ゆるんだネジとつぶれたネジ

動く機械をつくって遊んだことがあるひとなら、経験的に、ふつーに知っていることだが、パーツとパーツにわずかな「ゆるみ」を与えることは大事なことで、もちろんゆるすぎれば接合したことにならないのでもあって、どのくらいの「ゆるみ」が最適か、という経験から知る技倆がいる。

日本軍が真珠湾を不意打ちにしたときの有名なエピソードがあって、弾薬倉庫の鍵を預かっている下士官が、規則をたてに鍵を開けるのを徹底的に拒んだ。
頭上の低空を零戦が飛び回っているのに、正統な命令系統の署名がある書類をもってこなければ扉は開けられないと頑張る。
上官がいくら言い聞かせようとしてもダメで、結局殴り倒して鍵をもぎとったそうである(^^)

3代目のレンジローバーの開発が始まった頃、ランドローバー社はちょうどBMWからフォードに所有権が移転するところで、会社は大混乱に陥った。
レンジローバーというクルマは高い割にエンジンデザインは古は品質は悪い(かーちゃんが買ったレンジローバーは購入5日で内張が落ちてきた。3週間目くらいだったが、大雨の駐車場で、セキュリティコンピュータの乱数発生器が壊れたとかでドアがどうやっても開かなくなったこともあった)はで、とんでもないクルマだが、いちぶにはこのクルマがないと困るひとたちがいて、随分心配されたものだった。

ところが、ランドローバーのプロジェクトマネージャーたちは混乱をかえって利用したのであって、上が政争に明け暮れているあいだに十分すぎるほどの予算をギッテきた。
3代目は、皮革にコノリーを使うのをやめたのとデザインが庶民うけを狙いすぎたのとで大層評判が悪かったが、マシンとしては非常に良く出来たクルマに仕上がって、ハリウッドウスターたちを始め、前二台の上流階級向けのマーケティングから、普通の高級車マーケットに鞍替えしたかっこうで普及したが、それにはハードウエアとしての品質の向上がおおきかったようでした。

歴史を遡ってずっと見ていくと、日本の社会は70年代くらいまでは、ものすごく管理がゆるい社会で、特に営業などは、今月に立てられる売り上げを来月に回したりして、一ヶ月の「パチンコ月」をつくったり、かなりのんびりしたものであったよーだ。

半導体という商売はどこの国でも丁度オリンピックの開催年にパイプライン波のごとき大波が起きて、ボロクソに儲かる商売で、インド人、台湾人、日本人、アメリカ人、どこの国の商人も総出で半導体を買い占めて、メモリで何十倍、集積回路の集積度がまだあがっていなくてチップ内に集積されない回路が多かった当時ではパルのような(本来は)安い部品は何千倍、という値段で取引されるので、元手を1000万円もかきあつめられれば、あっというまに数十億の利益を上げることができた。あんまり詳細を書く気はしないが、日本の会社で言えば加賀電子のような会社は、まるっきり、この4年に一度の大勝負で利益を生んで出来た会社で、
もっと身近な例で言えば、秋葉原という街は、初代のボスのミナミ電気の頃こそアメリカ軍の放出真空管やなんかで商売して稼いだが、このボス達の出資もあった二代目の○・Z○NE(亜○電子)の頃になると、創業者はロスアンジェルスや台湾でも有名なKさんという人徳のある半導体商人で、○田無線であるとか、なんちゃら無線というのは、みな表向きはパーツ商売やアマチュア無線の商売でも、ほんとうの商売は、この「4年に一度の半導体の大波」だった。

義理叔父が友達と台湾に用事ででかけると、チョーパンに腹巻きというカンドー的なかっこうのそりこみのおじさんが、「おー、XXちゃん」と商社マンである義理叔父の友達に呼びかけて、あまりの柄の悪さに義理叔父が絶句していると、
「Cのヤローが一億もって逃げちゃってさあー、しょーがねーから、会長の俺様がタイペーくんだりまでこなきゃいけなくなっちまって、まいってんだよ。ところで、元気?」などとゆっていて、「半導体立国日本」の舞台裏って、こういう色調だったんだなあー、としみじみ考えたそーである。

こーゆー見るからに柄の悪いおっちゃんが大手電機会社の半導体担当重役に直截電話して、「XXちゃんさ、不良率が、もう0.1くらいあがってくれると、俺、調達しやすくて助かるんだけどなー」とゆーよーにして、日本の繁栄は出来た。
ひとりひとりインタビューしていくと、いまの日本社会では到底許されない破天荒な無軌道さで、ものごとは進んでいった。
こっちの方角からみると、この傾向が制御できなくなってバブルとバブルの大崩壊が起きた、とも言えるよーである。

日本社会のマジメ病がいつ頃から起きたかというと、70年代後半にすでにその萌芽があって、80年代には顕著になったと言えるだろう。
強姦というような言葉は禁句になって婦女暴行と表現することになり、やがて「婦女」もとれて、「暴行」になる。
ATOKという漢字変換ソフトウエアは、「気違い」と入力しようと思っても候補そのものが出ないようにつくってある。
白痴、というような語もデフォルトではダメで、オフェンシブな言葉は、社会表面から一切抹殺されている。

スポーツでいうと、「管理野球」とゆってもてはやされた初めは巨人「軍」の、川上哲治監督の後半で、このひとの9年連続リーグ優勝の始まりが1965年、終わりが1973年で、71、2年頃になると経済雑誌やなんかの対談に、まるで成功した経営者のような恰好で登場するようになる。

次に「管理野球」で有名になった監督の広岡達朗が西武ライオンズの監督に就任したのが1982年で、1986年のシーズンの前に辞任している。
この頃になると経営者が広岡達朗の「ご意見をうかがう」などというのは普通のことで、なかにはスポーツにすぎないベースボールの監督に「心酔」してしまう経営者もいるので、調べているこっちは、ぶっくらこいちまう、というか顔が赤くなような気がする。

この広岡というひとは選手の食生活にまでいちいち口をはさんで、細かく指導したようで、見ていると気が遠くなるような気がするが、なにごとも細かく管理するのをよしとする、こういうキチガイ染みた傾向は、80年代のこの頃になると普通の社会的な風景です。

ものごとを見るときに少し立っている場所を移動して、ほんの少し違う角度からみると、真実か錯覚か、へえ、と思う図柄が見えることがあるが、2000年頃から始まる日本ではゆいいつの、結局は株屋金融屋のことになって話が歪んでしまいソフトバンクの孫正義くらいをゆいいつの例外にして失敗に終わった日本の「IT革命」の試みは、会社が起業されてからの成り行きをみていると、ほとんどが日本社会の約束上は、社会的な落伍者、3年浪人して4流と呼ぶのも難しい大学にやっと入学できたり、旧帝大出身であっても1年も行かないうちに中退したり、というような人間が訳もわからず無手勝にことをすすめているあいだは意外やうまくいっていて、丁度、早稲田大学、というようなあたりの人間がはいってくる頃になると、退屈な会社になり、トーダイが入社するに及んで先行きが殆どなくなる官僚会社化する、というふうに見えることがある。

プロジェクトの出し方ひとつにしても、表に立ちたくないスポンサーが、5000万円なら出すとゆっているので、きみひとりしか当てられないけど、なんかやれない?とゆーよーなチョーいいかげんな事業案というものがなくなって、マーケティングを繰り返し、参入障壁を見当し、もてるリソースとアドバンテージを検討して、ほんじゃ初めは8.5人でやりましょう、というような事業案の作り方をするようになる。
8.5人というのは、誰かの下半身だけが事業に参加するのかというとそうではなくて、ふたつの事業を掛け持ちするひとを0.5人と数える。
したがって、念の為に述べておくと、3人でやる、と書いてあっても、そこで油断してはならないのであって、もしかすると3つ掛け持ちしているやつが10人烏合の衆になって事業を成功できるもんならやってみろ、と参加しているのかも知れないのです。

ずっと昔には一瞬、日本の会社と仕事をするのを検討してもいいかなあー、と考えた事があったが、日本語がわからないふりをして聞いている「事業計画案」なるものは、なあーんとなく「絵に描いた餅」という言葉を思い出させる体のものが多くて、このひとほんとにこんな自分の会社の都合だけで考えたみたいな事業がうまくいくと思ってるのかなあー、と「プレゼンテーション」を見ながら考えることが多かった。

「絵に描いた餅」と「管理好き」と「隙間がなくなったこと」の3つは実は社会のなかの正確に同じ事柄を現していて、わしはこれをふざけて「教科書教条主義」と呼んでいた。

誰かが何かをいうと、必ず鼻をふくらませて、「ええええー?そんなのいったい教科書の何ページの何行目に書いてあるんですかああああー?」と言い出すひとがある。日本語インターネットの発言ややりとりを見ていて面白いのは、最近では、発言するひとも、いちいち五月蠅く「出典」を述べながら意見を述べるので、煩雑を通り越してマンガ的に見えてしまうことで、なかなか話も進まず、なんだか頭の悪い学生たちが研究者の発表のマネをしてAKB48の噂話をしているよーなもので、見ているとゲンナリする。

その一方では、教科書というものはウソばっかり書いてあるものだという誰でも知っているはずのことは知らなくて、どうも教科書に「教科書に書いてあることはすべからく正しい」と書いてあっても信じてしまいそうなくらい教科書正統主義に中毒している。

なにしろ教科書を信じるくらい頭がわるいので、頭がわるくなってしまったひとの特徴である「退屈さ」「しつこさ」「単調さ」、わかりきったことばかり、だらだらだらだらをと、しかも、あたかも何か新しいものを発見したのでもあるかのような興奮して自己陶酔した調子で話されるので、我慢して聞いているひとのほうは下を向いて、「こーゆー奴は、中国様にリボンをかけた鉄格子で送ると、チョンチョンチョンッとクビはねたりしてくれるのかなあー」と甘い夢想に浸り、おもわず、「不思議の国のアリス」のQueen of Hearts、”Off with their heads!”を思い出して、くっくっくっ、と忍び笑いをもらしたりする。

日本の「パブリック」な空間というのは、障害者というのは字面が障碍があるひとに失礼なので障がい者と書かねばならなくなる空間のことであり、
キチガイと言うのはとんでもない差別語なので、ありえない表現、ノイローゼというのは精神病理学がなにもわかっていない証拠で、そんな用語はないし、分裂病だってさ、はっはっは、あんた判ってるふりもいいかげんにしてくれよ、あれはね、統合失調症というんです、統合失調症。
という、チョー・ミニでニッカーズちらちらさせるのが流行ってんのに、そんな太腿が隠れるような流行遅れのダサイスカートはいてマトモな人間づらすんじゃねーよ、の世界です。

どこの世界にも、コントロール・フリークはいるが、日本の社会の問題は、それが社会のなかで多数を占めてしまっていることで、伝統的には日本の社会は、この段階に至ると、集団サディズムの症状が顕れて、狂信カルト国家に変貌してゆくのが知られている。

少しでもあまいと思われるネジを見つけてはしめて歩き、隙間という隙間は教科書をコピーした呪文で耳なし芳一のごとく塗り込め、姿を見えなくして、どうしても隠せない耳はもぎとって、虐殺も性犯罪もなかったことにする。

こういうことには、ずっと以前から具体的な顕れがあったことで、
デザイナーが描いた美しい曲線にはプロジェクトリーダーの事業部長の好みの線が書き加えられて世にもダサイデザインの製品になり、漫画家が描いたコマの吹き出しには見覚えのない、訳のわからないセリフが編集者によって書き込まれて印刷されている。
管理がアグレッシブになると、管理側に意図がなくても破壊的な効果を遺憾なく発揮しはじめるのは、ものをつくる側の人間がみな知っている、管理という思想がそもそも創造にとっては本然的に破壊的な思想であることによっている。

日本の「高齢化」の内実には、人間は年をとると保守化して管理以外には生産性というものが判らなくなる、という人間の生理に根ざした社会の生産性自体の内部に起きた頽廃がある。

締め付けすぎてネジ山がつぶれた部品が、逼塞し、窒息して、希望を失い、人間としてどころか社会の部品としても壊れていって、次々に自殺してゆく最大の理由だと思います。

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6 Responses to ゆるんだネジとつぶれたネジ

  1. Kenji Izumi says:

    バブル崩壊をリアルタイムで経験した人間としては忘れられない瞬間が、アメリカの横槍でとんでもない利率の変更に調印させられたってなニュースを聞いたときだったな。
    経済のしろ〜との僕でさえ飛び上がった。
    出展?w
    何年か前のwikipediaの「バブル崩壊」にはその調印のことが描かれてたけど、今見たらしっかり削除されてるねぇ。

    • 泉さん、

      >バブル崩壊をリアルタイムで経験した人間

      バブル時代は、いまの中国どころではない、英語世界が深刻な日本の「世界侵略」に恐れおののいていた時代だった。
      いま2chで「親日家」(なはは)なんちゃってゆわれているひとでも、その頃の発言を読むと、はっはっは、と思う。
      だからいろいろインチキもやった。
      ついに日本が敗北してロックフェラーセンターも売り飛ばした頃には、黄土の向こうに去ってゆく匈奴を見送る漢人の心境だったよーです(^^;)

  2. AK says:

    いや、何でガメさん、知ってるのですか?

    実際にものづくり系の日本企業内部に身を置く者といたしましては、昨今ではグローバリゼーションとやらの掛け声のもと「内部統制」(Internal Control)なるものが猛威をふるっておりまして、なんでも、「エンロン」とかいう米国のインチキ企業が破綻した「反省」に基づいているのだそうでございます
    (ちゃんちゃらおかしいぜ)。

    あまけに「内部統制」を口実に性質(たち)の悪い「社外コンサルタント」の連中が経営陣に取り入り、おいしい事業の切り売りを巧妙に仕掛けてきたり、まったくロクなもんじゃぁございません。

    イスラム系スーフィー教団やら政教分離ケマル・アタチュルク派やらオーソドックスやらカトリックやらTKPトルコ共産党やら、
    思想的カオス状態のイスタンブールにて思うところは、もし本当に必要最小限の「内部統制」を行うのであれば、「モーゼの十戒」程度で十分ではないかということです(え?それではカネ儲けできない?)。

    • AKどん、

      >スーフィー教団やら政教分離ケマル・アタチュルク派やらオーソドックスやらカトリックやらTKPトルコ共産党やら、

      スーフィーというのは外で考えられているよりも歴史的にも遙かに影響力がおおきいんですのい。ちょっとわしもベンキョーしなおしているところでがす

  3. Ray says:

    ホンマに、日本は「1984」への道を歩き始めてしもたみたい。

    http://osakanet.web.fc2.com/kateikyoiku.html

    • レイさん、

      >日本は「1984」への道を歩き始めてしもたみたい。

      1984的挑戦は日本SG中国と広がってますがな。
      もしかするとレイさんが考えるよりも「いいわるい」よりも歴史的な対立なんですのい

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