは音を楽しんでいるだけなのかもしれません。 Telugu語の鼻歌を歌っていると、ぎょっとしたような顔で傍らのインドのおっちゃんがわしの顔をみつめている、どーしてテルグが話せるんだ? という。 話せません。なんとなくおぼえているだけ、というと大笑いされる。 そういうことが、いままでにも何度もあったようだ。 3 以前は宗教的な禁忌のために録音が許されなかったチャンティングが録音できるようになったせいで、口承で伝えられるインド人のあの長いチャンティングに使われる言語の解析がすすむようになった。 最も研究者たちを興奮させたのは、いくつかのチャンティングに使われている言語に「意味」というものがまったくなかったことで、厳密に定まった抑揚や音程は、ただそれのみで聖性を保障している。 しかも、…そこでわしは、ほんとーですかー、とのけぞってしまったが…現存のどの言語よりも古い、という。 インド人は「アーリア」と名前のついた文化の範囲と生物学的な人種の広がりが一致しないひとたちだが、言語は最古の痕跡を残している。 一方で、サンスクリットはギリシャ語やラテン語と共通の語彙が豊富なことで有名である。 そのことによって判明することや示唆されることはいろいろあるだろうが、最も興味があるのは、地中海や黒海の周辺、トルコ、中央アジア、北インド、というような地域では「音」の根幹を共有していたと思われることで、学校で習った「思想の普遍性」というものは実は一個の根から伸びた音の伽藍の下にある可能性があることです。 servus … Continue reading

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常識、非常識、フクシマ

1 日本語ツイッタを広げてなにか書いていると、ほかのことを述べようと思っても、いつのまにか福島の子供のことになってしまうので自分で書いていても退屈である。 おおげさに言うと「見えざる手」がわしの手をつかんで書かせているような具合で、今日の午餐の話をしていても手はいつのまにか福島の子供はなんでまだ福島のいるのか誰かおせーてくれ、というような発言になってしまうので、読む方もさぞかしうんざりであるに違いない。 この世界には嫌がどうでも核のエネルギーのものは断固廃絶すべきだというひとはたくさんいて、わしの友達にもいっぱいいます。 「あぶないじゃないか」という至極まっとうな立場に立って意見を述べている。 自分でも「危ない人」なのではないかと思うが、わしはもともと核アレルギーというタイプの考えはない。 具体的には核融合 http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_fusion という反応がケーハクにも「好き」なのであって、生きているあいだにどういう形でか、これが人間の手で完全にコントロールできるようにならないだろーか、と考える。 そういう非人間的で至極ケーハクな立場からは遅延核分裂の制御などは系がいくら複雑でも屋上に屋を架したバカ複雑さとしかみえない退屈なクソ技術であって、あんな面白くもなんともないものを膨大な時間を費やしてベンキョーするやつがいるなんて信じらんねー、自分はなにしろ紙と鉛筆があれば事足りる理学分野にしか興味がないが、工学をやるんだったら、たとえばコンピュータと人間のインターフェースとかのほうがよほどおもしろかるべし、と考えて高校生時代を送っていた。 別に科学の素養などなくても、ほんの少し勉強すれば、いまの世代の原発になどちょっとの未来の可能性もなくて、チョー簡単に言えばトロ火にした核爆弾でバカでかいヤカンのお湯を沸かせて、その水蒸気で羽根をくるくるまわして発電する、といういまの原発は贔屓目に見てもコショクソーゼンとした技術である。 歴史的にも福島第一のマークIは60年代の工業製品で、それがどのくらい古くさいかピンとこなければ、60年代の技術の最先端であった飛行機や自動車の写真を見てみる、というようなことが、あるいは実感をもってどのくらいの頃の技術かを感覚するには良いかも知れない。 Morris 1100 http://www.australiaforeveryone.com.au/world/bad_morris1100.htm トヨペットクラウン RS41(2代目クラウン) http://toyopetrs40.shisyou.com/003.html YS11 http://www.jac.co.jp/entertainment/aircraft_ys11.html 日本のステレオ http://www.japanradiomuseum.jp/stereo1.html#%83T%83%93%83%88%81%5B%83I%81%5B%83%8B%83g%83%89%83%93%83W%83X%83^%83X%83e%83%8C%83I%81@SD-650 しかも、これも日本ではもう随分しられたことになってしまったが、いまの世代の原子力発電技術では増殖炉が稼働しなければ、石油よりも遙かに資源としての寿命が短い。 わしが高校生のとき、教師が日本ではまだフェニックス型増殖炉の「もんじゅ」を動かしているというので、ぶっとんだが、連続運転すればほぼ確実に「ポン」になってしまうと思われる、あまりにアブナイので言い出しっぺのフランス人さえあきらめたフェニックス型を、むきになって動かそうとしているのは、増殖炉が動かないと認めてしまうと、ウランのほうが石油よりも資源としてはやく尽きてしまって、エネルギー政策として「石油がたりなくなるからやってんだ」という話のつじつまがあわなくなってしまうからに違いない。 わしらは、というのは、わしとガッコ友達は、「もんじゅ」はいつかぶっとぶだろう、と思っていた。もしかしたら削除した記事のなかかもしれないが、多分、この日本語ブログのなかにもどこかに「もんじゅ」の話が出てくると思います。 意外とぶっとばない、というか、いまウエブで見てみると、あんまり動かしてないよーなので、そのせいなのかもしれないが、意外にも「もんじゅ」はぶっとばないまま推移して、津波という(わしの日本の災害種類への想像力が著しく欠落したアタマでは)予想もしなかった災害で福島第一が崩壊してしまった。 ひとの国のことだから、という意識があったとは思いたくないが、思えば無責任なもので、わしも友達も「もんじゅ」はぶっとぶであろう、と思いながら、別に日本にでかけていって反対運動をするわけでもなく、ときどき頭のどこかで思い出しては「まだ、ぶっとばないんだな」と考えて、へえ、と考えていたりしたのだから、たしかに人間には無関心という悪魔が住んでいるのである。 2 何ミリシーベルトなら大丈夫だ、いやダメだ、と日本の人が言い出したときに、どうなってるんだろう、これは、と考えて友達にどう思うか訊いたりしていたのは、ちょうどマンハッタンにいた頃のことだった。 よく訳がわからず、未来における影響がわからないが、むかしから危険きわまりない、とされている災厄が起きたときに「数字」で考えようとする、というのは、ものすごく変わっていて、しかも興味深い反応である。 しかもわしが立っている所から見ると全体が的外れの理屈の遊びにしか過ぎない。 福島第一の事故の直後、外国人のみならず、外国にながいあいだ住んでいる日本人も、「逃げろ!逃げろ!」とツイッタやなんかで叫んでいたのをおぼえているが、英語人の反応は簡単に想像がついて、まず一目散に逃げて、自分の体力やオカネが許す限り遠くまで逃げるだろう。 実際、福島第一事故のあと、英語世界のテレビや新聞のインタビューにこたえたり、英語人のフォーラムで語られたりした事例をみると、速報を聞いて、いきなり自転車に乗ったまま、途中野宿をして関東まで逃げ、そのまま飛行機に乗って逃れたひとや、たったひとり警報を信じて屋上に走ってあがり(前の日に津波警報があったが津波が実際には来なかったせいだという。なんというたちのわるい偶然だろう)津波がひいたあと、やはりシドニーまで何も考えずにまっすぐ「とりあえず」帰った女のひと、歩いて西へ西へと逃げたひと、日本人風の定義をすると「パニック」で逃げたひとばかりであって、外国人は数字に弱いという日本人の信念はほんとうであるのがわかります、というのは冗談だが、とりあえず逃げてから考える、というディアブロ必勝法と同じ定石に従って英語人は行動する、ということを今回も見事に証明したのでした。 「とりあえず逃げた」と書いたが、そのあとに情勢を検討して、日本政府のいうことを信用すべきだと考えて戻ったひともたくさんとは言えないが、少しはいた。 例をとるとアメリカ人は実際大使館が送ってよこすeメールに「日本政府が提供する情報に従って行動するように」と途中から書きだしたので、それじゃ、まあ、日本政府のいうことを信じればいいのだろう、と考えて戻った人が多かった。 まず一目散に逃げる、ということをしないので、「日本のひとだなあ」と考えて驚いたが、そのあと被災地域に残っているひとたちについては、そりゃまあ、そうだろう、と思っていた。 わしの個人の考えとしては東京くらいの地表・食べ物の汚染でも、そこに住んでいるなんてとんでもねえ、と思うが、政府が大丈夫だと言っているのだから、たとえば福島県人にほかになにが出来るだろう。 大昇進して福島支店に赴任したばかりの支店長のおっちゃんは、仕事を捨て家族の生活を捨てて家ぐるみ九州に越す、というコンジョがでるだろうか、と考えると、わしなら出ない。 固有のわし反応は、いきなりダッシュで地の果てまで逃げて、はあはあ言いながら振り返って、「あー、こわかった」をしているうちに会社の逆鱗にふれてクビ、家族と一緒に路頭に迷うことになると思われるが、それはわしが人生に対して投げやりな人間なわりに生命の危険に敏感だからで、いま考えているのは人生に真剣で生命の危険に無頓着な人を前提しているのだから、そういう根性には出場の機会がない。 日本政府は、だから、強権を発動して、鬼になって、福島県をからっぽにすべきだった。 県民が泣こうがわめこうが、おれは福島を愛しているんだと絶叫しながら警官に詰め寄るひとが大量にあらわれようが、断固として汚染地域を封鎖して無人の荒土をつくるべきだった。 … Continue reading

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ニセガイジン大庭亀夫の独白

1 モニさんは、すやすや眠っておる。 モニとわしは滅多に喧嘩しないが、昨日は大喧嘩をした。 わしがぐーすかぴーから目がさめてみると、モニは本を読んでおる。 おはようでごんす、というと、 昨日の夜は気分が悪くてたいへんだった、という。 頭痛がして吐き気がひどかったが、嘔いたらたいへんな事になりそうな気がして隣の部屋に行って仰向けになってじっとしていた、という。 耳の中でひどい騒音がした。 苦しくて息ができなかった。 なんで、わしを起こさんねん。 いったい何を考えてるんじゃ、とゆって喧嘩になってもうた。 考えてみれば、つい何時間か前まで気分が滅茶苦茶わるかったやつと喧嘩をするのはオオバカであると思われる。 わしはあまり怒らないようにしている。 家系のせいにしてもよいと思うが、遺伝的な理由で(^^) 短気なので、わしはすぐにカッとなりやすいよーだ。 身体が大きいのと、みるみるうちに顔が紅潮してまっ赤になるので、本人はちょっと頭にきた、くらいのつもりでも、周りに居る人びとは「もうすぐ殺される」と思うものであるらしい。 頭がとろい人の常として腕力が強いが、ボクシングが長いあいだ趣味だったので、拳をつきだす速度がボクシングの修行をしないひとの2倍ある。 破壊力は加速度の2乗に比例するわけだから、わしがなぐって壊れない壁板はないとゆってもよい。 いちどミーティングのテーブルであまりに相手がわけがわからないことをいうので拳でテーブルを叩いたら、オフィ○デポのチョー安物テーブルであったに違いない、机の板が割れてしまって、それから暫く、あの若い男は凶暴だから気を付けた方がよいと陰口を利かれてうんざりしてしまったこともあった。 だから、怒らないようにしている。 ましてモニさんなどは、わしの人生で起きたいちばんよいことなので、その最もラッキーな天使さまに怒るなどとは考えもしないことである。 おかげで一日経った今日でも、まだ気分がしょぼしょぼしている。 モニは「ごめんな、ガメ。このチョコ半分やるから、わたしを許せ。ピース オファリングなんだぞ、これ」というが、自分のほうが悪いのに先に謝られてしまったので、なおさら惨めです。 イギリスの子供なら誰でも知っている歌に、 Nobody loves me Everybody hates me 
Going to the garden to eat worms 
Big fat juicy ones
Tiny … Continue reading

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jaane kaisi agan mein baban jale

織田信長は独裁者らしく猜疑心が極端に強い人であって、さまざまな罠をもうけて自分の部下たちの忠誠心を試した。 配下の部将たちは戦々恐々として暮らしていたのが、いまの人間にも記録を通してなまなましく伝わってくるよーだが、よく見るとひとりだけ例外がある。 前田利家は若いときには織田信長に手をやかせた。 同胞衆で信長の異母兄の拾阿弥が信長との血縁を傘に来た嫌がらせの数々に激昂して斬殺し出奔してしまったりする。 組織の長としての信長の面目はまるつぶれだが、結局は、帰参を許してしまう。 日本の歴史の世界では近代の強勢と繁栄を誇った加賀藩の立場に立った「史実」に従って信長が前田利家という人材を失いたくなかったということになっているが、前田というひとの価値は本を読むと人となりを信長に絶対的に愛されていたことにあるのであって能力ではなかったようにも見えるところが奇妙と思う。 信長が作った組織は日本で初めての「会社」とでもいうべきもので、最後期を除いては封土というものを与えないいわば雇用制だったので、人材登用が柔軟に行い得た。 前田利家くらいの能力のものは、たくさんいたようにみえる。 日本における同性愛が歌舞伎の女形にみられるような擬似女性のあいかたをもつのは江戸時代も後半からで、「衆道」と名の付いた男同士の恋愛は現代の「ゲイ・カップル」に近い自然なものだった。 男と男同士で対等な関係であって、同性愛の友人に訊いてみると、男と女のように精神的に組み敷いてしまうのではない、その「対等な感じ」がいいのだという。 高校生くらいのときは、昼間はマジメな顔で街を歩いていても、週末の夜ともなると文字で書くわけには到底いかないくらい滅茶苦茶なので、クラブのパーティで頭が石(いし)ってしまったあげく、わしの目の前で性交を始めてしまった同性愛のカップルを眺めていたことがあるが、あれは相手の背中を見る状態に限られるのかと思っていたら向かいあっている状態もあるので驚いてしまった。 考えてみればコンバーチブルなのだからあたりまえだが、役割を交換もするので、ぐじゃぐじゃな頭のなかで、同性愛というのは便利だなと考えたりした。 前田利家と織田信長は衆道の契りが深く、周囲の武将の憧れの的だったので有名だが、 信長の利家に対する無条件の信頼、底がない信頼というものをみてゆくと、あれはどうしても肉体的な信頼だったのだ、ということに思い至る。 前田利家が、155センチ程度がふつうであったという当時の日本人にしては、珍しいほど背が高い180センチを越える長軀をもっていたことを思い出せば、いくらか年長の主人信長との性的関係を考えるよすがになりそうである。 英語でケミストリというが、ケミストリは精神だけでなく肉体にもあるのは普通の育ちかたをした、おとなであれば誰でもしっている。 精神的には「嫌なやつだなあ」と考えても、身体の関係では、いちもにもなく、あっというまに自分が行きたいところにつれていってくれる「信頼」というものがある。 誰にとっても自分の欲望を決して裏切らない身体をもった人間、というものが存在する。 毛沢東は江青が政治的に無能で人格的に傲慢、他人を攻撃することにしか能がない人間であることをよく知っていた。 周恩来を標的とした「批林批孔」運動はあやうく毛沢東の生前に毛沢東を破滅させかねなかったが、これはどうやら江青が張春橋たちを使嗾して勝手に煽動したものだったことが最近の証言で明らかになっている。 文革に毛沢東が予期した以上の細部に及ぶ破壊的性格をつけくわえて軍の長老たちを怒らせる、という結局は文化革命を失敗にみちびく直截の理由となった「ムダな闘争」に力点をおいたのも江青だった。 遠くから距離をおいて、暗示やあいまいな示唆で周囲の人間たちをあやつり人形のように動かすのが毛沢東のやり方だったが、江青に関してだけは何度も自分で出馬して、失敗の修復に努めざるをえなくなることが何度もあった。 スターリンと並んで近代史上もっとも巨大な猜疑の固まりと呼べそうな毛沢東もしかし、江青の自分に対しての忠誠と献身奉仕だけは疑ったことがないので、これも経緯を観察して考えてみると、やはり身体というものが融合して生まれた信頼であるようにみえる。 毛沢東は政治的関係においてそうであったように性的関係においても極度にサディスティックであることを好んだというから、そういう扱われかたのなかで江青がみせた反応の何事かが毛沢東の魂をつかんでいたのだろう。 ときどき歴史の本を読みながら、人間のこれまでの来歴を考えていると、それが何かうわっつらにすぎなくて、日本語で、隔靴掻痒、という、なんだかピンとこないなあーという感じにとらわれることがあるが、歴史が人間によってつくられる以上、当の人間にとっておおきな要素である「性」がどこにも明然とした形で書かれないまま「歴史」だということになっているのだから当然である。 最近はコソボ紛争以来、先祖返りというべきなのか、兵士による集団強姦が敵に対する(ちょうど都市に対する無差別爆撃と同じ)恐怖による制圧の武器として意識的に使われるのがアフリカ諸地域、チベット、というような紛争地域の流行になっているが、ここで述べているのは、暴力としての性ではなくて、自然な性が人間の歴史を動かすことのほうを言っている。 言うまでもなく強姦は性行動ではなく性の破壊であって相手の人格の破壊である。 性とは、関係がない、というよりも相反する関係にある。 トルコ人の友人達は、英語世界の「トルコによるクルド人弾圧」の記事をみつけるたびに、「トルコの内閣にはクルド人と結婚している大臣が何人もいるのに、どうして、英語人はこんなに単純なんだ!」と怒るのが常だった。 若いのに、やらしいおっちゃんのような顔になって、「もしほんとうに旦那がクルド全体を目の敵にしていたら、どうやって夜、眠りにつくんだよ」とゆってウインクしたりしていた。 人間の男も、動物の雄と同じで、若いときにはなんの工夫もなくむやみに攻撃的で相手をくさらせるが、成長してゆけば、「征服」というような考えが不毛であることを学んでゆく。人間の雄の成熟の過程は、性と密接な関係があるのは、たとえばローマ人は、あたりまえのことだと思っていた。 父と子のあいだで性についておおっぴらに語り合う習慣はキリスト教が原理化した形で欧州を暗黒時代にたたきこむ中世まではふつうの習慣にしかすぎなかった。 活字をとおして、われわれがうしろを振り返ったときに、歴史にはみえない部分やちぐはぐな部分が多いのは、西洋においてはキリスト教、東洋においては儒教、ふたつの観念で人間を抑圧することに主眼をおいた宗教が、人間の欲望を蹂躙していたからと思う。 アメリカ合衆国のフラワージェネレーションの運動は、性との結びつきが特に意識された運動だった。 グレース・スリック http://www.jeffersonairplane.com/the-band/grace-slick/ はインタビューで、その頃は「ふだんつきあう、顔を知っている男とはほとんど全部やった。もちろんバンドのメンバーとは全部やったわよ。あの頃はみんなそうだった」というような恐ろしいことを言っていたりする(^^) アメリカの田舎の立場から言えば、これは性の解放であり、都会の立場から言えば、いままで口にされなかった現実が話してもいいことになった、ということだったようでした。 そのあたりからやっと、この世界には「性」という強烈な影響力をもったものが存在するのだとひとびとが思い出して政治や社会を考える上でも意識するようになったように見えるのは、考えてみると、ここまできてようやく人間は「宗教」という軛から逃れだしたのかもしれない、と思います。 自分のことを考えても、十代の終わりまでは、自分の性をコントロールするどころか、女の子に誘惑されればひとたまりもない、というようなていたらくで、あんまり、そんなことばかりやっているので、ひどいときには女の子の匂いがするだけで嫌になるほどだった。 … Continue reading

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Je suis comme je suis

他人の目のなかで一生をすごす人は寂しい。 自分の姿を眺めるときに他人の視線と浮かべる表情を通して自分を眺めるくせができてしまえば、その人の一生は、ほぼそこで終わってしまう。 「他人」には、もちろん父親や母親が含まれる。 きみの大切な友人や、妹や兄が含まれる。 「尊敬する先生」もまた充分に有害であると思う。 「よく出来る子供」の最も犯しやすい過ちは「親の期待に応えてしまう」ことであって、たとえ親が言葉にして口にださなくてもそれと悟って医師になど金輪際むかない性格であるのに医師になろうとしたりするのまでいるのだから若いということの本質的な愚かさというものは救いがたいと思う。 父親とわしはお互いに理解しにくい人間であるとかなり早くから両方ともに知っていたが子供のときのある日、「私はきみに私と同じ職業についてもらいたいと思っていて、それはたとえ言わなくても判ってしまうだろうからいまのうちに言葉にしておくが、しかし、一方では親がのぞむ人生を送る人間で幸福になる人間はごく少ない、ということも教えておかねば不公平であると思う」という。 そのとき初めて、このおっさんは退屈な人間かも知れないがバカではないな、と考えたのでした。 かーちゃんは、しかし、もっとふつーに何回も妹とわしに「親にうけそうな人生を選択する子供は無能な子供ですよ。親がびっくりするような人間になりなさい。不良でもかまわないわよ」とゆって楽しそうに笑うのが常である。 おかげで不良になりそびれてしまった。 親の期待どおり不良になったらバカまるだしだからです。 トーダイおじさんのなかに、ふたり、おれはほんとうは学問なんかしたくなかったのだから、中学生くらいで家出してろくでもない人生を送れば良かったというひとがいた。 なんとなく中学高校大学とブランドものの学校へ行ってしまったという気持ちがして忸怩たるものがあったのでしょう。 人間が送りうる最もくだらない人生というものを考えると、その都度他人のいうことを聞いて、あるいはちょうど客観式の問題の選択肢であるかのように世間に流通している意見をピンで止めて標本箱に並べてみて、どれがもっとも見栄えがよいか考える。 それから並べてみる、という方法がある。 東京大学 文科一類 文科二類 文化三類 早稲田大学政治経済…と並べていって、 その横に自分の能力インジケーターをもってきて、スライドバーを滑らせて、えーと文科三類くらいが、成功率が高いわりに世間にも「トーダイ」で受けがいいのではなかろーか、と考えて受験を出願する。 原子炉が崩壊すると、名の知られた学者や言論人のいうことを一通り並べてみて、自分の意見はどれに準拠すべきかを考える。 Aくらいが温和でいいだろう、ということになると、Aの発言を自分なりにアレンジしてインターネットのなかで発言してみる。 うけているあいだは、少しプロっぽい言い方にして見得を切るが、反発が酷くなると、路線を修正する。 ジュリアード音楽院の目下の悩みは学生の半分以上が「音楽がことさらに好きではない」ことで、ではなぜ音楽院(あの学校は入るの大変なんです)まで苦闘してやってきたかというと、「周囲と親に言われたから」なのだったりした。 テレビでブラジルの街頭風景を見ていると、ときどきヘンなものが映ることがある。 よくあることなので注意してみていれば、きみも目撃するものだと思われる。 太陽光に燦然と輝く黄金色のスーツの上下を来て、ピンクのネクタイをしめている、なんだか両側にでかい銀色の羽根がついたサングラスをかけたにーちゃんが横断報道を渡ってくる。 あるいはTバックの水着を着た若いおねーさまが砂浜を歩いていて、くるっと向きを変えてこっちを見ると前もTバックである。 前だから、Tフロントなのか。 「それは他人の目を気にしているのでしょう」というだろうが、他人に受けようとおもっているのが同じでも直感的に受けをねらう狙い方の考えの角度が、ニュージーランドや日本のような社会とは逆であるとおもいませんか? わしは、あれは「他人にうけようとおもって自分にうける努力になってしまう」という、他人の視線のなかでもともと生きられない人の特徴が存分に出ていると思います。 やりたいことをやるのさ、というのは考えるのは簡単だが、やってみるのは意外と難しい。 中国の人達は移民してでかけた世界中の国で、他人の目を気にしないで、パジャマで近所のどこにでも出かけるが、それは「公共」という点で肝腎のことが判っていないのだ、と感じられる。 ではフランスのように、このぐらいの階層でこのぐらいの収入の人間はこういう場所ではこういう格好をするものだ、と無言の、しかしこと細かに規定された社会がいいかというと、そーゆーことばかりで息をするのも苦しいから「アニメ」という口実で、(フランス人社会的には)やけくそのような格好で緑色に髪を染めたりする。 しかもアニメコスプレを見て、「やりたいことをやっている」と思うのは難しいとおもう。 どちらかというと「喘いで」いるようにみえます。 格好くらいのことで、そうなのだから、「一生」というようなもっとトータルなことになると、どうすれば他人の視線の流砂に呑まれないですむか、というのは不断の警戒が必要な大テーマであるに違いない。 わしは、タックスを着てでかけることもあるが、不断はチョービンボクサイジーンズです。 夏はショーツ。 自分でスクリーンプリンティングで作った「モニちゃん大好き」とか書いた下品なTシャツを着て、フリップフロップか、もうちょっと正直に言うことにするとたいていの場合裸足で、歩道をぺたぺた歩いている。 髪の毛はもしゃもしゃで、ヒゲさんが口のまわりに繁茂している。 鏡を見ると、一瞬、「生活保護」というような言葉がフラッシュするような外見です。 パジャマのほうがマシである、という中国移民側の意見もあるであろう。 … Continue reading

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正視

2004年に公開された「Super Size Me」 http://www.imdb.com/title/tt0390521/ が大ヒットして以来、食べ物と健康についてのドキュメンタリがたくさんつくられた。 丁度この頃からアメリカでは$10以下で食事がすませられる。 Chili’s http://www.chilis.com/en/Pages/home.aspx のようなレストランの食べ物の量は価格に反比例してどんどん増える一方で、 モニとふたりで夕食にでかければ、ふたりで500ドルが飛んでいってしまうレストランでは東京の懐石料理屋も青ざめるような、ほんのちょっぴりの量になっていった。 歴史はじまって以来、アメリカのひとたちが「いままでみたいにバカ食いしていると死ぬる」と悟った初めだと思います。 Amazon instant videoやメジャーテレビ局のアーカイブ、オンデマンドなどでたいていのドキュメンタリは無料でいつでも観られるようになってしまったせいで、わしは日がな一日テレビを観ている。 もともと集中力がゼロなので、こうやって日本語でブログを書いたり、ツイッタをやったりしているときでも、他の言語でもツイッタをやり、テレビはつけっぱなしで、しかもスカイプでバカ友とだらだらだらと話している。 どーしよーもない、というか、やる気があるのか、とゆーか、自分でもどう言い繕って自分の良心を慰めればよいのか言葉に困るような生活だが、ちいさいときからこーなので、いまさらどーもならん。 豪州人 Joe Cross の 「FAT, SICK & NEARLY DEAD」は、そうやってBGMのごとく垂れ流しになっていたドキュメンタリのひとつでした。 デブって体質に変調をきたして病気になりかけた、かつての成功したアントルプルヌルが60日間ジュースだけの食事で身体の状態を「reboot」することによって、減量して健康を取り戻そうとする。 その「fast」をアメリカ大陸を横断しながらやる。 ただそれだけのドキュメンタリで、そーですか、という感じのものと言えなくもないが、 わしが思わず、ツイッタの手をとめて見入ってしまったのは映画の本題とはやや外れたところでした。 Joe Crossは大陸横断の途中の町Winslowのレストランの外で、でっかいトラック運転手に会う。 430ポンド(約200キロ)。 ふたりとも英語人なので、英語人の習慣に従って、駐車場で、のおんびり世間話を始めます。 話はお互いの肥満の話になって、Joe Crossは、ぼくはジュースだけで60日すごそうとしているんだぜ、と話す。ふたりでJoe Crossのつくったジュースを飲みます。 「悪くないね」とゆって、でっかいトラックドライバは去って行く。 60日のジュース・ファストで37kgを減量してシドニーに戻ったJoe Crossに ある日、そのトラックドライバから電話がかかってくる。 助けてくれないか、というのです。 … Continue reading

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びっしょり濡れた言葉で世界を説明する、ということ

英語から日本語に翻訳した小説というものが手元にない上にサイトもどういうところへ見に行けばいいか考えても判らないので具体的な例が引用できないが、たとえば40歳のアメリカ人の男と25歳のアメリカ人男の友達のあいだの会話が日本語で表現できるだろうか。 英語はもともと敬語が非常に発達した言語だがアメリカ合衆国やオーストラリア、あるいはニュージーランドのような「新世界」で言語隔離が起きる事によって敬語が不要である場面は飛躍的に増えた。 そうでなくても、 たとえばポールという70歳の父親に35歳の娘が階下で話をしないかね、と呼びかけるときには娘は「ポール、下に降りてこい」とゆっているのであって「おとうさん、下に降りてこない?」といっているわけではない。 あるいはベーカリーで17歳の女の子からステーキパイを買いながら、天気が悪いと述べているじーちゃんに女の子は「ほんとうだ。わたしも、こんな天気は嫌いだ」と言っているので「ほんとうにそうですね。わたしも、こういう天気は嫌だと思います」と言うわけではない。 それを、言い方が違うだけで同じではないか、と思うひとはよほど言語的な感覚が鈍い。でも同じことやん、と思ったら、今度、社長と通りででくわしたときに 「やあ、元気?仕事はどんな調子?」とゆってためしてみればいい。 社長は一発できみの名前をおぼえてくれるであろうと思われる(^^) 空港のラウンジで「ロスでは向こうの社長が出てきちゃってさ。いやあ、うちも儲からなくて困っちゃうんだよ、と嘆いてたよ」というようなことを大声の日本語で述べている日本人を見かけることがあるが、そういう’場面にでくわして思わず日本語を聴いてしまった(聴くまいとすれば、わりと簡単に聴かずにすみます。そのときは鳥が啼いているようなものである)わしの頭のなかで起きる反応は「ロス、って、あんた、それ定冠詞でんがな。どうしても略したければアンジェルスとゆえアンジェルスと、アンヘルスなら、もっと許す」ということと 「英語人が『うちも儲からなくて困っちゃう』ちゅうような微妙な語尾による感情表現をするかよ。嘘をついてはいかん嘘を」というふたつであると思う。 ロス・アンジェルスを「ロス」と呼ぶのは「ザ・ビートルズ」を「ザ」と略称するのと同じなので省略の仕方として多少大胆すぎるのではないかしら,と思うが、考えてみれば、そういう略称の規則をつくっておけば、ロスアラモスもロスバノスも、ついでに言えばロスチレスもロスマニュコスも全部同じ「ロス」で済んで、後半を憶えていなくても困らないので便利だと言えなくも無い。 しかし単純に「自分達の会社は儲かってない」と述べたにすぎないアメリカ人社長の言葉に、判ったようなつもりで頭で無暗な翻訳をして余計な感情をくっつけてしまうと本人も上司も仕事上の判断を誤るに違いないので、こういう社員がいる会社の持ち主は災難であるな、と考える。 むかし翻訳というものは、すべからく誤訳でんねん、と書いたら、えらい勢いで、 それはおまえが日本の翻訳業界のレベルの高さを知らないからそういうのであって、誤訳をする翻訳者もいるにはいるが少数だ、そういう出来の悪い翻訳者だけを捕まえてものを言うのはゆるせない、と言ってきたひとがいて、ずるっこけてしまったが、そーではないのです。 英語を日本語になおすというのは不可能事業で、どんなに言語能力があるひとが試みても英語で述べられたことを日本語でそっくりのべ直すことは出来ないのだ、といっている。 単純な名詞ですら、早い話が「アメリカ」というカタカナとそれに付随する音を聞いて、それが自分の国を指すのだと言われても当のアメリカ人は(社交辞令は別にして、ほんとうの気持ちは)怪訝な気持ちがするだけだろう。 では英語世界のものを理解したいと考えた場合、どうすればいいかというと英語のまま受け取ればよい。 というよりも英語のまま受容する以外には方法がないのだと思われる。 わしは松尾芭蕉が大好きだが、英語の俳句というものは、チョーばかっぽいゲージツであると考える。 そのうち大天才があらわれて、英語の俳句をみられるものに引き上げる可能性が絶無であるとはいえないが、確率としては、いよいよ日本の財政破綻がきてしまったときに火星人が円盤から降りてきて「わたしが首相をやります。どうぞよろしく」と演説するのと同じくらいの確率であるよーな気がする。 そのうえ出来上がった光輝有る「英語俳句」は日本語の「俳句」とはぜんぜん違うものであることは自分の足をみるより明らかです。 夏目漱石は偉大な小説家で、わしは岩波の全集を3回くらい読み返しているように思うが、夏目漱石の小説くらい英語で読むとしみじみと退屈なものはない。 翻訳している人がヘタ、というようなことではなくて、そもそも英語にはまったく馴染まない物語なのだということを、そのうち具体的にブログ記事にするべ、と思っています。 夏目漱石が偉大な小説家である証拠が実はそこにある。 いまの世界で生起することや意識に上ることを支障なく説明できる言葉を「普遍語」、風土的というのはやや不適切だがそれに近い言葉を「地方語」と呼ぶ事にすると、20世紀には、英語、フランス語、ロシア語、ドイツ語、イタリア語、日本語、スウェーデン語というような言語は何れも普遍語と呼ぶだけの体裁と実力を備えていた。 21世紀になると、これがぐっとせばまって英語だけが突出してきてしまう。 それは主にアメリカ式の「手続き主義」が世界を席巻しつつあって、それに基づいた様々な考え方が出来るようになるには英語でものを考える事が是非とも必要だったからだと思います。 人口で言えばむろん中国語人口が最大だが、いまの世界が中国語でもっともよく機能する仕組みで動いている、というわけにはいかない。 中国語は巨大な人口をもった「地方語」であるのは当の中国人たちがいちばん納得している。 ここで詳しく説明するわけにはいかないがスペイン語やヒンディー語も同じであると思う。 日本のひとに是非考えてもらいたいのは、しかし、ここで言う「英語」とはEFL http://en.wikipedia.org/wiki/English_as_a_Foreign_or_Second_Language のことであって、英語人が普段使っている英語とは異なる。 当たり前だが、英語人が普段つかう、というよりもそれによって自分の実体を形成している英語は地方語としての英語で、自分をじっと観察していると、外国語人と話すときには明らかに異なる英語の体系で考えて話をしている。 自分の母語が英語でありながらEFLで話している。 地方語としての英語の部分を分離しないと、外国人と話しをするのが難しいからです。 抽象的で判りにくいかもしれないので、おもいつくままに例を挙げると 「ライ麦畑でつかまえて」という本は、英語世界では驚異的な物語で、何がいちばん驚異的であるかというと、1940年代後半の俗語がふんだんに使われていて、しかも当時のティーンエイジャーの気取りくさった薄気味の悪いものの言い方で書かれているのに、いまだに当の(そういう古くさい十代のスタイルに最も反発するはずの)ティーンエイジャーが好んで読む本であることで、まるでもうパイが腐っているのに、元の味を想像しながら食べているひとたちのようであることです。 アメリカでは、一定のタイプ、自分が高い知性をもっていて、とびぬけて感受性が高いのに世間からは認められない、と感じているタイプの高校性にはいまでもたいへん人気がある物語である。 「疎外された者の経典」と皮肉をいうひともいる。 … Continue reading

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