ワインの香り

いまの世界で最もワインに詳しいのは香港を始め中国沿岸部大都市の成金だろうと思われる。
「ワインクラブ」というようなものが各地にあって、該博な知識をもつソムリエが常駐し、成金おっちゃんたちがクラブにやってきてはワインについての蘊蓄を傾け合う。
考えるだけで血湧き肉躍る光景ではある。
血が沸きすぎて脳溢血で倒れる欧州人もいそーな気がする。

クライストチャーチに初めて「本格輸入専門ワイン店」が出来たときの惨状は目もあてられないものがあった。
わしの好きなワインもあるよーだ、と人に聞いたので、どれどれ、と思って出かけていったのだが、そこには例の蘊蓄族というオバカなおっちゃんたちが山のようにいて、アクセントまで普段は使い慣れない上品風アクセントになって、プラムを口に含んだまま話すひとのように薄気味わるい話し方で、ノーズがどーだ、色がどーだ、カシスはうんたらだと述べくるっているのであって、後ろでオカンジョーのために立って待っていたので延々と続く蘊蓄を聞かされていたわしは、おっさん、あんたが手にもっている、そのボルドーでどたまかちわったろかと、もの静かに考えたりしていたものだった。

物語の多重性、という欧州ではむかし流行った物語のつくりかたがあるが、あーゆーにっちゃらねっちゃらした田舎者ぽい文学とワイン衒学と紅茶蘊蓄には共通したやりきれなさがある。
ロンドンの「上流」ガキが、ワインなんか知るかよ、になって週末がくるたびにヴォッカをいれすぎたカクテルを鯨飲して「愛してるっていってるだろが、こんにゃろ」というよーな激しく文学的な歌詞の曲の強烈な音のなかで踊り狂うことには、そーゆー背景もあるよーだ。

ワインの飲み方、というものには、明らかにお国柄というものがある。
フランス人は意外にいまでもちゃんとしている。
ちゃんとしている、というのは、「適正なワイン」という規範を頑として譲らない人が多い、という意味で、魚料理に赤ワインを頼むと、それが酸味のある軽ううーいピノでも「ほんとうか?ほんとーに、それでいいのか?」と聞かれるであろう。
注文を確かめて、二三歩行きかけてから、踵を返して、テーブルにもどってきて、
「ねえー、やっぱりやめようよ。白にしない?」と言いにくるかもしれません。
夏の午後、ざっかけない店の、通りに出たテラスで友達とのんびり話すには、やはり冷たく冷えたロゼでなければならないし、わしがブルーチーズと書いてマココトという人に怒られたロックフォールのソースをかけて食べるステーキにはシラーくらいの強いワインでないと、もしかすると店の人は二度とテーブルに戻ってきてくれないかもしれぬ。
日本では魚には白ワイン肉には赤ワインと決まったものではなくて、そんなものは迷信みたいなものであるという意見がたくさんあったが、魚を食べるのに赤ワインを頼むのは、わしにはかなり勇気が必要なことであると思われる。どういう種類の勇気かというと「通人ぶっている」と譏りを受けてもへーきだもんね、という勇気であって、かなりコンジョがいるもののよーである。
フランス人は、そーゆーくたびれることをするほど物好きにはなれないのだ、とゆえるかもしれません。

フランスという国のオモロイところは、ド田舎の国道沿いの、長距離トラック運転手が充満しているよーな店のランチ定食でも、ちゃんとフランス料理の基本文法のようなものが守られることで、魚料理は予算の都合で端折られても、食前酒はオプションとしてあり、前菜は断固として供され、たいてい棚にずらりと並んだディジョンマスタードで食べるステーキがあり、大皿に盛られて自分で選ぶ盛大な量のチーズがあらわれ、デザートもまた断固としてテーブルにあらわれ、ディジェスティフをちびちびやって、珈琲にたどりつく。
「様式」というものを未だに骨身にからめて偏愛しているのです。

これがバルセロナになるとチョーええかげんもいいところで、グラシアの裏通りには、わしの大好きな料理屋がたくさんあるが、比較的最近できた高級なレストランは、フレンチっぽい味付けがケーハクになっていなくて、わしは好きである。
大陸欧州というところは外見で社会的地位が判断しやすいというか社会的地位が判断しやすいように外見を繕うということになっているというかなので、一見いかにも大学教授ふうの、というのはつまり大学教授に決まっているが、歴史の本をうんとこさ抱えた、いかにも上流階級のジョーヒンでかっこええおっちゃんがやってきてひとりでテーブルにつく。
ウエイターがテーブルにメニューを置きに来ると
「とりあえず、ビール」という(^^;)
まるで新橋の一杯飲み屋に来て、おしぼりの袋をパンッと割る日本のサラリーマンみたいです。

それから、チョウチンアンコウのステーキやなんかを頼んで、テンプラニーニョを飲みながら食べておる。
バルセロナ人は、好きなもの飲めばいーじゃん、というフランス人とはまるで反対の立場であって、これはとーぜんながらマジなシェフの神経を逆なでする態度なので、この頃はメニューの料理のあとに「これ以外のワインは出せません」という風情で、ワインが「指定」してあるレストランもたくさんあります(^^)
よっぽど、頭にきているものだと思われる。
該当方式をとっているレストランのひとつは、OOMというホテルにある、とゆえば「ははあーん、あそこか」と思い至るひともたくさんいるだろーが、あれはもちろん有名なレストランで、もっと言うと横にあるろくでもない飲み物しかない妙にだだっぴろくてスカなバーは、バルセロナの上流ぼっちゃんがよくでかけるナンパ社交場のひとつでごんす。
よおく観察していると、暗がりに沈んだ席で、へろい顔をしたにーちゃんがすげー美人のねーちゃんに平手打ちをくらったりしていて、なかなかオモロイ場所である。

OOMのレストランでは日本のひとは皮肉ではなくてお行儀がいいので、ちゃんと指定されたとおりにワインを頼んでゆく。
イギリス人たちは「この通りに頼まないといけないんですか?」と訊ねている。
バルセロナ人たちは、というかスペイン人たちは、あっさり指示を無視して自分が飲みたいワインを頼んでおる(^^)

スペインの支配層の、日本やアメリカの政府には思いもよらない苦労が忍ばれるようなコーケイである。

わしがワインとひととの付き合いを見ていて、このくらいがいちばんいいかもな、と思うのは実はアメリカ人たちであって、こういうと大陸欧州人は卒倒するだろーが、ほんとうなのだから仕方がない。

程度がちょうどいい、というか、ワインが好きなひとは熱狂的に好きだが、クライストチャーチのトンマなおっさんたちのように知識をひけらかしたいのでもなく、ただワインという飲み物が好きなひとが多くて、これはしかも東海岸よりも西海岸のほうが「まともなワイン愛好者」が多いよーだ。

ニュージーランドもワイン立国で、天候がもともとSauvignon Blanc作りにむいていたマルボロ地方のクラウディベイワイン
http://www.cloudybay.co.nz/Mainpage
くらいを皮切りに、世界中にワインを輸出するようになった。
どの程度のワインかというと、いまは死んだフランス人の天才醸造家が
「ニュージーランドの白は疑いようもなく世界最高だ。世界中で、どの国のワインが最もよく出来ているか、と訊かれれば、私は迷うことなくニュージーランドワイン、と答えるだろう」という意味のことを述べたあとに、激情に駆られた人の述べ方で要約した言い方をすれば「だが、ニュージーランドのワインには魂がない。ワインには最も重要な魂が完全に抜け落ちてしまっている」と言っていたのを憶えているが、まことにその通りで、的確な表現と思う。

カタロニアの夏の重要な楽しみのひとつはコルクの木の林をぬけて、村から村をたどる、中世の商人が歩いた小径を散歩することだが、そういう小さな村のひとつひとつにも素晴らしいチビ料理屋があって、店の前にひとつしかない外に出たテーブルに腰掛けると、ワインに「魂」を与えている風土が生みだしているオリブや白アンチョビ、ハモンや豚の頬肉が次々と出てくる。
テーブルを、ゆっくり、どしんどしんと叩きながら話すおっさんや、キマジメな顔で、皿の上の牛の内臓の料理を切り刻んでいる女びとがいる。
そのテーブルに載っているのは、どうしてもビールではなくて、ワインでなければならないのが、見ていて簡単に判ります。

あるいは雄大な角の鹿たちが横切ってゆく道路を、夕暮れ、湖の畔にあるレストランめざしてクルマを走らせて、ようやく間に合った夕陽を眺めながら、果物のスープに始まる料理に、きゃっきゃっと喜ぶパリ郊外の週末は、店の人間と額を寄せて話し合って選んだ赤白のワインでなければどうしても収まりがつかない。

もう言い古された言葉だが、ワインはその国の自然や文化の抜き差しならない一部で、そこから一本だけワインを無理矢理ひっこ抜いて、どっかの国に輸出したからといって、本来は、どーにもなるもんではない。
もともとがアングロサクソン文化の国であるアメリカやオーストラリア、ニュージーランドのワインが品質は高いのに、なんとなくマヌケな感じがするのは、あながち偏見だけとは言えないもののよーである。

そーではあるが、

夏の爽快な太陽に照らされて、緑色に眩しく反射する、広々とした芝生を眺めながら、いろいろなソースの小皿と一緒に盛られた生の夏牡蠣の大皿や、酢とライムで食べる牡蠣の天ぷら、自家製マヨネーズで食べる牡蠣フライの皿が並ぶテーブルで、のおんびりSauvignon Blancを飲む、というようなのがニュージーランド人の典型的な夏の午後の過ごし方であると思われる。
最大の大気の汚染源が牛のおならであって、おなら対策をしなくていーのか、と国会で論戦になる、なあーんとなくおとぎ話めいた国の空はどこまでも抜けるように青くて、いまの世界で、夜には天の川が見えるアホな都会は、オークランドくらいのものでしょう。

ワインという飲み物を味わう(というのは嫌な言葉だが、ほかにおもいつかないので仕方がない)のに、もっとも必要なものは「あまった時間」、ワインの味と香りだけに自然と心が向かってゆく、ゆるやかな傾斜のある無為の時間であったことを思い出して、そうやって考えると、ニュージーランドという国も、ワインにとって、それほど悪い国ではなかるべし、ワインからごっそり抜けおちた魂も、こうやってのんびりしているうちに戻ってくるさ、と思うのです。

(画像はカタロニアのコルクの木、商人道はコルク林を多く抜けていく。森から抜けると、向こう側には1000年前と同じ建物の村がみえたりして中世にタイムスリップした錯覚が起こることがよくあります)

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2 Responses to ワインの香り

  1. Akira says:

    ガメさん
    >フランス人は意外にいまでもちゃんとしている

    先日医局のお爺さん医師(某大学病院から天下って来た循環器科の教授)が毎年恒例の欧州豪華客船ツアーから帰ってくるなり『OOくん、彼らはアルコールを殆ど飲んでいなかったよ、何故だか分かるかね??』と仰いまして、『アルコールは発ガン性があるのだ! フランス人もサルコジがそう言ってから飲まなくなっているんだ』と豪語してたけどホンマなんですか??(^^)

    • Akiraどん、

      >フランス人もサルコジがそう言ってから飲まなくなっているんだ

      そんなわけねーだろ、とゆいかけましたが、考えて見るとむかしよりは飲まないんですのい。
      むかしは平均的フランス人はアメリカに引っ越すと全員立派なアル中だったそーです。
      カネモチが鯨飲しなくなったのは広義のアメリカ化で「ケンコー第一」とかいうアホな教義がフランスにもやや蔓延しいるからとも言えましょうのい
      (でも、やっぱりフランス人いまでもアル中)
      (すげー、飲み過ぎ)

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