Love each other or perish

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官邸前に毎週金曜日に集まるひとびとが仲間割れして、デモの縮小がみこまれている、政府のひとびとが喜んでいる、というので、へー、なんでかなあー、と思って見に行ってみたが、ここからでは遠すぎてなにも見えなかった。
主催者側が警察と一緒で、あるひとの陰口を利いていて、20時に終わってしまうので、管理デモはダメで、とツイッタで説明してもらったが、いちいち頭のなかで意味をなさないので、判らなくてもいいや、ということにした。
こういうと、もしかすると怒る人がいるのかもしれないが、わしには「判らないこと」が宇宙の星のかずくらいあるので、考えても判らないことは放っておく癖があるのです。

きみとぼくとは、ほんとうにはわかりあえるはずがない、というのは人間と人間の関係の基本であって、それがちゃんと判ってない人が他人と意思の疎通をはかるのはムリの3乗くらい無理であって。無理無理無理、むりー(<ー大声で強調しているところ)なくらい無理であると思う。
前にも書いたが「最も巧みな詩人」エズラ・パウンドは言語でお互いを理解しあうことがそもそも不可能であることを発見して話す事をやめてしまった。
あるいはW.H.Audenは、
「We must love one another or die」という有名な詩句を1955年のアンソロジーで
「We must love one another and die」に変えてしまった。

人間という生き物の最も風変わりな点は、人間が虎のような孤独な生き物とは異なって、集団で生活する社会的生き物であるのに、言語を習得した結果、虎よりも孤独な魂をもってしまったことにある。
生きてゆくために群れが必要であるのに、意識の分厚い壁に阻まれて、群れと同化できなくなってしまったことに人間の悲惨のいわれがある。

しかも人間の心は他者との差異を見つめ出すと、魅入られたように凝っと、その差異をみつめる癖があって、ちょうど道路のまんなかでクルマのヘッドライトを見ると、立ち止まってヘッドライトの光がぐんぐん自分に迫って、ひき殺される瞬間まで光芒を凝視する習慣があるポサムに似ている。
差異に気を取られることが人間にとっては往々にして致命的なことになりうるのは、「嫉妬」という感情がどれほどおおきく育って、やがては嫉妬の感情の持ち主そのものを頭から噛み砕いて殺してしまうかを思い出すだけでも十分である。

差異を見つめ出すと、そこからもうあたたかい解放の光が射しているほうへは動けなくなってゆくのは人間の習性であると言ってもよい。そこから人間を真に救い出せるのは多分信仰だけだろうが、まさか官邸の前で神様を待っているわけにもいかないので、きみはやり場のない惨めな気持ちを抱えながら赤坂の通りで踵を返して地下鉄に戻ることになるのかもしれない。

日本の人は一般に差異を許容するのが下手である、と思う。
ガイジンが許せなかったり、他人が言うことにいちいち訓詁的な異議を唱えたりするのも、同じ民族的特徴の顕れであるとも言える。
いろいろな理由があるだろう。
いま、ざっと考えても、「自分と違うものをほうっておく」ということが、見るからに苦手だし、自分で定めた感情の形に相手が寄り添ってこないと、いちどきに機嫌が悪くなるようでもある。
ものごとは投げ出してほうっておいても、実際には、なあーんとなく、人間には意識されない人間の言葉の無意識の力によって、あるいは時代の要請によって、大海のまんなかにも実は潮流が存在して、それに沿ってさまざまな流れて行くように、まとまってゆくものだが、その「ある程度まで、投げ出してほうっておく」ということが、日本の人は、猛烈に苦手なのでもあるらしい。
大急ぎで差異を埋めないとたいへんなことになる、と思うのと、もともと日本の文明に内在する集団的サディズムとがないまぜになって、生産的な方向よりは破壊的な方向を好むように見える。

19世紀の半ばに、アジアという西欧の政治地図(というのは、そのまま国家パワーの地図という意味だが)からみると荒野の向こう側の、ひどく非力な、植民地にするほどの魅力もない、ちょうどいまの世界で言えば、カンボジアくらいの国力ということになるだろうか、徳川統治下の日本という国で、徹底的に閉塞して退嬰的な政治状況に陥っていた国を変革しようと思い詰めていた西郷隆盛という名前の儒教的革命家とでもいいたくなるような不思議な革命家は、隣国で薩摩人を一途に恋い慕う肥後人をことあるごとに退けて肥後人たちを嘆かせたが、気質的にはそっくりで、まるで戦争をするために生まれて来たような隣人たちを嫌う理由を、この西郷隆盛というひとは、
「あのひとたちは、差異をあげつらって議論ばかりしているからダメだ。
そういう習慣は変革をもたらそうと思う者には毒である」
と述べた。
自分に付き順う若い衆には「議を言うな」「黙って死ね」と繰り返し諭すことを常とした。
そうして彼の政治信条は「徹底的な破壊」であった。
岩倉具視が平和政権交代説をかざして迫る土佐人に難渋して、大政奉還後の徳川が参画する新政権構想に押されて立ち往生すると、閣議に戻る岩倉具視にナイフを渡して、これで片がつくことではないか、と真顔で諭した。

当時の日本は、いまの先進国かつ超大国である日本とはまるで様相が異なるイギリスやフランスの前足のひとはたきでふっとんでしまうような哀れな田舎の小国だったわけで、それをたまたま同じ国のことだからといって「維新」などというケーハクなキャッチフレーズをつけてみたり、ガイジンの政治家や社長がやってくると、とくとくと明治維新の志の話をしてみせて心底から軽蔑されたり、という事情については、もうなんども話したからここでは繰り返さないが、いまの日本ではもちろん「議を言うな」「黙って死ね」というわけにはいかない

しかし、この西郷隆盛という文献を通して読む西洋人からみると、まるで魅力がない革命家は、「日本人」というものを知悉していた。
なにが日本人を泥沼にとどまらせるのか、そこから日本人の魂をひっこぬいて、自分達のサバイバルに向かわせるには、どうすればいいか、その情緒的な力の由縁を明瞭に知っていたのだと思われる。

しかし、日本は、西郷隆盛が立っていた場所に戻るわけにはいかない

金曜日にまた官邸前にひとが集まるのかどうか、わしは知らない。
ここからでは遠すぎて、ものごとがちゃんとみえていないのでもある。
日本人が、あれほど必死になり、寄り添いあい、いがみあい、叫び、こぶしをふりあげて声を枯らして訴えても、日本の外側にはほとんど何も聞こえない。

なぜあれほどの大惨事が起きているのに、日本人たちは平気なのだろう?と訝しむひとや、そーゆえば、そんな事故があったな、と思い出してみるひとがいる程度のことで、世界は不思議なほど日本の運命に関心をもたないでいる。

差異を凝視しあうことによって傷つけあい、お互いの魂の胸元をわしづかみにして、あるいは顔も姿も判然とみえない暗闇のなかから狙撃するように相手を血まみれにすることまでして、日本人たちは、与えられた地獄の上に、今度は自分達の手製の地獄を築いてゆくだろうか。

わしには判らないし、そもそも事態を理解する意志と能力に欠けているよーでもある。
ただ、サーバーの隅に、自分が興味をもっていた国の出来事の、少し不吉な陰がある新しい1ページを、そっと記録しておこうと思っています。

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One Response to Love each other or perish

  1. ppqq says:

    こんにちは。ガメさんはこれを御存じですか?
    http://www.teresa.co.jp/uchimura/uchimura.htm

    内村鑑三という明治時代の風変わりなキリスト者が英語で書いて出版した、日本の「聖人伝」です(西郷隆盛、日蓮、中江藤樹、上杉鷹山、二宮尊徳)。内村は英語でこれを書いて、日本人の宗教思想を欧米人に伝えようとしたのですが、はてさて、英語の読者には「情緒的な力の由縁」のありどころが伝わったのでしょうか。ちなみに、現代の私はこの本を読むと「やばい、洗脳される」と思いました(日本語訳『代表的日本人』の方で読みました)

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