Made in Occupied Japan

子供のときにほんとうは入ってはいけないことになっている、食器が収納されている部屋にもぐりこんで遊んでいたら「Made in Occupied Japan」と書いてある食器があって不思議な気持ちになったことがある。周りにおかれている磁器や陶器からすると、ちょっと安っぽい感じがする(ごみん)食器で、捨ててしまったのかどこか奥深くにいってしまったのか判らない、このあいだ両親の家にでかけたときには、もうなくなっていたが、多分、ノリタケであると思う。
高校生の頃にふと思い出して、調べてみると、蒐集家がたくさんいるひとつのカテゴリーをなしている陶磁器の分野であって、へえ、と考えたりした。

アメリカにはコレクターが多いので骨董店でみかけるものも、ずいぶん不当な値段がついている。
オーストラリアやニュージーランドの、小さな町のそのまた外れにある、60年くらい前の普通の生活必需品を新品よりも少し安いくらいの値段で売っている骨董店に行くと、同じ程度のものがアメリカの半額以下で売っている。
いつかモニが面白がって手にとってみているので、一枚だけ買った大皿が、この家にもどこかにあるはずである。

日本は戦争に負けた国である。
あたりまえではないか、と言う人がいるだろうが、日本に行ったときのことを考えると、到底あたりまえと思えるようなことではなかった。
わしが日本にたびたび出かけた5年間は、2005年から丁度福島第一事故が起きる前の年の秋までで、20年近く続く社会と経済の停滞に日本が苦しんでいた、その断末魔だったが、それでも絶対的な豊かさはたいへんなもので、広尾山の家でも軽井沢の「山の家」のまわりでも、欧州人には理解できない数のランボルギーニやフェラーリ、ポルシェがたくさん走り回っていて、モニとふたりで食事をすると4万円は確実にかかる料理屋は、しかし、金曜日の夜ともなれば満席で予約をしなければテーブルがとれないこともあった。

1945年、日本で、あるいは日本が植民地化したり、傀儡化したりしていた地域では、
日本という国家の集団サディズムの代価を、サディズムの中心であった軍人と官僚の代わりに、(軍人や官僚は「内地」にとっくに遁走していたので)日本の普通の市民が文字通り身体で支払わされていた。
戦争に負けた側が判で押したようにうけるたくさんの殺人と強姦があった。
他の国にも共通の傾向があるが、日本は自分が被害者になった記録をことさらに隠しとおす。
アジアで言えば儒教諸国のように大声で被害を言い立てる文化をもたないので、たとえば「南京虐殺はなかった」と言って世界中の国から恥知らずぶりを攻撃される一方で、自分達が受けた集団強姦や殺戮の被害は、「貝のように」口をつぐんで、その苦しみが共有できるもの同士で、ひっそりと語りあわれるだけだった。

アメリカ占領軍による性犯罪ひとつとっても、「ほとんどなかった」という、たとえばいまのイラク人やアフガニスタン人に対するアメリカ人たちの態度ひとつみても「空想的」としかいいようがないことを「統計に基づく史実」として述べてあるが、到底、信用するわけにはいかない。
聞き取りにくい声、とこのブログ記事でもtwitterでも何度も同じことをいうが、
だいたいにおいて打ち負かされた側、踏みつけにされた側の真実は、打ち負かした側、足で相手の顔を地面に押しつけるようにして勝ち誇った側が、「証拠をみせろ」
「典拠はなにか」と常にあざけって冷笑するように、ほんとうの絶望の淵においこまれたものの声など、「証拠」を通して聞こえてくるわけはない。
ではどうすれば聞こえるのかというと、退屈で読むに値しない、とされていて、実際に読んでも日本語もおぼつかない文章が多い「自分史」の本や、まったく関係のない事件、たとえば犯罪の犠牲者の証言の途中で、突然、「私は米兵に連れ去られた過去があるのを夫に隠しており…」というような言葉で語られる。

日本社会には「キズモノ」を忌むという無惨な伝統があるので、外国人に強姦されたなどということは、絶対に認められない事件であったのは、いまの日本社会も本質的に同じなので、理解するのに努力はいらない。
「耐えがたいほどの痛みを共有してゆく」というのはほとんど家族だけがもつ機能だが、
日本の家族には歴史的にそういう機能が欠落している。

日本国憲法はアメリカ軍が日本人の手をわしづかみにして自分の思い通りに書かせたものであるのに決まっていたが、それが事実として認められることは長いあいだ忌避されていた。
ひとびとは、アメリカ人の風俗をデッドコピーして勝者の生活に憧れたが、70年代を通じて社会が自身を取り戻すにつれて、そういうこともなくなっていった。

日本が破滅的な敗北から気を取り直すのには凡そ40年という時間がかかったことになる。
日本の60年代、というような時代を調べて時間をおりてゆくと、ヒットチャートにはアメリカの曲がたくさんある。
1963年のヒットチャート1位にある「ヘイ・ポーラ」
http://www.youtube.com/watch?v=tVUNbdQ-cDY&feature=related
は、Paul &Paula
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_%26_Paula
の「Hey Paula」だろう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hey_Paula_(song)

一方では、
天皇という神格化された絶対王権(昭和天皇は王とは異なりイギリス王室と同じようなものだった、というが、何冊か本を読んだ限りでは、あとで天皇を守るために作り上げた解説のように思われる。ジョージ6世などは、あんなものすごい権力を与えられたらどもりどころかひとことも話せなくなっていたのではなかろうか)をアメリカ人の手で否定された日本人たちは、やや原理的と呼びたくなるような占領軍の行政官たちのリベラル思想に基づいて「戦後民主主義」を築いていった。

「鉄腕アトム」というアニメを観ると、当時の日本人の切実で「哀切」という言葉を使いたくなるほどの民主主義への希求が感じられる。
日本人なら誰でも知っていることらしいが、ロボットを日本人と読み替え、傲慢で独善的な人間たちをアメリカ人ないし欧州人と読み替えることによって、日本人は「この世界で日本人であることの意味」を懸命に問うていった。

敗戦国では「素早く口をぬぐった者」が機敏に良い席を占める。
日本のひとが信じているのと異なって、ドイツでも事情は似たようなものだったが、
日本でもレッドパージが終わると、続々と国家社会主義者たちが支配層にもどっていった。
前にも述べたが、その象徴が岸信介・佐藤栄作の兄弟であったと思います。

日本にいてよく考えたことは、日本人にとっては「社会意識の底」とでも呼ぶべき場所では未だに戦争に負けたことがトラウマになっていることで、ややびっくりするほどの「白人の人種差別支配」に対する、中国人や半島人、インド人に較べれば桁が違うほどの過剰な反応や、中国人たちの南京虐殺への言及への、跳び上がって、いてもたってもいられない、というような過敏な反発、あるいは極く最近まで続いた「英語を話す人間への敵意と嫉妬」という不思議な社会的傾向に至るまで、戦争が影をおとしている、と思うことがあった。

日本にとってやや運が悪かったのは、「戦後民主主義」という、バランスを欠いていて世界の他の民主主義からみると特殊だが、疑いもなく個々の日本人を、人間を神として崇めるという古代的な後進性を核にもつ全体主義の桎梏から解き放って明るい気持ちにさせた、自分達の魂にとっては太陽にも等しい思想が、自分達が「人間」であることすら否定する勝者の手によって犬に餌の肉を放り投げでもするように投げ与えられたという、国民としてはこれ以上ない屈辱と一緒に訪れたことだった。

さまざまなものが敗戦後60年を経て恢復された日本で、最後まで破壊されて復興されなかったものは「倫理」だった。
昨日まで「一億火の玉となって英米人に痛撃をくわえる」
「神州の大義に則って怨敵を討ち晴らす」と威勢良く述べていた支配層が、1945年8月15日というたった一日を境に、これからは民主主義の一翼を担うのだと言いだし、
アメリカ人に見られては都合が悪い箇所を黒々と墨で塗りつぶした教科書を手に、ほんの昨日まで「天皇陛下のために死ぬことがわれわれのつとめだ」と繰り返していた自分の大好きな教師が、敗戦のあと教室へもどってみると、「みなさん自由と民主主義の時代が来ました。アメリカのお友達に学びましょう」という。
天皇陛下そのひとも、昨日までは神であったはずで、仰ぎ見ることすら許さない「龍顔」をやや仰向けて崇拝の対象として君臨していたのに、「いや、わたしは人間だから、神様だったときの責任はとれないね」といって、すたすたと奥へはいってしまった。

前にも書いたが、むかしボランティアで日本から来た留学生の手伝いをしているときに、
「援助交際」という名前の売春をしたことがある日本からの留学生がびっくりするほど多かったのでなんだか非現実的な気持ちになったことがあった。
日本の女の高校生たちの「援助交際」は、英語世界でもすでに家庭の話題になるほど知られていたが、どうせマスメディアがもともと「いかれた」イメージがある日本社会について面白がって作り上げたお話だろうとたかをくくっていた。
ところが、到底売春に及ぶなどと想像もできないタイプのマジメな高校生が自分の身体を遙かに年長の男達に売り渡して金銭をうけとった惨めな経験をカウンセラーに告白する。
自分達は気が付いていないが、潜在意識のほうは、意地悪にもちゃんと記憶していて、
意識にのぼらないところで本人を責めさいなみ、まるでお前の肉体など絶対に許さないとでもいうように、さまざまな症状を引き起こして苦しめていた。

もちろん女子高校生の倫理の欠如、などという譫を言っているのではない。
高校生には「判らない」という状態はあっても倫理などありはしないのは、自分のことを考えてもわかる。
十代の人間は、ただ突き動かされるようにして生きているのであって、ただ無我夢中で荒い急速な流れをかけおりるラフティングに似ている。
高校生たちの思考にはまだ社会がおおきく浸潤している。

そうではなくて自分からみれば子供にしかみえないはずの十代の女の高校生にカネを渡して売春という精神にとって破滅的な影響を与える蹂躙を平気で行う社会のことを言っている。
個人としての性の購買者のことをすら述べているのではなくて、「援助交際」といういかにも現実に顔をそむけて軽薄な、良心というものをもちあわせない狡猾な男の表情を思い浮かべさせるような、この世界に真実などないのさ、と嘯いている声が聞こえてくるような売春の別名を思いつかせる世界に「倫理」などあるわけがないのを思って、ぞっとする、ということを言っている。

「就活」といい今度は「婚活」という。
ないごとにもマニュアルを準備して、心や思考の手前で処理しようとする。
原子炉が崩壊しているのに「直ちには健康には影響がない」という。
まるで見繕った修辞によって世界を塗り替えられるとでもいうような、ちょうど、古代ギリシャ末期の職業詭弁家たちの繁栄を許した社会を思い起こさせるような倫理の零落ぶりである。

1945年のアメリカ人の手による空からの徹底的な破壊は日本人の心のなかを最も壊滅させた。
1964年、アメリカでさえ忌み嫌われた残忍な、もうひとりのサディスト、日本人を全部焼き殺してやると公言して日本焦土爆撃に臨んだカーチス・ルメイに、日本は這いつくばって支配者の泥のついた靴をなめるひとのようにして、勲一等旭日大綬章という勲章を与えることで讃えたが、カーチスルメイが焼き尽くしたのは、火の粉で松明に変わった小さな子供の肉体であるよりは、日本人が拠ってたっていた歴史的な「内なる伝統」だった。

日本の戦後の繁栄の歴史は、見る場所を変えて眺めてみれば世界史に稀な精神の混乱の歴史であると思う。
福島事故によって、まるでやっと目覚めたひとのように、姿勢を変えて正面から、(実は1945年から、そこに放置されたままの)たくさんの問題と日本のひとが向き合うようになったのは希望であると思います。
いまの困難な作業を社会が終えたとき、そのとき初めて家庭の飾り棚で、骨董店の倉庫で、あるいはギャラリーの陳列棚のなかで、世界中のoccupied japanが音を立てて砕け散るのだと考えました。

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5 Responses to Made in Occupied Japan

  1. ppqq says:

    こんばんは(午前3時まで15分)

    (大庭さんがよく喩えられる)山本七平さんが引用したので一般にも知られる小松真一さんの『虜人日記』という本があります。小松さんはフィリピンで徴用された軍属で科学者です。その後、米軍の捕虜になりましたが、捕虜生活があまりに暇だったので、日本がWWIIに負けたのはなんでなのかという理由をあれこれ考えた記録が、この本です。

    小松さんの考えた敗因(全部で21項目あります)には、たとえば、バシー海峡(Bashi Channel)の制海権を維持できなかったから、などという理由に加えて、いくつかの思想的な原因があげられています。たとえば「文化に普遍性がないこと」です。

    これを読んで私は頭をガーンと殴られて、そのままガーンとし続けています。日本という国は、自分の国民にも、また当時占領下にあった国民にも納得がゆく「理想」をうまく構築できなかったのだということに。

    そういうことを他人に言って、真剣に共感されることは少ないのですが、当時そのように考えていた日本人がいたということを、私はちょっとうれしく思います。下記を読んで、以上のような感想をもちました(帝国臣民だったけど今はちがう国の人たちについてはまた別の話)

    > 日本人は「この世界で日本人であることの意味」を懸命に問うていった。

  2. Akira says:

    「日本国憲法はアメリカ軍が日本人の手をわしづかみにして自分の思い通りに書かせた」憲法でもって「自分達が「人間」であること」を認識させ、「解き放」たれて「明るい気持ち」になっちゃって、「アメリカ人の手による空からの徹底的な破壊」について「いや、わたしは人間だから、神様だったときの責任はとれないね」と、「止むを得ない」と言っちゃってんのを平気で見過ごす鈍感な国民とマスメディアに唖然とした次第です。

  3. Akira says:

    ガメさん
    長々すみません、加藤周一の画像を検索してたらたまたま天皇の画像が出て来ちゃったもんで、、(^^;
    もちろん、この1973年の我が国の時代背景と敗戦当時のそれを混同して議論することは意味を成さないでしょう。増してやこの天皇の発言の前後の文脈が無いので解釈も如何様に成り立つだろうけれども、敗戦当時を知る人が見たら昭和天皇の「言わされている」発言を鵜呑みにはしないと思う。「これ以上の被害を(追加の原爆を)避ける為〜我々国民を救う為に天皇は降伏を宣言」したと、、

    戦後の昭和天皇のそういう面は、彼だけに許された人徳だと我々の世代は生まれながらに感じていました。
    私の祖母は当時宮内庁に勤めていましたが、天皇が幾度も東儀 秀樹を始めとした軍人と会議を重ねていたのも間近で見ていたそうです。
    「指揮官が天皇」であることは「誰が見ても明らかであった」と言っています。彼は幸か不幸か責任から逃れることができた。当時の国民には幸福でした。

    しかしアメリカが「自分の思い通りに書かせた」憲法に於いても、例えば憲法第9条について、現代では「日本だけが戦力を放棄してどうする? 血を流さないのは欺瞞である」との議論が罷り通っている。しかし本来、世界全ての国が適用することで初めて戦争と戦力放棄が出来るという当初のウェルズの思想が根幹にあると思えば、以下のような運動をすることはには

    一抹の真実の光が有ることも事実なのではないでしょうか?

    そうした思わぬ光明をアメリカが始めから全て意図していたとは私には思えないのです。

  4. ppqqさん、

    >(大庭さんがよく喩えられる)山本七平

    あれ、わしへのイジメのつもりでやってんだけどね。

    >日本がWWIIに負けたのはなんでなのかという理由

    勝つ要因を考えるほうがたいへんなよーな(すまん)

    >当時そのように考えていた日本人がいた

    戦争ですべてを失った日本人は世界の歴史上でも珍しいくらい真剣に自分達の存在の意味を考えた国民だった。
    それが日本という国の歴史の光彩なんだと思います。
    ppqqさんの言うとおりですのい。

  5. Akiraさん、

    >鈍感な国民とマスメディアに唖然とした

    この動画があまりに面白いのでツイッタに引用した。
    びっくりした人が多いようでした。

    わしは、天皇は戦後入江侍従長たちが出版やテレビを通じて懸命につくりあげたイメージよりは遙かに西洋的な王だったと思う。この動画にも「われは帝王なり」という昭和天皇のひととなりがよく出ていると思いました。
    息子は琉球新聞を反対に抗してとりつづけて反抗したっち、いいますけど。

コメントをここに書いてね書いてね

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