平成日本への道_その4

三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺したのは、1970年11月25日のことだった。
三島由紀夫というひとは、ある意味では不幸な小説家で、三島由紀夫の書いたものをああ、あれね、という調子で軽くみたり、皮肉な表情で唇の端をゆがませて笑ってみせるというような反応をすることが知的な人間の証拠のようになっていて、それはいまでも続いているように見える。
ぼくが初めて三島由紀夫の小説を読んだのは「春の雪」で、恥ずかしいので小さな声でいうと、英語版だった。
「When conversation at school turned to the Russo-Jpanese War, Kiyoaki Matsugae asked his closest friend, Shigekuni Honda, how much he could remember about it.
で始まるその物語は、英語の物語としては、この一文をみればわかるとおり、なんだかごつごつして調子が外れた、やや退屈な物語だったが、ずっと後になって、「美しい星」を読んで以来、ぼくはこの小説家の書いた小説を手にはいるかぎりは全部読む事になる。
熱狂的なファンだったかというと、そんなことはなくて、漱石のようにすっかり耽溺して読み込んでゆくこともできなかったし、透谷のように強い敬意をもって考える習慣の対象にもならなかった。
ただ分厚い鎧のように、当時としても陳腐ぎりぎりだったはずの、擬古典風に装った装飾的な文体、当人は「バロック風だ」と考えたりしたらしいが、ぼくには到底そう思えなかった文体の向こうに、「透明な心」というか、ふるえている子供の魂というか、名状しがたいむきだしの痛々しさがみえて、それがおおきな魅力だった。

当時の文学への評価をみると、それがおおきく政治性を帯びていたことに驚かないわけにはいかない。
どんな時代であったかをふりかえってみると、ベストセラーには「北杜夫」というような名前があがっている。
「ドクトルまんぼう」シリーズという、(皮肉ではなくて)どこが面白いのかぼくには結局よくわからなかったエッセイ集がバカ売れに売れて、自信はないが、どうも当時の中学生くらいのひとびとの「読書への入り口」の役割をはたしていたようにみえる。
ぼくが神保町で買い集めた頃には200円や100円という値段でワゴンに並んでいた北杜夫のこうした本を読んでいて、ひとつだけ驚いたのは、マンガが日本の社会で市民権をもちだしたのは、どうやら、いま信じられているような「新左翼系批評家」が評価しだした、というようなことではなくて、このひとが繰り返し、マンガはおもしろい、そのへんの小説よりもすぐれている、オトナが読むに耐える、となんども述べていたせいであるようにみえることで、初めはまったく取り合わなかった遠藤周作や北杜夫からみれば「先輩」にあたる吉行淳之介までが、だんだんとマンガの市民権を認めてゆく過程が対談やエッセイを読んでゆくに連れて、手に取るように時系列でみえてくるしかけになっている。

北杜夫は偉大な歌人斎藤茂吉の息子で、戦前の東京の山手人なら知らぬひとのない青山脳病院の創設者の孫で、小説家や音楽家、研究者をおおぜい輩出したので有名な麻布中学の出身で、母親が息子に望む職業の代表である医師であったので、このひとの発言は「それならマンガくらい息子が読んでもいいかも」と教育熱心な母親たちに思わせるには充分だったようである(^^)

このひとは「楡家のひとびと」というエッセイ群よりも遙かにおもしろい小説を書いていて、トーマス・マンのファンであったそうだが、話のなかで流れる時間が、たしかに「魔の山」といういまでは英語世界ではほぼ忘却された物語のなかで流れている時間にやや似ている。トーマス・マンとT.S.エリオットは、クロスオーバーというか、お互いの書いたもののなかで、お互いの作品についての感想をひそかに述べあっているが、北杜夫の世代のひとにはそれが見えていなくて、その「詩の欠落」が「楡家のひとびと」を表層的なものにしているが、偉大な詩人を父にもちながら、ということも出来るが、当時もいまも、大江健三郎のように意識して西洋型の文学理解に努めた作家は別にして、詩への理解力をもたない日本の小説家に、詩世界と協調してその時代の文学を構築するなどとは高望みにすぎることであっただろう。

もうひとつは、日本の文学者たちは、多分明治時代の文学者の嗜好に淵源をもって、大陸欧州(しかもイタリア・スペインはなぜか落としてしまっている)の、フランス、ドイツばかりに偏った文学理解なので、英語文学というものへの見方が、英語人からみるといつも苦笑させられる大陸人の手前勝手でドイツ人などは往々にして田舎者風の見解から、さらに妙な方向に向かってしまったので、あさっての方角からみてしまって、たとえば英語文学における「詩」の巨大さを最後まで理解できなかったのであるようにみえる。

北杜夫とそれにやや遅れて同じような「ユーモアエッセイ」で売れっ子になった遠藤周作とは一億円をこえる年収で、当時の一億円は大雑把に言えばいまの十億円の価値があるだろうから、60年代から70年代の作家という職業が日本ではいかに「儲かる」ものであったかがわかる。

三島由紀夫は「宴のあと」のようなすぐれた大衆小説も書いているが、次次とたたきつけるように書いていった「純文学」、「金閣寺」「午後の曳航」「絹と明察」「禁色」というような60年代前半の小説群ですでにベストセラー作家の地位を保っていて、ポルノ小説や「ユーモアエッセイ」でめまぐるしく変わる他の長者番付に載る作家たちと一線を画していた。

トーダイおじさんたちの話を聞いていて面白いのは、三島由紀夫の主要な読者が高い教育を受けていない若い女びとたちである、とみなされていたことで、ちょっとぶっくらこいてしまうが、どうやら三島由起夫の「ファン」というのは「女性自身」や「女性セブン」の読者と同一であると思われていたらしい。

「朝日ジャーナル」といういまからみればよくもわるくも日本の現実から遠く離れた観念世界で左翼的な理想を追求していたかにみえる雑誌を読むとわかるが、その頃の日本は、いまからは到底想像ができないくらい教条社会主義的な国で、それを岸信介を出発点とする一連の政治家の系譜が代表するような、あるいは瀬島龍三のような存在がおおきな意味をなす世界が傍線のように続いていったのでもわかるような、国家社会主義的指導層が、アメリカをにらんでバランスをとってみせているかのような、不思議な左右のバランスのなかで国が疾走していた。

三島由紀夫のような小説家はその直截の被害者で、三島というひとには政治性が乏しく、強いていえば右翼からしてみると迷惑なような、大アジア主義という日本の伝統右翼の思想には微塵の興味ももたない、「はねかえり右翼」にしか過ぎなかったが、それがただ左であるよりは右にみえるというチョーくだらない理由で、常に文学や知の中心からは疎外される運命にあった。

三島というひとの知性のバランスの悪さは、「金閣寺」という小説の題名は、ほんとうなら「金閣」でなければ三島のような作家にとっては決まりが悪かったはずで、実際、どの時代でも日本のようなタイプの国には特に多い「正確な知識」を披瀝したがるひとびとにはいまに至るまで笑われつづけている。
ドナルド・キーンの本には三島由紀夫がソメイヨシノを知らずに、ドナルド・キーンに名前を訊くので、すっかり驚いてしまうところが出てくるが、三島というひとの知識への観念は、そういうものだった。

日本語の外から観察するものには、日本語が理解できさえすれば、60年代から70年代にかけて、日本でもっとも驚くべき仕事を成し遂げたのは現代詩で、田村隆一、鮎川信夫、吉本隆明、岡田隆彦、岩田宏、吉増剛造、西脇順三郎、というような燦めく恒星のような詩人たちが、次から次に当時の同時代の世界のなかでも最もすぐれた詩を書いている。
西脇よりも若いが早くから引退者風にすごして、画家や音楽家たちに尊敬をこめて語られていた瀧口修造の詩が新しい光の下でみられはじめたのも、この頃である。

川上宗薫などというひとは、次から次に知らない女びとと性交して、それをもとに日本でもっとも販売部数がおおいポルノ小説を次から次に書いたひとだったが、「川端康成がいくら小説がうまくたって、おれのほうが何百倍も読者は多いんだ」というのが口癖で、いまでいえばフォロワ数が多いのが自慢の有名人のようだが、一方で誰にも読まれずに、当の川端康成くらいしか賞めるひとがいなかったすぐれた小説をいくつか書いていることを考えれば、編集者たちが文字通りうけとった「へのこじまん」であるよりは、「読者が多い」ということの意味をよく知っている人の自嘲だっただろう。

三島由紀夫も「女性自身」を読む手をやすめて自分の小説に手をのばす若い女の読者が離れてゆくのを承知の上で「憂国」や「英霊の声」という、文学というよりは「苛立ちの表現」と呼びたくなるような物語に惑溺してゆく。

日本の文学は「左翼的」といまなら呼びたくなる「教条」と、実際には戦前文学の伝統の生き残りである三島由紀夫・川端康成的世界と、繰り返しになってしまうが当時の文学の真正の実体であった現代詩とにおおきく引き裂かれて、そのフラストレーションのなかで、市場的な狂気のようなものに包まれてゆく。
一方では旧制中学的教養主義が生んだ、男版宝塚というか、屈折した欧州文明受容者たちで編成された「第三の新人」たちも基調底音のように続いている。

なんだか平成めざして書いているのに、60年代70年代の文化のディテールからなかなか出られないが(^^)、この次は、この文学が政治と社会、もっと重要なのはその裏側で強い圧力として働いた出版社の官僚主義と商業主義、当然の成り行きとしてマンガの世界まで、なんとかして、でかけたい、と考える。

もうくたびれたから今日はダメだけど。
ほんでわ、また。

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