アルコールに名をかりて

あんたのブログを読んでいると、酒ばかり飲んでいるではないか、という人がいるが、ひと聞きの悪いことをゆってはいけません。
第一、わしは酒はぜんぜん飲まないので、飲んでいるのはシャンパンやワインがほとんどである。
ときどき、スコットランドやアイルランドの蒸留酒を飲む。
酒は、日本にいるときはお燗なら樽菊正宗、冷たければ立山、八海山(高いほうね)、寒竹、というようなのが好きだったが、福島事故が起きて以来、放射脳なので飲んでおらん。

ドライシェリーのおいしい奴は、日本酒に似ているのは有名で、もっと言うとドライシェリーや酒でなくても、おいしい酒はだんだん味が水に似てくる。
スコットランドの酒屋がよそ者に土産に買っていったりするような狼藉を働かせないためにカウンタの下に隠して売っているような地ウイスキーなどは、一口くちにふくむと、冗談でも表現でもなくて、岩山をしみわたってきた清冽な水の王様のような味がします。
そういうウイスキーを水で何かで割って飲むバカモノはいないが、ウイスキーを何かとまぜてのむのは、常に水がもっともよいのは、もともと水とウイスキーは味が同じだからだとゆってもよいかもしれません。

人間の生活のなかには、さまざまな飲み物があって、それが生活を楽しくする。
いまちょっと考えてみるだけでも冷凍庫にはリモンチェロとヴォッカが寝転がって出番を待っている。このふたつは、冷凍庫のなかでも最も気温が低い部屋に寝そべっていて、
ひっぱりだして、グラスに注ぐと、とろおおおおおりと、満ちて、暑い夏の日にはまことに清涼である。

イタリアの田舎町のバールで遊んでいると、専業主婦然としたおばちゃんが買い物籠をコロコロと転がしながらはいってきて、リキュールを、あるいは、グラッパを、ぐいっと一杯ひっかけてゆく。
か、かっこいいのおー、と考えて、みているほうは痺れてしまう。
イタリアやスペインには「文明の深さ」という点で、どーしても敵いませんね、と思うのはそーゆーときである。

義理叔父は、自分の中学高校があった駅の脇に、外からは店内がみえない聖心インタースクールの女の子達のたまり場があって、制服のまま、談笑しながら女の子たちがウイスキーをストレートで、くいっくいっと開けて、また笑いあいながら出てゆくのを見てカンドーしたそーである。
かーちゃんシスターが、義理叔父は実はそのあと、その「くいっ」を真似して、こと志と異なって、あっさり気絶したのだと内緒で教えてくれたが、気の毒なのでここには書かない。

ニュージーランドにはフランスのものくらいしかないが、大陸欧州には黄色や緑色のハーブリキュールがいろいろあって、わしは、これも好きである。
カバとパンアムトマカにハモンイベリコではじまって、テンプラニーニョに乗り換え、チョウチンアンコウのステーキやアロスやフィデオスの様々な料理をたらふく食べて、
にこにこの3乗になる天上に最も近いランチのひとときは、バルセロナの一日のハイライトであると言える。
そのあと、友達たちが帰ったあと、まだ少し余韻を楽しむためにテーブルでのんびりくつろぐモニとわしに、店がだしてくれるのがハーブリキュールであって、世の中にこれほどうまい飲み物はない。

アメリカにはまともな食習慣というものがなくて、マンハッタンでいっちばんカッコイイということになっているイタリア料理屋に行くと、ビートルズがかかっていたりして、なにを考えとるんじゃ、このボケが、と考えるが、しかしどのレストランにもあるバーにはカクテルがあって、このカクテルこそはアメリカで最もうまい飲み物である。
たとえばわしは「反乱軍兵士」というカクテルが好きだが、ドライマティニはロンドンのジェームスストリートのおやじが上手につくれても、こういう新しいカクテルはどうしてもマンハッタンのバーに限るよーだ。

前に書いたロングフェローの詩にちなんだ名前のバーとは、実は
「One if by Land, Two if by Sea」という名前のヴィレッジのレストランのバーのことだが、

http://www.nytimes.com/restaurants/1002207991656/one-if-by-land-two-if-by-sea/details.html

名前で直感できるように新しいカクテルは少なくても、言わば「実直」なカクテルで、やはり、これも幸せになってしまう。

冬には、やはりビールがよい。
大学町のパブで、1パイントのビールを買って、冷たい外の風にあたりながら、ちびりちびりと飲むスタウトは最高である。
ネクタイを締め、薄手のセーターを着て、おおまじめにジャケットまで着込んでいるお互いのマヌケな姿を眺めながら、友人達とわしとは、何度、議論したことだろう。

モニとわしは大雪が降る日に金沢の町にでかけて、日本式の旅館に宿泊して、障子を開けた向こう側に広がる雪の町並みを眺めながら熱燗の日本酒を飲むのが夢であった。
軽井沢の山の家からクルマででかけると富山までは行くが、そこから西はメンドクサクなって、ついさぼっているうちに、福島の事故が起きて、いけないことになってしまった。
羽田から飛行機で行けばよかった、と思うが、もう後の祭りである。

いつか、モニと日本にでかけて、一面の雪景色に息をのみながら、日本酒をくみかわす機会がくるだろうか、と考えると、なんだか、胸に直截酔いがとびこんで寂寥をひきおこしているような、切ない感じがする。
きっと、もう行けないよね、というモニの声を聴きながら、いまは瓦礫をばらまいたりしてるけど、そのうちには…と言えない自分を発見して、呆然としてしまうのです。

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2 Responses to アルコールに名をかりて

  1. Akira says:

    ガメさんこんばんは。

    アルコールは飲み「過ぎる」様にできているのに「飲み過ぎないで」というのは土台無理な話で、特に分解酵素の足りない日本人にはワインは百薬には成り得ない感じがします。最近はニュージーランドの「ローン・カウリ・ソーヴィニヨン・ブラン」てのを開けては、shiroganedori さんに酸化ストレスなんて言いながら、、気付くと1本、、また1本空き瓶が増えて、、、カミさんに「アナタ何本飲んだら気が済むの??」って朝からキレられてます。安いけど美味しい、、オイラには充分です。これが本国だと幾らなのかは知りたく無いな〜、、
    ガメさんにお聞きしたいのですが、NZ産の白ワインで我々にも手が届くワインでイケてるのを教えては頂けませんか?
    イケてるワインは日本には来ないのかな。。。?
    近頃は漫画「神の雫」っていう書籍があって、そこでもNZのワインは少し取り上げられていたりしてます。あのデッカい牡蠣を白ワインで食べたらどうなるんだろう??。。(◎_◎)

    日本酒で「八海山」とあり嬉しく思いました。正に水みたいにスイスイ飲めますよね!
    朝日酒造の「轍」や、久保田の萬寿の更に上の「洗心」は飲んだことありますか? 「ベくれた日本酒」以前の物がたまに店頭に残っているとまるで遺跡の様に見える事が有ります。もうガメさんモニさんが「日本酒はもう飲めない。。」というのは本当に、、本当に、、悲しいです。

    >狂信という言語蒸留装置をもたぬ人間

    それは具体的に誰を指してらっしゃるのですか? では理解というものが有るのならば、それはどこで育まれるのだろう? 俗に(というか常識的に)日本人は無神教だと言われますね。。。
    オイラは神道と正教、両方で式を上げたんですが、プロテスタントのフィンランドの御仁から「君はどちらかに決めなければならない!」と怒られちゃった。婦人が「両方だっていいじゃない?」と言うと「そうはイカンのだ!!」と顔を赤らめ、大きな体は更に大きく成ってバチカンの神父の様に言説されました。オイラはその時は両肩を上げるだけに留めました。
    オイラは神道の神はキリストの神と同じだと信じています。実際は宗教などどうでも良くて、AMORCの瞑想でも何の瞑想でも、方法が正しければアッバーは鏡の前に来られるといいます。オイラの父親はいつも瞑想をしていて、何度か経験したと言うんだけど、アッバーは見事な白髪で、長〜い御髭を携えて居られたと言っていました。正に「Creator」がそこに居られるのに、不思議と興奮も無ければ揺らめきも無く、心は安らかなのだといいます。本当はこれは常識なのかもしれないけれど、オイラはそれを父親から初めて聞き、信じるようになりました。

    前述されていた方がおられましたが、当時、内村鑑三のようなキリスト教徒は他に居こそすれ、演繹的に信仰と苦悩を吐白することに躊躇の無かった者は希有だったと思います。
    オイラの祖母は昔、都内で幼稚園をしていました。祖母は土佐の、強〜〜い女性だった。祖母は園児に必ずイエス誕生前夜の演劇をさせていた。オイラは誕生前夜の三人の使いを演じたりして。。祖母はどこでキリスト教に出会ったのか。。

    「イエス様イエス様!、、オイシいご飯を!、感謝して! よく噛んで! 頂きます!」毎日手を合わせていたっけ。。

    「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。」(マタイ)
    オイラはクリスチャンではなく、イエスチャンです。

  2. ochamacus says:

     居なくなってからでは遅いので、とりあえず礼を言いに来た。
    ガメさん、面白い文章をいつも見せてくれてありがとう。
    あなたのブログは「はてな」の時から読んでいます。たしか見つけたその日に遡って全部読んだと思う。
     変な奴らがガメさんに群がって来たとき「あ~また始まった。」と俺は思った。ブログが消えたとき、もうこの人は戻ってこないだろうと思ったし、戻ってこないほうが時間を無駄にしなくていいではないか。と思っていた。
     というのも自分の身の回りではよくある事で、いつもどうやって人をコケにしようか、自分をどうやって賢く見せようかという人間が9割くらいいる。いや、10割近くか。
     彼らには「私とあなたは違う人間ですよ。」というあたりまえのことすら全く通用しないし、そんな態度をとっただけで現実世界でも徹底的に攻撃される。そうすると正常な人から外へ去っていく、関わるだけ時間の無駄だし、そこがどうなろうと知ったこっちゃ無いから。そして残されたクソみたいな環境の純度が上がっていく。まあ、自分が田舎に住んでるから余計にひどいのかもしれない。
     そんなクソ環境にワザワザ戻ってくる理由が見当たらない。
    仲のいい友人とだけ話していたほうがいい。

     しかし、あなたは戻ってきた。物凄く意外だったし、
    また読めると思うと物凄く嬉しかった。

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