Tiger!

狂信でない信仰とは言葉の矛盾である。
理性を信仰することは(どうしてもやりたければ)可能だが、理性をもって信仰することはできはしない。
それほどの基礎的なことに対する理解ももたずに「神」の話をしても悪魔を喜ばせるだけである。
狂信という言語蒸留装置をもたぬ人間が聖人の名前を口にすることほど、悪魔信仰に近いものはない。

なんだか、うんざりしてしまう。

友達がたくさんコメントをつけてくれていたのを放置していたので、ストレスになってしまった(^^) このままほうっておくとアル中になるやもしれぬので、答えなければ。
他の言語ではブログについたコメントなど、ほうっぽらかしなのに、日本語だけは答えるのを義務と感じる。
なんでだか判らん。
これも日本語という言語のせいであることにする。

shiroganedoriどの、(静かな家)

>この元は、ローマの東方から来たという、拘束の手法に長けたキリスト教のせいだったのか

キリスト教は、パウロがギリシャ語だかなんだかに翻訳したときに、成立したのだと思います。言語的科学的反応というべきか、そこで東方的な要素が彼岸的色彩に描き変えられた。

>私は正直、あまり明るい未来を思い浮かべることは出来ません。

日本の未来のことですか?
わしは、どうせ日本のことだから、そのうち立ち直ると思っていますが、いま生きている人達が死ぬまでに立ち直るのが無理、ということはありうる。
ひとりの人間の一生が社会の暗黒期にすっぽり収まってしまう、というのはよくあることなので、運が悪い、ということは常に起こりうる。
しかし、日本という社会からみると個人の運命なんて知ったこっちゃないので、社会ということなら楽観していいと思うのだけれど。

>植物も虫たちも、去年から比べて二倍ほどの大きさになっているものが居る。恐らく、世代交代の早い細菌などは、もっとすごいことになっているんだろうな、と思います。

間違ってるかもしれないが、そのくらいの変化は自然の世界では「日常」ですよ。
正当な怖れでも怖れは怖れなので、注意して周りを見渡す眼には、いつもそこに有ったのに気づかなかったものが新たに出現した異様なものとして見えることがある。
(怖れるな、とゆっているのではありません)

>表に出てくる指導者面した空虚な人間たちは、日本を滅ぼす方向を指し示すのに役立っただけかもしれない。

日本は支配層や指導者層がチョーバカな国で歴史を通じて有名な国だから、仕方がないのですのい。

Portulaca 自分に会いに行く

>私も日本語を使うときは頭のどこかで漢字を見てる気がするな。イタリア語ではそれがない。

やっぱり!

昨日、考えていたのだけれど、どうも日本語はちゃんと聴けてもいないよーな気がする。従兄弟に、日本語でわざと意味をなさない文を喋ってもらったら、案の定、聞き取れなかった。どうも「聴いて」おるときも漢字仮名交じり文を頭のなかのどこかで「見て」いるよーだ。

>狂泉の一番効果的な抗体は他の言語、それも自分が主に使っているものとはできるだけ異なった言語をできるだけたくさん知る(いろんな言語人格を持つ)ことってことになるのかな。

そうです。Portulaca自身が、その良い見本ではありませんか。
ナスという謎のガンコモンもいるが、Portulacaは明らかに、さまざまなことにおいてイタリア語が魂の深いところに影響している、というか、「イタリア語のPortulaca」が育ってきているのだと思います。

>そうそう、この記事の写真、素敵。苔好きだ。

わしの軽井沢の家のそば、鹿島の森、というところの小径です。
こういうカッチョイイ径も東電のクソバカタレのせいで歩けなくなってしまった。

Akira さん、(結婚)(静かな家)

>六本木ヒルズの下でダーリンを抱きしめて泣いた
>「モニカが居ない世界なんて考えられない!」って、彼女は「男が泣いたの初めて見た!カンドウしった!」と

眼に浮かぶよーですのい。
人間が人間性を獲得するのはAkiraどんにとってのモニカさんのような人と巡り会って、「一緒にやっていくべ」という、あんまし賢明でもなければ合理的でもない必死の決意を固めたときなのだと思います。そのとき初めて人間は人間になる。
モニカさんに会えて、よかっただな。

たろさ、(優雅と手続き)

>日本以外を知らないのにこの国について語るのは片手落ちという気もするけど

なんで?

>しかしそういう真面目な経験の積み重ねで磨いてきた目をもった人がいなくなり、

まだ、いると思う。
ぎりぎりだけど、まだ遅くない、と思います。

Ukoh さん、 (官邸前の愚者の群れ)

ニュージーランドはもう慣れた?

>通りを阻む警官に傘を差し掛ける女性の優しさに、日本的な革命を見る気がします。
西洋圏から見たら”笑っちゃうぜ的”生温さかもしれないけれど。
日本なら、日本だから、それで何か変わるかも知れないのです。

どこの国でも、「デモで何かが変わる」ということはなかったと思う。
デモは、何かを変えるためにやってるんじゃないと思うな。

Chiroyoさま、(官邸前の愚者の群れ)

>シュプレヒコールなど一度も発せず、最後尾から最前列まで、ただただダラダラ歩きでイッテみた。

血の気の多い、「元戦士」のチロが、あのおよそ趣味がいいとは言いかねる(ごめん)デモに矢も盾もたまらずでかけていって「シュプレヒコールなど一度も発せず、最後尾から最前列まで、ただただダラダラ歩」いているのを思い浮かべると、可笑しいのお。
笑ってしまった。
気の毒なやつ。

チロから見たら「なんじゃ、こりゃ」とおもっただろーが、何事にも初めというものはあるよね。寛大な眼でみてあげよーね(^^)

Sa DingdingのMama Tian Na

を聴きながらチベットのことを考えていたら涙が止まらなくなって危なかった。
タマキドライブ、という海辺の道でクルマを運転していたからです。

チベットのことを考えると、悔しくてたまらない。

横を見ると、モニも涙をこらえていて、しまったこの曲をクルマ用のiPodから消しておけばよかったと考えました。

日本のフクシマも遠くからは見えにくい惨事だが、チベットはもっと遙かに積極的に遮蔽されている。
通りでは報道されることさえなく自らの身体にガソリンをかけて火をつけて抗議するひとがある。兵たちによる集団強姦や容赦の無い虐殺は最終段階を迎えたと報道されている。

世の中に人間性そのものを嘲笑う絶望というものがあるとすれば、チベットこそがそれだろう。

6

katsharどん、(官邸前の愚者の群れ)

>5年ほど前に閉めて今は、一昨年から新しい高層ホテルになってます。

そーだったのか。じゃ、もうあの夏のすぐあとに閉まっていたのだな。
「折り紙」という名前のカフェがあった。
わしにとっては懐かしいホテルです。

>今週も、この夏も何事もなく過ごせますように。

うん。

tamakichi さん、(官邸前の愚者の群れ)

>日本の各地で、放射性物質や有害物質を含んだガレキを焼却して、国民全体を被曝させようとしている政治家がいます。

いろいろな理屈があるのでしょうが、「瓦礫をばらまくことを原発派から反原発派まで是としてしまったこと」は、少なくとも外国人たちにとっては、「日本人の自分達自身に対する無責任さの象徴」と映った。致命的だったと思います。
そこで実質的にすべては潰えてしまった。

子安貝どん、(ポール・ジャクレー)

>フランソワ・ミッテラン図書館に、全作のコレクションがあるそうです。

Ligne 14の13区にあるやつだな。だいさんきゅ。
次パリにモニ里帰りしたときにいってみるべ

>自分は見ながら「ドリトル先生」のヒュー・ロフティングの挿絵を思い出しました。

ゆわれてみれば色彩の組み合わせが似ている感じもしますのい

>彼も故国に帰らなかった人であるようです。

ポール・ジャクレはゲイだったので、世界のどこでも「異邦人」であると感じていた、という。どうせ、属せないのなら、日本くらい明瞭に異邦であるほうがよい、と思ったのかもしれません。

ppqqどん、(Love each other or perish)

>こんにちは。ガメさんはこれを御存じですか?

知りませんでした。
読んでみます。

西郷隆盛は、英語人にとっては「判りにくくはないが、なんでこんな人にいまに続く人気があるんだ?」な人だと思います。逆にみると、きっと、日本のひとの魂に響く不可視のなにかがあるのでしょうね。
もしかすると、わしには一生わからないことなのかもしれません。

7

誰にでもあることに決まっているが、「世界なんか、どうでもいいや」と思う午後がある。
「そーゆーときには、ガメ、テキーラがはいったショットグラスを並べて、左から続けざまに飲んじまえばいいのさ。6杯でも7杯でも!6杯でも7杯でも!」とゆったメキシコ人の友達がいた。

なんでもやってみる主義のわしは、あるとき試してみたが、ただ悲しくなっただけであった。
こんなときには、どうゆえばいいのか。

Tiger, tiger, burning bright
In the forests of the night,
What immortal hand or eye
Dare frame thy fearful symmetry?  (*)

とでも述べて、眠ればいいのか。
あーあ。

(*)「The Tiger」William Blake

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One Response to Tiger!

  1. ppqq says:

    お返事、感謝です。内村鑑三という人は、日本人の基準で見ると、とても不思議な日本人であるように私には思えます。私が先に「洗脳されそうになった」と書きましたのは、彼が描く日本の宗教家たちは、どれもみな自分よりも大きな不変のものに依拠して生きた人で、その姿がとても強靭で、美しいからです(これを是人狂せりと言ふ:-))。内村鑑三自身も、物事を考えるとき、対人関係からではなくて、いつも不変の基準からものごとを考えようとする人だったようです。自分が正しいと思ったことに従うというとき、確固とした自分というのがなくてはならないし、そのためには信仰(あるいは狂信)が必要だということを、内村はあちこちで書いています(というかアジっています)。ガメさんから見たら、きっと面白い人だと思います。

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