Lost In Paradise


宇宙が想像を遙かに超えて美しい存在であるのは別に宇宙船に乗ってでかけてゆかなくても自分の知っている調和的な数式を思い出してお温習いに証明してみればわかる。
数学という言語に縁がなければピアノの鍵盤の蓋を上げて、なるべく簡単な音階の組み合わせで出来たチューンを弾いてみるだけでも、どんなひとにも、この宇宙それ自体が一個の美でなければ、そもそも存在するはずがない旋律であるとわかるだろう。
その音楽はどんな人が耳を澄ませても地上のどこかから聞こえているのではなくて、天上から聞こえてくるものだからです。

人間という存在の傷ましさは一個の巨大な美にすぎない宇宙のなかに生まれ落ちながら、肝心の美を発見することを拒絶したまま、ありもしない意味を求めて自分に与えられた「一生」という名前の時間を浪費してしまうことにある。

咲き乱れる花の下で、輝かしい夏の太陽に反射する芝の緑の上で、この世界に存在するどんな愛撫よりも巧妙なやりかたで肌にそっとふれてゆく、暖かいそよ風が吹き抜ける午後に、宇宙にまっすぐ連絡する透き通った青空をみあげてきみは、Breathless、という言葉を思い出す。

人間の一生に意味や価値を求めるのは、壁のしみに見知らぬひとの顔の形をみいだすのに似ている。
天国も地獄も、あるいは現世の正義も、人間が「意味」の泥沼であがきまわって夢にみた、ありもしない空想であることはわかりきっているのに、ただ生まれて死ぬということが、ただそのままのものとして受け取ることが出来ないばかりに、この世界には「正しさ」があるはずだと思いつめて、その正しさにたどりつくための知恵を求めて、きっと届かない叡知に必死に手をのばしてみる。
ところが宇宙は、そうしている人間にはまるで無関心なまま、人間が意味への渇望を捨てるまでは決して見ることができない巨大で圧倒的な美の調和の具現として立っている。
その壮麗な、ただ美としてある現存は、人間の意識に幽かな灯明がともると、すっ、と姿を消してしまう。
音楽の場合でも科学でも、宇宙の姿にたどりつけるのは人間の意志を越えた手の動きだけであるのは、たくさんの人が経験して知っていることであると思う。

友人の仕事場をたずねて、腐敗してウジ虫がわいた屍体が解体されてゆくのを見つめていた午後がある。
それまでに見なれた死体とは異なって、激しい腐臭を放って崩壊してゆく過程の腐敗死体は、あの解剖学教室の死体特有の「なつかしさ」あるいは「親愛」のようなものを失って、どんな形でも「敬意」のようなものをもちえない何かに変わっていた。
人間には魂の死だけではなくて、形の死、とでもいうべきものがある。
そして、その形象が魂に優位していないとどうして言えるだろう。

保存された死体がもっている慎ましさは意味と価値の追究をあきらめて、そっと横たわっているのに、腐敗がおこると、また意味を鼻先につきつけて勝ち誇り始める。
崩壊する肉体は生きている人間などより遙かに雄弁に沈黙を侮蔑する。
腐敗した肉体はむきだしの憎悪に似ている。

宇宙が想像を遙かに越えて美しい存在であるのは別に数式をながめてみなくてもわかる。
ほんとうは、心の片隅にうずくまっている、小さな「沈黙」に気が付けばよいだけである。
何者かによって生かされているのだ、というような心を落ち着けはするが虚しい考えをやめて、自分の意志で生きてゆけばいいだけのことである。
自分の足で歩いて、大気をかきわけて、他人や自分の意識に由来する意味を拒絶して、筋肉の運動と感覚器に起こる電気信号に依存して時間を過ごせば良いだけのことである。
もちろん、この宇宙には神などはなく、天国も地獄も、正しさも価値の体系もありはしない。
須臾といい永劫というが、どちらも同じだろう。
でかけていってみるしかないのだから。
心の奥の薄暗い片隅にある、あの「沈黙」めざして。

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3 Responses to Lost In Paradise

  1. DoorsSaidHello says:

    ガメさんこんにちは。私はなんとかやってます。
    最近少し、英語が外国語ではなくて「普通の言葉」なんだと思えるようになりました。
    分かると言えるようになるにはまだまだですが、いくらか体の力が抜けるようになりました。

    ときどきここに来ては、なつかしい日本語を読んでいます。
    なつかしいと感じるのは文体ではなくて、書かれている内容です。
    ガメさんの文は、自分自身と対話している感触がします。
    「伝えるために」書かれたのではなく、「考えるために」書かれた文。
    ずいぶん長いこと、そういう文を目にしていなかった気がします。

    「宇宙が想像を遙かに超えて美しい存在であるのは」という始まりが、きれいで好きでした。きれいなのはいいな。きれいなので、思わず何か言いたくなって、こっそり書き込みをしてみます。

    子どものころ、寝転がって空を見ていると、空の中にどこまでも落ちていくような錯覚にとらわれたのを思い出します。青空は宇宙の続きなんだ、と気づいて怖かった。あの先には何もない巨大な空間が延々とあるんだ。あれが畏怖、というものなのだと思います。

    その頃私には自分の犬がいて、私は彼を尊敬していました。子どもの私は、自分が生きていること自体が怖かったし、明日何が起こるのか知らないということも怖かった。私の犬は、未来を思い煩うことをせず、今をちゃんと生きて、死ぬ時が来たらちゃんと受け止めて死ぬのだろうと思えました。それはとても気高いことで、私も彼のように生きたいと思っていました。

    私が今住んでいるところは、ときどき雲ひとつない青空の日があって、そんな日にぼんやり空を眺めていたら、雲のない青空がとつぜん真っ黒な闇に見えました。一瞬驚いてから、青空と宇宙の黒はそもそも同じものじゃないか、とさらにびっくりしました。

    数式とピアノの和音は似ています。ピアノの和音にはほんの僅かな不協和があって、ガラスの表面に入った微細なヒビのように和音に小さな影を忍び込ませていて、その僅かな不安定さが数式よりも美しいように思えて、私はピアノの響きに耳を澄ますのが好きです。ああそうだ、宇宙も和音も数式も、みんな透明な美しさであるように思えます。

    心の隅の「沈黙」も、光を当てると透明なのだろうか。
    見たことがないので、分かりません。

    • DoorsSaidHelloさん、

      >ときどきここに来ては、なつかしい日本語を読んでいます。

      うん。あんがと

      >「伝えるために」書かれたのではなく、「考えるために」書かれた文

      あたってるんでごんす。少なくとも、そうであるようにしようとしてまんねん。

      >子どものころ、寝転がって空を見ていると、空の中にどこまでも落ちていくような錯覚にとらわれたのを思い出します

      おおおおー。おなじ。おなじ。
      いいのお

      >青空は宇宙の続きなんだ、と気づいて怖かった

      おおおおおおおおー、それも同じだ。DSHは、わしだったのか。勝手に名前略しちゃっったが。

      >私の犬は、未来を思い煩うことをせず、今をちゃんと生きて、死ぬ時が来たらちゃんと受け止めて死ぬのだろう

      わしの犬はバカだったが、「今をちゃんと生きて」は、そーだったな。

      >その僅かな不安定さが数式よりも美しいように思えて、私はピアノの響きに耳を澄ますのが好き

      音楽は完全に微小な不完全がひそんでるとこがつねにいーんだよね。
      不気味なくらいものを識っているやつ…

      >心の隅の「沈黙」も、光を当てると透明なのだろうか。
      見たことがないので、分かりません。

      まいりました

      • DoorsSaidHello says:

        ガメさん、お返事ありがとうございました。
        感じたことをそのまま書いてお返事をいただくと、嬉しくて照れくさくて、しばらくしみじみ眺めてしまうのでした。

        私の犬は、原始的な種類で、人の言うことを聞かない犬でした。気が向くと何日も勝手に出かけて、家を思い出すとのっそり帰ってくる犬で、自分の生活というものがあるらしいのです。一度ついて行こうとしたら、迷惑そうな顔で振り返られました。邪魔されたくないんだなと思いました。

        夏に、子どもの私が家の外でこっそり一人で泣いていると、こっそり後ろからやってきて、むきだしの私の足にそーっとくちびるで触れてくるようなやさしさがありました。泣いた目で振り返ると、彼はにやりとして私を見返すのでした。

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