L.O.V.E

「東京ポップ」
http://en.wikipedia.org/wiki/Tokyo_Pop
は日本人と外国人との関わりを考えるためには素晴らしい映画だった。
初めは酔っ払って友達たちと「偶然いあわせたハクイパツキンのねーちゃんとイッパツやれるかどうか」オカネをかけて、相手をだまして無理強いにセックスをしようとする若い日本人のバカ男と物事をちゃんと考える習慣のない無防備な女の子が、だんだん真剣に恋におちて、ふたりで新しい生活を始めようとする。
ふたりは日本のヒットチャートをかけのぼって到頭チャートの1位になるが、
女のほうは「日本という国には根本的なリアリティがかけている」と考えて、カップルを解消し、カリフォルニアでいちから出直す、という、ちゃんとおぼえていないが、だいたいそういう物語だった。
この物語の初々しさは、「親日」や「反日」の日本人だけがこだわるわけのわからない感情や、国際理解というような空疎な観念から遠いところで、言葉も違えば、考え方もまるで異なる若い男と女が、愛しあって、なんとかお互いを理解しようとして、やがて、そんなことは不可能だと悟って別れてゆくのに、お互いをかけがえのない「仲間」だと感じる強い絆だけは残って、愛情と名付けても友情と名付けても、うまく全部を説明することはできない「魂の結びつき」をつくってゆく過程がいきいきと描かれているところで、それは現実の「異文化カップル」の現実そのものだった。
ぼくには、義理叔父が、このビデオを後生大事にもっていて、一緒にプロジェクタで観ているあいだじゅう涙をぬぐっていた理由がわかるような気がする。

モニとぼくは異なる文化からやってきて、一緒に住んでゆくのに驚くことがおおかった。考え方もちがえば、感じ方も、個人の違いだけではなしに明らかに文化の力でおおきく異なって、そういう違和感や異なり方は、仕草を伴う感情の反応や、あるいは他人にいうわけにはいかないバスルームのドアの向こうがわで起こるようなことでもいちいち異なっていて、あまりのことに、お互いをびっくりさせた。

モニとぼくはフランス語と英語という共通の言語をもっていたが、
言葉も通じないふたりが、やがて愛し合ってゆくようになるのは、不思議なことではない。人間の男と女は議論をつくしてお互いに納得してはじめて肉体関係をもって愛し合う、というふうには出来ていないからで、現にぼくの知っている言語が異なるカップルには横でみていて、お互いに言葉がカタコトでしか通じていないカップルがいくらもある。
そーか、お互いに幻想をもって好きあうのだな、とはやとちりをする人もいるかもしれないが、そういうことではなくて、人間にはお互いになんでも許しあって生きてゆける相手が嗅覚でわかる能力がある。
もっと踏み込んで述べれば、相手がひとりだけならば人間には言葉をまったく使わなくても、少なくとも言葉によるよりはお互いをわかりあう能力をもっている。

無論、異なる文化を背景にした結婚は同じ文化を背景にした結婚とは比較にならないほど離婚する率が高い。うまくいかないほうが、ずっと多い。
第一の理由はやはり言葉で、義理叔父を例にあげれば、日本人でこれほど英語が上手なひとをみたことはないが、それでも子供の頃は、なんだか言語的に「よくわからないがとてもヘンなひと」という感想をもって眺めていた。
普段は割とふつーにしているが、かーちゃんシスターに何かもごもごと述べたかと思うと、次の瞬間、はっきり聞き取れないで聞き返したかーちゃんシスターに明らかに苛立った態度をみせるので、子供のときは、なんという失礼な奴だと考えて、妹とふたりで「失礼なジジイだな」と合唱したりした。
妹もぼくも子供だったので、目の前の大の男が、たかが英語が通じなかったくらいのことで、そんなにショックを受けているのだとはわからなかったのです。

あるいは同じ理由によって、ぼくが最前まで述べたことと、まったく関係のないことを話し出したりするので「叔父さんは、ひとの話をぜんぜん聞いてないと思う」といって怒ったこともある。
いま考えてみれば、実はその頃はまだ母語なみに英語がわかるようにみえても単語を拾い集めて意味を推測しているにすぎなかった義理叔父は、どうしてもわからないと、あてずっぽうで話しをすすめていただけのことだった(^^)

かーちゃんシスターに訊くと、福島第一事故のあとで離婚した「国際結婚」の夫婦は多かったようだった。
「ガイジン」であれば、あたりまえだと思うが、あるアメリカ人の女のひとは、子供たちの手をひいて一目散に故郷のニューヨークめざして逃げたが、旦那さんは、なぜそこまで病的に放射能をこわがるのか判らなかった。
だって、みんな普通に暮らしているのに、どうしておまえだけがそんなに大騒ぎするのかわからない、という言葉が決定的で、
「わたしには、もう夫のことがわからなくなった」と、そのひとは述べたそーである。
自分が好きだったのは、誰だったのか、と何ヶ月もずっと考えました、という。
あんな見知らぬひとが自分の夫だったのだとは考えた事がなかった。

モニは、ぼくが「どうしてものごとを充分に説明しないのかわからなかった」という。
モニが激した感情にまかせて「もう、別れるしかないと思う」と言ったことがあるが、ぼくはマヌケなので、「そうですか」としかいうことができなかったw
実がないとなじられても、愛してないのではないかと言われても、「そうか」としか言わないのでモニはたいへんに悲しかったという。

英語人には「感情をあらわす」という美徳がないので、ほかに反応のしようがないから「そうですか」と述べただけだが、それがモニには途方もなく冷たい人間性の証左におもえた。

同じ英国人か、あるいはニュージーランド人ならば、ロマンティックな激情や、誇張した表現は、真剣な場面ではやろうと考えてもできないので、お互いに不動産屋か事務弁護士の冷静さで事態の行き詰まりを述べあって、相手が「わかりました」と言って踵をかえしてドアを閉めて立ち去れば、そこで初めて歯をくいしばって、それでも間に合わなければ、近隣の住民に聞こえないように窓を閉めてまわってから、世界中で誰よりも愛している人の要求に「うん」と言えない自分の我が儘勝手の不自由さを呪って大声をだして泣くだろう。
そうして、立ち去ったほうも、取り澄ました態度で「否」と述べた相手がきっとそうして身も世もなく泣き狂っていることを知っているだろう。

「ノッティングヒル」
http://www.imdb.com/title/tt0125439/
というアメリカ人がつくったUK人の男とアメリカ人の女優との恋愛を描いた有名な映画があるが、外国人がみているぶんだけ、UK人の世界がうまく描かれている。
アメリカ人と英国人ではまるで別の生き物だが、どうやら自分は難しい恋に陥ってしまったようだと悟ったジュリア・ロバーツ演じる大女優が、ある日ヒューグラント演じる古書店主のもとにやってきて、「あなたの前に立っている女は、(有名なハリウッド女優としてではなくて)恋をしたひとりの女の子としてここにやってきていて、自分が好きになった男の子に愛していると告白しにきているのです」という、ありったけの勇気をふりしぼっての、せいいっぱいの告白をしているのに、じっと自分の内心を見つめながら聴いていた古書店主は、その一世一代の求愛に対して「ノー」という。
女優のほうは、「そうですか」と述べて静かに去っていく。

そこには殆ど英語人にだけ理解できる、身勝手な文明がもつ、どうしようもない哀しみがあって、
ほかの点ではそれほど出来がよいと言えなかった映画全体を救っている。
そして、そーゆーことも、どうしても英語人同士ではないとわからないのではないかと感じてしまう。

どんなにセックスの快楽にとりつかれた人間でも、セックスの相性がいいからといって結婚するバカはいない。
普通の知性をもつ人間は、セックスの快楽などは本質的でないと知っているからで、どうしても肉体的相性があわなくても、魂がよびあっている相手と結婚して、いっそ肉体の関係を捨てて、同じ屋根の下で禁欲的な生活を送るのは、あたりまえのことであると思う。

それならば言語も文化も同じくして、魂がいきあうドアがいくらもある相手と結婚すえればよさそうなものだが、それをすら、そうはいかないのが人間の魂の面白いところなのだと考える。

人間はバカでバカでどこまでもバカで、友達の例をばらしてしまえば、デブPは韓国人の女の子と恋におちたが、アホ男らしくも、ちん○んがおおきすぎて相手に入らなかった。
カウチに倒れ込んで半日頭を抱えて泣き狂って考えたあげく、手術のカネを貸してくれ、といいにくるw
別れるときには相手の女の子は「元のおおきさに戻すからカネを寄越せ」と言ってきたそーであるwww

でもデブPもぼくもモニも、かーちゃんやかーちゃんシスターですら知っていることは、「それでいいのだ」ということであって、人間はおもいきりバカだが、その愚かさのなかで自分の魂を投企しつづけることによって、人間は「切実な思想」というものを学んできたのだと思う。
神は知性ならば人間に較べて桁違いに優れているが、あらゆる普遍の、あまねく、行き先においても人間のもつ切実さを獲得できなかったのは、要するに「愚かさ」というものが巨大な能力であると理解できなかったからだろう。

そして、その、人間だけがもつ跳躍の能力は、「恋」という、理屈でならどんなふうにでもずたずたに解剖してみせることが出来る、言葉の能力を遙かに越えた無明のなかからのみ生まれうるものだと思います。

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