Daily Archives: March 17, 2012

ニンテンドーの冷や水

1983年に任天堂が発表した「ニンテンドー」、日本でいうファミコンはいまみても、ものすごく良く出来ている。1.8MHzで駆動するリコーのRP2A03に2kバイトのVRAM、256x240ライン、64色のうち無効色を除いた50+色、スプライト、というビデオ機能、いまみると音源はCPUそのものに組み込まれていたとあります。 その頃の英語世界ではコモドール64が主流だった、とゆーと、えええー、AppleIIだろ、だって、という声が聞こえてきそうだが、アメリカはともかく、わしが知っているオトナどもは、みなコモドール64をもっていたよーでした。 なんでだかは知らん。 1986年に発売されたGEOS http://en.wikipedia.org/wiki/GEOS_(8-bit_operating_system) を使えば、ワードプロセッシングも表計算もPCやApple Macintoshの20分の1のコストでほぼ同じことがやれたが、大半のコモドール64ユーザはゲームにしか使っていなかったのは言うまでもないことでした。 そんなら、ゲームに必要なもの以外は、みんな取ってまえばいいやん、というのがファミコンの設計思想である。 簡単なことのようだが、遠大な夢、とりわけ個人がコンピュータをもててしまったというカンドーからくる、ほぼ誇大妄想に近い、DBやれるCGやれる、232Cもやれる、それにそれになんたってプログラミング!という「希望」は、大きすぎて、なかなか「ゲームやれればええやん」という境地には至れないもののよーでした。 ところが任天堂のエンジニアは、ほんとうにコンピュータをゲーム用に裸にしてしまった。 無茶苦茶売れたのは当たり前だと思います。 それ以来、いまのアニメブームどころの騒ぎでなくて、ゲームは日本のもの、というのは当たり前のよーになっていた。 Wizardryみたいにクソおもしろくもないパロディばっかしの気取ったジョークゲームより、(と書きながら英語wikiを見たら日本ではマジなゲームだという扱いになっていたことがわざわざ別項を設けて書いてあってこけたが http://en.wikipedia.org/wiki/Wizardry) マリオのほーがオモロイに決まってるだろ、ということでした。 ずっと後になって生まれてきたわしにとっては、初期ガキ時代のタイムアウト(ゲーセン)には、日本製の中古ゲームがいっぱいあった。 杜撰、というか、ゲームの声も日本語で、「いくぞっ!」とか 「おうりゃああああ!」とかいう声が煉瓦造りの建物中に響き渡っていたものである(^^) 日本のゲームはものすごくおもろかった。 まず第一に設定が無茶苦茶で、一応国旗がシャツについていたりしても、何国人だか全然わけがわからんにーちゃんやねーちゃんが、そんなわけねーだろ、というスーパーキックやウルトラパンチを繰り出して、おまけに、よくこれで倫理規定にパスしたなあー、というか、多分、倫理委員会とかシカトしてんだな、っちゅうようなニッカーズまる見えのねーちゃんとかが画面せましとあばれまわる。 ガキというものは本然的にアナーキーな混沌を喜ぶので、夢中になって2ドルコインをつぎこみ、どこのタイムアウトも阿片窟のような様相を呈して、蒼惶として目の下に隈をつくったガキどものゾンビのごとき姿が見られた。 1991年に出た英語版三国志は大プロモーションにも関わらず、まったく売れなかった。 わしはサンフランシスコで1994年頃、ワゴンで投げ売りしていたソフトの一本として買ったことがあったが、感想は、「なんでこんなもんをつくって売れると思ったのかなあー」でした。 なんだか我慢に我慢を重ねて、よく訳の判らん中国人になって国を治めるゲームで、 なんのこっちゃ、という感想しかなかった。 当然台湾か香港のゲームだべ、と思ったら、日本人がつくったゲームだ、というので、周りガキはみな中国と日本の印象が癒着しているので驚かなかったが、従兄弟という父親が日本人のガキをマブダチにもっていたわしは、ぶっくらこいてしまった。 な、なんで。 第一、日本人は中国人嫌いなんちゃうのか、と考えたが、なんとなく従兄弟や義理叔父に訊くのも憚られるような気がしたので訊いてみることもしなかった。 わしの場合は、その頃から日本製のゲーム世界からどんどん離れていったような気がします。ビデオゲームも4、5本買ってどれもつまらなかった、というか同工異曲で、なんでもかんでも同じだのい、という感じだったので、買う気がしなくなっていた。 ずっとあと、2000年頃、PalmOSのKyle’s Quest http://games.brothersoft.com/kyle-s-quest-classic.html というゲームでよく遊んだが、これはパチモンのドラゴンクエストで、これくらいが日本語ゲーム世界製ゲームで遊んだ最後なのではないだろーか。 日本に行ったとき、いちど、ヨドバシカメラのゲームソフトの棚をみたことがあったが、 チョー高い価格設定(英語ゲームの平均3倍程度)を別にしてもターンベースの、あのまったく売れなかった「三国志」と似たよーなゲームが多い上に戦争ストラタジーゲームがやたらと多くて北朝鮮の陸軍生協みてーと思ったりした。 あとは、ちょっとパスな、子供がおおきな胸をしてニッカーズまるだしでにっこり微笑んでいる棚においてあるだけで犯罪を構成しそうなゲームばかりだったので、オモロイ日本語ゲームないかなあーと思ってでかけたわしは落胆した。 1980年代初頭に、ものすごいゲーム革命を起こした当時25歳から30歳くらいの若い企画者や技術者は、いま50代の管理職や役員になって、自分の成功体験にとらわれているのに違いない、と、いまのわしには判る。 突然どんどんどんとすごい勢いでつまらなくなっていって、終いにはPSP Goのような過去の成功体験とマーケティングと自社の都合だけで出来上がったチョーマヌケなヘンなものまで作るようになってしまったのは、どーも、「むかし成功した体験にしがみついて若い衆の意見が全然聞けないおっちゃん管理職」に原因があるよーだ。 特にわしの推測ではなくて、ゲーム業界のお友達の証言でもあります。 日本の80年代はたとえばMX5、世界を狂喜させて、クルマファンのおっちゃんたちがみんなで手をつないでフレンチカンカンを踊り出しそうなくらい喜んだ日本名ユーノスロードスターを出して終わりを告げる。 … Continue reading

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