だし入りの日々

句点も読点もない、とりとめのないガキわし時代、90年代の初めのクライストチャーチにも、「寿司チェーン」はあった。Sushi Expressとかなんとか、そーゆー名前だったと思います。
寿司チェーンとゆっても、いまのようにあそこにもここにもある、というふうではなくて、たしか2軒だったと思う。
もしかするとサウスシティモールの一軒だけだったかもしれません。
クライストチャーチでは珍しかった「魚屋」の隣にあって、その頃は街中にあふれかえるようにいた日本人の学生たちがパートタイムで寿司を握っていた。
いま考えてみると、大型の俵型おにぎりにサーモンがへばりついているようなヘンテコな寿司であって、ホースラディッシュの味がするわさびが魚片とご飯のあいだに多くぬりつけすぎた接着剤の趣ではみ出していた。

わしが照り焼きチキンの寿司おいしーかなあー、と思って妹とふたりで眺めていたら、杖をついたデブイおばちゃんが歩いてきて、昨日、ここで寿司を買ったのだけれど、結局、どうやって料理すればいいか判らなかった。オーブンを使ったりフライパンで焼いてみたりしたけど、あんまりおいしくなかった。マイクロウエーブで料理するべきだったのかもしれないと考えたけれど、主人と相談して、あなたがたにお訊きするのがいちばんよいだろうと言うことになったので、こうして伺っています。
寿司って、どう料理するのがいちばんよいのでしょうか?

おばちゃんには、魚をナマで食べるというような恐ろしい風習がこの世界にあるとはおもいつかなかったようで、はきはきとして感じのよい日本の若い女びとが、笑いもせず、サーモンでしたら、小皿に醤油をいれて、それにつけて食べるといいですよ、というと、
おばちゃんは、いまにもこけそうにしておった。

その頃は、イギリスにも日本人たちが行く超高級日本料理店以外は、ふつーな鮨はなかった。イギリスが自分以外の世界を受容すべく激しく変化しだしたのは目に見える形では世紀が変わってからのことで、
シティを中心に長い伝統の紅茶店に変わってコーヒー店があらわれだしたのと軌を一にしている。
まだ日本でいえばビジネスホテルということになるのかも知れない、あとでGranadaに買収された、Forteの本店でも、ポットに入ってコージーを被せられたマジメな、素晴らしい味で香りの高い紅茶が飲めた頃で、社会全体がいまに較べてずっとばーちゃんじみていた。
その頃はニュージーランドは、ニューヨークの流行から5年、ロンドンの流行から3年、シドニーから1年遅れて流行がやってくる、と言われていた頃だったから、鮨の食べ方どころか、じーちゃんやばーちゃんたちのなかには「スパゲティを食べたことがない」というひともたくさんいた。
「フォークにスパゲティを巻き付ける」ということに考えが及ばずに、スパゲティをフィデウのようにナイフとフォークで小さく小さく切ってフォークで食べるひとがたくさんいた頃です。

いま見ると、もう閉店してしまっているが、その頃はニュージーランドでまともな鮨が食べたければオークランドまで飛行機ででかけて「有明」という成田貨物航空が経営している店
http://www.menumania.co.nz/restaurants/ariake-japanese-restaurant
に行くしかなかった。
毎朝、本業を活かして空輸される築地の魚を使った本格的な鮨を出すので有名な店で、
ガキわしは日本料理が特に好きでなかったし、第一魚が嫌いだったが、かーちゃんの教育方針で、ときどきレバノン料理や、トルコ料理、ウクライナ料理、というようなエスニック料理につれていかれた一環で、あるいは、かーちゃんが秘かに鮨が好きだったかなんかで、わしも行ったことがある。
いまとは反対でクライストチャーチからであるとメルボルンに行く方がオークランドに行くよりずっと安かったので、メルボルンの日本料理屋にいけばいいのに、そーすればあっちにはあの天国の食べ物のようにうまいハンバーガー屋もあるのになあー、と思ったが、行儀よくしないと嫌われてしまうので、そういう気持ちはおくびにも出さなかった。
おとなしくして、遠くから中国人家族たちの大声が聞こえてくるテーブルに腰掛けていると、ポーションが小さくて色彩が綺麗な料理の皿が次々に並んでゆく。
なにがおいしい日本料理でなにがおいしくないのか判らない頃だったが、見た目がプロっぽいことはガキわしにも見当がついた。

その次はサーファーズパラダイスで、わしらの監視役のおばちゃんと妹とわしと3人で昼ご飯を外で食べてよいことになったが、まともなレストランはどこもひとでいっぱいで、並ぶのがいやだったわしらは、黄色い看板が出ている回転寿司の店に行った。
コンベヤに載ってゆっくりくるくるまわる鮨になんだか黒いものがくっついていて、動いている。よく見るとハエさんで、見ていると豪州人のおばちゃんが、手でさっさとハエを追い払って鮨を口に運んでおる(^^)
そのうちにカスタードプディングがまわってくると、これには黒々とてんこ盛りでハエがたかっている。
妹とわしは、じっとお互いを見つめ合って、二度と寿司はやめるべな、と固い暗黙の誓いを交わしたものだった。

世紀が変わって、英語圏ではどこでも多文化社会化がすすむと、様相はいっぺんして、日本食はブームになった。

ニュージーランドでも
St Pierre’s Sushi
http://www.stpierres.co.nz/

という全然訳が判らない名前の寿司チェーンが大繁栄を遂げています。

欧州からニュージーランドへ行く途中で、何日か過ごすことにしていた東京で、楽しみは銀座の天ぷら屋で天丼を食べることだった。
天一本店で天丼を食べて、夜は、有楽町のガード下で焼き鳥を食べるのが楽しみだった。
「日本では狂牛病の問題がちゃんと解決していないから牛肉を食べてはいけません」という妹のお達しを秘かに破って抜けて、築地のスエヒロ本店ですき焼きを食べた。
岡半や卯月のようなところは、霜降りという、脂が多すぎて、好みにあわなかったからです。

うなぎや蕎麦もおもしろがって食べたが、そんなに好きなわけではなかった。
醤油というものが、あんまり好きでなかったのが決定的で、いちばん酷かったときは東京の通りに立っていてもあちこちから醤油の臭いがして、街中にたちこめているような気がした。

でも須田町の松屋や浅草の大黒の天丼、梅田の地下のタコ焼き、三宮の地元のひとはやはり「タコ焼き」と呼ぶらしい明石焼き(オムレツボール)、銀座の飛竜頭、マツヤデパートメントストアの裏の小さな店のマスの照り焼き、白髪ネギを浮かべた鶏のスープ、
西洋の医者はコレステロールがたまりまくって、ぶよぶよになったおっちゃんやおばちゃんが患者になってくると、「死にたくなかったら、日本人が食べるものを食べなさい」という、
いまの自分のバターどっちゃり、肉ばっかし、朝から酒のみほーだい、夜中にチョコレートサンドイッチをむさぼりくう食生活から考えて予想される40代以降の高脂血症時代に日本料理の楽しみはとっておけばいいや、と考えて、日本に滞在したときですら、上に挙げた程度で他はほとんど試してみないでいたら、フクシマの日が来てしまった。
その上に、いったいなにをどう考えたらそれでいいと思う事になるのか、日本の過半のひとがうなづいて放射性物質は東北という地方を越えて日本中に蔓延することになった。
いったい、どういうひとがどういう考えで、「瓦礫をひきうけるのは国民の当然の義務だ」と言っているのかと思って観てみると、本人は関東から沖縄に引っ越して、沖縄でも日本人の義務として東北人を助けるために瓦礫をひきうけるべきだ、などと本土人らしい理屈を述べている。
こんなひとを「田舎暮らし」ブームだかなんだかで受け容れてしまった沖縄人こそ「良い面の皮」であると思う。

さっきの St Pierre’s Sushiも、リンクをひくついでにちょっと読むと「日本の材料を使っている」と恐ろしいことが書いてあるが、世界中どこに行っても、少なくともわしは日本料理は食べる気がしなくなってしまった。
いくら安全だと言い聞かされても、食べ物ごときでロシアンルーレットの引き金をひくバカはいない、と思う。

せめても、そのうちには、豪州産のコシヒカリでご飯を炊いて、自分で沖にでかけて釣った鯛や鰺をまだ箱を開けたこともない築地の有次で買った刺身包丁で刺身にして、モニと日本をなつかしむべかしら、と思うのです。

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