30歳まで、あと半年もない

エポックメーキングな技術の初期の頃を後で振り返ると人間はびっくりするような乱暴なことをする。
ロンドンの地下鉄は初めたとえばE-Class 0-4-4Tのような蒸気機関車(!)を使っていたので換気が悪い区間にさしかかると窒息して死ぬ乗客が出たりした。
レシプロエンジン戦闘機のカウリング後部についている、たとえば零戦で言えば7.7ミリ機銃はプロペラとの同調装置によって自分のプロペラをうちぬかないように出来ているが、あれもアントニー・フォッカーが同調装置を思いつくまではプロペラの裏に装甲板を張ってみたりしていたが、虚しくプロペラがふっとんで墜落した飛行機もあった。

むかしからブログやツイッタを読んでいる人は知っているが、わしはもともと反原発ですらなくて、いまのいまでも風力発電や地熱、あるいは波エネルギー発電では日本のようにエネルギーを大量に使う以外に生きる道がない国では到底未来のエネルギーをまかなえるわけがない、と思っている。
日本にもたしか京都大学にチームがある太陽エネルギーを地球の軌道上で採集して減衰の少ないレーザービームで地上に伝送する、というような計画が最も好みにあっているが、液化石炭や天然ガスにコンピュータでリアルタイム制御したタービンと更にそのタービンの排気も利用するコンバインドサイクル発電に並んで、核融合発電も頭のなかで未来のエネルギーを考えるときには選択肢に含まれている。
もう何度も書いたが、それならばなぜいま日本にある原発を稼働させるなんてとんでもないと言い募るのかというと、いまの原発はようするに蒸気機関車が走っていたころのロンドンの地下鉄と同じことで、「自分では消せない火」である核分裂技術を使って、エネルギーが要りもしない夜中でもエネルギー消費がピークに達する時間帯でも、ひとしなみに、核分裂のひとつおぼえで、ただバカでかいヤカンのお湯を沸かして、365日24時間、ひたすら蒸気を発生させ続ける、という、いまどき聞いていて恥ずかしくなるくらい未開な、センスの悪い技術だからである。
しかも、現実にメルトダウンという大事故が起きたのにかなりの数にのぼる日本の科学者たちの質の悪さと社会に対する責任感のなさを良い事にして「放射性物質は安全だ」という、過去には何の頼りになるデータもない途方もなく楽観的な見通しを立てて、最も重要なことは、チョーバカな大事故を引き起こしながら、結局、誰ひとり罰金すら払わないという、眼をまるくすればいいのか固く閉じて二度と開かないほうがいいのか判断がつきかねるほどの無責任さで、また原発を動かしたいという恥知らずぶりでは、遠からずまた違う原発がふきとぶに決まっている。
100%確定している、といってもよさそーだと思う。
また、きっと、やるだろう。

自分の国の損得から考えて日本の原子力政策に反対したほうがよい、という国はこの世界にはひとつもない。
先進国のなかではたとえばドイツは次期産業に原子力を予定していないので反対しなくても賛成でもない。
首相の果敢な判断で原子力をやめた背景には、しかし、当然そういう事情があるでしょう。
イタリアやスペインも同じような状況だが、フランスやアメリカはそうそう簡単にやめてしまっては自国の産業競争力が著しく損なわれるので、日本がこれほど桁外れにいい加減なことをやっていても黒船になってやってくるわけにはいかない。
ほんとうは「おまえの手つきやものの考え方では危なくてみておられんわい」と言って日本人の手から原子炉をもぎとりたいところで、実際に日本がカリフォルニアの位置にあれば、もうとっくにそうしているだろーが、遠くの国なので、損得の表を眺めていろいろ考えて、悪い事といっても最悪でも日本人が勝手にバタバタと早死にする程度のことなので、原発をどんどん再稼働してもらったほうがおれには得だな、と思っているだけのことである。

わしがいまの原発を日本で動かすのに反対なのは、要するにそういう理由だが、その気持ちのなかには、自分でじっと自分の気持ちを見つめてみると退嬰的なものや権威主義に陥って古くさいものへの嫌悪が含まれている。
もっとずっと簡単に言えば「技術としてカッコワルイ」から嫌いだ、というケーハクな理由であると思われる。
もしかするとちゃんとベンキョーすべき立場なのにベンキョーしないひとへの嫌悪、というものも含まれているかもしれません。

変わらなければ、そっちのほうがヘンだが、ニュージーランドはずいぶん変わったなあー、と思う。
わしガキの頃はイギリスから飛行機に乗ってこの国へやってくるのは、タイムマシンに乗って、「こうであったかもしれなかった過去のイギリス」にやってくるのとたいして変わらなかった。
「労働者階級の夢」と言えばいいだろうか。
聞きようによっては酷いが、他に言葉がみつからないし、英語とは違って、書いてみるとそんなに酷い響き方をしないので許してもらうことにしよう。
19世紀英国の、冷たい狭い部屋で、文字通り犬や猫のほうが大事にされるような、冬のロンドンで、世界というものの無惨に耐えながら眠りについた若い炭鉱夫は、きっと、この世界のどこかにニュージーランドのような国があることを夢にみただろう。
その国には階級が存在せず、上司にミスターと呼びかけなくてもよくて、ファーストネームで呼べて、一生懸命に働けば自分と家族の一軒屋がもてて、あの階級が上の人間達が時折みせる、背筋が凍るような軽蔑の冷笑をみなくてもすむ。

わしはニュージーランドにいると、ガキであるのに、百年以上前に、連合王国のぞっとするような冷たさから逃れて、2万キロの海路をひたすら南を目指した労働階級の若い衆たちの表情までみえるような気がしたものだった。
ロンドンの、いまでもクソ態度で、外国人とみればバカにし、有色人種の女がひとりでいれば、「空港への道をご存じですか?」とバカ丁寧に訊ねてみせて、相手が親切に空港への行き方を教えると、「道を知ってるなら、なんでトーキョーにいますぐもどらねーんだ、このバカ女」と述べて快哉を叫ぶ、あの階級のバカ男たちの世界から逃れて、ブルーカラー同士でも礼儀正しくして、お互いに親切にしあいながら暮らしたかった夢を、ニュージーランド人は、それこそ必死で働いて実現していった。
この国は、結局、そういう国なのだと思います。

裕福な移民が増えて、だいたい「フレンズ」
http://en.wikipedia.org/wiki/Friends
の頃からなくなってきたアメリカドラマへのアレルギー反応がなくなると、ニュージーランド人たちは幻想のなかだけで、というべきか、もっとはっきり言ってしまうとテレビのなかにみえるものが自分達であると信じるようになっていった。

同じ英語を話し、同じ顔かたちで、同じ肌の色なので、無理がないと言えば無理がない。
むかし、わしはニュージーランドの学校の友達と歴史の話をしていると、さかのぼるにつれて、いつのまにかイギリスの歴史になり、われわれの特徴はキリスト教よりも王の権力を信じることだったから、と言い出すニュージーランド人の級友の顔を、どんな表情でみていればいいのか判らなくて困ったが、一方で、このひとびとは連合王国という国の冷たい影を踏んだことがないのだったな、と考えたりしたものだった。

なにしろ、自分たちの想像をこえたことだと頭からウソだということにして安心したい日本のひとたち(ごみん)のことだから、信じはしないだろうが、英国ガキというものはませていて、子供であっても、そのくらいのことはふつーに考える。

ニュージーランドも自分と家族の生活を考えるだけで頭がいっぱいになってしまう人が増えた。
あの、なんだかパッとしないが「質朴」を絵に描いたような、どんなときでも自動人形のように親切なふるまいをしてしまうニュージーランド人は過去のものになりつつあると感じる。
オークランドから30分くらいもクルマで行けば着く農場地帯には、「新しいニュージーランド人たち」にうんざりした「グッド・キィウイ」がいっぱい住んで充満しているのは判っているが、夏の一ヶ月だけ、というならともかく、自分が農場で一年をすごす、というのは考えられないのでもあります。

まる一年オークランドにいて、モニは新しい国が好きなのでオークランドが気に入っているが、わしはなんだかちょっと飽きてしまった。
ひとつにはモニはピアノを弾いたり、絵を描いたり、刺繍をしていたりすれば、そうやって丹念に一日をすごせるひとだが、わしはダメで、ときどきは大きなシャンデリアに赤いカーペットが敷いてある部屋で、ぶわっかたれな夜を過ごさないと、だんだん頭が毛布でくるまったようになって、ぼんやりしてきてしまう。
小さな人が現れるまでは、洗濯や料理や掃除で忙しくしていると時間がつぶれる、というふうになっていたが、家の用事をするひとびとが小さな人と一緒に生じてしまったので、わしは大好きな家事をする時間を奪われてしまった。

バスルームの鎧戸をしめて、暗くしてバスタブに横になって、ヴァニラの香りのするろうそくをつけまくって、足をほうりだして天井をみていると、いかに自分が退屈しているかわかるようになってしまった。
いろいろな国の言葉でわけのわからんことを書いてみたり、ギターを弾いたり、モニを誘って、あるいはコーチたちも一緒になって、ゴルフやテニスをするが、なんとなく楽しくない。

こーゆーことは長いニュージーランドとのつきあいでも初めてであって、日本に遠征した後半は、ひどく退屈で、これと同じ感じだったが、あれは外国なので当たり前なのであっても、ニュージーランドはもともとわしにとっては「第二の故郷」で、どーしてこーなるんだ、と考えてしまう。

ラスベガスからもどってきて、自分のクルマでモニと戻るからいいよ、と言ったものの、インターナショナルの屋内駐車場が遠いだけのことで、もう、「なんというバカ社会だ」と考えてしまう。
ただのあまやかされて育った人間のわがままなのかもしれないが、感情は理性が説明しないから感情なので、なんだかしばらくほかの国に行ったほうがいいかなあー、と考える。

いまの世界では、事実上はビザや他国のパスポートの取得には問題が生じない。
北朝鮮に住みたいと思えば主席の顧問かなにかにならなければダメだろうが、ベリーズだろうが、スペインだろうが、イタリアでもスイスでも、住みたいところに行って住める。
欧州は経済崩壊が、たとえ、ゆっくりにはできても、やはり最後には避けられそうもないが、アメリカという国はマンハッタンに3ヶ月くらいいるのはいいが、それ以上は、やっぱり書割りに住んでいるみたいで嫌だな、と思う。イスタンブル(アジアンサイド)という手もあるが、トルコ人の女びとに対する考えが気に入らないので、モニの気持ちが傷つくだろうことを考えると、いかにトルコ人が親切でも、住む気になれはしない。
ドバイもカタールも、同じ理由で嫌であると思う。

モニに話してみると、わたしは知っていたから、いいぞ、ガメ、という。
なんだ、知ってたのか、というと、あたりまえだ、とゆって笑っています。

バルセロナか(すべりひゆは、すすめない、ベローナのほうがいいと思う、というが)ミラノか、パリか、あるいはいっそロンドンに逃げ帰って、しくしく泣きながら暮らすか、どうもしばらく、選択肢のどれかを選んで「故郷」の方角へ撤退したほうがいいような気がする。
経済は崩壊するだろうが、人間というのは案外もともと生まれ育ったところの経済が崩壊しても、たいして気にならないものなのではないかと思う。

どうするかなあー、と考える。
もう、家に帰る時間なのだろうか?

(画像は街の角角に出現したBestBuyの自動販売機、キンドルやプリペイドフォンも買える。良い考えと思う)

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