Daily Archives: February 29, 2012

日本の古典_その3 岡田隆彦

岡田隆彦は「詩を書く自分」が嫌いだったに違いない。 William Morrisについて書いているときの自分のほうが、遙かに好きだったようにおもえます。 だが岡田隆彦は頭のてっぺんから爪先まで、魂の表面から奥底まで、まるで全身に「詩」がしみ通るようにして、「詩」で全身がずぶ濡れになるようにして、詩人だった。 それも「抒情詩人」という、彼がいちばん嫌いなタイプの詩人だった。 そういう人間でなければ「ラブ・ソングに名をかりて」というような詩を書けるはずがないからです。 「 降りしきる雨の日に  あるいはまた干からびた冬の日に  私は変ってしまった  と言ってくれ  君の青白い額に唇を重ねると  唇が青くなってしまうのだ  こんなものが愛だとは  どこかの賢人さえも  僕らの所へやってきて叱咤するだろう  せめてもこの代に生れたことを喜び合って  いつものように電車に乗って帰ってくれないか  いつものように僕は手を振って君の顔を見ているだろう  君の額は悲しいし  僕の髪は長すぎる  あんなにきたないものでないので  性の話はしたくない  君と僕との小話は  不潔な根性丸出しに  アイラヴユウで始ったが  結句アイヘイチューで終らない  ぼやけたものだ  いつもの花屋に寄る気はしないが  黙って駅まで歩いていこう  それから僕は旅に出る  そこは平たい太陽が今も覆いかぶさっているだろう  砂ぼこりのたちこめるその里で  ジンとサンチマンへの抵抗力を作って  いっぱし月給取になり  自信に満ちて二等車から丸の内に降りるだろう  もう君は愛してくれないだろうから」 都会のまんなかに生まれた私立大学の学生にとって、1950年代末から60年代初頭の東京はどんなものだったろうか、という質問にこたえて義理叔父が貸してくれた本の一冊が岡田隆彦の詩集だったが、その若い男の心の定型をそのまま切り取って詩にしたような、過不足のないリズム、意識と思考を追って、意識を追い越しもせず、遅れすぎもせず、伴走というには1歩か2歩遅れ気味に、自分の意識の流れについていく詩の数々に、すっかりうっとりしてしまった。 日本語の教科書がわりに、そのまま暗記してしまったのは、言うまでもありません。 二等車、というのはいまでいうグリーン車のことだが、 「いっぱし月給取になり … Continue reading

Posted in ゲージツ, 日本と日本人 | 4 Comments