Monthly Archives: November 2012

美人について

子供の頃、牧場に立って空を見ていたら、白雲がユニコーンの形をつくって駈けてゆく姿になったのを見て驚いたことがあった。 そういう出来事を目撃した時の常で、記憶のなかでは随分ながい時間だったことになっているが、実際には2,3秒のことだっただろう。 「美しいひと」というのは、あのときの積雲のいたずらのようなものではないかと考えることがある。神様の一瞬の気まぐれ、あるいは天使がほんのいっときよそ見をしているときに、偶然が意地悪くはたらいて、この世のものとは思われない美しいひとをつくってしまうのであるに違いない。 美しいひとは、肉体の輪郭はおろか、肌の輝き、眼の色、髪の毛の質に至るまで美しい。 目の前にあるのは現実でも、どちらかというと幻に似ている。 幻でないのなら、きっと自分の頭がどうかしてしまっているのだろう、と考える。 いつか知り合いのパーティにでかけたら、よく知っている声がきこえて、 「ガメが引きこもってばかりいるのは、あれは、モニさんを寝取られるのが怖いに違いない」と言っている。 相手は、まさか、と言って笑っていたが、盗み聴きしてしまった当の本人は、 案外そうかもしれないな、と考えて、へえ、と思った。 モニというひとはさまざまな魅力があるひとだが、どんな男にとってもわかりやすい平凡な意味での女としての魅力もあるひとで、たいていのひとはドギマギして、いまにもひれ伏すか腰を抜かしてしまいそうなふうだが、なかには一目で恋い焦がれてしまって、「どうやってでも手中にしたい」と考えるひともいる。 「手中にしたい」というところで、もう旧弊で願い下げな感じがするが、恋に狂う男や女というのは意外と凡庸な情緒のひとが多いので、どうしても、そういう理解の仕方に傾くもののようです(^^;) そういう、男が本人だけが誰も気がついてないと思うたぐいの態様で、なんとかしてモニの関心をひこうと思ってあれこれ懸命にモニに働きかけるのを見ているのは、心配になることはないが、鬱陶しいと思うことはあって、結婚してからも、人間にはそうそう分別はありはしないので、たいして変わらないといえば変わらなくて、めんどくさいからひとにあわなくなっているのではないかとおもうことがある。 モニ自身は、もっとはっきりとそういうことが嫌いなので、それでパーティのようなものが嫌いなもののようである。 何の本を読んでも「自分が美しいとしっている女は興ざめである」と書いてあるが、モニにはあてはまらないようだ、というよりも、モニが美しいひとであることはごく自然に誰でも得心していることで、それほど自明なことを本人が知らない、というほうが考えにくいように思える。 美しいひとと結婚するというのは、いろいろな点で奇妙なことだが、たとえばモニのお気に入りのでっかいサングラスを外してくつろいでいるときには、ちょっと見回すとほぼ必ずカメラや携帯をこちらに向けているひとがいる。 そんなバカな、いくらなんでもそんなことがあるわけがないという人がいるだろうが、現実にそうなものは仕方がない。 レストランで話しながら、ふと厨房のほうをみると、いつのまにかシェフがこちらに向かってカメラを構えていて、眼があうと、バツが悪そうに右手を挙げて挨拶したりする(^^)  日本のフェリーで三脚を立てた一眼レフを正面からじっとモニに向けて写真を撮っている団塊おじさんがいて、いかにもモノ扱いされているようで不愉快だったので、ふたりで頭からコートを被って顔を隠してしまったことがある。 何分かそうして、なんて失礼な奴だろう、やだね、あんな人、とコートの下で言い合ってから頭を出してみたら、そのひとは相変わらずまだこちらに向けたカメラを平然と覗き込んでいて、なんだか暗い感じのするその無遠慮な執拗さにぞっとしたこともあった。 そこまで不躾なひとは少ないが、視界の隅にカメラを構える人が映るのは年中で、落ち着かないと言えば落ち着かない。 モニが12歳くらいになってからいままで、いろいろなひとが撮ったモニの肖像の数は、どのくらいになるだろうと思うと、なんだかおもしろいようなおもしろくないような曖昧な気持ちになります。 むかしは美人というのは、基準が歴史や文化の背景によってつくられるもので、時代や場所によって同じ姿や容貌のひとが美人であることになったり凡庸な容姿のひととみなされるのだろう、と考えていた。 美術の解説本のようなものにも当然のようにそう述べられているし、信じやすい理屈でもあった。 ところが幕末の日本人が書いたものを読むと、西洋人の女たちを初めてみるのであるのに、その美しさにびっくりしてしまっている。 福沢諭吉というひとなどは渡米して百科事典よりなにより驚いたのは若い女の美しさで、この、なにごとによらず物怖じするということがなかった幕末の啓蒙家は、写真屋を連れてサンフランシスコの町を歩き回って、これは、と思う美貌の女びとを呼び止めては写真を撮ったもののよーである。 一方ではハワイ大学で教員をしていた中国系アメリカ人の女のひとは「源氏物語ですら肌の白さを美の基準にしているところをみると、日本人はむかしから白人崇拝の悪い傾向があったようだ」という論文を書いて物議をかもしたことがあって、遠藤周作という作家が大憤慨しているのを読んだことがあるが、いくらなんでも、憤慨するまでもなく、 珍説にすぎないのは誰にでも明らかであると思う。 注意して眺めていると、人間の美にも「絶対の基準」というものがあったようで、そのときによって、ふくよかで乳房が小さいほうが美人とされたり、瓜実顔の引目が賛美されたり、あるいは現代の世界のように眼がぱっちりと張っていて、瘦せて腰がくびれていたほうがいいというようなその時代の傾向とされるもののほうが返って観念的な誇張であったのだと思われる。 ひとつには、自分が生まれた家にもモニが生まれた家にも、写真のかわりというべきか、遙か昔に描かせた肖像画という悪趣味なものがいくつもあって、それを見ると、家に「周囲が困るほどの美人であった」と伝わっている人の肖像は、意外なほど現代的な面立ちで、世紀を越える眠りからさめて絵画のなかから、よっこらしょといまの世界に降り立っても、数ブロックも行かないうちに求婚者があらわれそうな人がいて、観念的な時代や地域による嗜好とは別に、人間が普通に美しいと感じる面立ちなり姿なりというものがやはりありそうに思える。 いまでもモニにあまり笑い話でもなさそうな顔で嫌みを言われるが、もともとはアフリカ人たちの褐色に太陽が凝縮したような姿が好きで、週末に遊びにでかけるのもアフリカ人の女びとが多かった。 誰でも知っているとおり、アフリカ人には現実とは到底信じられないほど美しいひとがいて、まるで女神のように輝くひとを見つめたり抱き合ったりしていると、頭がぼおっとしてくるほどだった。 こうやって書いてくると、なんだお前は人間の外形ばかりをみて内面を見ないのか、ケーハクなやつだな、と言われそうだが、居直るというわけではなくて、実際、外形以外で女びとを好きになったことはないようでもある。 それは自分では判らないが異常なことであるかもしれなくて、母親がたまたま美しい人であったのと関係があるとすれば、そこには心理学的な理由が潜んでいるのかもしれない、と思うことはある。 小さいひとに自分の指をつかませて、飽きもせずにあやしているモニは相変わらず女神が嫉妬に狂いそうなほど美しいひとで、小さいひとに敵意を抱きそうなほどだが、モニもやがては年をとって、しわがうまれ、髪の輝きが失われてゆくのだろう。 もっとも長いつきあいの配偶者はお互いの眼には若いときの姿で見えているという。 案外としわも体のたるみも眼に映らないのかもしれないが。 神様のいたずらで、一瞬の時空の気まぐれのようにこの世界に生まれてきた「美しいひとたち」は、その美しさによって、周りの人間を驚かし、動揺させ、悲しませ、酷いときには破滅に陥れる。 むかしから(このブログ記事にも何度か出てくる)「絶世の美女」という古色蒼然とした表現を使いたくなる娼婦の友人がいるのを憶えているひともいるだろうが、あのひとなどは、自分の美しい顔と肉体にあわせて演技をすることはあっても、ほんとうは繊細な磁器をおもわせる容貌とは異なって、いわば「男」のような性格で、カシノで会うと、ブラックジャックテーブルに向かう他人の足を止めて、とにかく一緒にいっぱい飲もう、ひさしぶりだろ、と邪魔をしにくるのは、どうやら「ガメが相手だと自分の性格を捏造しなくてすむ」からであるらしい。 あたまに「高級」という形容がつくにしても娼婦という職業の選択は、魂と肉体が乖離していることと関係があるのかもしれない、と自分でも述べている。 … Continue reading

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匿名と真実

アメリカ人がネットで「実名」を選択するのは、そっちのほうが実生活に利益をもたらすからで、特に他に理由はないと思う。 日本の社会には「糾弾体質」とでもいうべき集団サディズムがあって、たとえば酔っ払って職務質問に腹を立てて警官をぶん殴ったくらいのことでも、いいとしこいて正義の味方を気取るひとびとによって実名を大々的にあばかれ、職業を失ったりする奇妙な風習があるので、実名で他人と異なる意見を述べるのは愚行だと思うが、別にアメリカ人は特別に昔から民主主義をやってるから勇気があって正々堂々と意見を言う、ということではないのは、当のアメリカ人がいちばんよく知っているはずです。 実名で不動産ブログを起こして顧客を開拓したり法律ブログを開設してカモの猟場を広げるためにインターネットを使うのは通常のことで、それを匿名でやったのでは後々カネに変わっていかないので何をやっているかわからないではないかというわけで実名でブログを書く。 あるいは、SNSならなおさら、おー、21番街におるのかね、ほんならすぐそばではないか、一緒にビールでも飲まねえ?と述べて、綺麗な(とアイコンから期待される)ねーちんと落ち合う、という展開が常に期待されるが、これも匿名だとやりたくもない「純愛」に終わってしまうので、そういう情けない事態を避けたければ実名のほうがよい、ということになる。 もっとも、この、ねーかのじょおービールのまないー、の場合は初見で「ツイッタではシドと名乗ってるけど、本当はジェームズというのね。ジェームズと呼んでください」ということはよくある。 ルールの許容範囲内であるとみなされる。 でもそれも「シド」のほうが響きがカッコイイな、と思ってつけてみただけのことで、日本のように住所をつきとめて玄関の前にカメラを設置してみなでもの笑いのタネにする、というようなビョーキのひとたちがいて、そんなバカタレたちの相手をしなければならなくなったのでは、いくらなんでも時間の無駄で、敵わないからではありません。 アメリカにも4チャンネルがあるじゃん、というひとがいたが、中年国民がほぼこぞって参加しているのではないかと思われるほど広汎な支持をうけて、その栄誉をうけて創設者は日本国政府を頭からこけにしてるのにお咎めも追徴課税の通知も来ない2チャンネルと、2チャンネルの話を聞いて小規模なコピーサイトをつくって、いきなりカネがなくなって冷笑されているガキの失敗した小サイトと比較できるとおもうのは、どうかしている。 インターネットは英語世界ではあくまで現実と地続きで、ブログやSNSは、どちらかというと情報量が多い電話帳乃至同窓会アルバムみたいなものだと考えた方がイメージに近いと思う。 自分自身について言えば、実名でインターネットに住処があるのは閉鎖的なフォーラムだけで、なんとなく似たもの同士というか、ごくつぶしの集まりというか、ろくでもないひとたちがヒマにあかせて何の足しにもならない書き込みをしている姿を思いうかべれば、それでほぼそのイメージ通りであると思う。 お互いに成長の過程や学校でよく知った者同士なので、スカイプや他のビデオ会議も併用して、なんだこれ?とか、 アフガニスタンの帽子って、ナイツブリッジにも売ってるとこあるのか?とか、そーゆー会話が音声で交叉するなかをテキストもすすむ。 その一方で日本語やなんかのツイッタもすすめているので、「日本て、こんなことやってんだってえええ」 「へえー」 というような気の抜けたやりとりが並行して起きている。 ガメ・オベールが「わっし」という主語で日本語を話すことにしたのは、なるべく胡散臭く真実味が感じられないようにするためだったのは、たいていのひとが気づいた通りだった。なるべく真実味のない話し方をすれば、そこでどれほど深刻なことが語られていても権威主義に欺されやすいひとや自分の頭で考えられないひとは、ついてこられないからで、これはいまでも良い考えだったと思っている。 なぜ真実味が感じられないようにする必要があったかというと、わしの現実生活そのものが真実味が全然感じられないもので、そういう二重構造にしておかなければ、そもそも自分の生活を言葉に書いて考えてみることが出来なかった、ということがある。 しかも日本語でなければならなかった、といまでは自分では判っている。 もともとは神のあるなしということで日本語がよかろうと考えたが、実際にやってみると日本語で考えることには他にも都合がいいことが多かった。 世の中には頭がいいひとがたくさんいるもので、そうやって書いているうちに、わしのほんとうの姿を見破って、このひとはオカネがあるようなことを言っているビンボ人のふりをしているがほんとうにオカネがあるのではないか、とか、ニセガイジンのふりをして日本に住んでいるおじちゃんを創作しているが、ほんとうはほんとうに日本にいるのではないのではないか、とか、こうやって書くだけでもややこしい現実を絡まった糸をほぐすように見いだしていってしまうひとたちがいた。 そうして、頭の良いひとびとのせいで、ばれてくると、こちらでもだんだんめんどくさくなって、実際の生活をどんどんばらしてしまうので、なんだか匿名でやってても実名でやってても同じじゃん、な状態になってしまったが、ここには面白いことがあって、ガメ・オベールという匿名の人格が自分の頭のなかに生じてしまっているので、これは予想外のことだった。 特に日本語では、自分は自分であるよりはガメ・オベールであるよーで、普段、日本語を使う機会がまったくないせいもあって、頭のなかが日本語に移行すると、言語の移行がそのままガメ・オベールへの人格への移行になってしまう(^^;) 匿名が実体を獲得してしまって、たいへん奇妙な感じがする。 「将来のため」に英語を勉強してしまったりするのも悪いことではないが、言語を学習することの最大の楽しみは自分のなかに別の人格が形成されることであると思う。 わしのなかの日本語人格は明らかに日本語のなかに堆積した、というか染みついた、情緒や逃れられない考え方の癖、日本語以外では表現することも不可能な寂しさや哀しみの感情を含んでもっている。 そういうことから類推すると、日本語人が英語を身につけると、英語の、現実がなければ何もないとでも言うような現実べったりなところ、あるいは、この世界にポンっと投げ出されて、野原をひとりで歩いて行くような英語人の情緒を自分の精神のなかに形成することは、「将来のため」というような電卓で計算された未来よりも遙かに重要なことと思われる。 そのとき初めて言語こそが自分という存在の実体であった、と実感できるのだと思います。

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言葉のない思惟

人間の愚かさの根源は、自分が死ぬことはわかりきっているのに、そこから逆算して自分の一生をすごせないことにある。 そのうえに30歳の自分にとって17歳の自分はほぼ他人なのだから、50歳の自分にとって30歳の自分も、人間の精神時間の流れ方を考えれば若い自分を振り返ったときのようにアカの他人とまではいかないだろうが、兄弟というか、そのくらいは違う自分であるだろう。 つまり簡便に述べると(言い古されたことになるが)20歳の夏の一日は、その日一日のことで繰り返すことができない。 せっかく睡眠というものがあるのだから、小規模で明日に連続されることが一応保証されている死だということにして、一日をその都度リフレッシュされた一生のように生きられればよいが、人間の意識は疎漏なので、一日一日を稠密な意識で埋め尽くすというわけにはいかないのを、われわれはみな経験的に知っている。 眠っているときの大脳はかなり忙しくて、どうやら記憶の棚の整理をしているらしい。右のものを左、反応した大きさで揃えたり、内容で揃えたり、索引をつけたりで、なかなか忙しいのだという。 ぼくはほとんど夢を視ないが、数少ない夢をてがかりに考えてみると、ある夢においては言葉が介在していないことがあるよーにみえる。 ヘルプ・ミーと言っているのに村人がみんなクマさんになってしまっていて、誰も助けにきてくれない、という怖い夢を視たこともあるから、言語が介在する夢が存在するのはたしかだが、思い出しにくいのに強烈な色彩的印象を残している夢のなかには、「言葉のない世界」に属しているものがあったような気がして仕方がない。 いまは、人間の夢には言語が存在しない動物の夢と言語が介在する人間の夢と両方が存在するということにしてあります。 ところで動物の夢をみる自分がいるということは動物の生を生きている自分が存在するということだろう。 あたりまえではないか、というひとがいるのかもしれないが、全然あたりまえではない。 思惟で存在を保障されている「我」の傍らなり足下なりに、動物の生を生きている「我」がいては近代の「人間」の定義に照らして甚だしく都合がわるいと思われる。 死から逆算させることを拒んでいる生は、この動物としての「我」ではないかと疑うことは、困ったことに理屈にかなっている。 ぼくはよく自分の語彙がとどかない自我(と呼びうるかどうかは判らないが)というものが人間の一生において決定的な役割を果たしているのではないかと狐疑する。 神や悪魔と名乗っているものは、案外とそこに眠っているかもしれないからです。 でも、そうだとすると、人間などは救済の可能性がない存在だということになってしまうが。

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余白_1

1 いまは「品下って」しまったが、わしガキの頃はジャガーはまだイギリスでは人気があるクルマで、だいたい首の後ろが赤そうで頭の固い傲岸なおっさんが好んで乗るクルマだった。 XJS http://en.wikipedia.org/wiki/Jaguar_XJS やXJIII http://www.youtube.com/watch?v=hVB66Pg1rz8 があった頃のことです。 乗ってるおっちゃんはだいたいにおいてくだらないひとが多かったよーな気はするが、ジャガーはたいへんイギリス的なクルマで、「スポーツ」という言葉そのままだと中古ガイドに書いてあったりするが、そういうこととは別に、たとえばクルマを(あるいはイギリス風のものの見方を)よく知らないひとにとっては、XJ12とDaimler Double Sixの違いがよくわからない、ということがある。 イギリスのひとであれば、相当なクルマ音痴でも、「フロントグリルが違う」「クロームの使い方が違う」「後ろに小さくダブルシックスと書いてある(^^;)」というようなことで、パッと見て気が付く。 それ以前にXJ12とデイムラーではまるで違うクルマやんね、と考えて違いの説明に苦労するひともいそうだが、それはそれでイギリス式価値観にズボッとはまってしまっていて、「えっ、建物に。ふつう、出口なんかあるのか?」と考えているひとでありそーな気がする。 これがレンジローバーになると、もっとものすごくて、レンジローバーはなぜ売れたかというと、狐狩りに使うような丘陵地帯の道なき荒野をどんどん行けて、その実運転している人間は会社はつぶれてしまったのになぜかメイフェアとナイツブリッジには店がある(^^;)コノリーの皮を張ったチョー楽ちんな座席に座って自分の家の居間の椅子と同じ質の車内で寛いでいられる、というので人気がでた。 プリンス・オブ・ウエールズなる人は、いまでは年上の憧れのひとを熱愛するあまりシンガポールの沖合に沈没してしまったが、貴族的な人間で、たとえば他人が足下にも及ばない自分でも力をいれているコレクションをもっているが、その世界的に有名なコレクションは「贋作コレクション」です。 レンブラントの偽物やピカソの偽物のうち、専門家でも鑑定に悶絶するような真に迫った「良作」だけを蒐集して私有の一大美術館をもっている。 もう少しのべると、ミニクーパーというクルマはプリンス・オブ・ウエールズがいなければ市場に存在しなかったはずで、天才Alec Issigonis  http://en.wikipedia.org/wiki/Alec_Issigonis がエンジンを横置きにするという物凄いアイデアをもってつくった、このちっこいクルマはBMCが出したときには、全然人気がなかった。 ただひとり、この「ミニ」をひとめみて熱狂的なファンになったのが、プリンス・オブ・ウエールズで、エバンジェリストとなって、友達の顔をみれば、きみ、乗ってみろよ、あんな面白いクルマはないぜ、とゆって奨めて歩いた結果が、そのあとに続くミニの長い興隆の歴史のおおもとであると信ぜられている。 このひとが当時狩りに愛用したクルマはディスカバリでレンジ・ローバーではなかったが、それは正面から一流ではかっこわるいな、というこのすべてにおいて趣味の良いひとの典型的な上流階級趣味があらわれている(^^)  ダイアナ妃は気の毒だったが、チャールズのような男にはもともとコーンウォール公爵夫人でなければならなかった、レディ・ダイでは無理であった、と思う人が多い由縁であると思う。 レンジ・ローバーはディスカバリと違って、もともとは十分な収入があるから買ってよい、というようなクルマではなくて、もっと下品で辛辣な価値観の体系によって出来たマーケットを念頭においてつくられたので、座席のコノリーにパイピングがあるかないか、皮のなめしが指定できるかどうか、そーゆーチョーバカな理由で値段が激しく異なるクルマだった。 いまのベントレー・コンティネンタルGT http://www.bentleymotors.com/models/new_continental_gt_speed/ と似ているかもしれません。 ニュージーランドはやたらとレンジローバーが走っている国で、アメリカ市場の2倍以上に設定された価格であるのに、ご苦労なこっちゃ、とわしは考える。 いまは、その頃とは(運営している会社も所有している会社も変わったので)異なるマーケットかもしれないがわしガキの頃家にやってきたおっちゃんが、アメリカのレンジローバー所有者の平均年収は50万ドルくらいと思うけど、と述べていたのを思い出す。 ニュージーランドでレンジローバーのディストリビューションをしているおっちゃんに訊くとニュージーランドのレンジローバー所有者の平均年収は2000万円がとこで、ほとんどの顧客がローンで買う。 しかも、その半分はローンの審査ではねられる、とゆっていたので大笑い(すみません)したことがあったが、さてそれを「夢」と呼ぶか「虚栄」と呼ぶかは、案外とそのひとがどんなふうに社会と向き合っているかについての自白になっているのではないかと考えることがある。 多分、若いひとがクルマを買わなくなり、あまつさえ、高いクルマを買う人間にむきだしの憎悪の言葉を投げつける日本の社会が正対している問題にも通じているのではないかと思います。 2 昨日、もじんさんというひととツイッタで話していたら、自分では夏の膝までのパンツのことをいうのだと思っていた「ショーツ」がもじん風にやや遠慮して述べれば「女性の下着」、英語でいえばニッカーズ、アメリカ人の言葉ではパンティ、であることを発見してローバイしてしまった。日本語をおぼえてからずっと「ショーツ」「ショーツ」と書くものすべて及び会話において連呼してきたからで、おもえば、わしは日本語を学習して以来、 「夏はたいていパンティをはいて過ごします。そっちのほうが趣味にかなっていますから」とオオマジメに述べていたことになる。 結婚する前にも、わしが会った日本人の誰も「うちの娘と会ってみませんか?」と遠回しにも述べるひとがいなかったわけである、としみじみと考えました。 みんな、わしのことを変態ガイジンだと思っていたのではなかろーか。 だいたい日本語を矯正するのは義理叔父の役割であって、ツイッタやなんかでも不眠症のひまつぶしに眺めていることが多いと思われて、「信じれる」とでも書こうものならチャット窓がいきなり開いて、「ぶわかもの、『信じられる』ぢゃ」とゆってくる。 高校生の頃クラブでかわいいねーちんと知り合いになって夜中に窓からこっそり忍び込んで、むふむふしていたら相手のおやじが突然ドアを開けて踏み込んできたときのような気持ちになります。 (そんな経験はないけど) (ほんとよ) … Continue reading

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昆布石鹸の味

向田邦子の「昆布石鹸」という文章は 「ビスケットとクッキーはどう違うのだろうか」 という一行で始まる。 ぼく知ってるもん、という意味ではなくて、読んでいて、へえ、と思う。 へえ、ではなくて、そうか、なのかも知れないが、 へえ、なのか、そうか、なのか、 要するに「そんな感じなのか」と発見して軽い驚きを感じる。 ビスケットとクッキーがどう違うかというとビスケットがある世界にはクッキーがない。 ニュージーランドでもCookieTime http://www.cookietime.co.nz/ という有名な会社があるが、「クッキー」なのは、この会社だけで、残りは「ビスケット」です。 クッキーはアメリカ語で英語では普及していない言葉であると思う。 ニュージーランドは狡い国で、英語圏で「うけた」番組を、あちこちから集めて来てテレビ番組の一日を形成する。 わしが子供の頃は、まだイギリスの番組が圧倒的で、再放送もラブジョイやインスペクター・モースで、だいたいAbsolutely Fabulous http://en.wikipedia.org/wiki/Absolutely_Fabulous の全盛期、ダジャレをいうと、すなわち前世紀までは、テレビから聞こえてくる英語はイングランドの英語やスコットランド訛りが多かった。 それが「Friends」 http://www.imdb.com/title/tt0108778/ を境に、アメリカ人の「R」がやたらと響くヘンテコな英語に耳が馴れて、まあ、いいか、というふうになってきたのだと思われる。 いまはアメリカの番組がぐっと増えて、次がイギリス、次がオーストラリアで、 残りは「ショートランドストリート」 http://tvnz.co.nz/shortland-street のように、イギリスのコロネーションストリートほどではなくても、まだわしガキの頃から、毎日延々延々と続くニュージーランドドラマがある。 (Rachel http://tvnz.co.nz/shortland-street-characters/rachel-mckenna-3106235 などは16年も毎日テレビに出ているわけで、いま番組のページで顔をみても、むかしのお子供さんぽい顔とは全然別の顔で、どひゃあー、と思う。わしジジイやん、と考える) アメリカの番組を観ていて「パンティ」とかゆわれると、耳にするのは、もう何千回目であるのに、いまでもやはり頭のなかで「なんじゃ、そりゃ」という反応が起こっている。 いったい、なにをどうやったら、このひとびとはニッカーズをパンティとかいう、けったいなパーぽい言葉で呼ぶのであるか、と自動的に思う。 折角、女優がナイトショーのホストに機知を機動させてコート狭しと応えているのを観て、頭のいい女のひとだなあ、と感心していたのに「パンティ」というひとことで、実はこのひとは頭が弱いのではなかろーか、と心のどこかで邪推を始めている。 イギリス人とアメリカ人は、ケミストリの良い相手と巡り会うと、なにしろ外国人同士でもあり、お互いが新鮮で、意気投合して、結婚にまで至るカップルが多い。 一方で離婚も多いので、観察していると、毎日に使う単語の意味範囲やニュアンスがビミョーに違うのでだんだん疲れ果ててくるもののよーである。 もうひとつ、同じ「英語」を使って欧州系同士アフリカ系同士なら見た目も同族なので、すっかり同じ部族だと妄信してしまうが、実はまったくとゆってよいほど考えの習慣が異なる外国人同士なので、なぜそこに絶望的な理解の壁が生じてしまうのかが判らなくて、 離婚に至ってしまう。 ニッカーズをパンティと呼ぶ相手が疎ましくやりきれなくなってしまうのだと思う。 パンティと言う側は、ニッカーズという呼び名しか自然に受け取れない辛辣な皮肉屋たちのとげとげしさが、どうにもいたたまれなくなってしまうのだと思量される。 日本のひとはやむをえない便宜と思うが「欧米」という言葉を使う。 あたりまえだが、「欧」と「米」はまるで異なる世界で、明瞭に対立的な世界です。 なぜわざわざ日本語でこんな小学生でも明らかでありそーなことをわざわざ書いているかというと、日本は便宜によって「欧米」「欧米」と述べているうちに欧も米も一緒というか、まるで欧州とアメリカが同じ枝に止まっているかのように思ってしまうひとがいるようで、その誤解は歴史的にいって何度も日本を破滅的な危機に追いやってきた。 そろそろ「欧米」という言葉を辞書から削除しないと、巡り巡れば日本は東アジアブロックに閉じ込められて中国が閂をかけたドアから出られなくなってゆきそーだと思う。 … Continue reading

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長い夜

ひさしぶりに届いたTさんのメールには各務原でベトコンラーメンを食べたことや高速道のサービスエリアで食べた米沢牛のカレーが不味かったこと、むかし一緒にでかけた青山のバーがもうなくなってしまったことに混じって、阿房列車の3冊を読み直してみたこと、高校生のときは一向おもしろくなかったのに、40歳に近付いたいま読んでみるとだいぶん面白い、考えてみるとこれはガメにあらためてすすめられて買った本で、外国人のくせに若いときから、こんなものの面白さがわかるのはヘンだと思う、第一、なんだか腹が立つ、というようなことが書き連ねてあって、内田百閒はやっぱり岡山に帰りにくかったんだろうなあ、とふと思ったのでメールを書くことにした、と書いてある。 Kくんを憶えていますか? Kくんは、おかあさんが病気で前から寝たきりになっていたおばあさんと一緒に倒れてしまったので、介護に専念することになって、いまは生活保護に頼っている、という。 それから唐突に、「もう何を言ってもムダなような気がする。窓のない部屋に暮らしているようなもので、太陽があがっても、いちどは希望の光で照らした太陽がまた沈んでしまうまで、ぼくは気が付かないような気がします」 と書いてあった。 「放射脳」のTさんが「米沢牛のカレー」を食べたと書いてあるところで、もうちょっとドキッとした。Tさんは観察眼があるひとなので、公団が運営している高速道路やJRの駅のなか、そういう公共性がある場所には明らかに政府の意図が働いていて、サービスエリアに行けば福島応援セールで福島の物産を売っているし、やはり高速道のサービスエリアで、いつも食べるカツ丼を頼んで、カウンタの向かいに座って、ふと見上げると、食材が変わっていて、「東北応援のために東北食材を使っています」と張り紙がある。 一方ではJRの駅のなかにある店で「○○県産を使っています」という牛のマンガ付きの表示が「○○県産」をなげやりなやりかたで消して、上からマジックで「国産」と書いてあるのだという。 住んでいるマンハッタンから東京に様子を見に行った義理叔父の友達Sさんは、下調べをして、むかしから徹底的に安全な食材だけを使っていると聞いた「E」という有名なイタリア料理屋に行った。放射能というような事はひとことも言わないが、注文したものの産地をひとつづつ説明して、イタリアから輸入したものは当然として、Sさんの知識に照らして放射性物質がとどかない九州のものや四国のものばかりだったので帰り際に支払いをしながら「ほんとうは、この店は放射性物質汚染に気を使っているのですね。ぼくは国外に住んでいるんだけど、嬉しいと思う」と思い切って言ってみたら、黒眼の勝った目をした店員の女のひとが、店の真ん前の道路でさえ汚染されて線量計ではかる数値が高かったこと、みなでこれはたいへんなことになったと言ってしばらく店をおやすみにして仕入れ先の再検討をしたこと、その結果年来付き合いがあった卸屋さんと喧嘩別れになってしまったこと、というようなことを話してくれた。 Sさんが外に出ると、さっき傍らに立って話をじっと聞いていた別の店員の女びとがドアの外に出てきて立って、「あの、ありがとうございます」という。 Sさんが、客として訪問したことを言われたのだと受け取って、「いや、こちらこそ、おいしかったですよ」と会釈すると、思い詰めた顔で「そうではないんです」という。 「あの、わたし、(福島の)S村の出身なんです。お客さんが仰る通り、みな政府に強制退去と言ってほしかったんです。それなのに、口だけの応援なんて、わたし、許せないんです」とやっとそこまで言うと涙が目にあふれてきて、声が出ないのだそーでした。 「だから、うれしかったんです」 Sさんは義理叔父の友達だけのことはあるというか、気の利かない、咄嗟には何も言えないデクノボーオヤジで、ただうなづいて、踵を返して、内堀通りに出たところで、突然、嗚咽に似たものがこみあげてきて、涙が次から次からびっくりするほど流れてきて、「いやあ、土砂降りの日でよかったぜ、実際」と述べていた。 ところでガメ、面白いんだぜ、という。 晴れた日には通勤のガイジンがみんなマスクをかけていて、その横を日本人のサラリーマンたちがグループでジョギングしている。 きみが大嫌いだった、肘まである長い手袋をしてマスクをしている女のひとびとは、マスクをしなくなって、顔を公開するのが流行になっているよーだ。 あの外国人たちがかけているマスクはN99だと思うがね。 ところが、銀座の薬局に行ってみるとN99はもう売ってないのさ。 店員に訊いてみたら、「目が細かいマスクが必要な冬場は売れますけど、それまでは必要ないんで、置いてないんですよね」だって。 放射能のことなんて、もう誰も気にしていない。 過ぎたことになってしまったようだ。 ほんとうに、過ぎてしまっていればいいのだけれど。 それから、次の日にぼくは鹿児島県が経営してるレストランに行ったんだ。 鹿児島豚で、米も鹿児島だっていうからね。 カツ丼を食べて、ガメに会ったら羨ましがらせてやろうと思って。 ところが、鹿児島のものは豚と米だけなんだよ。 仕方がないから生姜焼きを頼んで米と豚だけを食べた。 米と豚だけ! 皿にはキャベツも漬け物も、お椀には味噌汁がまるまる残ってて、われながら、なんという下品な食べ方をする客だろうと思ったよ。 むかしガメが「東京は東北のしっぽみたいな町だ」と言ってたけど、あれはほんとうにほんとうで、デパ地下に行っても、放射性物質を避けようと思うと食べられるものが何もないんだよ。 しようがないから、スペイン産のハモンと、パンのなかでそれだけはスペインからの輸入だという固い田舎パンを買って、きみが好きなテンプラニーニョでホテルの部屋でさびしい夕食を食べた。 きみの叔父さんとスカイプで話して「食うもんがねえ」とこぼしたら、おっさんは科学をかじったので、「蕎麦を食え、蕎麦。さすがに東北の蕎麦を食う気はしないかしれんが、冷たい蕎麦は茹で方からしても、たとえ放射性物質まみれの蕎麦でもセシウムがお湯に出るからマシだろう」という。 でも、そばつゆのだしが危ないだろう、と気が付いて訊くと、 「高いの食わないで安いの食え。安いそばつゆなんぞ赤道近辺の雑魚しか使わねーから、すげー安全だぞ。そば湯のむなよ。セシウム湯かしれん、と疑って、無粋を決め込むのが正しいであろう」って、えらそーに言うんだよ。 だから、それから三日間、岡山の蕎麦とかそんなのばっかし食べていた。 Sさんは航空会社に電話をかけて、機内食を、いらないから、と断わって、鳥取から取り寄せた押し鮨をもって飛行機に乗ったそーでした。 機内では、日本人パーサーが話しかけてきて、「ほんとうに何も召し上がらなくてよいのですか?」と訊くので、ああまた、日本人の余計なお世話乗務員か、やだなーと思いながら、それでもSさんの育ちの良さで、「ええ、ご迷惑でしょうけど」という。 「ところが、このパーサーはまともな奴でね」 とSさんは嬉しそうだった。 「いえ、わたしどもでも、機内食がどこで調達されるかは判らないのです」と控えめな言いかたではあっても、Sさんの心配は当然だと明然と判るように述べたあとで、暫くすると戻ってきて、日本産でないものを機内からかき集めてきたバスケットを渡して、果物やチョコレート、ポテトチップやチーズが不自然な組み合わせで山盛りになった中身をみて呆然としているSさんの目をみつめて、「わたしも日本人としてがんばりたいとおもってます」とチョーマヌケな決意を述べて立ち去ったので、Sさんは、そこでまた泣かなければならなかったのだそうでした。 … Continue reading

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新しい革袋

個人からみて、いまの世界の最大の問題は「競争が激しすぎる」ことだと思う。 バルセロナの革命広場に行けば昼間からギターを抱えた若い衆を中心に5、6人の20代の男達が群れていて、即興で中国人をバカにする歌や工夫もなければ他愛もない猥褻な歌をけらけらと笑いながら大声で歌っている。 クライストチャーチの町を歩けば骸骨がナチのヘルメットをかぶったデザインのアイコンをおおきく描いたクルマが必ず走っている。 アジア人とみればわざわざクルマの窓を開けて「クソ中国人め、てめーの国に帰れ」と韓国人や日本人観光客に向かって叫ぶチョーひまなハゲたちがいる。 しかしバカというものは目立つだけで、たいした数がいるわけではなくて、たとえば富裕な家に生まれたわけでなく、懸命に馬力をかけて勉強して、大学を卒業し、キャリアを積み、職場でもITならITのテクノクラートとして自分の人生を豊かにしようと志した人間にとっては、まるで呼吸をするヒマもなさそうなのがいまの世界であると思う。 ふたたび「個人からみて」日本社会の最もよいところは、ほとんど競争らしい競争がないことだった。 前に同じことを書いたら、50歳代らしきひとが、ていねいにみえるが存分の憎悪をこめて自分の部下や若い世代になげつける、件(くだん)の「日本中年話法」で、日本の社会の競争の激しさをしらないくせに、聞いたようなことをいうな、と部長の一喝のごときコメントを送りつけてきたことがあった。 それは、おたいへんさまでした、とつぶやいてゴミ箱に捨てたかもしれないし、過去のコメントをみてゆくと、案外、どっかに顔をだしているかもしれません。 自分が水の上にやっと顔をだして、犬かきで必死でわたった人生に鑑みて「競争がなかった」なんて言われるのは耐えられない、と考えるのは人の気持ちとして理解できなくはないが、日本の商社や大手会社のチューザイたちの仕事ぶりは、当の日本人チューザイの耳には聞こえないのかもしれないが、あまりの非効率とお茶ばかり飲んでいるので、つとに有名で、奥さん達もチューザイ序列にしたがって軍隊制度じみていて、ミッドタウンのマレーヒルにあるその名もずばりに改名した「麻婆豆腐」というレストラン http://www.yelp.com/biz/mapo-tofu-new-york に行けば、たいてい奥のまるいテーブルに腰掛けて、それでもいちばん入り口から遠いところにボスの奥さんが座って、誰かが冗談をいうと、一瞬、ボス奥さんの顔をちらと眺めて笑い出す徴候が存在するのを確かめてから、4分の1秒くらい遅れて笑い出すチューザイ奥さんたちの姿は有名である。 有名すぎて、わしは物好きにも友達と見物に行って、その噂に聞く「ヒエラルキー下達反応笑い」がほんとーだったのでカンドーした。 ついでに関係ないことを述べると麻婆豆腐もうまかった。 1970・1980年代の日本の快進撃がめざましかったので、仕事のやりかたや組織については日本の会社がどんなふうになっているか、日本のひとが想像するよりは、たとえばアメリカ人は遙かによく知っていて、ビジネススクールのケーススタディにも出てくれば、欧州でもイギリスで法廷弁護士でもやっぺかしらと思ってる学生でも、日本に行けば、その足でお門違いのトヨタの工場に向かったりしていた。 わしも行ったことがあるが、いまでも日本訪問の第一の目的地は、少なくともわしの友人どもにとっては名古屋で、トヨタである。 いろいろな人間が日本の経済を研究してたどりついた結論は、それが国家社会主義経済に近い構造をもっていて、銀行は財務省の下部機関としての機能しかもっておらず、わかりやすい例をあげれば接客カウンタの高さまで「指導」で厳格に決められていて、自分達で経営方針を決定する自由をもたず、したがって融資はほぼ共産主義国型で、「国家の意志」によって決まる、というふうに、競争を前提とせずに一個の巨大な軍隊として国家を経営しているのが日本という国で、それならば実は、それほど恐れる事はないのではないか、と考え出したのが80年代の終わりだった。 その「日本封じ込め」の政策は「すべてが政府に集中しているのだから政府を制圧すれば、それで事足りる」ということに主眼があったが、この記事では詳しい話はしない。 軍隊では訓練が激しい一方で軍隊内での競争は厳禁される。 軍隊というのは組織としては究極の官僚組織で、がっちがちの役人根性で出来ているので、「抜け駆けの功名」は絶対に許さない。 これは近代戦の「壁」をつくって敵と向かい合う知恵からきたのでもあって、いくら部分が突出して敵のなかにドリルのようにはいっていっても、弱い部分から敵が後ろにまわってしまえば、そこでおしまいなのはハインツ・グデーリアン http://en.wikipedia.org/wiki/Heinz_Guderian でなくても簡単にわかる理屈であり、突出部にしても両側から、わらわらと襲いかかられて切り取られてしまえば、孤立して、ぐじゃぐじゃぐじゃと皆殺しにされてしまう。 だから軍隊は規律をつくり、横並びを鉄の掟として、将校に考えさせ、兵隊は文字通り叩きに叩いて、ダメな兵隊は半殺しにするまでぶちのめして、パワハラやセクハラで、人格を破壊して、「自分」というものが崩壊するまで恫喝的に訓練する。 日本人の友達がスタンリー・キューブリックの「フルメタルジャケット」 http://en.wikipedia.org/wiki/Full_Metal_Jacket を観て、 その海兵隊訓練キャンプが「日本社会そのまま」だったとゆって息を呑んでいたが、 日本の社会がどのような意味においても「強兵」をつくるためだけに存在した社会であることをおもえば、あたりまえといえばあたりまえであると思う。 軍隊には、そうして、シゴキや人格を破壊するための恫喝はあっても、個人間の競争は存在しない。 「個人」というものは撲滅して、兵士を「全体の部分」に変貌させるのが目的なので競争というものは起こらない。 もちろん軍隊では完全武装のかけっこに始まって、順位を競うイベントはいくらでもあるが、それは技能の比較大会で個人の競争とは正反対の性質をもつ。 国家社会主義型経済の欠点は、いちど方針を誤ると、なにしろ号令されて一様性が出てしまっているので、軒並みだめになって、回復力がないことだと思うが、日本はGEと東芝、というように組み合わせた(組み合わせそのものに失敗したが)大型電算機産業への跳躍を準備していたのに、スティーブ・ジョブスやウォズニアックのような余計なことをする人間があらわれて、パーソナルコンピュータが出現し、それでもオモチャじゃないかとせせら笑っているうちに、あっというまに大型電子計算機を恐竜に変えてしまった、世紀の大失敗に始まって、ITに関してはやることなすこと愚かで、それにつづいてあらわれた通信では、なんだかもう述べるのもメンドクサイくらい的外れな施策を打ち出し続けた。 この通信に関してはインパールと牟田口廉也そっくりの事情があるが、この記事はそういうことを書くのには向かないと思う。 誰かがここに的をしぼって調べてゆくと面白いことがある、というにとどめておく。 軍隊で言えば将校の能力がなさすぎた、ということになるが、ではほんとうに個々の将校がバカにすぎなかったのかというと、仔細に現実を検討すると全然そんなことはなくて、たとえば経産省(むかしの通産省)の係長クラス(23、4歳)班長(24、5歳)よくわけのわからないバカタレなエネルギー政策の本とかを出していたひとがどういう理由によるのか役所をやめてアメリカに行くと、あっというまに個人としての能力を発揮してアメリカの意志決定に直截関係するような発想をもって中枢に座っていたりする。 そういう例を次から次にみてゆくと、これは多分個人の能力よりも全体の意思で、 ヒントは、せっかくMITIの例を挙げたのだから、MITIの例でいくと、ひとり一事務所と言われるほど個人で勝手に仕事をする通産省ですら家族主義で、研究してみれば研究してみるほど不穏なので、いまの原発だとぶっとぶんじゃないですかあー、と審議官におもいきって述べてみると、ばかもの、いままで無事に動いてるんだから、これからもダイジョーブだ、くだらん心配をしてないで地元の公聴会に行って灰皿をデコにぶつけられてこんかい、と言われる、という集団主義的「ノリ」で多忙な、というよりはほぼキチガイじみた、役人の仕事のハードスケジュールをこなしていった。 この例で言えば「ダイジョーブだ、ダイジョーブを前提にしろ」というのは、実はそうしないと仕事が全体の省としてこなせなかったのだ、ということが目を近づけていくと見えてくる。 福島第一にしても、なんであんなヘンなところに予備電源があんだ? ディーゼル補給にかかる経費をけちってるのか、バカかあいつら、という声はあったが、忙しいので「全体」としては拾いあげるわけにはいかなかったという。 全体の力を国家的な意志なりなんなりの全体の意志にそって集約してゆくと観念的で疎漏になる、というのは、どうやら上に挙げたような理由によっていて、福島第一事故は、そういう観点からは社会文化によって避けられなかったと言えるのかもしれない。 … Continue reading

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ジオラマを作りながら考えたこと

日本のひとは日本だけで閉じた世界が好きなのだと思う。 大庭亀夫という日本語人格を発明してブログ記事を書き始める前に カレル・ヴァン・ウォルフレン http://en.wikipedia.org/wiki/Karel_van_Wolferen について調べたことがあったが、彼に投げつけられた言葉のすごさにぞっとした。 インターネットの世界だけでなくて、インターネットのこちら側の世界でもひどいものだった。 だいたい「外国人が日本について述べることには意味がない」 「日本のことは日本人にしかわからない」 「おおきなお世話だ」 という日本人の反応は、他の国ならばサッカーを観ればフーリガンになって走り回るタイプのおっちゃんたちの立場だが、日本では遙かに広汎な立場なので、孫正義のようなひとが福島第一事故でいくら頑張っていろいろ提案してみても、 「ご苦労様でした。あとはわれわれ日本人にまかせてくれれば大丈夫ですから、あなたのような外国人はここまでで、おひきとりください」などという人が現れて、孫正義が「外国人が日本のことを考えてはいけないのですか?」と呻くことになる。 この孫正義に日本人らしい親切な忠告を行った人達のいうとおり、福島第一事故は字義どおり大丈夫になって、メルトダウンして地下にもぐった核燃料はないことになり、ぶちまかれた放射性物質は安全であったことになって、秋になれば放射性物質をたっぷりすいこんだきのこで彩られた「五色弁当」がレストランをにぎわせて、銀座の鮨屋にもひとが戻って、食べても即死するわけではないアナゴ寿司で舌鼓をうつひとびとの喜色に満ちた声が響いている。 このあいだテレビをみていたら、通勤外国人たちが、震災前にはあれほど「異様である。日本人はなんであんなもので顔を覆って外を歩き回っているのか」と訝しがっていたマスクを自分達のほうが着用して歩いていて、日本人のほうはマスクをしなくなっていたので、観ていて「ガイジンの放射脳ぶり」に笑ってしまった。 この期に及んでもまだ日本的解決や日本文化の本質に馴染めないもののよーである。 ドイツについて日本人が日本語で日本人に向かって話しかけることと、日本についてドイツ人が日本語で日本人に向かって話しかけることには本質的な違いがあるが、日本のひとは前者は明治以来大好きでも、後者は嫌いである。 日本のひとが英語で英語国民に批判的に話しかけた例は歴史上はいくらもあって、鈴木大拙や新渡戸稲造の巨大な成功をみれば、その習慣を偏狭な日本人たちがよってたかってダメにしてしまったのを残念であるとぼくは思っている。 日本人は、やはり世界で最も異見をもつひとびとであるからで、たとえば数学の世界ではそれはつとに有名で、日本のひとの数学的想像力はいっぷう変わっている、というか、もっとおもいきっていってしまえば宗教的な感じがする。 人間は「違う角度からものごとをみる」ということが極端にへたなので、たまたまフランス語に熟達した日本人がフランス社会を激しく批判したと仮定して、商人たちのようなタイプはともかく、歓迎されないわけはない。 日本人たちに向かって西洋社会の欠点をごたくさゆっているくらいなら、さっさと英語なら英語で向こうにいって文句を言ってくればいいだけのことで、いつだったか捕鯨についていいたいことがあるなら、英語圏の新聞なりなんなりに投稿すれば日本人が意見を述べるのはたいへん珍しいことなので取り上げられる確率が高いし、それもめんどくさければシドニーの街で拡声器をもって「捕鯨のなにがわるい。おまえらだってむかしはやっていたではないか」といつも日本語で日本人世界に向かって述べることをシドニーで述べてくればよい、と書いたら、「どうして、おまえはそういう出来るわけがないことをやれというような卑怯な人間なのか」という「お手紙」がわんさと来てぶっくらこいてしまったことがあった。 女優のヘイデン・パネッティーア http://en.wikipedia.org/wiki/Hayden_Panettiere が5人の友達と太地町にやってきてイルカ漁を妨害しにきたのは18歳のときだったと思うが、慈悲深い日本警察の許可もとらずに妨害はいかんではないか、イルカを涙をこらえて撲殺するやさしい心根の漁師のひとたちの気持ちを考えないのか、という話を別にして、日本以外の国では、文句があれば、そこまででかけていって、そこの人間たちに判るように文句を言うのが普通の行動であると思う。 もう3回くらい書いたが、日本人おっちゃんと一緒にマンハッタンの5番街を歩いていたらアメリカが交戦中だったイラク人たちがやってきて「ブッシュに死を!アメリカに死を!」と大音量の拡声器で叫んでいたが、血の気の多いアメリカ人たちも、一瞥を与えて、ちょっと顔をしかめて終わるだけだった。 日本人おっちゃんのほうは、自分でみたものがどうしても信じられなくて「映画の撮影ですか?」と聞かれたりした。 なぜ、イギリスのことならイギリスのことで、日本人の群れのほうを向いた解説者のようなひとが現れて「イギリスの大学システムは特殊なんですねー」とか「イギリス人はこーゆーところが紳士の国である」と述べてみたり、「イギリスが紳士の国なんてとんでもない、わたしはイギリスで暮らしているがイギリス人なんてランボーなだけのアホですよ」という「解説者たち」があらわれて、あまつさえ、それで食えてしまったりするかというと、要するに日本のひとたちは実は世界に興味などもっていないからで、中村伸郎の有名な俳句ではないが、「除夜の鐘、おれのことならほっといて」と思っているのだと思う。 ついでなので述べておくと、「イギリスもの」の論述者のなかでも日本語で「わたしはロンドンで差別されてて気持ちが暗い」というようなのは、話があっている、というか日本語で日本人世界にむかって述べることに必然性があって、ほんとうはどの国対象にもある(もちろんニュージーランドに住む外国人たちのものもあります)expatサイトのようなところで仲間をつくりながらやったほうが良いとはおもうが、それはおかしいとは思わない。 ヘンなのは洋風弁当みたいなものをつくってるひとがヘンだと述べているので、 宝塚の「ベルばら」や日本風のカレーが流行るのは日本のよいところだと思うが、 日本風のカレーとベンガルのカレーを混同して「カレーの本質」というようなことを述べ始めるひとが出てくると、歴史的にいって日本語世界自体に福神漬けがついていないカレーを食べるインド人は邪道で許せないというひとがいっぱい出てきてしまうのでやはりいまのような世界に対する正しい認識がないとにっちもさっちもいかなくなってしまう、(簡単な例で言えば作ったトヨタやソニーが売れなくなってしまう)時代にあっては有害でしかない。 ええええー、と思うかも知れないが、しかし、日本にはしたり顔で福神漬けのにおいのする欧州事情を述べたりする「欧州通」は何千人もいるのです。 自分がタミヤのジオラマなどはむかしから大好きなので日本のひとの、むかしは「箱庭的」などと呼んだ、タミヤ・ジオラマ的世界観は、嫌いではない。 子供のときにエウクレイデスの幾何学が大好きでたのまれもしないのに最初から最後まで証明しながら読んでしまったりしたのも、まったく同じ性癖によっていて、自分で自分を考えても「ひきこもりで、閉じた、安定世界」が好きなのだと思う。 日本についていえば、日本社会の自閉的な傾向について「鎖国経験をもった結果」というひとがいるが、考えてみれば、島国である連合王国でエリザベス女王が「スペインが攻めてくっかもしんないから鎖国する」と述べたとして、イギリス人が言うことを聞くかというとエリザベスが国外追放されて終わりだっただろう。 オカミの命令一下、あっというまに鎖国をして、海外の日本人町などにいた日本人の帰国を厳禁して、すでに海外にでていた同胞の帰国の道まで断ち、あまつさえ、じゃがたらお春の、子供でも嘘っぱちに決まってると考えそうな「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」というような爆笑文をマジメに信じてお春の「不幸」に涙を流すことが流行した国には、「鎖国」を魂の根本のところで支持する文明の深い根があったに違いない。 しかし、世界を拒絶したまま日本が生きてゆけるかというと、良い悪い、好き嫌いは別にして、世界をやりすごすことそのものが無理である。 江戸時代の終わりの黒船でわかるとおり、自分のほうでひきこもっていても民生委員のクソばばあは、やってきてしまう。 日本はアメリカの町内になるので、アメリカ訛りの民生委員がやってくるに違いない。あるいは雨戸を閉じて、欧州通の欧州の話に「欧州もいいが、実情はこうだな、やっぱり日本の方が良い国だ」などと思いつつ読み耽っているあいだに区割りが変わって、町内がいつのまにか中国になっていて、中国訛りの民生委員のおじちゃんが来るのかもしれない。 いずれにしても、こういうことに良し悪しや正しい正しくないをもちこむのはムダで、世界というのは自分の世界におしかけてくるものなのだから対処するしかない、と思い定めないとうまくいくわけはない。 そう考えていままでも日本人の友達その他と話してきたが、どうも、各人が英語なら英語、フランス語ならフランス語で、向こうのほうにでかけていって、「相手の言語で思考して議論する」場をつくるしかないよーな気がする。 中国人たちは、すでにそうしている。 … Continue reading

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航跡のない海図

1 菅原通濟は鉄道建設に伴う闇の世界の実力者菅原恒覧の息子で昭和電工事件 http://jikenshi.web.fc2.com/newpage135.htm の中心人物日野原節三の義兄、顔は小津安二郎映画が好きなひとにとってはお馴染みの顔で、「秋日和」「秋刀魚の味」のほか数本に端役ででてくる。 本人は、この「映画にちょい役で出る」趣味が好きだったようで、名刺にふざけて 「映画俳優」と刷り込んだりしていた。 鎌倉人にとっては鎌倉山の開発者としての顔がいちばん有名で、大船から日本で初めての有料道路を強引につくって無理矢理鎌倉山までもってきてしまったのもこのひとです。 作家や有名人との対談が好きで、50年代から70年代にかけての古本の対談集には、このひとの名前が出てくるものがいくつかある。 話がまったくかみあっていない吉行淳之介との対談などはたいへん面白くて、誰とでも話しがあわせられた吉行淳之介が珍しく憮然として、そのうちには怒りだしたらしい様子が書き起こした文面から伝わってきて、へえ、と驚いたりした。 「売春・麻薬・梅毒」追放でよくテレビに出た。 買春は日常で麻薬の世界にも若いときから馴染みだったことを考えると、案外、本人にとっては「俳優業」と同じくいっぷう変わった諧謔のつもりだったのかもしれません。 尖閣諸島の所有者栗原國起はこの菅原通濟の運転手だったひとで、テニスボーイやヨット好きのポーズをとった、はね返りとして政治経歴のほとんどを過ごした石原慎太郎にとってはいつも怖い視線を投げてくる世界の住人だった。 野田佳彦首相は内側の事情のみをじっと眺めていて、それなら国有化する以外に方法はない、と考えたもののようである。 風が吹けば桶屋がもうかる、というが、尖閣が国に売れれば江沢民が棺桶から蘇る。 野田首相が尖閣諸島を国有化することを決定して最も利益を得たのは政治的にはほぼ「死に体」であった江沢民と上海派、それに対外強硬派の「武闘派」というべき一群のひとびとで、大打撃を蒙ったのは胡錦濤たち「経済派」、中国にとって最も大切なのは経済の発展であって、そのためには日本等近隣諸国との問題はすべて棚上げにしてゆくのがよい、平和でなければ中国は破滅する、という一団のひとびとだった。 ブログでもツイッタでも、自分でもうんざりするくらい何度も書いたので、またか、といわれそうだが、日本が自分で自分の絞首刑台を建設しているというか、自分が銃殺されて倒れ落ちる穴を掘っているというかな、いまの不思議な状態は傍からみていて(皮肉ではなく)不思議でしかたがないので、やはり書き留めておかないわけにはいかない。 日本は中曽根康弘が胡耀邦に対して、ほぼ正確に同じことをやって、天安門事件を引き起こし、いまの中国人の日本への広汎な敵意を育てたので、中枢に中国がずっとスパイを飼っているのでもあればともかく、まさかそんなことはあるわけがないだろーから、どうなっているのかさっぱり判らない、と思う。 でも見ていて脱力する、といえばいいのか、日本はあれよあれよというまに自分の国の経済力と国民とを支払いの資とする、これからの悲劇的な運命を決定してしまった。 名前を挙げたほうがわかりやすいというただそれだけの理由で、いまは表徴としての意味しかもっていない老人の名前を挙げれば江沢民たちが経済音痴のまま膨大な経済テクノクラートを抱えた胡錦濤たちを凌駕してゆくためのゆいいつの可能なシナリオは「日本を犠牲にする方向においつめる」ことで、まさかそんなうまくゆくわけはないだろーに、とわし友達などが冷笑しているあいだに、日本のほうから屠殺場の複雑な追い込み口に自分で走り込んで、救い出せないところまで走って行ってしまった。 なんだか、ボーゼンとするような成り行きで、かろうじて、そういえば日本は原爆まで落とされる断末魔にスウェーデンの周旋の可能性も断ってよりによってソビエトロシアに和平の斡旋を依頼したのだったな、というようなよくわかならない歴史的な事実を思い出したりしただけだった。 ときどき、他者には絶対に理解不能な外交決断をするのが日本という国で、石原慎太郎はむかしから、そうと名の知れた跳ね返り右翼のごろつき政治家でも、どうも見えないところに、石原慎太郎のようなケーハクに深く共鳴して、もういちど鬼畜米英、白豚どもをぶち殺せとわめきちらしたいようなタイプの衝動を日本のひとは精神の奥深くに秘めていて、ときどき、それが出てきてしまうのかもしれません。 ともかく、ここまで来てしまえば欧州勢は未来の予想図を書き直すしかなくなってしまい、アメリカ側はヒラリー案を採用しておいてひとまずよかった、なんちゅうタカババ(タカダノババではありません)だと思っていたが、なんのなんの、玄人やんね、どうも旦那の治世も女房の知恵でやってたんだな、やっぱし、と考えて人心地がついたもののよーでした。 2 前に「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」の話をしたが、南太平洋には、「ジョン・ハワードの奇妙な捨て台詞」という小咄もあって、これはなんのことかというと、このひとが選挙に大敗して首相の座を去る直前、「オーストラリアには百万人の中国のスパイがいる」と述べて、百万人もスパイがいるわけねーだろ、と奥さんが中国との付き合いで大規模な利益をあげて、人民服を着て毛沢東語録をかざしているコラージュ写真がばらまかれたりした(丸顔に人民服がたいへん似合うと話題にもなった)ケビン・ラッドたちに嘲笑され、ハワードの発言を伝え聞いたオーストラリア人たちも、「とうとうハワードも頭がおかしくなった」という感想をもった。 オーストラリアの人口は2000万人なので、全人口の5%が中国のスパイだと述べたことになって、これは自国にいる推定外国スパイ人口の見積もりとしては世界最高で、申請すればギネスブックに載ると思う(^^;) ジョン・ハワードは笑いものになって政界を去ったが、ところが、スパイ百万人説は、またくの失言かというと、ほんとうらしいところがあって、なぜならば中国のスパイは「パートタイマー」が多く、専業ではなくて、たとえばたまたま解放軍が欲しい技術の研究をしている若い研究者に綺麗なねーちゃんを派遣してイッパツやらせておいてから、「図面やなんかを5万ドルでもってきてくんね?」とささやく、というふうにスパイになることを依頼する。 簡単に想像がつくことだが、むかしのKGBとは違って、美人女スパイのほうもパートタイムのねーちゃんで、ここのこいつを、この部屋につれてってイッパツやってきてくれれば5000ドルあげよう、とゆーふーに育成というか即成されるもののよーである。 ジョン・ハワードの発言をパーティで聞いた政治学者のアメリカ人おっちゃんPが「百万人?もっと、多いだろう?」と不思議そうに述べたのをおぼえている。 ニュージーランドでも中国政府のダミー会社の社長がつかまりそうになって逃亡したりするが、会社だったのがダミーになったりするのもあって、勝手が違うので、欧州でも困じはてている政府はたくさんあるよーです。 3 島嶼の強襲であるとかへたをすると塹壕がイメージされそうな防衛戦とかはすでに古い思想で、オスプレイをみればわかるとおり、強襲戦も防衛戦もロングレンジで機動的なものになったのは、要するに中国が空母をもったことが引き金で、ここからは世界の暴力バランスは新しい局面にはいってゆくように思われる。 軍事でいっても、いままでの感覚のひとでは役に立たないので、制服組以外は若いテクノクラートが大量に投入されている。 1937年に日本が始めて1945年に中国の勝利で終わった17年間に及ぶあの長い悲惨な日本と中国との戦争は、「局地限定」の紛争を企図する軍人のケーハクが、いかに重大な事態を招くかをあますところなく教えている。 魚がとれないので有名だという尖閣諸島に蝟集した中国漁船の写真を眺めながら、 どーなるんだ、と考える気持ちは、暗くなってゆく一方なのであることを書き留めておきたくて、記事にした。 2012年11月16日に、ぼくが描いた海図には、デッドロックがそこここにあって、こんな剣呑な海図はみたことがない、と考えたことを、ここにメモしておきたい、と考えました。

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議論の始めに(その1)

ものごとを考えるには、前のめりになってリキんではダメで、脳裏から去らせてもダメで、眼のはしっこのところでそれとなく視界にいれながら待ち受け状態にしておくのがいいのである、とわしのガッコの先生はえらそーに述べるのだった。 16歳のわしは、なあああにをエラソーに、このハゲめが、と考えたが、 意外やこのハゲの言葉はいまに至るまでわしの頭にこびりついているのであって、この発言もまだときどき思い出しては、そーだろーか?と考える。 焦眉、というが、四六時中眼の焦点がおもいきりなにかに合っている人は、ものを理解するという点で、てんでダメで、というのはダジャレのつもりだが、ともかく、ダメである。 見ようとすると見えないのはOS劇場と同じだからな、とトーダイおじさんのひとりが、家に帰ってからおよそ30分をリサーチに要した歴史的な比喩を用いて同意していたが、そんな所に通ってたのかあのひと、ということを別にしても、年をとると、いろいろ思い当たる事があるらしい。 小林秀雄の文章に志賀直哉をべったほめにほめた文章があって、そのなかに「ああいう何も見ていないような眼は、なんでもありのままに見てしまうからおそろしい」という趣旨の文章があったよーな気がする。 小林秀雄本人は通勤ラッシュの階段で立ち止まって夏の青空の積雲をハッタと睨み付けている鋭い目のジジイがいるので、こんなところで人波をブロックしやがって傍迷惑なやっちゃなあ、と思ってよく顔をみたら小林秀雄だった、という鎌倉人の証言もある。 「焦眉ハッタ」型のひとだったのでしょう。 焦眉ハッタ型であったのに、そーゆータイプの人物がだいたいにおいて陥る「なんでも観念、現実の細部がなんぼのもんじゃい。正しさバンザイ!」のひとにならなかったのは、ただひらすら頭がよかったか、友達の中原中也の恋人と駆け落ちをしたりする、小林秀雄の生涯を貫いてみられる地熱のような情熱が小林秀雄を「観念的な人」にすることを阻んだのであるに違いない。 ここまで書いて思いだしたが、小林秀雄というひとは、気に入りの掛け軸を、あるときいきなり日本刀でまっぷたつに切ってしまったひとでもあった。 毎日、眺めているうちに贋物であるのに気が付いて癇癪を起こした、というのです。 正しいこと、の難しさは、論理的に正しくてもダメで、その正しさを言語の側で納得して、うまく言い当てられて「当たり」の感覚が生じるのでないと正しさとして不合格であることにある。 なんのこっちゃ、と思うひとがいるかもしれないが、誰がどう考えても自明であるはずのことが、ほんとうは正しくなかった、などということは人間の歴史をふりかえってみれば年がら年中で、現につい最近までは太陽は地球のまわりを回っていた。 科学全般に関して「がんばろう」だったアリストテレスやヒッパルコスの天動説はなんだかよくわかんないまま、多分、こーゆーことだんび、でそれを修辞にのせて誰をも論破できるようにしただけのものなので、喧嘩と議論の区別がつかなくて論破が勝負のいまの日本語世界の多くの論者と同じでどーでもよいが、クラウディオス・プトレマイオスの本を読んでもまだ地球が全宇宙の中心であることを疑えるひとは、頭が悪いのだと思う。 あるいはジョルジュ・キュビエの精細で科学的精確さに満ちた議論を眺めたあとでもなお進化論のほうが正しいと考える人は科学的に不誠実なのだと思われる。 プトレマイオスとキュビエの鉄壁の、完全無欠の「正しさ」を見れば、人間にとっての「正しさ」は一個の巨大な罠であることのほうが遙かに多いことは容易にみてとれる。 なんらかのきっかけで、自分達が正しいことを確信した十万人乃至百万人の人間が「正しくない」人間を集団で攻撃する、というのは人間の世界ではよくあることだが、日本語の世界ではそれが「自明」「絶対真理」であると意識されるところまで容易にいってしまう。 ツイッタでも述べたが、西洋の学校の「いじめ」は日本の学校のいじめよりも酷くて陰惨だが、よく観察しているといじめるほうは何百人に膨れあがっても自分達が悪いことを知っている。間違ったことをしているという事実を拭いがたい真実としてわかっている。 ところが日本では、「おまえが悪い」と合唱しているあいだに気持ちが酔っ払ったようになるかなんかして、いじめている相手のほうが全面的に悪いので、自分たちは「絶対善」なのだと実感するようになるものであるらしい。 わしは、むかしからこのブログ記事を読んでいる人なら、ああ、あれのことか、と思い当たるかもしれない、いくつかの実験を友達たちと相談してやってみたが、それはまるで戦前の日本人たちが狂泉の水を飲んで、まったくわけのわからない狂気にとらわれてゆく姿がビーカーの底に映し出されるように瓜二つだった。 日本人は極めて知的な文化をもっているが、その知性がいわば人間性というものにおいて「無効」なところに根本的な問題があるのではないか、と考えさせられた。 観察していたひとたちは、口々に「日本人はもういっかい戦争をやるだろう」と述べあっていたが、いまそんな話をこんなところで述べても、みな一笑に付すだけなのが判っているので、ここでは述べない。 日本のひとの国民性を悪い方に受け取ると、正しさにそういう属性がある場合は、たとえば「反原発」のひとも「原発推進」のひとも、ほんとうはダイスを振って出た目で決めているのと本質的に同じなのである。 「たくさんのひとがどちらを先に正しいと感じたか」によって、行き先のほうが先に決められてしまい、あとは無数のひとびとが寄ってたかって「現実」のほうをつくりあげてゆく。事実でない現実をつくりあげるなどというのは「編集」ということを考えたことがあるひとなら熟知しているとおり途方もなく簡単なことで、現実など騙し絵ほどの苦労もなく「生み出せる」ものであるのは、どちらかといえばジャーナリズムのABCにあたることであると思う。 そのうえに、もちろんこれは日本のひとに限らないが「歴然たるウソをまぜておく」のがお手の物の職人のような他人を中傷誹謗する才能があるひともいるわけで、実際、わしがインターネットでであったひとのなかにも、そういうひとがいたが、特に「名前がある」ひとの場合は、手もなくぞろぞろとついて歩いているフォロワーの群れの方は信じてしまうので、このひとはいろいろな人に対して、その手を常用しているようだった。 ではどうすれば日本語が狂気としてではない「正しさ」を取り戻せるか、現実に対して有効になりうるか、ここで自分が考えた事を演説のように述べるのではなくて、せっかくここまで一緒に歩いてきたのだから、この頃は全然お返事書いてねーじゃんなコメント欄や、ダジャレばかりのツイッタを改善して、お友達たちと一緒に考えたいと思う。 これがその第一回目で、集中して討議したりせずに、のんびり、思い出したように、この問題に立ち戻るのがよいと思うが、それにしても始めなければ何も起こらないので、 この記事をここに置いておくことにする。 出来れば次の記事からは、ツイッタで交換した意見や、コメントへの返信を織り交ぜて、話がすすんでいくといいなあ、と希望します。

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ボーティングの夜に

1 海がベタ凪だとボートは空飛ぶ絨毯のように巡航速度の39ノット(70キロ)くらいで進む。 ホワイトキャップ(波頭)があると船底に水があたって聞こえるガツンガツンという音のかわりに「しゃあー、しゃあー」という,か細い高い音が聞こえる。 小さいほうの新しく買った船でモニとふたりででかけることが多くなった。 「小さい人」ができてから、モニもわしも(軽い)ウツビョーなのではなかろーか、とふたりで言っていたのが、自棄を起こして大きい方も小さい方も新しいのに買い換えたら、ほぼ治療されてしまった。 夜明けの少し前のまだ暗いうちに家を出て、ワイヒキ島 http://www.waiheke.co.nz/ まで疾走して、夜明けを見る。夜のマリナを大きい方の船に乗った、家のひとびとと一緒に出て、満天の星空の下を眺めながら、ウイスキーを飲む。 むかしは、あんなに甲板の上で跳びはねる魚を見るのが嫌いだったのに、年をとるというのは怖ろしいことで、30歳が近付いたらヘーキになってしまった。 鰺、シマアジ、鯛、ヒラマサというような魚がどんどん釣れて、大きな船からディンギーで受け取りに来たひとびとによって料理されてゆきます。 モニとふたりきりで夜の空を眺めながら、やさしい波にゆられていると、ふと自分たちがこの世に存在していないような気がする。 モニもきっと同じ気持ちなので、わしの手をぎゅっと握る。 唇をあわせて、じっとしていると、なんだかたまらなくなって舳先の寝室にいってカーテンを閉めることになる。 波がない夜に入江に泊まっているモニとわしのボートのLED灯が揺れているのはそーゆー理由に拠っている(^^;) 2 人間が恋をするのは、すごくヘンなことだと思う。 モニとわしはすごくお互いとエッチがしたかっただけだった。 モニは、その頃からカトリックの尼僧でもここまでひどい人はおらんわ、というくらい潔癖がひどい人だったが、わしのほうは、チンパンジー並というか、知らない人とでも、見た目さえよければ、ほとんど挨拶がわりにエッチしているのではないかという蟻の這いいる隙もない、ではない、有りもしない噂がたつくらいで、世間の常識から外れているという点ではモニもわしも、どっちもとんでもないひとたちだったと思います。 でも、ひとりになって、チェルシーのクソアパートで冷蔵庫のなかを眺めながら、こんなんではハムサンドイッチも作れないではないかと考える午前2時とかに、突然、モニさんのアッパーイーストサイドにあるチョー高級アパートメントにタクシーをとばしていって押し倒してしまったらどうかと思うことがたびたびあった。 わしが結婚する前は、それはそれは酷いもので、実はわしの実体はペニスであって、ペニスがわしの魂をつかんでふりまわしているのではないか、と考えることがあったほどだった。 ほんとうにタクシーをとばしていってしまえばどうなったのかわからないが、なんだか、そんなことはよくないことのように思えたので、たとえば、すげー酔っ払ってるときでも、試してはみなかっただけのことでした。 ところが「やりたい一心」であったのに、それとモニが大好きな気持ちは全然別で、あとから考えると、ことの初めからモニと結婚すると決めていたよーな気がするのがヘンだと思う。 人間の恋は、人間が感知できる範囲とは別のところで決まって、理性の介入など金輪際、許さないもののよーだった。 うまい比喩ではないかもしれないが、わしは自分の一生において冬の雪山に不用意な軽装備で出かけてしまって遭難しかかっている無謀な素人登山家のような気がしていたのかもしれません。 そうして、モニのことを考えるときだけ体温が戻ってくるよーな気がしていたのに違いない。 もっと違う言い方をすれば、宇宙のなかで、ただひとりモニだけがこの世界から剥離した魂で、こんなことを言うのはきっと酷く残酷なことなのに違いないが、めぐりあった他の女びとたちは「世界」の一部だと思っていたのかもしれません。 (ちょっと、ひどいな) 3 わしは子供のときから陰に陽に「なに不自由なく育ったから心が冷たいのだ」と何度も言われて育った。 結婚してから、とつおいつ話してみると、国も言語も違うのにモニもまったく同じで、世の中って「きゃあ」だね、と話したりした。 初めてふたりで明け方まで過ごしたとき、その頃は考え方がふだんはパキパキで尼僧のようなのに長い(モニの国のひとには珍しい、明るい強い色の)金髪をふりほどくと、緑色のふだんは暖かい印象の眼に炎が忍び込んだようになって、まるで妖婦のようにみえる寝着姿のモニと床にぺったり腰をつけて、わしが手を火傷したりなんかしながらつくったローストビーフやチーズや果物が並んだ皿に手を伸ばしながら、どんなに下品にお互いとセックスしたかったか夢中になって話しながら、自分たちは正反対の人間だと思っていたのに同じひとのようだ、と発見したときに、もうモニのそばを離れられなくなってしまっていたのだと思う事がある。 モニとわしは結婚という制度に名を借りて、お互いを拘束してがんじがらめにして、 息もできないほど束縛して、お互いの自由という自由を奪いつくして、こんなに素晴らしいことは人間には一生にはないよーだ、と考えた。 ふたりでかまいあってゆくので手一杯なので子供をつくるのはやめるべなと言いながら「小さい人」が出来てしまったのも、ときどきベッドの上で(あるいはベッド以外の場所で)理性をなくすからであったと思われる(^^) 恋、などは「理性のひと」には納得がいかないに決まっている、 それは正に狂気で、あるいは人間の愚かさの(間違った方向に)最も止揚された姿であって、それがモニとわし自身でないならば、モニもわしも欧州人らしく口元は綻ばせても心のなかでは冷笑に近い笑いをもらしただろう。 でも、もう、これでいいみたい、 というモニの横顔をみて、「美神でもこんなに綺麗ではないだろう」と反射的に考える自分をいかにも愚かであると思う。 そう。 でも、もう、これでいいんです。 … Continue reading

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東京の記憶_1

高田馬場の駅で、ある日駅員が始発のシャッターをがらがらがらと上げてみると、そこには肩を組んで一列にならんだ浮浪者のおっちゃんたちがいて音楽にあわせてラインダンスを踊って見せたという話がわしは好きである。 あるいは駅前のBIGBOX http://www.bigbox-baba.jp/ の斜向かいのビルの居酒屋では午後2時半から4時半は焼酎が飲み放題で、その時間にビルのリフト(エレベータ)に乗り込もうとすると、浮浪者のおっちゃんたちの口だけが4つほども胴体よりも先にあらわれて、いっせいに「おえええええー」と嘔き狂って階上のオフィスめざして乗り込むべく待っていたひとびとのスーツが台無しになったりしたという。 2Xあるいは、夜中に義理叔父が、小滝橋の方角から戸山へ抜ける、小さなJRのガード下を通って行こうとすると、物陰の暗がりに浮浪者のおっちゃんが蹲っていて、ズボンの裾をつかんで、「ちょっと寄っていけ」という。 義理叔父というひとは人見知りをする癖に浮浪者おっちゃんのようなひとは好きで、 はいはい、と述べて、一緒にしゃがむと、おっちゃんは線香花火をつけてみせて、 「おれの人生もこんなもんだったなあー」としみじみと述べたので、笑ってはいけないが、その子供じみたいいかたが可笑しくて、にっこりしたら、おじちゃんも自分の口調を悟って、「なあんちゃって」と言ってごまかしたりした。 だから、なんなの?とここまで読んで思う人がいるのは、そういうひとは不思議に「おまえの書くものには意義がない」とわざわざ書いて寄越すので知っているが、田舎では意義がないのは困ったものでも、都会では意義がないからこそ意味があるのです。 わしは都会が好きである。 ふだんは自然がいっぱいあるところに住んでいて、燃料をつむのを忘れてヒコーキで飛んでいってしまったり、船で沖合に出て、あの背びれがあるクジラはなんであるか、マッコウクジラにはみえないので、アカボウクジラかしら、げっ、こっちにくる、でけえええー、とかゆって遊んでいるが、もともとは都会で生まれて育ったので、ときどき都会のひとが自然を満喫して命を全自動洗濯しにでかけるように、わしは都会へとおもむきます。 東京は、思い出してみると、すごく変わった都会だった。 変わった、ということの意味は、マンハッタンは下町はオモロイがだんだん上に行くに順って退屈な町になって、リンカーンセンターがあるのでやむをえず北へ向かうというか、モニの独身時代くらい社交上の地位があって、オカネがふんだんに使えればいまでも面白い場所はたくさんあるわけだが、わしなどはビンボな上にケチなので、北上すると遊ぶものがなくなる。 だいたいミッドタウンくらいで停止してしまう。 そうなると、同じ店ばかりがあってオールドネイヴィ http://www.oldnavy.com/ だのなんだので、どこにでもある店が並んでいて Serendipity 3 http://www.serendipity3.com/ のようなところは行くが、あとはもうあんまり、いいや、になってしまう。 なんだかどこもかしこもだんだん同じになってくるので腹が立つ。 東京の神保町は面白い町で、80年代に靖国通りの裏に並んでいた長屋を使った店、 能楽屋や筆屋、いまは飯田町に越した「餃子おけい」というような店があった頃はもっと面白い町だったというが、「表通りばかりになって哀れである」とおじさんたちにゆわれるいまでも、わしなどには面白くて、日本語の本を買うときには心掛けて、新刊ならばアマゾンではなくて東京堂に行って、古本でも良い本ほど「ブックオフ」のほうが安いのを知っていても、神田古書店で買うことを心掛けた。 わしは建長寺裏の半僧坊の烏天狗から、4割引の560円で気配を消す術を教わって、物理的にデカイわりに目立たないで行動できるほうだが、色には出にけり、どうしても他人よりは目立つので、あんまりいかないで食べ物とかは他人に頼んで買ってきてもらうほうだが、神保町の「エチオピア」のカレーはうまかったので、どうしても店で食べたくて、でかけて食べたことがある。 あるいは、最後に行ったときは、突然従業員の行儀がチョー悪くなっていて驚いたが、子供の時にストップオーバーでやってきたときに、良い思い出があるせいもあって、あるいは義理叔父がむかしは贔屓だったせいもあって、「山の上ホテル」の天ぷら屋でくつろいだりした。 しつこくも、わしが馴染みの画廊や古書店は付き合いがこれからも続くので具体的な名前はここに及んでも書かないが、絵画や版画、あるいは欧州語の古書でさえ、この町で買ったものはたくさんある。 ロンドンもサンフランシスコも古書街あるいは良い古書のあるエリアが壊れてしまって、たとえば、わしが子供の頃あれほど好きでサンフランシスコに行けばその店に行くのが愉しみだったユニオン広場からそんなに遠くない、いつも日だまりに猫がねそべっていて、その寝床がバイロンの詩集の上であったりオーデンの評論集の上であったりした、詩と絵本ばかり置いてある、あの美しい古書店もとっくのむかしになくなってしまった。 マンハッタンの「ひとり古書街」みたいなSTRAND http://www.strandbooks.com/ はまだあって、ユニオンスクエアのそばの本店は相変わらずわしの散歩コースにはいっていて、マンハッタンに戻る度に、ああ、まだある、えがった、と思うが、 近所の一風堂の行列は長くなる一方なのに、ストランドは以前ほどひとがいないような気がする。 まして新刊本屋はバーンズ&ノーブルが次次に店を閉めて、町を歩き回っては本屋によってのんびり棚を歩き回る愉しみはほぼ完全になくなってしまった。 ところが神保町は健在で、郊外にあった古書店が神保町めざしてやってきたせいで店の数は返って増えて、食べ物屋も原宿や渋谷、秋葉原ほどは下品でなくて、うどんの丸香くらいなら、上品にとどまっていて、わしガキの頃、とんかつというものを初めて食べて、そのときおっちゃんからもらったいかにもむかしふうのマッチをいまでも大事に持っている「とんかつニューポート」は閉店してしまったというが、あるいは共栄堂のカレーはじーちゃんが引退してから薄くなって、すっかり不味くなってしまったんだぜ、ガメ、というメールが来たりするが、神保町は神保町で、フクシマの事故が実は国を挙げての冗談で、ほんとうは放射性物質をぶちまけたりなんかしてないのでした、ははは、ということになるか、こっちの放射脳が狂泉の水を飲んで治るかなんかして、もういちど行けるようにならないかなあ、と考える。 安心してでかけられて、そこにあるのがいまもあの神保町なら、食べ物が全部汚染されてまくっていて、白山通りと靖国通りの角の六文そばしか食べられないのでも別にいいです。 住んでいるのが、いま考えてもガイジン好みに町ができていて、パチモンじみて、くだらなかった広尾なので、あんまり出かけたとは言えないが、銀座も好きな町だった。 わしには酔っ払うとタクシーを拾う程度でも家に帰るのがめんどくさくなる悪い癖があって、モニと一緒に朝ご飯をつくるのもめんどくさいので、銀座に遊びに行くと、よくそのまま日比谷のT国ホテルに泊まった。 T国ホテルは日本式サービスで有名で、普通のホテルの二倍は優にいる従業員のひとびとが入れ替わり立ち替わり、あれはダイジョブかこれは要らないかと訊ねてくる。 T国ホテルには外国人だけに適用される会員制度があって施設がタダになるので、害人はジムもプールも無料で、特に夏は愛用したりした。 だあれもいないプールでどばどば泳いで、お腹が空いてのどが渇くと、目の前にはモニとわしが熱狂的に好きだった有楽町ガード下の焼き鳥屋があるので天国そのままであった。 モニとふたりで秋の夜更けの議事堂前の道を、ダンスのステップを踏みながら歩いて、ところどころ立ち止まって、モニがわしの手の下でくるりとスピンしたりして遊んだ。 落ち葉が舞い上がって、東京の夜の、乾いた匂いがして、いつまでも朝にならないことを願った。 … Continue reading

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夜爪、深爪

爪切り、というのは意外とよいものが少ない。 わしは銀座の店で買ってきてもらった「匠の技」とかっちゅうのを使っておる(^^) おおきいのと小さいのがあるが、どちらもすぱっすぱっと切れてすごい。 http://hands.net/goods/125321 酔っ払ってたりすると指をつめちゃってもわからなかったりして、と思うくらいよく切れます。 ほんで、この爪切りを使うたびに日本のことを思い出す。 年をとったら日本人が食べるものを食べろ、という。 もう1ヶ月くらいで30歳になるわしは、日本の諺でも「待ってはいかの塩辛」とゆわれておるので、 一計を案じて魚を食べることにした。 ニュージーランドでは魚はだいたいにおいて結膜炎みたいっちゅうか、目が真っ赤で、腐りかけているのが多いので、怖いので、そんな赤目鰺や赤目鯛を食べるわけにはいかむ。 ボートで50キロくらいの沖合に出て、魚を釣ってきます。 魚探に魚影がうつっている30mくらいの深さがあるところに来て、WASABIちゅうようなインチキな名前の中国製サビキをつけて、釣り糸をほうりこむと、餌なんかいらん、いっぺんに二匹づつくらい鰺や鯛がつれる。ヒラメやタコもつれるというが、わしはあんまり釣りそのものには興味がないので20匹くらい釣ると、さっさと桟橋にもどってくる。 ときどきフィジー人の友達やなんかと一緒にいくこともある。 フィジー人のほうは、どいつもこいつも釣りの神様みたいひとが揃っていて、一緒に行くと、鯛でもわしがふだん釣るよりふたまわりは大きい「目の下一尺」ばかり釣る。 鰺を釣るという段になると、なんだか書いていてもどーせ本気にしねーな、という気がしますが、サビキの針の数だけ、6つ針なら6匹いっぺんにかかったりする。 どーなってんだろう、と思う。 しこうして、わしが日本に縁故があると知るや、釣り具のリストをつくって、「こんだけ送ってもらえよ」という。 「ガメ、日本人ってのは、釣り化け物みたいなやつらで、あのひとびとの道具は神様がもってる釣り道具よりよく出来てるのね」という。 フィジーの神様は中国製の釣り具を使っているものだと思われる。 なんだか日本語のインターネットを見ていると日本のひとは口々に自分達の「匠の技」がいかにすぐれているか、日本の商品の品質がいかに世界サイコーか、ばかり述べているのでうんざりしてしまうが、ゆっていること自体は世界中のひとが認めていることでもあると思います。 トヨタのアルテッツア(初代のことね)というクルマは、多分、日本のクルマで初めて140キロを越えて頭をふらないクルマであると思う、と前にもこのブログ記事に書いた。 このクルマは、同時に、それまでの日本車の欠点だった「やれ」がないクルマでもあって、10万キロくらい走っても新品のようにドアが閉まる。 そうなると、不気味なもので、このクルマは20万キロ30万キロと平然と走る。 いったい日本のQCはどうなってんだ、と思います。 タミヤの模型は世界中のガキどもの、といいたいところだが、実際には日本から一歩外に出るとタミヤの模型などはオトナのオモチャなので、オトナの垂涎の的で、どうしてバリもなくて、部品と部品とがあんなにぴったり合うのか判らない。 現実はタミヤという会社は恐ろしい事に自前の射出成型機をもっていて、なんどでもやりなおせるので、あの精度で模型をつくることができる。 士農工商というが、日本人は自分の国のイメージを考える時に、この4つの階級をずいずいずっころばしでごまみそずいちゃつぼにおわれてとっぴんしゃんにするようにいれかえてきた。 尖閣のような問題が起きると武張ったひとが、顎をつきだして、ぶいぶいゆいながらあらわれて、「毅然とするべ、みなの衆」と、なんとなく田植えの手つきに似た文章で戦争を呼びかける。 TPPともなると農業はどーすんだ、拙者の道場では稲穂はみのってもアメリカ人に垂れる穂はない、と先生がゆっておった、という。 「士道」を唱えながら、その実「本音」の世界では「商」であくどく稼ぐのは、日本人のお家芸とさえみなされている。 でもこの国の背骨は「工」で、と言い出すと、わしも日本という国にばかされているかしら、と思わなくもないが、「工」のつくるものはすごくて、いまのこの世界では、どうしてもドイツ人の次くらいにはすごいよーにおもわれる。 (閑話休題) (と思ったけど、やめた) だから、日本に向かって「ものづくり」やめないとダメだよ、友達のつもりでアメリカ人や欧州人、あるいは、わしのようなわけわかんないプーのひとが呼びかけてもムダで、日本のひとは下を向いてものをつくるのをやめないのではないだろうか、と思うことがある。 わしは日本人のサディズムというか、他人を非難しているうちに、あることないことあげつらいだして、すっかりアドレナリンがでて、背筋もつきぬける悦楽に酔って、物凄い言葉をつらねて、コーフンする様子が、泥の臭いがしてカッコワルイと思うが、よく訳のわからんことに拘泥してすっかり血迷って、のめりこんで、たとえばカミオカンデみたいなヘンテコなものをつくってしまったり、おもわず島宇宙をつなぐ橋の姿を垣間見てしまって、島宇宙と島宇宙が互いに架橋された雄大な「神のいない宇宙」をまぶたの裏側に観ながら自殺してしまった数学者や、下を向いて、根付けや煙管の細かで優美な細工を刻むようなところが好きである。 なんてヘンなひとたちだろうと思う。 欧州にもヘンなひとはいっぱいいて、ME109の操縦席の座り心地をよくするのに熱中して他の部分はとっくのむかしにラインから出て、野ざらしにつみあがっているのに、「うるさいな、ちょっと待てよ、いま戦闘機史上最強の操縦席が出来るところなんだから」とゆってすべてを待たせて馬の毛を背もたれの革の下に忍ばせようとしたドイツの職人たちやなんかは、日本の、それで時速が2キロだか速くなるんだとかいう沈頭鋲を発明した日本の技師達ともさぞかし話が合っただろう。 モニはアジアのもの一般にあまり興味をもたないので、ときどき、ガメはインドと日本には随分興味があるな、と不思議そうにいう。 ははは、ほんとだよね、わしはヘンな奴だ、とわしは答えるが、わしはほんとうの理由をしっている。 わしはこの世界が「みな同じ」になってゆくのが嫌なのだと思います。 … Continue reading

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遠い隣人

1 小さい人、が現れてからモニやわしが自分で料理する機会はほとんどなくなってしまったが、わしはもともと料理は好きである。 厨房とは別にちっこいキッチンをつくってもらって、簡単に食べたいときはモニとわしのものだけを、ほほいほいとつくって食べる。 サンドイッチがおおいが、「年をとってきたらアジアのものを食べろ」という新しい健康上の格言に順ってアジア料理もつくります。 焼き豚は中国式の蜂蜜をぬったものよりも日本式の酒と醤油とニンニクと生姜のたれにつけたもののほうが「シブイ」ので好きだが、これは簡単につくれる食べ物なので、常備してある、というか、いつも冷蔵庫に用意してある。 作り方は簡単を極めている。 必要なものは 豚のフィレ1本(400gくらい) 酒 醤油 生姜 にんにく 好みで八角、肉桂 唐辛子 はちみつ 1 小さめのジップロックに 醤油:酒=1:1 ねぎ・生姜・にんにく(ねぎはいれなくてもいいと思う) (にんにくはクローブ(房?)で1−3個、つぶしていれる) (生姜は適当に切っていれる) (ねぎは青ネギが余っていればいれる) とまるのままの豚フィレをいれる ジップロックを使うと、たれが少なくてすむので、わしみたくケチな人は嬉しいのです。豚フィレ1本をつけこむのにコップの半分のたれですむ。 1を冷蔵庫のなかでほうっぽらかしにして、そのときによって1−3日ほっぽらかしにしておけばよいと思われる。 わし自身は、もっとほうっぽらかしにしていてもヘーキだが、どのくらい放っておいて大丈夫か日数をかぞえてみたことがないからわからん(^^;) 2 食べたくなったらとりだして、豚肉の上に少したれを塗って(あるいはかけて)からクッキングペーパーにくるんで、ちゃんと熱くしたオブンで20分焼く、ほんで、20分したら取り出して今度はクッキングペーパーを開いて10分焼く。 それだけで出来上がりでがす。 うまいんだよお。 わしが好きな数が少ない中華料理のひとつだが、中国人の友達が来たときに老酒のつまみにこれをだしたら、「これ、うまいけど和式だよね」とゆっていたので、中国には、こういう甘くない焼き豚はないのかもしれません。 日本式の煮豚も作ってみたことがあるが、わしはちゃんとローストしたこの日本式焼き豚のほうが好きなよーである。 ニュージーランドには生の「日本麺」と表に書いてある、やたらうまいラーメンの麺があるが、日本ならもっといろいろな麺があるはずで、自分の好きな麺を買ってきて、スープのほうは、めんどくさければチキンストックと醤油だけでも最低限の味のものは出来てしまう。やってみればわかるが、ラーメンなどは能書きが多いだけで、たいして難しくない食べ物だと思う。 (そういうと怒るひとがいっぱいいるのは知っているが) ラーメンのようにスープに浸かった麺と焼き豚を食べるときには、中国式、あるいはベトナム式に麺のポールとは別皿にしたほうがおいしいよーである。 野菜のようなものはスープにのっけたほうがうまいが、焼き豚や、これもわしがときどきつくるレモングラスをすったソースをかけた鶏の唐揚げみたいものは、別皿のほうがうまい。 普通にただ食べてもおいしいので、というか、わしはだいたいそーするが、焼き豚を切ってマスタードで食べます。 日本のひとなら和辛子だろうが、試してみると良いが、西洋のいろいろなマスタードでもちゃんとあうものはあう。あわないのは全然あわない。 人間と同じです。 2 わしが住んでいるRemuera http://en.wikipedia.org/wiki/Remuera というところは、大きな家がおおい。 … Continue reading

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バビロンへのメモ

「あのひとの作品はダメだ。いきざまが見えてこない」という。 生き様なのかあ、と思って、わしはげんなりします。 そんなスカートの下にあるよーなもの、みたくねーよ。 裾風が立つ、ちゅう言葉を知らんのか、と思います。 なまぐさくて、かなわん、と考える。 一方では、「某は脇が甘い」とおおまじめに述べる作家がいる。 脇が甘い、というような言葉がどのような局面でも日本語として浮かぶひとが「作家」なので微笑してしまう。 小説家というのも日本語ではずいぶん楽な商売なのだな、と考える。 前から何度も述べたように日本では現代詩が50年代から70年代にかけて「極端に」といいたくなるほど発達した。 鮎川信夫や田村隆一、中桐雅夫、吉本隆明がいた「荒地」にはじまって、岡田隆彦や吉増剛造の「ドラムカン」、あるいは戦争中には「学問もやれず絵も描けず」とうんざりしながら釈迦堂の切り通しを歩いていた西脇順三郎のようなひとも帰ってきて、「豊穣の女神」や「えてるにたす」のような素晴らしい詩集をだしていた。 ところが(多分)日本の近代文学が大正以降詩・散文・日記というようなもののアマルガムとして発展してきたせいで詩を理解する能力が欠如した小説家ばかりだった日本の文学は、外国人が読んですらまずい言語感覚のせいで衰退して、やがて実質的に消滅してしまう。 大岡昇平や小林秀雄は自分達が言語感覚において二流であることを自覚していた。 死後たくさんでた彼のスタイルのマネをした詩がお笑いにしかならないのでわかるように、まったくの天才詩人であった中原中也が身近にいたからであると思われる。 このふたりが物語性や空中に浮遊するような批評感覚にこだわったのは、「なにが鋭敏な言語感覚を代替しうるか」という強い意識があったからだろう。 ついでに述べると、最近の小説家で「自分が天才である」ことを前提にしていないとできるはずのない発言をするひとが多いのは、「文学仲間」がいなくなってしまったからであると思われる。 同人誌、というようなものはもちろん質が高い形で成立しないし、たとえば軽井沢の小さな別荘でひと夏酒をのみながら文学の話ばかりに明け暮れる、というようなこともなくなった現代の日本の作家は孤独で、小企業主たちのようである、というか、お互いに脇目を使ってちらちらと同世代の作家がやっていることを盗み見する程度のことであるように見える。 大岡信や飯島耕一のような「訳知り」の「物識り」が批評家として政治力をもってしまったのも日本の文学にとっては不幸なことだった。 両人ともろくな作品がないが、大学の教師であることを足場にして、支配的な政治力をふるい、ほぼ現代詩の息の根をとめてしまった。 このふたりに共通しているのは「教師くささ」で、若い人へのものの言い方が理にも礼儀にも適っていて、しかも親切でありながら、どうしても教室の黒板の前に立つものの発想であり、物事の述べ方であったと思う。 義理叔父はまだ高校生のとき、パーティの席で、西脇順三郎が(西脇の最大の理解者・解説者である)鍵谷幸信に向かって、「きみはいったいいつまでぼくの提灯持ちをしているつもりなのか。いい加減にしたまえ」と声を荒げて怒鳴りつけるのを目撃して、芸術家はすげー、と思ったそーである(^^) あるいは、渋谷のNHKの食堂で、3メートル以上も隔たった2つのテーブルに腰掛けたままで、食堂中の人がふりかえるほどの大声で、激しい詩論の応酬をはじめた田村隆一と鮎川信夫を目撃したひとは、夜の二階堂の森に囲まれたテラスで、自分は大学生だったが涙がでるほど感動した。人間はこういうふうに生きていかなばならないのだ、と考えました、とわしに向かって述べた。 日本の社会は近代の歴史を通じて、背伸びを強いられ、難しい歴史を送らねばならなかったが、その極端に運営が難しい社会のなかで、なにによらず「強い同胞意識」をもって難局を切り抜けてきた。 横光利一は、それを「人民戦線のようだ」と感傷的に述べたというが、わしはそれを良い表現であると思う。 民主主義の国にやってきた日本人がぶっくらこいてしまうのは、戦後民主主義がもった「みなが親切で協調的な明るい社会」であるはずの社会とは似ても似つかない社会であることで、(80年代ならば)同じ時間の階上の同じ窓からゴミを投げ捨てる住民に同じ階下の人間が同じ罵り言葉で怒鳴りつけ、地下鉄に乗れば毎朝同じ老婆が(むかしのパリの地下鉄にはあった)一等車に切符をもたずに乗り込もうとして同じ車掌に見つかって、同じ言葉で罵りあいをするというような「自由主義社会」を見てしまうことだった。暗澹とした気持ちになって、自由主義社会はモラル上ここまでおちぶれたのか、とおもうようだったが、なあに、ことの初めからそういうわがまま勝手で「他人のことなんて知るかよ」な人間ばかりが住んでいるのが民主主義社会なので、事の順逆はむしろ天地さかさまで、そういう身勝手わがままなアンポンタンばかりだったから民主主義も自由主義も成り立ったのだとは、思いも付かないようでした。 ところが日本人が近代を通じて保持していた「社会的」情緒はといえば「気の毒だ」という言葉であり「おかわいそうに」であり、言葉もなく、そっと手をさしのべて、醤油をすら貸し借りして助け合うような、おおげさな言葉を使えば「共生の感覚」というものだった。 岩田宏を尊敬していた大江健三郎が岩田宏の詩をべたぼめして、「詩なんか少しもわからないくせにナマイキを言うな」とゆって田村隆一にぶんなぐられるところが大江健三郎の小文に出てくるが、だからとゆって大江健三郎は弁護士に相談して田村隆一に内容証明を送りつけたりはしなかった(^^) それはお互いに「仲間」であることを知っていたからで、知っていたからこそ、馴れあうこともなく、くだらない誹謗中傷とも無縁だった。 とんでもない、と思うひとがあるだろうが、この「仲間意識」が次第に失われていったのは、冒頭で述べかかった「言語感覚」が失われたからであるように見える。 日本でなら二葉亭四迷や夏目漱石の仕事を考えればすぐにわかるが文学には「言語自体を生成して整理・保持する」という役割がある。 どんな言語でも、いまでも、どの言語においても主に物語作家たちが中心になって新しい造語や言い回しを次次につくりだしているし、あるいは、古くさくなまぐさく感じられる言葉は違う表現に置き換えられてゆく。 日本の社会が糸がとつぜんほどけてばらばらになった衣服のように、ぱらぱらと解体されてゆくのは80年代後半からであったように見えるが、だいたいこのあたりから、小説家の言語感覚は酷いものになって、代わりに商業コピーライターたちがキャッチーな表現をうみだして、それが社会にひろまってゆく。 いわば物語作者たちの怠慢をコピーライターたちが補ってゆくわけで、読んでいけば読んでいくほど、そういうことごとと日本社会の崩壊とは関係があるように見えてくる。 言葉が腐れば国が滅びる、というのは悪い冗談にしても突拍子もない感じがするが、しかし丁度バビロンに集まったひとびとのようにお互いに日本語が通じなくなってしまっている日本の社会の現状の淵源は、文学を含めた「言葉の世界」を軽んじた結果に見えます。 そうしてそれは、言うのがむずかしいが、日本人がかつてはもっていた「同じ地面に立って議論する場」が、あちこちから失われた結果であるように思える。 妄想なのかもしれないが、だいたいそんなふうに考えて、近代を測る言語と社会の変容の関連をしらべているところです。

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日本スタイル

PSYのGangnam Style (江南スタイル) http://www.youtube.com/watch?v=9bZkp7q19f0 が世界中で流行っている。 わし自身は「なめらかすぎる」というか、いかにも流行りそうな旋律が邪魔をして、「へえ、流行しそうな曲だのい」とひねくれた反応しかおこさなかったが、モニさんなどは、たいへん気にいって、「可笑しい」とゆって何度もビデオをみて笑い転げている。 「ラウンジに来て一緒に踊ろう」とゆって呼ばれるので、ときどきラウンジにいってフランス人たちと一緒に踊って遊びます。 みんなで踊って遊ぶにはとてもよい曲である。 ふだん踊るのが苦手でカウチに腰掛けてることが多いFおばちゃんも、一緒になって大喜びで踊っている。 ツイッタでも述べたが、わしの大好きなアイ・ウェイウェイも日頃のストレスを吹き飛ばして踊っている(^^) http://www.youtube.com/watch?v=n281GWfT1E8 日本語世界でだけは「捏造された人気」 http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-929.html ということになって、「韓国人のインチキの象徴」というだけで終わってしまって、日本語世界を通して眺めていたわっしはぶっくらこいてしまったが、なにしろ南京虐殺でも「なかった」ことを証明してしまう熟練した弾劾者ぶりで知られたお国柄なので、調べたわけではないが、「捏造された人気」という説のほうが捏造されているのではないだろーか、とおもうほうが普通であるような気がする。 どうも日本のひとは他人を貶めたり誹謗したりするのが上手でありすぎるよーだ。 いまの世界でヒュンダイのくるまが走っていないのは日本の道路くらいのもので、 モニのかーちゃんなどは、「ヒュンダイはホンダの輸出向けブランド名なので日本では走っていない」のだ、という精妙な理論を頭のなかで組み立てて説明としていたそーである(^^) 無理もない、というか、そういう複雑な仮説でも組み立てないかぎり、特にSUVにみられるように、「どこにでも走っている」ヒュンダイのクルマが走っていない説明がつかないからで、「うーんとね、多分、日本のひとは問わず語らずのうちにヒュンダイ買わないんだよね。理由を訊かれれば『ヒュンダイは十年前の三菱自動車のマネだから日本人は品質の点で買わない』と説明してくれると思います」とわしが解説すると、みな一瞬ぞっとしたような顔になる。 温和で成熟したオトナであるわしは言葉にしないが、その裏にある、「日本人の差別ごのみ」の定評をおもいだして、「そこまですごいのか」と考えるからであると思う。 ヒュンダイのほうでも、不買運動などしなくても問わず語らずに日本のひとがつくりあげた国民を挙げての「心理的抵抗」を感知して、最高級車のソナタをタクシー会社にタダで配る、というプロモーションを最後に日本を撤退してしまったもののよーである。 サムソンのS3は 買ってきて使ってみると、細部まで使う人の便利を考えて作り込まれていて、他の会社のアンドロイドフォンに較べると使い勝手が格段にいい。 ちょっと飽きやすいかな、というくらいしか欠点が思い浮かばない。 特に使いでがあるスマートフォンでバッテリを複数もって交換できるのはS3だけなので、いままでのようにiphoneをふたつもって歩かなくてもよくなった(^^) 日本でもやや流行っているが、コンピュータ・デジタルグッズの世界はむかしからクルマと違って文化的差別意識が少ない市場なので、サムソンはきっとスマホを足がかりにテレビを日本でも他国市場なみに売っていきたい、と思っているでしょう。 もっともサムソンも日本でのおきまりの抵抗を受けていて、発売前から 中身がiphone4Sと同じ http://asianews2ch.livedoor.biz/archives/8154540.html とゆーよーな記事が多くでた。 折角の記事だったが、日本で発売されたS3は外形と名前だけが同じで中身は日本以外の国で売っているS3とは異なる「LTEモデル」と称するものだった。 この「日本向け特殊S3」は最新4コアのCPUSamsung Exynos 4 Quadの替わりに2コアのQualcom Snapdragon S4がはいったもので、どうしてそういうマーケティングをしたのかわからないが、サムソン社内でも「日本だけは特殊」という意識があることは明らかで、そういう認識が世界中の会社に広まってしまうのは、もちろん、日本の経済にとってはよいことではない、どころか、致命的になる可能性があるような気がします。 香港が連合王国から中国に返還されるときに、たくさんの香港人が香港をあとにした。香港人が生まれてからずっと馴染んできた自由は中国の全体主義とは相容れるわけがない、と思ったのでしょう。もうひとつは、制約が多い中国パスポートを嫌って、連合王国のパスポートをもらって新天地へでかけたほうがよい、という判断もあったと香港人の友達は言う。 中国のひとには面白い考えがあって「移住先は祖国に近いほど良い」という考えをもつひとがたくさんいる。 余計なことを書くと、日本の、ほとんどただひとりとゆってもよいIT実業家に孫正義というひとがいるが、このひとは韓国系ということになっている。 よく、それで嫌がらせもされるようで、わしも福島事故のあとにこのひとが「半島出身」というので、ずいぶんあげつらわれていたのを目撃した。 いかにも単純な「チョン、だまれ」に始まって、ツイッタに、 「ここまでご苦労でしたが、あとは自分達日本人がやりますから、外国人のあなたは手をひいてください」という日本のひとらしい、手の込んだ、それでいて他人の魂まで切り刻むような巧妙を極めるサディズムに満ちたコメントまで並んでいた。 … Continue reading

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就活_SDへの返信

30歳ともなると、他人の言う事はどーでもよくなる。 あ、まだ、30歳じゃないけどね。 ビョーヨミなんです。 いよいよオフィシャルにおじさんである。 もー、どーでもいいや、というか。 30歳という年齢は、そういう意味ではかなり投げやりになります。 SDというインターネットを通じて出来た友達がいて、もう何年かになるが、今度しゅーしょくするのだそーである。 SDもついに大学をおんだされるときがきたのだ(^^) そーか、それはたいへんだな、と考えたが、自分では就職というものを考えたことがないのでアドバイスをしろというが、やりようがない。 わしは、ずっとプーだとゆっておる。 プーにはプーのやりかたを訊くべきであって、就職の仕方を訊いても 「電話して、ぼく、雇わない?とか訊くんじゃねーの?えっ、ダメ?なんで?ぼく、いいのに」程度のアドバイスしかできない。 就活という言葉もたしかSDから初め聞いたのではないかと思うが、なんでそんなもものにあらためて名前が付くのかわからない、という感想しかなかった。 わしの考えでは人間はぼおおおーとしているもので、食えなくなったら働けばよい、と思う。 少なくとも自分はずっとそうしてきたし、親は世間並みからいえばカネモチだと思うが、妹が両親に「おにーちゃんなんかに一度でもオカネを渡したら一生ゆすられる」と、 おにーちゃん本人が考えても「わっはっは。ほんとだよねー。妹よ、なぜきみはそんなにわしの性格をよく知っておる」な、至極もっともなことを言ってかーちゃんととーちゃんというデカイ金庫の前でがんばっているので、いちども両親のオカネをギるのに成功したことはありません。 わしが出た大学はそもそも就職率がデタラメなので有名な学校で、そのわりに芸能人がおおいので、多分、吉本興業みたいな印象で世間ではうけとめられているのではなかろーか、と思う。 しかし、それ以前に「就職する」という観念をもたなかったわしは、ベンキョーと言っても「500年は世の中の役にたたない学問」という条件で選んだりした。 結局、おもいがけず身を救ったのは、遠いむかしは日本によれば秋月電子に直行する趣味のほうで、「発明が売れた」というニセガイジンどころではなくて、他人にゆってもずえったいに信じてもらえない生活費の稼ぎ方になった。 村上レイは、もうひとりのインターネットで出来た友達だが、このひとはとちくるったひとであって、40歳を過ぎてからニュージーランドに来て就職した。 ニュージーランドには就活というような習慣はないので、自分の専門の職業で「空きがないかなあー」と思って新聞を眺めて職業を探したものであるらしい。 アナリストなので、なにごとか分析する仕事です。 なんの分析してるかしらない。 でもオークランドみたいにクソ物価の町で子供ふたりと奥さんを養っているのだから、きっと給料は出ているのだと思われる。 だからツイッタかなんかで村上レイに訊けばわかるが、別に40歳をすぎても就職はできるよーである。 日本で出来なければ就職できる外国に行けばいいだけのことで、家がどうちゃらこうちゃらで、あるいは英語がなんちゃらほいちゃらで日本でなければいけない、というのは頭のなかに「日本菌」が侵入していて、すでに「日本の独自理屈」に冒されているのだと思う。バスケットボールで手をつかってはいけないというルールを信じ込んで試合にでてしまっているようなものです。 まともなゲームがやれるわけはない。 わしの友達Cは都会で育って親も医師と教師であるのに農場を経営するのが夢で、ほかのことをしたいと考えたことがなかった。 中途半端な農場は嫌で、1000エーカー(130万坪)くらいはないと嫌だと決めていた。 わしの入れ知恵に従って、ニュージーランドの南島に農場を買うことに決めたが、 カネが一文もないので、そこで初めて困ってしまった。 「カナダって、山賊がでるのを知っておるかね」という。 わしは物知りなので、こーゆーときは役にたつ。 「だけど、ほら、奥地には資源探査してるところとかいっぱいあんじゃん、あそこ」 と、わしは生まれついてもった謹厳な態度で重々しくアドバイスをしておる。 「ほんででっかいトラックで補給物資を運ぶんだけどね。あれ給料いいらしいよ。 襲われて死ななければ年収で2000万円は固いというな」 Cは、わしの深遠な情報からヒントを得て、油井の掘削という仕事を始めた。 オーストラリアの西の世界の終わりみたいな、道なんて、そんなものあるかよ、の地域でやってる、あれです。 飛行機で飛んでいって、ヘリコプターに乗り換えて、海上とかにポツンとあっていまにも崩落しそうなやぐらで仕事をする。 … Continue reading

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