雪の日のブランコめざして

「完全なる神がつくりたもうた驚異的に精緻な人間」という意見にはむかしから色々な反論がある。
盲点、などは聞いたことがあるひともいるだろう。
人間の目は視神経が内側から外側に突き抜ける構造になっているために、盲点が生じてしまっている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Blind_spot_(vision)

脊椎動物はみな盲点を持っているが、イカには盲点はない。
表皮由来の水晶体眼なので視力も人間よりすぐれ、老眼も近眼もない(^^)
「神がつくりたもうた」とすればひどい手抜きで、しかも人間の眼は基本的に脳の一部なので、脳が露出しているなんて気味が悪い、とわしなども考える。

むかしの医学では「人間の身体の部品は百年もつように出来ている」とゆっていたが、最近は(例によって例のごとく)学説が変わって「だいたい50年」という信長が好きだった幸若舞みたいな説になった。

周囲の人間を観察すると、人間が正気のひととして人間らしい活動をするのは、だいたい20歳から50歳くらいまでであって、あとはそれまでのシリーズのエピソードの同工異曲というか総集編というか、残映のような人生というかで。医学が発達しようが栄養状態がよくなろうが、実働は30年前後であるらしい。

わしの考えでは人間のなかで最も偉大な場所に到達したと思われるゴータマは80歳まで生きた。
なにひとつ不自由のないラッキーなやつだったが、29歳で、酒池肉林にも、もてもてで、 いちゃいちゃもんもんシホーダイなのにもすべて飽きて、全インドの王か覚者かの二択を自分に迫って覚者の道を選んだ。
この世界の醜い表層の下にある自然こそが人間の涅槃なのだと悟って成道したのが35歳だという。

ゴータマを人間の一生の例として考えてみる、というのはアホいが、しかし、考えてみるとゴータマも他の人間と同じで30代を中心に一生がまわっていたように見えます。

わしは子供のときからのんびりが好きで、急かされるのが嫌いだった。
道を渡るにも走るという習慣がない国に育ったせいもあるかもしれません。
このあいだロンドンに帰ったときに舗道を走っている30代くらいのおっちゃんがいたので、ぶっくらこいてしまったが、わしが子供の頃は公道を「走る」というのはイギリスでもニュージーランドでも人目をひく、異常な行動だった。
この頃はオークランドでも「小走り」に道路を渡るひとをみるようになったが、そういうひとが現れたのは極く最近のことです。
クライストチャーチでは、まだ、むかしのままで、道を渡るのに走るひとはいない。

義理叔父に言わせると、英語人、特にわしや周りのひと(頭の回転がチョーはやい妹は除く)の会話はいしいひさいちの名作「地底人対最底人」
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20110403/1301783223
の会話に最も近いという。
「間(ま)の取り方が同じで、見ていて可笑しい」と失礼なことをいう。

その一方で、義理叔父自身が知らないのは、この人はしびれを切らすのか、相手がまだ返事をしていないのに、また自分の意見を重ねて言うので英語世界では「悪い人ではないが失礼なひと」ということになっている(ばらしてもうた)

このブログでは、何回も繰り返しでてくるが、「時間」が違うからだと思います。

「急かされるのが嫌いだ」と書いたが、わしは、学校や家で急かされたことはない。
英語世界の基準からゆってもチョーのんびりなわしが、うーんと、えーと、と心のなかで考えていると、みながじっとわしを見ている。
それでも言葉が出るところまで行き着かないので、えーと、うーんと、をしていると、先生なり母親なりが、「ゆっくり考えていいのですよ」と相の手をいれるであろう。
で、やっと考えがまとまって、
「わかんねー」と言うと、また相手が滔滔と持論を述べる、というふうであった。

シンガポールの大学に近いところにあるホットドッグ屋で行列に並んでいたら、いくらなんでもわしほどではないが、のんびりな女の子が、ホットドッグを注文している。
屋台の高いところからみおろしたにーちゃんが「マスタードいる?」と訊くと、えーと、あーと、どーしよーかなー、「いれてください」という調子で、考えながら注文していたら、わしがぶっくらこいたことに後ろで並んでいた学生たちが、「ぐずぐずすんな!並んでるあいだに注文ぐらい考えておけよ!おれたちは昼休み短いんだぞ!」という。
女の子はローバイしてます。
注文が終わって紙袋を渡すときになると、ハンドバッグを開けて財布を探す。
すると、また、「あーあ、いまごろになって財布かよ」
聞こえよがしに「ちぇっ!」と舌打ちしてるひともいる。

このひとたちって、ばーかみたい、とわしは考えたが、シンガポールは観察によると忙しい国で「効率」ということを最も尊ぶよーであった。
わしは、ああいう国では到底生きていかれない。

オカネがあっても時間がなければ、そのオカネで、あーゆーウフフなことや、ムヒヒなことをしてモニと遊べないので、冷菜凍死とゆっても忙しいことはやる気がしない。
そんなんでダイジョーブなのか、という人もいるが、あいつは一年に5日くらいしか働かない、引き籠もりで人とも全然あわない、という定評が出来てしまったので、わしが働かないからとゆって怒る人はもういなくなった。
なにごとも「慣れ」である。
わしは酒池肉林もすべこいモニさんとのイチャイチャモンモンも、まだ全然飽きていなくて、ゴータマのような人間としての優れた資質に決定的に欠けておるので、これからも一生、のおおおおーんびり生きているのに決まっていて、死んだらきっと「世界でいちばんナマケモノであった男ここに眠る」とかなんとかいう立派な碑を妹が建ててくれるに決まっているが、別にそれで構わない、と思っている。

これも日本語で何回も試してみているが、このあいだ、またぞろ「塾があると子供は時間を奪われるからやめたほうがよい」と書いたら、また反対された。
学校がダメだから、しょうがない、と言う、いつもの意見だった。
日本の学校がダメかどうかわからないので、わしにはそうゆわれると返す言葉がなくて、そーですか、としか言いようがないが、どうも話のどこかがおかしいような気がする。
学校がダメだとして、やはり学校を再建するほうが先であるのは、わしもそう思うが、そのためには塾が存在していては学校は再建できないのではないだろうか。
しかも、塾によって本来の学力を補完する、良い教師との出会いを補完する、というやりかたでは結局はオカネモチのガキだけが良質な教育を受けることになるのではないか。
塾というものが産業である以上、良質なクラスを提供する塾は、高い対価を要求するだろう。
「どこそこの学校に何人はいりました」というような数に変換しやすくて判りやすい、というのは、そのまま、反教育的な「数字」にこだわるパチモン教育に走りやすいのではないか。

もうひとつ、もともと、わしが嫌われてもいじめられても(^^) ずうううっと「塾なんかいらねー」とゆっているのは、塾が子供から時間を奪うということのほうに力点をおいて言っているつもりで、日本の人には感傷といわれるが、しかしわしは、ガキが雑木林にわけいってイノシシと出会ってぶっくらこいたり、農業用水に落ちて溺れかけたりするのをガキが世界と交渉する感覚を身につける過程において必須であると考える。

就中、雨に降り込められた午後に、家のなかのベッドで、人間って死んじゃうのかなあー、かーちゃんも死んじゃうんだってゆってたなあー、げえー、かーちゃん、わしより先に死んじゃうのか、神様にお願いして代わりに妹を生け贄にささげるけどダメですか?ちゅうわけにはいかないのかなあー、と考えたり、
宇宙をずううううううっっと行くと、どーなるんだ。
神様の形をした標識が立っていて「光も時間もここで終わり」とか書いてあるのか?とか、あるいは、
全宇宙が神様のめんたまの虹彩より小さいという話はほんとうだろーか?
第一、わしのチ○チンはなんのためについておるのだ、
と、退屈で死にそうになりながら、うっぷして、枕に顔を埋めて考えることには、人間には思いも掛けないほどのおおきな意味があるに違いない。

せっかく時間を大量に、イグアスの流れ落ちる滝の水のごとく使うように出来ているのに、その解像度が高い若い脳髄の意識を、たかだか読み書き計算の単純な効率化と精確化に浪費して、それでガキがオトナに成長してゆけるだろうか?
まして「理科」や「社会」など、ガキの精神と知力の形成にとってどーでもよいことに時間を濫費する必然性があるのだろーか?
そうするとオトナになること能わず、ガキがデカガキになって、ガキらしくもサディススティックな異常性格にふりまわされて、昆虫の足をむしりとるごとく、女びとの服をむしりとって、チンチ○をつっこみたくなる(下品ですみません)だけなのではないだろうか。

性的なことを述べてしまったが、日本語と異なって英語のサディズムには性的な意味はこめられない。

DSM III-Rによるとサディスト的人格の定義は、

*Has used physical cruelty or violence for the purpose of establishing dominance in a relationship (not merely to achieve some non-interpersonal goal, such as striking someone in order to rob him/her).
*Humiliates or demeans people in the presence of others.
*Has treated or disciplined someone under his/her control unusually harshly.
*Is amused by, or takes pleasure in, the psychological or physical suffering of others (including animals).
*Has lied for the purpose of harming or inflicting pain on others (not merely to achieve some other goal).
*Gets other people to do what he/she wants by frightening them (through intimidation or even terror).
*Restricts the autonomy of people with whom he or she has a close relationship, e.g., will not let spouse leave the house unaccompanied.
*Is fascinated by violence, weapons, injury, or torture.

ということになっている。

他の人がいるところで他人を侮辱しくだらない人間と決めつける、とか、
ひとが苦しむのを見て喜ぶ、というように見てゆくと、これは効率のみを追究して出来た社会に住む人間が共通にもつ病弊である。

こういうひとびとの特徴は、自分の情緒へのアクセスがうまくいかず、潜在意識的にほんとうの自分に会えない、という奇妙な感覚に苦しんでいる。
あらわれとしては幼児的な残虐さで他人を攻撃することなしに満足が得られないという形で表現されるが、真の原因は「幼児性」は表層で、子供のときに必要だった「時間」の喪失だと思われる。
時間の喪失とmaturityの獲得は、別立てにすべき大きな話なので、また今度はなすことにするしかなさそーです。

人間は、ふつーにイメージするほど一生のあいだに色々なことが出来るわけではないよーだ。
幕の内弁当のようにいろいろなものを詰め込んだ一生は、幕の内弁当が見た目には綺麗だが食べ物としてはただの幕間の小腹づくりにしかすぎないのに似ている。

100のものを詰め込めると見える一生の時間に、実際にいれても器がこわれない量は、ほんの20か30であるらしい。
特に子供の意識は、解像度がフルHDで肌理も質も稠密なので、そんな意識がすごす物理時間の一日に処理能力の限界までぎゅうぎゅう作業をつめこんでしまっては、子供はぶっこわれてしまうに決まっている。

人間などは一生に一個のことが出来れば百点満点より上であって、そんなバカなと思う人は黒澤明の「生きる」
http://en.wikipedia.org/wiki/Ikiru
を観てみればよい。

あの雪の日のブランコにたどりつけるかどうかに、人間の一生はかかっているのだと思います。

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One Response to 雪の日のブランコめざして

  1. Ukoh says:

    あの塾というのに入れられた日から、私の”1人で空き地に行って基地を作る”であるとか、”バスチアンみたいに、林檎を片手に本を読みまくる“とか、”庭の毛虫を数十匹水死させる“といった日常が奪われてしまった。

    何と、両親は小学生の私に1週間本を読む事さえ禁止した!!(学校の成績が下がると言って!!)あの衝撃は一生忘れない。
    私は220ページという所で止められた本を、1週間ずっと恋人の様に想っていました。

    中学へも行きたくなかったなぁ・・・絶望しか見えなかったんだ。
    小学校3年の時の自分に、大人になったらもっとオモロいよと声を掛けてあげたい。

    ガメさん、塾はイカンですよ。
    世界が灰色になってしまう。この辛い時間をどうやり過ごすかということしか、頭にない子供になってしまう。
    自分から「行きたい!」という点取り虫の子供はさておき(私の妻がそのタイプだったのですが・・成績優秀でした)、塾は基本禁止にしても良い位だ。

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