本のゆくえ

かっこわるい部屋が嫌いなので、むかしから本はわしの生活の大敵だった。
数学の本ならば、(良い本であれば)それでひと夏らくにつぶれるくらい効率的だが、困ったことにわしは推理小説や怪奇小説も好きなのである。
翻訳なんて読んじゃダメよ、とあんだけブログ記事やツイッタで言ってるのだから翻訳は読まないが、と続くとわが友ナスどんなどは信じていたよーだが、それはわしのチョーえーかげんな性格のほうを忘れているからで、めんどくさいとヘーゼンと翻訳を読む。
ドイツ語のものを英語で読むくらいは自分でも許せる感じがしなくもないが、中国語を英語で読んだりする。
いけないのではないかと思うが、いけなくてもいいや、ということになっておる。

日本にいったときにはメンドクサイのでロシアの怪奇小説アンソロジーを日本語で買って読んだりしたこともある。
なんだかすごくヘンだったが、奇妙でねじけた面白さがあって病みつきになってもいいな、と思ったりした。
そーゆー極端ないいかげんさが災いして、どこにいってもおよそ「わしの家」と名がつくところには「洪水」と呼びたくなるほどの数の本が並んでいる。

わしの住んでいる家にはライブリがふたつあるが、一個はわしが寝室を改造してつくったもので本棚を自分で作って壁につくりつけた。
それ以上長いと板がクルマにはいらないという、わしっぽい理由で2.6mの高さでつくってある。板の幅は本が3列でラクショーで並べられるくらいにとってある。
棚上棚を架す、というべきか、上に本棚を継ぎ足すための木材も買ってあるが、まだ作ってはない。
いかにもライブリぽい感じの本棚ではつまらんと思って白色で塗ったら、遊びにきた妹にものすごくバカにされた。
救いを求めて日本語ツイッタで書いたら、今度はすべりひゆというむかしからのお友達に
バカにされた。
近所のおっちゃんに散歩の途中で出会ったので、本棚を白で塗ったら、バカにされた、女びとはものをはっきり言うからかなわぬ、と述べたら、頷いて聞いていたおっちゃんが「しかしライブリの本棚が白はひどいね」と、今度はしみじみとバカにされました。

悪趣味で退屈で誰にも愛されない巨大な白い本棚があるライブリは、わし専用なので、ライブリなのにベッドがおいてある。
ヘンなの、ときみは思うだろうが、どうせ白い本棚が壁一面を占めているヘンなライブリだから、ヘンでいいのです。
リムのベッドに寝転がって枕を高くして、というと日本語では違う意味になってしまうが、枕をふたつ重ねて肩を首のうしろにおいて、ずらっと並んだ本の背表紙を観ていると、なーんとなく崩れてきた石版で学者が死んだりしていたらしいくさび形文字時代の図書館のことを思い出す。
本を紙でつくる世の中になってからも落ちてきた本の角に頭をぶつけて死んだ歴史家くらいは、いそうである。

紙の本は、市場での位置、というのは、取りも直さず人間の生活のなかでの位置を変えつつある。
読書人口が減ったというが英語世界で眺めている限りでは本を買う人が減っただけで読書人口が減った、というわけでもなさそうに見えます。

日本では「大学生なら読んでおくべき本」や「ビジネスマンなら読まねばならない本」というようなベキ・ネバ本があったというが、そんな戦陣訓みたいな読み方をされる本のほうは気の毒なことであった、と思う。
本が売れなくなった理由のひとつは、「読んでおくべき本」よりも、やりたい遊び、のほうが大事であると目が覚めたせいもあるだろう。

ツイッタで、このひとはいいなあ、面白いなあ、とか、尊敬しちゃうなあ、と思う人の「フォロワー数」をみると、だいたい200くらいです。
1000くらいになると言葉使いが観客用になってきて、怪しくなる。
わしが見た範囲で言うとgameover1001などという人は、フォロワー数が1000人を越える頃から、ときどき演説をするようになって、見ていてアホみてー、と思うことがある。
一般に日本語ツイッタではフォロワーが1000を越えると言う事が「公論」になってしまって、くだらねーという感じがすることが少なくないよーだ。

世間を流通してまわって消費されているわけではない、自分の頭で丁寧につくった他人の考えを理解できるためには、その考えを以前に自前でもったことがある(考えたことがある)ひとだけであるという。
まったく自分にとっては新奇な、思いもよらなかった考え方に遭遇した場合は通常自分にとって既知のもっとも近そうな考えによって代替的に「理解」されるが、ほんとうはちっとも判ってない、というのがふつーであるよーだ。

多分すぐれた日本語の作家が書いたものを考えや情緒の原型のまま理解できているのも、そのくらいの数の読者だろう、と想像はつく。
1000、に届くのは難しいよーな気がする。

20000、というようなフォロワー数があるのは、無償でエンターテイメントを提供しているよーな人のアカウントで、たくさんのひとの公約数をめざしている点で、あるいは期せずして公約数に位置してしまっている点で、テレビのようなものであるよーにみえる。

これが英語世界になると、10万以上のフォロワー数のひとは(フォロワー数がおおきくなりやすい)実名に限らず仮名でもごろごろいるが、ツイッタの140文字制限がもたらす英語ツイッタと日本語ツイッタの性格の差のせいであろうと思われる。
本で言えばジョーク集、みたいな人が多いのね。
いまみると472万人のフォロワーがいるデミ・ムーア( https://twitter.com/#!/mrskutcher )のように、殆ど自分ひとりでE!チャンネル
http://au.eonline.com/

をやっているよーな人もいます。

考えてみると本もツイッタも情報量や情報を切り取るやりかたが違うだけで、本質において同じようなものだ、とみることも出来るだろーか。
iBooksのようなソフトウエアが出て、仮想的に、むかしの言い方で言うデスクトップパブリッシングが誰にでも簡単にやれるようになったので、発行部数300くらいを目指すような不思議な出版世界があらわれてくるかもしれません。
実際ツイッタで知り合ったビオトープガーデンの泉さんは、iBooksを見てすぐ考えたことは「テキストブックをどんどん作ろうということだった」とゆっておった。

英語世界ではインターネットの接続が高速化したばかりで、グーグルがインデックスサイトとして地歩を固めた当初は紙出版人は「雑誌はダメだが単行本はなんとか生き延びそうだ」と言い合った。
しかし、そう言っていられたのは2000年から数えてせいぜい10年であって、去年マンハッタンのパーティであった出版人のおっちゃんは、「飛び出す絵本」
http://playonwords.com/blog/2010/06/06/super-pop-up-picture-book-of-peter-pan/

で一発あてるしかねーな、とやけくそなジョーダンを言う。
投資家向けの期末報告を動画ですませる会社が多くなった。
動画とは別に文書もついてはくるが、数字も含めて動画を見ればすむようにしている会社のほうが優秀な会社が多いように見える。
一般向けの経済レポートのようなものでも動画のほうが普通になってきた。
http://www.imd.org/research/publications/wcy/World-Competitiveness-Yearbook-Results/#/wcy-2010-rankings/

第一の理由は現代の生活は忙しすぎて時間の絶対量が足りないからで、いちどきに大量の情報を送るとなると動画のほうが活字よりも単位時間の情報量が絶対的に多い。
第二は英語の普及。
大量の情報の翻訳、という手間がなくなった。

ツイッタでも、ちっとだけ述べたが、たとえば「日本の歴史についてベンキョーしてみるべ」と思っても、本を買う、という人は少なくなった。
概説にあたるところは、動画のほうが判りやすいし二時間もあればたいていのことは概観できるので、DVDのほうが簡単です。
福島第一原子力発電所事故の経過についてお温習いしようと考えたわしは、広島に落とされた原爆についてもお温習いしておくべ、と考えた。
本はメンドクサイのでBBCかなんかでドキュメンタリがあるべ、と思ってさがしたらやっぱりありました。

http://www.amazon.com/BBC-History-World-War-Hiroshima/dp/B000F4RH8Y

DVDだと12ドル(960円)なのでたっけええー、と思うかも知れないが、この右下をよく見るとアマゾンのプライムストリーミングで見ると、タダであるのが判る。
肥田医師や絹子ラスキー、エノラゲイ機長のポール・ティベッツもインタビューされて出てくる、このドキュメンタリがあまりに面白かったので、「ヒロシマ」というブログ記事を書いてしまったが
https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/01/25/ヒロシマ/

比較的質の高い情報がコンパクトな時間(2時間)で、ジムで運動しながら、ケチンボなわしにとって重要なことにはしかも無料で手に入る、ということにあらためてカンドーしてしまった。

オモロイと思うのは、むかしから「陰謀説」というのは人気があって「JFK暗殺の謎」のようなものは60年代から無数にあるが、この分野はほとんどそのまま動画に引っ越してしまった。
あるいは本にたくさんのオカネを払う習慣がないひとたちに「陰謀説」は支持される傾向があるのかもしれません。

紙本の行く末が儚くなりそーなもうひとつの理由はコストで、
もうだいぶん長くなってしまったので、いちいち例を挙げることはしないが、ちょっと読者数が少ない分野の本になると、日本では2500円くらいの本がキンドルでは800円くらいである。
自分の購買行動を考えても、最近、紙で買うのは詩集を別にすればデジタルではまだ商売にならないらしいオベンキョーの本ばかりで、いまこれを書いているときに最も最近読んだ本というと今日の朝読んだ Nassim Nicholas Taleb のThe Black Swanだが(^^)
いまみると、わしが読んだキンドル版は800円だが、Audio CD 2900 円 Hardcover1500 円で、日本語版は3780円です。

紙の本はなくなりはしないが、どんどん特殊な存在になってゆくだろう。
自分のことを考えると、わしは詩集は紙の本のほうが好きなよーだ。
あとは、のおおおおんびり読みたい本、ホメロスやプルタルコスやカエサルの書いたものは、紙のほうが気分がよろしい。
庭の木陰にでかけていって、太陽に照らされて一面輝くばかりの芝(ちょっと伸びすぎてはいるが)を見やりながら、盾を二列に並べて、そのあいだに身を潜ませながら両側から襲ってくるゲルマン人たちと激闘する古代ローマ兵たちの物語を読むには、どうしても紙のほうが良いようだ。
書籍がデジタル化されるにつれて紙の本はますます値上がりしていくだろうが、ジジイになる頃には、ぬわあに、羊皮紙に較べりゃ安いもんだぜ、と痩せ我慢をして、一冊6万円とかの本を、不機嫌を極める顔でチェックアウトの店員に差し出しているかもしれない。
そのときには、本がまたむかしの「モノとしての本」の伝統を取り戻して、息をのむような美しい革装に、ペーパーナイフでいちまいいちまい新しいページを切り開いてゆく、えもいわれない紙の良い匂いがするあの一瞬を再現してくれればいいなあ、と思うだけです。

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5 Responses to 本のゆくえ

  1. Cypraeaidae says:

    > 崩れてきた石版で学者が死んだりしていたらしい

    文字禍は中島敦の創作であるとばかり思ってました。

    • Cypraeaidaeさん、

      >文字禍は中島敦の創作であるとばかり思ってました。

      そーゆー意味の冗談です。
      このブログ記事は、パズル、古典に依拠した冗談、暗合、などに充ち満ちていますが、
      気が付いたひとは久しぶりである。

      おどろいた

      • Cypraeaidae says:

        >そーゆー意味の冗談です。

        ありゃ。そういう歴史資料があるのかと勘違いしたです。
        せっかくの暗号を日に晒して述べ立ててしまうとは
        はしたないことでありました。
        お恥ずかしい。

      • Cypraeaidaeさん、

        一部コメントがスパムに行ってしまってました。
        すみません。

        >はしたないことでありました。

        多分だれも気が付かない冗談を一生懸命文章にもぐりこませているだけなので、気が付くひとがいるだけで奇跡と思ってます

        >せっかくの暗号

        いえ、暗合は、こーゆーのと違って、さんすー。
        しかし、どーでもええんちゃうか、というわしの密かな遊びにしかすぎません。

      • Cypraeaidaeさん、

        引用されていた、わしのコメントがよく読むとエラソーだったので、最後のコメント隠しちった。
        ごみん

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