ニホンゴー

どんな盾でも貫き通す矛と、どんな矛も跳ね返す盾の両方で武装した最強の状態のことを「矛盾」という。
一方で左手に鎌、右手に鉾をもって大車輪に戦闘できることを「かまぼこ」というが、ディアブロのバーバリアンなどではかなり有効な処世術のよーである。

夏目漱石という筆名は、枕水漱石から来ているのは有名だが、枕石漱水という言葉がもともと周知されていない社会で漱石と号したかったひとは、だから、自分の考えを表現するためにはたくさんの日本語を発明しなければならなかった。

わしの好きな故事成語に「杜撰」という言葉があるが、これは杜というひとが撰んだ詩の平仄がデタラメであったことに由来している。
言葉の由来としては「タブラン」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BF%A5%D6%A5%E9%A5%F3
に似ているよーでもある。

わしは日本語書き言葉をベンキョーするのに漢文から学習したが、漢文を学習した理由は「ひらがなより漢字のほうがオモロイ」という理由でも、日本語を「書く」ためにはよいことであったと考える。
日本語の成り立ちにはいくつか説があるというが、漢文の読み下しが日本語になったのであって、ひらがなやかたかなは、読み下すための「脇字」だったという説がわしは好きである。
漢字というのは言わずと知れた煉瓦のようなゴツゴツとした言葉で、海を越えてきた観念の塊の連続を前にして、その観念と観念の隙間の余白から生まれて言語であると日本語を考える事は、なにがなし、わしの趣味にあっているよーです。

読めばわかるが、わしの日本語のベースになっているのは、やや古い日本語で内田百閒の頃の一文が長い日本語のリズムを使おうとしている。
いろいろなひとがやってきて、「お前は日本語が下手だ」「文章が長すぎて読むに耐えない」というが、外国人の日本語をくさしてどーすんだバカタレめが、ということの他に、わしはやる気になれば140字でなんでも書いてあるから短い文章はツイッタみてからコンジョだしに来んかい、ということもある。
簡潔な表現というのは、実は、日本語においてはディテールを失った表現、相手の内面情緒にうまく反響することを期待して一石を投じる表現にしかすぎなくて、もともとが読み下しの音を基調にした、たゆたう、変化して、逡巡する、もともとの「和文の音」とは相容れない、というわしの考えがある。

内田百閒の世代の散文を採用しようと考えたのは、寺田寅彦、野上弥生子、中勘助というような漱石の直弟子にあたる世代の日本語がもっとも表現できるものの幅が広いと考えたからで、最近の、というのは80年代以後に形成された「コピーライト日本語」は表現しうる対象が小さすぎて言語としては退廃的であると考える。
「マジメは暗い」と言い出した頃から、言語自体の衰弱が始まったようで、日本語というのはキリスト教のようなものから遠い所でものを考えるにはうってつけの言語であったのに、もったいないことであった、と思います。

前からなんべんも同じことを繰り返して述べているが、日本語の最期の栄光を担ったのは詩人たちで、鮎川信夫、田村隆一、三好豊一郎、というような「荒地」の詩人たちや、岡田隆彦、岩田宏、というような人達は、まるで短剣でもあるかのような現実の質感を突きつける日本語表現をもっていた。
散文の世界でも現代詩の重要性は不十分な理解のされかたではあるが、十分理解されていて、大江健三郎の文章にはイメージのつくりかたや平仄のつくりかたにおいて、翻訳されたフランス文学の翻訳口調と同じくらい現代詩の影響がみられます。
皮肉なことをいうと、T.S.エリオットのすぐれた翻訳を残した上田保の口調までが「荒地」の詩人たちの口吻を通じて、大江健三郎に伝染しているので、逆に作家の日本語現代詩の関心の強さを示している。

80年代は前代の深刻に辟易して「かるみ」をつくろうとした文化にみえるが、ここでなんだか田舎からでてきた青年が都会人のふりをするための仮面の「かるみ」をつくろうとうするような妙な成り行きになって、そのあたりで日本語は機能不全に陥ってしまった。

この頃、「コピーライター」というような職業のひとがもてはやされて日本語をどんどん無力な言葉に変えていったのも、そういう日本語の都会性の喪失、雑誌の記事やテレビのなかの「東京」が紙面やスクリーンから貞子じみてはいだしてきて、現実を浸食して、田舎の生活が嫌で都会に「出て」きた田舎青年たちが思い描いた「都会」で東京をぬりつぶしていった過程の社会的な反映であったように思います。

ブログ記事で具体的な例証を述べようとは思わないが、日本語は「格調を保って話す」ということや「余計な部分を省いて問題の中核のみを話す」という能力を失ってゆく。失礼ならあやまりますが、とか、相手の気持ちを傷つけたくない一心の言い回しや顔文字に腐心しているあいだに日本語はどんどん表現対象をせばめていった。

職業的な散文家の技倆の低下、という問題も小さくはなくて、外国人の頼りない目ではあっても、だいたい関川夏央や山本夏彦くらいのところで、散文のリズム自体が生む楽しみ、というようなことは終わってしまったようでした。
いまでは、陳腐化された表現、「脇があまい」というような愚にもつかない古びた表現を小説家というひとびとが使って恬淡としているのは、その気になって「小説家」のひとびとが書いたり話したりしたものを読んでいけば、すぐわかります。

言葉が衰弱する、ということは文化の衰退とまっすぐにつながっている。
英語を読む習慣があるひとは、毎日新聞を両方の言葉で読んでいると思うが、年年情報の質がひらく一方なのは、特に説明されなくても誰にでもわかる段階まで来てしまった。
マスメディアと言っても企業は企業で、企業というものは文字通りゲンキンであって、有楽町の特派員協会には、むかしは腕っこきの記者が集まっていた。
日本語がわかる知的能力がある人間はどこの国でも貴重な人材で、たいへんな高給で優遇した。

いまは東京でスクープをあげると北京に栄転になる。
東京にいるのは、長年日本報道で「飯をくって」きたベテラン極東特派員と、中国のどこにも配属されなかった、主流から外れた特派員だけになった。
特派員協会自体、最近はチョー左前で、会員はほとんど日本人になって、金曜日などになると、日本人新聞記者やなんかでごったがえしている。
外国人特派員協会が日本人得派員協会に名前を変えるのは時間の問題だろうとゆわれている。

日本語は明治以来初めて、「地方語化」という危機にさらされていると見えます。
簡単にイメージを述べると、ケララのひとびとは家の中ではマラヤラム語で話すが、一歩外に出れば英語を話す。
ケララは巨大な貿易基地で、たとえば2008年には、風を待つ古代ローマ人たちの一大遺跡が出てきたりした土地柄のせいもあって14世紀から数百年に渡って高度な「普遍的学問」、天文学や数学が発達した。当時のマラヤラム語には、宇宙を考える能力があった。

いまは、まことに「家のなか語」になっていて、それはそれで悪いわけはないが、ケララ語で世界で起きている事象を議論するのはかなり無理があるよーです。
少なくとも、わしが友人のケララ人たちは、家の中でチキン65をつまみながら話をするときも英語であるよーだ。

日本語はもともと少数民族語であることの弊害が少なかった言語で、ごく最近まで大きな普遍性をもっていた。
生活という面での言語的普遍性は、どうやらマンガとアニメが媒介していたようで、イタリア人と(イタリアではたいそう人気があった)吉本ばななの物語の話をすると、マンガの文脈でばなな語を理解しているひとが多かった。
一方で、村上春樹のようなひとはアメリカ文学の文脈におおきく依拠(マネという意味ではありません)していて、そこにみたことのない視点がはいりこんでいるのが面白い、ということがあるよーでした。

日本語特有のもってまわった言い方がわしは大好きだが、それが、このごろは「相手の気持ちと反応を怖れる」防御的な言い回しが多くなって、言語そのものを破壊するようになった。短い簡潔な表現は同意の表現だけで、少しでも完全同意から外れる反応や意見を示すためには途方もない言語表現上の手続きが必要な言葉に日本語は変貌しつつあるように見えます。

大きな翻訳努力に支えられて、たとえば科学で言っても、生化学のように変化が激しい学問の教科書でも90年代までは英語版が第5版なら日本語は第2版である、という程度だったよーだ。

経済上の要請からも、もうすぐ日本も韓国並み、あるいはそれ以上の徹底性をもって「英語がふつうに話せる」ことをもって経済的な存在としての個人の必要条件としそうに見える。
具体的には頭のなかでの翻訳や、もっとマンガ的なひとでは「構文」を解析する前世紀的なひともいるが、そういう「語学」的な回路が頭に残存しているひとは、生産性の低い人間として廃棄される可能性がある。

日本語が人口が少ない普遍語として踏みとどまるか、地方語と化して、英語が普遍語の役割をはたしていくことになるか、いまが丁度のその岐されの道と思うが、その具体的検討は、今度また次の機会に譲りたいと思います。

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