トランジット、あるいは冴えない破滅について

飛行機が飛ばなくなる日は必ず来る。
石油がなくなるから飛ばなくなるのだが、その日でも燃料は空港のタンクにちゃんとあるだろう。

…なぞなぞみたいですのい。

管制官の給料がでなくなれば、飛行機は飛ばない。
パスポートコントロールの係官がいなくなれば国際線は飛ばしても意味がなくなってしまう。
あるいは航空会社が離着陸料を払えなくなる。

燃料に使う石油が枯渇するまえに飛行機は飛ばなくなるが、理由はだいたい、そんなことだろう。

福島第一原子力発電所事故のあとの議論を眺めながら考えたのは、人間は未来のことを考えるのが途方もなく下手である、ということだった。

80年前に農場主が「土壌」というのと2012年の農場主が「土壌」というのでは、同じ言葉を使っているが違うものをさしている。
たとえて言えば「スポンジ」かなあ、と言う。
滋養もなにもない土、使いつくして大地の滋味を搾り取りつくした以前には土壌だったなにか。

窒素・リン酸・カリウム、と言う。
カルシウムもマグネシウムも必要だろう。
問題は、というか、ここで考えようとしているのは有機無機を問わずこの肥料が野菜なり穀物なりの食料になるためには、大量の石油を消費していることで、そのうちには石油のお題にしたチョー退屈な記事を書くだろうが、印象として現代の農業は石油化学工業である。

石油はエネルギーとしてよりも、人間の現代文明の支配的な要素として重大な意味をもっている。
ちょっと調べてみれば判るが、石油が(枯渇ではなく)足りなくなると、人間の生活などあっというまに停止してしまう。

産地でつくられた野菜は畑につみあげられてただ腐ってゆき、70年代にそれで日本社会がパニックに陥ったようにトイレットペーパーはスーパーマーケットの棚から消えてしまう。

石油の価格が倍になるくらいでも、生活は不安定になるのだから、これから予想される5倍、10倍、というようなフェーズでは、どういうことになるか、わしみたいにチョー暢気な人間にも予想がつく。

原子力が石油の代替として求められる頃には、石油の原価が高くなりすぎていて、いまの現代社会はそもそも成り立たなくなっているのでエネルギーだけが代替されても無意味なのである。

トーダイおじさんのひとりはむかしむかし20代の係長として鉱業課という部署にいた。
経産省。
若かりし頃のおっちゃんがいた頃は通産省とゆった。
石油の備蓄をやれと言われて石油のベンキョーをしたら、どう考えても備蓄タンクなんかでどうにかなる不足量ではないので、「将来世界的に原油が不足する」というレポートを出したら上司に怒られた。
石油なんてものはな、探せばあるんだ、バカ、そんなことは堯舜の世から定まっておる、とゆわれたそーです。

ふりかえってみると、その頃はほんとうだったんだよねえー、とトーダイおっちゃんはいまは薄くなった髪の毛をいとおしそうに掌でなでつけながら言う。
でも、いまは、ほらこれだから、と鉛筆で描いてみせたのは、わしら全員が頭を悩ませている、件の曲線です。

http://coachingtohappiness.com/wp-content/uploads/2010/09/world-population-graph.jpg

去年、日本語ツイッタを見ていたら、「人口は食料が減れば減少に向かうんだから、食糧危機なんか起こるわけがない。食糧危機なんか考えるバカの気が知れない」と書いている「日本的秀才」のパチモンのようなひとがいてRTつきまくりでうけていたが、ちょうどその頃日本でも何度も繰り返し報道されているソマリアという一国だけで一日2500人が餓死している現実
http://www.asahi.com/international/update/0729/TKY201107290690.html
を、こうもあっさりと無視できる鈍感さというものはたいしたものである、と思う。

実際、人口増加曲線も2050年くらいを境にS字曲線に形を変えてゆくのでなければならないが、グラフがようやく単調な増加からフラットなplateauになる頃にはだいたい90億人から95億人くらいのところにある計算で、毎日大量の餓死者を出しているアフリカ諸国からお腹が空いてもいないのにホールチキンをレストランで頼んで、ほぼまるごとゴミにしてしまうティーンエージャーがおおぜいいるアメリカまで、いまの世界の貧富のバラエティの、そのままの構成で2050年も暮らしていると仮定すると、実は地球がまるまるもう一個あっても資源が足りない。

plateauという言葉を使ったので思い出したが、いま(2012年)のような世界の状態を英語ではbumpy plateauちゅうような呼び方をするひともいる。
どういう表現かというと、原油が1バレル200ドルになると買い手が減るので100ドルに下がる。
あるいは相場によっては100ドルをさえ下回る。
原油の価格が上がれば製品の価格があがり、それでは商売にならないので、製造が中止されて、市場が冷たくなり、需要が減って原油が売れなくなる。
そうすると原油価格がさがる。
しかし、いまの石油依存症とでもいうべき世界の骨格が形成された、というのは個人の側から言い直すと、平均よりもやや高いくらいの年収があれば人間らしい生活が出来る世界が形成された頃のWTI価格は、そもそも1バレル3ドル近辺だった。
それが1973年に1バレル5ドル超に引き上げられて世界は大パニックに陥り、1974年に11.65ドルに上がることによって産業と社会の構造そのものが変化を強いられることになった。
日本が、この時期の「新しい、石油が高い社会」に適応できたゆいいつの国だったために空前の繁栄を遂げたのは(当の国の国民なのだから、あたりまえだが)日本でもよく知られていると思います。

しかし、その当時は、「原油が(1バレル)500ドルになる」という見通しはなかった。

ここであんまりくだくだしく述べる気はしないが、石油にはおおざっぱに言って「エネルギー、工業製品の原料、食料生産」の3つの大きな現代人の生活への寄与がある。
ここでいう工業製品はぼんやり考えるより、広がりが大きくて乗用車用のタイヤ一個で30リットル内外の石油を消費する「石油おばけ」みたいなタイヤのような製品から建材まで多岐に渉っている。

エネルギーは、ときどきぶっとんじっても放射能くらいダイジョーブだ、ということに無理矢理いいくるめることにして原子力でもなんでもかまわない、なんとか代替の方法を探すとして、もっとも困るのは多分食料で、値段がいまの5倍程度になっただけでも先進国ですら困窮するひとが続出するだろう。

ロンドンにいるときは自分でスーパーマーケットに行ったりしないので判らないが、かーちゃんと一緒に買い物に行く楽しみがあったニュージーランドでは、スーパーで買い物をするというのがよほど嬉しかったのであろう、ガキなのに価格をおぼえているものがある。
わしがガキンチョの頃(80年代)のニュージーランドでは缶入りのツナ(キハダマグロ)はチョー安い食べ物で確か高級品のトライデントのやつで3個で2ドル(130円)だったと記憶するが、いまは一個で3ドル(200円)もする。
つまり5倍もするので、ニュージーランドのインフレーションが3%前後で推移しているのを考えると、一個70円以下でなければならないが、これは石油だけでなくもうひとつの資源キハダマグロそのものが激減・高騰したからで、食料については、チョーあたりまえだが、われわれが依存している石油という資源とは別に大型魚類に典型的なように食料資源それ自体の減少は石油よりもさらに数層倍はやい、という問題があります。

ここまで書いてきた憂鬱な問題、しかし、もうすぐ到来すると判っている問題を考えると、気分のもちようによっては、いっそ小惑星がぶつかるなり、温暖化が昂進して蒸し焼きになるなり、あるいはゴジラが大量発生して世界中廃墟になるなりして無茶苦茶なカタストロフがやってきたほうがマシであると思うひとがいそうであって、現実にすぐそこで待ち構えているものは、あっさり人間を破滅させてくれるような慈悲深い破滅ではなくて、ひとりひとりが過酷なサバイバルを強いられる世界なのであると思われる。

具体的には石油がゼロになるのではなくて、ガソリン1リットルが1000円になる、というような破滅の訪れ方で、白菜ひと束が3000円(これは実際70年代の終わりに日本で起きたことがあるそーだ)、パンが一斤で4000円、というふうになっていって、ひとりひとりの家計をしめあげてゆく。
そうやってbumpy plateauをだんだん荒っぽくなる価格の上下を繰り返しながら、経済的な大破局が2050年までのどこかで起きるだろう、とたとえば中国人たちは「当然だ」と思っているので、2002年には隠れ蓑をつくってニュージーランドでも農場を買い漁り、つい昨日、判決が出て合計8000ヘクタールの農場の売買契約が差し止めになり、それでも、
「われわれは必ず戻ってきて農場を買い占めるだろう」という声明をだしたりしているのは、要するに中国人が古代からの得意技で未来への想像力に基づいて今日の行動を決定する才能に恵まれているからである。

そのまま世界が破滅する、と言うひともいるが、わしはそう考えたことはない。
人間はカシコイので、また技術的なブレークスルーを繰り返していまの石油依存症文明とは別種の安定的な文明をつくりだすに決まっておる。
こういうと「出典がないじゃないか」「それが事実だと示す教科書はどこにあるんだ」というひとがいっぱいいるところが日本語はメンドクサイが、出典は、ですね、
2万年前の一枚の剥離石器で、その前、50万年にわたってオオボケをこいたまま、木の実を拾ったり、木の枝でつくった銛でサカナを突っついて逃げられたりしていてバカまるだしだった同じ現生人類が、突然、陸続と効率的な食料の獲得方法を発明しだしたのは、温暖気候依存症でオオボケをこいていたある年まったく雨が降らなくなって地表が乾きまくり、あまつさえ移動していった先で気温が無茶苦茶に下がりだして氷が地表を覆ったからだった。
そのとき、絶体絶命の危機に陥った人間たちは、それ以前の50万年をあわせたよりも、数千倍の速度でリープする技術文明の爆発的進歩をなしとげた。

われわれが、いま、舵がこわれた船の乗客のようにして突き進んでいるのは、人間を絶滅させる大破滅ではなくて、だから、次の安定的な文明が確立されるまでの繰り返し起こるはずの過渡期の混乱で、そこには貧しい者達の暴力的蜂起があり、残り少ない資源をめぐっての古くさい領土奪取型の戦争があり、時計の針を巻き戻したような強者の、弱者への、厚顔な、理屈などなにもない支配がある。

ツイッタでキャンプ場のクマの話をしたら、わしが古い友達のすべりひゆが「やだなあー」と書いていたが、そのとおり、「やだなあー」な文明の時期に、多分、もう、2025年くらいからはいってゆくのだと思います。

ジャクニクキョーショクに戻っちゃうんだって。
やだなあー。

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