帰り道

故郷への道をたどっていたゴータマ・シッダルタは、故郷をほぼ目前にして病床につく。80歳になっていた「宇宙の真理を覚ったひと」は、「もう、ここでいいだろう」と静かにつぶやいて、小さな町の茅屋で死にます。

思想家あるいは宗教家として一生のうちに達成したこととは、また別の、現実に生まれてから死ぬまでの一生において仏陀というひとは幸運のひとで、およそ手に入らないものはなかった若い頃から始まって、静かな眠りにつくまで、誰が眺めても、こんなに幸福な一生をおくれるひともいるのだなあー、という感想をもつという体のひとである。

その暖かい光のような仏陀独特の知性に満ちた一生のところどころに、びっくりするような冷たいわがままがのぞくのは、いろいろに教義上の説明がついていても、育ちの良い人間に特有の冷淡さだったでしょう。
だが触れれば凍傷をおこしそうなほど冷たい芯を抱えた仏陀を、同時代のひとは、みな愛したもののよーである。
イエスやマホメットに較べて「生身の人間である」ことをためらわなかったゴータマは、どうみても他のふたりの教祖よりも充足した生命の持ち主であったようにみえる。

エヴァリスト・ガロア
http://en.wikipedia.org/wiki/Évariste_Galois
という、20歳で死んだ天才数学者は、17歳のときに真に独創的な素数次方程式の代数的解法についてのふたつの論文をコーシーに提出する。
いまみると日本語世界では違う話になっているよーだが、多分論文の価値に気づいていたコーシーは論文をひとつにまとめるよう指示をだすが、ガロアは不分明な理由でそのままにしてしまう。多分、コーシーの指示を数学的な俗物主義とみなしたのだと思います。

18歳のときには市長であった父親が自殺する。
自分の将来が、そこに入れさえすれば救われると信じた理工科学校の入試には、ガロアの飛躍が激しい論理と、試験官に対する露骨な軽蔑的態度がたたって2回とも失敗してしまう。

この頃から自分の巨大な才能への自負と、犬のように自分を扱う世間の自分への態度との激しい落差に引き裂かれるようにして狂人のように荒れ狂いだしたガロアは、口をひらけば悪罵がほとばしり、誰に対しても挑戦的な態度をとり、王の名をとなえながら杯の上に短剣をかざす、政治上の、というよりも、度を越した政治的悪ふざけの反王党的なジェスチュアによって逮捕される。
いちどは釈放されるが、今度は砲兵の制服を着て数挺のピストルにライフル、短剣という姿でバスティーユ・デイのデモの先頭に立ち、今度は6ヶ月刑務所に服役することになります。
刑務所を出た直後、いろいろな憶測はあっても、結局は色恋沙汰であるというほか何も理由がわからない、つまらない決闘に立って、ガロアは腹部を撃たれて死ぬ。

瀕死の床で、聖職者の祝福を拒んだガロアは、気が優しい弟のアルフレドが嘆き悲しんで泣くのを見て、
「泣くな、アルフレド。20歳で死ぬために、おれはありったけの勇気を集めねばならないんだから」
(Ne pleure pas, Alfred ! J’ai besoin de tout mon courage pour mourir à vingt ans ! )と言ったという。

現代の人間は死をおそれるのだ、と、言語が成立したばかりで、まだ「地獄」というような宗教家の恐喝に打ちのめされていなかった太古の時代のひとに向かって述べれば、言われた太古の人間たちは、首を傾げるか、なんてヘンな奴らだろう、と言って笑うに違いない。
日本語の「花火子」(7月4日の夜空に花火が盛大に打ち上げられる日に生まれたからです)に因んで名前をつけられた低地ゴリラのココ
http://en.wikipedia.org/wiki/Koko_(gorilla)
は2000語程度の語彙の英語を米式手話によって話すが、やや「死」という概念そのものが理解できているかどうか曖昧だが死への恐怖という感情は認められないという。

生まれてから、ただ「生き延びる」ことに追われて窮窮として死んだ人類の歴史の大半を占める人間にとっては、死はおそれるどころではなくて、苦しみの終わりだった。ただ自分の意識が消滅するという本源的な寂しさを怖れただけのことで、安らかに死ねれば、人間にとっては、悲惨と痛みの終わりという以上の意味はなかっただろう。

メルボルンのドックランズという新しいウォーターフロント開発で出来たレストラン街のテーブルで、まだ夏の太陽の母上が中天に輝いている午後、70歳を過ぎた科学者ジジイである大叔父はシラズですかり酔っ払って、「予定もしてないのに生まれてきて、今度は死ぬことだけは、逃れようもなく、ばっちり決まってるんだから、やってらんねーよ」という。
だいたい、神様ってのも、いるんだかいないんだか、はっきりしない曖昧なやつで胡乱だが、意識みたいややこしいものをつかさどるコンピュータをタンパク質みたいな腐りやすいものでつくるというセンスは、どうかと思う。
「死後の世界、とかあると思う?」とわしが訊くと、
おまえは、中世人か、わが親愛なるチビガメよ、とわしが子供の時の仇名を呼ぶ。
世界は、そんなに面白く出来てはおらんわい。
犬が死ぬ。
木が死ぬ。
鳥が死ぬ。
偉大な物理学者のD(自分のことのよーだ)もチビガメも死ぬ。
全部、おんなじだ。
まことにくだらん。
生まれてから、いままでひまつぶしに生きてきたが、実際、なんとゆーか、まことにつまらん。

それから、わしと大叔父は仏陀の「生老病死」の話をした。
流体力学からカオス理論の話になって、混沌をあつかうための酔っ払い式の理論を策定した。

突然、生きた棘のような若者であったガロアと、光そのもののような知性でひとを救済したブッダには、なんの違いもないこと、ふたりは、正確に同一の知性であることに気が付いて、息をのむような気がした。
そのことを大叔父に告げてみると、大叔父は、ちょっとびっくりしたような顔になってから、なんだ、おまえ、そんなことも知らなかったのか、と言う。
えっ、じゃ、知ってたんですか?
と聞き返す頃には、大叔父はお得意の癖をだして、ひともたくさんいるレストランの椅子にかけたままだというのに、もうぐっすり眠っているのでした。

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2 Responses to 帰り道

  1. DoorsSaidHello says:

    友だちと一緒に、河口に降る雪を見ていた。雪雲は重く辺りは暗くて、水面は黒く沈んで見え、白い羽のような大きな雪が音もなくふわふわと漂って降りてきては不意に消える、その繰り返しをただ見ていた。

    高いところにある雲から生み出されてはただ重力のままに地表に向けて旅に出る雪の結晶は、偶然の風に吹かれるまま欠けたり重なったりひとかたまりになったりしながらも、最後はみんな同じく地上に落ちて解けて消えていく。まるで人の一生のようだと思って見ていた。

    あらゆる命はただ生まれて消えていく。ひとつの波紋も作ることなく音も立てずに。友だちも私もいまゆっくりと空を漂いながらただひたすらに時間の中を落ちていく。奇跡みたいに隣り合わせて互いの顔を見、このひとに出会うために私は今まで生きていたのかと思うその間にもさらに時間の中を落ちていく。

    友だちは自分なんかいらない、と言った。私はその人が大切すぎて悲しいのを通り越してしまい、どうしても越えられない断絶に腹を立てていた。耐え難いことに出会うと私はたいてい腹を立てる。耐えるための熱量を得ようと薪を火にくべるみたいに。本人がいらないといっても私はいるんだ、私はいるんだと声をたてずにふつふつとつぶやきながら。

    そんな風景を思い出しながら。

    もしも誰かがお葬式の蝋燭をこっそり点し、失った時間とかつては親しく感じていたこともあった世界との縁を弔うのなら、静かにその背中を見送る以外に私にできることはないのだと知ってはいるのだけれど。だけど私は見送りながら、書いてもらった言葉を胸に抱きしめて、けっして忘れないと何度も何度も繰り返し思うのだし、思うたびに抱きしめた言葉は私を温めるのだと言うことも知っている。言葉は時間の中でも風化しないから。

    いつか背中が小さく遠くなってしまっても、今度は私から駆けていって、話をしよう、と言えるようになればよいのだ、と思っています。

  2. Akira says:

    長文ですいません。

    >ゴータマ・シッダルタ
    一般的に西洋は東洋へ、東洋は西洋へ憧れは尽きないものといいますが、生まれながらに目の前に鎮座していた聖人より海の向こうの聖人に、より興味を抱くというのもあるのでしょうか。。。我々日本人はブッダというと「仏様」、、、まるで日本古来の神様みたいに思っている人も居ますが、もともと日本に伝来した仏教なんてほとんどパチモン(大乗)だった訳で、、慣習のせいなのでしょうね。オイラはの祖母は東京で幼稚園を営んでいましたが、園の朝礼で「イエス様イエス様。。。」とお祈りをするよりも坊さんのお経が面白くて仕方なかったものです。

    昨年9月、震災後にブッダについてはNHKから面白い本が出ていました。「ブッダ 真理のことば」とあり、『100分で読破できる』薄い本で、オイラの親父が早々に買って便所で読んでました。花園大学の教授が監修してます。オイラも買うてみました。
    以前ガメさんが書かれていたように、「ブッダが言ったとされる文言を弟子が記した現存の書物が少な過ぎ」るからこそ、信頼できる書物でまずブッダを捉えたい。それは「スッタニパータ」や「ダンマパタ」かな、、と思います。

    「私は、家(苦しみの基盤である自分)の作り手を探し求めて、幾度も生死を繰り返す輪廻の中を、得る物も無く彷徨い続けた、何度も何度も繰り返される生は、苦しみである。」(ダンマパタ:154)

    上記の解説者は読者に平たく書いていました。この世の『苦しみ』を『フクシマ』にダブらせて想え、と。『フクシマの現実に対して(それはもう変わらないから)自分を変える事が唯一の道』なのだと。。 古代の思想を現代に安易に転用することが如何に荒唐無稽かを痛感させられた例でした。無論、ブッダが現代に再生したら放射線など意に介せず原発傍らで徐に瞑想に入るのでしょうけど。。。

    >充足した生命の持ち主

    「怒らないことによって怒りにうち勝て。」(ダンマパタ:223)

    例えばブッダを想うとき、、稚拙な表現をすれば「怒り」また「血、肉の匂い」がしない。しかしマホメットはいざ知らず、>「生身の人間である」事を厭わなかったのはイエス自身に於いても同じなのではないでしょうか。少なくともむしろキリスト教会側がイエスに生身の人間である事をことさら否定し、霊性を強調してる気がします。誤解を覚悟で書くと、「ブッダ = ゴータマ・シッダルタの生涯」なる物が「イエス = ナザレに産まれた勇敢な宣教者」ではなく、”生涯に関係なく” ナザレのイエスはキリスト(メシア)とされています。「それで私たちは今後だれも肉に従って知ろうとはしません。」(パウロ,コリントの信徒への手紙2:5の16)

    古代人のイエスにとって、洗礼を受け「さあ解き放たれた」とばかりにガリラヤを出でて宣教に入ると、各地で「ドッカンドッカン」人気を博し、噂が噂を呼び奇跡も流布したかもしれません。厳しい心の弾圧を解かれた神経症の人間は眼が見え、足が利くように成れば「俺はただもんじゃあねえかも。。。」と上気していただろうことは容易に想像つきます。完全解脱を果たした後のブッダにはそういう派手なエピソードは無い訳で、、、

    しかしながら釈迦族の王子として生まれたブッダに対して、最近の知見ではイエスも同様であったとする見解が有る事は二人の宗教革命者の生い立ちとして非常に興味深い気がします。

    オイラがとても厳しい冷気を感じるのは、当時のイエスの周りの人々には心の自由さえ無い弾圧が色濃かったが故の無知、貧困、飢餓、疫病を想う瞬間です。ガメさんの言うブッダの『>同時代のひと』と印象が大分異なるのは、時代背景、土地柄も多分に在るのかも知れませんね。

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