平成日本への道_その1

日本の知識人、というものを考えるときに小針晛宏という名前を落とすわけにはいかない。
他の「世界」や「朝日ジャーナル」のような雑誌を舞台に活躍した(たとえば鶴見俊輔のような)知識人たちとは異なって、このひとは「数学セミナー」や「大学への数学」のような数学の初学者向けの雑誌、あるいは「京大新聞」を舞台にして活躍した。

いまみても、わかりやすくしようとくだきすぎた奇妙な文章や唐突な議論の展開は「知識人」という呼び方に相応しくないものにみえるが、しかし、このひとの思想には後の日本人がどこかに落っことしてきてしまったかけがえのないものがあって、いつかはブログでもなんでもいいから、あとからやってくるひとのために、サーバーのどこかに刻んでおくべき思想的業績を残したひとの名前なのである。
理想と現実を「本音と建て前」のような詐欺的な欺瞞に切り分けられなかったこのひとは自分たちがおかれている状況に絶望して、自分よりも若い世代に希望をみいだそうとした。
ぶっくらこいてしまったことにはツイッタでときどき会いにきてくれる年長の友達、村上憲郎は小針晛宏から教室のなかで教師と学生として直截やりとりを交わしたという。
なんちゅう幸運なひとだろう、と思うが、あちこちに散らばっている小針晛宏が書いたものを眺めていると、この理想と現実のあいだで押しつぶされて自殺した数学者が真に期待していた世代はもうひとつ下の世代「昭和30年代うまれ」の人間たちだったようである。
いわゆる「団塊世代」に対しては、より若い世代を常に愛していたこのひとらしく、「期待」というよりは「仲間意識」を保っていたように見えます。

昭和30年代生まれのひとびとというのは商業主義のなかで奇妙に美化された世代で、
実相がもう見えにくくなってしまっている。
このブログにはなんども出てくる、もういいかげんどうでもよくなってきたのでばらしてしまうと、わしの日本語と日本文化の先生である義理叔父はまさに「昭和30年代生まれ」だが、
この容色のさえないおっちゃんから聞いた「昭和30年代生まれがみたもの」をここに書き残しておくのも、それほど悪い考えではないだろう。

「舗装がない道があってね」と区名で言えば渋谷区に生まれた叔父が言う。
クルマが通ると埃がまいあがるのだよ。
雨の日は油断してると水たまりの泥水をびっしゃああーんと頭からかけられる。
むかしの日本人の運転は荒っぽいなんてものではなくて、「カミカゼタクシー」という言葉があったんだけど、ふつーの道をさ、時速百キロとかでとばしちゃうのね。
足もとがすううううーと寒くなって、夏でも涼しかったりしたんだよね。

それから記憶が相当美化されているのではないかと思うが、日本橋の三越前で、あれはたしかトラファルガー広場のライオンのコピーのはずの、二頭のライオンの脇に立って雪が盛大にふりはじめた通りを見ていたら、いつもは都電が通る線路を「トローリーバス」が通って、パンタグラフと電線とのあいだに青白い火花が散って綺麗だった。

「そーゆえば、いまになって都電都電て日本のひとは言うんだけどさ、その頃は「あんな邪魔なものをなぜ走らせる。都の職員が給料が欲しいだけだろう」とメッチャクチャに憎まれていて、ほんで廃止になったのね。いまになると「効率主義の犠牲」とかっちゃってるけど、全然ウソなんです。都民の希望がやっと叶って廃止になった」
へえ。

だいたいむかしの東京とかは唖然とするくらいきったない町で、商店街あるでしょ、そうすっと通りからはカッコイイ建物に見えるんだけど、実はそれは芝居の書き割りみたいに建物にどっかの写真かなんかで観たカッチョイイ家の絵を描いた、板みたいなファサードが貼り付けてあるだけでさ、後ろはチョーこぎたねーボロ小屋なんだよ。
そーゆーのを「看板建築」と名付けたひとがいるのだけれどね、なんちゅうか、子供だましというか、投げやりというか、
そーゆー、冗談みたいな建物がたくさんあった。

プロレスがすごく流行ってて、力道山という北朝鮮出身のひとがなぜか日本人あこがれのヒーローでね。さんざん汚いことをするアメリカ人レスラーとかにいじめられて、隠し持ったフォークとかでぶすぶす刺されちゃったりして、血まみれで、えーと、なんちったかな、あのひと、ジョセフ・トルコ! このトルコっちゅう審判がまたマヌケで、カメラの側から必ずみえてるフォークとかの凶器にいつまでたっても気が付かないんだよ。
でも最後には、「カンベンできるのも、ここまでだ。日本人を怒らせるとこわいぞおおおっ、ちゅうんで、空手チョップ空手チョップ空手チョップ!で、エラソーな白人をマットに轟沈するのですな。実はこれ、日本人の自民族観を形成したのだと思う」
ほんとかよ

土曜日は黄金の日で、なんとなれば、午後4時半からサンダーバードがある。
ありっ、日曜日かな?ま、どっちでもいいよね。
ほんで、これが終わると鉄腕アトムで息もつがずに「コンバット!」なのよね。
鉄腕アトム。
そーそー「アトムボーイ」のことよ。
日本では、ちゅうかもともと「鉄腕アトム」という。
あれ、初め実写だったw
飛ぶところとかピアノ線みえててさ、ジェットの煙が上にたちのぼってるw
ほんで演ってるの子供なもんだから、くたびれて足がだんだんさがってくるw

アニメになってからは、マジで、くらああああい、かなしいいい物語ばっかりで、
いま考えると、なんであんなの子供に人気があったかわからない。
鉄腕アトムは、ロボットなので、人間からいつも差別されている。
「おまえなんかパチモンじゃん」とゆわれて、悔し涙にくれるのね。
でも人間からのロボット差別にたえかねて戦争をしかけても、圧倒的な力で粉砕されて負けてしまう。
パチモンがほんものの人間に勝てるかよ、という結論なの。
ロボットを日本人、人間を欧州系人におきかえると、日本人がみつめていた日本人像そのままなのがわかるよね。
ぼくはさ、「鉄腕アトム」が日本の「戦後民主主義」をつくった、ちゅうか、そのものだと思ってるんだよ。
文明人のパチモンみたいにゆわれてアトムはいつも傷つき苦しむんだけど、いっぽうで、人間達の偏見にたえかねてたちあがるロボットたちは粗野で過剰に暴力的なんだよね。
アトムはあいだに立って悩み苦しむんだけど、最後にはいつも「ぼくはロボットだが人間として生きよう」と決意する。
アニメのなかのロボットたちが通常従順で、集団行動規範を模範的に遵守してるっちゅうのも、やっぱり日本人ぽかったんだ。

流行歌とかは、ぼくがすごく小さいときはトリオ・ロス・パンチョスみたいなメキシコのバンドがベスト・テンにはいってたw
「シャボン玉ホリデー」っちゅう、バラエティショーがあってね。
クレイジーキャッツ、って、ジャズバンドがジャズで食えなくてコメディアンになったひとたちが、毎週バカぶっこいてうけてました。
きみの好きな植木等は、このバンドのギタリストだったんだよ。
歌が主体で、戦前からビートたけしまで続いた「浅草スタイル」の幕間狂言が随所にはいる。
ほら南原のKさんの別荘に遊びにいったときKさんが中華粥つくってもってくるときに「おとーさん、おかゆができたわよ」とゆったら、みんなが大爆笑していたでしょう?
あれは、その何度も繰り返されるコントのひとつなんだ。

もうひとつNHKでは「夢であいましょう」という音楽番組をやっててね。
こういう「シャボン玉ホリデー」や「夢で会いましょう」でもアメリカのポップスやなんかがそのまま日本語の訳詞でヒットチャートにはいる、というのはよくあった。
「Lost in Space」
http://en.wikipedia.org/wiki/Lost_in_Space
や「Laramie」
http://en.wikipedia.org/wiki/Laramie_(TV_series)
も、すごく人気があるドラマだったんだよ。
いまは「洋モノは流行らない」が常識だけど、その頃は、アメリカ人の生活への憧れもあったんだと思うよ、アメリカのテレビ番組がずいぶん流行ったものだった。

えっ?テンプターズ?
ああ、きみが大好きなテンプターズみたいなのは「グループサウンズ」って言ってねw
タイガースがいちばん人気があったんだと思うけど、いまの話のすぐあと。
その頃は日本の流行歌はものすごく人気があった「演歌」と「若者向け音楽」にすっぱりとふたつに岐れていて、なんだかんだゆっても儲かるのは、「悪いあなただけど、わたしの身体をささげるわ」の「演歌」のほうだった。「女の操」とか「女のみち」っちゅう、オソロシゲな題名の歌が100万部どころか400万部とか売れちゃうので、ぼくは、どーもこの国って、おれが考えているイメージと全然ちがうんじゃないか、と悩みました。
そのうち天地真理みたいな「アイドル」もでてきて、なんだか、どんどんぼくからみると訳がわかんないほうに行ってしまった。

深夜放送、というのがあって、たとえば「なっちゃんチャコちゃん」とゆーよーなDJ(とゆってもアメリカやなんかのDJとは随分違うんだけど)がいて、リスナーがはがきを書く。
運がよければ読んでもらえる。
この深夜ラジオというのは、大学受験生くらいを中心にした若いひとの「仲間意識」の中心みたいなところがあってね。
自分の悩みを打ち明けて、みなが考えたり、大爆笑な体験をぶちまけたり、昼間の「女の操」な社会とは別の社会が午前1時から午前3時まで仮想的に存在してた。
ほら、堀江っちゅう、あんましコンピュータがわからないIT企業家がいたでしょう?
あのひとがニッポン放送を買収しようとしたときに社長がでてきたじゃない?
亀渕昭信。
あのひと、ながいあいだ、オールナイトニッポン、っちゅう、そういう深夜番組のひとつをやってたひとでね。
だから、ぼくは、シャチョーのおためごかしで「ラジオはオカネじゃないんだ」と言ってたんじゃないの、知ってたよ。
あのひとは、ほんとうに、心から、そう思っていたんだ。
小島一慶なんていうひとは、いまはどうしてるか知らないが、
ディスクジョッキーをやめさせられて、若いリスナーと別れなければならないと知らされたら大荒れでさ、「こんなクソ会社やめてやる!」と叫んだかと思ったら、「おれは、みんなと一緒にいたかったのに、なんでそれが判らないんだよお。会社のバカヤロウ、TBSのバカヤロウ!」というなり泣き出しちゃってさ。
そのまま、ずっと放送もしないで午前3時まで哭いてたw
すげーヘンな奴だった。

ああ、ちかれたび。
ガメ、とんかつ食いにいこうぜ。
「三丁目の夕日」の昭和30年代はただの「オハナシ」で、第一ぼくが観るとバンコクかどこかのお話みたいで東京ぽくすらないが、
ぼくはガメが日本の、きみがいうところの「文明」を理解するのに50年代から70年代に着目したのは正しいと思ってる。
協力する。
この次は、もっと悪い面の話をしよう。
昭和30年代生まれの「無責任ぶり」が、いまの日本の窮境をうんでいる、とぼくはおもっているが、それには理由があるんだ。
だから、ぼくはきみをそこにつれていかなければならない。

この次、ここであったときに、一緒にでかけて訪問しよう。

(そうして、義理叔父は、いざカツ丼!とかなんとか、訳のわからないかけ声と一緒にクルマをとりにいったが、わしは、そうやって、この後、何年ものあいだ、日本の50〜70年代をベンキョーすることになる。おもえばアホい話でごんす)

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