古い家に帰る


同じ町に1年もいるのはひさしぶりであると思う。
8年ぶり、だろうか?
ニュージーランドは良い国だが、人口が400万人しかない、しかも離れ小島のように他の文明から遠く離れた国である。
2000キロほど行くとオーストラリアがあるが、ニュージーランドと似通った、ニュージーランドに較べると人間が粗く、礼儀知らずの人間が多い社会で、むかしからわしにはあまり興味がもてない社会だった。
子供の頃は、かーちゃんの週末の買い物に付き合ってメルボルンによく出かけた。
ときどきは一週間ほどもいることがあった。
ヤラ川からあんまり遠くないToorakというところにかーちゃんのメルボルンの家はあって、そこから、あちこちに歩いてでかけたものだった。
くるまでダンデノンレンジという山へ遊びに行ったりした。

しかし、オーストラリアがニュージーランドよりも大きいと言っても、ただそれだけのことで、クライストチャーチの「牧場の家」からオーストラリアのハンターヴァレーに旅行に行ったときなどは、夜に着いて、朝になってカーテンを開けてみると、そこにあったのは牧場の家のエクステンションから見える景色と「寸分変わらない」と言いたくなるような風景で、かーちゃんも妹もわしも、ため息が出る、というか、2300キロだかなんだかを旅して近所の友達の農場へやってきたようなもので、うんざり、というのが正直な気持ちだった。

小さな人が旅行ができそうになってきたので、また元の生活スタイルに戻ろうかと考える。モニもわしも放射脳なので日本はダメである。
日本人のひとは笑うに決まっているが、しかし、モニとわしはどうしても日本へ行こうという気になれない。

メキシコも選択肢から外れてしまった。
最後にメキシコの内陸部にでかけたのは、あれはまだ結婚する前で、4年前のことである。

https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/メキシコのねーちゃん/

(日付が1970年になっているのは、この前アカウントを削除したときにタイムスタンプがぶっとんじったせいです)

記事には書いてないが、メキシコシティに寄ってからマンハッタンに帰るはずが、メキシコシティの中心部で銃撃戦が始まってしまって、わしがでかける用事があった場所は、そのすぐそばだったので、別の、シカゴでの用事を優先することにしてクエルナバカからまっすぐシカゴに向かったのだった。

メキシコの状態はおもわしくない。
理由は、言わずと知れた麻薬組織との戦争だが、もともとのバハ・カリフォルニアから戦争は拡大して、いまはアカプルコのような外国人観光客がたくさんいる町でも大量の首のない屍体がみつかったりしている。
それもコスコの駐車場、というような場所のことなので、結婚する前なら面白がってでかけただろうが、いまは、そういうケーハクな遊びをして喜んでいるわけにはいかない。

それでも、わしが大好きなプラヤ・デル・カルメンやトゥルムにまたでかけたいと思うが、セキュリティのおっちゃんたちは大反対で、誘拐を考えると責任がもてないという。
そーですか、としか言いようがない。
わしはモニと結婚してよかったとおもっているが、危ないところへ行ったり、あんないけないことや、こんな恥ずかしいことが出来なくなったのは、まことに残念であると思う。

モニさんは生まれたのはフランスだが、ニューヨーク暮らしが長かった。
マンハッタンはフランス人が多い町で、フランスのひとにとっては多分世界で最も暮らしやすい町だろう。
モニの家はUpper East Sideというところにあるが、モニさんがモニかーちゃんからもらった家で、わしのチェルシーのボロアパートとはえらい違いの豪勢なアパートである。

マンハッタンという町はおおざっぱにいうと、ダウンタウン(ヴィレッジ、イーストビレッジ、…トライベッカ)は気楽な「ざっかけない」町で普通に暮らしていて簡単に友達ができる。
馴染みの定食屋やバーも、どんどん出来てゆくので、あっというまに「近所のひと」になります。
わしガキの頃は、まだまだ危ない町で、よくひとが通りで撃たれて死んだりしていた。特にジャンキーのおっちゃんが多いイーストビレッジはみかけよりもずっと危ない町だった。いま人気のあるミートパッキングディストリクトも同じことで、当然ながら買うにも借りるにも安い、ということもあった。
最近はマンハッタンは世界一安全な町なので、それにつれて、たとえばイーストビレッジには日本の若い世代のひとが大勢住んでいる。
蕎麦屋もあれば、わしの好きなタパス屋もある、日本料理屋が並ぶその同じ通りにたこやき屋もあって、有名な「一風堂」も、ユニオンスクエアから歩いて2分くらいのところにあります。
えらい人気で、いつも行列ができいる(^^)
日本人だけ、というわけではなくて、いろいろなエスニックグループの人が辛抱強く並んで待っている。
わしはラーメンというものが、あんまり好きでないので行った事がないが、行って見た近所の友達によると、「めちゃくちゃ、うまいぜ」ということだった。

もともと日本人が多く住んでいて、義理叔父の家もここにあるミッドタウンのGramercyもいいところだが、モニとわしはチェルシーとヴィレッジの境界に近いアパートかモニのUpper East Sideのアパートのどちらかにいることが多かった。

小さな人が生まれてから、モニとわしの生活はおおきく変わった。
もっとも大きい変化は、「家の手伝いをする人」が大量にあらわれて、小さな人の世話や、料理、庭、この「家の手伝いをする人」をマネジングする人、というふうに家がなんだか零細企業みたいになってしまったことで、モニもわしも、そういう家で育ったので、ものごとがどういうふうに働くのかは理解しているが、わしはもともとがひとりでころころしているのが好きなので、ちょっと不満といえば不満です。

第一、ねーねー、モニちゃん、ちょっとつまんないから明日バルセロナに行くべ、というわけにはいかなくなってしまって、現に来週からラスベガスに行こうと思うが、たかがラスベガスに2週間だかなんだか行くだけの短い旅行なのに、先遣隊が派遣されて、ラスベガスで滞在するホテルをチェックして、気温が高いからこーゆー準備が必要だというようなことになっていて、まことに気が滅入る。
スコット探検隊か、わしらは。
第一、あのスコットおっちゃんは入念な準備が過ぎて自爆したんではなかったか。

だんだんわかってきたのは、こーゆーどんどん複雑になって、たくさんのひとを雇い、計画まみれになって、あーめんどくせー、ということになるのが「年をとる」ということの主要な一部をなしていて、もう、目の前の角をおもいつきでヒョイと曲がるようにして、適当に一生の針路を変えながら歩いてゆく、というわけにはいかなくなってしまったのである。

欧州は見ているうちに、わっ、いま動いたやん、になったピサの斜塔のようなもので、たしか補強工事をしたという発表があったはずだが、なぜかぐっと傾きをましている。
見ていて、よく倒れないなあー、メルケルって、偉いんでナルケルと思うが、おかげで凍死世界はチョー保守的になって、他人のオカネを回転させなければならないひとは、それでも細かく得点を稼いで忙しいようだが、自前のオカネ組は、もしかすると半分くらいの資金がケイマンでおやすみしてるんちゃうか、と思うくらい、全然外にでてこない。

自分のワタクシ生活を考えても、コスタブラバに家を買いたいとおもっているが、目の前の値崩れを思うと、ドケチな心根が発動されて、どうしても買えない。
まだいまの半分になるよねー、と思う。

つまり、いまのような昏倒寸前でへろへろと先延ばしに専念している世界では、あと20年くらい「日本化」がすすむにしろ、欧州中でギリシャってしまって、たとえばイタリアのような巨大経済が、どどどどどおおおおおーんとぶち倒れるにしろ、まだ「ケリ」がついていないので、ニュージーランドのノースランドにはケリケリという町があるが、ケリケリになって、もう次のケリはないなと思える日まで、おそろしくて何もやれはしない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kerikeri

わしの会社ではたらく人たちの収入はチョー高いので、そのぶんくらいはめいめい稼いでいるよーだが、あんまり大きな凍死をしたい気持ちにはなれない。

考えてみれば、わしの同類のひとびとも、すだれハゲのサラリーマンのおっちゃんも、なんだかうつ病みたいで頭がぼんやりして嫌だなあ、と思って暮らしている主婦も、みな同じなわけで、「こんなんじゃオカネ使えないなあー」と思っている。
そうするとオカネのほうはタンスの引き出しからケイマンの銀行口座に至る、さまざまな場所でへたりこんで、運動性を失っている。
それが不景気のおおきな要因のひとつとなっていて、なぜなら、人間の心理に疎い経済学者がいつもどじるので判るとおり経済は一面、人間の潜在意識の生む怪物だからです。

子供がいうようなことを、と思う人がいるだろうが、しかし現実の問題として、100フィートを超えるヨットをもち、12の寝室のそれぞれにオンスイートがある家に住み、会議の時間に間に合うようにベントレーを運転してでかける「ゴールにたどりついたひとびと」が、いまの経済の枠組みを少しでも長く、というのは、簡単に言ってしまえば自分達が死んで破滅をみないで済むところまで事態を伸ばしてしまえば、それで、少なくとも責任を感じなくてすむ、という、誰も口にはしないが、明かに大きな理由になっている事実によて、なにもかもが先延ばし先延ばし、さあーきーのおーばあーしー、にされていくことには、そうやって誰も彼ものオカネを使う気持ちを打ち砕いてゆく、という効果がある。

一方で、これからアントンプレナーでいくべ、と考えている若い衆にとっても、IT世界のように市場がいまの8割サイズに縮小してもまだ技術的なブレイクスルーによる、おおきな伸長余地がある分野は別にして、「市場」というものを考えると、やる気がでるほうがどうかしている。

そうやって宇都宮の釣り天井のようにじりじりと空が落ちてくるというべきか、あるいは水がだんだん増えてきて、やがては溺れるにいたるシヨン城の地下牢というか、そういうフラストレーションに満ちた経済の世界が、まだこの先に控えている。

元の生活に戻ろうと思う。
元の生活、というのは、ブログ記事をむかしから読んでくれる人は知っているとおり欧州とニュージーランドを往復する生活のことで、2006年から2010年にかけてはときどき一ヶ月から数ヶ月、日本に遠征したりしたように、そのあいだにはアメリカやアジアのどこかに寄ってすごしたい。
今度はマンハッタンも外せないので、欧州に6、7,8月といて、9,10、11月をマンハッタンで過ごして、12、1、2月をニュージーランドで過ごす、とゆーよーな、そーゆー感じになるだろーか。
3、4,5月は、どーすんだ、と当然読んでいるひとも思い、わしも思うが、考えていないものは仕方がない。
もしかすると欧州を6ヶ月にするのかも知れないが、たとえばロンドンに3ヶ月残りをバルセロナかイタリアのどこかで3ヶ月いるとすると、どうせ朝はカバで昼からあとはずっとヴィノ・ティントな生活になってしまうのに決まっているので、アル中になってしまう。笑うひとがいるかも知れないが、大陸欧州のスペイン・フランス・イタリアの3国に長い間いるときには、これは冗談にならない深刻な問題で、あんなにうまくて安いものが目の前のテーブルに、どん、と置かれていて一杯でも4杯でも、一本が空になるまで飲まなければお代は同じです、などとゆわれた日には、そういう店を二三軒もはしごすれば、立派にアル中で明日は吾妻ひでお先生なのである。
あのひと、いまはお酒やめちゃったみたいだが。

イタリア語が、ちゃんと話せないのでイタリアにしばらくいるのも良いだんび、とも思うが、
イタリアに、ずううううううっと住んでいる「すべりひゆ」どんに訊くと、パウ朗(すべりひゆのイタリア人旦ちゃんの名前である)、及びパウ朗伊人友達との4者談合によれば
モニとわしの「山の家」があるコモ湖よりもヴェロナ郊外のほうがよいのではないか、ということだった。
もとよりコモの「山の家」は「住む」というのではなくて、一ヶ月、夏の湖面に浮かべたボートで、モニさんの膝枕で眠るための場所なので、
ミラノがいいべかしら、と漠然とおもっていたが、どーもイタリア諸人はこぞって反対であるよーだ。

と、ゆーよーなわけで、わしはさっそく生活改造にとりかかっておる。
会社の改造ははやくからすすめていて、このブログ記事に出てきたひとびとでゆえばバルセロナのひとびとは、ロンドン、シンガポールやアメリカ東海岸、あるいは豪州に分散している。
もうあんまりバルセロナに拠点をもつ意味がないからです。

そろそろインドに進出すべしかなー、初めはバンガロールがよいがケララやコルカタは、どーなんでしょー、と考え始めたので、インドに行きたいが、目下先遣隊が斥候偵察作業中である。

わしは楽ちんが好きで、部屋のなかで、なまけて、ころころしているのが大好きだが、1年も居続けていると、さすがにニュージーランドそのものもころころも飽きる。

また、でかけなければ、と考えて、ワードローブの旅行鞄を見上げているところです。

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One Response to 古い家に帰る

  1. AK says:

    記事読ませて頂いて、いいなあという感想と、大変そうだなあという感想の両方を持ちました。現在のわたしは単なる会社勤めのITエンジニアですので、ある意味気楽な稼業なのかもしれません。

    日本の危機は見えない危機(測定すれば見えるけど)、メキシコの危機は見える危機(生首ころがってるし)、という対比ですね。
    確かに現在のメキシコ都市部の麻薬マフィア抗争の激化は、ちょっと手が付けられない状態のようで、先遣隊による現地視察、以前の問題でしょう。
    しかしその現地の連中にしても、某極東島国の核エネルギーマフィア同様、カネのためにやっているわけです。抗争が激化しているということは何らかの理由で「上納金」のノルマが厳しくなっているのかもしれませんが、そのカネの流れを解明しないと根絶は難しいでしょう。流れの行き先は欧州か北米の二択でしょうけど。
    ガメさんが仰る「オカネのほうはタンスの引き出しからケイマンの銀行口座に至る、さまざまな場所でへたりこんで、運動性を失っている」現状とも、関連があるのでしょうか。

    わたしの11年前のニューヨーク旅行は、上司が9.11の週なら休暇認めると言うところをなぜか強引に一週間前倒しにしてもらい難を逃れましたが、犠牲者の方々は本当に無念だったと思います。自分が何気なしに立ち寄ったWTCがTV画面の中で崩壊していく姿を見て、これからも自分の直感に忠実でありたいと思ったものでした。
    今年の夏は、
    http://www.jpost.com/NationalNews/Article.aspx?ID=276949&R=R1
    のような情報もあるので、残念ながらロンドンは候補から外しました。

    ガメさんも、ご自分の気持ちに正直に、正しい判断をされてきたのだと思いますよ。

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