荒涼

狂っている、という言葉を使えば、すべてが終わりになってしまうような気がする。
狂気は相対的社会的なもので、全員が狂っている社会では誰もが正常だからです。
だから狂気についてなにごとかを述べるということは、自分がどこに立っているか、ということの表明でしかない。

ある居酒屋チェーンの従業員の自殺について、第一報を誰かが伝えていて、記事を見ると
「体が痛いです。体がつらいです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」という日記が引用されていた。
誰かに聞いて欲しいと考えて、SNSに記事を引用したが、すぐに削除してしまった。

その居酒屋チェーンが日本に行った初めの年から嫌いだった。
格言を引用するのが好きなひと、というのは
ちょっと謙遜するひとをみると「実るほどこうべをたれる稲穂かな」と言いますね、というようなことをすぐ言いたがるが、その居酒屋チェーンの社長は、言葉が出てくるところが、格言を手持ちのトランプのカードから選んで相手に提示してみせれば自分が相手に伝わると信じこんでいる「格言語」を話すひとびとと丁度おなじ浅さから出ていて、自分では相手を感心させる言葉を連ねているつもりなのに、客のほうは、その男の浮薄さにうんざりしてるというような、自分ではやり手のつもりでいて、その実尊大なセールスマンとあまり変わらないひとに思えたからでした。
だからブログ記事にも何度か揶揄(からか)って書いた。

そもそも「いやだな」と思ったもとになったのが「わたしたちは、誠実がモットーなんです。わたしたちの店に来ていただいてメニューのどの品物でも食べていただければ、それが真実であることがわかっていただけると思います」という発言だったので、いちど従兄弟を誘って冗談で行ってみたことがあった。
てらてらと光ったプラスティックのメニューからいくつか選んで、どの品物もたいそうプラスティックな味であるのを確認したふたりは、予想通りの結果に満足して帰って来たものだった(^^)

SNSに自殺してしまったひとの日記を引用してから、たしかまだ日本ではひとが寝静まっている時間であるのに、あっというまに居酒屋チェーンの社長について、間歇泉がふきだすように「そうだと思っていた」という意見がSNSを通してスクリーンにこぼれるように現れたので、そのとき初めて、日本のひとも「皆」がそう思っているのを知った。
へえ、と思いながら削除したのをおぼえています。
そんなにたくさんのひとが知っているのなら、書いてもしかたがない、と思ったのかもしれないし、たくさんの人間と一緒に非難の合唱をするのは嫌だな、と思ったのかもしれない、どちらだか判らないが、自分の気持ちを詮索する習慣がないので、どっちでも構いやしない、ということになっている。

ひとつだけ付け加えておきたいのは、「もういいとしなのだから、病院に行けばよかったのに、バカだな」というひとや「自分なら、そこまで追い詰められる前に会社をやめている」というひとがたくさんいたが、気づかぬうちにそれが出来ない心理状態に追い込まれてしまったから自殺してしまったので、そんなひどいいいがかりはない、と思う。

人間が、非人間的な力、個々の人間を抑圧して、知らず知らずのうちに人間の集団を人間性を破壊する巨大な装置にかえてゆく力に恵まれているのは、なんという皮肉だろう。
ナチを生んだドイツ人は、むかしから、その悪夢を思い出しては、自分達が悪魔であったかどうかをたびたび振り返って検証しなければならなかった。
フランス人の執拗な復讐心が引き起こした一連の経過の自動的な結果、とドイツ人達は考えたがったが、外に向かって言う訳にはいかなかった。
BBCでナチの歴史を繰り返さぬためにドイツ人がおこなった特別授業の様子を観たことがあったが、ひとりの女の子が突然たちあがって、
「もう、こんなのほんとうにうんざり! ナチがドイツ人だったのは判るけど、わたしはナチじゃない! わたしがユダヤ人たちを殺したわけじゃないわ!」と叫ぶ。
観たのが子供のときだったので、番組の内容はあらかた忘れてしまったが、自分よりもいくつか年が上の女の子の「怒りに燃えあがった」という表現がぴったりの透きとおるように青い目をおぼえている。

ドイツ人が帳簿までつくって綿密に丹念に殺していったのはユダヤ人たちだったが、日本人が社会としてのいまを生き延びるために殺していったのは自分達の未来だった。

いまでもフクシマについて話題がでることはある。
昨日も近所に住む建築家がやってきて、先週、道路の側に引かれた駐車禁止の黄色い線の上に駐めてあったクルマがどこから来たか知っているかと訊きにきたときにも、フクシマの話が出た。
どうやらこのひとの両親の家の近くに日本人の一家が越してきたらしい、ということからです。
「政府や学者はたいした危険ではない、と言っているみたいね」というと、そうらしいね、とつぶやいてから、自分に言い聞かせるように、おそろしいことだな、という。

医者も医学の研究者も物理学者も、知っている限りの友人たちはみな、
「安全なはずはない」というが、それ以上の詮索をしない。
実際に安全かどうかも調べないのは、自分の国の話ではないということもあるかもしれないが、どちらかと言えば、原子力を電力発電に使おうと決めたときに、それが事故を起こした場合には未来においてたくさんの人間を殺すにちがいないという予測に立つことを黙契としてスタートしたのであって、その危険を疑うような姿勢の人間には核の力は触れさせないことを常識としている。
だから会話は始まり方も終わり方も、いつも判でおしたように同じで、
「日本人たちは低放射性被曝は安全だということにしてしまったようだ」
「安全なはずがないではないか」
「ひどいな」
で終わる。
その「ひどいな」や「残酷なことだな」には、さまざまな意味合いがこめられている。

昨日、日本語インターネット上のいろいろな発言を見ていたが、もうフクシマから出た瓦礫が安全なのはいつのまにか既定の事実になっていて、瓦礫の搬入を拒むひとびとの「住民エゴ」がどこから来るのかが問題になっていた。
eメールの受信箱をあけても、日本語のメールでは「異常な事態になった」と訴えているのは医師の友達たちだけであって、それも外国に何年か住んでいた研究者に限られるようだ。
もうすぐ、放射性物質が危険だというひとをキチガイあつかいするときがくるだろう。
だがそれは、どう言い繕ってみても「あいつは自由主義者だ」という言葉が最大の憎悪を表す言葉であったむかしの日本と同じ社会があらわれたことを示しているにすぎないようにみえる。

収穫が終わったのに誰も来年の作物を育てようとしない土地は、びっくりするような速さで荒れ地になってゆく。

いまの日本は打ち捨てられた耕地にとてもよく似ている。
かつては太陽の光を争って求めるようにして空に向かって緑の葉をのばしていた輝くばかりの光景が、無惨に刈り取られて、いまはただ搾りつくされて疲弊した大地が広がっている。
一面が整列した緑だった頃には、ここにもたくさんのひそやかな声をもつ生き物たちがあつまってきた。

いまは、やってくるのは、得体の知れない知恵をもった目を光らせて不吉な声をあげて鳴くオオガラスたちだけである。

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One Response to 荒涼

  1. DoorsSaidHello says:

    たとえば私はずうっと昔、スリーマイルやチェルノブイリについて雑誌やテレビで見かけた時、人々がなぜ危険な場所から離れないのかを不思議に思った。水俣病や四日市ぜんそくのニュースを見たときも「私なら全力で引っ越しをするのになあ」と思った。思っただけで「逃げられなかったらどうなるのか」を考えなかったのは、たぶんとても怖かったからだ。つまり私は自分を守るために「逃げれば大丈夫」ということにして、「考えない」ことにしていたのだった。

    しかして、というべきか、やがて私が「逃げられない人」になる日が来た。今もって計測値を公開できないほど高い放射線量だった日に、私はそこで子どもと生活をしていた。そのことが子どもの人生をどれほど削り取ったのか、正確なことは分からない。例え世界中のどこに逃げても、子どもの身体に吸い込まれたフォールアウトが透明な焔で中からゆっくりとこんがりと柔らかな内臓を灼いていくのかと思うと、その恐ろしい想像に倒れ伏してしまいそうになる。今は立っているだけで渾身の力がいるほどだ。

    「逃げられなかったらどうなるのか」という問いに真っ向から直面できる人はおそらく少ない。立っていられないほどの恐怖に耐える方法などないからだ。恐怖に耐えながら、または恐怖に叫びながら、死ぬまで立ったり倒れたりし続けることが残りの人生だと知って、それでも正気と誇りを失わないようにするにはどうしたらいいのだろう? 成り行きにまかせて耐え続けて、耐えられなくなったら叫ぶか死ぬかするしかないのだろうか。

    恐怖に対抗するために、私は自分にできることを探した。放射能から身を守り避難する方法を探し、他のひとにも勧めた。しかしそれで被曝を帳消しにできるわけではなく、私自身の絶望や無力感に抗う方便だったことを認めなければならない。そして、よんどころない理由で汚染地帯に住む人も私と同じ恐怖に浸っている。その人達にも恐怖と闘う方便が必要だ。それが「放射能は取り除ける、共存できる程度には安全だ」という言説であったとして、それを責める資格が私にあるのだろうか? ないように思う。だから責めない。

    「放射能は安全だ」という言説が日本でまかり通っているのは、経済が人権を凌駕したからではない。汚染地以外の人が発明して、汚染地の人に押しつけているのでもない。恐怖に全身が浸され逃れることができない人が自分自身のために生み出した、「せめて立っているための」苦しい方便なのではなかったか。そしてそれは、経済のために編み出された方便であるという解釈よりももっと、総毛立つような恐怖を私に感じさせる。それは「逃れられないのだ」という恐ろしい確信が冷たい雨のように全身の毛穴から浸み込んできて、身体の芯を冷やしていくかのような感覚なのだ。

    私はこの一年、失ったものがひたすら悲しくていたが、あらゆるものを失ったのと引き替えに得られたものは何一つないし、これからも取り戻せないのだということが「放射能は安全だ」という言説の裏側を覗いたことではっきりしたような気がして、今は悲しいというより冷えた恐怖を感じている。ずっと治らない風邪を引いたかのように、背中が冷たいまま生きていくような、そんな気持ちがしている。

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