のんびりした破滅

手遅れ、という。
MLBの投手によくあるようにボールを投げる手が身体全体の動きに較べて遅れてでてくるので打ちにくいことをいう。
というのはもちろんウソで、悪化してゆく事態に、もう手の施しようがなくなると「手遅れだあー」というようなことをいうことになっている。

このブログ記事の前の方にいくと、「女びとも人間であると認めないとだめだぞね」とか「経済よりも財政を急いで考えないと経済政策も身動きできなくなってまう」とか「手順を守るということを忘れて、そんなええかげんなことやってたら破滅的事故おきるとおもう」とかいろいろに書いてある。
このブログはゲームブログだったが、反応はややおおきなもので、そのうち、そんなに気に入らなければ読まなければいいだけなのに、こわいものみたさで読んでしまうひとびとがあばれだして、
ヴァンダル族の襲撃のようなことが何度かあったのは、前にも書いた。

あんまり怒らなくなったね、とゆわれるが、成熟して温和なおとなに成長したのであって、もうすぐ30歳になるのだからあたりまえです。
すべりひゆに、「もう日本はダメだとあきらめたのではないか」とゆわれてぎょっとしたことがあったが、そんなことはありません。

日本全体が改革可能なところにいたのは、基本的には2007年頃、小泉首相の頃までだったと考える。
この大層評判がわるかった首相は外国人にわかりやすい形で「日本の旧体制を変える」といいきった点で魅力があった。
簡単にいえば日本の均質社会を支えている膨大な予算を使っておこなわれている社会保障をも削って、政府とその周辺団体が抱え込んでいた巨大なオーバーヘッドを削減しようとした。

日本のひとの反対は、それはすさまじいもので、わしの五年間11
回に及ぶ「日本遠征計画」と小泉首相の在任期間は半分が重なっているので、よく憶えているが、西洋風の競争原理を導入される事への社会の本能的な拒絶というのに近いものがあった。

小泉首相が官僚機構という風車に体当たりしてぶつけた槍の穂は折れて、改革は失敗した。
官僚の手強い抵抗は、たとえば外務大臣に川口順子をつけてみせるような、勘所をつかんだ、そーゆーいいかたをすれば玄人をうならせるような凄味のある人事の才能でもって、ある程度粉砕されたが、国民が改革を望まないのだから、敗北するのは当たり前で、官僚とマスメディアの阿吽の呼吸でする「イメージづくり」も手伝って、排斥された。

振り返ってみると、この辺りで、外国人たちにとっては勝負がついてしまったので、なぜかといえば、小泉首相がやめてしまえば、まわりを見渡して、自分達にわかるような改革(日本のひとにとっては改悪)ができそうな人間が見当たらなかったからである。

わしは小泉首相退陣の頃はすでにチョーテキトーな冷菜凍死家だったが、「これで決まりだな」という連合王国人たちの囁きあいをおぼえている。
あとは、先延ばしの腕前を発揮してもらって、少しづつ、ゆっくり、できれば50年くらいかけて、退場していってもらえれば恩の字である。

当時の予想では、このブログ記事に何回もでてくるように、2025年が日本の顕著な没落の始まりの年であろうとされていた。
2025年というのは、どういう年かというと、世界的に言えば資源の取り合いが可視化されて、いまは「資源のとりあいなど結局は起こるわけがない」と、のんびりしたことを述べているヒョーロンカのひとびとも、自分の家のトイレットペーパーの備蓄を心配しなければならない、というのはジョーダンだが、やっぱり資源て足りなくなるんだな、と認めざるをえなくなる年であると思われる。
世界が、この年を分水嶺とする予測される巨大な変化のために体力をつけようとしている、目標のような、もう一段厳しくなる生存競争のスタートのような年である。
言い換えると世界中の国家と個人が2025年あたりに予想される新しいとゆえば聞こえは良いが無慈悲な蹴落としあいになるに決まっているいまよりも何段も激しい競争の年に備えて力を蓄えている。

日本では、旧来の年金制度に固執したことによる社会保障の破綻、財政破綻、(自動車など)旧世代製造業の死滅と産業構造の転換を怠ったことによる産業の喪失、だいたい、そーゆーなことがいっせいに開花して、そこまではどんな危機にさいしても「ほんとーはダイジョーブだ」という理屈をこねるための卓越した詭弁の才能において世界的にユーメイな日本のひとがさまざまにいいなして、なんとかもっともらしく体裁を繕うだろうが、ここまでもたせたという正にそのことによって、蘇生の方法が考えつかないような「悪い」つぶれかたをするだろう。

わしは「日本のひとのことだから、わしらが考えも及ばないような方法で復活しねーかしら」と漠然とおもう一方で、冷菜凍死家としては、いままでも日本にオカネを投じたことはいちどもなく、これからも絶対やだ、と思う。
そんなこといって4軒、家もってたやん、というひともいるだろーが、自分の家を凍死の対象とおもうひとはいないだろう。
だって、自分から家賃とれんやん。

いまの世界のやらしい点は「先延ばしの術」に長けていることで、解決はしない、しないどころか着々と悪くなるが、ずううううっと、ずうううううっと、破綻点を先にのばすのが得意である。
この術の極意を伝えた先達の重要なひとりは日本です。

国内市場においても各国間の意思の疎通においても、情報が十分に行き渡るようになると、破綻の開始点が明らかになるので、それを避けるために参加者全員が努力を集中することができる。

1929年の大恐慌のようなことが起きるのではないか、というひとがいるが、わし自身は、ああいう市場の「ドラマティックな死」がありうるとは思いません。
なぜそういうことが起きないかというと、あの頃の市場は情報の隠蔽と遮断によって利益をあげるのが原則だった。
インサイダー取引はあたりまえで、株価を意図的につり上げておいて売り浴びせることは違法でなく合法で、合法どころか、定石だった。
当時、大金持ちになりたかったひとびとには、そうやって恣意的に市場をあやつるひとにぎりのひとのクラブにはいれるかどうかが問題だったので、はいってしまえば、巨富が約束される経済世界だった。
エンロンが1928年の会社であれば、うらやまれこそすれ、社会的に罰せられたりはしなかった。

通常パニックは情報の遮断とそれによって生まれる相互不信によって起こるので、情報の不正な遮断が刑事罰の対象になるいまの市場ではパニックは起きる可能性が低い。
(チョーよけいなことを書くと、いまの野田政権はフクシマの事故処理において、どちらにしても起きえなかった眼前のパニックを避けることに近視眼的に熱中するあまり、実はパニックを準備していることになる。このあと、たとえば「もんじゅ」がぶっとんだとすると、ここまでで自分達が真実の情報から遮断されているのではないかと十分に疑っている日本のひとたちは一大パニックにはいることが予想される)

あんまり良いたとえではないが、ちょうど本来爆発的な反応である核分裂の連鎖反応をおくらせて、ゆっくりにすれば制御可能な反応になるようなもので、ものごとが急速に展開することを徹底的に妨げれば、破滅が停滞しているうちに知恵が出て、なんとかなってゆくだろう、というのが現在の人間がもっている市場へのスタイルであると思われる。
また、そうやって市場の反応を遅滞化させてゆくと、失業率が予想より低かった、貿易収支が予測ほどひどくなかった、とゆって、株価なら株価が上昇する局面が必ずあり、小局面でもあがる場面があれば、プロはそこで稼げる。

日本から発祥して世界に蔓延しつつある「先延ばし」型の問題解決の良い点は、いますでに市場に参加しているひとびとにとっては世界の経済そのものが「他人事」ですむことで、FRBの議長もゴールドマンサックスの役員も幹部社員も、個人としては、物事が延々と先延ばしされてゆく限り自分の生活が破綻するということはない。
退職して年金とブルーチップ株の配当とで食べているひとたちにしても、とりあえず来年の心配はしなくてもすむ。

良いことづくめかというと、それはそうはうまくいくわけはなくて、問題はいま市場に参加していないひとびと…というのはつまり多くの場合は若いひとびと、ということになるが…が、市場に参加する機会が与えられないことにある。

心理的影響というようなものを経済家はまじめに考えない。
考えようにもたしかなてがかりがないからで、英語の世界では年がら年中中小企業家の「confidence」の調査をやるが、その程度でしょう。
しかし、若い世代のいつまでも自分達が市場に参加できない焦慮はたいへんなもので、広場にあつまって「これでは食えない」と叫んで警察官たちに蹴散らされた若いひとびとの集団抗議は現代の貧富の差の結果ではなくて、なにかもっと悪いこと、たとえば参加者の入場を拒んでしめきったドアを絶望したひとびとがいっせいに拳で叩く音、というような一種の予兆であるのかもしれません。

このブログを前から読んでいるひとびとにお馴染みの名前であるシャチョー(はやくゲーム商売をやめたほうがいいと思うが)が最後に寄越したメールには
「ガメ、きみが言った2025年には、日本では放射能が予想よりも遙かに健康に悪くて病院にはひとがあふれ、子供達は死んでゆき、年金はとっくのむかしに破綻して、ぼくがいままでに2000万円も払い込んだ保険料はちゃらになり、トヨタみたいな会社はとっくのむかしに外国へ逃亡して、ぼくのような人間は搾り尽くされた搾り滓のようにして日本で暮らすことになるような気がしてきた。どうして、こうなったんだろう?」と書いてある(^^)

どうして、こうなったんだろう?
それこそが、わしにも、いまとなっては、もっとも興味がある問題で、これからゆっくりみてゆこうと思う、おおきな歴史上の問題だと思うのです。

あー、辛気くさい。
「日本の将来」というようなことを日本語で書くと息がつまりそう、というか、どこからか、お線香の煙のにおいが流れてきそうである。

わしは相変わらず起きているあいだじゅう、バカい音楽やぐっとくる音楽、シブイ音楽を次々にかけながらいろいろなことをしているが、最近は、こーゆーのを聴いてまんねん。

ひさしぶりなので、いくつか挙げておきます。

トルコのポップスターBengü Erden

は、アカウンタントのおてまぎというよーなチョー退屈な手紙を読んでゆくのに都合がよい。

ほんで、手紙の束を読み終わって、天にお尻がずりあがってゆきそーなくらいおいしいアラブ人たちのヌガーを食べながらレバノン式に淹れた紅茶を飲みながら、聴くには
Aynur Aydinのようなひとの歌声がよいであろう。

ほんで、いっちゃんかっこよくてシブイのは、Amansalvaに決まっているのだとゆわれておる。いまみると、あんまり良い演奏がyoutubeにあがっていないが、
このふるい歌は、わしの鼻歌のひとつなんだお。
大好きなのね。
日本のひとの心にぴったりな歌詞なのでもあります。

ほんでわ

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3 Responses to のんびりした破滅

  1. AK says:

    ちょっと、イスタンブールに行ってくる!!

  2. AK says:

    >わしのぶんもバクラバ食べてきてね

    3年前に初めて行ったとき、紙箱に詰めてもらいましたが、ボリューム満点で一度では食べ切れなかったです(あたりまえか)。半生菓子ですから現地にいるあいだに食べましたけど。

    ところで、最近ヒラリーおばさんもイスタンブール通いみたいで、今も昔も大昔も、大変重要な拠点なのでしょうね(あたりまえか)。

    やっぱり本当にふらりと行くしかないな。
    但し今度のルートはLHR経由ではなくCDG経由です。(^ ^;)

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