Monthly Archives: August 2012

35%

チェルノブルの事故によってロシア人たちに実感されたのは自分たちにはかけらも自由がなく、あるのは巨大で抑圧的な全体主義だけだ、という事実だった。 そんなことは普通のときでもわかっていたでしょう、というひとがいそうだが、体制のなかにいる人間には意外とわからないものなのはゴルバチョフが辞任した頃に大量に渡ってきたNYCのロシア人たちと話していると事情がよくのみこめる。 ひとつには「なか」にはいってくる情報はいちいちフィルターがかかっているせいで、アメリカの自由といってもみせかけだけで、資本家達に紛い物の自由を玩具のように与えられて自分達は自由だと錯覚しているだけだ、あるいはものごとを観念的にとらえやすい質のひとなら自分達の社会は不自由に見えてもプロレタリアート的な自由はおのずから資本家豚が支配する社会の自由とは異なるのだ、…人間は変革をおこさないためなら、ありとあらゆる口実を設けられるほど本質的には怠け者なのである。 発見される嚢胞の大きさをわざとデータに残っている嚢胞の大きさと異なるサイズにする欺瞞によって前例とうまく比較できないように注意深く発表された福島県の子供達の「良性」嚢胞の35%以上という数字は、しかし、姑息な隠蔽意図を…結果として公表せざるをえない数字が政府側の予想を遙かに越えてしまっていたことにおいて…「放射性物質は『少量』でもおおきな被害をおこしうる」という多数派科学者たちの「自分達の科学常識に基づいた証明できない予測」を明然化することになった。 政府側にいて、福島第一発電所事故という絶対に起きてはならなかった事故が起きたあとの、国家としての日本をなんとか破綻から逃れさせるために、ケーハクと目星をつけた学者や文化人、知識人を総動員して、ありとあらゆる手を使って国家の破綻を避けようと努力している役人たちは、結果をみて愕然としたに違いない。 自失ボーゼン、というほうが近いかもしれない。 なにしろ基準になる大きさを変更してあるので確としたことは言えないが、通常ならこの種類の「良性」嚢胞は5%以下であるはずと思う。 基準の大きさによっては1%以下という人もいるほどなので、35%というのは、どうにも暗い予測なしに誤魔化してしまうにはおおきすぎる数字であるだろう。 インターネットで定点観測のように定期的に眺めている日本の人のツイッタやブログを読んでいると、はっきりと動揺が伝わってくる。 悪ふざけの冗談で韜晦している「学者」、それでもなんとかこの怖ろしい調査の結果を「まだ安全だ」という結論にもちこもうとする「言論人」、それみたことかと嵩にかかる、よく考えてみればなんのために原発事故による危機を叫んでいたのか忘れているのかもしれない「反原発人」、異なる立場で、しかし、動揺は同じである。 ロシア人と日常的なつきあいがあるひとは知っていることと思うが、日本人やアメリカ人がぼんやりと考えるのとは違ってロシア人自身のソビエト連邦崩壊の印象は「チェルノブイリ事故の結果」だった。言い古されたことでこうやって書くといかにも陳腐だがあれほど仲が悪いウクライナ人とロシア人には共通した強い信仰があって、それは「自分が生まれた大地」への信仰である。 政治がどれほど混乱しても、経済が破綻しても、ウクライナ人にとって「わたしが最も愛するのはウクライナの大地」という気持ちは変わらない。 うまく書けないが、それは日本人が「わたしの愛する日本」というときと少しおもむきが違って、どう言えばいいか、自分がウクライナの大地から分裂した土塊であるとでもいうような、不思議で神秘的な感情であるように外国人には見える。 では、将来はウクライナに戻ろうという気持ちがあるのか、と聞くと、「とんでもない!」と一笑に付す。夫婦で「なにをバカな」と笑い転げている。 チェルノブルは、そういうロシア人やウクライナ人たちの「土地」そのものを神のみが実感できる長さの時間に亘って汚染してしまった。 一方で、ソビエト連邦時代、ロシア人は自分達の技術について不動の自信をもっていた。 歩兵が展開する最前線のすぐ後ろに緊急不時着しても、(コンポーネントが基本的な工業製品…たとえば車輪がジープのタイヤと同じもの…で出来ているせいで)すぐに修復して再び飛び立って行ける最高速度がマッハ3を越える戦闘機、西側のお嬢ちゃん戦車とは異なって圧倒的な自走性をもつ戦車、言うまでもない、アメリカに対して終始一貫優位を保っている(はずの)宇宙技術、あるいは数学・生物分野でみせる独創性、トルクメニスタンを中心とした、西側諸国の研究に較べて(人間の文明の根源を探求することにおいて)遙かに本質的な考古学、ロシア人の側から見れば科学技術の世界では西側全体を圧倒するほどの科学と技術の先進性だった。 競争原理を放棄した結果の生産性の低下からくる物資の不足や言論の自由のなさ、当時はあまり伝えられなかったが主にドイツを通じて伝わってくる西側の若々しい文化もロシア人たちのフラストレーションの種になっていた。 ソビエト連邦はちょうどいまの日本に似て極端な老人支配国家で政府から商店に至るまで社会の存在意義そのものが50代以上の老人たちのためにあった。若い人間の老人支配からくるストレスは想像を絶するものであったようで、わしは当時の「若者」のロシア人から一枚のジーンズを手に入れるための、あの手この手、(笑ってはいけないのだが)抱腹絶倒の苦戦力闘を聞いてお腹がいたくなるほど笑ったことがある。 1986年、チェルノブイリの事故はすべてを変えてしまった。 マスメディアなどまったく信用するに足りない、と熟知していたウクライナ人やロシア人は、無論、最小限必要な情報を比較的はやく伝播させるための慣習と呼びたくなるほどの習慣をもっていた。 西側では事故の情報がロシア人たちに伝わったのは、スウェーデンからの検出情報による、ということになっているが、少なくともウクライナのインテリゲンチャは即日に起きた事を知っていたようである。 欧州中に散らばっているいま20代後半から30代前半くらいのロシア人やウクライナ人たちは、自然、教育が高い両親のもとで育ったひとが多いが、そのときの「血相を変えた」両親の様子、遮二無二逃げた脱出劇、という「映画のような」子供のときの体験を聞かせてくれるひとが多い。 「両親のおかげでわたしは助かった。大丈夫だと考えた家の子供たちは…」と続く話は、ここには書けない種類のものである。 個々の国民と国家の関係には、「閾値」のようなものがあって、ある一定の不信を越えると理屈よりも感情が冷え込むものであるらしい。 ロシア人やウクライナ人の話を聞いていると、チェルノブル事故後5年ほど経過してソビエト政府は国民に「見捨てられて」しまう。 政府の言論弾圧は許せない、というような言説がどれほど正鵠になされても起きなかった政府からの離反が一個の原発事故によって「感情的」に起きたような印象がある。 西側からみれば、ソ連の国歌の存続を軍事威信にかたよせてみるひとはアフガニスタンでの無惨な敗北を挙げ、経済がすべてさ、という人間は最後期には原料を加工することによって価値が減価された製品ができるまでにおちぶれたソビエトロシアの非生産生を挙げる。 しかし、国土だけではなく「ロシア」というものに多国民の常識では理解できない臍の緒で直截つながったような愛情と誇りをもつロシア人から言うと、国家崩壊の原因はあくまでチェルノブルなのであるらしい。 「政府を愛せなくなった」という。 愛想がつきた、のだろう。 あんまし言いたくもなければ、いまの日本社会の状態では言っても仕方がない感じがするので、何も言わないが、放射能が安全なのは日本の放射能だけで、チェルノブルはまともな世界の一部なので、そうはいかなかった。 「いまでも、まだダメ」なので、興味があるひとは自分でyoutubeなりなんなりを見ればいくらでも動画が出てくる。 行ってみればわかる、ロシアに近い側を旅行するにつれて、不思議なことが起きて、あれほどアメリカビーフを嫌いな欧州の高級レストランに、いまでも、わざわざ「アメリカンビーフ」と狂牛王国のビーフが麗々しくのっている。 レストランのにーちゃんに訊くと、ほら、あれですよ、ロシアのあれ、ともごもごという。 そーか、忘れてた、と思います。 あるいはニュージーランドの鹿肉はドイツ人があらかた買っていってしまうが、それももちろん「あれ」のせいである。 いまでは日本人は事情がわかるにつれて「放射性物質が安全だと信じている愚かなひとびと」という汚名を着つつあるが、ツイッタでも少し書いた、ふりかえってみると、日本人は実は心の底では全員が「放射性物質は危険である」と知っていたのではないか、と考えることがある。 こんなことは西洋の理屈で育った人間に言えば、わしのほうが頭がおかしいのではないか、と言われそうだが、しかし、どうしてもそう思えるときがある。 嚢胞調査の結果発表からこっち、なにごともなかったかのようなふりをして、ツイッタで軽口ばかりを延々と述べている自称科学者(あれほど科学的方法を尊重しない態度では最早科学者とは呼べないだろう)大学教員や政府人、放射能をこわがる母親たちを「放射脳」とまで呼んで嘲笑した日本人たち、わけても「インターネット市民」たちも、実際には、初めから「放射能は危険だ」と思っていたのではないか。 … Continue reading

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語彙と幸福

欧州人はむかしから「幸福とはなにか」という論争が好きで、文学史のようなものですらところどころに「幸福論争」がある。 「幸福」なんていかにも正体が判らない、と考えたからでしょう。 無駄が嫌いなひと、というものがある。 日本の帝国海軍士官は「階段を上り下りするときは必ず手になにかをもって上り下りしろ」と教わるので戦争が終わっても2階建ての家にすむと二階にあがるときには本来二階にあるべきもので一階におかれたものをもってあがる。 ちょっと見渡して二階にもってあがれるものがないと、やりきれないような、運に見捨てられたような、寂寥にとらわれるそーである(^^) あるいはタクシーの運転手をしていてクルマを止めてお客を降ろしたところで客が乗り込んでくる幸運に遭遇すると一日幸福である、というひとがある。 同じ運転手は路傍で手を挙げているひとを見てクルマを寄せていったのに他のタクシーに客をすいっと掠われると窓を開けて、おもいきり罵る。 ロンドンのタクシーの運転手などはむかしから柄が悪いので有名なので帝国陸軍自慢の速射砲のようにf言葉を連発する。 指をたてたりする。 最近は、アメリカ風に中指だけ立てる運転手も散見されるよーである。 考えてみると、この種類の幸福は「時間の生産性」を基準にしているわけで、「自分の時間がなにもうみだしていない」状態には耐えられない人の幸福感です。 別にそれでわるいことも、なにもない。 幸福の最もよい定義は「一日が質の高い充足で満ちた時間で出来ていること」であると思われる。 だから当然「幸福」はひとによって異なる。 わしは勉強が嫌いな子供ではなかったが、オトナを困らせるために「勉強はなんのためにするのか?」と訊くことはよくあった。 さすがに「将来よい職業につくためだ」というような下品なことを口走るオトナには会ったことはなかったが、「正しい人間になるためだ」という意味のことを言うオトナはいて、子供心に、なんだかそれはヘンな理屈なのではなかろーか、と考えたりした。 わしの「正しさ」への理解では身の回りで最も行動が「正しい」のは犬のJと猫のMとAであって、注意してみていてもMやAが二匹並んで、肩をよせあって、猫族の出エジプトの歴史を勉強したりする姿は見たことがなかったからである。 Aなどはガキわしが冬の夜にこっそり起きて眠りかけたときに考えついた数学のおもいつきが正しいかどうか机の明かりをともして紙に書いてたしかめていると、外側から窓にはりついて虫を懸命につかまえている。 つかまえた虫を端から口にいれて満足げな表情を浮かべたり顔をしかめたりしてる。 Mのほうはテラスの柱の上に座って冷ややかにそれを眺めていたかと思うと、さっさと猫ドアから部屋のなかにはいってカウチでごろんと寝てしまう。 どう見ても幸福に暮らしているので、しかも「正しい」行動で一日を満たしているが、勉強はしているように見えなかった。 夏の北イタリアの湖に面した家で、モニがすやすやと眠っているのを見ながら、テラスに座って、湖を通航する大小の船をぼんやり眺めて、チョーひまをこいているときに、ふと考えたのはベンキョーは、これからあと、ずっと年をとったときでも幸福でいるためなのではなかろーか、ということだった。 チョーひまをこいている、と書いたが、それは早稲田自然文学式客観記述、であって、わしは何もしていないときほど頭のなかでいろいろなことを考えている。 (ほんとよ) アントシアンのせいで青い、から始まった花についての知識は色彩の定義から始まって、頭の中で「画像」として意識される視覚信号の実体、紫外線が「見える」蜜蜂の世界はどんなふうな色彩で構成されているか、そーゆえば自分でも(物理的意味ではなくて幾何的な意味の)5次元まではなんとか見えるが7次元はどんな姿なのか、巨大蟻が襲撃してくるハリウッド映画があるが外骨格の生き物が大きくなる限界は実際はどのくらいか、その前にあの構造だとデザイン的にゆって食べ物がうまく消化できないのではないか、「15メートル女の襲撃」という有名な映画 http://www.imdb.com/title/tt0051380/ があるが、あの巨大な女びとのニッカーズは誰がいつ作ったのか、それとも穿いてないのかしら、じゃ、いまにも踏みつけられそうになりながら巨大女びとを見上げてる男共が顔をひきつらせていたのは、女びとの身体全体の大きさよりも、…と延々と考えている。 考えているだけで幸福になってしまっては変態だが、ふつーにオベンキョーをすると、ここで変調、というか、自分の意識がぐっと昂揚する方向に考えをもっていくのが容易であって、どうもそのことには「組織だった知識」なりなんなりというオベンキョー世界の産物が関与しているよーな気がする。 幸福は死へ向かって準備する最上の方法で、細胞のすみずみ、魂のあらゆる細部まで幸福にしておくことで人間はいつやってくるかわからない死を、「あんまり相手にしないでよい事象」として感じてゆくもののよーである。 ホールウエイを歩いて小さな人の寝顔を眺めに行ったり、モニが眠っている顔をみていたりするのは、どう表現していいか判らないくらい楽しいことだが、その感情は実は言葉でできている。 猫がモニさんの寝顔をじっと見つめていることもあって、もしかすると猫のことだからほんとうは猫語で構成された感情でうっとりしているのかもしれないが、いまのところの人間の知見では、猫はなにも考えていないので視覚だけで幸福になる、というのは難しいように思われる。 人間は500語くらいから言葉で構成された感情をもつのではないだろうか。 その当然ながら粗野で観念的と呼ぶのも憚られるほど粗放な感情が、10000語を過ぎるころから、ややなめらかな再構成された現実に近いものになってゆく。 そうして(たとえば欧州語ならば)言葉が世界と照応した感情を構成するのは50000語くらいの語彙の集合であると思う。日本語と欧州語を同じ「語彙数」で較べるのは無意味に近いが感覚的に述べて同じ照応を構成できるのは70000語くらいであると感じる。 あるひとが目の粗い麻のような肌をも傷つけそうな一日を送るのに、他のひとが絹のように滑らかな感触の一日を送るのに、彼女もしくは彼がもっている(広義の)語彙数のサイズがおおきく影響するのは、わしにはほぼ自明のことのように思われる。 「退屈」というようなことは語彙が十分に意識をうめきれないから起こる現象で、 単調な繰り返しを強要される場合は別にして、何もしないときに退屈するのは、自分の意識がもちえたキャパシティに語彙のおおきさが届いていないからであるに違いない。 われわれは現実のなかに生きているが、現実とはなにか、というのは昔から人間を狂気に陥れやすい質問である。 そんなことをいっても現実は現実ではないか、というひとは、前にも何回か書いたが、上下が逆に見えるプリズム眼鏡をつけて1ヶ月暮らしてみるだけでもよい。 思考とはなにか、意識とはどんな実体をもっているのか、時間は意識にとってどんな作用をもっているのか、あるいは意識と時間は相補的なものか、というようなことを考えることは人間が自分を「言葉のない状態」に近づける上で有益だと思う。 … Continue reading

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楽園追放

人間の生活を送っていて最も楽しいのは「知的興奮」の瞬間であることは認めざるをえない。このブログで何度も書いているように、わしは人間は肉体という現実への「感覚器」を獲得するためにこの世界に生まれてくるのだと信じているが、それでも、どちらかと言えば魂の問題に属する知的興奮というものは肉体の存在感に打ち勝ってしまうほど激しい愉楽である。 数学はこのやや人間には刺激が強すぎる陶酔の宝庫であって、「数学者」と名が付くひとに知的興奮ジャンキーとでもいうような、まともな人間であるにはやや軽躁でいまにもひきつけを起こしそうな物腰の人が多いのはこのせいであると一般に信ぜられている。 誰でも知っている非常に有名な例だけでも、「ピタゴラスの定理」(Pythagorean theorem)と名前が付いている「直角3角形の斜辺の長さをcとし、その他の長さをa、b 、としたときにaの2乗とbの2乗の和はcの2乗に等しい」という定理 http://en.wikipedia.org/wiki/Pythagorean_theorem や、 オイラーの等式(Euler’s identity) http://en.wikipedia.org/wiki/Euler%27s_identity のような異常な感じがするほどの簡潔さに数式の記述のあとにたどりつくと、人間はいてもたってもいられない、そもそも魂が浮き足だって地上から離れたがっているとでも言えそうな異様な興奮にとらわれる。 あるいは書き手の日本語の巧みさにつられて午後から読み始めたのにいつのまにか明け方になっているのも気づかずに「俊頼髄脳」を読んでいて、例の惟規の近代人の黎明のような臨終の言葉に漂着して、はて、これは日本語に夢中になりすぎたあまり幻覚を視たのではないかと何度も読み返したり、英語ならば、言語を音楽に変換する天才であるT.S.Eliotの Shall I say, I have gone at dusk through narrow streets And watched the smoke that rises from the pipes Of lonely men in shirt-sleeves, leaning out of … Continue reading

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哲学的な午後

なぜ古代ローマ人がつくった建築は堅牢かという建築学生がよく抱く疑問への回答として「堅牢でないものは、もう壊れてしまって残ってないから」という冗談がある。 欧州全土に残るコロセウムや水道橋を毎日見せつけられている現代人のタメイキに似た切実な冗談にしかすぎないが、一分の真理はこめられている。 ノストラダムスという人がむかし話題になったことがある。 日本でも「恐怖の大魔王が降臨する」と信じてオカネを借りまくって自分が恐怖の借金大魔王になってしまったひとがたくさんいたと記録されているが、このノストラダムスなる予言者はなぜ当時まで有名であったかというと「予言したことがことごとくあたった」からだった。 ところが歴史をふりかえってみるとノストラダムスのような予言者はうんざりするくらい多くいて、予言がおおはずしにはずれてしまった人は忘却の淵に沈んでいっただけである。 全部あたったと思えば思えなくもないノストラダムスだけが消去法によって残留したので、予言が全部あたったようにみえた、というのは、なんだか古代ローマの建築についての冗談と話の構造がそっくりです。 歴史を通じて人間はものすごくバカだった。 バカなのはあたりまえで、なにしろこの惑星で神経細胞が集中して意識をもつに至ったのは人間が初めてなのである。 なんでもかんでも初めからやってみなければならなかった人間は、追いかけていた獲物の鹿がさっそうと越えていった崖から崖にとびうつろうとしてこけて死んでしまったり、海の向こうに緑の島があるのを見て、あそこにいければ木の実は独り占めではないかラッキーと考えて沖に泳ぎに出てあえなく溺死したりしていた。 なかには鳥をじっと眺めて、どうすれば空をとべるかわかっちゃったもんね、と考えて、木の葉でおおった枝を両手にもって断崖から飛び降りて死んだ人間もいる。 何万年経っても人間はやっぱりバカだった。 自分で「全能である」と定義した自分に似た神をこさえて崇めているうちに、神を自分がこさえたのをすっかり忘れてしまって「なぜ、神は全能であるか?」と必死に問うたりした。 第一、全能とはなにか? 善とはなにか? 人間はいかにして生きていけばよいのか? 落ち着いて考えてみればわかるが、一生懸命生きてみてから考えるのはやむをえないなりゆきだと言えるが、いかにして生きていけばよいか?と事前に考えることにはせっかく与えられた自分の、いちどしかない一生を虚しい予定によって破壊する以外の意味はなにもない。 「人間はいかにして生きていけばよいか?」というのは、だから、根本的に老人の問いなのである。 黙って考えていればいいのだが、老人というものはヒマなので、つい文字にしてしまう。 すると、うっかり読んで感動してしまう気の毒な若者があらわれる。 だいたいの場合、老人が妄想のなかで誤解した人生を歩くことになります。 長く生きてしまったひと、というのは上に挙げた意味での古代ローマのコロセウムやノストラダムスにしかすぎないが、それが見えないことは、結局は人間をますますバカにしてきた、としかいいようがない気がして、気が滅入ることがある。 ずっとむかしの雑誌記事を眺めていたら静岡のパーマン http://www.bs-asahi.co.jp/parman/ のヘルメットとマントを買ってもらった小学生が、パーマンの恰好でアパートの窓から飛び出して墜落して死んだ、という記事があったが、 人間ももう、いまのモデルだけでも7万年くらいやっているので、多少「飛べるかな?」と思っても不用意に高いところからとびおりてはいけない、というようなことは遍く知られて、あんまり墜落死するひとはいなくなった。 いなくなった理由のひとつは、人間は飛べないので高い所から飛び出すと死ぬ、という事象が簡単で把握しやすいからで、これが物事の生起から結果までが長い事象になると、いまでも人間は次から次に無謀なことをして死んでいる。 たとえば、両親の無言の期待を感じとって、懸命に勉強している日本人の子供、というようなものを考えると、彼は、自分の将来の一生を豊かにする元になる「ヒマな時間」というものを極力へらそうとするだろう。 田舎の牧場にでかけて馬を眺める、父親と一緒に釣りにでかける、 「ほらね、ここで手元で糸のレイバンサングラスをつくって、向こう側にぐるっと釣り糸をまわすのね。そうやっておいて、5回、いいかい、5回だよ、ぐるぐるぐるとまわして、あとは歯でかんでグッと引っ張れば、ほおら、できあがり」 わしは子供のときノットをつくる糸を「必ず、うしろから」と歌うように言いながら釣り針の後ろから通している友達をみて、へええええ、と思ったことがある。 うしろから、じゃないと魚が釣れる角度にならないんだよ、とこの友達はいったが、わしは前からでも後ろからでもテキトーに糸を通して困ったことはなかった。 オトナになったいまの頭で考えてみると、きっと父と子で、歌うように「必ず、うしろから」と言いながら息子と一緒にノットをつくった父親は、魚が釣れるかどうかよりも、「前からでは息子が指に怪我をする」という心配をしていたのに違いない。 木の上につくられた家のなかで「これがわしらの秘密基地」と考えて、世界を救済する作戦を練る。 裏庭の小川からボートを出して、ゆっくり動くボートに仰向けに寝転がって、まぶしい青空をみる。 プールに飛び込んでしゃにむに泳ぐ。 馬にのって広い公園の、たちこめた朝の霧のなかをかーちゃんや妹と一緒に散歩する。 そういう膨大な「ムダな時間」をふりすてて、彼は勉強するに違いない。 彼は小学校の理科でカエルの解剖をみただけで嘔いたことがあるが、苦労して数学をこなして、医学部へはいる。 生化学の高分子の地図めいた構造式を暗記して、父親のいない教室で釣り糸ならぬ手術に使う糸でさまざまなノットをつくって学習する。 …ほんとうは影のように、外国語で書かれた歴史の本を読んでさえいれば幸福だった「もうひとりの自分」が、ことあるごとにそれと判るように彼の気をひいて、一緒に歩いているのだが、彼は医者になるまで、その「影の自分」に気づきもしなかった。 … Continue reading

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30歳まで、あと半年もない

1 エポックメーキングな技術の初期の頃を後で振り返ると人間はびっくりするような乱暴なことをする。 ロンドンの地下鉄は初めたとえばE-Class 0-4-4Tのような蒸気機関車(!)を使っていたので換気が悪い区間にさしかかると窒息して死ぬ乗客が出たりした。 レシプロエンジン戦闘機のカウリング後部についている、たとえば零戦で言えば7.7ミリ機銃はプロペラとの同調装置によって自分のプロペラをうちぬかないように出来ているが、あれもアントニー・フォッカーが同調装置を思いつくまではプロペラの裏に装甲板を張ってみたりしていたが、虚しくプロペラがふっとんで墜落した飛行機もあった。 むかしからブログやツイッタを読んでいる人は知っているが、わしはもともと反原発ですらなくて、いまのいまでも風力発電や地熱、あるいは波エネルギー発電では日本のようにエネルギーを大量に使う以外に生きる道がない国では到底未来のエネルギーをまかなえるわけがない、と思っている。 日本にもたしか京都大学にチームがある太陽エネルギーを地球の軌道上で採集して減衰の少ないレーザービームで地上に伝送する、というような計画が最も好みにあっているが、液化石炭や天然ガスにコンピュータでリアルタイム制御したタービンと更にそのタービンの排気も利用するコンバインドサイクル発電に並んで、核融合発電も頭のなかで未来のエネルギーを考えるときには選択肢に含まれている。 もう何度も書いたが、それならばなぜいま日本にある原発を稼働させるなんてとんでもないと言い募るのかというと、いまの原発はようするに蒸気機関車が走っていたころのロンドンの地下鉄と同じことで、「自分では消せない火」である核分裂技術を使って、エネルギーが要りもしない夜中でもエネルギー消費がピークに達する時間帯でも、ひとしなみに、核分裂のひとつおぼえで、ただバカでかいヤカンのお湯を沸かして、365日24時間、ひたすら蒸気を発生させ続ける、という、いまどき聞いていて恥ずかしくなるくらい未開な、センスの悪い技術だからである。 しかも、現実にメルトダウンという大事故が起きたのにかなりの数にのぼる日本の科学者たちの質の悪さと社会に対する責任感のなさを良い事にして「放射性物質は安全だ」という、過去には何の頼りになるデータもない途方もなく楽観的な見通しを立てて、最も重要なことは、チョーバカな大事故を引き起こしながら、結局、誰ひとり罰金すら払わないという、眼をまるくすればいいのか固く閉じて二度と開かないほうがいいのか判断がつきかねるほどの無責任さで、また原発を動かしたいという恥知らずぶりでは、遠からずまた違う原発がふきとぶに決まっている。 100%確定している、といってもよさそーだと思う。 また、きっと、やるだろう。 自分の国の損得から考えて日本の原子力政策に反対したほうがよい、という国はこの世界にはひとつもない。 先進国のなかではたとえばドイツは次期産業に原子力を予定していないので反対しなくても賛成でもない。 首相の果敢な判断で原子力をやめた背景には、しかし、当然そういう事情があるでしょう。 イタリアやスペインも同じような状況だが、フランスやアメリカはそうそう簡単にやめてしまっては自国の産業競争力が著しく損なわれるので、日本がこれほど桁外れにいい加減なことをやっていても黒船になってやってくるわけにはいかない。 ほんとうは「おまえの手つきやものの考え方では危なくてみておられんわい」と言って日本人の手から原子炉をもぎとりたいところで、実際に日本がカリフォルニアの位置にあれば、もうとっくにそうしているだろーが、遠くの国なので、損得の表を眺めていろいろ考えて、悪い事といっても最悪でも日本人が勝手にバタバタと早死にする程度のことなので、原発をどんどん再稼働してもらったほうがおれには得だな、と思っているだけのことである。 わしがいまの原発を日本で動かすのに反対なのは、要するにそういう理由だが、その気持ちのなかには、自分でじっと自分の気持ちを見つめてみると退嬰的なものや権威主義に陥って古くさいものへの嫌悪が含まれている。 もっとずっと簡単に言えば「技術としてカッコワルイ」から嫌いだ、というケーハクな理由であると思われる。 もしかするとちゃんとベンキョーすべき立場なのにベンキョーしないひとへの嫌悪、というものも含まれているかもしれません。 2 変わらなければ、そっちのほうがヘンだが、ニュージーランドはずいぶん変わったなあー、と思う。 わしガキの頃はイギリスから飛行機に乗ってこの国へやってくるのは、タイムマシンに乗って、「こうであったかもしれなかった過去のイギリス」にやってくるのとたいして変わらなかった。 「労働者階級の夢」と言えばいいだろうか。 聞きようによっては酷いが、他に言葉がみつからないし、英語とは違って、書いてみるとそんなに酷い響き方をしないので許してもらうことにしよう。 19世紀英国の、冷たい狭い部屋で、文字通り犬や猫のほうが大事にされるような、冬のロンドンで、世界というものの無惨に耐えながら眠りについた若い炭鉱夫は、きっと、この世界のどこかにニュージーランドのような国があることを夢にみただろう。 その国には階級が存在せず、上司にミスターと呼びかけなくてもよくて、ファーストネームで呼べて、一生懸命に働けば自分と家族の一軒屋がもてて、あの階級が上の人間達が時折みせる、背筋が凍るような軽蔑の冷笑をみなくてもすむ。 わしはニュージーランドにいると、ガキであるのに、百年以上前に、連合王国のぞっとするような冷たさから逃れて、2万キロの海路をひたすら南を目指した労働階級の若い衆たちの表情までみえるような気がしたものだった。 ロンドンの、いまでもクソ態度で、外国人とみればバカにし、有色人種の女がひとりでいれば、「空港への道をご存じですか?」とバカ丁寧に訊ねてみせて、相手が親切に空港への行き方を教えると、「道を知ってるなら、なんでトーキョーにいますぐもどらねーんだ、このバカ女」と述べて快哉を叫ぶ、あの階級のバカ男たちの世界から逃れて、ブルーカラー同士でも礼儀正しくして、お互いに親切にしあいながら暮らしたかった夢を、ニュージーランド人は、それこそ必死で働いて実現していった。 この国は、結局、そういう国なのだと思います。 裕福な移民が増えて、だいたい「フレンズ」 http://en.wikipedia.org/wiki/Friends の頃からなくなってきたアメリカドラマへのアレルギー反応がなくなると、ニュージーランド人たちは幻想のなかだけで、というべきか、もっとはっきり言ってしまうとテレビのなかにみえるものが自分達であると信じるようになっていった。 同じ英語を話し、同じ顔かたちで、同じ肌の色なので、無理がないと言えば無理がない。 むかし、わしはニュージーランドの学校の友達と歴史の話をしていると、さかのぼるにつれて、いつのまにかイギリスの歴史になり、われわれの特徴はキリスト教よりも王の権力を信じることだったから、と言い出すニュージーランド人の級友の顔を、どんな表情でみていればいいのか判らなくて困ったが、一方で、このひとびとは連合王国という国の冷たい影を踏んだことがないのだったな、と考えたりしたものだった。 なにしろ、自分たちの想像をこえたことだと頭からウソだということにして安心したい日本のひとたち(ごみん)のことだから、信じはしないだろうが、英国ガキというものはませていて、子供であっても、そのくらいのことはふつーに考える。 ニュージーランドも自分と家族の生活を考えるだけで頭がいっぱいになってしまう人が増えた。 あの、なんだかパッとしないが「質朴」を絵に描いたような、どんなときでも自動人形のように親切なふるまいをしてしまうニュージーランド人は過去のものになりつつあると感じる。 オークランドから30分くらいもクルマで行けば着く農場地帯には、「新しいニュージーランド人たち」にうんざりした「グッド・キィウイ」がいっぱい住んで充満しているのは判っているが、夏の一ヶ月だけ、というならともかく、自分が農場で一年をすごす、というのは考えられないのでもあります。 まる一年オークランドにいて、モニは新しい国が好きなのでオークランドが気に入っているが、わしはなんだかちょっと飽きてしまった。 ひとつにはモニはピアノを弾いたり、絵を描いたり、刺繍をしていたりすれば、そうやって丹念に一日をすごせるひとだが、わしはダメで、ときどきは大きなシャンデリアに赤いカーペットが敷いてある部屋で、ぶわっかたれな夜を過ごさないと、だんだん頭が毛布でくるまったようになって、ぼんやりしてきてしまう。 … Continue reading

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初心者のためのラスベガスガイド

1 Macy GrayとSealのコンサートへ行った。 前座のMacy GrayがおめあてでSealはつけたしです。 Pearl というコンサート・シアターはThe Palmsというラスベガスの「ザ・ストリップ」からはおおきく外れたところにあるホテルで、初めて行くホテルだった。 運転手おっちゃんに、「ここに泊まると、遊ぶのに大変だのお。どういうひとが泊まるんだろう?宿泊費が安いのかな」と訊くと、大声で笑って 「若いひとが多いんでさ。考えもなしに泊まるところを決めてしまう、若くてアホなひと」という。 宿泊費も同じなのだそーである。 Macy Grayは相変わらずサイコーで、あのやる気のなさそーな態度から歌い出すと、たくさんのひとを泣かせてしまう。 カバーでEurythmicsの Sweet Dreamsを歌ったが、なにしろ前座なのでMacy Grayの名前もしらない人でがやがやしていたのがしぃーんとなってしまうくらいよかった。 Macy Grayの歌のうまさは普通ではない。 モニもわしも特別な席でなくて、Sealになればダンスフロア化するのがわかりきっている前列は避けて(Sealなんかで踊るとうらぶれた気持ちになるであろう)そのすぐうしろの舞台からの中心線に近いボックスの席を買った。 StubHub http://en.wikipedia.org/wiki/StubHub で買った切符で、誰かが買った切符の転売なので切符の名前がモニとわしの名前ではないが、アメリカでは普通のことです。 開演まで30分くらいあったので、モニはシャドネ、わしはウイスキー・ソーダを飲みながら、まわりのひととのんびり話して待った。 両隣は地元のラスベガスのひとで片方のカップルはもう22年ラスベガスに住んでいる。 「ファイナンシャルコンサルタント」だが、いまはトラックの運転手やいろいろな仕事をやって凌いでいる。 いまは誰にとってもたいへんなときですのい、というと、その通り、でもアメリカは希望の国だから、なんとかなると思ってる、という。 (あたりまえだが)堂々としています。 必ずなんとかなる、と信じられるところがアメリカの良いところで、40代らしいそのひとは決してそう思い込もうとしているわけではなくて、実際に、いちどはうまくいかなくなったが頑張れば成功できる、と考えている。 努力して「がんばれば」、そのうちに成功するだろうと信じている。 どんな時代でもアメリカという社会の強みはそこにあったが、いまも変わらないよーである。 よく中年をすぎて「人生おわりだあ」というひとにあうと例としてもちだすが、マクドナルド創業者のレイ・クロックが「マクドナルドシステム」を設立したのは52歳のときだった。 カフェとペトロルステーションのおやじだったサンダースじいさんがフランチャイズビジネスを始めるのは62歳のときである。 地面を踏みしめた二本の足を踏ん張って、固く握りしめた両手の拳で世界と正面から向き合って戦って勝とうとするのは、いまではピューリタンの伝統であるより「アメリカ」の伝統であるだろう。 斜め前(眼の前の席ふたつは空席)のカップルはロス・アンジェルスから遊びにきている。 最近のコンサートでは写真を撮っても怒られないことになっている(撮ってはいけない場合はアナウンスがあります)ので、おばちゃんはサムソンのS3でとりわけSealの写真を撮り狂っていたが、そのS3のケースが鰐皮のケバイケースだったので、どこで買ったか訊いてみるとS3のケースはどこにでもいろんなの売ってるわよ、と不思議そうに訊き返された。 ニュージーランドでお籠もりさんをしているうちに、すっかり田舎人になってしまっておるよーだ(^^) コンサートが終わってからモニとふたりでバーで少しだけ酒を飲んだが、土曜日のカシノはチョーうるさいので、クルマを呼んで、まだ12時になったばかりだったがアパートに帰ってきた。 乾いた熱風が気持ちのよい深夜のテラスで、ふたりでコクテルをのんで3時頃まで話しました。 2 … Continue reading

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UP 2 U

1 ラスベガスから「悪徳の町」の最後の名残、売春婦たちの姿が通りから消えたのは2年前のことだった。 テーブルにチップが積み上がるといつのまにか傍らにやってきて耳の中にあつい息をともに不思議な言葉を囁いたり、はなはだしきに至っては物陰にひっぱっていかれて、何事かだとおもってついていくといきなり跪いてジッパーを開け始める売春婦達の姿はこの町の名物だったが、2年前の大クリーンアップで通りからもカシノからも姿を消してしまった。 わしは大学生のとき、この町の19歳の売春婦のねーちゃんと一緒にカシノのカウチに座って、肩をならべて、くっくっとお互いの冗談に息を苦しくしながら、それぞれが認識している宇宙についての意見を述べ合ったことがある。 いちばん嫌なのはデブおやじよ。だって、なかなかいかなくて重いんだもん。 豚のおばけみたいな尻に手をまわしてくれと言って、ハニーハニー、って薄気味悪いったらありゃしない。 日本人や韓国人はいい。とてもいいお客さんよ。こわくないし。 あれが小さくて、すぐに終わってくれる。 淡泊なんだよね、あのひとたち。 なに言ってるかよくわかんない人ばっかしだけど、礼儀正しくて、いいひとたちなんだと思う。 ねえ、今度、一緒にEvanescenceのコンサート行かない? この町にくるんだって。 それとも、もうすぐ、あなたは帰ってしまうの? あなたみたいな人は、ずっとこの町にいればいいのに。 売春がなくなったわけではなくて、それより安くても高くても「おかしい」という、一時間200ドルから1300ドルの範囲で何万人という数の女びとが、働く身になってみれば世の中でも最も不愉快であるに決まっている重労働に従っているのだという(バーテンダー談) いまでは電話をかけて教えられたサイトの写真から誰を買うか選ぶ方法や、いろいろな方法があるそーです。 ポーキーズ、と英語では言う。スロットマシンやポーカーマシンが洪水のように広がって、一晩で5万ドルすって顔を真っ赤にしてテーブルを拳でたたく赤ら顔の中年男に代わって背をのばしたまま膝の上にハンドバッグを置いて、何回もATMと機械との間を往復して静かに3000ドルをする主婦がカシノのルーザーの「典型」になっていった。 悪徳はカードをめくりながら昔話や自分の故郷の町の話に耽るディーラーたちの手から離れて、「777」やコミックのキャラクタ、いまではゴジラやモスラの姿まである ドラムにプリントされた明るい色彩の絵柄になって、むかしはチップですらない現金でやりとりされた欲望もいまはデジタルクレディットになって敗者たちの痛みを和らげている。 悪徳がなくなってゆくのは寂しい。 悪徳というものには人間性にとってどこかしら本質的なところがあって、いつでも帰ってゆける家のような、母語のような、不思議な暖かさがある、 というようなことを前に父親に述べたら、かっかっか、と笑われて、それはお前が悪徳に染まったことがないから、そう言うのさ、息子よ、お前は、どうやら父親が考えていたよりもずっと善良な人間であるらしい、とゆわれて、なんだかバカにされたようで、ひどく腐ったことがあったが、案外そういうものなのだろうか。 2 クラビングに疲れて、モニとふたりで帰ってくる明け方近い夜、 間延びしたクルマのなかでシャンパンを飲みながら、まだNe-Yoを聴いている。 運転しているおっちゃんにお願いして、砂漠へ向かってもらう。 クルマの冷蔵庫のシャンパンを開けて酔っ払ってモニとふたりで昔の話をした。 楽しかったので、すぐに部屋に帰りたくなかった。 窓をあけてみると、熱風がふきこんでくる。 仕切りを開けて運転おっちゃんに、今年はずっとこんなですか?と訊くと、 今年は特別に暑い、という。 でも、私はもともとシカゴの人間なので、ラスベガスのことはそれほどちゃんと判らない。 マンハッタンはいちどだけ行った事があるが、とても嫌なところだった。 それに、アジア人が多すぎる。 恥ずかしいが、私は人種差別は嫌いだがアジア人とは相性が悪いんでさ。 中西部の人間が好きなんです。 失礼ですが、ガメさんはイギリスの方ですか? モニと頬をよせあっていろいろなことを思い出して話した。 大喧嘩をした日に、家に帰ってカウチに座って泣いていたら、夜になってあなたがやってきた。 ずぶ濡れになって、両手に抱えきれないほどの花束をもって、飼い主に置き去りにされたテリアみたいに哀しそうな眼をして、あなたはそこに立っていた。 … Continue reading

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