Monthly Archives: May 2012

セキュリティ

1 パーネルの家から、いまのリミュエラの家に越してきたばかりのときはセキュリティのコンビネーションが憶えられなくて、解除しそこない、よく自分がセンサー網にひっかかって通報されたものだった。 ニュージーランドはむかしからこそ泥が多いのでセキュリティシステムがふつーに普及している。わしの家の場合だとぐるりに8台だかのカメラがあって、モニとわしがいる家のなかは教えてあげられない数のゾーニングにわかれて隅から隅までセンサーが監視しておる。 夜中に牛乳が飲みたくなって、ホールウエイをひたひたひたひたと歩いてゆく。 台所へ通じるドアをぴゃっと開けます。 その途端、ピッ、ピッ、ピッ、と響く不吉な音。 あっ、やべー、と思うまもなく、ぎゅわあああああーんぎゅわあああああーんぎゅわあああああーんと大音響がなり響いて、あまつさえ窓の向こう側では家の仕事をしてくれるひとびとの部屋の明かりがつくのがみえる…. モニがいつのまにか後ろに立っていて、コントロールでセキュリティをピッピッと解除しながら「ガメは、ゾーニングおぼえられないなあ」と笑っている。 「どうして、おぼえられないんだ?」 「いつも難しいこと考えてるからだと思う」 「どんな難しいこと、考えてるの?」 「うーんとね、世界の終わりとか、そーゆーこと」 笑い声を残してホールウエイを寝室に引き揚げていったモニの残り香が漂う台所で、わしはひとり寂しく牛乳を飲みながら電話をみつめておる。 電話がなった。 あのひとの声が聞こえる。(岩田宏「永久革命」) 「間違えて自分で作動させてしまいましてん。合い言葉はXX△○でごんす」 とセキュリティ会社のねーちんに伝える。 いったい、これを何回くりかえしたことだろう。 2 高い塀も鉄格子のゲートもセキュリティシステムも単なる気休めには違いなくて、人間のセキュリティの最高のものは「運」である。 運がないひとは、オカネがあろーが学歴があろーが、王様の子供だろーが、セキュリティがない厳しい世界を歩かねばならない。 マリー・アントワネットなどは良い例であって、きゃー楽しい、いえーい、の王女であったのに、最後はギロチン博士の発明した慈悲深い断頭台の前におかれた籠にゴロリンと胴体から離れて転がり落ちる一生の終わりだった。 コリン・ウイルソンというひとは自分の人生のセキュリティを強化するために学校へ行かなかった、という話は前にもこのブログ記事に書いた。 学校へ行って勤め人や医者になるという人生を送ると、自分のようなタイプの人間は結局は縊死することになる、というガキにしては聡明な信念からである、と自分で書いている。 わしは13歳だったかのときに、このコリン・ウイルソンの話を読んで甚(いた)くカンドーしてしまった。 「自分の生きたいように生きるのが生きてゆく上でのもっともすぐれたセキュリティである」という考えは、わしを気楽にした、とゆったほうがいいのかもしれません。 かーちゃんに訊いてみると、「その通りですよ、ガメ。良いことを考えたわね」という。とーちゃんのほうは、何度か反芻するように考えてから、なるほど、と重々しげにつぶやき、それは正しい意見であるよーだ、と述べた。 お墨付きをもらったので、いきなり学校へ行かない冒険的生活をしてもよいと考えたが、考えてみると遊び友達たちも大好きだった先生も学校にいるわけで、意志を強くもって学校をさぼらなければと考えながら、ついずるずると学校へ通ってしまったりした。 いま思い出しても、なんだか忸怩たる感じがします。 3 国家間のセキュリティで最も有名なのは日本国憲法だろうと思われる。 なにしろ「戦争を放棄しました」という、不良どもに向かって「殴られるのはやめました」と宣言するに等しい、どこかが理屈上ヘンテコなことを宣言して、恬淡とすることにした。 その実は、アメリカにボロ負けこいたのを逆手にとって、アメリカ人の兵隊を自分の国土にばらまき、あまつさえ沖縄は要塞化して、でもぼくが軍備してるんじゃないもん、ぼくは、きみ、平和の使徒なんだぜ、という、チョー偽善というか、神をも畏れぬインチキというか、天才的な政治的トリックというかを決め込んで、一見独立した国で一見民主主義の制度を行って一見軍備ゼロの国家をつくりあげた。 これはものすごく頭の良いやりかたであって、日本の政府は、もちろん、アメリカが巨大な軍隊を日本に駐留させることの意味は中国やソ連ににらみを利かせることだけではなくて、なにかというとすぐキレて、あっというまに暴走するといつもフセインどころではないとんでもない戦争をおっぱじめる日本に睨みを利かせることだったのを承知していた。 知っていて、知らないふりをしていただけです。 軍隊でないことになっている軍隊を作って、おおきくしようとする姿勢をみせてはアメリカを慌てさせて極東軍事費用を増やさせ、やっぱり国民の理解が得られないから自前の軍隊はダメですね、とつぶやいては、より大きな保障上のコミットメントを引き出してきた。 日本の戦後史を眺めていると、アメリカ相手に強請りたかりを行うにはどういう方法が最も有効か、という有効打のオンパレードで、皮肉では全然なくて、その手並みに感心してしまう。 世界史上でもっとも有効にアメリカを嬲りカツアゲしたのは他ならぬ日本です。 その揚げ句、学生どもに至っては「打倒米帝」なんちて、反体制の投石をして憂さ晴らしの対象にまでしていたのであって、アメリカは同盟国、どころか、良い面の皮、というそのままの存在だった。 そうやって日本の政府が、アメリカを … Continue reading

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小さい、アホな太陽

1 途中の店でサモサを買って、海辺のベンチで(ララトンガの線のやさしい島影を眺めながら)家からもってきたコーヒーと一緒に食べる。 ときどき冷たい風が吹いてきて、もう秋だなー、と考える。 秋になってもニュージーランドにいるのは珍しいことなので、このあいだ夏が終わったあとでニュージーランドにいたのはいつだっただろう、と考えると、それは途方もない昔のことで、7年も前のことである。 クライストチャーチの石造りの旧カンタベリー大学の建物を使ったアートセンターで冬の寒さで曇った窓ごしに中庭を眺めながら、カボチャのスープを飲んでいた。 あのときは2万キロも移動して、ただクライストチャーチの冬をみたい一心で戻ってきた。 誰もいない家の暖炉に薪を放り込んで、二階の窓から庭をみていた。 どういうわけか、わしは、子供の頃から曇り空の低い雲の広がりや、冷たい大気、いかにも寒々しい姿で整列しているブラックパインの並木、というようなものが好きで、夏の太陽のほうがいいに決まっているのを常識とする両親からヘンな子供だとからかわれた。 体質でもあって、わしはガキわしの頃でも摂氏12度くらいでTシャツでいるのがもっとも心地がよい。体を少しでも動かす、たとえば散歩、ということになると、5度でも4度でもTシャツ一枚でよかった。 わしの体質をつくった直截の先祖は、よほど天気の悪い寒い国の人間であったようです。 生まれてきてしまったのだから死ぬまでは生きているより仕方がないが、人間の一生は面倒くさいのがわかりきっているので、いろいろに準備しなければならなかった。 初めの大事業は、「オカネのために働く」という時間を自分の一生からどけてしまうことで、そういうだいそれた事業計画を自分の一生のかなり初めの部分にもってきたのは、「朝はやく起きるのが嫌だ」というナマケモノの切実な気持ちがあったからだろうと思われる。 この先にはおもいもかけず失敗して文無しになって、モニの作男になって暮らす、という可能性もなくはなくて、それはそれでいいであろう、と思ったりもするが、景気の天がかきくもるといきなりコンサーバティブな姿に一変してアルマジロに変化(へんげ)する、自分の、現今のいかにも零細ぽい地味な投資スタイルを考えると、あんまりそーゆーこともないような気がする。 わしの生活のおおきな特徴は「滅多に労働しない」ことで、それを自分では自分の一生で初めての小さなゴールであると考える。 朝おきてから夜、きゃあモニさんの良い匂いがするー、とケーハクな呟きとともに一緒にベッドで睡るまで仕事というものに費やす時間がないので、膨大な時間があります。 つい最近までは日本語やロシア語というような「知らない言語」に興味があったので、本を濫読したりして時間がつぶれて都合がよかったが、最近は飽きてしまったので、惰性でブログを書いたり、ロシア人たちと、ロシア的に脈絡のない話をしたりするだけである。 かなり夢中になって楽器を弾く。 ときどき数学をやる。 まれには絵を描いている。 オカネのほうもリターンを25から10にさげてしまったのでプロパティ中心で自動運転中みたいなものになった。欧州がぶちこわれるのを待っているからです。 20年分のLaw&OrderやときどきダウンロードされてくるCriminal Mindsの最新エピソードをモニとふたりでカウチでころころしながら観たり、Diablo IIIが出ればふたつ買ってきて、モニとふたりで遊んで、まずは個々に研究して、ときどきホールウエイをモニの部屋まで歩いていって、「いま、レベルいくつうー?」と訊いたり、モニの凶暴猛烈、バーバリアンな戦いぶりを横から観戦して、やっぱり未来永劫夫婦喧嘩はしないほうがいいよーだ、と秘かに考えたりする。 モニはMMOでも、だいたいライカーの大名主みたいな大男の、頬に傷がある、筋肉むきむきの凶悪なパーソナリティになりきって遊ぶのが好きである。 ときどき、知らないひとびとと野原で出会って、「よおおーし、おれについてこい!」なんちて周りのモンスターをあたるをさいわい薙ぎ倒して雄叫びをあげたりするのを眺めていると、しみじみとMMOで出会う人間なんて実体はなんであるかわからん、と考える。 現に目の前で神様でも気絶しそうなくらい綺麗なねーちゃんが、「ぐわっはっはっは、おれに勝てるモンスターなどいるものか!」とゆっておる。 世界は偽装にみちているのである。 2 あちこち移動して暮らすのは楽しかったが、欧州とオーストラリア・ニュージーランドと往復するだけでもいいかもな、とモニが言うことがある。 マンハッタンは?と訊くと、うーん、と考え込んでから、なんだかいまはピンと来ない、という。 マンハッタンはモニにとっては第二の故郷なので、随分おもいきった変化だが、なんだかわしにも判るよーな気がする。 小さな人が登場してから、なんだか「マンハッタン」はちょっとお休みのほうがいいな、という暗黙の了解、というか交感というか、のようなものが出来てしまった。 もしかすると、そんなに難しいことではなくて、あのクソ狭い人間がぐじゃぐじゃいるところで小さい人を世話する人とモニとわしとでもすでに3人いるのに移動して回る、というイメージが嫌なのかもしれません。 いや、そういうことよりもペースがずれてマンハッタンとあわなくなっているのだろうか。 コモは行くだろう、ガメ? という。 わしは、そー、行きたい、と答えます。 夏のコモはいいものね。 のんびりして、湖にはりだした、あのレストランで、沖をボートが通るたびに寄せてくる波が桟橋にぶつかる音を聴きながら、新鮮なちびトマトがちりばめられたスパゲティや、オリーブオイルの香りがするイノシシの肉を食べる。 丘の斜面をぬってのびている中世の狭い道をとおって、「ジョン王」の家に行く。 あの見事な金髪の美しいアメリカ人の未亡人や、まるで忠実な下僕のような態度で未亡人に傅いているロイド眼鏡の似合う老富豪のFにもまた会えるに違いない。 … Continue reading

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オカネの値札

ニュージーランドの紙幣 http://www.nztripadvisor.com/new-zealand-currency.html はプラスチックの窓がついているチョーへんなお札(さつ)であって、アメリカ人や日本人が初めて見ると、なんじゃこれは、ふざけてやっておるのか、と思うのがふつーであると思われる。 わしがガキンチョのときは、いまよりも遙かにカラフルで明るい彩色の紙幣で、北海に面した陰鬱でひねくれた国からニュージーランドまで2万キロの旅をしてやってくるのは毎年夏で、ニュージーランドはゆいいつの取り柄の夏は天国で、なんとなく極楽ぽいニュージーランドと明るい彩色の極楽紙幣とがマッチしていて、可笑しかったのをおぼえている。 ちゃんとおぼえていないが、その頃のお札に較べると、プラスチックの窓も小さくなったよーな気がして、それには印刷技術がやや向上したことが関係があるだろう。 ニュージーランドの紙幣で最も使われるのは多分20ドル(1200円)札で、50ドル(3000円)札は2万円札、という感じになる。 100ドル(6000円)札も存在するが、これはチョー高額紙幣とみなされるので、カシノやなんかのギャンブラー紙幣で、堅気の衆は使いません。 20ドル札は最近ではわしガキ時代の「デイリー」という麗しい呼称を捨てて「スパレット」とかいう酢を飲みすぎて口をすぼめているようなインチキな名前で呼ぶことが多い新聞や駄菓子や牛乳なんかを売っている、あちこちの角にある最も小規模な小売店で支払いに差し出すのに考えたりためらったりする必要はないが、50ドル札は、「50ドル札でもいーだろーか?」と訊いて差し出す。 治安の悪い町だと受け取るほうも緊張しておる。 まだ贋札チェッカーが普及するところまではいかないので、北朝鮮の輸出先リストには載っていないのであると思われる。 CBDに行けば、マーカーでチェックしてはいる。 New Worldというのは、ニュージーランド資本の全国展開スーパーマーケットのうち、「品物がよくて高いほう」にあたるが、ニュージーランドに住むのにいくらくらいかかるかは、各店の広告チラシを見れば想像がつく。 モニとわしの家から最も近いスーパーマーケットは「New World Remuera」という店だが、 http://www.newworld.co.nz/upper-north-island/auckland/remuera/ この右の「Open the virtual mailer」というリンクをクリックすると、「今週のチラシ」が見られてニュージーランド人が生活してゆくのにいくらくらいオカネを使っているかの一端が覗き見できるのだとゆわれている。 見てみるとバターが500グラムで3ドル50セントというから210円です。 コカコーラの2.25リットル瓶が2本で5ドル(300円)だが、このあいだキンドルの電源を買いに行ったカウントダウン(オーストラリア資本のスーパーマーケット)では、同じものが2本で3ドル(180円)だったので、負けておる、というか、店によって随分値段が違う。 食パンなどはプライベートブランドの白くてへろへろのクソ食パンは二斤で2ドル50セント(150円)くらい。逆に、重さからして手に持てばよろめくほど重い、ぎっしりした感じのVogelは二斤でたしか4ドル50セント(270円)だったと思う。 ワインのようなもので言えば、ニュージーランド人が最も好むのは9.99ドルワインであると思うが、BIN555という日本でも売っていたワインが9.99ドル(600円)です。 今見ると、このBIN555は日本での「希望小売価格」が1943円で、安売りワイン店では1300円くらいで売っているよーである。軽井沢のツルヤスーパーで1500円、広尾のナショナルスーパーでも1500円くらいで売っていたよーな気がする。 PAK’nSAVE http://www.paknsave.co.nz/ は、New Worldと並ぶニュージーランド資本のスーパーマーケットだが、こっちはNew Worldよりも量が多くて安い。 Countdownはオーストラリア資本で、品揃えの質としてはちょうどニュージーランド資本ふたつの間くらい。 キンドル本体と周辺機器、あるいは(わしの好物の)ベジチップはこっちのほうにしか売っていないので、おいてあるものもやや異なるよーである。 日本には紀伊國屋スーパーマーケットという鎌倉で言えばほぼ人の虚栄心につけこむだけで商売しているスーパーマーケットもあるが、そこに集うオバチャリの買い物かごにグッチのバッグをいれてよく訳のわからなない肘までのレースの手袋をつけた、ブ、キ、ミなおばちゃんたちのことが思い出されても、そういうくだらない悪態をつくのをやめて、普通に通常のスーパーマーケットよりも「高級な」ものを売っているということになっているスーパーマーケットにはfarro http://www.farrofresh.co.nz/ とnosh http://www.noshfoodmarket.com/ があるが、noshのほうが全然よい。 farroは高級風であるだけで店員もたいした品物への興味もなしにやっているのに対してnoshはチーズ売り場の店員はチーズが大好きで知識も豊富、客が少なければ30分くらいも話して遊べるくらいのひとが揃っている。肉売り場ではハラルとニュージーランド式の屠殺の違いを詳細に話すことが出来、中国では豚の活けじめをするので、どんなふうに屠殺するかというようなことを目を爛々と輝かせて聴いておる(^^) 自然、わしはnoshが好きで、小さな人が生活に登場してからいよいよ日常の買い物というようなものにはいかなくなってしまったが、チャンスがあって買い物をさせてもらえるときには、このnoshに行く。欧州のあちこちの国の様々なチーズやお菓子、あるいはわしの好みにあわせて特別に切ってもらったステーキ肉やなんかを抱えてヘラヘラしながら帰ってくる。 … Continue reading

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きそくえんえん

あんまし日本て自分には向いてない社会だったなあーと思う第一の理由は、なにしろ日本という国はめったらやたらに規則が多い国で、もともとチョーええかげんな環境で育ったわしからすると、こんなにいっぱい規則あったら、おぼえるのもしんどいわ、と考えたことでした。 「向いてなかった」とゆっても、もとから住むつもりはなかったのだから、ただ何回か遊びに来て滞在しただけでそーゆー言い方をしてはいけないよ、きみ、というひともいるだろーし、実際それはほんとうだが、しかし、だからと言って規則が無暗矢鱈に多くて、普通の人間には守れないほどだった、という事実がなくなるわけではない。 欧州の街では通りで踊り出すひとなどいくらでもいるが、日本では「One in a Million」 Neyoのようにいかにも胡乱なおじちゃんが、いまにもそのヘンの若い衆を押し倒しそうなねーちんたちと公道で踊ったりすると、日本なら「通報しました」というツイッタが流れて、十字架を手に手にかかげた警察の一団があらわれて「日本の職務インクィジションだぞ!」と叫びながらなだれこんで、 「きみ、まさかナイフ所持したりはしてないだろうね」と嫌らしい権力の微笑もものすごく、すごんでみせるところである。 http://www.youtube.com/watch?v=6tpl9LtkRRw&ob=av2e 日本が一個の人格をもった高校の新入生で自己紹介をしたとすると、周囲の社会に規則なんてあったっけ、な、とろい顔をした同級生たちを睨めつけながら 「ぼくの趣味は規則です」といいそうなくらい、それはそうであって、 なんでもかんでも「ほんとうはやってはダメ」なことになっている。 クルマには厳重な「車検」制度があって、ニュージーランドというチョークルマ社会でこれに該当するのはWOF(アジアから来た人には、これを「ウォフ」と呼ぶ人がいるが、それでは犬さんみたいなので、ダブルユーオーエフと読みます)だが、これは10分くらいでブレーキが利いてシートベルトが切れてなくて、クルマが火事になったみたいなまっくろくろすけな排ガスが出なければ合格です。1500円くらい。2000円になると、支払うときに嫌な顔をして「たけーな」とクルマの持ち主はつぶやくだろう。 「車検」のほうは、たしか12万円がところであって、コストからして格が違うが、わしがぶったまげたのは、車検が切れたクルマで道路を走ると「免許停止」になるという法律のほうだった。 山の家と広尾にほうっぽらかしにしてあったクルマが車検が切れていたので懇意のクルマ屋さんに電話して、「運転していくから」とゆったら、「ジョーダンじゃない、ガメ、そんなことしたらたいへんなことになる」と言う。 車検がきれると時効でブレーキが利かなくなる、というような仕掛けがほどこしてあるのかと思ったら、お巡りさんに発見されると、免停になる、ということなので驚いてしまった。 じゃ、トラックを手配するしかないよね、ということになったが、当日になると営業のにーちゃんがドアホンの画面のなかににこやかに立っている。 「トラックどこに駐めたの?」と訊くと、「あっ、ぼくが運転するからいいんです」という。「クルマ屋はつかまっても、すみませーん、お客さんのクルマなんで見逃してくださあーい、とゆえばなんとかなりますから」 そーなのか、へえー、と思ったりした。 きみが若い天才発明家で、斬新な「自分で歩き回ってお掃除するダイソン」みたいな掃除機を発明して売り出そうとしても、そうは問屋がおろさないのであって、PSEを始め、うんたらかんちゃら法がたくさんあって、発売にこぎつけるまでたいへんな苦しみの連続になる。何度もお役所に出かけて、哀願して、ゴマをすって、揉み手をして、すりすりすりとすり寄った姿勢で卑屈にならないとダメであると思われる。 一年くらいすれば卑屈な姿勢が評価されてオカミから許可がでるかもしれません。 ウエスタンデジタルの3TB版パスポートは日本ではえらくのんびり発売されたが、アメリカ業界の噂では、日本の規制を外国企業への嫌がらせと受け取ったWDの社長がキレて、「そんなんだったら、もう日本では3TB版以降は売らなくてもいい」と怒ったからだという専らの噂だった。 クルマでも食品でも、そういうことがたくさんあって、日本という国は他の国の産品は、あんまし売りたくないみたい、というイメージが定着してひさしくなっている。 だから日本政府が「フェア・トレード」などと口走ると、失礼にも、下品な声をあげて「けっけっけっけ」と笑う「米政府高官」が出てきてしまうのです。 この熱狂的な規則好きは相手がさらに弱い立場の「生徒」とかになるとサディズムの様相を呈してきて、わしはある地方名門女子高校の校則を読んでいて、欣喜雀躍したことがある。髪の毛は生え際が隠れるくらいに何センチまで、スカートは膝下2センチとか、わしがよろこびそーなマニアックな細則にみちていたからで、ひょっとするとニッカーズの色は白に限る、とかタンポンの直径は何ミリまで、とか書いてないかと従兄弟とふたりで、はしたなくも、コーフンして期待してしまうほどであった。 閑話休題。 しかも日本の人は健気であって、すべての規則を守ろうとする。 従順そのもの、オカミの味方、ぼくらは優等生だもん愛国はてな団です。 冗談ではなくて単位距離あたりニュージーランドの百倍はあるだろうと思われる、すさまじい数の交通信号機(ところであの信号機はちゃんと公平な落札をしているようにみえないが、誰が落札受注を監視しているのだろう?監視している団体は怠慢なのではないだろうか?)に脇に立って、夜中、見渡してもクルマなんか一台もない深夜の通りに、寂しげな姿で立って、じっと信号が変わるのを待っている、ヤンキーな女の子をみていると、日本だなあー、と思う。 わしは違法な不逞ガイジンなので、信号が赤でもなんでも、わたれそうなら、さっさとわたってしまう。日本人の友達は、「小さな子供がみていてマネしたら大変だから」とゆって、わしがわたっても、ちゃんと信号が変わるのを待っている。 えらいなあー、と思います。 えらいなあー、と思うが、カリフォルニアでも立派に違法なジェイウォーキングで道路をさっさと渡ってしまう。 ときどき、遺伝子に「不法遺伝子」というものがあって、わしらはそれが活性化されてんのとちゃう、と思う事がある。 このまま行くと、カタカナでフクシマと書くのは許されない「フクシマタブー法」とか、教科書にも「福島第一原子力発電所で事故って、格納建築物が爆発してぶっとんじった」とか書いては不穏で、検閲不可であって「福島第一発電所で津波による損壊があったが国民の努力により収束に向かった」とか書かないといけない世の中になると思われるが、日本のひとは必ず、そういう新たな「見えない規則」にも対応してゆくに違いない。 観察していると、日本のひとがそういうオカミ規則雁字搦めのなかで生きていけるのは、自分自身を「オカミの一部」と感じていて、オカミの意向に逆らう人間は、「ゆるせない」と感じるからであるもののよーである。 自分自身をオカミの一部と、あれほど自然に思える国民は他には存在しないので、日本政府は毎日曜日に聖体を授して、「このワインは政府の血、このおにぎりは政府の肉体である」と伽藍のなかで厳かに述べる儀式をもってもよいと思うが、日本の人には宗教的狂信というものを嫌う回路が備わっているので、そーゆーふうな生き方にはならないもののよーでした。 規則への熱狂的な服従はカルトを生むことが知られているが、わしはこれから海辺に遊びにいくところなので、また今度の機会に考えたい、と思います。

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カタッチー思想

外形を繕うのは大事なことであって、そういう本質でないことで糊塗するのは偽善であるという意見は幼児的である、という立場がこの世には存在する。 スコットランドの北のほうに行くと、いまでもじーちゃんたちが通りの角のデイリーに新聞を買いに行くのに、ネクタイを締め、スーツを着て、髪にも念入りに櫛を通してからでかける。 あるいはバルセロナの子供は一日に2回3回と学校(たいてい家のすぐそばにあります。そのかわり日本やなんかの学校に較べてちっこい)と家のあいだを往復するが、それに付き添うおかーさんたちは、伝統的には冬なら大層なもっこりコートを着て、長いおおきなネックレスを首から下げ、ブレスレットをじゃらじゃらと鳴らしながら盛装をして子供の手をひいてゆく。 ニュージーランドではパジャマでドライブウエイの下の新聞受けまで新聞をとりに行って近所の大顰蹙を買い、あまつさえ、そのパジャマのまますたすたと通りを歩いて近所の食料品店にパンを買いに行ってしまう中国のひとびとは、ちゃんとカッコヨクしてから新聞受けに歩いてゆく欧州系ニュージーランド人たちを笑って、かっこばっかりつけてるから儲からない、というが、「西洋文化」というものは実は形に魂が籠もっているのでかっこ悪くなると魂がおっこちてしまう、ということを知らないもののよーである(^^) ユニクロがあまねく普及するまでは日本の田舎に行くと、ものすごい恰好をしている人がたくさんいた。あんまりいうと下品だからゆわないが、わしがチビガキのときに見た日本の「地方」の印象はなんだかボロをまとったひとたちが蹌踉として歩いているゾンビの街のようなもので、しばらく軽いトラウマになって夢にでてくるほど貧しげな光景だった。 かーちゃんは、あのひとたちは質素にしているだけで、実際には豊かな人が多いのですよ、と妹とわしに説明するのを常としたが、それでも子供ふたりは、車窓から見える人のあまりに酷いかっこうに思わず顔を顰める母親の表情を見逃さないで知っていた。 おそるおそる義理叔父に述べてみると、意外や義理叔父は楽しそうに呵々と笑って、「日本人は、恰好かまうの嫌いだからなあー」とやや誇らしげに述べたりした。 アルファロメオというクルマは根性のあるクルマで、あんなに長い間つくっているのに、まともに壊れないで走るモデルがいまだにひとつもない。 南伊工場を避ければ結構まともに走るとゆわれるフィアットと較べても天晴れな品質でイタリアの警察は剛胆にもパトカーとしてアルファロメオを使っているが、稼働率が4割を切るのだとフィレンツェで読んだイタリアの新聞に書いてあった(^^) クライストチャーチのペトロステーションでガソリンをいれていたら、カッチョイイ赤いアルファロメオがはいってきたので、下りてきたおばちゃんに、カッコイイくるまですのおー、と述べると、いま納車で受け取ってきたばっかりだからね、これが初給油なのよ、きゃっきゃっ、と嬉しそーである。 給油口の蓋を開けて、みるからにかっこええ立体3Dの鍵をいれて栓をまわしたら、シリンダごと、ずるっと出てきた。 後に残ったのは、鉄板で囲まれたタンクと、その鉄板に空いた虚ろな穴であって、 「うーむ、さすがはアルファロメオ」とゆいそーになったが、いうとおばちゃんに手にもったノズルからガソリンをかけられて火をつけられそうな気がしたので、重々しい表情で、絶望の悲鳴をあげて絶叫しているおばちゃんをじっと眺めていました。 アーサー・ヘイリーの「自動車」という小説には、「クルマは恰好がよければいいんだ。他には、なにもない」と断言するフォード自動車役員が出てくる。 まことに真理であると思います。 その上に走れば、なお良いと思うが、アルファロメオのようなクルマを買う場合には、それも高望みというべきである。 あの無茶苦茶かっこいいデザインに、死んだらこれを俺の棺桶につけてくれ、というひとがいそうなクラッシイなバッジ、幸運にもエンジンがかかる個体にあたった場合には、シブイ音で脳がとろけそうになるツインスパークエンジンの響き、しつこいようだが、その上にときどきは実際に走るのだから文句も言えない素晴らしさであると考える。 ホンダのクルマは丁度逆で、あの会社にはデザイナーというようなものは存在しないのだと思われる。マジでいないと思う。いたら驚く。 90年代につくられたホンダは特にひどくて、どうも極端な実質主義というか、エンジンだけが会社の関心で、ほかはまあオマケだからどーでもいいや、というホンダ人の言葉が聞こえてきそーである。 義理叔父はむかしレジェンドクーペという、当時で600万円くらいするタカホンダをもっていたが、ガキのときにはすでにクルマが好きなかーちゃんの影響でクルマに対する審美眼を装備していたわしは、エンジンの音のこもりかたが、エンジンルームの防音目的過剰詰め物であることを見破った。多分、ベッドのマット一枚分くらいははいっていたと思います。 しかも内装の皮革の選択を誤っておって、「これ、はがれそうな気がする」とチョー遠慮して義理叔父にゆってみたが、義理叔父は、なははは、と笑って、このクラスの自動車でそーゆーことはないであろう、という。 現実は、その夏に太陽の熱で皮革が膨れあがって、まくれてしまい、あえなく「インテリア総とっかえ」に工場送りになったようでした。 そーゆーことを別にして、このレジェンドクーペは、てかった整髪料をつけて、ぺろい背広を着たおっさんのようなダサイ風貌で、ヘッドライトは、他のシビックやなんかと同じ「ウルトラマン目」で、あまりのかっこわるさにたじろぐよーなクーペだった。 クーペ、というクルマは「かっこだけ」で、かっこ命、かっこばっか、が哲学のクルマであると判っていないよーでした。 日本にいるあいだ、日本のひとは「かっこうよりも実質のほうが大事」ということを公理のように信奉していたが、そーゆー思想は、チビガキのときから「ガメちゃんは頭は悪いけど、かわいいからいいわね」と周囲の敬意と称賛を一身に集めてきたわしとしては、受け容れがたい思想であった。 まだちゃんと考えていないので、どうせこのブログ記事も突然終了するに決まってるが、「夢酔独言」を読んでも何を読んでも幕末の旗本は目に一丁字もないおおたわけが多かったようである。考えていることは、おおむね、あぶく銭を稼ぐことと「かっこ」だけであって、そういう人がたくさんうろうろしていた世の中が突然変わるのは、どうやら「ご一新」でのことのよーです。 当時の革命運動の主体であったらしい地方下級武士のいまに残る写真をみると、ほとんど浮浪者のようなかっこうをして目ばかりが爛々と光っている。 しかし、ではこの風体が、あるべきかっこうをなしていないかというと、いかにも「革命家」ふうであって、こちらは絵なので写実的でないのかもしれないが、西郷隆盛という儒教を信奉していた革命家などは中年マーロン・ブランドがアジアの革命家に転業したような趣でかっこいい。 かっこわるくなってしまったのは市井の通りを歩くひとびとで、「威儀」と「粋(いき)」という、日本なる国の世の中の芯をなしていたものが消滅してしまう。 こっちはもっとくだらない暗合にしかすぎなくて、そんなこと書いてていいのかしらと思うが、明治から日本の陸軍の制服が昭和20年8月に向かって改正されるたびに、かっこわるくなって、それと歩調をあわせて軍規がゆるんでゆくよーに見えるのは気のせいだろーか。 そういう妄想が起こるのは、日本政府が戦時中に民間人に強制した服装である国民服と女びとのもんぺ姿には、人間性を貶めて平然としたまま、ただ自分達の信じる「効率」を追究する当時のどーしよーもなく軽薄な国家運営思想が体現されていると思うからです。 名は体を表す、というが、体(たい)は実質を最もあらわしている。 いま日本をふたつに分断している原子力発電所論議に加わっている人も、議論の前に原子力発電所を訪ねて、出来れば内部にはいってみるとよい。 眼前にある建物装置は、人間の感覚を拒絶して、ひたすら巨大、ひたすら複雑で、ただお湯を沸かすということのためだけに、あれほどの屋上屋を架した制御が必要な系統などは、ちょうど5歳児がシロクマを馬車につないで使っているよーなもので、恙なく稼働させるためには、とんでもねーややこしい工夫を積まねばならず、いったん暴走すれば出来うることもなかるべし、というようなことは、人間のふつーの感覚があれば了解できる体のものです。 実質というものが、どの程度主観によるでっちあげが混入せずにありうるものか、というのは、また別の論議がまるごと出来上がるほど考えることが多い問題だが、今日はDiabloIIIの発売日で、かねて注文してあるコレクターズエディションを受け取りにいかねばならないので、この記事は、このくらいにしたいと思います。

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オダキンどんへのご返信

アンザックデーはオーストラリアとニュージーランドという軍事的にはほぼ恒久的な同盟関係にあるふたつの国が、初めて一緒に戦ったガリポリから最近の戦争まで、お互いの国の、戦場で死んだ、あるいは生還した若い兵士たちを称えて、彼等の栄光と悲惨を思い出すために作られた記念日です。 今年のアンザックデーの一番のおおきな見出しは、25人のうち17人がに首を刎ねられて惨殺された日本軍の捕虜になったタラワ沿岸警備隊の最後の生き残りのジーチャンが、いままで3人の親友が含まれる日本人による捕虜虐待・惨殺の記憶に苦しめられてでかけてきたことがなかったアンザック記念式典に初めて出かけて献花した、というニュースの見出しだった。 http://www.stuff.co.nz/national/last-post-first-light/6806205/Last-Coast-Watcher-remembers このニュースを観て、「とうとう日本は誤魔化し続けて、生き残りが全部死ぬところまでこぎつけたわね。賢い国民だわ」と中国系ニュージーランド人のSさんがゆったのは、 この生き残りおっちゃんが91歳だからです。 Sさんの中国に残って居る家族は、3人が日本軍によって殺されている。 ばーちゃんは、日本兵に強姦された被害者のなかでは奇跡的に殺されなかったひとのひとりだった。 わしにはオダキンという最近ネットで知り合ったお友達がいて、 今日の朝、起きてみたら、いくつか話しかけられていた。 ツイッタでこたえよーかなあーと思ったが、ブログのほうが楽そーなので、 ブログ記事で答えることにした。 オダキンさんの発言、以下の通り、 「@odakin @gameover1001 @wagonthe3rd @sd_alice @ukoh_rain んでフランスの対日感がそんな悪くないのに関しては、第二次大戦後ヴェトナムやアルジェリアの独立戦争があったから、日本が植民地を失った直接の引き金、って感じがしないのかなと」 「@odakin @gameover1001 @wagonthe3rd @sd_alice @ukoh_rain 一方、中国や米国の対日感情がそんなに悪くない(中国に関しては日本がやった悪行に比するほどは悪くない)のは、戦勝国だからかなと。(英蘭は植民地のロスの方が大きい。)」 「@gameover1001 @wagonthe3rd @sd_alice @ukoh_rain 英(連邦)にとっては膨大な植民地を失う結果につながった旧敵国だからな。(むかし昭和天皇が死んだ時の英大衆紙の一面見出しが「暗黒魔王を地獄が待ってる」だったと読んでちょとワロタw」 「@odakin @gameover1001 @wagonthe3rd @sd_alice @ukoh_rain 一方、中国や米国の対日感情がそんなに悪くない(中国に関しては日本がやった悪行に比するほどは悪くない)のは、戦勝国だからかなと。(英蘭は植民地のロスの方が大きい。)」 「@odakin @gameover1001 @wagonthe3rd @sd_alice @ukoh_rain … Continue reading

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帰り道

故郷への道をたどっていたゴータマ・シッダルタは、故郷をほぼ目前にして病床につく。80歳になっていた「宇宙の真理を覚ったひと」は、「もう、ここでいいだろう」と静かにつぶやいて、小さな町の茅屋で死にます。 思想家あるいは宗教家として一生のうちに達成したこととは、また別の、現実に生まれてから死ぬまでの一生において仏陀というひとは幸運のひとで、およそ手に入らないものはなかった若い頃から始まって、静かな眠りにつくまで、誰が眺めても、こんなに幸福な一生をおくれるひともいるのだなあー、という感想をもつという体のひとである。 その暖かい光のような仏陀独特の知性に満ちた一生のところどころに、びっくりするような冷たいわがままがのぞくのは、いろいろに教義上の説明がついていても、育ちの良い人間に特有の冷淡さだったでしょう。 だが触れれば凍傷をおこしそうなほど冷たい芯を抱えた仏陀を、同時代のひとは、みな愛したもののよーである。 イエスやマホメットに較べて「生身の人間である」ことをためらわなかったゴータマは、どうみても他のふたりの教祖よりも充足した生命の持ち主であったようにみえる。 エヴァリスト・ガロア http://en.wikipedia.org/wiki/Évariste_Galois という、20歳で死んだ天才数学者は、17歳のときに真に独創的な素数次方程式の代数的解法についてのふたつの論文をコーシーに提出する。 いまみると日本語世界では違う話になっているよーだが、多分論文の価値に気づいていたコーシーは論文をひとつにまとめるよう指示をだすが、ガロアは不分明な理由でそのままにしてしまう。多分、コーシーの指示を数学的な俗物主義とみなしたのだと思います。 18歳のときには市長であった父親が自殺する。 自分の将来が、そこに入れさえすれば救われると信じた理工科学校の入試には、ガロアの飛躍が激しい論理と、試験官に対する露骨な軽蔑的態度がたたって2回とも失敗してしまう。 この頃から自分の巨大な才能への自負と、犬のように自分を扱う世間の自分への態度との激しい落差に引き裂かれるようにして狂人のように荒れ狂いだしたガロアは、口をひらけば悪罵がほとばしり、誰に対しても挑戦的な態度をとり、王の名をとなえながら杯の上に短剣をかざす、政治上の、というよりも、度を越した政治的悪ふざけの反王党的なジェスチュアによって逮捕される。 いちどは釈放されるが、今度は砲兵の制服を着て数挺のピストルにライフル、短剣という姿でバスティーユ・デイのデモの先頭に立ち、今度は6ヶ月刑務所に服役することになります。 刑務所を出た直後、いろいろな憶測はあっても、結局は色恋沙汰であるというほか何も理由がわからない、つまらない決闘に立って、ガロアは腹部を撃たれて死ぬ。 瀕死の床で、聖職者の祝福を拒んだガロアは、気が優しい弟のアルフレドが嘆き悲しんで泣くのを見て、 「泣くな、アルフレド。20歳で死ぬために、おれはありったけの勇気を集めねばならないんだから」 (Ne pleure pas, Alfred ! J’ai besoin de tout mon courage pour mourir à vingt ans ! )と言ったという。 現代の人間は死をおそれるのだ、と、言語が成立したばかりで、まだ「地獄」というような宗教家の恐喝に打ちのめされていなかった太古の時代のひとに向かって述べれば、言われた太古の人間たちは、首を傾げるか、なんてヘンな奴らだろう、と言って笑うに違いない。 日本語の「花火子」(7月4日の夜空に花火が盛大に打ち上げられる日に生まれたからです)に因んで名前をつけられた低地ゴリラのココ http://en.wikipedia.org/wiki/Koko_(gorilla) は2000語程度の語彙の英語を米式手話によって話すが、やや「死」という概念そのものが理解できているかどうか曖昧だが死への恐怖という感情は認められないという。 生まれてから、ただ「生き延びる」ことに追われて窮窮として死んだ人類の歴史の大半を占める人間にとっては、死はおそれるどころではなくて、苦しみの終わりだった。ただ自分の意識が消滅するという本源的な寂しさを怖れただけのことで、安らかに死ねれば、人間にとっては、悲惨と痛みの終わりという以上の意味はなかっただろう。 メルボルンのドックランズという新しいウォーターフロント開発で出来たレストラン街のテーブルで、まだ夏の太陽の母上が中天に輝いている午後、70歳を過ぎた科学者ジジイである大叔父はシラズですかり酔っ払って、「予定もしてないのに生まれてきて、今度は死ぬことだけは、逃れようもなく、ばっちり決まってるんだから、やってらんねーよ」という。 だいたい、神様ってのも、いるんだかいないんだか、はっきりしない曖昧なやつで胡乱だが、意識みたいややこしいものをつかさどるコンピュータをタンパク質みたいな腐りやすいものでつくるというセンスは、どうかと思う。 「死後の世界、とかあると思う?」とわしが訊くと、 … Continue reading

Posted in gamayauber, 死と死後 | 2 Comments