悲惨

ずっと昔に「『純粋さ』について」というブログ記事
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/10/01/「純粋さ」について/
を書いたことがあったが、今度は違う種類の純粋について書いてみようと思う。

一部のバカタレな「放射脳」のひとびとを別にして、日本でも福島第一事故はすっかり落ち着いたよーである。
福島自体の復興もめどがつきだしたようで、復興につきもののアコモデーションの再建にしても副島という人が「ホテル放射能」建設構想をうちだしたりしている。

メード・イン・ジャパンの放射能がいかに安全か、という啓蒙活動も、ようよう進捗をみるようになって、たとえば伝統ある京都大学医学部出身の医師などが、パワーポイントのプレゼンテーションをつくって、

*少量被曝は天使の微笑み(50mSv/年でも)
*今後福島県では、がん患者が減少する
*少量の放射脳食品はプレミアがつく

というように、科学のわからない愚かなひとびとが考えるのとは異なって少量の被曝がいかに健康によいかを述べた上で、

*福島県は日本一の健康ランドとして人が集まってくる
*未来は明るい!

と、啓蒙にも力がはいっている。

真正科学教団も相変わらず壮健であって、ピタゴラス教団と異なってたいした科学的貢献がないのは痛いが、相変わらず、無知で理科が3以下だった「科学にまつろわぬものども」を、だんだん彰晃様に似てきたとゆわれる教祖を中心にびしびしときびしく取り締まっている。

わしも科学をベンキョーしたが、あの苛斂誅求はかなり気持ちがいいだろうとおもって、いつもうらやんでおる。
「おらあー、貴様、科学の『か』の字も知らんくせに、放射能をこわがるなんて、いっちょまえのことをやっていいのかあ。もっと、しっかりベンキョーしてからこわがらんかい。おらおらおらおらあ。こおのアマッコが、ナマイキな口を利くと微分しちゃうぞ微分しちゃうぞ、おじちゃんがおもうぞんぶん微分して、らちをたっぷりあけて、お嫁にいけなくしてやる」

地道な研究に較べて無知な大衆の啓蒙というのは、華やかなものであるなあ、と思います。

陸軍幼年学校は、1872年に設立されて、1945年まで存続した。
日本語ウィキペディアをみると、
「幼年時から幹部将校候補を純粋培養するために設けられた陸軍の全寮制の教育機関。旧制中学1年から旧制中学2年収量に受験資格を与えた。プロイセンのKadettenanstaltに範をとって設立された」と書いてある。

要するに軍事指導に必要な教育のみを行って、その他の余計なことはいっさいやらせないで将軍と参謀をつくってしまおうという、「ムダのない軍人教育」を狙ったわけで、
日本の戦争指導を行ったのは、この学校を出たひとたちだった。

昭和天皇が溺愛した東条英機という将軍も、この学校の出身で、出身であったのみならず、この学校出身者の典型的な人格の持ち主でもあって、遊びのような余計なことはいっさいやらない努力家で、刻苦精励、いっときもゆるがせずにベンキョーした。性格は素直で、級友にも愛され、そのかわり「正しくない」ことはどのような些事でも決して赦さず、相手が青ざめて平伏してもなお怒鳴りつけるのをやめなかった。
上で述べた真正科学教団の教祖なるひとも、まわりのひとに性格を愛される
「かわいい男」であり、学者の父親をもつ2代目研究者だが、東条英機もやはり父親も将軍で日露戦争に歩兵第三旅団長として出征しています。

ところで、この純粋培養された将軍たちは自他共に認める「世界でも最優秀の軍事の権威」で、相手方の連合王国のように、ポロの試合から帰ってくるドラ息子に「ちょっと、あんたアフリカで将校たりないから行ってきてよ。位は、そーだなあー、大尉じゃ、ダメ?」とかっちゅうような、チョーえーかげんなシステムで生まれた将校たちとは、当然、比べものにならない軍事知識があった。
アメリカが飛車をふってきたらアナグマになってこもる、とか、そーゆー定石についても兵棋演習を重ねてプロ中のプロであった。

不思議なのは、それであるのに、蓋をあけてみると、作戦もなにもいらないイケイケですむ劣勢な二線軍を相手にしていた戦いはチョーシこいて勝っていたのに、開戦百日を経て、マジな戦争になってくると、ボロ負けにボロ負けをかさねて、あまつさえ、
「日本の将校って、なんであんなにワンパターンな失敗するんだ?学習能力っちゅうものがないのか?バカなんじゃねーの?」と、西洋世界きっての弱兵団でしられるアメリカ人たちにまで言われる始末だった。
へーたいはまっすぐ走ってきて機関銃で撃たれて死ぬだけだし、将校は火網のまんなかにとびこんできて、すすめえー、すすめえー、しかゆわない。
兵力が減ってきて、「そろそろ夜襲にくるかなあー」と思っていると教科書どおり、そのとおりの夜襲にきてぶち殺されて、夜襲二回失敗して、兵力ないから、もうすぐバンザイ突撃だろう、と話していると、ほんとうにバンザイと叫びながらつっこんできて、なんだか戦争の相手をしていて悲しくなるほどバカだった、と太平洋戦争で日本軍と戦った米軍将校が述べている。

だいたいドキュメンタリで戦時中の連合軍側将校の証言を聞いていると、言う事が決まっていて「教科書どおりのことしかやらない」「失敗しても、まったく同じ方法で繰り返し攻撃してくる」

日本側の記録を調べてみると、なんのことはない、適当に頭でひねくりまわした理屈で戦闘を「指導」しておいて、負けると誰も責任なんてまったくとらずに、さっさと後方に飛行機で逃げては、また同じやつが戦闘指揮をとっていたりするのです。

有名な例でよく挙げられる名前を述べると辻政信というひとは、上にはさからうが下には篤い、部下思いの温情のひとだった。
行軍演習で倒れる兵隊があると、自分がその兵の背嚢を背負い、銃を肩に、励ましながら行軍を続けた。

このひとが、軍事の専門家はおれたちだ、鼻提灯をふくらますボケた将軍たちのような素人になにがわかる、と服部卓四郎と組んでたきつけてまわったノモンハン事件は、近代火力戦を理解できなかった日本陸軍の無惨な全面的敗戦で、ソヴィエトロシアの指揮官ジューコフは、この快勝によって猜疑心の深いスターリンの信任を勝ち得てゆく。

面白いのは、ノモンハン後の日本側の反応で辻政信は「戦争は負けたと感じたものが、負けたのである」と述べて、負けたが、自分は負けたと認めていないのでノモンハンは勝ったといえる、という強弁で終始していっさい責任をとろうとはしなかった。

しかも歴史を読んでいるひとが椅子からずるっこけそうになることには、この服部・辻コンビは、ノモンハンであれだけのボロ負け…しかも純粋に作戦構想の失敗が原因であることが明かなボロ負け…をこいておきながら、ほとんどおとがめもなく、短期のいいわけじみた左遷のあとで、作戦企画中枢にもどってくる(^^;)

辻政信は「将校は西洋人で下士官は大部分が土人であるから、軍隊の上下の精神的団結は全く零だ」という、「土人」の側からみると、ほんとやんね、としかいいようがない
「これだけ読めば戦は勝てる」という題名の、冒頭の京大出身福島県医師のプレゼンテーションと似ていなくもない小冊子をつくってマレー作戦に臨み、シンガポールで6000人だかの無防備の市民である華僑をあんまりたいした理由もなく全部ぶち殺して、作戦班長に栄転します。

作戦班長に栄転してからの辻政信は連合軍にとってはまさに自分達の勝利の女神の参謀のようなものであって、ポートモレスビーのチェーンソーでも切れない蔓が充満したジャングルを「銃剣で切って進めばよい」といって定規で、さっと直線をひき、「この通り島を縦断してすすめ」と命令して、たくさんの日本兵を人肉共食いの地獄においやったり、ガダルカナルでも以前に総攻撃を行って失敗した地点を、もういっかい攻撃することを固執して「餓島」と呼ばれた島嶼作戦の潰乱をまねいたり、終戦間際のビルマではイギリス軍捕虜の人肉試食会を行って士気を盛り上げたりして、敗戦を迎えると連合軍の処刑をおそれて、とんずらをこいてしまう。
同じ日本人同士なら責任など追及されなくてチャラでもガイジンは理屈っぽいから、そーはいかん、ということを知悉していたのでしょう。

しかし、辻政信というひとは、責任を認めないで美談を述べていれば、そのうちころっと欺されて、自分達を地獄におとしいれた者を尊敬しだす、という日本人の不思議な心性を心から熟知していたひとで、ほとぼりがさめた、というのはアメリカ軍による日本占領がおわった1950年に日本にまいもどると、1952年には、衆院議員に当選して再び日本の選良として人生を送ることになる。

辻政信は、いまの東電役員や政府の閣僚と同じに
、世の中なんてチョロいもんだ、と考えたに違いない。

明治時代、近代国家としての日本の完成を急いだ明治政府は、田舎のたんぼから拾い上げたひとりの若い秀才にひとつの大事業をまかせる、という世界の歴史にも珍しい方策をとった。

例として適切でないかも知れないが、高木貞治という若者は「数学はおまえがやってこい」というので、ドイツにひとり送り込まれ、伝説によれば初めは小学校のクラスにいれられたりしながら類体論を確立して、さらに日本の数学教育を確立した。
わしなどは、このひとがやった日本の近代数学の夜明けというべきものを見て、全部ひとりでやったんですかあー、冗談だろ、と思いました。
そのくらい、なんちゅうか、thoroughな仕事ぶりだった。

法学では「日本民法典の父」と呼ばれる梅謙次郎がリヨンに派遣されるし、女子教育は津田梅子がひとりで背負って帰ってくる、というふうだった。

全部、とは言えないだろうが、日本社会が選良に責任をとらせたがらないのは、
「人材が決定的に足りない」という強迫観念が働いている結果にみえることがある。

スターチームばかりがあって、第二第三のチームがないので、スターが失敗したときに、スターに責任を負わせるわけにはいかないのだ、という事情があるようにみえます。

わしは、ほんとうは、そんなの、どんどんクビはねちゃえば、いなさそーにみえても、ちゃんと代わりはいるわさ、と思うが、日本のひとはそう思わないよーだ。
思わないよーだ、というのは、自分が面談した2,3の役人衆などを思い浮かべたりして言っているので、どうも彼等は「わしらの代わりなんておらん」という自信に充ち満ちているのみならず、「なんかあってもクビになんかなるわけないもんね」とタカをくくっていたよーな気がする。

相手側の、というのは連合国側からみて、多少とも評価が高かった日本陸軍の将軍達、今村均、栗林忠道、本間雅晴、というようなひとたちが何れも傍系と蔑まれた「普通中学出身者」で、幼年学校の卒業生でなかったのは、よく知られている。
他の将軍たちから、いっさい削ぎ落とされた「ムダ」が、いかに彼等の見事な指導者としての資質を支えていたかは、たとえば今村均の「オランダよりも遙かに素晴らしい」と言われたインドネシア軍政を眺めればよく判る。
もうひとつ、この三人の将軍に共通しているのは自己の指示と行動に対する「責任」という感覚にすぐれていたことで、頼まれもしないのに部下達がいた劣悪な環境の現地収容所に東京の快適な収容所を拒否してまいもどった今村均にみられるように、このひとたちの念頭には常に「自分の行動への責任」ということが自分が指導者という、ときに非人間的な指示をださざるをえない立場にいながら人間でありつづけるためのよすがになっていた。

世襲や純粋培養の教育は、本来人間性が必要な「群れを導いて行く役割の者」からムダをとりさり、絵に描いた餅を食べられるものと錯覚させる現実感の喪失をもたらす。
自分が出した命令に「責任」など露ほども感じなかったどら息子のウサマ・ビン・ラディンが「頭で考えてみて、素晴らしい作戦とおもった」ハイジャックした旅客機で国際貿易センタービルにカミカゼ攻撃を行わせたり、もう一方のどら息子ブッシュジュニアが、その仕返しに軍隊を送り込んで、ロボット兵器で人間を蹂躙してぶち殺してまわったりしたのは、その、「現実感を喪失した」おぼっちゃまたちの「指導」の典型とも言えるだろう。
ふたりのどら息子の、ゲームのスクリーンのなかの世界の半分ほどもない現実へビジョンのなかで機械で挽肉にされるようにして死んでいったひとびとは、哀れというほかはない。
目的に向かって効率化されることだけに集中してつくられた頭のなかの世界では、
理屈さえたてば放射能はいくらでも無害になり、たとえ、その見積もりが誤算で何人かの子供が死んでも、今度はそれは「国の経済が発展するためには無視できる程度の誤差とも言えない小さな数字」になる。

達成のみが目的となった、いわば純粋でケーハクな価値世界のなかでは、ひとりひとりの人間など、代替可能なネジほどの重要性もないのだから、あたりまえなのだろうと思います。

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