時計をとめて

「世界の見え方」というようなものは、どの社会に住んでいるかによってまったく異なる。

ロンドン五輪の開会式はラスベガスにでかけてくる前に「Sky TV」の録画で半分くらい観たが、デザインセンスがよい開会式であるという点では面白かった。
イギリス人ならば誰でも知っているものが次から次に出てくるので「オリンピックは平和の祭典」というような空々しい空疎な言葉を嫌うひとにとっても親しみがわく演出だったので、その点ではよかった。
名前を忘れてしまったがテレビの解説の男のほうが「解説」というようなセンスがないひとで、「面白いですよお。これが何だか判りますか。面白いですよお」という調子で、なんだかげんなりするような調子だったのが興ざめだった。
テレビを観ながら、わかりきったことを秘密めかしておもしろいぞおー、おもしろいぞおーと述べ立てる解説にうんざりして音声を切りたいが、かといって音声を切ってしまうと音楽も消えてなくなってしまうので、困ったな、と考えたのも、わしだけではないようでした。

何日かして日本語ツイッタを眺めていたら、面白いことがあった。
ニューズそのものは見てないので現実に何が起きたかはよく判らないが、聖火が灯される前に日本人選手団の7割くらいが会場の外に誘導されてしまっただかなんだかで、イギリス社会のマヌケぶりを考えれば「また、やっちゃったのか」と思う出来事だが、ところが、このマヌケ事件に対する日本の人の反応が、「日本人に対する差別だ」というものなので腰が抜けそうになってしまった。
なんだ、それは?と考えて、いろいろ読み直してみたが、どうもマジメにそう思っているひとがたくさんいたのが、このブログ記事を書いている理由に違いないように思われる。

今日になると韓国人のフェンシングの選手が判定の「韓国人への重大な差別に抗議」してステージに座り込んだ、とある。
中国人の女びとのスウィマーが泳ぐのが速すぎたとかで、「中国人への差別である」と中国人たちが憤慨して述べている。

みっつたまたま記事が並んだからにすぎないかもしれないが、このみっつの記事をいちどきに読む方は「差別される側の人間は差別に対して敏感である」ということを思い出して溜息をつくことになる。

80年代までのアメリカ人は世界のことに興味をもたなかった。
「そんなことはない。ベトナムにもコリアにも行ったではないか」という人がいるに違いないが、アメリカ政府が世界のことに過剰な興味をもっていたのと、アメリカ人が世界に興味をもたなかったことは、人間の生活ぶりというものを考えればわかるが、簡単に両立する。

アメリカという国は、というよりも英語圏全体がそうだが、地方紙が発達した世界で、日本のように新華社通信や共産主義時代のタス通信社のように支配層の意向を反映した「中枢通信社」が情報を整理裁断してとりしきっている世界とは異なって、てんでばらばらに、「わしはこう思ってるんだよね」という記事を書いて寄稿する、というのが新聞の姿だった。いまみるとUSA TODAYの創刊が1982年で、初めは「絶対につぶれる」と言われて、まったく信用されない無料新聞であったUSA TODAYが、たとえばEmbassy Suitesに滞在する家族の母親や父親がコートヤードのテーブルで普通に手にとって読まれるようになりだした頃、普通のアメリカ人の頭にも「世の中には海外というものがあるのだ」とぼんやりとわかりかけてきたので、それ以前にはアメリカ人の頭には「海外」などというものは存在しなかった。

イギリス人の頭中にあった「海外」も、そうたいして違ったものではなくて、「よく判らないけど、海外って、手をだすと儲かるんだよね」という漠然としたイメージしかなかった。
ややメンドクサイが「海外」というものに興味をもてば儲かる、という存在が「海外」でインドを支配したり中国人を全部ジャンキー化してぼろ儲けしたりというむかしの濡れ手で粟を思い出していたわけではないが、当時はえらく羽振りがよかった日本人たちを瞞して「英語を教えてやるから」とゆってカネを巻き上げたり、都合良くも日本人は「英国は上品な国だ」という、当の英国人からみると、いったいどこからそんな訳のわからん幻想をひっぱりだしてきて信じ込んどるんだ、と訝しくおもわれるようなケッタイなアイデアの虜になっていたので、それをうまく利用して観光で稼いだり、イメージに頼ってその頃の年がら年中ぶち壊れているジャガーをとんでもない価格で売りつけたりしていた。

どちらの国においても「海外」などは化外の地というべきか、たとえばフランスのようにアメリカ人からするとおもいきり近しい外国であっても、そういうところにいって住もうと考えたりするのは、カネモチの変わり者が考えることであったに違いない。
アメリカ人が普段読んでいたニューズなどというものは、どこの町の高校がアメリカンフットボールで勝ったとか、マーチングバンドの全国大会に隣町の高校が出場することになった、あるいは町の名物肉屋のおかみさんが雄牛にどつかれて死んだ、とかそーゆーニューズばかりで、海外というものが強く意識されるのは故郷からでかけていったベトナムから棺にはいって帰還する若者を哀悼したり、フリントで日本車をめっちゃくちゃにぶち壊して鬱憤を晴らす工員の姿がテレビで報じられたりするときだけで、世の中への関心が自動車で3時間以上運転する地域にまで拡大されるのは稀だった。

イギリスのほうも同じで、なぜか日本語世界では「新聞」という扱いになっている(いまで言えば) The Sunのようなタブロイドで、これはいまでも日本語を学習したりする人間に「イギリス人の日本人観の変遷」というようにして資料として載っていたりするが、銀座の晴海通りとおぼしき繁華街のまんなかで着物に下駄ばきのカンカン帽のおっさんがステッキで犬を激しく打擲している「日本人の動物虐待」(イギリスでは犬を虐待するのは人間を虐待するよりも遙かに重い道徳的罪である)の「証拠写真」が一面にのって、突然うりあげが急上昇して、編集長と社主が懇談して、「やっぱり日本人の悪口はもうかりまっせ。これで一息つける」というネタになる、そーゆーソースを確かめようもない記事の舞台として「海外」は存在した。

恒例にしたがって余計なことを書くと、日本の中央集権的な新聞がタブロイド紙の記事を「海外紙によると」とゆってマジな報道としてニューズにしたがるのは、要するにマジメな顔をして自分の新聞の記事にすれば読者はありがたがって真に受けて、そーかアメリカ人はそんなに日本人が憎いのか、なんだとおーイギリス人の野郎、日本人をバカにしくさって、と憤慨するから部数が伸びる、という大衆紙そのものの戦略に拠っているので、むかしはこれをやりすぎて「鬼畜米英」なんちゃって煽りすぎた結果マジな戦争になってしまったが、まだ新聞も国民もいまでもぜんぜん懲りてないところがおもしろい。
この「賢げ、権威ありげな態度で扇情的なバカを述べる」というのは日本では最もうける態度で、朝日新聞読売新聞というような会社は、この、よく考えてみれば子供でもわかりそうなトリックを利用して営々130年余という長きにわたって日本人をだまくらかして、「ころがして」ボロ儲けをしてきたのである。

The Sunの記者のねーちんなどというひとびとは、実際に会ってみると、ふつうに想像する「記者」というような風体とは根本から異なって、チョー態度のでかい革ジャンに足の線を強調したパンツのカッチョイイストリッパーのねーちんみたいなひとびとであったりして、このくらい無茶苦茶な女びとが書いた新聞記事を読むのは嫌だが週末にデートするにはいいな、と考えたりしたことがあったが、そーゆーひとびとに朝日新聞や読売新聞は、大層うらやましがられていて、理由はもちろん、権威ありげな顔で無難なデタラメをこいてればそれで「ジャーナリスト」ということになって肩で風を切って、しかも世人に尊敬されまでして、何よりも盛大な高給をうけとって、気楽に暮らしていけるからである。

記事の内容は大差ないのにThe Sunは売り上げを作るためにはケツがカッコイイねーちゃんを探して写真を撮ってカラーで載せなければならないのに、日本の新聞は、子細ありげなだけで何がいいたいのか、さっぱり判らない老人ボケな社説を書いていれば、それで新聞として成立するのだから、これほど良い商売はない。

だが、ではThe Sunのようなチョー下品な「新聞」が日本で売れるかというと、そうはいかないので、日本と英語世界ではものの感じ方というものがすでに異なる。
あるいは違うファクターを述べると、生きている時代も実は異なる。
社会が進化する、というむかしダーウィンにかぶれた頭の悪い社会学者が抱いた妄想を、いまでも、なあーんとなくほんとかな?と信じ込んでいるひともいなくはないと思われるが、社会は変化するのであって進化しているわけではない。
だから新しい思潮のほうがよいとは言えないが、それにしても日本語世界が生きている社会はよくて80年代の、チョー古い社会で、およそ30年くらい昔の社会に日本人は生きている。

冒頭の開会式のいかにもイギリス式な不手際、イギリスに住んでいればお馴染みの全然わけがわからず理由も判然とせず、上司が「いったい、どうやったら、こんなマヌケなことが起きるんだ!」と机を叩いても、みなあさってのほうに視線を漂わせて「私が悪いんじゃないもんね」をする、「それはきっとお天道様がわるいのでしょう」式な言い訳しかかえってこないイギリス伝統のスーパーシステムによって生じた小事件が、いきなり「人種差別だ」という、大合唱を引き起こすのも、要するに日本人が見ている世界観が「過去からの視線」であることに起因している。

日本は1950年代から1980年代に至る30年間に大成功を収めた近代工業国で、その成功体験は日本を完全に呪縛することになった。
それが具体的にどういうことかを知りたければ、たとえば金融扱い高というようなものを見ると、歴史を通じて「虚業の王」である連合王国がダントツで扱い高が高いのは当たり前として、次が北米、ところがその次はシンガポールなのである。
人口が400万人の「小国」であるシンガポールに、多分数年で日本を追い越すと思われるオーストラリアの扱い高とあわせてもまだまける、というくらい日本は金融機能が死亡している。

あるいは、わしは酔っ払ってMacBookProをカウチに向かってぶんなげたら力の加減を筋肉が誤解してカウチの向こうの壁にぶつかって軟弱にもばらばらになって壊れてしまったが、ぶち壊れたMacBookProの部品をしみじみと眺めてみると日本製の部品すら、この頃はこの売れまくっているノートブックコンピュータには含まれていなくて、もともと近代工業そのものであるハードウエアでさえ、このていたらくである事実は、多分、日本のひとが考えるよりも遙かに深刻な事態である。
簡単に言えば、造船産業が死にかけていた60年代には次に飛び移る「産業の飛び石」として自動車産業が用意されていたが、日本のMITIが自動車のその次として予定していたのはコンピュータだった。
ところが、その飛び石が水底に沈んでしまって消滅しているのである。
じゃ、自動車がたとえばコンピュータの生産マネジメントが応用可能な電気自動車に移行してしまったらどうなるかというと、未来の産業の神様が「しまっちゃおうねえ、どんどんしまっちゃおうねえ。日本みたいに遅れた国は、どんどんしまっちゃおうねえ」というのが聞こえてきそうな気がする。
はたでみていて「こわくないのかなあ」と思います。

外国人、あるいは長いあいだ(日本人社会と没交渉で)外国に住んでいる日本人がインターネットやなんかを通して日本に住む日本人と話して感じるのは「まったく話が通じなくなっている」ということで、これは、十全計画の初めの2005年から考えても、年々酷くなってきているように思える。

放射能が安全だと社会がまるごと先決してしまったのを見るにいたって、というべきか、こういうと必ず「わたしは日本人だが放射能が危険だと思っている」というひとがいるが、外から見る限りではなんだか国民が一致して「放射能なんて危なくない。危ないという人間の無神経さが耐えられない」と述べているようにしかみえないが、「日本のひとはいったいどうなってしまったんだろう?」という科白が、本来、海外で起きていることへの関心が薄い、ふつーのひとの会話にも登場するようになってしまった。

午前9時に、どんなに良いことがあっても、壁の時計を午前9時で止めておけば、ずっとその幸福な瞬間にとどまっていられる、というのは間違いである。
それはなぜかというと時間というものは流れて、経過してゆくもので、人間も社会も、それにあわせて適応していかなければ滅びる以外には方法はない。

日本人がいっせいに止めて独りごちている時計を、ひとつづつでもよいからまた動かして、良い悪いばかりの不益な議論を停止して、明日にむかって踏み出してゆかなければ、
社会ごと過去に閉じ込められて、息をするにも苦しいような狭い棺のなかで暮らさなければならなくなる、と傍観している部外者には見えるのです。

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2 Responses to 時計をとめて

  1. DIO says:

    ガメさんの書いていることを色々読み、自分では差別を受けたと思っていても実は全くそんなことはないというケースが多々あるんだなと考えるようになりました。私はNZ人と比べてラフ?な人々が多いらしい豪州在住なので、これまで差別を受けたように感じることが多かったのかもしれませんが、豪州も何かとミスが多発する国ですし、これからは一呼吸おいて考えられるようになりそうです。(勿論、あからさまな差別を受けたことはありますが)

    何が言いたいのかというと、私にとって伺い知ることが難しい非アジア人以外の人々の感覚をざっくりと知ることが出来て、それも日本語で!、とても楽しいということです。(今回に限らずです)
    私も何かと誤解されがちに見える日本人の感覚をガメさんのように上手に伝えられるようになれればと思います

  2. DoorsSaidHello says:

    怖くないのかなあ、って? 
    怖いよ。この国はどうなっちゃうんだろうって、この十年ほどはずっと思ってたよ。巨大な借金があって、産業技術はガラパゴス島みたいに孤立してる。ポップカルチャーでも、この五年は「お約束」がわかっていないと面白がれないようなものが増えた。足下がおぼつかないと言うか、行き先のない感じがずっとしていたよ。

    皮膚がひりひりするような「もう先がない」感を感じているのに、社会の問題を上から目線で他人事のように語る新聞も雑誌も、私の現実からは遊離していて嫌だった。「ビッグイシュー」だけが共感を持って読めた。ホームレスの人たちが書いた投書やインタビューには、ものすごく困っているのに何も手立てのない無力感と焦燥感、それでも生きていかなければならない静かで小さな覚悟が端々にあったから。もしかしたらこの頃からすでに私は自分がホームレスであると思っていたのではないだろうか。

    原子炉事故をきっかけにそれまでの人生を考え直すことになった。近しい人々からは、今でも頭がおかしいと思われている。理由もないのに家を捨て、家族を連れて自らホームレス同様になったからだ。実家からは、預かった荷物を売るか引き取るかしてもらいたいと言われ始めた。持っていく先はまだできていないので、荷物は廃棄することになる。自分の家を失うとは、思い出のあるものを失うということなのだな、と思う。

    ひとたび放射能の毒性を認めれば、程度の差こそあれ今までの人生のかなりの部分を捨てなければならなくなる。生活基盤も人間関係も、思い出のある様々な物もだ。そしてもちろん、関東から東北にかけての人間みんなでホームレスになるわけにはいかない。みんなで移住する先も、この狭い国土にない。全員に行き渡るだけの安全な食べ物もない。そんなことは私にだってわかる。

    だけど。

    「毒だけれど我慢してくれ」と言わずに「安全だから大丈夫」と言うのは間違ってる。「頼ってこられても迷惑だ」と言わずに「大丈夫だから帰れ」と言うのは不正直だ。解決できないからといって、問題自体がないふりをするのは致命的だ。

    思えば私はずっと母国で暮らしながら、言葉の通じない生活をしてきたようなものだった。「君の言うことは理屈から言えば正しい、だけど世の中は理屈じゃない」と言われ続けた。思ったことを言ってはいけないのなら、言葉なんていらない。そう思ったからずっと無口に生きてきた。

    この夏日本に行き、しばらく暮らして戻って来た時、日本語の一片もない空港の入国審査を通り抜けて「ああ帰ってきた」と思った。まだ言葉が通じないのに、そう思ったことが自分でおかしかった。長い長い努力の果てにいつか言葉が通じるようになったとき、私は話したいことを話せる場所を見いだせるのではないかという期待を抱くようになったのだ。ここで書いているこんなことを、私は声にする機会がまだない。日本語では語ることを許されないこんな話が、声として空気を振動させるのを、いつか見たいと思う。

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