日本の古典_その3 岡田隆彦

岡田隆彦は「詩を書く自分」が嫌いだったに違いない。
William Morrisについて書いているときの自分のほうが、遙かに好きだったようにおもえます。
だが岡田隆彦は頭のてっぺんから爪先まで、魂の表面から奥底まで、まるで全身に「詩」がしみ通るようにして、「詩」で全身がずぶ濡れになるようにして、詩人だった。
それも「抒情詩人」という、彼がいちばん嫌いなタイプの詩人だった。
そういう人間でなければ「ラブ・ソングに名をかりて」というような詩を書けるはずがないからです。

「 降りしきる雨の日に
 あるいはまた干からびた冬の日に
 私は変ってしまった
 と言ってくれ
 君の青白い額に唇を重ねると
 唇が青くなってしまうのだ
 こんなものが愛だとは
 どこかの賢人さえも
 僕らの所へやってきて叱咤するだろう
 せめてもこの代に生れたことを喜び合って
 いつものように電車に乗って帰ってくれないか
 いつものように僕は手を振って君の顔を見ているだろう
 君の額は悲しいし
 僕の髪は長すぎる
 あんなにきたないものでないので
 性の話はしたくない
 君と僕との小話は
 不潔な根性丸出しに
 アイラヴユウで始ったが
 結句アイヘイチューで終らない
 ぼやけたものだ
 いつもの花屋に寄る気はしないが
 黙って駅まで歩いていこう
 それから僕は旅に出る
 そこは平たい太陽が今も覆いかぶさっているだろう
 砂ぼこりのたちこめるその里で
 ジンとサンチマンへの抵抗力を作って
 いっぱし月給取になり
 自信に満ちて二等車から丸の内に降りるだろう
 もう君は愛してくれないだろうから」

都会のまんなかに生まれた私立大学の学生にとって、1950年代末から60年代初頭の東京はどんなものだったろうか、という質問にこたえて義理叔父が貸してくれた本の一冊が岡田隆彦の詩集だったが、その若い男の心の定型をそのまま切り取って詩にしたような、過不足のないリズム、意識と思考を追って、意識を追い越しもせず、遅れすぎもせず、伴走というには1歩か2歩遅れ気味に、自分の意識の流れについていく詩の数々に、すっかりうっとりしてしまった。
日本語の教科書がわりに、そのまま暗記してしまったのは、言うまでもありません。

二等車、というのはいまでいうグリーン車のことだが、

「いっぱし月給取になり
 自信に満ちて二等車から丸の内に降りるだろう
 もう君は愛してくれないだろうから」
という詩句ほど、その頃の学生たちにとって、「社会へはいってゆく」ということが、「人間を捨てる」ということと同義であったり、「違う人間になる」ことであったりした事実を証言している言葉はないが、一方で、
「もう君は愛してくれないだろうから」
というそれだけならば陳腐にすぎる「あまったれた」言い方を、若い日々のあまくて切ない、愛おしいような表現に変えてしまう力が、岡田隆彦の才能だったのだと思う。

「愛はドブのドブ板のようにきれいなだけで
おまえとタマシイしたあとは
詩のうたの思いの 終りのあるところ美辞麗句は
いやらしく 海へびのよう
おまえの裸もおれの裸もあつく
ナッシングへと向うタマシイとタマシイ」(「死ねない光」)

言っていることとは反対に、岡田隆彦がひそかに所持していた日本語にかかっては、性愛ですら、まったく純愛の一部なのだということが自明のことになってしまう(^^)

岡田隆彦は、どこまでも都会のひとだった。

「飛んだ調子 荒れた粒子の映像
見えない非情と抒情の街
あそこにわれらの凄惨な女  荒れた唇
死ぬまでとほうもなく都会のなかで
病のように
暮らしつづけるわれらの男  荒れた心
われらは容れものを空にして
男と女に逢いにいく
われらは吃りながら
別れを告げ
ある時は煙草に火をつけ
帰途につくのだが」(「われらの力」)

「どうしてたやすく 裏切りあい 信頼しあい
傷つけあうことができようか
おれたちは今日の昼食から
なにかを創りはじめなければならない
おまえからもらう手紙には かならず
どこかに判じがたい文字 無視
訊きそこない 言いそこない わだかまる
おまえとは いつか 別れて
ふたたび共にしなくなるまで
どんな些細なことにおいても
憎みあえようか」 (「われらの力」)

「電話ボクスでいら立つわれらの男は
いつか 相手と別れるだろう
かれも おまえも おれも
ひとつの難路でさえも あるならば
人らしく惨憺となっていきながら
鋭意にさがし求めようとするだろう」(「われらの力」)

「きみは女を不満のまま残して
家に帰り自瀆する
きみは自分の腐敗について
多言な考えをめぐらし
やがて眠りに就く
ぼくは今日もスケジュールをたずさえて
行く処へ出かけていく」 (「予定」)

やがて結婚する「史乃」という名前の女のひとのために、あるいは史乃という女びとただひとりのために書いているのだと自分を仮構することによって、岡田隆彦は、このあと、膨大な数のラブソングを書き残してゆく。

「孤独なオーケストラのように
きちがいじみて破裂し
おまえはおまえなのかおれなのか
じぶんの柔い唇にふれても
おれのものだと思えない」(「ひとりの女にささげる恋歌」)

「史乃命」という、すごい名前の詩集さえあります(^^)

まるで「モニと一緒にいること」というヘンタイみたいなブログ記事を書いた、ガメ・オベールのような人である。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/07/モニと一緒にいるということ/

岡田隆彦は美術教師を職業にしていた。
美術世界の人に訊くと、案外たくさんの人が岡田隆彦を直截しっていたよーである。
わしは退屈な人間なので「素晴らしい人だったのでしょうね?」というような極くありきたりの質問をする。
そうすると英語で話すことを強いられているせいかもしれないが、一瞬、沈黙して、
「ええ、でも気むずかしい、いつも機嫌が悪いひとでした」というような返事が返ってくることが多かった。
あきらかに岡田隆彦と会うのを敬遠して過ごしていた、というひとにも会った。

どうやら結婚したころから、岡田隆彦の内なる「早熟な少年」が叛乱を始めて、詩人には制圧をまっとうすることが難しくなっていったよーでもある。

岡田隆彦は、やがて、膨大な数のラブソングを書き送った相手の史乃というひとと別れて、離婚してしまう。
離婚が詩人に与えた影響は周囲が自殺を真剣に警戒しなければならなかったほどのもので、教員をしていた大学にも行かず、ホテル・ニューオータニの一室に、まるまる木箱ひとつのサントリーの角瓶ウイスキーとともに閉じこもって、友人にも会わず、何日もすごしていた、と証言するひとに会ったことがある。

詩の中心が、その女びとであることを知っていたので、史乃さんというひとは、どんなひとだったんですか?と訊きたかったが、まさかそんな詮索がすぎる失礼なことは訊けないので、史乃というひとを直截しっているひとにあうたびに、話が出ないかなあー、と心待ちにしたが、
あんまりここに書きたくはない短い否定的なコメントのほかには、誰も何も言ってくれなかった。

大股びらきに堪えてさまよえ、という次に挙げる詩は、うちなる「早熟な少年」をねじ伏せて自分を破壊しないまま生きていこうとした岡田隆彦の決心が、そのまま顕れている。

「道を急ぐことはない。
あやまちを怖れる者はつねにほろびる。
明日をおびやかすその価値は幻影だ。
風を影に凍てつかせるなら 俗悪さにひるみ
道を急ぐことはない。
けれども垂直に現実とまじわるがいい。
厳粛な大股びらきに堪えて
非在の荒野をさまよいつづけろ。
せっかちに薔薇を求めて安くあがるな。
秘匿されるべきものの現前に立ちあい
引き裂かれる樹木の股に堪えて涙なく
こだまする胸の痛みが
深まるにまかせよう。そして、
あの孤独の深淵をひとり降りてゆく。
死の河だから進むことができる。
堪えてすべてを失ったなら 語るな。
蒼穹のごとき沈黙に飛ぶ鳥を見よ。
求める約束にみずからあざむかれ
道を急ぐことはない。」

詩や文学を専門にするひとは、この頃の詩には岡田隆彦が前には使わなかった句点がすべての文にうたれていることに注目すべきだが、そんなことは、ブログ記事ではどうでもいいだろう。

いまは、どうなさっているのですか?
と、訊くわしに、パーティの席で出会った、きらびやかな服を着た日本人の女のひとは、
流暢な英語で、「おや、亡くなったのをご存じではありませんでしたか? 二度目の奥さんとのあいだがうまくいかなくて、とても機嫌が悪いひとでした。わたしなどは、あなた、こわくて近寄れませんでしたのよ。でも、どうして、あなたはお若いのに、あの方に興味がおありになるの?あのかたのウイリアム・モリスの本は英語に訳されていたかしら?」
という。

そのまま、藤沢のほうに住んでいたよーだ、とか、なんだかいろいろなことを述べていたようだったが、もうわしの耳にははいっていなかった。
1939年に生まれた詩人なのだから、死んでいて少しも不思議はないが、なんだかまだ生きているに決まっていると決めていたのは、詩人の日本語が近しいものだったからでしょう。

わしは、その晩、家に帰ってから、頭のなかの「岡田隆彦詩集」をひっくりかえしていたが、どうしてもひとつの詩句にばかり日本語がもどってゆくのに困った。
それは、詩人が長かった頂点の終わりの頃に書いた詩の一部です。
いま初めて気が付いたが、その短い詩句にも句点がついている。
岡田隆彦が言い切りたかったものの正体に触れるようで、なんだか、ちょっと涙ぐんでしまうような気がしました。

「悪い孤独に
涙なし。」

なんという人生を送ったひとだろう。

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4 Responses to 日本の古典_その3 岡田隆彦

  1. m.le cap says:

    急なご連絡にて失礼します。岡田隆彦先生についての、エッセイ楽しく、切なく拝読いたしました。藝術の生活化や、詩集から、あのように先生へ思いを巡らされたこと、先生も秘かに喜んでいらっしゃる気がします。
    大変良く先生の作品をご存知のようなので一つお伺いしたいことがあります。「シエスタ」という詩が、どの詩集に収録されているか、もしご存知でしたら、ご教示頂けますでしょうか。厚かましいお願いですが、何卒宜しくお願いいたします。

    • m.le capさん、

      >厚かましいお願いですが、何卒宜しくお願いいたします。

      わしは「教えて君」をするのが好き(^^)でも、されるのは嫌いですが、お訪ねのことはインターネット等で簡単に調べて判るようなことではないので「厚かましい」とは思いません。

      >「シエスタ」という詩が、どの詩集に収録されているか、もしご存知でしたら、ご教示頂けますでしょうか

      いますぐに手元にあって確かめられる、「零へ」「わが瞳」「何によって」「生きる歓び」と現代詩文庫を見てみましたが、どれにもありません。
      「朱の裸体」ちゃったかなあー、と思いますが、まだ詩集が箱のなかなので判りません。
      万が一やる気を出して残りの開けていない箱を開けることがあったら、そして、そのなかに埋もれている詩集に「シエスタ」が入っていたら
      頂いたeメールアカウントに連絡いたします。
      役に立てなくてもうしわけねっす

      ガメ

      • m.le cap says:

        お返事ありがとうございました。
        幸運を信じて、箱を開けられる日を待ちつつ、自分でもコソコソ探してみます。重ねてお礼申し上げます。

  2. 革命詩人 says:

    岡田隆彦はすげー詩人ですよね。
    こいつの詩を読んで詩と言うものは最高の芸術だと分かりました。

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