夕方になると、河の向こうの空一面が真っ赤になっている。
夕陽そっくりの色だが、方角が違う。
繁華街全体が燃え上がっているのです。
雪が降って、急に雪が降り出して、画面で見ていても冷たい水のなかを人が、あるいは人の身体が、流れて行く。
河と見えたものは、河というよりも、そこにあった川に沿って広がった津波で、水が真っ黒で、その濁流のなかに町であったものの残骸が、無惨な感じのする平衡の失い方で、あるいはゆっくりと回転し、あるいは部分に崩壊しながら、流れて行く。

フランス人のJが、「地獄だ」と一言言って呻いている。
テレビを囲んで、目をそらしたいのにそらせないで、魅入られたように画面を見つめている顔は、みな目を真っ赤にして、鼻を赤くして、啜り泣いている。
同情よりは恐怖の感情だと思います。

わしはラウンジのテレビから離れた一画にある柱に凭れて、呆然として画面を見ていた。
「Japan’s Tsunami Caught On Camera」
http://tvnz.co.nz/japans-tsunami-caught-on-camera/japan-s-4764393

という番組で、フランス人たちが「日本の津波の番組をやっているぞ」と呼びに来てくれたときは、もう番組の後半だった。
いまオンデマンドでもう一度観ようと思ったら、アーカイブにはいっていないので多分BBCかどこかの番組でしょう。
幸いなことに、と言ってもいいと思うが、モニはもう寝室で眠っていた。
恐ろしい光景を観ないですんだ。

クルマに乗って渋滞に巻き込まれていた人が、バックミラーに映る膨張する水に気が付いてビデオを撮り始める。
「道路が海に近いところをはしっている、という意識もなかったんです」と、医療品の営業社員であるらしいドライバーがインタビューで話している。
「気が付いてから、ほんの数十秒だったと思います」
ビデオがクルマの横からするすると伸びてくる「黒い水」を捉えている。
右斜め前のクルマが、車線を強引に変えようとして諦めて止まる。
撮影している人の直前のクルマのドアが開いて、中年の男が徒歩で逃げて行く。
急に立ち止まって、クルマに戻ると、開けっ放しだったドアを閉めてゆく奇妙な判断が、いかにも内心の焦慮をあらわしている。

数秒、というあいだにみるみるうちに水かさは増して、クルマが浮き始める。
流しのなかのコルクかなにかのようにクルマは浮いて、無尽蔵な量の感じがする増え方の水のなかを漂い始めます。

(道路脇の倉庫からは道路を遮るように巨大なトラックが漂い出てきている)

中年の女のひとが、胸までつかったつま先立ちで急流に変わった水のなかで舗道を流されて行く。
もう何分かのあとには生きていられないのは様子から明かで心臓をつかまれるような気がします。

結局、撮影している人が乗ったクルマは水に浮いたまま流れが速いところに流され、建物と激しく衝突して割れたドアの窓ガラスから大量の水がはいってくる。
唐突に、視界が暗黒になるところまでが映っている。

「真っ暗になって、何も見えなくて、どちらが水面かも判らなかった」
という。
でも、もがいているうちに水の上に頭が出て、わたしは助かった。

津波を生き延びた東北人ひとりひとりがもっていた携帯電話やカメラで撮った映像が映し出す破壊の姿は、その言い方がどんなに月並みでも、「地獄」という言葉でしか表現できるはずがないもので、しかも、その映像に映しだされている真っ黒で冷たい津波、雪、大火災に加えて、一年後にビデオを観ているわしは、大気中にビデオカメラには決して映らない大量の放射性物質があったことを知っている。

映像には耕作地を押しわたってくる津波の前を横切るように逃げるひとたちも映っている。黒い水のなかを顔だけかろうじて出して流れていくひとも映っている。

日本に滞在していた頃、日本にいて見える世界がほとんど「トンチンカン」な姿であるのにびっくりしたことがあった。
理解が見当外れなのではなくて、見えている世界の姿そのものがなんだかヘンテコリンな「世界みたいなもの」だった。
日本の文学史をたどっているときに、中途で、黒岩涙香という面白い作家にいきあたった。
このひとが書いた小説は、ジュール・ヴェルヌや大デュマの小説に「基づいた」物語で、翻案小説と名前がついたものだった。
日本から見える世界は、ちょうど「翻案世界」とでもいうようなもので、マス・メディアがフィルターになって選択された結果でもあれば日本語自体が偏光器になって屈曲したせいでもあるよーでした。

日本風に翻案された世界の事象の最大のものは「民主主義」で、日本ではみんながそれぞれ意見を出し合って納得するまで議論をつくすのが民主主義ということになっていて、良い悪いということではなく、びっくりしたりした。
小さいほうでも、無論、いくらでもあって、いまおもいついた例を挙げると、プランジャー
http://en.wikipedia.org/wiki/French_press

は他のどんな国でもコーヒーをいれるためのものだが、日本では紅茶を淹れるのに使ったりする。

なんだか「世界みたいなもの」が「世界」ということになっていて、おもしろいなあー、と考える事がおおかった。

迂闊にも、その逆の方向も同じか、あるいは他国のことなど通常の人間はそんなに興味をもたないことを勘案すると、世界のがわから見えている日本など、ほとんど「日本の残映」のようなもので、ニュースやブログ、日本語ツイッタのようなものを見ていても、全然日本の姿が映っていないのではないか、ということのほうには少しも考えがいっていなかった。

わしの頭のなかでは、東北は大災害に見舞われたが、もう収拾の方向はついていて、随伴して起きたもうひとつ別個の大災害である福島第一事故でまき散らされた放射性物質がどの程度有害であるかの評価が、これからの災害処理の焦点であると感じていた。

政府が海外メディアを通じて世界に送っているメッセージは、
「たいへんだったが、日本人は落ち着いて処理できている。産業の復興も順調である」
「原子力発電所事故は、すでにコントロールされていて完全に終熄するには時間がかかるが、いずれにしろ時間の問題である」
「拡散漏出した放射性物質は健康に問題にならない程度のもので風評被害によって激減した(特に先進国からの)観光客がもどってきて問題がない水準である」
というようなことで、簡捷に言えば、「まだ完全に元に戻ったとは言えないが大丈夫」というものだった。

ところが、それだけは日本政府が言うとおり、落ち着いて静かな態度のインタビューにあらわれた東北の人々の口から伝えられる現実は、まるで異なる国の物語のようで、
70歳をすぎているという女のひとは、ごく淡々とした調子で、家がなくなり、貯えもなく、親族もいなくなって、わたしには何もなくなりました、という。
仮設住宅にいて、この先、どうなるのかと思うと不安です。

地元のビジネスマンたちは、廃墟というよりは更地に近い姿になった、かつては町だった場所を歩きながら、また、ここで頑張って町をつくりますよ、必ずやってみせます、という。
今度は津波の対策は考えないといけないが。

観ていてわかるのは東北のひとにとって「自分達が暮らしてきた町でがんばる」という考えが、ほとんど生き延びていくための生命の綱になっていることで、省略されて伝えられる記事のように「郷土愛」から頑固に動かないのではなくて、他に頼るものが何もないから自分の町、あるいは町だった場所に必死につかまろうとしている。
政府が「絆」と呼ぶ、そのロープに救命ブイに片手でしがみつきながら、かろうじてつかまっている人を甲板から見下ろして、「あなたの好きなその救命ブイをとりあげはしないから、安心して、そこにいてください」と呼びかけている。

なんだか話が違うよーだ、とわしは考える。
災害は収束になど向かっていなくて、東北はまだ災害のただなかにあるのではなかろーか。
仮設住宅、という仮設された一時的生活の枠組みのなかに一年もいて、放射性物質が危険だと盲信するマヌケな「放射脳」揃いの外国人からみると途方もない量の放射性物質を浴びながら、失われた家のホームローンを払い、十分な援助もなく、内戦の難民のようにして、東北人たちは、その日その日を必死でかろうじて生き延びているだけなのではないだろうか?

のんびりと「放射能の正しい怖がり方」や「未来のエネルギー政策」を議論しているひとびとは、実は、猛烈に他者の不幸に対して鈍感な人間たちなだけであって、現実の日本には「未来」どころか、来月の生活を乗り切ることが焦眉の急になっている人間がたくさん取り残されているのではないか。

まさか、と思ったが、もう東北に現に必死懸命に生き延びる努力に追われているひとびとがいないということになると、あの短いテレビ番組が映し出していたものはすべて虚構であったことになる。
一方で、東北に現在進行形の地獄が取り残されているとすると、未来を議論する東京人たちの姿のほうが虚構の存在におもえてくる。

倒れて起き上がれなくなっているひとを見れば、手をさしのべ、肩を抱いて一緒に歩いていくのは美徳ではなくて、もともとが社会的動物である人間の習性である。
本能、といいなおしてもよい。
ひとりひとりの他人を大事にしなければ自分の生活がなくなるのだ、という第一基礎を理解して初めて人間は人間としての生活を獲得した。
他人が倒れて動けなくなるときには自分が痛まなくても、次はその「他人」の運命が自分に降りかかるのは人間が社会に依存して生きている以上、どんな利己的な人間にも理解しうる自明のなりゆきだからです。

戦争をもちだしては例として品がないが、いまの日本支配層は、兵士がひとりづつ倒れていって、部隊そのものが失われつつあるのに、作戦地図を囲んで将来の会戦勝利プランに熱中している将軍たちに似ている。
喧々囂々と議論を「つくして」、完璧な作戦が完成する頃には兵士たちは、なんの救援もなく希望もない戦場で祖国を呻くように呪っているに違いない。

ツイッタでも書いたが、あの恐ろしい津波の光景を見ながら涙を流しているフランス人たちは、なにも言わなくてもお互いに、「自分達にも、もっとこのひとたちのために出来ることはないか」「どうすれば、このひとたちに力になれるのか」と懸命に考えているのがわかっていた。
わしも、同じことを考えました。
チベット、ハイチ、いつも同じことで、誰かが困難に遭遇すれば、その困難の外側で動き回れるものが、念のために言えばたとえ自分の助力などが誤差の範囲の些細なものであるとわかっていても、なおせいいっぱい手を差しのばそうとする。
それは困難の渦中にいるひとびとを救うためですらなくて、飛躍した言い方をすれば、自分を救うためである。

気を挫く、というが、ここではあまり述べる気がしない福島第一事故への政略的な対応のせいで、日本の支配層は結果的には諸外国のひとりひとりの人間から差しのばされた手を、振り払ってきた。
手ひどく振り払った上で、微笑とともに、「われわれはもう大丈夫だから」と述べてきた。
たった30分に満たないドキュメンタリの画面を観ただけで、そんなことを言うのは、ケーハクというべきだが、あの表情を押し殺して、じっと何事かを耐えている東北人たちの表情を思い出すと、ほんとうに大丈夫なのだろうか、とわしは考えてしまう。

ずっと前、福島第一事故のすぐあとに、「大変な事態になった。政府としては、東北一円のひとたちに緊急な避難をお願いしなければならないが、補償をするだけのオカネはない。どうかひとりひとり自分の判断で逃げてください」というのがいちばんいいのではないかとツイッタとブログ記事に書いたが、ほんとうは、もっと世界の人間ひとりひとりを信頼して、窮状を打ち明けたほうがよかったのではないだろうか。
日本では人気があるというアイドルグループが、まだどんな外国人の目にも危ないに決まっているとしか見えない日本へ観光に来てくれというプロモーションをして、その日本人全体の(と映る)危機感のなさで外国人たちをびっくりさせたことがあった。

日本の危機をじっと見つめていた世界中のひとたちも、主にばらまかれた放射能をめぐる到底理解しがたい理屈の展開や、奇妙な用途に使われた義援金、その弁明のいかにも日本風に投げやりな、表向きの理屈ばかりがあっている不正直さを見せつけられて踵を返して自分達の日常に戻っていった。

そうして誰にも顧みられなくなった土地で、 一年後、 東北人たちは、見捨てられた難民のようにして厳寒の冬をすごしていた。
なんだか日本政府が一生懸命にペンキで描いた看板に描かれた「結束して困難に立ち向かった日本」の大きなうすぺったい板の裏には、たくさんの、分断されて希望のない、明日の生活に全力を集中してやっと生き延びていかれるような孤立無援の戦いをしているひとが無数にいるような気がしてくるのです。

This entry was posted in 福島第一原子力発電所事故, 日本の社会. Bookmark the permalink.

2 Responses to

  1. kuriji39 says:

    30分のドキュメンタリーからここまで汲み取れるのはずっと関心を持っていてくださったからでしょう。
    復興計画の完成まで、家も職場も再建禁止の市もあります。
    それも辛そうです。

  2. Akira says:

    Dear ガメさん
    昨日も東北で大きな地震があった。被災された方々は未だ覚めやらぬ記憶の中、ひたすら「復興」という言葉を命綱にせざる得ない日々を生きておられるのかも知れません。
    オイラの同僚の福島県人は相変わらず爆心地特攻を繰り返している。ガイガー片手に南相馬を闊歩する。計測し、怒る、シャッターを切っている。メールが来る。メールからも高い線量が溢れているようだ。
    外国の方は震災も然る事ながら、如何に我が国の政府が国民にベラぼうな嘘をついているか、そのバカバカし過ぎる嘘に対して、避難区域以外の(ホントは東京も避難区域だが、、、)国民も、有識者らもが乗っかって胡座をかいて黙りを決め込んでいるか、、その最悪な人間性の葬り様に三白眼になっているんでしょう。

    絆ではなくて「鎖」だ。

    この国を今一度、洗濯いたし申し候。

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