NZに来た日本人の友達に

「The Help」という60年代のミシシッピを舞台にした映画で、アフリカンアメリカンのメイドが10時間もオムツを替えてもらえないほど放っておかれて、体面ばかりをうるさくいう母親にいまにも心を壊されそうになっている雇家のチビガキに何度も「You is kind,you is smart,you is important」と言ってきかせるところが出てくる。
チビガキが人格崩壊の危機に立つたびに、子供を抱きかかえて目をみつめて、まるで自分の全人格を投入して子供の人生を支えようとしているかのように、言ってきかせるアフリカンアメリカのメイドの言葉は、要するに英語世界の子供が小さいときから繰り返し言い聞かされて育つ言葉でもある。

きみがニュージーランドにいるのだと知ったとき、ぼくはどれほど嬉しかっただろう。無口で、気難しい顔をしたきみが、やっぱり親切を表情にだすのが下手で、ぶっきらぼーなニュージーランドのレンタカー屋で、どんなやりとりをしたのだろうと考えたり、タウポの宿屋で、夜中にバカ騒ぎを繰り返す観光客たちに、腹を立てながら眠られない夜を過ごしているのを想像して、なんとなく可笑しい感じがしたりもした。
でも、きみが現にいまニュージーランドにいることを、とてもいいことだし、自分にとって嬉しいことだと思いました。

ぼくがこのブログ記事を書いているのは、自分の意見の正しさを証明するためではない。意見を述べるためですらないようです。
いままでも、いろいろな、ぼくの目からみると、ただヒマを持て余して他人を攻撃するためだけに生きている(他の国から考えるとどう考えても、桁違いに数が多い)ひとびとが、さまざまな難癖をつけにきて、あれを証明しろ、これが間違っている、おれのほうが正しい、反対できるものならやってみろ、証拠をだせ、と言ってきて、ばかばかしいので放っておくと、なんだ何も言えないのか、卑怯者、逃げた、おれたちの勝ちだ、おれたちは喧嘩は強いんだ、となんだか現実離れをして魂が壊れたひとびとが群れをなして騒ぎたてても相手にしなかったのは、そういうくだらない習慣自体が、日本人のあいだだけで通用する、どうしようもなく幼児的な習慣だというだけでなく、ぼくがそもそも「正しい」ことや「正義」を明瞭でおおきな声で述べ立てるひとに興味がないからだと思います。

もう何度もこのブログで書いたが、ぼくがいまだに日本語を書いているのは、舞台の上に立って如才なく冗談もはさみながら、他人の喝采で自分の正しさを測定しながら生きているひとたちのためではない。
まして大声で「正しいこと」ばかり述べて拳を空に突きだしているひとびとなど目にしたいともおもわない。
その舞台を囲む大きな人の輪のいちばん外側のはしっこで、喝采を遠くからみつめながら、「そんなことはないんだけどな」と小さくつぶやいて、その場を立ち去ろうとしている人に話しかけるためだと思っている。

偏見もある。
きみがいまいるニュージーランドという国のひとびともそうだが、ぼくが産まれて育った北海の文明圏にある天気の悪い国では、器用な人間や、流暢に言葉を操る人間、「如才のない」人間を、誰もが疎ましくおもう。
あの何事にもドジな国では、天井の高い、装飾品がどう見ても多すぎる居間で、誰もがつっかえつっかえ、どもりの癖があるひとのように話している。
もう21世紀だというのに、知らない人と狭い空間で一緒になると、せいいっぱい丁寧な挨拶をして、そのあとは、もう知らない人に対する義務は全部はたしました、とでもいうように、目を落として、新聞を読んでいるふりをする。
あの国で紙の新聞がいまだになくならないのは、ようするにそのせいだろうという冗談があるくらいで、考えてみればアメリカ人なら治療が必要だと言われるに決まっているほど、ひどい人見知りで、なんだかなんにもうまく言えなくて、どうせ自分なんかこの世界には不要な人間なんだから、と諦めている自閉的な人間で社会が充満している。
そういう国に育ってしまうと、「正しい事」を堂々と述べるひと、というものが苦手になる。
自分の科学的知識を披瀝して、相手の非科学性を公然となじるようなひとびとを見ると、このひとは育ちが悪いのか、よっぽど頭がわるいか、どっちだろう、と考える(^^)

ノースランドに行ってカウリをみる、というのはとてもいい考えだが、オークランドからワイカトを抜けてウエリントンに向かうと、その途中には「砂漠の道」という名前の荒涼としたオープンロードがある。ところどころタシットが一面に広がっているほかは、ほかには、ほんとうに何もない道で、ぼくはこの道が北島では最も好きかもしれません。
ニュージーランドは小さな国なのに、空ばかりはやたらとおおきい。
晴れた日には地平線の方角をみても直上と変わらない青い色の空がひろがって、宇宙のまんなかにいるようでもある。
その巨大な空の下を、点ともいえない動く染みになったちいさな自分が、なんだかどこまで行ってもどこにもいきつけない感じがする荒野を走っているのを考えると、まあ、自分の一生なんて、どうせたいしたことはやれないのだから、てきとーに、自分にせいぜいやさしくして暮らすのがいいだろう、と心から決心する。

ウエリントンに着いたら、新しくできた美術館の近くに泊まるといいと思います。
もう知っていると思うが、「New World」というあのスーパーマーケットが近くにあるので、ワインでもなんでも買って部屋で飲める。
オーストラリアのシラズが世界でいちばん安いのはニュージーランドで、少しはりこんでPenfoldsの、Grangeはやりすぎでも、Bin28くらいは飲んでも損はないかもしれません。
近所のレストラン街には有名なマレーシア料理屋があって、そこはふつうにマレーシア料理と呼ぶときの「ニョニャ」、中国人の男たちとマレー人の女びとたちの婚姻から産まれたマレー・中国の折衷料理とは違って、ほんもののマレーシア料理をだす。
Nasi Lemakを、ぼくはいつも食べる。

海峡をこえたピクトンはただフェリーが出るだけの町で、あんまりおもしろみがない。
きみが、ステーキパイを食べてみた、というのでモニに、「あの日本のひとステーキパイ食べてみたんだって」とゆったら、「おいしかったって?」と訊く。
ツイッタをたしかめて、なんとも書いてないな、というとモニが大笑いして、
「それは絶対不味くて閉口したんだぞ、ガメ」という。
驚く、わし。
モニは、ずっとステーキパイを不味いと思ってたのか?
あたりまえです。あれをおいしいと思うのはイギリス人だけだとおもう、とゆわれてしまった。

しかし、そーゆーことはフランス人の偏見だと思うので、述べておくと、通りの名前を忘れてしまったが、どうせ一軒しかないのですぐわかるはずのベーカリーに、なかなかおいしいステーキ&チーズパイがあります。
フェリーの港を出てステートハイウェイ1に出る途中にある。

鯨見物がブームなせいで、たくさん店が並んでいるのに、全体の印象は相変わらずさびれた漁村のようなカイクーラで、そこいらじゅうにごろごろ転がっているアザラシさんやペンギンと遊んだら、またハイウェイ1に戻ることになる。
ビデオ日記
http://www.youtube.com/watch?v=Fp7Pt48mIIo&feature=relmfu
を観ていたらよんさんとサラさんも間違えたよーだが、海辺のいかにもハイウェイ然とした道は、実はただの町道でハイウェイ1は、ずっと内陸にもどったところにあります。

カイクーラの、トンネルの天井がトラックの屋根でこすれていたり入り口が同じくトラックの屋根がぶつかって欠けていたりするチョーボロイ国道を過ぎると、急に風景が変わって違う国に来たような、穏やかな丘陵がひろがる広大な土地に出る。
そこが、ぼくの大好きなカンタベリーで、いまはモニの希望でオークランドに住んでいるが、いまでもぼくにとっては「ニュージーランド」というのはカンタベリーのことである。

英語で「meadow」という。
英語のなかでも最も美しい言葉のひとつだと思うが、そのmeadowがあちこちに、どこまでも広がって、大海のような緑のなかを羊や牛が点在している。馬さんたちが、いつもの、あの寂しげな様子で立ちすくんでいる。
耳がよければ、北島とは、ずいぶん英語のアクセントも違うなあ、とおもうはずです。

ぼくはクライストチャーチという町がずっと好きだった。
主張をする、ということが苦手な、「一生」と言えば、ただ産まれてから死ぬまで我慢して死ぬ事だと信じ込んでいる、厳しい躾で育った礼儀正しいひとがたくさんいる町で、夏は天国というほか形容のしようがないほど美しい町だった。
ぼくの知っているクライストチャーチは地震で破壊されてしまったが、ようやく立ち入り禁止が解けたCBDに行くと、コンテナを色とりどりに塗った仮設の商店街が意外にかっこよくて、新しいクライストチャーチができあがってゆくのだなあ、と実感しました。
そしてもちろんunderstatementという英語の最も大事な文法が守れるクライストチャーチ人たちは、相変わらずそこにいる。

もしここから先にもドライブしてゆくのなら、デニーデンを通るハイウェイ1もいいが、ジェラルディンから折れて内陸を通っていくのもいいかもしれません。
ぼくは、むかし、夜中にここを通るのが好きだった。
行ってみるとわかるが、見渡す限り、ほとんど人工物がないこの道のまんなかで、クルマをとめて、手を伸ばすと手のさきがみえなくなるような真っ暗な闇のなかでヘッドライトを消して空をみると、「満天の星」というそのままのびっくりする数の星がみえる。
天の川が空をきっかりと区切っていて、目が慣れてくると南十字星もみえるはずです。ふつうのひとが南十字星と思っている星のすぐ傍らに小さく光っているのがほんものの南十字星であるのは、きみもガイドブックか何かで読んで知っていると思います。

あるいは満月のときなら、皓皓と、という表現そのままで、深い冷たい青色の牧草地がどこまでも広がっている。
人間が寝静まったあとに、自然がどんなふうに地球を感じているかが感得できるような風景で、ぼくは、よく人工のコバルトブルーで染め抜いたような広大な地平を丘の上からながめながら「lunatic」という言葉を思い出したりした。

クイーンズタウンは、ぼくが子供の頃はまだ小さな湖畔の町だったが、いまは冬には欧州をはじめ世界中から大金持ちたちが集まってくるパブとバーが林立する観光地で、もうこの頃はいかなくなってしまった。
インバーカーギルは、「The world’s Fastest Indian」
http://en.wikipedia.org/wiki/The_World’s_Fastest_Indian
の舞台の町です。
ニュージーランドらしい町で、というのは言い換えれば、寂しい感じのする静かな町で、人間が素朴というよりもむしろゴツゴツとしていて、すげー訛りで話すひとがたくさんいます。

きみが日本はうんざりだというのを、ぼくは、ハラハラしながらみているが、もしきみがワーキングホリデービザの期限いっぱいまでニュージーランドにいれば、きっと日本のよいところがわかってくるのではないだろうか。
もう賢明なきみのことだから知っているはずで、隠しても仕方がないから正直に述べると、ぼくは日本語と限られた数の日本人の友達は好きでも、日本の社会は嫌いだった。
「ものを考える」という機能を他人を不幸にする試みか、自分をおおきくみせることにしか使えない不具な魂は、いったいどうやって出来上がったのだろう、と考えることが多かった。
でもぼくは、どんな社会にもきみのような、じっと黙ってはいるが、明瞭によいこととわるいことを知っていて、必要なときには「ぼくは、そういうことは正しいとおもえない」と言えるひとがいることを知っている。
きみが日本を嫌いでも、日本という社会は、きみのような人間を必要としているのだと思います。

「You is kind,you is smart,you is important」という呪文は、人間を人間としてこの世界に生き延びさせるためにはもっとも有効な呪文であると思う。
どんな人間も、目的を達成しようとして夢中になったり、他人に負けまいと懸命に考えたり、あるいは自分を幸福にしたいと願うことにおいてすら、自分を社会の「部分」に変えてしまう危険と隣り合わせに生きている。
自分というものが、社会に参加しているだけの一個の「全体」そのものであって、自分の一生などは、そのゆいいつの伴侶である自分自身と相談してしか決めていかれないものであるのを忘れてしまう。
自分のなけなしの魂を社会(それは、よく「両親」や「配偶者」の形でやってくる。「子供」である場合すらある)が求めるジグソーパズルの一片に変形させて、その「社会がみた自分」の鋳型に鋳ぬいたときに火傷で痛む魂をひきずりながら、それでもまだ「部分」として機能しなければとマジメなひとほど一心に努力する。

旅は、そこから、見知らぬ土地の、小さな店で出会ったひとの、何気ないひとことで解放してくれる。見知らぬ町の日常は(あたりまえだが)旅人にとっては非日常で、土地土地の気温がちがうように、根底の考え方が異なっている。
淡水でしか泳いだことがないひとが海水にはいって身体が「ふっ」と浮くのに驚くように、まったく異なる言語がつくった異なる生活思想のなかで、魂が、ふっ、と浮いて、その軽い感覚にびっくりする。

ぼくはツイッタで、途方もなく無口なきみをみかけてから、ずいぶん長いあいだ話しかけようかどうか迷っていたが、おもいきって話しかけてみて良かったと思っています。

ここから先も、きっとずっと友達でいられると思ってる。

では。

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One Response to NZに来た日本人の友達に

  1. hrhkwgt says:

    >「You is kind,you is smart,you is important」
    自己評価が低い、というのは昔思い悩んでいたことでした。もう克服したのだと思っていたけど、それを持ちだされたということは実は治ってないのかなあと考えています。日本人の子供はその言葉の代わりに他者を思いやれ、と言い聞かされて育つ。(他人の心情なんて言葉に出して言ってもらわければ分からないものなのに。) 成人してからは他者を責めるべきところを勝手に自分を責めて自殺したりもする。自分は、自殺より他殺の方がまだましだと信じているので違和感を感じるところです。国なんてもっとみんなが好き勝手にやったって、あるいはそうした方がうまく回るという話ですし、頼まれもしないのに一人一人が全体のことを考えて生活するというやり方は、今のところ日本人に悲しい状況しかもたらしていないと感じます。

    もしあなたのツイッターとブログの読者でなかったら(こっそりと3年くらいは読み続けていると思います)ニュージーランドには行かなかっただろうし、海外に出るとすらしなかったかも知れないので、感謝しています。あなたの文章からは他の人が書いた日本語の文章では得られない知見を得ることができるので、大げさに言うとここ数年自分の指針にしてきたし、すべての日本語を話す人にとって宝物だと思ってます。ですので、他の人も言っていることだと思いますが、できるだけ消さないで下さい。

    日本人の学生が教室でほとんど質問をしないように、自分もまた、たとえばツイートひとつをするのさえ、こんなことを言って良いのだろうか、誰かに軽蔑されないだろうか、とかいちいち考えながら言葉を選んでいます。もっと下らないことを白状してしまうと、自分がどれだけ賢そうに見えるかということに無意識のうちに熱中して文章を推敲などしてしまったりします。結局根底は、あなたが嫌っているネットのイナゴのような人たちとあまり変わっていないなあと思いながら、少なくとも他の人とは違う考えを持つようにしようと虚しい抵抗をしていますが、本当は考えるのがはじめであって、その結果が人と同じ考えを持つか違う考えを持つかになるものなので、仕方ないですね。

    「砂漠の道」のところは夜中にInterCityで通りましたが様子はわからなかったです。一日早く知ってていれば車で走れたので残念です。

    Wellingtonには南島の行き帰りにそれぞれ数時間いましたが、帰りの時に多分この店、と思ってNasi Lemak食べました。ピクトンのベーカリーは発見できませんでした(_ _) 食べ物については不満を抱いたことはないです。ベジタリアン志向で、肉って要らないよね、と思っているのでステーキパイについては肉だなあ、とつまらない感想しか言えないです。パンはどこで買ってもうまかったし(あ、でもトースト用のはそんなに…)、エスニック料理はひと通りあるし、何よりどれが放射能汚染のリスクが高いかなんていちいち考えなくて良かったので天国のようでした。

    ピクトンからはひたすらクライストチャーチを目指して、日が暮れた頃に着いて封鎖されたCBDの周りを歩いて一周しました。美しい街だったのだろうと昔を偲ばせるヨーロッパ風の建物が悲しかったです。ここでは東北のことを思い出しました。

    次の朝5時に発って、SH1で郊外に来たところで南十字星をみました。ずっとオークランドCBDだったので諦めていたものです。カイクーラに寄ってピクトン、ウェリントンに戻り、そこからは飛行機で関空でした。南島人気質というものは結局わからずじまいでしたが、時々感じた朴訥さ加減は多分、自然が近くにあるからかなあと思います。宮崎に帰ってある種の老人に同じ雰囲気を感じたのが意外でした。

    meadow、いいですね。日本の生命力に溢れた(溢れすぎな)夏草を見て思い出しています。

    >きみが日本はうんざりだというのを
    小さい頃親に連れられて何年かあなたの嫌いな(^^)ドイツにいましたが、帰ってきてみると、髪を染めるという習慣ができていたのでしょう。西洋人のつもりなのか頭を焼きそば色やチャバネゴキブリ風の色に染めた人たちが当然のように堂々とそこらじゅう歩いていて、プッと笑うほかなかったのですが、幼心ながら、もう自分の国だった日本はなくなったのだなと思ったのが始めだった気がします。昔は、世界を愛したままでいようと思うのならば日本を口を極めて罵るしかない、と思いつめていたようですが、もう一度違う国を見てきて今は、どうでもいいや、どうせ家はないのだから、と思っています。

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