Daily Archives: February 15, 2012

ズボンとパンツ

1 「ズボン」という言葉は死語なのかどうか調べてみたがよく判らなかった。 こういうときは従兄弟か義理叔父に訊くことになっているが、eメールを出しても返事がこないので結局、まだ判らないままである。 パンツという言葉に変わっていそうなものだが、記憶によれば「パンツ」は下着の意味で女びとの「ズボン」をパンツと言うだけだったような気がする。 英語世界には「キャプテン・アンダーパンツ」 http://en.wikipedia.org/wiki/Captain_Underpants という有名なガキ読み物があるが、 日本語には「アンダーパンツ」という言葉はなかったと思う。 「パンツ」や「アンダーパンツ」のことをぐるぐると考えていたら、頭のなかの言葉に黄色いシミがついてきたので、部屋を出て、ホールウエイを歩いて台所へ行く。 VOGEL’Sのトーストを二枚焼きながら、小さい目玉焼き用フライパンに二個卵をいれてストーブに載せる。 と、ここでもう間違えている。 日本語では「ストーブ」はヒーターのことなので、コンロと言わねばならないが、わしの家は自分では使わないデカイほうの厨房にはガスがあるが、ふだん使うキッチンは電気なので、コンロとは言わないだろう。 日本でも電気で調理する電磁なんとかがあったはずで、電磁トップというのだろうか。 そうやってわけがわからん、と思っているうちに、めんどくさいから「ストーブ」と書いてすました顔でいる文章が、過去記事を見ると、いくつかあります。 2 もともと日本語を専攻にしたわけでもなく、それどころか日本でなにかをしようとか、日本人観光客相手の商売をしようとするのでもないので、わしの日本語は途方もなくいいかげんである。 もう何回も繰り返し書いたのでそろそろ止すが、日本の文化や社会をしってみたいという欲求もあまりなくなってきて、日本語で考えることによって生じる別人格を楽しむだけのために、この頃は日本語を書いている。 自分でもおもしろいと思うが、こうやってなるべく日本語の時間をつくる習慣を維持しようと思っても、まわりに日本語が判るひとがいるわけでもなし、無理は無理なので、だんだん日本語が衰えてゆく。 なにを面白がっているかというと、読み書きのうち、まず「読む」ほうが衰えだすことで、これは実は予想と逆だった。 まず、書くほうがダメになるだろうと思っていた。 わしは、威張ると、最盛時は一日に5冊、というような日本語の本が読めた。 いまはもう全然ダメで、一冊の本を読むのに、二ヶ月かかったりする。 何ページか読むと、くたびれる。 現代文よりも古文のほうが楽で、最も楽なのは現代詩である。 なんだかヘンな順番であるな、と自分でも考えたが、これは多分「音」によっている。 つながりの悪い「音」で出来た文は、読んでいてひどくくたびれる。 ぜんぜん外れているかもしれないが、英欧語の本はいくらでも読めるのは、「音」がつながっているからではなかろうか。 メンドクサイ、という酷い理由で、わしはむかしから外国語の本を読んでいても辞書なんかひいたことはないが、それは「別に書いてあることがわからなくてもいいのさ」と考えているからでもある。 書いてあることが判らなかったら本を読んだことにならないではないか、というひとが当然いると思うが、それはわしの途方もないええかげんな性格をしらないからなので無理もない、わしは音を楽しんでいるだけなのかもしれません。 Telugu語の鼻歌を歌っていると、ぎょっとしたような顔で傍らのインドのおっちゃんがわしの顔をみつめている、どーしてテルグが話せるんだ? という。 話せません。なんとなくおぼえているだけ、というと大笑いされる。 そういうことが、いままでにも何度もあったようだ。 3 以前は宗教的な禁忌のために録音が許されなかったチャンティングが録音できるようになったせいで、口承で伝えられるインド人のあの長いチャンティングに使われる言語の解析がすすむようになった。 最も研究者たちを興奮させたのは、いくつかのチャンティングに使われている言語に「意味」というものがまったくなかったことで、厳密に定まった抑揚や音程は、ただそれのみで聖性を保障している。 しかも、…そこでわしは、ほんとーですかー、とのけぞってしまったが…現存のどの言語よりも古い、という。 インド人は「アーリア」と名前のついた文化の範囲と生物学的な人種の広がりが一致しないひとたちだが、言語は最古の痕跡を残している。 一方で、サンスクリットはギリシャ語やラテン語と共通の語彙が豊富なことで有名である。 そのことによって判明することや示唆されることはいろいろあるだろうが、最も興味があるのは、地中海や黒海の周辺、トルコ、中央アジア、北インド、というような地域では「音」の根幹を共有していたと思われることで、学校で習った「思想の普遍性」というものは実は一個の根から伸びた音の伽藍の下にある可能性があることです。 servus … Continue reading

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