Monthly Archives: July 2012

悲惨

ずっと昔に「『純粋さ』について」というブログ記事 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/10/01/「純粋さ」について/ を書いたことがあったが、今度は違う種類の純粋について書いてみようと思う。 1 一部のバカタレな「放射脳」のひとびとを別にして、日本でも福島第一事故はすっかり落ち着いたよーである。 福島自体の復興もめどがつきだしたようで、復興につきもののアコモデーションの再建にしても副島という人が「ホテル放射能」建設構想をうちだしたりしている。 メード・イン・ジャパンの放射能がいかに安全か、という啓蒙活動も、ようよう進捗をみるようになって、たとえば伝統ある京都大学医学部出身の医師などが、パワーポイントのプレゼンテーションをつくって、 *少量被曝は天使の微笑み(50mSv/年でも) *今後福島県では、がん患者が減少する *少量の放射脳食品はプレミアがつく というように、科学のわからない愚かなひとびとが考えるのとは異なって少量の被曝がいかに健康によいかを述べた上で、 *福島県は日本一の健康ランドとして人が集まってくる *未来は明るい! と、啓蒙にも力がはいっている。 真正科学教団も相変わらず壮健であって、ピタゴラス教団と異なってたいした科学的貢献がないのは痛いが、相変わらず、無知で理科が3以下だった「科学にまつろわぬものども」を、だんだん彰晃様に似てきたとゆわれる教祖を中心にびしびしときびしく取り締まっている。 わしも科学をベンキョーしたが、あの苛斂誅求はかなり気持ちがいいだろうとおもって、いつもうらやんでおる。 「おらあー、貴様、科学の『か』の字も知らんくせに、放射能をこわがるなんて、いっちょまえのことをやっていいのかあ。もっと、しっかりベンキョーしてからこわがらんかい。おらおらおらおらあ。こおのアマッコが、ナマイキな口を利くと微分しちゃうぞ微分しちゃうぞ、おじちゃんがおもうぞんぶん微分して、らちをたっぷりあけて、お嫁にいけなくしてやる」 地道な研究に較べて無知な大衆の啓蒙というのは、華やかなものであるなあ、と思います。 2 陸軍幼年学校は、1872年に設立されて、1945年まで存続した。 日本語ウィキペディアをみると、 「幼年時から幹部将校候補を純粋培養するために設けられた陸軍の全寮制の教育機関。旧制中学1年から旧制中学2年収量に受験資格を与えた。プロイセンのKadettenanstaltに範をとって設立された」と書いてある。 要するに軍事指導に必要な教育のみを行って、その他の余計なことはいっさいやらせないで将軍と参謀をつくってしまおうという、「ムダのない軍人教育」を狙ったわけで、 日本の戦争指導を行ったのは、この学校を出たひとたちだった。 昭和天皇が溺愛した東条英機という将軍も、この学校の出身で、出身であったのみならず、この学校出身者の典型的な人格の持ち主でもあって、遊びのような余計なことはいっさいやらない努力家で、刻苦精励、いっときもゆるがせずにベンキョーした。性格は素直で、級友にも愛され、そのかわり「正しくない」ことはどのような些事でも決して赦さず、相手が青ざめて平伏してもなお怒鳴りつけるのをやめなかった。 上で述べた真正科学教団の教祖なるひとも、まわりのひとに性格を愛される 「かわいい男」であり、学者の父親をもつ2代目研究者だが、東条英機もやはり父親も将軍で日露戦争に歩兵第三旅団長として出征しています。 ところで、この純粋培養された将軍たちは自他共に認める「世界でも最優秀の軍事の権威」で、相手方の連合王国のように、ポロの試合から帰ってくるドラ息子に「ちょっと、あんたアフリカで将校たりないから行ってきてよ。位は、そーだなあー、大尉じゃ、ダメ?」とかっちゅうような、チョーえーかげんなシステムで生まれた将校たちとは、当然、比べものにならない軍事知識があった。 アメリカが飛車をふってきたらアナグマになってこもる、とか、そーゆー定石についても兵棋演習を重ねてプロ中のプロであった。 不思議なのは、それであるのに、蓋をあけてみると、作戦もなにもいらないイケイケですむ劣勢な二線軍を相手にしていた戦いはチョーシこいて勝っていたのに、開戦百日を経て、マジな戦争になってくると、ボロ負けにボロ負けをかさねて、あまつさえ、 「日本の将校って、なんであんなにワンパターンな失敗するんだ?学習能力っちゅうものがないのか?バカなんじゃねーの?」と、西洋世界きっての弱兵団でしられるアメリカ人たちにまで言われる始末だった。 へーたいはまっすぐ走ってきて機関銃で撃たれて死ぬだけだし、将校は火網のまんなかにとびこんできて、すすめえー、すすめえー、しかゆわない。 兵力が減ってきて、「そろそろ夜襲にくるかなあー」と思っていると教科書どおり、そのとおりの夜襲にきてぶち殺されて、夜襲二回失敗して、兵力ないから、もうすぐバンザイ突撃だろう、と話していると、ほんとうにバンザイと叫びながらつっこんできて、なんだか戦争の相手をしていて悲しくなるほどバカだった、と太平洋戦争で日本軍と戦った米軍将校が述べている。 だいたいドキュメンタリで戦時中の連合軍側将校の証言を聞いていると、言う事が決まっていて「教科書どおりのことしかやらない」「失敗しても、まったく同じ方法で繰り返し攻撃してくる」 日本側の記録を調べてみると、なんのことはない、適当に頭でひねくりまわした理屈で戦闘を「指導」しておいて、負けると誰も責任なんてまったくとらずに、さっさと後方に飛行機で逃げては、また同じやつが戦闘指揮をとっていたりするのです。 有名な例でよく挙げられる名前を述べると辻政信というひとは、上にはさからうが下には篤い、部下思いの温情のひとだった。 行軍演習で倒れる兵隊があると、自分がその兵の背嚢を背負い、銃を肩に、励ましながら行軍を続けた。 このひとが、軍事の専門家はおれたちだ、鼻提灯をふくらますボケた将軍たちのような素人になにがわかる、と服部卓四郎と組んでたきつけてまわったノモンハン事件は、近代火力戦を理解できなかった日本陸軍の無惨な全面的敗戦で、ソヴィエトロシアの指揮官ジューコフは、この快勝によって猜疑心の深いスターリンの信任を勝ち得てゆく。 面白いのは、ノモンハン後の日本側の反応で辻政信は「戦争は負けたと感じたものが、負けたのである」と述べて、負けたが、自分は負けたと認めていないのでノモンハンは勝ったといえる、という強弁で終始していっさい責任をとろうとはしなかった。 しかも歴史を読んでいるひとが椅子からずるっこけそうになることには、この服部・辻コンビは、ノモンハンであれだけのボロ負け…しかも純粋に作戦構想の失敗が原因であることが明かなボロ負け…をこいておきながら、ほとんどおとがめもなく、短期のいいわけじみた左遷のあとで、作戦企画中枢にもどってくる(^^;) … Continue reading

Posted in 日本の社会 | Leave a comment

古い家に帰る

1 同じ町に1年もいるのはひさしぶりであると思う。 8年ぶり、だろうか? ニュージーランドは良い国だが、人口が400万人しかない、しかも離れ小島のように他の文明から遠く離れた国である。 2000キロほど行くとオーストラリアがあるが、ニュージーランドと似通った、ニュージーランドに較べると人間が粗く、礼儀知らずの人間が多い社会で、むかしからわしにはあまり興味がもてない社会だった。 子供の頃は、かーちゃんの週末の買い物に付き合ってメルボルンによく出かけた。 ときどきは一週間ほどもいることがあった。 ヤラ川からあんまり遠くないToorakというところにかーちゃんのメルボルンの家はあって、そこから、あちこちに歩いてでかけたものだった。 くるまでダンデノンレンジという山へ遊びに行ったりした。 しかし、オーストラリアがニュージーランドよりも大きいと言っても、ただそれだけのことで、クライストチャーチの「牧場の家」からオーストラリアのハンターヴァレーに旅行に行ったときなどは、夜に着いて、朝になってカーテンを開けてみると、そこにあったのは牧場の家のエクステンションから見える景色と「寸分変わらない」と言いたくなるような風景で、かーちゃんも妹もわしも、ため息が出る、というか、2300キロだかなんだかを旅して近所の友達の農場へやってきたようなもので、うんざり、というのが正直な気持ちだった。 小さな人が旅行ができそうになってきたので、また元の生活スタイルに戻ろうかと考える。モニもわしも放射脳なので日本はダメである。 日本人のひとは笑うに決まっているが、しかし、モニとわしはどうしても日本へ行こうという気になれない。 メキシコも選択肢から外れてしまった。 最後にメキシコの内陸部にでかけたのは、あれはまだ結婚する前で、4年前のことである。 https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/メキシコのねーちゃん/ (日付が1970年になっているのは、この前アカウントを削除したときにタイムスタンプがぶっとんじったせいです) 記事には書いてないが、メキシコシティに寄ってからマンハッタンに帰るはずが、メキシコシティの中心部で銃撃戦が始まってしまって、わしがでかける用事があった場所は、そのすぐそばだったので、別の、シカゴでの用事を優先することにしてクエルナバカからまっすぐシカゴに向かったのだった。 メキシコの状態はおもわしくない。 理由は、言わずと知れた麻薬組織との戦争だが、もともとのバハ・カリフォルニアから戦争は拡大して、いまはアカプルコのような外国人観光客がたくさんいる町でも大量の首のない屍体がみつかったりしている。 それもコスコの駐車場、というような場所のことなので、結婚する前なら面白がってでかけただろうが、いまは、そういうケーハクな遊びをして喜んでいるわけにはいかない。 それでも、わしが大好きなプラヤ・デル・カルメンやトゥルムにまたでかけたいと思うが、セキュリティのおっちゃんたちは大反対で、誘拐を考えると責任がもてないという。 そーですか、としか言いようがない。 わしはモニと結婚してよかったとおもっているが、危ないところへ行ったり、あんないけないことや、こんな恥ずかしいことが出来なくなったのは、まことに残念であると思う。 2 モニさんは生まれたのはフランスだが、ニューヨーク暮らしが長かった。 マンハッタンはフランス人が多い町で、フランスのひとにとっては多分世界で最も暮らしやすい町だろう。 モニの家はUpper East Sideというところにあるが、モニさんがモニかーちゃんからもらった家で、わしのチェルシーのボロアパートとはえらい違いの豪勢なアパートである。 マンハッタンという町はおおざっぱにいうと、ダウンタウン(ヴィレッジ、イーストビレッジ、…トライベッカ)は気楽な「ざっかけない」町で普通に暮らしていて簡単に友達ができる。 馴染みの定食屋やバーも、どんどん出来てゆくので、あっというまに「近所のひと」になります。 わしガキの頃は、まだまだ危ない町で、よくひとが通りで撃たれて死んだりしていた。特にジャンキーのおっちゃんが多いイーストビレッジはみかけよりもずっと危ない町だった。いま人気のあるミートパッキングディストリクトも同じことで、当然ながら買うにも借りるにも安い、ということもあった。 最近はマンハッタンは世界一安全な町なので、それにつれて、たとえばイーストビレッジには日本の若い世代のひとが大勢住んでいる。 蕎麦屋もあれば、わしの好きなタパス屋もある、日本料理屋が並ぶその同じ通りにたこやき屋もあって、有名な「一風堂」も、ユニオンスクエアから歩いて2分くらいのところにあります。 えらい人気で、いつも行列ができいる(^^) 日本人だけ、というわけではなくて、いろいろなエスニックグループの人が辛抱強く並んで待っている。 わしはラーメンというものが、あんまり好きでないので行った事がないが、行って見た近所の友達によると、「めちゃくちゃ、うまいぜ」ということだった。 もともと日本人が多く住んでいて、義理叔父の家もここにあるミッドタウンのGramercyもいいところだが、モニとわしはチェルシーとヴィレッジの境界に近いアパートかモニのUpper East Sideのアパートのどちらかにいることが多かった。 小さな人が生まれてから、モニとわしの生活はおおきく変わった。 … Continue reading

Posted in 近況報告 | 1 Comment

セキシたち

近代日本はもともと天皇ひとりのために存在する国としてデザインされた。 日本の歴史を学習するひとは誰でも、その不思議なシステムが登場する明治時代にさしかかると、そこで手を休めて、ため息をつくことになる。 自分で読んでいるものが信じられないような気がするからです。 中国の王朝は最後の王朝清に至るまで国家、というよりも中国人の主観によれば宇宙全体が「皇帝」という一個の人間の私有物にすぎなかった。 宮殿の奥深くに住む奇妙な形に萎えた足をした美人から北京の町の埃が舞い上がる繁華街の路傍にある一個の石ころに至るまで、この「宇宙」に存在するものはことごとく皇帝個人の持ち物だった。 少し似ているようでもあれば、まったく異なるようでもある。 明治時代、徳川家から政治権力を簒奪した薩摩・長州・土佐のひとびとは、すでに鳥羽伏見の戦いで日本人の心のなかに隠れ住んでいた「天皇への畏敬」に気が付いていた。 なにしろ精強に戦う優勢な幕軍に遭遇しても玉松操がでっちあげた「錦の御旗」を掲げてみせれば、さっきまで自分達こそ正義だと確信して必死の形相で戦っていた幕府の強者が、そういう言い方をしてしまえばパチンコ屋の新装開店の花輪とたいして変わらない由来の「錦の御旗」をみて、あれよあれよというまに逃げ散ってしまう。 薩人たちが味をしめたのは、当然だと思います。 いざ政府をつくってみたものの困ったことに新政府には「信用」というものがまるでなかった。当時の日本人は、「官軍」の正体が、もともとは無学なテロリストや身分の低い半侍たちの集まりで、その「正義」なるものは、ただ自分達が驕奢に耽り田舎者らしい富貴を貪欲に追及し金で頬をはたいて美しい女と夜をすごすための口実にすぎないことをよく知っていた。 訓練された兵と最新式の兵器という自分達に数層倍の究極の「暴力」を携えて清の大陸に蹲っている欧州人たちの冷笑はまだしも、自分達自身の国民からも、まるで信用がなかった。 はっきり意識していたかどうかは判らないが、出来上がったばかりの安普請の政府の首脳たちが「錦の御旗」の甘い記憶をおもいおこして、「どうだろう、西洋の教会のかわりに天皇をでっちあげてしまえば、そうして国民の顔を全部そっちに向かせてしまえば、なんとか国がまとまるのではないだろうか」と誰かが考えたと思うのは自然な推測だと思います。 虎屋という和菓子屋が皇居の畔の一等地に立っていることには黒川の家に伝わる家伝があって、江戸時代、世間に顧みられることがなくなって困窮を極めた天皇家のひとびとの生活をみるにみかねて、当主が多めにつくった菓子を抱えて塀の外に立っては、「やあ、今日は菓子をつくりすぎてしもうた。とっておいても腐るだけであるから、この大きな家の庭に捨てさせてもらうことにしよう」と呼ばわって菓子を塀越しに放り投げると、天皇家からはひとがわらわらと飛び出してきて菓子を拾って食べた、という。 虎屋はそのころ天皇家を支えた功で明治維新のときに、1869年、初めは神田に土地をもらって東京にやってくる。 明治時代の為政者が考えた手品は、真に驚くべき手品で、日本の支配層の権威の二重性の靄に隠れた遠い彼方で、微かな信仰のような気持ち、ある種のおぼろげな畏敬の記憶の向こうに気息奄々としていた「天皇」という伝統を政治表にひきだして、西洋における「神」の代役をやらせることにした。 のみならず、日本という近代国家そのものが天皇ひとりのために存在する、といういかにも日本人好みの、「崇高なもののために死ぬ」体制をほんの数年で築きあげたのでした。 日本人には絶対的な善悪の彼岸はなくて、ただ行動の美醜のみがある、といろいろなひとが述べているが、この「天皇のために自分達すべての存在の意味がある」という、明治の為政者が、いわば思いつきででっちあげた書き割りじみた社会のデザインは、日本人の、魂のどこか奥にあるイデアのデザインに訴えたもののようでした。 「つぼにはまる」という言葉があるが、そのとおりのようなことになってしまった。 そのあとに起きた事は日本人なら誰でもよく知っていて、「御真影」という天皇の写真を火事になれば校長がそれを守る為に焼死するほどに崇敬させる学校で育ち、皇居端を路面電車が通ればいっせいに頭を垂れて皇居をみないでやりすごすことを毎朝の日課と命じられて通勤した日本人は、やがて天皇ひとりに価値が集約される世界を日本からアジア全体、世界全体と拡大するために、カルト教団が激しい拡大運動を起こすようにしてアジアの諸国家で戦争を繰り広げる。 この戦争は特に1941年12月以降は歴史に例をみない無謀なもので、直截の敵であった欧州とアメリカ合衆国とがナチと必死の戦いを繰り広げているあいだの100日くらいは、それでも欧州戦線にすべてが投入されたあとの、劣悪な装備に訓練されていない兵と、もともと宗主国の権利を守るために戦うということそのものに懐疑的な植民地兵の混成だった軍隊を相手に、いわば火事場泥棒の戦いを戦って連戦連勝していったが、ナチの守勢が明らかとなると、だいたい1942年の晩秋(ソビエトロシア軍のウラヌス作戦は1942年11月19日発動、第3次ソロモン海戦は1942年11月12日)くらいから、ナチが坂を転げ落ちるように戦力を失ってゆくのにつれて、もともと第一世界大戦に本格的に参入をしなかったことによって「国家総力戦」への国家的な想像力を欠いていた日本は、グレンデルに背骨から粉砕されるフロースガール王の家臣たちのように、ひとりひとりの日本人の肉体が粉砕されてゆく戦いのなかで断末魔の悲鳴をあげることになる。 傷ましいのは、その悲鳴が「天皇陛下万歳!」であったと、この期に及んでも国家によって喧伝されたことで、戦場から生還した若い兵士たちが、どれほど繰り返し「みな、母親を呼びながら死んだのだ」と述べても、結局その証言は国家の官僚たちに塗り替えられて天皇の名前を呼んで「美しく」死んだことにさせられてしまった。 いま劇場で自分が死ぬときにさえ「天皇陛下バンザイ!」と叫ぶ、あの観客の目をおおわせる非人間的な若い兵士たち、日本人の「非人間性」の象徴になっている日本人兵士たちは、 戦争を背後で「指導」した官僚たちのプロパガンダの、いまに残る虚しい余韻だと、ぼくはおもっている。 戦争が終わると、これもまた驚くべきことに、天皇は「わたしは神様はやめた」と言い出した。明日からは人間になる。わたしは昔からイギリスの王達のように君主は人間であるべきだと信じていたのさ。 天皇の個人としての人格に好意と敬意とを強く感じ、側近として戦争を通して必死で天皇を守り抜こうとしたひとびとのなかにも、天皇がまったく責任をとろうとしないことによって、衝撃をうけ、失望して天皇と二度と会おうとしないひとが多くあった。 普通の「庶民」のあいだにも、たとえば文芸評論家の江藤淳の祖母は「今上(きんじょう)は、こんなことになって、明治様に申し訳ないとは思わないのだろうか」と述べて、以後、昭和天皇について何かを言うことを忌んだという。 1946年1月1日、昭和天皇は、いわゆる「人間宣言」を行う。 「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」 これによって、日本人全体が、その一点に顔をむけて生まれて死ぬ事のみに価値をみいだしてきた玉座は、からになって、日本人はこの日以降、天皇ではなく、この誰も座っていない王座を見つめて一生をすごすことになった。 この日まで、日本の支配層があれほどこだわり、固執し、広島と長崎に原爆を落とされた後でさえ、そのために戦うことを正義とした「国体」とは天皇個人のことだったが、 この日から後は、国体、すなわち「日本」というときの、その「日本」の実体は、この玉座が抱えた虚しい「不在」のことになった。 福島第一事故は、政府が国民を守ろうとしないことによって、外国人だけではなく、日本人をも驚かせた。 国の内外で事態を息をのんで見つめる人間達の自然な疑問は、 「この政府は何を守ろうとしているのか?」ということでした。 結局は日本人の価値の信仰は伊勢神宮のあの有名な「nada」信仰にあるのだ、と言えば機知としても安っぽすぎるというべきだろう。 日本人は、天皇がそそくさと立ち去ったあとの、そうおもってみればやや恥ずかしげにもみえる、かつての天皇が座っていた「不在の空間」をいまも凝視している。 過去のぼんやりした記憶に悩まされながら、あの空間を守らねばならないのだ、という妄念に似た強い意志だけが、日本という、不思議な、そして他の国の国民にとっては、ほぼ理解不能な決意に満ちた国を支えているのだと思います。

Posted in 日本と日本人, 日本の社会

カレーと偏見

1  偏見の話をしようと思う。 中国人と日本人がふたり並んでいて、どちらを信用するか、と言われれば10人の英語人のうち10人が「日本人」と答えるだろう。 では中国人と日本人がお互いを嘘つきだと罵りあっているときに英語人がどちらを信じるかと言えば、中国人のほうだと思います。 矛盾しているではないか。 矛盾していますね。 でも、事実においてそーである。 日本人や中国人のことをよくしっている、たとえば特派員、というような世界においては常識と化している。あるいはアメリカ、豪州やNZに住んでいる中国人や日本人に対するイメージは、そーゆーものである。 日本人の議論には特徴があって理屈のうわっつらだけを眺めていると、いかにもほんとうらしくみえるが、仔細に見てみると初めに「相手や出来事に対する感情」があり、それに由来する「事実がこうでないと困る」という気持ちがあって、すべてはそのすでに存在する結論を真実らしくみせるために構築される。 南京虐殺、などがよい例で、話の経緯をしる英語人の一般的な意見は、「中国人の数はオーバーなんだろーが『虐殺がなかった』と主張している日本人のほうは、とんでもないウソつきだ」というところに落ち着くと思います。 自分達が最後にもった軍隊が、集団強姦を働いたり中国人を虐殺したりした、というのは日本人にとってはたいへんなembarrassmentなので、あんなことを言っているのだな、と思っている。 日本のひとは恥ずかしさのあまり、全部なかった、ということにしたいに違いない…だいたい、どの本にも、そう説明されている。 日本の人の意図とは異なって「南京虐殺を巡る論争」は日本人の議論には信頼性など微塵もないことを世界に向かって宣伝してしまった。 自爆、というか、あれ以後は中国のひとびとにとっては、尖閣諸島でもなんでも、日本のほうが正しいんちゃうの?という英語人に会った場合には「南京虐殺の議論を見てみい」という、ただそれだけのひとことですむことになってしまった。 日本人は相手を攻撃するときに巧緻に嘘を組み立てることが上手なのは、あれを見れば判る。そういう民族の議論にも真実が有る、と思うきみはナイーブすぎるのではないか。 言うまでもなく、こういう展開は南京虐殺にとどまらず、日本人全体の言語信頼性に関わることで、わしの立っているところから眺めると、長期的には日本人という民族にとって致命的なダメージを与えてしまっている。 日本人の議論には初めに結論があって、日本人は、その初めから決めてかかっている結論をほんとうらしくみせる詭弁の達人である、という現代日本人の「定評」は、多分永遠にはがれないラベルとなって日本人がいくところにはどこにでもついていくだろうと思います。 ついでに余計なことを述べておくと、では、もともと英語人が南京虐殺をどう思っていたのかというと、それは「だって戦争だからなあー」という感想と思う。 そんなこと言っている人は誰もいなかったぞ、と日本のひとならば言いそうな人がいそうな気がするが、それは当たり前で、中国人に対しても日本人に対しても、考えてみれば、それは述べてはならない感想で、英語人同士でもあまり知らない相手では口にだしてはいいにくい。 しかし英語という言語はあきれるくらい現実主義的な常識に圧倒的に依存している言語なので、「戦争のときって普段の人間とまったく異なってるのはあたりまえじゃん」と一も二もなく思っている。 それとも、きみは、「戦争は絶対に起こしてはならない」というのは、人が死ぬから、殺し合いはいけないから、とかっちゅうマヌケな理由だとでも思っていたのかね? だから日本の人が訳のわからん英語でやってきて、「イギリス人だっていっぱい虐殺してるではないか」「アメリカ人だって日本兵をいじめたではないか」「コソボでだって、やってるじゃないか」日本人だけではないのだぞ、と言いに来ると、そのあまりの頭の悪さ(ごみん)と問題のとらえかたのセンスのなさに、うんざりしてしまう。 いまはIPバンをかけて東アジアからのアクセスは遮断してると思うが、むかしは、「日本のひと」がくると、一挙に議論の雰囲気が消滅して、荒涼とした攻撃的冷笑的な言語が支配したものだったのをおぼえている。 このブログ記事を書き始めた頃は、社会実験、というか、従兄弟や義理叔父が「こうやってみたらどうか?」「こう書いたら日本の社会の反応がわかりやすいんじゃねーの?」というのでいろいろと実験をした。その実験をそもそも考えついたのは誰で有るかはいわないが、2010年には「ガメ、十分資料があつまったから、もうやめていいぞ」と言い出した。だからほんとうはこのブログ記事の「役目」はそこで終わっているのです。 このそもそも「ちょっとガメひとっぱしり日本語書いてこい」と言い出したひとは炯眼、というか洞察力がありあまっているひとだが、ブログ記事の結果をまとめて、どう思いますか?と訊くと、「日本は、たとえば原発事故のような事故によって滅びるだろう」という、いまから考えると驚くべきことを述べた。 あんまり驚いたので、閉めたブログ記事の表紙のページに、同じことを書いておいたのでおぼえているひともいるはずである。 「でも、事故が起きたら、日本人はアメリカ人なんかよりも迅速に対応して地域を封鎖するのではないでしょうか?」と言うわしに向かって、そのひとは、にっこり笑うと、 「きみが集めた資料によると、日本人は放射能はそれほど危なくない。事故はあったかもしれないが、たいしたものではなかった、といって、逆に対策を立てないで放置するほうを選ぶということになる」という。 そんなバカな、と思ったが、相手はわしが尊敬しているひとなので、何か反論する、というわけにはいかなかった。 そのひとはチェルノブルで起きたさまざまな隠蔽も詳細に説明してくれたが、でもそれはソビエトロシアの体制から生まれたことではないでしょうか、というと、日本には日本の問題があるからね、というような意味のことを言った。 そのときは聞き流してしまったが、あのひとは、いま日本で起きていること、もっといってしまえば、これから起きるであろうことも詳細に知っていたに違いない、と思います。 2 なんだか他人のブログを肴にするようで気が引けるが、最終弁当さんが、「バターチキン」のことを書いている。 最終弁当さん、というような書き方をしないで、誰のことなのかはっきり言ってくれよ、という人がいるのはわかっているが、あんまりそう他人とべったりするのは好みでない、ということがあるので、判る人が「あー、あのひとのことですね」と判る程度のほうが、わしの好みです。 バターチキン、というのはたとえば、今日はみんなで対スリランカのクリケットマッチをみるべ、というようなときに、では何を食べるかというとインディアンテイクアウェイが手頃でよいであろう、ということになったとする。 ほんじゃ、わし、Chicken Jalfrezi。 おれは、Tikka Saagwala、わたしは、Saag Goshとゆってめいめい注文するときに、ひとりだけインド料理が苦手なスパイスはようわからんし、辛いのは苦手だからなー、というやつが、じゃ、Butter Chickenにするわ、というと、みながドッと笑って、でたあー、バタ・チキン、おまえってほんとうにレッドネックだよなあ、どうしようもないやつ、と冷やかされたりする、という性格のメニューである。 … Continue reading

Posted in 食べ物, 言語と習慣, 日本の社会 | 2 Comments

NZに来た日本人の友達に

「The Help」という60年代のミシシッピを舞台にした映画で、アフリカンアメリカンのメイドが10時間もオムツを替えてもらえないほど放っておかれて、体面ばかりをうるさくいう母親にいまにも心を壊されそうになっている雇家のチビガキに何度も「You is kind,you is smart,you is important」と言ってきかせるところが出てくる。 チビガキが人格崩壊の危機に立つたびに、子供を抱きかかえて目をみつめて、まるで自分の全人格を投入して子供の人生を支えようとしているかのように、言ってきかせるアフリカンアメリカのメイドの言葉は、要するに英語世界の子供が小さいときから繰り返し言い聞かされて育つ言葉でもある。 きみがニュージーランドにいるのだと知ったとき、ぼくはどれほど嬉しかっただろう。無口で、気難しい顔をしたきみが、やっぱり親切を表情にだすのが下手で、ぶっきらぼーなニュージーランドのレンタカー屋で、どんなやりとりをしたのだろうと考えたり、タウポの宿屋で、夜中にバカ騒ぎを繰り返す観光客たちに、腹を立てながら眠られない夜を過ごしているのを想像して、なんとなく可笑しい感じがしたりもした。 でも、きみが現にいまニュージーランドにいることを、とてもいいことだし、自分にとって嬉しいことだと思いました。 ぼくがこのブログ記事を書いているのは、自分の意見の正しさを証明するためではない。意見を述べるためですらないようです。 いままでも、いろいろな、ぼくの目からみると、ただヒマを持て余して他人を攻撃するためだけに生きている(他の国から考えるとどう考えても、桁違いに数が多い)ひとびとが、さまざまな難癖をつけにきて、あれを証明しろ、これが間違っている、おれのほうが正しい、反対できるものならやってみろ、証拠をだせ、と言ってきて、ばかばかしいので放っておくと、なんだ何も言えないのか、卑怯者、逃げた、おれたちの勝ちだ、おれたちは喧嘩は強いんだ、となんだか現実離れをして魂が壊れたひとびとが群れをなして騒ぎたてても相手にしなかったのは、そういうくだらない習慣自体が、日本人のあいだだけで通用する、どうしようもなく幼児的な習慣だというだけでなく、ぼくがそもそも「正しい」ことや「正義」を明瞭でおおきな声で述べ立てるひとに興味がないからだと思います。 もう何度もこのブログで書いたが、ぼくがいまだに日本語を書いているのは、舞台の上に立って如才なく冗談もはさみながら、他人の喝采で自分の正しさを測定しながら生きているひとたちのためではない。 まして大声で「正しいこと」ばかり述べて拳を空に突きだしているひとびとなど目にしたいともおもわない。 その舞台を囲む大きな人の輪のいちばん外側のはしっこで、喝采を遠くからみつめながら、「そんなことはないんだけどな」と小さくつぶやいて、その場を立ち去ろうとしている人に話しかけるためだと思っている。 偏見もある。 きみがいまいるニュージーランドという国のひとびともそうだが、ぼくが産まれて育った北海の文明圏にある天気の悪い国では、器用な人間や、流暢に言葉を操る人間、「如才のない」人間を、誰もが疎ましくおもう。 あの何事にもドジな国では、天井の高い、装飾品がどう見ても多すぎる居間で、誰もがつっかえつっかえ、どもりの癖があるひとのように話している。 もう21世紀だというのに、知らない人と狭い空間で一緒になると、せいいっぱい丁寧な挨拶をして、そのあとは、もう知らない人に対する義務は全部はたしました、とでもいうように、目を落として、新聞を読んでいるふりをする。 あの国で紙の新聞がいまだになくならないのは、ようするにそのせいだろうという冗談があるくらいで、考えてみればアメリカ人なら治療が必要だと言われるに決まっているほど、ひどい人見知りで、なんだかなんにもうまく言えなくて、どうせ自分なんかこの世界には不要な人間なんだから、と諦めている自閉的な人間で社会が充満している。 そういう国に育ってしまうと、「正しい事」を堂々と述べるひと、というものが苦手になる。 自分の科学的知識を披瀝して、相手の非科学性を公然となじるようなひとびとを見ると、このひとは育ちが悪いのか、よっぽど頭がわるいか、どっちだろう、と考える(^^) ノースランドに行ってカウリをみる、というのはとてもいい考えだが、オークランドからワイカトを抜けてウエリントンに向かうと、その途中には「砂漠の道」という名前の荒涼としたオープンロードがある。ところどころタシットが一面に広がっているほかは、ほかには、ほんとうに何もない道で、ぼくはこの道が北島では最も好きかもしれません。 ニュージーランドは小さな国なのに、空ばかりはやたらとおおきい。 晴れた日には地平線の方角をみても直上と変わらない青い色の空がひろがって、宇宙のまんなかにいるようでもある。 その巨大な空の下を、点ともいえない動く染みになったちいさな自分が、なんだかどこまで行ってもどこにもいきつけない感じがする荒野を走っているのを考えると、まあ、自分の一生なんて、どうせたいしたことはやれないのだから、てきとーに、自分にせいぜいやさしくして暮らすのがいいだろう、と心から決心する。 ウエリントンに着いたら、新しくできた美術館の近くに泊まるといいと思います。 もう知っていると思うが、「New World」というあのスーパーマーケットが近くにあるので、ワインでもなんでも買って部屋で飲める。 オーストラリアのシラズが世界でいちばん安いのはニュージーランドで、少しはりこんでPenfoldsの、Grangeはやりすぎでも、Bin28くらいは飲んでも損はないかもしれません。 近所のレストラン街には有名なマレーシア料理屋があって、そこはふつうにマレーシア料理と呼ぶときの「ニョニャ」、中国人の男たちとマレー人の女びとたちの婚姻から産まれたマレー・中国の折衷料理とは違って、ほんもののマレーシア料理をだす。 Nasi Lemakを、ぼくはいつも食べる。 海峡をこえたピクトンはただフェリーが出るだけの町で、あんまりおもしろみがない。 きみが、ステーキパイを食べてみた、というのでモニに、「あの日本のひとステーキパイ食べてみたんだって」とゆったら、「おいしかったって?」と訊く。 ツイッタをたしかめて、なんとも書いてないな、というとモニが大笑いして、 「それは絶対不味くて閉口したんだぞ、ガメ」という。 驚く、わし。 モニは、ずっとステーキパイを不味いと思ってたのか? … Continue reading

Posted in gamayauber | 1 Comment

SLAPPs

1 食品・種苗各社があれほど怖れられているのは、そのアグレッシブな訴訟戦略のせいである。大きい会社になるとだいたい40人程度の法律部隊をもっていて、自分達の前にたちはだかる相手は一介の中小農場主から企業、有名な論客に至るまで、すべて訴訟の対象にしてきた。 http://tmroe.com/blog/monsanto-and-genetically-engineered-foods-a-study-in-intellectual-property-and-morality-part-3 世界を最も驚かせたのは「世界で最も影響力がある女性」Oprah Winfrey に対する訴訟であって、この訴訟は勝訴をめざしたものではなかった。 単純に相手に訴訟費用を使わせて財政的なダメージと「うんざりさせること」が目的で、実際にオプラ・ウインフリーは訴訟には勝ったものの1ミリオンダラーを失ったと言われている http://www.prwatch.org/prwissues/1997Q2/eat.html SLAPP(Strategic Lawsuits Against Public Participation)と皮肉な名前で呼ばれる、ケースを積み重ねて訴訟側のスキルがあがるにつれて洗練されたものになってきた。 こういう訴訟は、オプラのような有名人に対して 起こされるものは「Don’t mess with us」というメッセージをこめた象徴的なもので、普段は、たとえばGE種苗会社が支配しているトウモロコシ農場の風下にきみの農場があるとすると、ある日、きみの郵便箱に 「あなたのトウモロコシ畑のトウモロコシから弊社の種苗以来のDNAをもつ花粉がみつかりました。これは窃盗罪あるいは当社特許の侵害にあたるので○○○万円の支払い請求をいたします」 という法律家からの手紙がはいっている。 こういうやりかたは殆どの先進国でまったく合法な上に、手続き上の平仄もあわせやすいので、これからも盛んになってゆくだろうと思われる。 世界でいま起きていることは「食品の工業産品化」とでもいうべきもので、いまの食品生産、たとえばトウモロコシの生産を「農業」という言葉で考えると、イメージをつかめないまま終わってしまう。 SLAPPは「マーケティングとしての法律訴訟」という新しい潮流を生み出したが、当たり前というか、以前には農業の世界にはこういう理屈はもちこまれたことはなかった。 日本はアメリカやニュージーランドのような農業産品輸出国にとっては、(多くの場合不可視の形で)たいへん不正な輸入障壁をもっている。不正直なやりかたで、以前チーズを例にだしたが、一見するとそれほどでもない関税にみえるものが現実の関税は(すべて可視の税金に直して計算すると)800%という途方もないものであったりする。 小麦粉に至ってはそもそも民間には自由に輸入する権利がなくて、オカミが独占的に輸入したものを配給してもらって、それを市場に分配している。 歴史にはよくある皮肉で、日本はここまで、この不公正な制度によって遺伝子工学を武器にした種苗会社などから守られてきた。 日本社会の世界に有名な強烈な排他性が良い方に働いてきたのである。 東北震災がきっかけ、ということになっているが、日本は自国の自動車を筆頭とする工業製品の輸出を伸ばすために、従来の排他的政策をここにきて緩めつつある。 どこの国にいても、わしが目撃してきたことは、「どんなに頑張ってもいつかは世界のスタンダードを受け容れざるをえない」という、良い悪いとはまるで関係のない「事実」だった。現実的な政策をつくるのに長けた国民性の国の国民は、「良い悪い」というようなことを政治や外交について述べるひとがいると一種の幼児的白痴として扱う習慣があるが、現実主義は自分達がした政治的判断の結果だけを問う。 そういう見地からは「モンサントはくる」ので、それがいいことかわるいことか論じたり、モンサントの非人道性をあげつらうことにどの程度実効性があるか、判らない。 ただ、いまの日本のナイーブさで、多国籍食品・種苗会社が日本の排他防壁をのりこえてやってくるときには、どんなことが起きるだろう、とときどき考えてみるだけのことである。 2 「地震、雷、火事、おやじ」という表現を学習した外国人は、この表現はなんだかへんだ、と考える。 地震みたいな「恐怖大王」のようなチョーおっかない天災に較べて、残りのラインアップがしょぼすぎるのではなかろーか。 そう考えながら日本に住んでいるうちに、否応なく理解されるのは「日本では地面は揺れるものである」という日本人なら誰でも当たり前だと思っていることである。 現代社会の「おやじ」がぶちむくれてキレる回数よりも多いくらい揺れる。 モニさんはフランスに生まれてニューヨークで暮らしていたので「地面が揺れる」ような訳のわからない国はすでに感覚的に理解の外だった。 地面が揺れて、日本人なら「おっ、ちょっと揺れたね」程度で、ぎゃああああー、ぐわああああー、どひゃああああー、きゃああああー(<-最後のがモニさん)とふたりで家のなかで煙突からおっこちてきたポサムみたいに走り回ってカウチに飛び乗ったりした挙げ句、はあはあはあ、と肩で息をする、ということを繰り返した。 真に怖ろしいものには現実感がないというが、あの津波 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/03/13/1885/Continue reading

Posted in 日本の社会 | Leave a comment

よいことをする、ということ

1 以前のブログ記事とむずかしい話が増えてきたのでバイバイにしてしまった前のアカウントのツイッタで「盗られちったぜ」と書いた財布が、戻ってきた。 落とした財布がもどってくることは、よくある(わしは財布を落っことすのは名人です)が、盗られた財布が戻ってくる、というのは初めてである。 バーから財布をもっていったひとが、中をみたらあんまりいっぱい現金がはいっていたので、「こんなに現金を盗られたひとは、これでは今月暮らせないのではないか」と考えたものであるらしい。 えらいものを盗んでしまった。 運が悪かったとおもって、こっそり財布を返すに如くはなし。 およそ、そう考えて財布を持ち主(わしのことね)に帰そうと考えたもののようである。 財布に添えられたメモにそう書いてあった(^^) 財布は農家の直販所のドロップボックスにはいっていた。 財布を発見した農家のおばちゃんは、ぶっくらこいたものであるらしい。 どうしよーか、と旦那さんと額をつきあわせて相談した。 免許証に名前が書いてあり、クレジットカード、EFTPOS(ATMカード)にも書いてある。 ニュージーランドでは、というよりも、いまどきの国はどこでもそうだが、免許証も含めて住所が書いてあるものはなにもない。 セキュリティのためです。 住所みたいなマヌケなものが書いてあると強盗がやってきてしまう。 銀行に電話しても、それで本人の電話番号を教えてくれる可能性はあるわけない。 警察もしかり。 ここまで読んで気が付いたとおもうが、この農家のおばちゃんは、(社会の名誉のためにゆっておくとニュージーランドの警察は世界で最もマジメで「クリーン」な警察であるのは統計上もずっと1位であって、国民も不正がない、ということについては信頼しているが)警察や銀行といえど、人間がやっていることなので、あいだにはいる人間が多ければ多いほど現金が抜きとられる可能性が高い、と考えたのである。 スポーツジムやAA、射撃演習場なんかの会員カードもあったが同じ理由でダメであると考えた。 フェース・ブックを使ってさがしてみたが、本人らしい人間はいない。 グーグルでも連合王国に同姓同名の風変わりな人物がいるだけである。 結局目を留めたのはある商店の「会員カード」で、この農家のひとは、その商店が実直なところであるのを知っていて、そこに電話をすることにした。 名前からDBをひいて電話番号を発見した。 まず店から電話がかかってきて本人であることを、確認してから、農場のおばちゃんと連絡することになった。 詳細は省くが、このおばちゃんが相手がほんとうに本人かどうかを同定するために、さりげない調子でおこなった質問は、わしを感心させた。 多分、おばちゃんは賢明に計画と質問を練ったのだと思われる。 おばちゃんは、わしの答えに満足すると、自分の農場の住所を教えて、午後の早い時間はジムにでかけて忙しいから夕方からあとがいいです、と述べて電話を切った。 農場に着いてみると、旦那さんとおばちゃんは、途方もなくよいひとで、涙を浮かべて「よかったですね」とゆってくれる。 わしは財布にはいっていた現金の2割くらいをとりだして、オカネっちゅうのも下品だけど、受け取って下さい、というと旦那とふたりで、絶対、やだ、うけとれません、という。 看板が出ていたのをおもいだして、じゃ、ジャムを買います、と述べると、 そっちは喜んでもってきてくれる。 8ドルのジャムに100ドル札を差し出すと、「そんなおおきなオカネ、お釣りがない」という。 わしが、してやったりとニカっと笑うと、ふたりでふきだして、100ドル札を受け取ってくれたのでした。 旦那さんが、なにがなし安心した様子で納屋仕事にもどったあと、おばちゃんとモニとわしは3人で、近在の公園のこと、オークランド近郊の農業のこと、インターネットのスピード、あるいはオークランドのそこここの店の話というような話をした。 オーストラリアとアメリカに住んでいたことのある人だったので、ふたつの国の話もした。 周到な「財布返却計画」は、どうやら大会社の秘書をやっていたときに身につけたスキルのようでした。 帰りのクルマのなかで、ここのところ、ちょっとうつ病気味であったモニさんが、晴れ晴れとした顔をして 「良い人はいいな、ガメ」という。 うん。いいよね。カッコイイな。 あのひと、頭がいいひとだったな。 … Continue reading

Posted in 日本と日本人, 日本の社会 | 3 Comments

緑の道

1 スペインという国は、悪魔の実在が濃厚に感じられる国だというのは、このブログ記事のあちこちに出てくる。 カタロニアでは、まだ、バルセロナのような都会ではそういうことはあまり感じられなくて、ジローナから内陸へはいってゆくような田舎の村へ行かなければ実感されない。 人がたに穿った石棺にぎっちり押し込めるようにして埋葬したあとがある大小のネクロポリスや鬱蒼としたコルクの林をぬけて午飯時の終わりにやっと辿り着くような中世の行商路の途中にある小さな集落のなかには、しかし、カタロニアのようにスペインのなかでも近代的な指向が強い国でも悪魔達が暮らしているのは前にも書いた。 西北へ向かって、赤土の荒涼とした大地のなかに点々と村が散在するレオンや、もっと西へ向かってSantiago de Compostelaがあるガリシアの田舎へ足をのばすと、神がいるのなら悪魔も同じ密度で存在するはずであるという神学上の当然の事実が実感されて、欧州という辺境ではキリスト教はこういうふうに過去の実感を残すにいたったのだ、ということがよく判る。 ガリシアの築地よりも魚がおいしいという点で殆ど世界でただひとつであるとおもわれる市場にでかけて、ちょうど焼き鳥屋に似たつくりの海産物を食べさせるスタンドに腰掛けて白ワインを飲んでいると、隣で魚を頭から噛み砕く、なんとなくいぎたない下位の悪魔が座っていそうである。 大西洋側につくられた、あの円形をしたケルト人たちの不思議な集落 https://gamayauber1001.files.wordpress.com/2011/07/img_9011.jpg は、ひょっとすると交易よりも悪魔達から自分達の夜を守る為につくった要塞ではないかと思えることすらある。 キリスト教という宗教は他の宗教とおなじく、おおきく言語に依存しているが、たとえばカソリック教会はほぼ完全にロマンス諸語に依存している。 イタリア語やスペイン語、せいぜいフランス語で思考するひとびとのためにある宗教であって、やや「世界宗教」というようなものとは異なるところに、いまの本質的なカソリックの退潮があるだろう。 当然、メキシコの内陸部の村へいくと、そこにもカソリックが存在して、悪魔もまた色濃く偏在して、日常のあちこちで「あっ」と思わせるというか、そうだったのか、と感じさせるところがあるが、英語やいまでは若い世代に至ってキリストを拒絶するに至ったロシア人たちのロシア語世界にはばまれて、キリスト教もまたロマンス諸語が話されない地域ではアメリカ大陸に見られるようにおおきく変質して、ほぼまったく異なる宗教になっている。 宗教というものは、そういうもので、Santiago de Compostelaには市によって雇われた中世の巡礼の姿をしたひとびとが参道を歩いているが、後ろからみていると、ときどきそれがほんとうの巡礼人の姿に変わる。 今日一日の糧のために巡礼の装束をつけることに同意したひととは、明らかに異なる後ろ姿になることがある。 同じように、チョコレート・バーで若い女の客にコーヒーをいれてやりながら冗談をいう気の良い店のおばちゃんに、ふとした弾みでわしが目をやると、悽愴な淫蕩の表情を浮かべて若い女の客の横顔を眺めていて、わしに自分の表情をみられたことに気づくと、憎悪の顔でにらみつける。ところが、一瞬のあとには、元のおばちゃんの顔にもどって、明るい声で、なにごともなかったかのように、あなたはどこから来たの、イギリスですか?と微笑みかけながら注文を訊く。 神というものがどうしても受け容れられないひとは、悪魔をも迷信として退けるが、実際には悪魔は(神と対立するものではなくて)神というものの本質の一部なので、その存在が現実世界の日常のどこかに破綻して姿をみせてしまっていることは、それほど不思議なことではない。 それが信じられないのは、眼の前の金属でつくられた機械が空を飛ぶのだと聞かされて、一笑に付すひとと、とてもよく似ている。 2 文明というものを理解するには、どうやら中央アジア、それもトルクメニスタンを中心に描いた世界地図が必要であって、アラビア半島をつたってここにやってきた人間たちは、ここから文明の爆発とともに西へ東へと流入していったように思える。 DNAの「解読」は飛ばし読みにすぎなかったが、飛ばした部分も精読する余裕が出来て以来、あの「緑の道」の物語はいよいよのっぴきならないドキュメンタリに変わってきたもののようである。 くだらないことをいうと、カリー料理が国民食になった連合王国人たちは自然の勢いでタンドリ料理も喜んでむさぼり食うようになったが、トルコにでかけるに及んで、自分達がいままで「世界で最もおいしい料理である」と信じていたタンドリ料理が、単純にトルコ料理の田舎料理版にすぎなかったことをしって落胆する。 スパイスの使い方がトルコ人たちのほうが遙かに洗練されていて、誇り高い北インド人のシェフたちとは較べものにならないほどだからです。 あるいは騎乗というような習慣で見ていっても、鎌倉時代の武士の馬具(特に金属製の部分)は、どうみても中央アジアへの憧れが結晶して出来た意匠である。 そういう文明の潮流のようなものに言語をかぶせてみてゆくと、キリスト教というものが文明の大通りの畔のような、ごく近いところにある小さな沼沢に生まれて、そこから文明の大流にとびのったものであることが判る。 キリスト教そのものを形成したのがパウロであって、そのパウロがキリストの思想を多分ギリシャ語であっただろう欧州語で記述したことには本質を描き変えてしまったという点で必然的かつ巨大な意味があったのだと思われる。 今日、英語の世界では伝統的なキリスト教はほぼ死滅してしまった。 その淵源はもちろん英語人がラテン語で思考するのをやめてしまったことにある。 アメリカ人はめったやたらと宗教的だが、どうにもならない原理主義で、あるいは現世での実効性がある奇妙な宗教で、ああいう余白が少ない宗教ができあがってしまうのは、要するにアメリカという文明の「手続き主義」が影響しているのだろう。 人間の罪も良い行いも、アルゴリズムによって処理されて、その結果ピーターに会ったり、おもいがけずサタンの知己を得たりするのだと思うと、新興宗教というものは、そういうものだな、という皮肉な感想をもつだけである。 3 神がいたり、いなかったりするさまざまな社会をうろうろと歩いて、わしの一生などはあっというまに経ってしまうに違いない。 人間の一生は大事なことを考えるには短すぎるのに、では生命だけを見つめて実直に生きていこうと思うと、それには長すぎる、という不便な特性をもっている。 モニとわしと小さな人は、これからどんな一生を歩いていくのかわからないが、 ここから先の世界は、神の姿がみえない、ちょうどエジプトからアラビア半島に出た現世人類が「緑の道」の南に見た、広大な荒野に似た世界、しかもそれはこれから沃野となるべき世界ですらなくて、刈り入れが終わって、収穫後の祭礼も終わった、厳しい永遠の冬に向かう世界になるだろう。 そしてそれは、文明上の文脈に翻訳して眺め直せば、実は中央アジアに向かって逆流する文明の旅になるはずなのである。 *「緑の道」は、アフリカ大陸から生存を賭けて大移動を始めた現世人類が、それをたどって世界中にちらばっていったと言われる「ひとすじの植生がある細いベルト地帯」のことでがんす

Posted in 宗教と神, 欧州 | 1 Comment

アルコールに名をかりて

あんたのブログを読んでいると、酒ばかり飲んでいるではないか、という人がいるが、ひと聞きの悪いことをゆってはいけません。 第一、わしは酒はぜんぜん飲まないので、飲んでいるのはシャンパンやワインがほとんどである。 ときどき、スコットランドやアイルランドの蒸留酒を飲む。 酒は、日本にいるときはお燗なら樽菊正宗、冷たければ立山、八海山(高いほうね)、寒竹、というようなのが好きだったが、福島事故が起きて以来、放射脳なので飲んでおらん。 ドライシェリーのおいしい奴は、日本酒に似ているのは有名で、もっと言うとドライシェリーや酒でなくても、おいしい酒はだんだん味が水に似てくる。 スコットランドの酒屋がよそ者に土産に買っていったりするような狼藉を働かせないためにカウンタの下に隠して売っているような地ウイスキーなどは、一口くちにふくむと、冗談でも表現でもなくて、岩山をしみわたってきた清冽な水の王様のような味がします。 そういうウイスキーを水で何かで割って飲むバカモノはいないが、ウイスキーを何かとまぜてのむのは、常に水がもっともよいのは、もともと水とウイスキーは味が同じだからだとゆってもよいかもしれません。 人間の生活のなかには、さまざまな飲み物があって、それが生活を楽しくする。 いまちょっと考えてみるだけでも冷凍庫にはリモンチェロとヴォッカが寝転がって出番を待っている。このふたつは、冷凍庫のなかでも最も気温が低い部屋に寝そべっていて、 ひっぱりだして、グラスに注ぐと、とろおおおおおりと、満ちて、暑い夏の日にはまことに清涼である。 イタリアの田舎町のバールで遊んでいると、専業主婦然としたおばちゃんが買い物籠をコロコロと転がしながらはいってきて、リキュールを、あるいは、グラッパを、ぐいっと一杯ひっかけてゆく。 か、かっこいいのおー、と考えて、みているほうは痺れてしまう。 イタリアやスペインには「文明の深さ」という点で、どーしても敵いませんね、と思うのはそーゆーときである。 義理叔父は、自分の中学高校があった駅の脇に、外からは店内がみえない聖心インタースクールの女の子達のたまり場があって、制服のまま、談笑しながら女の子たちがウイスキーをストレートで、くいっくいっと開けて、また笑いあいながら出てゆくのを見てカンドーしたそーである。 かーちゃんシスターが、義理叔父は実はそのあと、その「くいっ」を真似して、こと志と異なって、あっさり気絶したのだと内緒で教えてくれたが、気の毒なのでここには書かない。 ニュージーランドにはフランスのものくらいしかないが、大陸欧州には黄色や緑色のハーブリキュールがいろいろあって、わしは、これも好きである。 カバとパンアムトマカにハモンイベリコではじまって、テンプラニーニョに乗り換え、チョウチンアンコウのステーキやアロスやフィデオスの様々な料理をたらふく食べて、 にこにこの3乗になる天上に最も近いランチのひとときは、バルセロナの一日のハイライトであると言える。 そのあと、友達たちが帰ったあと、まだ少し余韻を楽しむためにテーブルでのんびりくつろぐモニとわしに、店がだしてくれるのがハーブリキュールであって、世の中にこれほどうまい飲み物はない。 アメリカにはまともな食習慣というものがなくて、マンハッタンでいっちばんカッコイイということになっているイタリア料理屋に行くと、ビートルズがかかっていたりして、なにを考えとるんじゃ、このボケが、と考えるが、しかしどのレストランにもあるバーにはカクテルがあって、このカクテルこそはアメリカで最もうまい飲み物である。 たとえばわしは「反乱軍兵士」というカクテルが好きだが、ドライマティニはロンドンのジェームスストリートのおやじが上手につくれても、こういう新しいカクテルはどうしてもマンハッタンのバーに限るよーだ。 前に書いたロングフェローの詩にちなんだ名前のバーとは、実は 「One if by Land, Two if by Sea」という名前のヴィレッジのレストランのバーのことだが、 http://www.nytimes.com/restaurants/1002207991656/one-if-by-land-two-if-by-sea/details.html 名前で直感できるように新しいカクテルは少なくても、言わば「実直」なカクテルで、やはり、これも幸せになってしまう。 冬には、やはりビールがよい。 大学町のパブで、1パイントのビールを買って、冷たい外の風にあたりながら、ちびりちびりと飲むスタウトは最高である。 ネクタイを締め、薄手のセーターを着て、おおまじめにジャケットまで着込んでいるお互いのマヌケな姿を眺めながら、友人達とわしとは、何度、議論したことだろう。 モニとわしは大雪が降る日に金沢の町にでかけて、日本式の旅館に宿泊して、障子を開けた向こう側に広がる雪の町並みを眺めながら熱燗の日本酒を飲むのが夢であった。 軽井沢の山の家からクルマででかけると富山までは行くが、そこから西はメンドクサクなって、ついさぼっているうちに、福島の事故が起きて、いけないことになってしまった。 羽田から飛行機で行けばよかった、と思うが、もう後の祭りである。 いつか、モニと日本にでかけて、一面の雪景色に息をのみながら、日本酒をくみかわす機会がくるだろうか、と考えると、なんだか、胸に直截酔いがとびこんで寂寥をひきおこしているような、切ない感じがする。 きっと、もう行けないよね、というモニの声を聴きながら、いまは瓦礫をばらまいたりしてるけど、そのうちには…と言えない自分を発見して、呆然としてしまうのです。

Posted in 食べ物 | 2 Comments

Tiger!

1 狂信でない信仰とは言葉の矛盾である。 理性を信仰することは(どうしてもやりたければ)可能だが、理性をもって信仰することはできはしない。 それほどの基礎的なことに対する理解ももたずに「神」の話をしても悪魔を喜ばせるだけである。 狂信という言語蒸留装置をもたぬ人間が聖人の名前を口にすることほど、悪魔信仰に近いものはない。 なんだか、うんざりしてしまう。 2 友達がたくさんコメントをつけてくれていたのを放置していたので、ストレスになってしまった(^^) このままほうっておくとアル中になるやもしれぬので、答えなければ。 他の言語ではブログについたコメントなど、ほうっぽらかしなのに、日本語だけは答えるのを義務と感じる。 なんでだか判らん。 これも日本語という言語のせいであることにする。 3 shiroganedoriどの、(静かな家) >この元は、ローマの東方から来たという、拘束の手法に長けたキリスト教のせいだったのか キリスト教は、パウロがギリシャ語だかなんだかに翻訳したときに、成立したのだと思います。言語的科学的反応というべきか、そこで東方的な要素が彼岸的色彩に描き変えられた。 >私は正直、あまり明るい未来を思い浮かべることは出来ません。 日本の未来のことですか? わしは、どうせ日本のことだから、そのうち立ち直ると思っていますが、いま生きている人達が死ぬまでに立ち直るのが無理、ということはありうる。 ひとりの人間の一生が社会の暗黒期にすっぽり収まってしまう、というのはよくあることなので、運が悪い、ということは常に起こりうる。 しかし、日本という社会からみると個人の運命なんて知ったこっちゃないので、社会ということなら楽観していいと思うのだけれど。 >植物も虫たちも、去年から比べて二倍ほどの大きさになっているものが居る。恐らく、世代交代の早い細菌などは、もっとすごいことになっているんだろうな、と思います。 間違ってるかもしれないが、そのくらいの変化は自然の世界では「日常」ですよ。 正当な怖れでも怖れは怖れなので、注意して周りを見渡す眼には、いつもそこに有ったのに気づかなかったものが新たに出現した異様なものとして見えることがある。 (怖れるな、とゆっているのではありません) >表に出てくる指導者面した空虚な人間たちは、日本を滅ぼす方向を指し示すのに役立っただけかもしれない。 日本は支配層や指導者層がチョーバカな国で歴史を通じて有名な国だから、仕方がないのですのい。 4 Portulaca 自分に会いに行く >私も日本語を使うときは頭のどこかで漢字を見てる気がするな。イタリア語ではそれがない。 やっぱり! 昨日、考えていたのだけれど、どうも日本語はちゃんと聴けてもいないよーな気がする。従兄弟に、日本語でわざと意味をなさない文を喋ってもらったら、案の定、聞き取れなかった。どうも「聴いて」おるときも漢字仮名交じり文を頭のなかのどこかで「見て」いるよーだ。 >狂泉の一番効果的な抗体は他の言語、それも自分が主に使っているものとはできるだけ異なった言語をできるだけたくさん知る(いろんな言語人格を持つ)ことってことになるのかな。 そうです。Portulaca自身が、その良い見本ではありませんか。 ナスという謎のガンコモンもいるが、Portulacaは明らかに、さまざまなことにおいてイタリア語が魂の深いところに影響している、というか、「イタリア語のPortulaca」が育ってきているのだと思います。 >そうそう、この記事の写真、素敵。苔好きだ。 わしの軽井沢の家のそば、鹿島の森、というところの小径です。 こういうカッチョイイ径も東電のクソバカタレのせいで歩けなくなってしまった。 Akira さん、(結婚)(静かな家) >六本木ヒルズの下でダーリンを抱きしめて泣いた … Continue reading

Posted in 近況報告, gamayauber | 1 Comment

Love each other or perish

1 官邸前に毎週金曜日に集まるひとびとが仲間割れして、デモの縮小がみこまれている、政府のひとびとが喜んでいる、というので、へー、なんでかなあー、と思って見に行ってみたが、ここからでは遠すぎてなにも見えなかった。 主催者側が警察と一緒で、あるひとの陰口を利いていて、20時に終わってしまうので、管理デモはダメで、とツイッタで説明してもらったが、いちいち頭のなかで意味をなさないので、判らなくてもいいや、ということにした。 こういうと、もしかすると怒る人がいるのかもしれないが、わしには「判らないこと」が宇宙の星のかずくらいあるので、考えても判らないことは放っておく癖があるのです。 きみとぼくとは、ほんとうにはわかりあえるはずがない、というのは人間と人間の関係の基本であって、それがちゃんと判ってない人が他人と意思の疎通をはかるのはムリの3乗くらい無理であって。無理無理無理、むりー(<ー大声で強調しているところ)なくらい無理であると思う。 前にも書いたが「最も巧みな詩人」エズラ・パウンドは言語でお互いを理解しあうことがそもそも不可能であることを発見して話す事をやめてしまった。 あるいはW.H.Audenは、 「We must love one another or die」という有名な詩句を1955年のアンソロジーで 「We must love one another and die」に変えてしまった。 人間という生き物の最も風変わりな点は、人間が虎のような孤独な生き物とは異なって、集団で生活する社会的生き物であるのに、言語を習得した結果、虎よりも孤独な魂をもってしまったことにある。 生きてゆくために群れが必要であるのに、意識の分厚い壁に阻まれて、群れと同化できなくなってしまったことに人間の悲惨のいわれがある。 しかも人間の心は他者との差異を見つめ出すと、魅入られたように凝っと、その差異をみつめる癖があって、ちょうど道路のまんなかでクルマのヘッドライトを見ると、立ち止まってヘッドライトの光がぐんぐん自分に迫って、ひき殺される瞬間まで光芒を凝視する習慣があるポサムに似ている。 差異に気を取られることが人間にとっては往々にして致命的なことになりうるのは、「嫉妬」という感情がどれほどおおきく育って、やがては嫉妬の感情の持ち主そのものを頭から噛み砕いて殺してしまうかを思い出すだけでも十分である。 差異を見つめ出すと、そこからもうあたたかい解放の光が射しているほうへは動けなくなってゆくのは人間の習性であると言ってもよい。そこから人間を真に救い出せるのは多分信仰だけだろうが、まさか官邸の前で神様を待っているわけにもいかないので、きみはやり場のない惨めな気持ちを抱えながら赤坂の通りで踵を返して地下鉄に戻ることになるのかもしれない。 2 日本の人は一般に差異を許容するのが下手である、と思う。 ガイジンが許せなかったり、他人が言うことにいちいち訓詁的な異議を唱えたりするのも、同じ民族的特徴の顕れであるとも言える。 いろいろな理由があるだろう。 いま、ざっと考えても、「自分と違うものをほうっておく」ということが、見るからに苦手だし、自分で定めた感情の形に相手が寄り添ってこないと、いちどきに機嫌が悪くなるようでもある。 ものごとは投げ出してほうっておいても、実際には、なあーんとなく、人間には意識されない人間の言葉の無意識の力によって、あるいは時代の要請によって、大海のまんなかにも実は潮流が存在して、それに沿ってさまざまな流れて行くように、まとまってゆくものだが、その「ある程度まで、投げ出してほうっておく」ということが、日本の人は、猛烈に苦手なのでもあるらしい。 大急ぎで差異を埋めないとたいへんなことになる、と思うのと、もともと日本の文明に内在する集団的サディズムとがないまぜになって、生産的な方向よりは破壊的な方向を好むように見える。 19世紀の半ばに、アジアという西欧の政治地図(というのは、そのまま国家パワーの地図という意味だが)からみると荒野の向こう側の、ひどく非力な、植民地にするほどの魅力もない、ちょうどいまの世界で言えば、カンボジアくらいの国力ということになるだろうか、徳川統治下の日本という国で、徹底的に閉塞して退嬰的な政治状況に陥っていた国を変革しようと思い詰めていた西郷隆盛という名前の儒教的革命家とでもいいたくなるような不思議な革命家は、隣国で薩摩人を一途に恋い慕う肥後人をことあるごとに退けて肥後人たちを嘆かせたが、気質的にはそっくりで、まるで戦争をするために生まれて来たような隣人たちを嫌う理由を、この西郷隆盛というひとは、 「あのひとたちは、差異をあげつらって議論ばかりしているからダメだ。 そういう習慣は変革をもたらそうと思う者には毒である」 と述べた。 自分に付き順う若い衆には「議を言うな」「黙って死ね」と繰り返し諭すことを常とした。 そうして彼の政治信条は「徹底的な破壊」であった。 岩倉具視が平和政権交代説をかざして迫る土佐人に難渋して、大政奉還後の徳川が参画する新政権構想に押されて立ち往生すると、閣議に戻る岩倉具視にナイフを渡して、これで片がつくことではないか、と真顔で諭した。 … Continue reading

Posted in 異文化異人種, 福島第一原子力発電所事故, 日本の社会 | 1 Comment

オープンロード

オープンロードは、ニュージーランドの田舎道で速度制限は100キロ、まんなかにセンターラインがひいてあるだけの対向一車線道路です。 ジェットコースターのようなものを想像すればよいが道路のアップアンドダウンも激しいので低い部分を対向車が走っているときには相手がみえないだけではなくて、高い部分がつらなって一見平坦な道路が先にあるようにみえる。 こういう道路で追い越しをかけるとどうなるか。 きみは前方からクルマが来ないのを確認して130キロくらいに加速してセンターラインを越えて前のクルマを追い越してゆく、すると、突然地面から時速110キロで走るクルマが湧いてでてきて、避けようもなく正面衝突する。 死にます。 ニュージーランドでの交通事故死の一典型である。 あるいはニュージーランド人はケチなので、あちこちの小川にかかる橋は1920年代や30年代に出来たものが多い。 むかしのクルマより現代のクルマはスピードが速くなっているのでオープンロードは拡幅を繰り返しているが、橋はそのままである。 結果は、幅の広い車線をぶっとばしてきたクルマが橋の欄干に激突する。 そこだけすぼまっているのだから、当たり前だが、道路をただまっすぐに走っていけば、論理的帰結である。 死ぬ。 これも、ニュージーランドの交通事故死の典型のひとつです。 欧州では田舎道はフランスのものが最もよく出来ている。 30000を越すラウンドアバウトからラウンドアバウトまで、くるりん、くるりんとクルマを止める必要すらなく、ほとんどの村へすいすいと行けます。 ときどき道路の両脇ぎりぎりに大樹が並ぶ道路があって、向こうから巨大トラックがやってきて、その陰からクルマがとびだしてくると「どひゃあああ、死ぬううううう」と思うが、その程度のことで、フランスの田舎道は至って安全である。 それに較べるとイングランドの田舎道は、計画殺人道路、と名付けたくなるようなアホい道路がいっぱいある。 イングランドに住んでいると、「道路のデザインを信用すると死ぬ」ということがふつーに身にしみてわかるので、イギリス系人は、初代移民や観光客であってすら、ニュージーランドでも、あんまり死なないですむよーだ。 他の国から来た人は、ニュージーランドのオープンロードが実はインフラ妖怪・計画殺人道路であると知らないので、あっさり道路上で命を失う。 わしはオークランドから100キロくらいのところにあるワイカトという田舎が好きなので、よくでかけるが、ついこのあいだも、新婚旅行中のシンガポール人カップルと、オランダ人だかなんだかのキャンパーバンが、橋の手前で激突して、シンガポール人カップルは気の毒にも即死だった。 ついでに書いておくと南島のオープンロードは北島のオープンロードとかなり違う。 南島は高速道路が発達していないので、生活道路だから、という理由があると思う。 一車線の幅が広く、しかもその脇に車線そのものよりも広い芝の余地が広がっている。こういうオープンロードはかなり安全で、センターラインを越えて突進してくるクルマに遭遇しても、脇にクルマをのがせば、だいたい亀の子にひっくり返るくらいで助かる。 余地が芝や草地でなくて砂利の場合は注意を要する。 スピードを60キロ以下に落とさなければクルマがコントロールを失って、単純にそのときの力の合力が働いているベクトルの向きにふっとんでいってしまうからで、その向こうに岩山があったりした場合は、やはり死にます。 オープンロードを走っていると、いろいろことがある。 脇見をしていて、道のまんなかを、のおおおんびり走っているジョンディアのトラクタ http://world-viewer.com/photos/john-deere-tractors/12/ に激突しそうになったり、最近はサイクリングがブームなので、道のまんなかを走っているサイクリストを発見して、うそだろー、と思いながら後ろを、ゆっくり走るはめになることもある。 むかし、わしが夏をすごした「牧場の家」の近くでは、馬に乗っているガキンチョとかが多かったが、これは顔を見知ったひとびとなので、並走しながら、おおおーっす、元気?などとゆっているうちに向こうからくるクルマと衝突しそうになったりした。 クライストチャーチで買いだしをして、夏の午後8時頃、もうすぐ日が沈む頃だべな、と考えながらオープンロードを走っていると、向こうから「地面に貼り付いた雲のじゅうたん」のようなものが、進んでくるのが見える。 それはちょうど地面からセダンのくるまの高さくらいの厚みをもっていて、薔薇色といえばいいのか、人間の言葉では到底言い表せないような美しい色彩に輝いている。 わしは、クルマを脇に寄せてとめると、そのなかに立ってみた。 「死後の世界」に描写される光の大地に近い美しさに、びっくりして、気が付いてみると、誰もがクルマから降りて、一面の、この世のものとはどんな人間にも思えない光の絨毯を眺めている。 十分くらいも続いた現象のあいだ、誰も口を利かず、誰も立ち去らなかった。 オープンロードを走っていると、「神様の悪戯だろーか」と思うようなことがよくある。 どこからどう見ても夏の積雲なのに、ほんの地上5メートルくらいのところを超巨大UFOのようにして飛ぶ真っ白な雲や、どう見ても虚空に浮かぶこれも巨大な十字架にしか見えない不思議な形をした雲などは序の口で、他人に言うと精神病院につれていかれそうなことも誰もがなんどか目撃する。 ひまつぶしにニュージーランドの交通規則解説書を読んでいると、オープンロードの制限時速100キロは、最高制限が100キロなのであって、100キロに近いスピードで走らねばならないという意味では無い、速度が遅い、自転車、馬、あるいは歩いている人にもクルマとまったく同等の権利があるのだから、前方に馬がゆっくり歩いていても警笛を鳴らすなどというのは、とんでもない、ちゃんと後ろをゆっくり速度を落としてついていくべきである、というようなことが述べてある。 オープンロード上にあるものが自分の目的を阻害しているからといって、かっかしちゃだめだお、と述べてあるわけで、 なんのことはない、社会一般というもののありかたについて説明しているのと変わらない。 ニュージーランド人は、道路で人が死ぬたびに、その場所に白い十字架を掲げる習慣をもっている。 … Continue reading

Posted in NZと豪州 | Leave a comment

激しい雨のあとで

1 オークランドの天気は、「海のまんなかにヨットを出していると思えばよい」という。 滝のような雨が降ったかとおもうと、次の瞬間には晴れている。 セントヘリオスの海岸で、海辺の太陽の光のなかを散歩していると5マイルほど離れたノースショアで豪雨が降っているのが見える。 ひどいときには、海がお日様と雨と陰った光とで斑にみえることもあります(^^) クライストチャーチで歩いているのは、ほとんどの場合(クルマが買えない)ビンボニンと決まっているが、オークランドは都会なので、オカネモチもビンボニンも、男も、女も、じーさんも、若い衆も、いろいろなひとが歩いて移動している。 バスを乗り継いで、まだ未発達な鉄道に乗って、あちこちへ行く。 多分ケントにある町の名前をそのままつけたHerne Bayという町に行くと2億円を超えるのに車庫が無い、というニュージーランドらしくない家までたくさんある。 ポンソンビーとCBDというふたつの繁華街が歩いていける距離なので、忙しいオカネモチのなかには、「クルマなんかいらん」というひともいるのでしょう。 一方で、最近は変わってきたが、もともとはニュージーランド人には「傘をさす」という習慣がない。 雨が降れば濡れて歩く。 いまでも、ぐっしょり濡れて下を向いて歩いている人と、傘をさして歩く人と半々くらいだろうと思う。 雨のあと、カフェの椅子に腰掛けて行き交うひとを見るのは楽しい。 びしょ濡れになったことに神の悪意を感じたように、むっとした顔をしているパケハ(白人のことです)おっちゃんや、雨などふらなかったとでもいうように、濡れた髪の毛、モニとわしが日本語で「チョンマゲ」と呼んで喜ぶ、頭の上で髪の毛をまるく束ねたかっこうで、悠々と歩く、雄大な体格のポリネシア人の若い女びとたち、もう空は晴れ渡っているのに、広げたままにして乾かすつもりか、今度は日傘なのか、黒い傘をさしたまま、無表情に歩いて行く中国系のおばちゃん、いろいろなひとが歩いていくが、よく見ると、激しい雨のせいで少しだけ経験した興奮が歩き方にも現れているようでもある。 特に応援するというのでも、好奇心でもないが、なあーんとなく、官邸前の抗議が終わるまで起きていようかと考えた。 日本語ツイッタのアカウントを見ていたら、ジュラやオロナインさん、バカタレなことにお腹に子供がいるミナまでが、赤坂にいることが判ったからでもある。 NZは日本よりも3時間早い。 日本の8時は11時である。 デモは不思議なもので、そのなかにいると、自分が「特別な人間」などでないことが理屈でなくて判る。 「その他おおぜい」のひとりである。 目立ちたがりのひともいれば、なんだかコーフンに酔ってしまっているひともいる。 「シュプレヒコール」をあげたりはしないが、まわりのひとよりも少し上に出た、間の抜けた顔で、のんびり辺りを見渡してみる。 集団のなかにいるのに、どんどんひとりになってゆく。 なあんだ、やっぱり、おれはひとりなんだな、と考える。 「もうすぐ、前のほうでは警察の暴力沙汰がはじまるようだ」と隣のやはり背が高い体格のよい男が話しかけてくる。 「前に行こう」 日本では、幸いなことに、そこまでいかないよーだ。 たくさんのひとが金曜日に官邸をめざして、そして、さっさと帰って行く、という印象であると思う。 そういう、言わば、あっさりとしたデモのありかたを、ニセモノだ、単なる署名活動で実行力などない、という声もたくさんあるようだが、わしには、意見はない。 感想はあるが、ここで書きたいとは思わない。 2 なるべく気をつけていよう、と思っていても、普段の生活では「福島」という言葉を思い出さない。あの遠い国には集団行動も雑踏も嫌いなのに、やむにやまれない気持ちで赤坂をめざすジュラがいて、お腹に子供がいるのに、仕事のあとで、息せき切って駆けつけるミナがいる。そうやって、陸続と集まった、とうとう政府もごまかしきれなくなった数万という人の願いが物理的な人間の群になって現れ、官邸前に詰めかけている。 それをニセのデモだと言って嘲笑う人があり、「主催者側」は勘違いしていると皮肉に述べるひとたちがいる。 自分で飛行機を操縦して遊びにくるT(前にブログ記事に出てきた女びとと同じひとです)が、「ガメ、寿司たべに行こうぜ」という。 モニが、ガメはこのごろ日本料理はいっさい食べない、と述べる。 なぜ?と訝るTに、モニが日本の食材は放射性物質で汚染されているかもしれないこと、オーストラリアとニュージーランドはいろいろな国のなかでも例外的に食品の輸入規制が甘いので、ガメは嫌がって日本のものは何も食べない、と説明している。 Tは、「やべー、おれ、寿司食べちった。去年から20回くらい食べてるぞ。妊娠してねーだろな。Jと先月だいぶんワイルドなやつかましたからな」とゆって顔をしかめておる。 そーだった。日本では原子炉事故があったんだった。 チェルノブルのときは、母親が、もっと気をつけてたよーな気がするのになあー、と独りごちておる。 … Continue reading

Posted in 福島第一原子力発電所事故, NZと豪州 | Leave a comment

官邸前の愚者の群

日本で毎週金曜日に行われているデモは、「官邸前」で行われているから暴発も阿鼻叫喚もなく行われている、という考えがある。 官邸が出来てからしばらくして閉館になってしまったが、あの官邸の隣にはキャピトル東急という、もともとはヒルトンが開業したホテルがあって、わしは何度か泊まったことがある。 わしは旅先でもなんでも酔っ払うとメンドクサイので、酔っ払った町のホテルでテキトーに泊まる、というえーかげんな性格まるだしの癖があるが、赤坂にはおいしいギネスを出すバーがあって、一杯2000円だかなんだかのそのギネスは、ただのギネスなのだから、そんなにオカネをだしたくはないが、そのバーテンがいれるとなぜかおいしいので、意志が弱くなると、ついふらふらと、そのバーへ足が向かった。 想像すればわかるが、日本にいるときというのは、家をもっていたとはいっても、わしにとっては「旅先」にいることであって、そういう用件のない旅先でギネスを5杯くらいも飲めば、すっかり良い気持ちで、ニューオータニのホテルのてっぺんのバーでも酔っ払って、そのうちには意気投合という陳腐な言葉がぴったりの気持ちになったシドニー生まれの、なんだかものすごくマジメなストリッパーのねーちんと、ふたりで朝まで飲み狂ったりしたよーである。 キャピトルホテルは、そーゆーときに泊まるホテルで、あのホテルは裏に日枝神社が続いてもいて、夏などはなかなか良い場所だが、そのときに見覚えた地形から言うと、人がたくさん集まってデモをするには極端に不利な地形である。 見てないからわからないが、一万人も集まれば、延々長蛇の列になって、戦火を逃れて道路に展延する難民の行列(すみません)みたいに見えたはずである。 むかしはのっぺらぼうの顔の狢が出たという紀尾井坂には清水谷公園という小さな小さな公園があるが、せめて、あのくらいの核になるスペースがないとデモには暴発的なエネルギーは生まれない。 それが良かったのではないか、というのが説の根拠で、出典が気になって仕方がない出典ヘンタイのひとびとのために言うと、説をなしているのは、わしである(^^) 1992年のロスアンジェルス暴動は、このあいだ死んだロドニー・キングへの警官の無罪評決がきっかけということになっていて、それは実際にそうなのだろうが、ガキわしが見聞した範囲では、それは「韓国系アメリカ人対アフリカン・アメリカン」の緊張が生んだ暴動と意識されていた。 ロスアンジェルスのあの辺りでは「ノー・ニガー」と張り紙を出していた店もあったとかで、アフリカン・アメリカンには韓国系人たちへの憎悪をあからさまにする人が多かった。 屋上に銃列を敷いてアフリカンアメリカンたちに対峙する韓国系人たちの有名な写真 http://commonamericanjournal.com/?attachment_id=45932 があるが、もう掠れてしまって、ほんとうかどうか判らなくなっている記憶のなかには橋の上に並んで、射撃する韓国系人たちの姿がある。 あるいはyoutubeを覗けばいくらでもあがっている、最近の暴動の動画を見ても、 http://www.youtube.com/watch?v=NljVxqRpbw0 群衆の怒りが「爆発」すると、だいたいどういう感じになるかは、手がかりくらいはつかめるだろう。 ツイッタでジャンミンという、いろいろなオモシロイものを教えてくれるので、わしがフォローしている人が渡邉正裕というジャーナリストの「日本でデモっていうと、署名活動と同じくらいの意味なんだよね。アラブとかの革命が前提のデモとは全く別モノ。既存の法律を守っていたら何も変わるわけないじゃないか。既存の体制が自分の都合のいいように作った法律なんだから。みんなきれいに洗脳されてる。」 「「管理されたデモ」は既にデモではない。その本質的な意味合いから、存在しないもの。警察に管理されたデモ=「○○○」と同じ。」 というような、官邸前のデモは「ニセモノ」で、あんなものは「予定調和なガス抜きのお祭りなわけで、お上意識が根っこまで染みついてる」 と述べていて、笑いとともに読んだが、 このひとが「ほんとうのデモ」と言っているものは英語ではriot、暴動と呼ぶ。 既存の法律に従っていては何も変わらないのだから、ダメであるというが、しかし、それはこのひとが「既存の法律」あるいは「既存の体制」に人々が実効性をもって正面から立ち向かったときに国家というものがいかに怖ろしい牙を向いて、というよりも効率的な暴力機械になって、どこまでも血の通った人間でしかいられない「民衆」を肉体の外側と魂の内側から、いかにずたずたにするかへの想像力をもたないから、暢気に「あんなデモじゃダメだよ」とチョーノーテンキなことを言う。 日本の社会を見ていて顕著なのは、ちゅうか、ぶっくらこくのは、このジャーナリスト人のように、「国家の暴力」というものへの想像力を根本から欠いている人が多いことで、国家の「暴力発動」スイッチを押してしまえば民衆などは、ひとことを述べる以前に無惨に踏み潰されるだろう。 天安門を見て「あれは中国だから」と考えるひとは、よほど暢気な民族差別主義者なので、鄧小平は糊塗するのがメンドクサクもあれば、胡耀邦の息がかかった人間たちにむかっ腹を立ててもいたので、いっちょうナマの姿で国家というこの世で最大の暴力装置の力の片鱗を見せてやれ、と思っただけである。 日本の政府が、官邸前に集まった人間を2、300人ぶち殺したところで、しばらくは非難されるが、特に「日本」という国に痛痒以上のものを与えないのは、天安門事件のあとの中国の興隆ぶりを見れば簡単に納得がいく。「西洋人たちがきっと送りこんできてくれる」はずの「自由の女神」などは、どこにも姿はなく、その代わりに勇敢に戦った中国人たちが見たものは、 ほとぼりが冷めた頃に商談にやってくるフォルクスワーゲンであり、BMWやトヨタの社長たちだった。 わしはジャンミンの手に導かれて、通り雨のように読んで、渡邉正裕というひとの言う事を、へえ、と思って好意的に眺めたが、デモの箇所は、正義漢の小学生がリングの上のプロレスラーに「だって、あんたたちがやっているのは八百長じゃないか!」と叫んでいるのを見ているようで微笑ましく感じた。 実際には、西洋のどんな社会でもデモは平和裡に行うことになっているのは、言うまでもない。「黙っていられない」から通りに出ていくので、デモというのは社会のためというよりも自分のために参加するものなのである。 それに実効的な社会変化の力を加えようとして石や火炎瓶を投げ、自動車をひっくり返して派手に暴れる人間も出てくることがあるが、そうなった時点で、国家はこれを「暴徒」として仮借なく押さえ込みにかかる。 それでもなお法律外の運動力に訴えようとすると、正体の片鱗をみせるに至ることすらある。 国家の正体、というのは憲法なわけではなくて、どんな国家も同じで「絶対暴力」である。これが国家のすべての権威、光輝、やさしさ、その他考え得る限りの国家のもちうるすべての特性の源泉であって、「絶対暴力」を本質としない国家はこの世界には存在しない。 しかも国家がほんとうにやる気を出してしまえば、国民などはひとりひとりでも束になっても、十分組織化されていてすら「ぐうの音」も出ない。 たとえば、「そうなったら日本から逃げる」という幸せなひとがあるが、そういう事態になって国民をおめおめと海外に逃亡させる国家など、あると思うほうが頭がどうかしている。 そーかなー、と頬をふくらませて考える人は、暴動の先にある「革命」というものが 、どういう状態の国家で、どのくらいの成功率をもったか歴史を振り返って考えてみるのも良いかもしれない。 カール・マルクスが考えた革命は、もともと理屈の上ではイングランドでしか起こるはずのないものだった。 しかし現実にマルクス式の革命が発生したのは、政府と呼ぶのが憚られるようなヨレヨレでふらふらの、「なんでこんなボロイ政府がまだ立ってるんだ?」と訝られるようなチョービンボ国あるいは骨董品国家ばかりであって、断末魔に苦しんでいる政府に最期の毒の一滴を盛るに近い役割しか革命には与えられなかった。 もっと大規模で有名な革命に少し話を移しても、フランス革命は徹頭徹尾無惨な失敗の物語であって、理想と思想、もっと言えばありとあらゆる観念が、現実の社会と国家にとっていかに有害であるかの見本市のようなものにしかすぎなかった。 わしは大規模な革命のゆいいつの成功例はアメリカの独立革命であると思うが、なぜこれが成功したかの説明は、ここでホイホイと書けるような性質のものではなさそーである。 わしは正直に言って、なぜ官邸前の役に立たないデモが大逆事件以来、あんまり良くできてもいなかった見せかけの「自由社会」の意匠はべつにして、徹底的に根こそぎにされてきた日本の民主主義の復活の兆しであることを疑うひとがいるのか、理解できない。 … Continue reading

Posted in 日本と日本人, 日本の社会 | 6 Comments

海辺で考えたこと

1 右と左のまんなかは、右、あるいは左の遙か彼方にあるのだ、という考えが欧州にはむかしから存在する。 どことなくフォン・ノイマンを思わせるアリストテレスという人に独特の退屈さへの反撥が、そういう考えを生んだのだと思われる(^^) この中庸は過激と極端の、そのまた遙かに向こうの激越のなかにこそある、という考えは、魅力的であると、わしも思う。 ただ、そういう一生に足を踏み入れる気持ちが起こらないだけである。 わしは、子供のときでも「何か仕事につかねばならない」ということを考えたことはなかった。 いまでも、職業、という考えはピンとこない。 どうでもいいものだ、と思っている。 朝、起きても考えるのは「今日はなにをして遊ぶか」ということだけで、そういう人間を現代の社会は許さないことになっている。 だから、わしはそもそも存在することだけで「許されざる者」なのである。 冬の海辺を歩いて、なぜカモメには、あれほど個体に大きさの違いがあるのか、とか、個体が体積で倍違うと、体表から失う熱量にはどのくらい違いがあるだろうか、 ハチドリと象を計算してみたときは可笑しかった。 「生命」などと、同じ総称がついているが、ほんとうは大きさが違うだけで、全然別のものである。 小さなもののほうが、意識が稠密で蚊が一週間生きるのと犬が十年生きるのは実は同じことなのではないか。 あっ、でも蚊は痛みをもたないから意識ももたない。 意識が稠密だ、というには少し語弊があるよーだ。 …そーゆーチョーくだらないことを次から次に考えて、浜辺のコーヒー屋でラテを買って、ベンチに座ってこしかけて飲む。 たくさん並んでいるベンチのなかで、選んでいるわけではないのに、だいたいいつも同じベンチに腰掛ける。 だから、わしは、振り向かなくても、これは日本人のサカグチさんという1996年に死んだ人が寄贈したものであることを知っている。 日本に生まれて、一万キロ離れたニュージーランドにやってきて死んだ、日本人の男が寄付したベンチに座って、凪の海をみながら、ラテを飲んでいる。 だから、どうだ、ということはない。 ただ、中庸が右と左のあいだには存在していない、というだけのことである。 2 最期弁当、というひとの言う事をこの頃、ときどき読む。 ときどき、というのは嘘で、ほとんど毎日みているよーだ。 最期弁当って、誰だ?という人がいるだろうが、別にだれのことか判らなくてもいい。 そのひとが書くものは、政治についてのものが多いが、それは読んでもほとんど頭に入らない。書き方が悪い、とか、考えが違いすぎる、というのではなくて、わしの側の問題で、政治、特に最期弁当というひとがよく触れる日本の政治に興味がないので、なんだか砂でつくった塔が壊れてゆくように、読むそばから文章が壊れて、そもそもセンテンスとして頭のなかにはいってこないからである。 それでも飽きずに書いたものを読んでいる。 なにかがあるのがわかっているからだと思います。 いつか、この最期弁当という人が「私には神の前に立っている感覚がある」というので、見入ってしまった。 じっと、長い時間、twitterに書かれた文を眺めていた。 わしは、酷い引っ込み思案なので、なんどか書いてみては消したが、どうしても訊いてみたかったので、その「神」は、ちょうど教会の十字架がかかっているように前のななめ上方にあるのか、それとも後ろから見守っている感じなのか、視界のすみの遠くから見下ろして見守ってくれている感じか、あるいは(ちょっと具体的な感覚を想像するのが難しかったが)同じ地平に立っている感じなのか、どんな感じか訊いた。 もちろん、他人になにかを訊く、ということがチョーへたくそなわしのことなので、そんなにちゃんと質問したわけではない。 しかし最期弁当という、このひとは聡明なひとであるのが判っていたので、テキトーに訊いても、ちゃんと判ってくれるだろうとタカをくくって訊いた。 むかし「吃音」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/06/03/吃音/ という記事を書いたが、このひとは吃音でもひろって聴けるひとなのでもある。 答えは意想外のもので、目の前、ちょうど朝の洗面所の鏡をみるように、神はそこに立っている、というのである。 ぶっくらこいてしまって、ひきつけを起こしそうだったが、これだから他人に話しかけるのはやめられないのだ、と考えた。 鏡の前。 … Continue reading

Posted in gamayauber | Leave a comment

トウモロコシの葉の下で

1 ジャンクフードが食べたくてたまらなくなることがある。 誰にでもあるふつーの衝動だと思います。 わしが家の食卓にはふだんは、農場から直截買ってきた野菜や一頭で買って解体した牛さんやラムさん。やはり農家のおばちゃんと約束して作ってもらっているベーコン、そーゆーものが並んでいる。 ぜーたくな、と思う人がいるだろーが、ニュージーランドはなんとゆっても他には取り柄がない農業国なので、食卓をほんとうの定義でオーガニックなマジ有機食べ物で埋める、というようなことは日本の百倍くらい簡単にできる。 フリーレンジと言っても、小田急線の最終電車よりも混雑した養鶏場で鶏の海の上に鶏が乗ってくらしている気の毒な鶏フリーレンジではなくて、広い地面を堂々と闊歩していたのを絞め殺したトリさんがふつーに食べられます。 農家に直截話して用意してもらうことにしているが、そーゆー農家はわし家の場合はほとんどランドスケーピング(庭をどうデザインしゅかっちゅうコンサルタントのことでがす)のKの紹介に拠っている。ところどころ、モニとわしが日曜日や土曜日にあちこちのファーマーズ・マーケットにでかけていって仲良くなった農家の産物もはいっている。 そうやってなんでもかんでもオーガニックだが、わしは味覚まで文明度が低い(妹・談)ので、せっかく厨房のおばちゃんがつくってくれたクレマカタランがあるのに、そのへんのドクサレ・スーパーマーケットで買ってきた「m&mピーナッツ」やリコリシュを食べてへらへらしているので、ときどき次のクレマカタランには針がはいっているのではないかと思う事がある。 もっと症状がひどくなると、夜中に、パメラ・アンダーソンが正当な死闘を繰り広げているKFC http://www.youtube.com/watch?v=PVxv7PPGZqg のドライブスルーに行って、フライドチキン5ピース+フライドポテト(わしはいつもマッシュドポテトに変えてもらうが)で600円の「Gimme Five!」を買ってきて、モニに呆れられながら、ひとりでむさぼり食うこともある。 ドミノピザとピザハットにジョージ・ブッシュに赤い角を生やして悪魔に見立てた広告で社会問題にまでなって卦けたHell Pizzaもくわわって競争が激化しているピザ業界は、むかしは、「木曜日だけ」とか「火曜日だけ」であったラージピザ4.99ドル(300円)セールが定着して、いっつも300円なので、これもよく買いに行きます。 ドミノピザのハワイアン(パイナップルとハム)にタバスコをどっちゃりかけて食べるのは、本人には絶対秘密だと念を押されているが不実な夫の本領を発揮してばらしてしまうとモニも大好きである。 トウモロコシ革命、といって、遺伝子組み換えのトウモロコシが、たった1エーカーの土地から200ブッシェル、すなわち5トンもとれるようになってから、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/11/07/あすこそ仏滅/ 食品の値段は急激に下がった。 この産業革命よりも影響が大きいかもしれない「食料革命」の良い面は、なんとゆっても飢え死にするはずだった人間が食べ物にありつける確率が飛躍的に向上したことで、ビンボな国のどこかには「モンサント神社」があるやもしれぬ。 悪い方は、この「革命」によって出来た「食品」が一応形が食品なだけで、ほんとうは(伝統的な意味の)食品ではないことで、日本の福島第一事故で日本中にぶちまかれた放射性物質の問題と性質が似ているといえば似ている、目の前に見えているものは従前と変わらない現実なので、なあああーんにも考えないで暮らしていれば、あるいは「なあーにダイジョブだんび」とタカをくくっていれば、痛痒を感じないが、調べれば調べるほど、「どーして、わたしはこれで死なないですんでいるのでしょー」と訝る気持ちになる。 食べ物に関しては先進国のなかでも最もナイーブとおもわれる日本では、あんまり知られていないよーだが、たとえばスターチの形であらゆる食品(ケチャップ、甘いお菓子、シロップ、「GDL」入りのハムやソーセージ、ウインナー、ベーコン、….スーパーマーケットなどは見渡す限りコーンスターチ族の集落であるともいえる)に忍び込んでいるトウモロコシは、収量の高い「革命後モデル」は、トウモロコシ自体としては食べられない。 食べてみればわかる、というか、味が自然の農産物の味ではないので人間の身体がうけつけない。 自然の力を人間の悪知恵で生産性(収量)が高くなる方向に極端に特化した遺伝子特性をもつ農産物は、伝統的な定義や感覚から言えばどちらかというと「工業製品」で、実態をしっていて、あれを「食品」だと思うひとはいないだろう。 「CSI:Crime Scene Investigation」「CSI:Miami」を熱狂的に観すぎた結果、わしの家にはわしのオモチャがいっぱいある小さな物質解析ラボがあるが、そうしてそこでモニとわしのバカップルはCSIごっこをしてよく遊んでいるが、ギルモアズで40入り箱とかで買ってきてもらうせいで、食べ過ぎてうんざりしたお菓子を分析してみると、このブログ記事にやってくるひとのなかには昔から、「警察にいいつけてやる」とか「営業妨害の恐れがあると通報してやる」とか、「虎さんにいいつけてやる」というイヲカルなひとびとがしつこく存在するので、具体的にはなにも書かないが、はっはっは、と思うものがいっぱいはいっておる。 どうも政府やなんかの「有害添加物DB」というのは古くらから知られている物質しか入力されていないのではなかろーか。 人間は、見えないもの、感覚器の刺激受容範囲から外れたものには脅威を感じないように出来ている、ということは日本の福島第一事故を観察していると遠くからでもよくわかるが、食べ物には「味覚」というものがある。 いくら食べ物らしくみせかけを整えても、味や匂い、舌触りがいかにもタッキーであったり薬品風であったりすると、バレバレバレで、スペイン人がOKと連呼しているような状態になってしまうので、「自然」な味やにおい、舌触りをつくるために、何ダースもの添加物をまぜあわせて工夫する。 添加物業界にも流行があって、最近は、安い「天然加工物」、すなわちコガネムシのなかまの昆虫を乾燥させて轢いたりするのが簡便で「そのまんま天然」なので流行りであるよーだ。 まともな食べ物だけを食べてくらすのだ、というひともいるが、自分の農場でものを作ってみたわしには判る(<−自慢)、まともにつくった食べ物などは、原価が滅茶苦茶高くて、ふつーの人間がそんなものを毎日食べていたら、それだけでオトーサンになってしまうであろう。 いまの世界では、その社会の「平均収入家庭」では、まともな食べ物を食べてくらしていくのに十分な収入はないのだ、といいなおせばよいだろーか。 「食糧が不足しても、食料が不足すれば人口が増えなくなるから、食糧危機などは起こるわけがない」とうチョー幸せの説をなすひとがいて、賢いアホのぬかるみは深い、と思った事があったが、現実というものは常に「ぼくカシコイんだもん」のひとが頭のなかで描いた餅などは歯牙にもかけないくらい深いのである。 現実は複雑巧妙な技をたくさんもっていて、気が付くと癌病棟や地面の6フィート下に寝ていることになる。 すでに「ビンボニンは食べ物でないものを食べて暮らしてね」という時代にはいってしまっているのだという自覚がなくては、どうにもならない時代になってしまっているのです。 2 このあいだ、ふと考えていて、むかし日記 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/06/05/ に書いた、あのベンチに腰掛けて 「この世界がもうすぐ滅びるということを、ですよ」 … Continue reading

Posted in 科学とテクノロジー | Leave a comment