セキュリティ

パーネルの家から、いまのリミュエラの家に越してきたばかりのときはセキュリティのコンビネーションが憶えられなくて、解除しそこない、よく自分がセンサー網にひっかかって通報されたものだった。

ニュージーランドはむかしからこそ泥が多いのでセキュリティシステムがふつーに普及している。わしの家の場合だとぐるりに8台だかのカメラがあって、モニとわしがいる家のなかは教えてあげられない数のゾーニングにわかれて隅から隅までセンサーが監視しておる。

夜中に牛乳が飲みたくなって、ホールウエイをひたひたひたひたと歩いてゆく。
台所へ通じるドアをぴゃっと開けます。
その途端、ピッ、ピッ、ピッ、と響く不吉な音。
あっ、やべー、と思うまもなく、ぎゅわあああああーんぎゅわあああああーんぎゅわあああああーんと大音響がなり響いて、あまつさえ窓の向こう側では家の仕事をしてくれるひとびとの部屋の明かりがつくのがみえる….

モニがいつのまにか後ろに立っていて、コントロールでセキュリティをピッピッと解除しながら「ガメは、ゾーニングおぼえられないなあ」と笑っている。
「どうして、おぼえられないんだ?」
「いつも難しいこと考えてるからだと思う」
「どんな難しいこと、考えてるの?」
「うーんとね、世界の終わりとか、そーゆーこと」

笑い声を残してホールウエイを寝室に引き揚げていったモニの残り香が漂う台所で、わしはひとり寂しく牛乳を飲みながら電話をみつめておる。

電話がなった。
あのひとの声が聞こえる。(岩田宏「永久革命」)

「間違えて自分で作動させてしまいましてん。合い言葉はXX△○でごんす」
とセキュリティ会社のねーちんに伝える。
いったい、これを何回くりかえしたことだろう。

高い塀も鉄格子のゲートもセキュリティシステムも単なる気休めには違いなくて、人間のセキュリティの最高のものは「運」である。
運がないひとは、オカネがあろーが学歴があろーが、王様の子供だろーが、セキュリティがない厳しい世界を歩かねばならない。
マリー・アントワネットなどは良い例であって、きゃー楽しい、いえーい、の王女であったのに、最後はギロチン博士の発明した慈悲深い断頭台の前におかれた籠にゴロリンと胴体から離れて転がり落ちる一生の終わりだった。

コリン・ウイルソンというひとは自分の人生のセキュリティを強化するために学校へ行かなかった、という話は前にもこのブログ記事に書いた。
学校へ行って勤め人や医者になるという人生を送ると、自分のようなタイプの人間は結局は縊死することになる、というガキにしては聡明な信念からである、と自分で書いている。

わしは13歳だったかのときに、このコリン・ウイルソンの話を読んで甚(いた)くカンドーしてしまった。
「自分の生きたいように生きるのが生きてゆく上でのもっともすぐれたセキュリティである」という考えは、わしを気楽にした、とゆったほうがいいのかもしれません。

かーちゃんに訊いてみると、「その通りですよ、ガメ。良いことを考えたわね」という。とーちゃんのほうは、何度か反芻するように考えてから、なるほど、と重々しげにつぶやき、それは正しい意見であるよーだ、と述べた。

お墨付きをもらったので、いきなり学校へ行かない冒険的生活をしてもよいと考えたが、考えてみると遊び友達たちも大好きだった先生も学校にいるわけで、意志を強くもって学校をさぼらなければと考えながら、ついずるずると学校へ通ってしまったりした。
いま思い出しても、なんだか忸怩たる感じがします。

国家間のセキュリティで最も有名なのは日本国憲法だろうと思われる。
なにしろ「戦争を放棄しました」という、不良どもに向かって「殴られるのはやめました」と宣言するに等しい、どこかが理屈上ヘンテコなことを宣言して、恬淡とすることにした。
その実は、アメリカにボロ負けこいたのを逆手にとって、アメリカ人の兵隊を自分の国土にばらまき、あまつさえ沖縄は要塞化して、でもぼくが軍備してるんじゃないもん、ぼくは、きみ、平和の使徒なんだぜ、という、チョー偽善というか、神をも畏れぬインチキというか、天才的な政治的トリックというかを決め込んで、一見独立した国で一見民主主義の制度を行って一見軍備ゼロの国家をつくりあげた。

これはものすごく頭の良いやりかたであって、日本の政府は、もちろん、アメリカが巨大な軍隊を日本に駐留させることの意味は中国やソ連ににらみを利かせることだけではなくて、なにかというとすぐキレて、あっというまに暴走するといつもフセインどころではないとんでもない戦争をおっぱじめる日本に睨みを利かせることだったのを承知していた。
知っていて、知らないふりをしていただけです。
軍隊でないことになっている軍隊を作って、おおきくしようとする姿勢をみせてはアメリカを慌てさせて極東軍事費用を増やさせ、やっぱり国民の理解が得られないから自前の軍隊はダメですね、とつぶやいては、より大きな保障上のコミットメントを引き出してきた。
日本の戦後史を眺めていると、アメリカ相手に強請りたかりを行うにはどういう方法が最も有効か、という有効打のオンパレードで、皮肉では全然なくて、その手並みに感心してしまう。
世界史上でもっとも有効にアメリカを嬲りカツアゲしたのは他ならぬ日本です。
その揚げ句、学生どもに至っては「打倒米帝」なんちて、反体制の投石をして憂さ晴らしの対象にまでしていたのであって、アメリカは同盟国、どころか、良い面の皮、というそのままの存在だった。

そうやって日本の政府が、アメリカを
、どう足掻いても日本のためにカネを使って圧倒的な強者であるのに身を滅ぼしかねないほど貢がされる立場に追い込んだのは、セキュリティとして国家の理念をもちだす国がいかにバカっぽくなれるか、という自らの「八紘一宇」体験から来た洞察の力によるのだと思われる。

日米安保条約という、歴史に稀な驚くべき片務軍事同盟条約を60年以上の長きにわたってアメリカに守らせたのは、アメリカが渇望してやまない「腐敗のない安定した傀儡政府」
「国民を瞞すことに長けたウソの上手な政府」というアメリカがキューバでもベトナムでも韓国でも求めてえられなかった「伴侶」の役を日本が見事に演じてみせたからだった。

冷戦の終わりとともにアメリカ側の誇大妄想的な「自由圏」がやや安泰になると、日本はアメリカ側から見てセキュリティ上の価値が小さくなった。
中国が脅威になるためには軍部が共産党の支配を離れて暴走しなければならないが、鄧小平以後の共産党のシンガポールや香港に範をとった国家社会主義的経済政策は功を奏して、中国人はお腹いっぱいご飯を食べられるようになりつつあった。
中国という世界の文化では、お腹いっぱいになった人間が暴走的に侵略戦争を始める、というのは現実の可能性が低いので、そういう点からも日本の価値は低くなっていった。
アメリカにとっては「最大のお荷物」を処分するチャンスが来ているのだと思います。

原子炉にはアメリカからみると「日本をモノを売り捌く市場としてカウントできる」という他の工業産品、たとえばクルマでは、あんまり期待できないことが考えられるというメリットがある。日本にはマネッコ技術以外のまともな原子力技術がないからで、しかも、いまのところ空想的な話にとどまっている(化石燃料よりもずっと早くウラニウムがつきてしまう)が、技術的ブレークスルーさえ出来れば、現実に将来のエネルギーになる可能性がある。

その上に原油国に決定的に足下を見られる事態が避けられる。
エネルギーの選択が多い国だけが、これから先の世界で「先進国」として生きて行く事が出来る。

原子力というエネルギーの特徴は話がエネルギーそのものよりも国家の「セキュリティ」に関係があることで、エネルギーの話として原子力を考える個々の国民と、政府とのあいだでいつも話が微妙に食い違っているのは、多分、そのせいでしょう。

しかし、こうやって考えてゆくと、原子力エネルギーを日本という国の将来の保障に組み込んでゆくことは、以前とはまったく逆の、日本がアメリカの傘に飛び込む形での安全保障の形を自分に課していこうとしているわけで、ふつーに考えて、このエネルギー政策に関する知恵比べにおいては昔と逆にアメリカが勝っている。

学校に行かなかったコリン・ウイルソンは、結局、ガキ計画通り作家になったが、それはどんなに特殊な生き方に見えても、コリン・ウイルソンにとっては「ゆいいつの保障を求められる道」だった。
ウソから出たマコトというか、日本政府は自らが発した平和憲法を国民がバカ正直に信じ込んで「平和民主主義社会」を猛然と建設しはじめたので、さぞかしパニクったと思うが、考えてみれば、日本という国にいまのいま最大のセキュリティを与えているマンガやアニメという文化は、その国民の「バカタレな妄信」がなければ生まれなかった。

原子炉を動かそうとして、日本の政府は社会全体に巨大なナマ傷をつくってしまった。その生傷の傷口からは、いまでも「国民のシステムへの信頼」という国家の形成になくてはならぬものがとまる気配もなく、どくどくと流れ落ちている。
わしの眼には、ときどき出血過多で、もうすぐ失血症状がはじまるのではないかと思えることすらある。

日本には必ず日本にあったセキュリティの作り方があるはずなのに、いまの支配層は
頭が固い、というか思い込みが激しいというか、やや想像力にかけているのではないだろうか、お仕着せのセキュリティに自分の体を押し込んでも、窮屈で、血も通わず、しまいには身動きもならなくなって、結局防護のためだったはずのセキュリティスーツが、そのまま死に装束になってしまうのではないかと思うのです。

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3 Responses to セキュリティ

  1. よん says:

    米国をもっとも有効にカツアゲしたのは日本という件が斬新でした。
    国際政治の鋭い読みと洞察力に脱帽です。
    ちなみにパーネルとネパールをまたまた空目してしまいました。

  2. AK says:

    人間のセキュリティの最高のものは「運」である、とのガメさんの見解につきまして、旅行運(だけ?)は最高の(と自覚している)わたくしの意見といたしましては、「そのとーり!」でございます。

    ただし一言で「運」と申しましても、まるで道端で千円札を拾うような即席な「運」とか、艱難辛苦を経てそれが成功の決め手となるような遠大な「運」とか様々であり、つまり何を以って「運」と見なすのかという人生観にまで達するのかもしれません。

    マリーアントワネットが断頭台の露と消えるフランス革命は「失敗した革命」であった、というガメさんの見解は、大多数のフランス人にとってはまさにそのとおりですが、フランスとオーストリー(あるいはブルボン家とハプスブルグ家)の連合を嫌う特定の人々にとってのみ「大成功」であったというわけですね。

    というわけですが、日本にあったセキュリティの作り方という部分では、結局のところこれから何を生業(なりわい)にして喰っていくのか、によってのみ決められるのではないでしょうか。
    「加工貿易」ねえ、う~んますます大変そう。

  3. 「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」というと偉そうすぎて自分にはぶかぶかですが、鼻で嗅ぎ分け足で踏み分ける道でありましたら、恐ろしいですけれども、頭から突っ込んでいくのがセキュリティなのかしら、最近それで不運を躱しました。まだ少し、お題目と、自分の嗅覚と、綺麗に分けられていないので、もっと頭を空っぽにしないといけません。ここは静かです。昼は昔の飛行場に人が散歩していて、夜は月が白銀です。

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