よいことをする、ということ

以前のブログ記事とむずかしい話が増えてきたのでバイバイにしてしまった前のアカウントのツイッタで「盗られちったぜ」と書いた財布が、戻ってきた。
落とした財布がもどってくることは、よくある(わしは財布を落っことすのは名人です)が、盗られた財布が戻ってくる、というのは初めてである。
バーから財布をもっていったひとが、中をみたらあんまりいっぱい現金がはいっていたので、「こんなに現金を盗られたひとは、これでは今月暮らせないのではないか」と考えたものであるらしい。
えらいものを盗んでしまった。
運が悪かったとおもって、こっそり財布を返すに如くはなし。
およそ、そう考えて財布を持ち主(わしのことね)に帰そうと考えたもののようである。
財布に添えられたメモにそう書いてあった(^^)

財布は農家の直販所のドロップボックスにはいっていた。

財布を発見した農家のおばちゃんは、ぶっくらこいたものであるらしい。
どうしよーか、と旦那さんと額をつきあわせて相談した。
免許証に名前が書いてあり、クレジットカード、EFTPOS(ATMカード)にも書いてある。
ニュージーランドでは、というよりも、いまどきの国はどこでもそうだが、免許証も含めて住所が書いてあるものはなにもない。
セキュリティのためです。
住所みたいなマヌケなものが書いてあると強盗がやってきてしまう。

銀行に電話しても、それで本人の電話番号を教えてくれる可能性はあるわけない。
警察もしかり。

ここまで読んで気が付いたとおもうが、この農家のおばちゃんは、(社会の名誉のためにゆっておくとニュージーランドの警察は世界で最もマジメで「クリーン」な警察であるのは統計上もずっと1位であって、国民も不正がない、ということについては信頼しているが)警察や銀行といえど、人間がやっていることなので、あいだにはいる人間が多ければ多いほど現金が抜きとられる可能性が高い、と考えたのである。

スポーツジムやAA、射撃演習場なんかの会員カードもあったが同じ理由でダメであると考えた。
フェース・ブックを使ってさがしてみたが、本人らしい人間はいない。
グーグルでも連合王国に同姓同名の風変わりな人物がいるだけである。

結局目を留めたのはある商店の「会員カード」で、この農家のひとは、その商店が実直なところであるのを知っていて、そこに電話をすることにした。
名前からDBをひいて電話番号を発見した。
まず店から電話がかかってきて本人であることを、確認してから、農場のおばちゃんと連絡することになった。

詳細は省くが、このおばちゃんが相手がほんとうに本人かどうかを同定するために、さりげない調子でおこなった質問は、わしを感心させた。
多分、おばちゃんは賢明に計画と質問を練ったのだと思われる。
おばちゃんは、わしの答えに満足すると、自分の農場の住所を教えて、午後の早い時間はジムにでかけて忙しいから夕方からあとがいいです、と述べて電話を切った。

農場に着いてみると、旦那さんとおばちゃんは、途方もなくよいひとで、涙を浮かべて「よかったですね」とゆってくれる。
わしは財布にはいっていた現金の2割くらいをとりだして、オカネっちゅうのも下品だけど、受け取って下さい、というと旦那とふたりで、絶対、やだ、うけとれません、という。
看板が出ていたのをおもいだして、じゃ、ジャムを買います、と述べると、
そっちは喜んでもってきてくれる。
8ドルのジャムに100ドル札を差し出すと、「そんなおおきなオカネ、お釣りがない」という。
わしが、してやったりとニカっと笑うと、ふたりでふきだして、100ドル札を受け取ってくれたのでした。

旦那さんが、なにがなし安心した様子で納屋仕事にもどったあと、おばちゃんとモニとわしは3人で、近在の公園のこと、オークランド近郊の農業のこと、インターネットのスピード、あるいはオークランドのそこここの店の話というような話をした。
オーストラリアとアメリカに住んでいたことのある人だったので、ふたつの国の話もした。
周到な「財布返却計画」は、どうやら大会社の秘書をやっていたときに身につけたスキルのようでした。

帰りのクルマのなかで、ここのところ、ちょっとうつ病気味であったモニさんが、晴れ晴れとした顔をして
「良い人はいいな、ガメ」という。
うん。いいよね。カッコイイな。
あのひと、頭がいいひとだったな。
うん。すごいよね。

モニとわしは、すっかり農家のおばちゃんの抜群の頭のよさと善良で熱心・親切な気持ちにカンドーして、一日中、嬉しくてたまらない気持ちだった。

オークランドに着いてから、高級品ばかりを扱っているスーパーマーケットに行って、チョコレートを包装紙でくるんでもらってリボンもかけてもらった。
データベースで電話番号をみつけて、まずわしのところにかけた係のおばちゃんも、周到に本人を同定して、わしを感心させたからです。
顧客カウンタにいくと、ちょうど奥から何かの箱をもってカウンタに向かってくるところだった。
「J_さんはいますか?」というと、あなたが話しているひとが、そーだけど、
財布のことで、といいかけると、ああ、あのひと、とゆって顔が明るくなる。
行ってみましたか?どうでしたか?

素晴らしいカップルだったこと、みながびっくりするほど適切にものを考えてくれて、たいへん心地よかったこと、そのせいで今日は気分がたいへんよいことを伝えると、
「まだまだ世の中にはまともで『善い』人間がたくさんいるのよ」とちょっと胸を張ってこたえる。
わしが礼を述べて店を出て行きかけると「そっちは入り口よ、ラブ」と、わしのばーちゃんのような言い方で、笑いながら出口を指さした。

岩田宏には「信じないで」という詩がある。

老婆が
ラーメンを鎌倉駅前の
レストランでたべてから切符売り場へむかって
ロータリーを廻ったとき
ルーズなタクシーが
法律を無視して
あぶない! でも
実に立派な
立派な青年がとびだしたんだ
ぼくはそいつを好かない
服装そいつ清潔
ふけなんかないし
ことばはしっとり上品で
こどもも一人ぐらいはいるだろう
電車ではきっと老婆に席をゆずる たとえば
ぼくのおふくろにも
かあさん! どこへ行くんですか
知ってる かあさんは神も仏も信じなかった
神も仏もありやしないこの世をこわがってた
体がこわばるほどのぼくのやさしさを
信じないで
死んじまった…….
かあさん!
電車でどこへ行くんですか。

道路の道ばたで、転んでいるひとがいる。
わしはヘーキでそばによって、「ダイジョブですか?」をする。
倶利伽羅紋紋のおっちゃんがうつぶせの大の字になって倒れていても、「おっちゃんダイジョーブ?」をする。
わしの「親切」は考える必要がない楽なもので、いわば文化上の条件反射だからです。「よいことをする」というのとは異なっている。

これも前に書いたことがあるが、オークランドのCBDのどまんなかで中国系人の若い女の子が高すぎるヒールがひっかかって、交差点で派手にすっころんだ。
ハンドバッグからケータイや財布、コンパクトに口紅、あんたのハンドバッグはどらえもんポケットかというくらいたくさんのものが交差点中にぶちまけられた。
その瞬間のことが忘れられない。
交差点を渡っていた文字通り何十人という人が、あっというまに口紅を拾い、手帳をつまみあげ、あまつさえ財布から転がり出た硬貨まで拾い集めて、中年おっちゃんに抱き起こされた女の子にすべてが(魔法のように)もどってきて
「ダイジョブですか?」になるまで、約20秒くらいであったと思います。
はっはっは。キィウィはいまでもキィウィじゃのお、勝った、とわしはひとりごちた。

日本では、道ばたに倒れたひとをまたいでいくひとまでいるが、その一方で、少し離れたところに立って、倒れたひとをじっとみつめて、唇をかみしめるように、たちつくしている高校生がいる。改札口にはいりかけて、逡巡して、ふりかえったまま凍り付いたひとのように動けなくなっている若いサラリーマンがいる。

わしは、そういう姿の日本人をみるたびに、上掲の「信じないで」という詩を思い出したものだった。

「よいことをする」ことをためらう、ということを、だから、わしは単純に「わるいこと」だと思っているわけではない。
どうしたことか、わしは、そうした日本人の不思議な逡巡が好きだからです。

わしがまだ(しつこくも)こうして日本語にこだわっているのは、何度も何度も述べたように「聴きとりにくい声」を蒐集したいからです。
吃音や、くぐもった声や、なにをゆってるのかよくわからない、のどで押し殺しような小さなうめき声や、言いかけて、やめて、永遠に口にされなかったつぶやきを、わしは聴きたいと願っている。
声にする勇気もなく、それは違うと口にだして述べる自信もなく、やや曖昧に笑って、自分には言葉にして言えはしないのだ、と諦められてしまったたくさんの言葉が、日本という社会の清潔な床には散乱している。

それと「よいこと」をするためにのばされたのに、動きをとめ、ゆっくりと、あきらめたものの運動の切ない法則に順って、ためらいながらひっこめられてゆく差し出された手には、紛いようのない共通した力がはたらいている。
だからわしは、その聴き取りにくい声やひっこめられてしまった手のことをもっと考えていたい。
「信じないで!」と死んだ母親に向かって叫んだ詩人の声は、どんな日本人の胸のなかにも木霊していて、それこそが日本人というものを考える鍵であるような気がするからです。

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3 Responses to よいことをする、ということ

  1. DoorsSaidHello says:

    一昨日、久しぶりにガメさんのツイッタに行こうとしたら無くなっていたのでびっくりした。なんにも出ない白い画面を見て、ああそうか、こういうこともあるんだよな、と思った。居なくなるときは、ある日突然、居なくなっちゃうんだ。そういうもんだ。

    だからツイッターがまた読めるようになってほっとした。引っ越しちゃったかと思った友だちの家に、また灯りがついてるのを見たような気持ちになった。懐かしくて愛しいけど儚い小さい灯り。

    お別れのときはさよならくらい言えるといいな、相手のためじゃなくて自分のためなんだ、突然の変化は小さなことでも応えるんだ、いままで突然に無くしてしまった色々がみんなよみがえってくるみたいで。

    ところで思い出話なんだけど、

    10年前に秋葉原駅で、車椅子の人がホームへの長い階段の下にやってきた。その時駅にはまだエレベーターがなかったので、どうやって上がるんだろう、と思って立ち止まった。

    私の後ろから来た若い男性二人と、その階段を下りてきたやっぱり若い男性二人が、示し合わせるでもなく声を掛け合うわけでもなく、自然な動作でその人を乗せたまま車椅子の前と後に付き、四人で何の苦もなく持ち上げて、ひょいひょいひょいと階段の上まで上っていった。そして何のやりとりをするでもなく、当たり前のようにそれぞれの進行方向に向かってひょいひょいと散っていった。車椅子の人も含めて、五人は別に顔見知りでも何でもなさそうだった。

    その頃私は赤ん坊を乗せたベビーカーをホームに運び上げるのに毎回苦労していた。私の住んでいた田舎では、駅員にエレベーターの場所を聞いては「階段が使えないなら駅に来るな」と言わんばかりの対応をされていたから、この光景を見た時は自分がしてもらったみたいで嬉しかった。

    ただの思い出話だけど。

  2.  私も「よいこと」をするのに若いころは逡巡しておりました。だから電車の中で席をゆずろうかどうしようかと逡巡している若い人をみると少しほほえましくなります。一歩踏み出せばどうとういうことはなく「よいこと」は亀殿のおっしゃるように条件反射になり、やがて習慣になると思われます。助けるのもタイミングというものが重要で瞬発力が要求される場合もあるでしょう。
     今回はわたくしのした「よいこと」のお話をさせてください。
     
     27年以上前のお話です。私は運転免許をとるために自動車教習所に通っておりました。当時は長男が1歳すぎたばかりだったのですが、教習所の中に乳幼児預かり所があり1歳から6歳までの子供を授業中だけ預かってくれるので私も長男を預けて勉強しておりました。
     ある日いつものように息子を預けにいくと何やら保育士さんと子供を預けにきたらしいお母さんが言い合いをしていました。お母さんのかたわらには5歳くらいの男の子がバギー(軽量のベビーカー)に座っていました。大きい子なのにどうしてバギーに座っているのかしらと思ってみていると、そのお子さんは障害があるようでした。教習所の施設では障害のあるお子さんは当時は預かってもらえませんでした。でも、そのお母さんは必死で「私はどうしても運転免許をとらなければならないのです。もっと大きくなったらバギーでなく車椅子でこの子を移動させなければならないのですから。」と保育士さんに懇願しておりましたが拒否されて途方にくれていらっしゃいました。みればおとなしいお子さんです。時々宙をみて手をひらひらと動かすだけです。発作もないのだとおっしゃっていました。断られて施設を出て行ったそのお母さんのあとを追いかけて勇気をふりしぼって声をかけてみました。「あの、お話聞いていたのですが、私も子供を預けながらこちらに通っています。おせっかいかもしれませんが1時限ずつでしたら私が近所の公園で自分の子といっしょにお子さんみてますから授業を受けられてはいかがですか?」その方は最初びっくりしてらっしゃいましたが「ご迷惑では…本当にいいんですか?ありがとうございます。助かります。」とおっしゃって、それから私たちは協力し合って運転免許を取ることになりました。晴れた日は近所の公園で天気の悪い日はモールで私は自分の子供といっしょにそのお子さんも見守りました。季節は秋からあっという間に冬になり試験のときは私も自分の子を預かってもらったりしました。3ヶ月以上かかって、私達はふたりとも無事運転免許をとりました。私達はうれしくてそれぞれに車を買ったら一緒にお花見にでかけましょうと約束しました。でも教えた連絡先に電話がかかってくることはありませんでした。
     それから二十年近くたったある日のことです。埼玉県の西川口の駅の近くで偶然彼女と再会したのです。当時、西川口といえば埼玉県では有名な男性の歓楽街でした。ワゴン車からある女性が車椅子に乗った青年を降ろしてとあるビルの前で電話をかけると、外階段の2階から中高年の男性が降りてきてなんとその青年をおぶってまた2階へ上がっていったのです。その青年の母親らしき女性は「いつもすみませんね。」と言いながら男性の手にお金を握らせていました。その様子をぼんやりと見ていた私に女性が気づき「後藤さん、後藤さんでしょ!」と駆け寄ってきました。突然の再開にお互いに驚きつつも近くの喫茶店で1時間ほど話をしました。お子さんはもう25歳の青年になっていました。思春期の頃自分の性欲をどうしてよいかわからなかった本人は自分の性器をフォークで刺したそうです。ものすごい出血を抑えながら病院へあわてて連れていったときに医師から言われたことは「今後はお母さんが手伝ってあげてください」との言葉だったそうです。さすがに子供さんが大きくなって自分でも辛くなって、いろいろ考えたあげく川崎やら吉原やらあちこちの風俗店を探しまわって、ようやくその西川口のお店に平日の空いている時間にならお願いすることができたという話です。エレベーターのない外階段の古いビルの2階にそのお店はありました。受付のおじさんが良い人で毎回おぶってお店まで上がってくれるのだそうです。彼女は言いました。「あの時後藤さんがいなかったら私は運転免許取れなかったと思って今でもすごく感謝しています。お花見の約束をしたのに連絡しなくてごめんなさい。あの後すぐ夫が家を出ていってしまってね。それでも車だけは毎回買ってくれるのよ。車から桜をみると後藤さんをいつも思いだしてます。変わらないわね、あなたは…ええ、すぐにわかったわ。あのときの赤ちゃん大きくなったでしょう。大学生くらい?まあ、アメリカに留学してるの。離れて心配じゃない?将来が楽しみね。」彼女の髪は真っ白に変わっていました。「そろそろ息子を迎えにいかなきゃいけないから、じゃあ。」と彼女は席をたちました。
     数年前に西川口の歓楽街は暴力団の資金源を絶つということで警察の一斉摘発があり風俗店はなくなってしまいました。あのお店もです。
     
     何か他人に「よいことをする」ということは、時に相手の傷口を垣間見ることでもあります。ボランティア活動もしかりです。よいことをしたという自己満足はそこにはありません。人の役に立ちたいと思いつつも自分の無力に愕然とすると同時に、なぜこんなになるまでこの人たちは耐えなくてはならないのかという怒りがこみあげてくるのですが、みなさんは一様に、「人に傷つけられても、助けてくれてその傷をいやしてくれるのも人ですから。私は世の中捨てたものではないと思っています。」とにっこり笑っておっしゃいます。

     今回も亀殿をはじめ読んでくださったお友達に感謝いたします。よい記事を読んで自分のした「”よいこと”だと思っていたこと」をお話したくなりました。お付き合いありがとうございました。ごきげんよう。
     

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