Daily Archives: March 3, 2012

友だち

付き合う友達は年を取れば変わってゆく。 それでは寂しいではないか、と思うが、現実の問題としてはどうもそういうものであるらしい。 わしは友達が「変わる」のではなくて、少しずつ増えてゆくだけだが、それはどうやら、わしがそもそもあんまり友達というものと会わないからであるよーだ。 考えてみれば当たり前で、人間は成長してゆくのだから、かつては波長が合った友達を追い越してしまうこともあるだろう。 逆に、友達のほうが人間的に成長して、自分を追い越してゆくこともあるに違いない。 子供のときからの友達、というのを考えてみると、このブログに名前が出てくる人で言えば従兄弟がそうであるし、デブP、というひどい名前で出てくる友達がそうである。 従兄弟とは、義理叔父によれば、まだ四つん這いになって這い回っている頃からふたりでオイチョカブを始めそうなくらい仲が良かったというし、デブP抜きでは、なつかしいバカガキ時代、忍び込んだ農場で豚においかけまわされたり、駝鳥に蹴り殺されそうになったあの黄金時代を思い出すことができない。 友達というものは、一面、迷惑をおしつけるために存在する。 わしは、そんなことはおぼえてなくて、デブPや従兄弟のでっちあげだと思うが、ふたりとも(多分しめしあわせて)、わしが20代前半まではいかに酷いやつだったか力説する。 3人で料理屋に行く、さんざん飲み食いして、帰るときになると、レジに誰もいない。 「すみませーん」 「ハロオオオー」としばらくゆって、誰も出てこないと、わしは「ラッキー」と呟いてレストランをあとにしたりしたという。 サービスも悪ければ食べ物もおいしくない店で、店主に「こんなんでカネをとるのは間違っておる。わしは払いたくないから払わない」とゆって、従兄弟を周章てさせたことがあるという。 どっちもおぼえてない。 作り話だと思います。 自分でゆっていれば世話はないが、わしはチョー短気である。 実際には、あんまり暴力をふるわないが、怒り出すと「絶対、殺される」と思うとみながいう。落雷みたいなもの、だそうだ。 表情が変わらないまま、ここに書けないような怒り方をするので「シロクマ」と言われたこともある。 そのうえにやくざみたいなものが嫌いなのでパブにやくざが居たりすると、そばにいると危なくてしようがない。 これもおぼえてないが、カネを貸してくれ、ということはないが、カネをくれ、ということはあったという。 なんで?というと、「カネがないからだよ」といったそーである。 何に使うのか?と聞くと、「友達というものは、そういうことを聞かないものだというぞ」とゆってえばっている。 もっていったカネがかえってきたことはないというが、これも、全部作り話だと思います。 わしは友達をつくりたいと願ったこともなければ、誰か特定の人間と友達になりたいと思ったこともないが、義理叔父の友達の話を聞いて、うらやましいと思ったことはあります。 義理叔父が夏をすごす軽井沢の家の窓際のカウチでうとうとしていると、もう絶交した友達が窓から覗いている。 こんなところで、何をやっているんだ、と訊くと、 いや近くまで来たから、センセイはどうしているだろうと思ってね、という。 義理叔父とこのひとは、義理叔父の仕事を通じての友達であって、聞いていると不思議な関係です。 義理叔父は「幕末」とか「維新」とか聞くと、それだけでげんなりするほうだが、このひとは「新撰組」が大好きで、「滅びの美学」なんという言葉を使ってしまうタイプのひとだった。 仕事ひとつとっても、義理叔父は日本の伝統的なやりかたが嫌いで、小回りが出来るタスクフォースをつくって、ミーティングも座ってやらないほどだったが、このひとは局長部長課長と並べて担当役員を座らせて伝統的な会議を積み重ねるのがよい、というやりかただった。 机の上に「既決」「未決」と書いた箱をおいて仕事をしたりするので、訪ねてきた義理叔父に「あんたは、いったい何時代のサラリーマンなんだ」と揶揄かわれていたりしたもののよーである。 それまでは仕事のつきあいと言っても、違う会社同士、情報を交換する程度のつきあいだったのが、あるとき一緒に仕事をするようになった。 アメリカの会社も提携しての話だったが、それが原因でこじれてしまった。 義理叔父が、いやそれはアメリカの会社の標準的な考えだから、と説明しようとしてもガンとして受け容れようとしない。 「ぼくは日本人だから」と言い出す。 「アメリカ人がどう考えたって、ぼくには関係がない」 「向こうさんに、日本のまともな会社っていうのは、そんなふうに考えないんだ、と説明してください」 そういうことから始まって、事業がようやく形をなしてうまく行って暫くしたある日、とうとう絶交することになったようでした。 義理叔父は、「あんな頑迷でものが理解できないやつは後にも先にもあいつだけだったよ」という。 そのうち、相手に義理叔父の悪口をふきこむ人間も出てきて、義理叔父は嫌気がさしてプロジェクトそのものから降りてしまった。 … Continue reading

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