Monthly Archives: February 2012

日本の古典_その3 岡田隆彦

岡田隆彦は「詩を書く自分」が嫌いだったに違いない。 William Morrisについて書いているときの自分のほうが、遙かに好きだったようにおもえます。 だが岡田隆彦は頭のてっぺんから爪先まで、魂の表面から奥底まで、まるで全身に「詩」がしみ通るようにして、「詩」で全身がずぶ濡れになるようにして、詩人だった。 それも「抒情詩人」という、彼がいちばん嫌いなタイプの詩人だった。 そういう人間でなければ「ラブ・ソングに名をかりて」というような詩を書けるはずがないからです。 「 降りしきる雨の日に  あるいはまた干からびた冬の日に  私は変ってしまった  と言ってくれ  君の青白い額に唇を重ねると  唇が青くなってしまうのだ  こんなものが愛だとは  どこかの賢人さえも  僕らの所へやってきて叱咤するだろう  せめてもこの代に生れたことを喜び合って  いつものように電車に乗って帰ってくれないか  いつものように僕は手を振って君の顔を見ているだろう  君の額は悲しいし  僕の髪は長すぎる  あんなにきたないものでないので  性の話はしたくない  君と僕との小話は  不潔な根性丸出しに  アイラヴユウで始ったが  結句アイヘイチューで終らない  ぼやけたものだ  いつもの花屋に寄る気はしないが  黙って駅まで歩いていこう  それから僕は旅に出る  そこは平たい太陽が今も覆いかぶさっているだろう  砂ぼこりのたちこめるその里で  ジンとサンチマンへの抵抗力を作って  いっぱし月給取になり  自信に満ちて二等車から丸の内に降りるだろう  もう君は愛してくれないだろうから」 都会のまんなかに生まれた私立大学の学生にとって、1950年代末から60年代初頭の東京はどんなものだったろうか、という質問にこたえて義理叔父が貸してくれた本の一冊が岡田隆彦の詩集だったが、その若い男の心の定型をそのまま切り取って詩にしたような、過不足のないリズム、意識と思考を追って、意識を追い越しもせず、遅れすぎもせず、伴走というには1歩か2歩遅れ気味に、自分の意識の流れについていく詩の数々に、すっかりうっとりしてしまった。 日本語の教科書がわりに、そのまま暗記してしまったのは、言うまでもありません。 二等車、というのはいまでいうグリーン車のことだが、 「いっぱし月給取になり … Continue reading

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メキシコ_日本

1 去年の8月にフランスからニュージーランドに帰ってきて、そのままずっとオークランドにいるので半年が経っている。 考えてみると、こんなに長いあいだ一カ所にじっとしているのはひさしぶりで、普段はもっとずっとあちこちをうろうろして暮らしている。 どこかの町に行っても、そこに最低一箇月はいるのでないと話にならない。 一週間や二週間なら、カンクンかプーケのチョーでかいプールがあるホテルに泊まって、 一日中プールサイドでごろごろしたり、プールのまんなかにあるバーへ泳いでいってカクテルを飲んでバーテンのにーちゃんや他の客と話して遊んでいたりするほうがいいと思う。 わしが普段つかっているイギリスやニュージーランドの旅券では簡単にとれる観光滞在許可は3ヶ月の国が多いが、3か月というのはよく出来た期間であるとも言えて、同じ町に3ヶ月いると自分のまわりに「世間」やそれに伴う人間関係がちゃんと出来てしまうので、やや鬱陶しい感じもしてくる。「引っ越してきたばかりの人」になってしまう。 自分ででかけた国のなかで最も、というよりは飛び抜けて変わっていたのは日本だが、自分が知っている社会とかけ離れているという点ではメキシコも変わっていてよかった。 メキシコにはところどころ観光地というよりも観光租界と言ったほうが良いような町があって、たとえばカンクンはアメリカです。 911が起こるまではアメリカ人はカンクンに行くのに旅券がいらなかった。 自分が自分であることを証明するもの(というと随分哲学的だが)があればよくて、運転免許証ですませるひとが多かった。 むかしは貧しい漁村だったところに開発業者が水の色が美しいカリブ海の名前と細い美しい干潟の形に目をつけてコンピュータグラフィックを使って仮想的に町を設計した。 CGを使って設計した町はカンクンが初めてだったが、ホテルのオーナーたちは、それがすっかり気に入ってあっというまに、まるで世界中のリゾートホテルのギャラリーのような不思議な町ができあがった。 カンクンの町を走る、たしか10ペソ(これを間の抜けた観光客が真に受けてほんとうに丁度10ペソで1ドルのアメリカドルで払うことを期待して地元のひとたちは「10ドル」と呼ぶ)のバスで端から端まで眺めて通ってみると、文字通り世界中のホテルが軒をつられていて、ホテルカタログみたいな町です。 http://www.cancun-map.com/maps/cancun-map.asp 前にも書いたが、たいていのホテルはカンクン全体がそれで有名な「all inclusive」で、到着日と滞在日数によって色が異なる腕輪をつけて、ホテル内にだいたい4つから8つくらいあるバーやレストランほかの施設はタダで使えることになっている。 わしなどはケチなので、そんなことをすると、いちばん高いレストランのいちばん高いロブスターばかり食べて、いちばん高いワインを飲み、食後はもっともゴージャスなバーに行って最高価格のカクテルばかり飲みそうな気がするが、アメリカ人は「汚染されても鯛」と日本の諺にいうとおりで、やはりオカネモチの国民であって、ホットドッグを食べたければホットドッグを食べ、高いレストランでは寛げないし、第一高級レストランで異様にみえないために相応なカッチョイイかっこをするのはメンドクサイというので、ショーツとアロハでプールサイドのバーでサンドイッチですませたりする。 「元を取る」というチョー下品な考え方をもたないので、衣食足って礼節を知る、という背が高くて2メートルあった上に儒冠をかぶっていたせいで遙か彼方からでも目立ったに違いない、あの悔しがりな中国人の言葉はほんとーだなあー、と思います。 カンクンのことをうっかり書いてしまったので余計なことを書くと、ホテルリゾートから離れた下町にでかけて行くとわかるが、カンクンはもともとは鮫が名物でむかしはお土産品の代表は鮫の顎骨だった(^^;) ちょっと沖合までいくと鮫に遭遇するというのは、ふつーのことで、カンクンと言えどメキシコなので防護ネットなんてありません。 鮫はまだそれほど危険ではないとしても、バラクーダがたくさんいる。 賢いわしは出かける前にスーツケースに潜水用具を詰めていたときに妹に注意された、というか嘲笑されたので、もちろん元から知っていたのにたまたまど忘れしていただけで妹に言われて初めて知ったわけではないが、海にははいらず、砂浜で悠然とカクテルを飲んでいただけだったが、あるときイギリス人のおじちゃんが、血相を変えて海の中から全速力で砂浜めざして波間を走りながら 「バラクーダだ! バラクーダだ!」と絶叫すると、そこいらじゅうの人が阿鼻叫喚となって砂浜に殺到するのを眺める機会にめぐまれて、「ジョーズみてえ」、けけけけ、と午後を楽しんだりした。 地元のひとに、泳ぐことあるの?と訊くと、とんでもない、と言う。 鮫やバラクーダがいるからかのい?とたたみかけると、 鮫は正面から向き合えばダイジョーブだし、バラクーダは…まあ、あれは、ほら人生の避けがたいリスクだから、っちゅうようなことを言います(^^) 達観しておる。 達観しているわりには海をこわがって絶対にはいらないが。 閑話休題。 欧州人にとってのカンクンがコズメルで、コズメルの島と対岸のプラヤ・デル・カルメンにはイタリア人やスペイン人がいつもごろごろしている。 ときどきバスで、大陸欧州人に較べると明らかにパッとしない身なりの集団があらわれるが、それはイギリス人である(^^) わしはプラヤ・デル・カルメンの町 http://en.wikipedia.org/wiki/Playa_del_Carmen が大好きだったが、2005年のハリケーンと、その影響をうけた不景気で、好きだった店が、どれもこれもなくなってしまった。 中南米の国と同じで、北米のメキシコもイタリア人とスペイン人が多い。 簡単に想像がつくようにスペイン料理やイタリア料理のおいしい店が小さい町でも探せば必ずひとつはあって、メキシコのいいところのひとつです。 メキシコ料理もおいしいが、わしがうまれてから食べたスパゲッティのいちばんおいしい店のひとつはプラヤ・デル・カルメンにあった。 あまりにおいしいので二皿たいらげて、Tシャツの正面におおげさに飛びちったトマトソースをくっつけたまま目抜き通りをホテルまで歩いて、わしを見て大笑いするメキシコ人たちに手を振りながら帰ってきたのをおぼえている。 観光地よりも内陸の古い小さな町のほうが良いに決まっている。 … Continue reading

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荒涼

狂っている、という言葉を使えば、すべてが終わりになってしまうような気がする。 狂気は相対的社会的なもので、全員が狂っている社会では誰もが正常だからです。 だから狂気についてなにごとかを述べるということは、自分がどこに立っているか、ということの表明でしかない。 ある居酒屋チェーンの従業員の自殺について、第一報を誰かが伝えていて、記事を見ると 「体が痛いです。体がつらいです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」という日記が引用されていた。 誰かに聞いて欲しいと考えて、SNSに記事を引用したが、すぐに削除してしまった。 その居酒屋チェーンが日本に行った初めの年から嫌いだった。 格言を引用するのが好きなひと、というのは ちょっと謙遜するひとをみると「実るほどこうべをたれる稲穂かな」と言いますね、というようなことをすぐ言いたがるが、その居酒屋チェーンの社長は、言葉が出てくるところが、格言を手持ちのトランプのカードから選んで相手に提示してみせれば自分が相手に伝わると信じこんでいる「格言語」を話すひとびとと丁度おなじ浅さから出ていて、自分では相手を感心させる言葉を連ねているつもりなのに、客のほうは、その男の浮薄さにうんざりしてるというような、自分ではやり手のつもりでいて、その実尊大なセールスマンとあまり変わらないひとに思えたからでした。 だからブログ記事にも何度か揶揄(からか)って書いた。 そもそも「いやだな」と思ったもとになったのが「わたしたちは、誠実がモットーなんです。わたしたちの店に来ていただいてメニューのどの品物でも食べていただければ、それが真実であることがわかっていただけると思います」という発言だったので、いちど従兄弟を誘って冗談で行ってみたことがあった。 てらてらと光ったプラスティックのメニューからいくつか選んで、どの品物もたいそうプラスティックな味であるのを確認したふたりは、予想通りの結果に満足して帰って来たものだった(^^) SNSに自殺してしまったひとの日記を引用してから、たしかまだ日本ではひとが寝静まっている時間であるのに、あっというまに居酒屋チェーンの社長について、間歇泉がふきだすように「そうだと思っていた」という意見がSNSを通してスクリーンにこぼれるように現れたので、そのとき初めて、日本のひとも「皆」がそう思っているのを知った。 へえ、と思いながら削除したのをおぼえています。 そんなにたくさんのひとが知っているのなら、書いてもしかたがない、と思ったのかもしれないし、たくさんの人間と一緒に非難の合唱をするのは嫌だな、と思ったのかもしれない、どちらだか判らないが、自分の気持ちを詮索する習慣がないので、どっちでも構いやしない、ということになっている。 ひとつだけ付け加えておきたいのは、「もういいとしなのだから、病院に行けばよかったのに、バカだな」というひとや「自分なら、そこまで追い詰められる前に会社をやめている」というひとがたくさんいたが、気づかぬうちにそれが出来ない心理状態に追い込まれてしまったから自殺してしまったので、そんなひどいいいがかりはない、と思う。 人間が、非人間的な力、個々の人間を抑圧して、知らず知らずのうちに人間の集団を人間性を破壊する巨大な装置にかえてゆく力に恵まれているのは、なんという皮肉だろう。 ナチを生んだドイツ人は、むかしから、その悪夢を思い出しては、自分達が悪魔であったかどうかをたびたび振り返って検証しなければならなかった。 フランス人の執拗な復讐心が引き起こした一連の経過の自動的な結果、とドイツ人達は考えたがったが、外に向かって言う訳にはいかなかった。 BBCでナチの歴史を繰り返さぬためにドイツ人がおこなった特別授業の様子を観たことがあったが、ひとりの女の子が突然たちあがって、 「もう、こんなのほんとうにうんざり! ナチがドイツ人だったのは判るけど、わたしはナチじゃない! わたしがユダヤ人たちを殺したわけじゃないわ!」と叫ぶ。 観たのが子供のときだったので、番組の内容はあらかた忘れてしまったが、自分よりもいくつか年が上の女の子の「怒りに燃えあがった」という表現がぴったりの透きとおるように青い目をおぼえている。 ドイツ人が帳簿までつくって綿密に丹念に殺していったのはユダヤ人たちだったが、日本人が社会としてのいまを生き延びるために殺していったのは自分達の未来だった。 いまでもフクシマについて話題がでることはある。 昨日も近所に住む建築家がやってきて、先週、道路の側に引かれた駐車禁止の黄色い線の上に駐めてあったクルマがどこから来たか知っているかと訊きにきたときにも、フクシマの話が出た。 どうやらこのひとの両親の家の近くに日本人の一家が越してきたらしい、ということからです。 「政府や学者はたいした危険ではない、と言っているみたいね」というと、そうらしいね、とつぶやいてから、自分に言い聞かせるように、おそろしいことだな、という。 医者も医学の研究者も物理学者も、知っている限りの友人たちはみな、 「安全なはずはない」というが、それ以上の詮索をしない。 実際に安全かどうかも調べないのは、自分の国の話ではないということもあるかもしれないが、どちらかと言えば、原子力を電力発電に使おうと決めたときに、それが事故を起こした場合には未来においてたくさんの人間を殺すにちがいないという予測に立つことを黙契としてスタートしたのであって、その危険を疑うような姿勢の人間には核の力は触れさせないことを常識としている。 だから会話は始まり方も終わり方も、いつも判でおしたように同じで、 「日本人たちは低放射性被曝は安全だということにしてしまったようだ」 「安全なはずがないではないか」 「ひどいな」 で終わる。 その「ひどいな」や「残酷なことだな」には、さまざまな意味合いがこめられている。 昨日、日本語インターネット上のいろいろな発言を見ていたが、もうフクシマから出た瓦礫が安全なのはいつのまにか既定の事実になっていて、瓦礫の搬入を拒むひとびとの「住民エゴ」がどこから来るのかが問題になっていた。 eメールの受信箱をあけても、日本語のメールでは「異常な事態になった」と訴えているのは医師の友達たちだけであって、それも外国に何年か住んでいた研究者に限られるようだ。 もうすぐ、放射性物質が危険だというひとをキチガイあつかいするときがくるだろう。 だがそれは、どう言い繕ってみても「あいつは自由主義者だ」という言葉が最大の憎悪を表す言葉であったむかしの日本と同じ社会があらわれたことを示しているにすぎないようにみえる。 … Continue reading

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本のゆくえ

かっこわるい部屋が嫌いなので、むかしから本はわしの生活の大敵だった。 数学の本ならば、(良い本であれば)それでひと夏らくにつぶれるくらい効率的だが、困ったことにわしは推理小説や怪奇小説も好きなのである。 翻訳なんて読んじゃダメよ、とあんだけブログ記事やツイッタで言ってるのだから翻訳は読まないが、と続くとわが友ナスどんなどは信じていたよーだが、それはわしのチョーえーかげんな性格のほうを忘れているからで、めんどくさいとヘーゼンと翻訳を読む。 ドイツ語のものを英語で読むくらいは自分でも許せる感じがしなくもないが、中国語を英語で読んだりする。 いけないのではないかと思うが、いけなくてもいいや、ということになっておる。 日本にいったときにはメンドクサイのでロシアの怪奇小説アンソロジーを日本語で買って読んだりしたこともある。 なんだかすごくヘンだったが、奇妙でねじけた面白さがあって病みつきになってもいいな、と思ったりした。 そーゆー極端ないいかげんさが災いして、どこにいってもおよそ「わしの家」と名がつくところには「洪水」と呼びたくなるほどの数の本が並んでいる。 わしの住んでいる家にはライブリがふたつあるが、一個はわしが寝室を改造してつくったもので本棚を自分で作って壁につくりつけた。 それ以上長いと板がクルマにはいらないという、わしっぽい理由で2.6mの高さでつくってある。板の幅は本が3列でラクショーで並べられるくらいにとってある。 棚上棚を架す、というべきか、上に本棚を継ぎ足すための木材も買ってあるが、まだ作ってはない。 いかにもライブリぽい感じの本棚ではつまらんと思って白色で塗ったら、遊びにきた妹にものすごくバカにされた。 救いを求めて日本語ツイッタで書いたら、今度はすべりひゆというむかしからのお友達に バカにされた。 近所のおっちゃんに散歩の途中で出会ったので、本棚を白で塗ったら、バカにされた、女びとはものをはっきり言うからかなわぬ、と述べたら、頷いて聞いていたおっちゃんが「しかしライブリの本棚が白はひどいね」と、今度はしみじみとバカにされました。 悪趣味で退屈で誰にも愛されない巨大な白い本棚があるライブリは、わし専用なので、ライブリなのにベッドがおいてある。 ヘンなの、ときみは思うだろうが、どうせ白い本棚が壁一面を占めているヘンなライブリだから、ヘンでいいのです。 リムのベッドに寝転がって枕を高くして、というと日本語では違う意味になってしまうが、枕をふたつ重ねて肩を首のうしろにおいて、ずらっと並んだ本の背表紙を観ていると、なーんとなく崩れてきた石版で学者が死んだりしていたらしいくさび形文字時代の図書館のことを思い出す。 本を紙でつくる世の中になってからも落ちてきた本の角に頭をぶつけて死んだ歴史家くらいは、いそうである。 紙の本は、市場での位置、というのは、取りも直さず人間の生活のなかでの位置を変えつつある。 読書人口が減ったというが英語世界で眺めている限りでは本を買う人が減っただけで読書人口が減った、というわけでもなさそうに見えます。 日本では「大学生なら読んでおくべき本」や「ビジネスマンなら読まねばならない本」というようなベキ・ネバ本があったというが、そんな戦陣訓みたいな読み方をされる本のほうは気の毒なことであった、と思う。 本が売れなくなった理由のひとつは、「読んでおくべき本」よりも、やりたい遊び、のほうが大事であると目が覚めたせいもあるだろう。 ツイッタで、このひとはいいなあ、面白いなあ、とか、尊敬しちゃうなあ、と思う人の「フォロワー数」をみると、だいたい200くらいです。 1000くらいになると言葉使いが観客用になってきて、怪しくなる。 わしが見た範囲で言うとgameover1001などという人は、フォロワー数が1000人を越える頃から、ときどき演説をするようになって、見ていてアホみてー、と思うことがある。 一般に日本語ツイッタではフォロワーが1000を越えると言う事が「公論」になってしまって、くだらねーという感じがすることが少なくないよーだ。 世間を流通してまわって消費されているわけではない、自分の頭で丁寧につくった他人の考えを理解できるためには、その考えを以前に自前でもったことがある(考えたことがある)ひとだけであるという。 まったく自分にとっては新奇な、思いもよらなかった考え方に遭遇した場合は通常自分にとって既知のもっとも近そうな考えによって代替的に「理解」されるが、ほんとうはちっとも判ってない、というのがふつーであるよーだ。 多分すぐれた日本語の作家が書いたものを考えや情緒の原型のまま理解できているのも、そのくらいの数の読者だろう、と想像はつく。 1000、に届くのは難しいよーな気がする。 20000、というようなフォロワー数があるのは、無償でエンターテイメントを提供しているよーな人のアカウントで、たくさんのひとの公約数をめざしている点で、あるいは期せずして公約数に位置してしまっている点で、テレビのようなものであるよーにみえる。 これが英語世界になると、10万以上のフォロワー数のひとは(フォロワー数がおおきくなりやすい)実名に限らず仮名でもごろごろいるが、ツイッタの140文字制限がもたらす英語ツイッタと日本語ツイッタの性格の差のせいであろうと思われる。 本で言えばジョーク集、みたいな人が多いのね。 いまみると472万人のフォロワーがいるデミ・ムーア( https://twitter.com/#!/mrskutcher )のように、殆ど自分ひとりでE!チャンネル http://au.eonline.com/ をやっているよーな人もいます。 考えてみると本もツイッタも情報量や情報を切り取るやりかたが違うだけで、本質において同じようなものだ、とみることも出来るだろーか。 iBooksのようなソフトウエアが出て、仮想的に、むかしの言い方で言うデスクトップパブリッシングが誰にでも簡単にやれるようになったので、発行部数300くらいを目指すような不思議な出版世界があらわれてくるかもしれません。 実際ツイッタで知り合ったビオトープガーデンの泉さんは、iBooksを見てすぐ考えたことは「テキストブックをどんどん作ろうということだった」とゆっておった。 … Continue reading

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Made in Occupied Japan

子供のときにほんとうは入ってはいけないことになっている、食器が収納されている部屋にもぐりこんで遊んでいたら「Made in Occupied Japan」と書いてある食器があって不思議な気持ちになったことがある。周りにおかれている磁器や陶器からすると、ちょっと安っぽい感じがする(ごみん)食器で、捨ててしまったのかどこか奥深くにいってしまったのか判らない、このあいだ両親の家にでかけたときには、もうなくなっていたが、多分、ノリタケであると思う。 高校生の頃にふと思い出して、調べてみると、蒐集家がたくさんいるひとつのカテゴリーをなしている陶磁器の分野であって、へえ、と考えたりした。 アメリカにはコレクターが多いので骨董店でみかけるものも、ずいぶん不当な値段がついている。 オーストラリアやニュージーランドの、小さな町のそのまた外れにある、60年くらい前の普通の生活必需品を新品よりも少し安いくらいの値段で売っている骨董店に行くと、同じ程度のものがアメリカの半額以下で売っている。 いつかモニが面白がって手にとってみているので、一枚だけ買った大皿が、この家にもどこかにあるはずである。 日本は戦争に負けた国である。 あたりまえではないか、と言う人がいるだろうが、日本に行ったときのことを考えると、到底あたりまえと思えるようなことではなかった。 わしが日本にたびたび出かけた5年間は、2005年から丁度福島第一事故が起きる前の年の秋までで、20年近く続く社会と経済の停滞に日本が苦しんでいた、その断末魔だったが、それでも絶対的な豊かさはたいへんなもので、広尾山の家でも軽井沢の「山の家」のまわりでも、欧州人には理解できない数のランボルギーニやフェラーリ、ポルシェがたくさん走り回っていて、モニとふたりで食事をすると4万円は確実にかかる料理屋は、しかし、金曜日の夜ともなれば満席で予約をしなければテーブルがとれないこともあった。 1945年、日本で、あるいは日本が植民地化したり、傀儡化したりしていた地域では、 日本という国家の集団サディズムの代価を、サディズムの中心であった軍人と官僚の代わりに、(軍人や官僚は「内地」にとっくに遁走していたので)日本の普通の市民が文字通り身体で支払わされていた。 戦争に負けた側が判で押したようにうけるたくさんの殺人と強姦があった。 他の国にも共通の傾向があるが、日本は自分が被害者になった記録をことさらに隠しとおす。 アジアで言えば儒教諸国のように大声で被害を言い立てる文化をもたないので、たとえば「南京虐殺はなかった」と言って世界中の国から恥知らずぶりを攻撃される一方で、自分達が受けた集団強姦や殺戮の被害は、「貝のように」口をつぐんで、その苦しみが共有できるもの同士で、ひっそりと語りあわれるだけだった。 アメリカ占領軍による性犯罪ひとつとっても、「ほとんどなかった」という、たとえばいまのイラク人やアフガニスタン人に対するアメリカ人たちの態度ひとつみても「空想的」としかいいようがないことを「統計に基づく史実」として述べてあるが、到底、信用するわけにはいかない。 聞き取りにくい声、とこのブログ記事でもtwitterでも何度も同じことをいうが、 だいたいにおいて打ち負かされた側、踏みつけにされた側の真実は、打ち負かした側、足で相手の顔を地面に押しつけるようにして勝ち誇った側が、「証拠をみせろ」 「典拠はなにか」と常にあざけって冷笑するように、ほんとうの絶望の淵においこまれたものの声など、「証拠」を通して聞こえてくるわけはない。 ではどうすれば聞こえるのかというと、退屈で読むに値しない、とされていて、実際に読んでも日本語もおぼつかない文章が多い「自分史」の本や、まったく関係のない事件、たとえば犯罪の犠牲者の証言の途中で、突然、「私は米兵に連れ去られた過去があるのを夫に隠しており…」というような言葉で語られる。 日本社会には「キズモノ」を忌むという無惨な伝統があるので、外国人に強姦されたなどということは、絶対に認められない事件であったのは、いまの日本社会も本質的に同じなので、理解するのに努力はいらない。 「耐えがたいほどの痛みを共有してゆく」というのはほとんど家族だけがもつ機能だが、 日本の家族には歴史的にそういう機能が欠落している。 日本国憲法はアメリカ軍が日本人の手をわしづかみにして自分の思い通りに書かせたものであるのに決まっていたが、それが事実として認められることは長いあいだ忌避されていた。 ひとびとは、アメリカ人の風俗をデッドコピーして勝者の生活に憧れたが、70年代を通じて社会が自身を取り戻すにつれて、そういうこともなくなっていった。 日本が破滅的な敗北から気を取り直すのには凡そ40年という時間がかかったことになる。 日本の60年代、というような時代を調べて時間をおりてゆくと、ヒットチャートにはアメリカの曲がたくさんある。 1963年のヒットチャート1位にある「ヘイ・ポーラ」 http://www.youtube.com/watch?v=tVUNbdQ-cDY&feature=related は、Paul &Paula http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_%26_Paula の「Hey Paula」だろう。 http://en.wikipedia.org/wiki/Hey_Paula_(song) 一方では、 天皇という神格化された絶対王権(昭和天皇は王とは異なりイギリス王室と同じようなものだった、というが、何冊か本を読んだ限りでは、あとで天皇を守るために作り上げた解説のように思われる。ジョージ6世などは、あんなものすごい権力を与えられたらどもりどころかひとことも話せなくなっていたのではなかろうか)をアメリカ人の手で否定された日本人たちは、やや原理的と呼びたくなるような占領軍の行政官たちのリベラル思想に基づいて「戦後民主主義」を築いていった。 「鉄腕アトム」というアニメを観ると、当時の日本人の切実で「哀切」という言葉を使いたくなるほどの民主主義への希求が感じられる。 日本人なら誰でも知っていることらしいが、ロボットを日本人と読み替え、傲慢で独善的な人間たちをアメリカ人ないし欧州人と読み替えることによって、日本人は「この世界で日本人であることの意味」を懸命に問うていった。 … Continue reading

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Sei matto

エンリコ・フェルミは、ローマの人で、20世紀を代表する科学者のひとりです。 理論にも実験にもすぐれていて、ほぼジョーダンのようなひとであった。 マイケル・ジョーダンのようにバスケットボールで超人だった、という意味ではなくて、物理学の世界で非現実的なくらいの才能を発揮したひとだった。 http://en.wikipedia.org/wiki/Enrico_Fermi 人間の歴史上、最高の科学者は誰か、といえば、イギリス人なのでべたぼめするには甚だしく都合が悪いが、アイザック・ニュートンに決まっている。 ニュートンというひとは、神様のやることを微分してしまった初めのひとであって、その「微分」といういまでは世界を理解するためには人間にとって最低限不可欠で絶対に必要になった道具を使って、たったひとりで世界を初めから最後まで説明してしまった。 2番目、ということになると、候補が200人くらいいると思うが、フェルミはフォン・ノイマンやアインシュタイン達と並んで、最後の5人にはいるくらいのひと、と言って間違いにはならないだろう。 わしが物理を教わった先生はフェルミを2番目に偉大な科学者だ、とゆっていた。 2番目だったらアルキメデスちゃうかなあー、と不服に思ったので、よくおぼえている(^^) ツイッタで、「光より速い素粒子」が誤りかというニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120223/t10013237921000.html について、「イタリア人なんかに機器を扱わせるから実験を間違うのだ」という、なんだか「日本人の傲慢」を絵に描いたようなコメントを見てぶっとんだが、それに同調して笑ったひとも多かったようだった。 わしは思わずカッとなって、たったひとりのフェルミも出なかった国のくせに、くだらねえことを言って得意がってんじゃねーよ、と悪態をついてしまった。 まことに心性として下品である。 温和で成熟したおとなであることをもって四海に鳴るわしとしたことが、はしたないことであった。 ツイッタでイタリア人を小馬鹿にしていたのは防衛省の元役人のおっちゃんだったが、いまだにハーケンクロイツのお友達なのが誇らしくてたまらなかった軍国のむかしを懐かしんでいるらしい日本の自衛隊の雰囲気がよく判るような発言だと感じました。 恋人と母親を同一視してしまう不思議な習慣や素材を重視する料理への考え方において、イタリア人と日本人は似ていると思うことがある。 英語圏では男が女の乳房にふれることは女が男のち○ちんに触れることとまったく同等であって、男が女の乳房にあまえて吸い付くなどという不気味な愛情表現はありえないが、イタリアの男には、そういう人もいそうな気がする。 「20年も一緒にいれば、女房なんてかーちゃんみてえなもんだから」というようなことを、イタリアの人はおおっぴらにいう。 ふと思いついて「日本では実際に、『かーちゃん』と呼ぶのよ」というと、さすがにぎょっとしたような顔になるが、すぐに笑って、「気持ちわかるよ」といいます。 英語人なら、「そういう気持ち悪い話題を口にだして言うなよ」と考えて顔をしかめて返事をしないところである。 なんだかものすごくマジメなのに一方で破天荒なくらいデッタラメな印象も、日本とイタリアは似ている。 観察していると、日本のイタリア人に対する感覚は、たとえばドイツ人のレッドネックが言うことのオウムの口まねに過ぎなくて、「イタリア人はなまけものだから」というようなことを述べることによって、あたかも自分がドイツ人並である妄想にひたるものであるらしい。 ひどい「西洋コンプレックス」(という言葉は、もう死語だべ、と思っていたのに)に陥っているおっちゃんやおばちゃんたちほどイタリア人を小馬鹿にしたような冗談を言いたがるようで、それをネタに先進文明人ぽく盛り上がるのが好きなよーだが、横で見ているわしのほうはゲンナリしてしまう。 カンベンしてくれ、と考える。 理由は簡単で、わしはガキンチョのときからイタリアとイタリア人の築いた文明を途方もなく尊敬しているからです。 いま、われわれが西洋文明と呼んでいるものは、要するにローマ人がつくった文明のことである、という大枠もあるが、何よりも、たとえば父親のイタリア人友達の家を訪ねていけば、階段のてすりには精妙で典雅な彫刻が一面にほどこされ、息を飲むような壮麗なデザインの壁紙があって、室内が一個の美の宇宙をなして、「美の洪水」と呼びたくなるような空間をつくっている。 町を歩いても、イタリアに行って、多少でも観光地でない下町を訪れたことがあるひとなら誰でも見知っている3輪のトラックや、道路の脇にさりげなくとめてあるビアンキの美術品に最も近いモーターサイクル、フロレンスの間口一間で、ほんの少しの空間を店にしてあるだけで後ろに広大な工房がひろがる職人たちの店の傍らに飾ってある得も言われぬ形の靴や鞄、人形、文房具。 イタリア人がもっている「美」への偉大な感受性は、現代の工業製品にも活かされていて、そこへいくとイギリスやドイツなどのイタリアに較べれば圧倒的に文明が遅れている国の製品ときたら、「機能的」と言い訳することになっているデザインができないことへの体裁の良い言い訳でつくられた不格好な外見に、残りの特徴は「壊れない」という頑健で病気をしないのだけが売り物の農夫の美点じみた売り文句だけである。 言うまでも無く「典雅」や「優美」というようなものはイタリア人のものであって、夏の保養地ひとつにしても、コモの湖に行けば、他のアメリカや欧州の保養地のような地域全体が見るにたえない安普請な書き割りじみたいまできの開発とは異なって、そもそも保養地というものがどういうものであったかを教えてくれる。 オペラひとつとってもワグナーが大好きな日本のひとの趣味は、それはそれでいいに決まっているが、わしはミラノ人のジュゼッペ・ヴェルディやトスカナ人のジャコモ・プッチーニのほうがワグナーの百倍は好きである。 もっともそれは「軽み」や「弱々しい線で描かれた繊細」がないところには文明を感じない、わしの感じ方の問題が大きいのは自分で知っているが。 ワグナーも、付き合いでときどきは聴きに行くが、あんまり伽藍っぽい音楽を聴かされると、つい、ダッセエー、肥だめの臭いがするわ、とかいけないことを考えてしまう。 ワグナーのクライマックスで、緊張の面持ちで陶酔している観客席のまんなかで、ひとりでつまらなさそーにしている態度の悪い顔のガキがいたとしたら、わしであるに決まっておる。 ちびガキンチョの頃は、両親の強制お供で、あんなマクドもタイムアウトもないとこに行くのやだなー、だせー、と思いながらよくひきずられるようにしてイタリアへ出かけた。 着いたら着いたで、ぺらぺらとイタリア語をよくしゃべる妹を横目に、くっそー訳わからん言葉でしゃべりまくりやがって、おしゃべりな国民だのおー、と、まさか口には出さないが心のなかでは悪態ばかりついていた。 それがだんだん「文明」というものを理解できるようになってくるにつれて、自分達が作っている万年筆について「熱狂的」というしかない態度で「お若いひと、お若いひと」と繰り返し呼びかけを挟みながら、わしのような愚鈍なガキに二時間も熱心に説明してくれるおっちゃんや、相手は子供であるのにはにかみながら、テーブルにゆるゆると近付いて「料理、おいしいかい?」とゆって、おいしい、というと、これもあれも、と料理屋のおごりで出してくれた若い料理店主、夜の山の斜面にぽつんと小さな灯がともっていて、何も書いていない、ツタにおおわれたドアを開けると壮麗なインテリアの広大な空間がある田舎町のレストラン、 二年も経って訪れたのに、「まあー、よく来たわね!元気だった?風邪はもうなおったの?」と大喜びで迎えてくれる村のひとたち。 フクシマの原発の話をして、でも、日本の科学者は安全ってゆってるみたい、と言うと 「安全でも、わたしはやっぱり子供達が心配だよ。どうして逃がしてあげないのかねえ」とゆって、俯いて、すっかり涙ぐんでしまっているおばちゃん。 … Continue reading

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おおきなお世話

「除夜の鐘 俺のことならほっといて」というのは中村伸郎の有名な句だが、 この小津安二郎がたびたび起用したせいで外国人たちにも馴染みの深い俳優は、連合王国かニュージーランドに生まれれば、さぞかし幸せだったろう、と思います。 イギリス人は、日本人が自分達に似ていると思っていると言われるとびっくりしてしまうが、それには「日本人の集団主義」対「わしらのひとりでできるもん主義」という重大な対立、という観念的で、根拠を問われると「戦争のとき」なんたらで曖昧な、わりと由来がええかげんな信念があるからだと思われる。 イギリスに住んだことがあるひとは知っていると思うが、イギリス人から見た日本人は、日本人から見たイギリス人と丁度逆で、「自分達と全く異なる対極にいる人間たち」であろうと思う。 正反対、と意識されている。 ひとりでできるもんな自分達の社会の基本的なイメージが、社会と個人の関わりで、イギリス人やニュージーランド人は、 社会に対して「ほっといてくれ」といつも思っている。 なにしてよーが、わしの勝手だろーが、と考えている。 それが社会の基本的な感情なのだから、態度の悪いやつが多いわけである(^^) 他人をかまうことが人生の一部と信じていて、他人も自分を自動的にかまってくれるものだと確信しているアジアからの移民のひとが欧州に来ると、この「わししかないのよ」に押しつぶされてしまう。 あまりの自己中心主義に辟易してしばらくすると欧州社会を心から憎むようになるひともいる。 もっとも当の欧州人のほうは、お互いを自己中心主義、と意識しているわけではなくて、「そんなもんだろう」と思っているだけです。 アジアの人のほうを、「どうして、このひとは自分というものがないのだろう?」と思っている。 偏見は判断のエネルギーを節約する、という。 めんどくさいので、アジア人=自分がないひとびと、というふうに決めてあるひともたくさんいるよーだ。 大陸欧州人の心の根底には「人間がお互いに分かり合うなんちゅうことがあるだろうか?」という深いわだかまりがある。 通常の状態では、言葉やなんかで人間がお互いにわかりあえるなんて、あるわけねーだろ、と思っている。 正常なときはそうである。 ところが、稀に感情が爆発したりなんかして、いっちょう他人とわかりあってみるか、とおもうことがある。 恋人同士、夫婦のあいだですらそうだが、一緒に住んで同じベッドに眠って、もしかしたら分かり合えるかも知れぬ、と考えて自分の一生をかけた実験というか冒険にのりだしてみる。 全身全霊、というが、文字通り、そこまでの一生で積み立てた魂のエネルギーを全部おろしてきて、全部費消する。 はたからみていると、なにもそこまでやけくそにならんでもえーのに、と思うくらい欧州人の恋愛はすべからく大恋愛である。 だから「別れる」ちゅうようなことになると、大たいへんで、人生がぶっこわれてしまう。 いつか同じような話をしたら、「その割にはアメリカ人とか、ほいほい別れて気楽なもんだよね」という日本のひと(男・40代)がいたが、まことにケーハクな嫌らしさ、というべきで、なにからなにまで、というのは財布から魂まで共有して、それが100%できないと感じれば一緒にいられない、と思う、という切実な気持ちがわからない、というのは驚くべき鈍感さだと思います。 ほんとうは欧州人とアメリカ人では、ずいぶん「結婚」「恋愛」について考えが違うが、どちらにも共通しているのは、離婚などは死ぬ直前まで行ってしまうほど思いつめて、ぼろぼろになりながら行う。皆が身にしみて極限までいってしまう感情の激しさと魂を抉りとられてしまうような痛みを知っているので、当のアメリカで「気楽に」などと言えばよってたかって殺されるかもしれない。 日本でも若い人はふつーに「我慢なんてとんでもない。何度でも別れてやりなおしたほうがいい」というが、たいへん良いことだと思う。 きっと、他人へのもぐりこみかたも真剣をきわめたものなのでしょう。 日本にいたときには、楽しいことやおもしろいこともたくさんあったが、 「余計なお世話じゃ」と思うこともたくさんあった。 高速道路を走っていて横断橋に「注意!」で始まる警告が書いてあるので、前を見るのをあきらめて警告の標識を日本のひとに較べて時速で劣る日本語読解力を集中して読むと「前をみて運転しよう!」と書いてあったりする(^^;) 前にも書いたが、「ここから先に行くと崖から落ちます」という崖っぷちの標識版を見たこともある。 日本からもどってからも、福島第一事故がどんどん進行して、カバーアップしようとする政府のカーテンの下から、メルトダウンになって収拾がつかない実態が見えてくるようになっていた頃、中国では鉄道事故があって、事故の処理をみて、 「これでは中国の将来が思いやられる」 「いくらなんでも、こんな事故処理では遺族がかわいそうだ」 「さすがは中国w」 などといって、日本のひとは大喜びだったが、燃えている自分の家から他人の家の夫婦喧嘩を見て、心配をしてみせて、鬱憤をはらすのは、趣味がわるいだろうと考えた。 フクシマなどは、自分の国の問題と実感できないようでした。 日本のひとと話していると、緊急切迫のときほど妙にのんびりしている、というか、現実の事態にうまくアクセスできないでいる、というか、「他人事(ひとごと)ですから」というときの一定の声の調子というものがあるが、現に自分の社会が直面している焦眉の危機について「たいへんですから」と「他人事ですから」と寸分違わない声の調子で考えているように見えることがある。 さし迫った危機としての現実が言葉を通過して思考におよぶころには「ひとごと」と同等な切迫感ないし切迫感の欠落になってしまう、というのは、個々の人の情緒が現実へのアクセス不調に陥っていることを明瞭に示している。 子供の時から拒否したい現実や命令を自分を偽って肯定して受けいれつづけると同じ反応を起こす。 … Continue reading

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