20年

初めてやってきた頃のニュージーランドは、「不思議の国」そのものだった。
わしは6歳か7歳か、そんなものだったはずである。
クライストチャーチの、今度の地震で解体が決まったカセドラル(大聖堂)に近いミルクバーに連れて行ってもらったらミルクシェイクが錫のカップにはいって出てきたのをおぼえている。
「ミルクバー」というものそのものが、もうイギリスでは田舎に行かないとなかったが、錫のカップで出てくるミルクシェイクにいたっては、じーちゃんやばーちゃんの思い出話にしかでてこないはずだったもので、ぶっくらこいてしまった。
ダウンタウンを歩いて行くと、20年前のその頃は、「肥っている人」というのが皆無で、ものすごく健康そうな薔薇色の頬をした、なんでこんなに美人が多いんだ、というくらい綺麗なおねーさんばかりがいっぱい歩いて、しかもファッションも決まっていて、ロンドンなどよりよほどかっこよかったが、しかし、その最新ファッションで決めたおねーさんたちが、自分のばーちゃんの世代の英語で話している(^^;)

パンクなかっこうで、髪の毛が緑色にきまっているおねーさんが、
「ヒサヨさんや、あんたも、明日の麻薬パーティには、おいでになるのかね?」というような調子で話しているので、なんだかおもしろすぎる、というか、SFみたいというか、強烈に不思議な印象をガキわしに与えたものだった。

同世代のガキどもは無暗に親切であって、一応しつけが厳しいことになっているロンドンの学校の百倍くらいお行儀がよく、横断歩道で待っていてクルマが止まると、「ありがとう」「さんきゅー」と言って、みなでいっせいに運転手に笑いかけながら、手をふって挨拶する。
あまりに礼儀正しいので腰がぬけるかと思いました。

いまでもまだおぼえているが、いまの3分の1の大きさしかなかったノースランド・モール
http://www.northlands.co.nz/
で、かーちゃんの買い物に付き合っていたらお腹がすいたので、カフェでサンドイッチを食べることにした。
いまとは違って、その頃はイギリスも食べ物が無茶苦茶まずい店が多かったが、それだけはイギリス譲りというか、冷たくなったコロッケの骸のようなコロッケだとか、干からびてミイラ化しつつあるソーセージーロール、崩れて崩壊しかけたステーキパイというものすごい面子のケースを見ていくと、すさまじいパイの面々よりは、なんとか食べられそうなサンドイッチのみなさんがいて、どれにしようかなあー、と思ってみていたら、「マスタードサンドイッチ」というのがある。
「ハム&マスタード」というのは聞いたことがあるが、マスタードサンドイッチというのは聞いたことがなかったので、おばちゃんに、これはマスタードと何がはいったサンドイッチですか?と聞くと、おばちゃんは、にこにこしながら、マスタードだけ、という。
わしは、すべてを悟って、うーむ、すごい国に来てしまった、と思いながらジンジャービアとハムサンドイッチを買った。

クライストチャーチにはマクドナルドがたしか一軒しかなくてリカトンにあったと思う。
まったく人気がなくて、わしと同じ世代の子供がみな敵意むきだしで、「あれは毒を売っている店だ」というのを聞いて、ロンドンではかーちゃんととーちゃんが発した禁令を冒して、小銭を握りしめて、ヤクを買いに行く子供のようにひそひそとマクドナルドに ビッグマックを買いに行く悪い習慣をもっていたわしは、ぬわるほど、というような顔をしながら、内心、げげげ、と考えたりした。
この国ではマクドナルドでハンバーガーを買ったりするとタイホされのではなかろーか。

しばらくして慣れてみると、ちょっと見たよりもクライストチャーチという町は、もっとものすごくヘンなところで、オトナは誰も彼も狂ったようにスポーツをする。
肥った人間が見当たらないのは当たり前で、いいとしこいたオトナが平日の夜中の12時過ぎまでスクォッシュやテニスに狂っている。

一方でサムナーの洞窟を探検に行くと、なんだかゴムの膜が張った輪っかのようなものがいっぱい落っこちているのであって、拾い上げようとする妹を制して、賢明にも毒物が付着しているかもしれないと判断したわしは、それとなくそれが何であるか、図書館で研究した。
すると驚くべし、それはなんらかの理由によってオトナの男がち○ちんにかぶせるものであって、なんでそんなヘンな帽子が必要なのかちゃんとはわからなかったが、やはり妹が指で触っていいようなものではなさそーであった。

わしは、隠そうとしても、色には出にけり、ものすごく賢い子供だったのでウイットコルという東販がそのまま直営の小売チェーンを展開しているような本屋の店頭に立つだけで、社会の問題も知っていたと思う。
アルコール中毒についての本が何種類も平積みになっていたからで、このあと、12歳くらいになると、わしの頭のなかでは、毎日退屈を極めて、酒を飲み、セッ○スに狂い、スポーツに明け暮れるニュージーランド人像ができあがってくる。

スタートレックのテレビシリーズの第一話は、連邦刑務所に主人公が服役しているところから始まるが、ドラマのなかではニュージーランド全体が刑務所になっている(^^)
考えてみれば、これは名案で、いちばん近い隣国であるオーストラリアまで、2000kmあるので、超人ハルクが泳いでいっても途中で溺れそうです。
忍者ハットリが水面を歩いて行っても、5分の1もいかないあいだに行き倒れになるであろう。

ニュージーランドという国の第一の特徴は、「外界から隔絶した国」であることで、英語世界のなかでは、「なにもかもが特殊な国」で有名だった。
ニュージーランド人は、一生に一回、数年に及ぶ大旅行にでかける人が多いので有名だったが、それは「現実の世界がどんなところか見てくる」という意味合いが強かった。

距離が離れているせいで情報も隔絶していたので、ものの値段などはデタラメ、といいたくなる付け方が多かった。
日本から来た中古車が多かったが、たいてい距離計が巻き戻してある中古車は、日本では30万円くらいの中古車で100万円くらいする。
コンピュータは、最悪で、アメリカの3倍くらいする上に、たとえばハーヴィイ・ノーマンのようなシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドにまたがるチェーン店は、まずシンガポールに最新機種を出して、それで売れ残るとオーストラリア、そこでまた売れ残るとニュージーランドに持ってくる、というようにしているように見えた。
見えた、というのは、夏にニュージーランドにいるあいだにはシンガポール、オーストラリアに年がら年中、買い物に付き合わされたわしが見たかんそーです。
だから、ほんとうは古い機種しか売れない、というだけだったのかもしれないが、
わしはいまでも、ニュージーランド人のひとの良さにつけこんで在庫調整をしていたのではないかと疑っておる。

本がぶわっか高いのも特徴で、恥知らずにも、と言いたいが、ポンドとカナダドルで裏表紙に価格が書いてあるのに、平気で3倍くらいの値段をつけてあった。

ふつーの人間は為替レートなど知らないので、それにつけこんだものであると思われた。

なにもかもが変わったのは、インターネットが普及するようになってからで、接続はいまでも遅くて、先進国でも後ろから数えたほうがずっとはやいが、ダイアルアップの頃からニュージーランド人はインターネットに熱中する人が多かった。
けちんぼが揃ったニュージーランド人のことなので、まず初めに見るようになったのは「ものの値段」であって、アメリカやイギリスで、何がいくらで売られているか全部ばれたので、社会を挙げてえらいことになったのをおぼえている。

その頃は、ふつーに店頭で、だって、これアメリカではXXドルではないか、いくらロジスティックにコストがかかるからって、値段が無茶苦茶でねーの、と言うひとをみかけた。
効果は劇的で、わしが中学校の頃になると、それまではイギリスで買ったコンピュータをニュージーランドにもって来ていたが、その必要がなくなって、たとえばその頃進出してきたデルは「世界同一価格戦略」だとかで、一年前に較べるとほとんどPCの値段を半分にした。

わしがニュージーランドにアメリカやイギリスで買ったコンピュータを送るのをやめて、
初めて、ニュージーランドでヒューレットパッカードのパヴィリオンを買ったのが、丁度、この頃、1997年だったと思います。

一方で、「指輪物語」や「ラストサムライ」くらいから始まって、次々に映画の舞台になったのとあいまって、インターネットで世界と接続されたニュージーランドは、1999年くらいから、ものすごい速度で変わってゆく。
簡単に言えば、その変化は「ニュージーランドという鬼界ヶ島」から英語世界の一部になってゆく変化であって、町の風景ですら、Westfieldのモールがそこここにあり、サブウエイサンドイッチやバーガーキングが軒を並べる、英語世界ならどこにでもある、ふつーの街並みになっていった。

イギリスとニュージーランドを往復して暮らしていたわしに最も目に付いた変化のひとつは「英語の発音」で、アクセントがかなりアメリカ風に変わっている。
イギリス人のアクセントの変化よりも、遙かに速い変化であるよーで、おもろいなあーと思ってわしは眺めています。
もうひとつの重大な変化は、1996年から3年間オーストラリアとニュージーランドで吹き荒れたポーリン・ハンソンとウインストン・ピータースの「反アジア人運動」を最期に人種差別が消滅していったことで、やはりこれも、インターネットを通じて、イギリス人やアメリカ人たち、あるいはカナダ人たちと直截話すようになったことの結果であるようでした。

わしの凍死家友達は、もうニュージーランドがむかしの良くも悪くも世界から隔絶したニュージーランドに戻ることはないだろう、と述べながら、
「誰かが岩をもちあげて、どけてみて、ほら、ここに『ニュージーランドがある』、と見つけてしまったんだよ」と言って、むかしの、ド田舎どころか、タイムマシンに乗ってたどりつくような質朴な場所だったニュージーランドを懐かしむわしを慰める。

オカネなんかいらないのよ、が国是であって、実際、たとえばイギリスで博士号をとって仕事なんか金輪際したくないナマケモノがごろごろいて、職業にもつかずにりんごを拾ったり、大通りでバンドをやって投げ銭で楽に生活できていたニュージーランドも、たとえばオークランドで言えば、ニュージーランドらしいのんびりした生活をするに十分な家を名前が良い通りや地区に買おうと思えば一億円は要るようになってしまった。
ちょっと大きな2000㎡くらいの敷地の家になれば3億円はする。
オカネにこだわっていえば、15年前は、3000万円もあればよかったので。統計の魔法を退ければ、「良い名前の住宅地」に限ると、家の値段は3倍以上になっていることになる。

むかしは、不動産価格が実質に較べて安いので有名なロス・アンジェルスの友達が、ニュージーランドにやってくると「この家がこんなに安いはずはない。間違ってるんちゃうか?」と言っていたのが、逆に、ニュージーランドはなんであんなに家が高いんだ、というように変わった。

あれほど国にとって問題であると思われた「他の世界への物理的距離」が逆に、とりわけオカネモチ達には魅力になって、アメリカや欧州のオカネモチ達が、たくさん家を買うようになった。
夏のタウポのインド料理屋にでかけると、客の半分がすげーアメリカ訛りの別荘客だったりする。

たった20年で、「ビンボなばーちゃんじみた国」だったニュージーランドは、英語世界の部分として妙に忙しい国に変わってしまった。
ガキンチョの頃、妹とふたりで、ひょえええー、目が回る、とゆっていたテンポのはやい、毎日お祭りをしているような国だった日本は、いまは静かで、なんだか、荒んだ、沈鬱な表情の国に変わっている。

20年という時間は、ふたつの国の印象を、まるごとひっくり返してしまうほど長い時間なのだなあー、と改めて思います。

(画像はスペインの田舎にある金鉱の跡。露天堀り金鉱なので山の形がヘン)

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