太陽の昇らない明日_1

いつも「放射性物質は危険ではない」というきみの主張を仮定にして話してきたので、きょうは、ぼくの妄想、きみが「放射脳」と呼んで嘲ける、「放射性物質は危険なのではないか」という仮定を正しいとして話をしてみよう。
きみが膝をたたいて大笑いをするように、あるいは胸を反らせて「人間の歴史のどこに放射能で破滅した国がある。きみが危険だというなら典拠を示せ」と居丈高になって、まるで罪人を追及するように、「放射能を怖れるなんて非科学的だ。怖れることそれ自体のほうが健康にわるい」と主張しているのは知っているが、きみにとっては我慢がならないことに、実は、ぼくはそう思ってない。

なぜ、放射能が安全だと思っていないかは、とばしてしまったほうがいいと思う。
ぼくがぼくの理屈をたてて説明しても、どうせきみは信じないし、説明するだけ無駄であると感じる。
だから、「仮定」に立って話をしよう。
「どこの世界に放射能をこわがるバカがいる」ときみは自分の「科学者」の名にかけてぼくを嘲笑したいだろうが、まあ、たまには仮定にたっていろいろなことを考えてみるのもよいのではないか。

もっともはやく影響があらわれるのは福島県をはじめとする原発事故現場の近県だろうが、政府が瓦礫を日本中にばらまくことに決めてしまったのと、日本の、というよりも歴史的な背景によって世界中おなじだが、食品流通の世界はむかしから正直にやっていてはショーバイにならないことがわかっているので、産地偽装、とおおげさな言葉を使わなくても、500尾程度しか水揚げのない「関鰺」が全国のスーパーマーケットで何万という数で毎日売られていたり、ある「名前受けのよい」町の農協で、その月の売り上げの首位が(他県への)産地名いり段ボール箱であって、会計処理に困ったり、笑い話のようなことがいくらでもある。
食肉にしても、安い肉の両面に薄い高い肉を貼り付けて高級肉として売る、あるいは本国では動物の餌にしかならない安物の固い豪州肉を買ってきて脂肪を注射して「霜降り肉」に変えて売る。
そんなことがいくらでもあって、極端に言えば、そもそも産地を考えて食べ物を買うということにあまり意味がない。

瓦礫についても「岩手の瓦礫を群馬にもってきて処理することのなにが悪い。返って安全ではないか。そんなこともわからないほど頭がわるいのか」というひとびとがいるが、机の前に座って、白い紙に餅の絵を描いて、それがどんなに矛盾ない線で描けたとしても、食べるわけにはいかない。
瓦礫の処理が実際にどんなふうに行われるか、そのときにどんな巧妙な不正が行われるかはツイッタでも何回も述べて、ここでも書いたことがあるから、いまさらいちいち述べ直す気にはならない。
現実というものは学問とはおおきく異なるので、きみが自分が学んだ科学の方法から一歩でも出た途端、きみの理性という理性のはたらきを嘲笑しにかかるていのものである。
科学者などは、世間に一歩ふみだせば、科学という導き手なしでは、犬よりもバカであると心得たほうがよいと思う。

不吉な仮定にもどろう。

仮に「放射能が有害である」とすると、日本人はさんざん頭をひねったあげく、もっともやってはならないことばかりをやってしまったことになる。
福島県のひとが泣いても怒っても、仮に放射能が有害であるなら、福島県人を全員北海道なら北海道に退避させて、無理矢理にでも移住させて、福島自体は会津側を残してでよいから黒々と墨で塗りつぶすように無人の土地に変えて、封鎖しなければならなかった。

歴史を振り返ると、日本政府には本質的には同様な事務作業の経験があって、1945年8月15日に自分で仕掛けた戦争にボロ負けしたことによって、名前だけが独立国で、現実にはすでにそこで生活を営んでいた中国人たちを強制的に排除して入植した満州をはじめとした海外植民地あるいは戦地から660万人の日本人を本国に収容した。
たいへんな難事業だったが、日本人は結局それをおおきな数の餓死者を出さずにやり遂げた。

軽井沢から少し西へ行くと「大日向」という集落があって、昭和天皇も今上も訪れた集落だが、なぜ天皇たちが表敬訪問するかというと、この「大日向」という村はもとは山梨県にあって、それが国策に乗って満州へ村ごと移動した。
戦争の敗北によって、辛酸をなめつくしながら、今度は軽井沢に近い土地に再び「大日向」という集落を建設した。
昭和天皇とその息子夫婦は、そのことがどうしても忘れられずに行幸する。

あるいは戦争中に個々の家庭の判断によってアメリカ軍の爆撃が激しい都会から田舎へ「縁故疎開」した子供の数が32万人、組織的な学校単位の「集団疎開」で35万人、子供を万が一の危険から守る為に、当時のオカネがないどころではない破産寸前の日本政府が予算を拠出して緊急に小学校3年生から小学校6年生の子供を強制移住させた。

だからもちろんやれば出来ることだったが、今回の日本人は、措置をとらなかった。
「放射能は安全だ」と決めたからです。

そうして出来上がった「新しい日本」として日本全体が「稀釈されたフクシマ」になった。
この「放射性物質拡散」の方針を策定した役人には産廃業者や流通業界の到底おもてにだせない現実を熟知している人間がたくさんいたが、多分、「10%溶液では死に至る毒も0.1%ならば、少しく変調をきたすくらいですむ」という通常の毒の類推から、稀釈すればなんとかなるのではないか、と考えたのだろうと思う。

世の中には「1割の法則」というものがある。
インターネットであわてて検索しても出てきはしないが、ものごとの変化を人間の集団がどう受け止めるか、という目安としてよく使う。
たとえばオークランドにアジア人が目立って増えた90年代にクイーンストリートから始まって、いろいろな地区で「この辺りは、住んでいるのは『みな』アジア人ばかりだ」と欧州系のニュージーランド人が吐き捨てるように述べたとき、実際に通りのエスニックグループをカウントしてみるとアジア人の姿が1割をわずかに越えている。
スタンフォード大学でも、「見渡す限りアジア人の学生」とひとびとが述べだした頃、ちょうどアジア人学生の数は1割を超えていた。

全体の1割の人間が「確証はないが放射性物質のせいではないか」と疑われる顕著な変調を訴えた場合、コミュニティ全体がいわば「浮き足だった」状態になるのは、目にみえていると思う。
ぼくはそれをチェルノブルの例に倣って早ければ2015年ころに始まる変化だと考えている。

外国政府は日本人を大量に受け容れるのは無理だ、と日本政府に伝えているように見える。
全部の国、ではないだろう。
見ていて、ぼくが、ああ、あれをやってるんだな、と明瞭に判るのはオーストラリアと欧州のいくつかの政府くらいのもので、あとは漠とした推測にしかすぎない。

航空会社の友達と話してみると、空港に日本人がつめかける、という事態が起きた場合は「航空券をすでにもっているかどうか」がすべてで、エコノミー、ビジネス、ファーストというクラスによっての区別はしない、と述べていた。

よく知られたひとでいえばシベリアのニャガンにまで逃れたテニス選手のマリア・シャラポワの両親がそうだが、若いロシア人やウクライナ人にはチェルノブル後の経過をみて、必死で欧州や世界の各地へ逃げた両親をもつひとがたくさんいる。
前に、いまの松本市長やその頃のロシア人やウクライナ人、あるいはその子供たちになぜ日本の報道機関は取材しないのかと疑問を述べたことがあったが、ぼくの「暗い予感」は、おもに、ソビエト連邦政府がほぼ完全に隠蔽してしまった、あのひとたちから直截聞いた話に拠っている。

ここで注意しなくてはならないのはミハイル・ゴルバチョフそのひとに長時間のインタビューを行ったアメリカ政府をはじめとして、亡命してきた当時のKGB幹部、移住ロシア人を通じて、各国、とりわけ欧州の政府もチェルノブルの惨状を詳細に把握していることである。

小松左京の「日本沈没」では、オーストラリアの首相が苦悩のあげく、ついに大量の日本人を受け容れることに決心するが、通産省が日本の役人らしい気楽さでうちあげたシルバーコロンビア計画への国民的な反撥と90年代の反アジア人運動に起因する政治混乱の記憶によって、オーストラリアは日本人を大量に受け容れるのだけは嫌である。

科学者たちの諮問機関も、たとえば水の観点から言えば、いまでもオーストラリアは1000万人の人口過剰で、10万人を越えるような日本人受け入れの余地はない。

そう考えながら、とつおいつ、世界を見渡して考えると、結局、「安全な故国」を失った日本人を受け容れてくれるのはブラジルと中国の二国だけであるだろう。
日本政府がこっそりと「5万人租界」計画をつくったインドがあるではないか、というひともいるだろうが、日本人とインド人双方の友達を見比べてみて、相性がいいとはおもえない。
あれもまた、「現実」のこととなるとからきしダメな日本の秀才が得意な「絵に描いた餅」に終わると思う。

考えてみれば、ブラジルと中国なる、このふたつの国は、日本が戦争に途方もない負け方をしたあとで世界中から嫌悪の目でみられていた日本人に手を差し伸べたふたつの国民だった。
戦争のあとと「絶対に起きてはならない事故」が起きたあとと、奇しくも同じ国の組み合わせです。

さて、この記事を読んだきみは、「空想がすぎる」と考えて、くすくす笑っていると思うが、ぼくにはあとで思い出して笑えるかどうか自信がない。
ぼくはもうすぐ自分の生まれた国に帰ろうと思っているが、その国で将来を決定する役割を担うひとびとの書いて送ってよこしたものを読んでいると、日本の役割がしるされていない。
オーストラリアやニュージーランドの町ならどこにでもある航空券ディスカウント店のウインドーから、むかしは目的地のひとつとして必ずあった「東京」「大阪」が消えてひさしいが、あるいは生活そのもののなかから、鮨、丼以外の「日本」が消えてひさしいが、「ふつうの人間」とは普段くちも利かない人間たちの頭が描く未来から「日本」の姿が消えたのはフクシマ後の日本の拡散方針が決まって以来のことであると感じる。

ぼくは、そのことを考えると息苦しい気持ちにおそわれる。
季節が変わる変わり目の、おそろしい風や、丘の向こうからあらわれて、突然雷鳴とともに襲ってくる驟雨の雲をめにしたような気持ちになる。
朝が来なければならない時間なのに、太陽には上る気配すらない。

ぼくは、どうすればいいのか?

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