緑の道


スペインという国は、悪魔の実在が濃厚に感じられる国だというのは、このブログ記事のあちこちに出てくる。
カタロニアでは、まだ、バルセロナのような都会ではそういうことはあまり感じられなくて、ジローナから内陸へはいってゆくような田舎の村へ行かなければ実感されない。
人がたに穿った石棺にぎっちり押し込めるようにして埋葬したあとがある大小のネクロポリスや鬱蒼としたコルクの林をぬけて午飯時の終わりにやっと辿り着くような中世の行商路の途中にある小さな集落のなかには、しかし、カタロニアのようにスペインのなかでも近代的な指向が強い国でも悪魔達が暮らしているのは前にも書いた。

西北へ向かって、赤土の荒涼とした大地のなかに点々と村が散在するレオンや、もっと西へ向かってSantiago de Compostelaがあるガリシアの田舎へ足をのばすと、神がいるのなら悪魔も同じ密度で存在するはずであるという神学上の当然の事実が実感されて、欧州という辺境ではキリスト教はこういうふうに過去の実感を残すにいたったのだ、ということがよく判る。

ガリシアの築地よりも魚がおいしいという点で殆ど世界でただひとつであるとおもわれる市場にでかけて、ちょうど焼き鳥屋に似たつくりの海産物を食べさせるスタンドに腰掛けて白ワインを飲んでいると、隣で魚を頭から噛み砕く、なんとなくいぎたない下位の悪魔が座っていそうである。

大西洋側につくられた、あの円形をしたケルト人たちの不思議な集落
https://gamayauber1001.files.wordpress.com/2011/07/img_9011.jpg
は、ひょっとすると交易よりも悪魔達から自分達の夜を守る為につくった要塞ではないかと思えることすらある。

キリスト教という宗教は他の宗教とおなじく、おおきく言語に依存しているが、たとえばカソリック教会はほぼ完全にロマンス諸語に依存している。
イタリア語やスペイン語、せいぜいフランス語で思考するひとびとのためにある宗教であって、やや「世界宗教」というようなものとは異なるところに、いまの本質的なカソリックの退潮があるだろう。

当然、メキシコの内陸部の村へいくと、そこにもカソリックが存在して、悪魔もまた色濃く偏在して、日常のあちこちで「あっ」と思わせるというか、そうだったのか、と感じさせるところがあるが、英語やいまでは若い世代に至ってキリストを拒絶するに至ったロシア人たちのロシア語世界にはばまれて、キリスト教もまたロマンス諸語が話されない地域ではアメリカ大陸に見られるようにおおきく変質して、ほぼまったく異なる宗教になっている。

宗教というものは、そういうもので、Santiago de Compostelaには市によって雇われた中世の巡礼の姿をしたひとびとが参道を歩いているが、後ろからみていると、ときどきそれがほんとうの巡礼人の姿に変わる。
今日一日の糧のために巡礼の装束をつけることに同意したひととは、明らかに異なる後ろ姿になることがある。

同じように、チョコレート・バーで若い女の客にコーヒーをいれてやりながら冗談をいう気の良い店のおばちゃんに、ふとした弾みでわしが目をやると、悽愴な淫蕩の表情を浮かべて若い女の客の横顔を眺めていて、わしに自分の表情をみられたことに気づくと、憎悪の顔でにらみつける。ところが、一瞬のあとには、元のおばちゃんの顔にもどって、明るい声で、なにごともなかったかのように、あなたはどこから来たの、イギリスですか?と微笑みかけながら注文を訊く。

神というものがどうしても受け容れられないひとは、悪魔をも迷信として退けるが、実際には悪魔は(神と対立するものではなくて)神というものの本質の一部なので、その存在が現実世界の日常のどこかに破綻して姿をみせてしまっていることは、それほど不思議なことではない。
それが信じられないのは、眼の前の金属でつくられた機械が空を飛ぶのだと聞かされて、一笑に付すひとと、とてもよく似ている。

文明というものを理解するには、どうやら中央アジア、それもトルクメニスタンを中心に描いた世界地図が必要であって、アラビア半島をつたってここにやってきた人間たちは、ここから文明の爆発とともに西へ東へと流入していったように思える。
DNAの「解読」は飛ばし読みにすぎなかったが、飛ばした部分も精読する余裕が出来て以来、あの「緑の道」の物語はいよいよのっぴきならないドキュメンタリに変わってきたもののようである。

くだらないことをいうと、カリー料理が国民食になった連合王国人たちは自然の勢いでタンドリ料理も喜んでむさぼり食うようになったが、トルコにでかけるに及んで、自分達がいままで「世界で最もおいしい料理である」と信じていたタンドリ料理が、単純にトルコ料理の田舎料理版にすぎなかったことをしって落胆する。
スパイスの使い方がトルコ人たちのほうが遙かに洗練されていて、誇り高い北インド人のシェフたちとは較べものにならないほどだからです。
あるいは騎乗というような習慣で見ていっても、鎌倉時代の武士の馬具(特に金属製の部分)は、どうみても中央アジアへの憧れが結晶して出来た意匠である。

そういう文明の潮流のようなものに言語をかぶせてみてゆくと、キリスト教というものが文明の大通りの畔のような、ごく近いところにある小さな沼沢に生まれて、そこから文明の大流にとびのったものであることが判る。
キリスト教そのものを形成したのがパウロであって、そのパウロがキリストの思想を多分ギリシャ語であっただろう欧州語で記述したことには本質を描き変えてしまったという点で必然的かつ巨大な意味があったのだと思われる。

今日、英語の世界では伝統的なキリスト教はほぼ死滅してしまった。
その淵源はもちろん英語人がラテン語で思考するのをやめてしまったことにある。
アメリカ人はめったやたらと宗教的だが、どうにもならない原理主義で、あるいは現世での実効性がある奇妙な宗教で、ああいう余白が少ない宗教ができあがってしまうのは、要するにアメリカという文明の「手続き主義」が影響しているのだろう。
人間の罪も良い行いも、アルゴリズムによって処理されて、その結果ピーターに会ったり、おもいがけずサタンの知己を得たりするのだと思うと、新興宗教というものは、そういうものだな、という皮肉な感想をもつだけである。

神がいたり、いなかったりするさまざまな社会をうろうろと歩いて、わしの一生などはあっというまに経ってしまうに違いない。
人間の一生は大事なことを考えるには短すぎるのに、では生命だけを見つめて実直に生きていこうと思うと、それには長すぎる、という不便な特性をもっている。
モニとわしと小さな人は、これからどんな一生を歩いていくのかわからないが、
ここから先の世界は、神の姿がみえない、ちょうどエジプトからアラビア半島に出た現世人類が「緑の道」の南に見た、広大な荒野に似た世界、しかもそれはこれから沃野となるべき世界ですらなくて、刈り入れが終わって、収穫後の祭礼も終わった、厳しい永遠の冬に向かう世界になるだろう。

そしてそれは、文明上の文脈に翻訳して眺め直せば、実は中央アジアに向かって逆流する文明の旅になるはずなのである。

*「緑の道」は、アフリカ大陸から生存を賭けて大移動を始めた現世人類が、それをたどって世界中にちらばっていったと言われる「ひとすじの植生がある細いベルト地帯」のことでがんす

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