Monthly Archives: November 2012

美人について

子供の頃、牧場に立って空を見ていたら、白雲がユニコーンの形をつくって駈けてゆく姿になったのを見て驚いたことがあった。 そういう出来事を目撃した時の常で、記憶のなかでは随分ながい時間だったことになっているが、実際には2,3秒のことだっただろう。 「美しいひと」というのは、あのときの積雲のいたずらのようなものではないかと考えることがある。神様の一瞬の気まぐれ、あるいは天使がほんのいっときよそ見をしているときに、偶然が意地悪くはたらいて、この世のものとは思われない美しいひとをつくってしまうのであるに違いない。 美しいひとは、肉体の輪郭はおろか、肌の輝き、眼の色、髪の毛の質に至るまで美しい。 目の前にあるのは現実でも、どちらかというと幻に似ている。 幻でないのなら、きっと自分の頭がどうかしてしまっているのだろう、と考える。 いつか知り合いのパーティにでかけたら、よく知っている声がきこえて、 「ガメが引きこもってばかりいるのは、あれは、モニさんを寝取られるのが怖いに違いない」と言っている。 相手は、まさか、と言って笑っていたが、盗み聴きしてしまった当の本人は、 案外そうかもしれないな、と考えて、へえ、と思った。 モニというひとはさまざまな魅力があるひとだが、どんな男にとってもわかりやすい平凡な意味での女としての魅力もあるひとで、たいていのひとはドギマギして、いまにもひれ伏すか腰を抜かしてしまいそうなふうだが、なかには一目で恋い焦がれてしまって、「どうやってでも手中にしたい」と考えるひともいる。 「手中にしたい」というところで、もう旧弊で願い下げな感じがするが、恋に狂う男や女というのは意外と凡庸な情緒のひとが多いので、どうしても、そういう理解の仕方に傾くもののようです(^^;) そういう、男が本人だけが誰も気がついてないと思うたぐいの態様で、なんとかしてモニの関心をひこうと思ってあれこれ懸命にモニに働きかけるのを見ているのは、心配になることはないが、鬱陶しいと思うことはあって、結婚してからも、人間にはそうそう分別はありはしないので、たいして変わらないといえば変わらなくて、めんどくさいからひとにあわなくなっているのではないかとおもうことがある。 モニ自身は、もっとはっきりとそういうことが嫌いなので、それでパーティのようなものが嫌いなもののようである。 何の本を読んでも「自分が美しいとしっている女は興ざめである」と書いてあるが、モニにはあてはまらないようだ、というよりも、モニが美しいひとであることはごく自然に誰でも得心していることで、それほど自明なことを本人が知らない、というほうが考えにくいように思える。 美しいひとと結婚するというのは、いろいろな点で奇妙なことだが、たとえばモニのお気に入りのでっかいサングラスを外してくつろいでいるときには、ちょっと見回すとほぼ必ずカメラや携帯をこちらに向けているひとがいる。 そんなバカな、いくらなんでもそんなことがあるわけがないという人がいるだろうが、現実にそうなものは仕方がない。 レストランで話しながら、ふと厨房のほうをみると、いつのまにかシェフがこちらに向かってカメラを構えていて、眼があうと、バツが悪そうに右手を挙げて挨拶したりする(^^)  日本のフェリーで三脚を立てた一眼レフを正面からじっとモニに向けて写真を撮っている団塊おじさんがいて、いかにもモノ扱いされているようで不愉快だったので、ふたりで頭からコートを被って顔を隠してしまったことがある。 何分かそうして、なんて失礼な奴だろう、やだね、あんな人、とコートの下で言い合ってから頭を出してみたら、そのひとは相変わらずまだこちらに向けたカメラを平然と覗き込んでいて、なんだか暗い感じのするその無遠慮な執拗さにぞっとしたこともあった。 そこまで不躾なひとは少ないが、視界の隅にカメラを構える人が映るのは年中で、落ち着かないと言えば落ち着かない。 モニが12歳くらいになってからいままで、いろいろなひとが撮ったモニの肖像の数は、どのくらいになるだろうと思うと、なんだかおもしろいようなおもしろくないような曖昧な気持ちになります。 むかしは美人というのは、基準が歴史や文化の背景によってつくられるもので、時代や場所によって同じ姿や容貌のひとが美人であることになったり凡庸な容姿のひととみなされるのだろう、と考えていた。 美術の解説本のようなものにも当然のようにそう述べられているし、信じやすい理屈でもあった。 ところが幕末の日本人が書いたものを読むと、西洋人の女たちを初めてみるのであるのに、その美しさにびっくりしてしまっている。 福沢諭吉というひとなどは渡米して百科事典よりなにより驚いたのは若い女の美しさで、この、なにごとによらず物怖じするということがなかった幕末の啓蒙家は、写真屋を連れてサンフランシスコの町を歩き回って、これは、と思う美貌の女びとを呼び止めては写真を撮ったもののよーである。 一方ではハワイ大学で教員をしていた中国系アメリカ人の女のひとは「源氏物語ですら肌の白さを美の基準にしているところをみると、日本人はむかしから白人崇拝の悪い傾向があったようだ」という論文を書いて物議をかもしたことがあって、遠藤周作という作家が大憤慨しているのを読んだことがあるが、いくらなんでも、憤慨するまでもなく、 珍説にすぎないのは誰にでも明らかであると思う。 注意して眺めていると、人間の美にも「絶対の基準」というものがあったようで、そのときによって、ふくよかで乳房が小さいほうが美人とされたり、瓜実顔の引目が賛美されたり、あるいは現代の世界のように眼がぱっちりと張っていて、瘦せて腰がくびれていたほうがいいというようなその時代の傾向とされるもののほうが返って観念的な誇張であったのだと思われる。 ひとつには、自分が生まれた家にもモニが生まれた家にも、写真のかわりというべきか、遙か昔に描かせた肖像画という悪趣味なものがいくつもあって、それを見ると、家に「周囲が困るほどの美人であった」と伝わっている人の肖像は、意外なほど現代的な面立ちで、世紀を越える眠りからさめて絵画のなかから、よっこらしょといまの世界に降り立っても、数ブロックも行かないうちに求婚者があらわれそうな人がいて、観念的な時代や地域による嗜好とは別に、人間が普通に美しいと感じる面立ちなり姿なりというものがやはりありそうに思える。 いまでもモニにあまり笑い話でもなさそうな顔で嫌みを言われるが、もともとはアフリカ人たちの褐色に太陽が凝縮したような姿が好きで、週末に遊びにでかけるのもアフリカ人の女びとが多かった。 誰でも知っているとおり、アフリカ人には現実とは到底信じられないほど美しいひとがいて、まるで女神のように輝くひとを見つめたり抱き合ったりしていると、頭がぼおっとしてくるほどだった。 こうやって書いてくると、なんだお前は人間の外形ばかりをみて内面を見ないのか、ケーハクなやつだな、と言われそうだが、居直るというわけではなくて、実際、外形以外で女びとを好きになったことはないようでもある。 それは自分では判らないが異常なことであるかもしれなくて、母親がたまたま美しい人であったのと関係があるとすれば、そこには心理学的な理由が潜んでいるのかもしれない、と思うことはある。 小さいひとに自分の指をつかませて、飽きもせずにあやしているモニは相変わらず女神が嫉妬に狂いそうなほど美しいひとで、小さいひとに敵意を抱きそうなほどだが、モニもやがては年をとって、しわがうまれ、髪の輝きが失われてゆくのだろう。 もっとも長いつきあいの配偶者はお互いの眼には若いときの姿で見えているという。 案外としわも体のたるみも眼に映らないのかもしれないが。 神様のいたずらで、一瞬の時空の気まぐれのようにこの世界に生まれてきた「美しいひとたち」は、その美しさによって、周りの人間を驚かし、動揺させ、悲しませ、酷いときには破滅に陥れる。 むかしから(このブログ記事にも何度か出てくる)「絶世の美女」という古色蒼然とした表現を使いたくなる娼婦の友人がいるのを憶えているひともいるだろうが、あのひとなどは、自分の美しい顔と肉体にあわせて演技をすることはあっても、ほんとうは繊細な磁器をおもわせる容貌とは異なって、いわば「男」のような性格で、カシノで会うと、ブラックジャックテーブルに向かう他人の足を止めて、とにかく一緒にいっぱい飲もう、ひさしぶりだろ、と邪魔をしにくるのは、どうやら「ガメが相手だと自分の性格を捏造しなくてすむ」からであるらしい。 あたまに「高級」という形容がつくにしても娼婦という職業の選択は、魂と肉体が乖離していることと関係があるのかもしれない、と自分でも述べている。 … Continue reading

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匿名と真実

アメリカ人がネットで「実名」を選択するのは、そっちのほうが実生活に利益をもたらすからで、特に他に理由はないと思う。 日本の社会には「糾弾体質」とでもいうべき集団サディズムがあって、たとえば酔っ払って職務質問に腹を立てて警官をぶん殴ったくらいのことでも、いいとしこいて正義の味方を気取るひとびとによって実名を大々的にあばかれ、職業を失ったりする奇妙な風習があるので、実名で他人と異なる意見を述べるのは愚行だと思うが、別にアメリカ人は特別に昔から民主主義をやってるから勇気があって正々堂々と意見を言う、ということではないのは、当のアメリカ人がいちばんよく知っているはずです。 実名で不動産ブログを起こして顧客を開拓したり法律ブログを開設してカモの猟場を広げるためにインターネットを使うのは通常のことで、それを匿名でやったのでは後々カネに変わっていかないので何をやっているかわからないではないかというわけで実名でブログを書く。 あるいは、SNSならなおさら、おー、21番街におるのかね、ほんならすぐそばではないか、一緒にビールでも飲まねえ?と述べて、綺麗な(とアイコンから期待される)ねーちんと落ち合う、という展開が常に期待されるが、これも匿名だとやりたくもない「純愛」に終わってしまうので、そういう情けない事態を避けたければ実名のほうがよい、ということになる。 もっとも、この、ねーかのじょおービールのまないー、の場合は初見で「ツイッタではシドと名乗ってるけど、本当はジェームズというのね。ジェームズと呼んでください」ということはよくある。 ルールの許容範囲内であるとみなされる。 でもそれも「シド」のほうが響きがカッコイイな、と思ってつけてみただけのことで、日本のように住所をつきとめて玄関の前にカメラを設置してみなでもの笑いのタネにする、というようなビョーキのひとたちがいて、そんなバカタレたちの相手をしなければならなくなったのでは、いくらなんでも時間の無駄で、敵わないからではありません。 アメリカにも4チャンネルがあるじゃん、というひとがいたが、中年国民がほぼこぞって参加しているのではないかと思われるほど広汎な支持をうけて、その栄誉をうけて創設者は日本国政府を頭からこけにしてるのにお咎めも追徴課税の通知も来ない2チャンネルと、2チャンネルの話を聞いて小規模なコピーサイトをつくって、いきなりカネがなくなって冷笑されているガキの失敗した小サイトと比較できるとおもうのは、どうかしている。 インターネットは英語世界ではあくまで現実と地続きで、ブログやSNSは、どちらかというと情報量が多い電話帳乃至同窓会アルバムみたいなものだと考えた方がイメージに近いと思う。 自分自身について言えば、実名でインターネットに住処があるのは閉鎖的なフォーラムだけで、なんとなく似たもの同士というか、ごくつぶしの集まりというか、ろくでもないひとたちがヒマにあかせて何の足しにもならない書き込みをしている姿を思いうかべれば、それでほぼそのイメージ通りであると思う。 お互いに成長の過程や学校でよく知った者同士なので、スカイプや他のビデオ会議も併用して、なんだこれ?とか、 アフガニスタンの帽子って、ナイツブリッジにも売ってるとこあるのか?とか、そーゆー会話が音声で交叉するなかをテキストもすすむ。 その一方で日本語やなんかのツイッタもすすめているので、「日本て、こんなことやってんだってえええ」 「へえー」 というような気の抜けたやりとりが並行して起きている。 ガメ・オベールが「わっし」という主語で日本語を話すことにしたのは、なるべく胡散臭く真実味が感じられないようにするためだったのは、たいていのひとが気づいた通りだった。なるべく真実味のない話し方をすれば、そこでどれほど深刻なことが語られていても権威主義に欺されやすいひとや自分の頭で考えられないひとは、ついてこられないからで、これはいまでも良い考えだったと思っている。 なぜ真実味が感じられないようにする必要があったかというと、わしの現実生活そのものが真実味が全然感じられないもので、そういう二重構造にしておかなければ、そもそも自分の生活を言葉に書いて考えてみることが出来なかった、ということがある。 しかも日本語でなければならなかった、といまでは自分では判っている。 もともとは神のあるなしということで日本語がよかろうと考えたが、実際にやってみると日本語で考えることには他にも都合がいいことが多かった。 世の中には頭がいいひとがたくさんいるもので、そうやって書いているうちに、わしのほんとうの姿を見破って、このひとはオカネがあるようなことを言っているビンボ人のふりをしているがほんとうにオカネがあるのではないか、とか、ニセガイジンのふりをして日本に住んでいるおじちゃんを創作しているが、ほんとうはほんとうに日本にいるのではないのではないか、とか、こうやって書くだけでもややこしい現実を絡まった糸をほぐすように見いだしていってしまうひとたちがいた。 そうして、頭の良いひとびとのせいで、ばれてくると、こちらでもだんだんめんどくさくなって、実際の生活をどんどんばらしてしまうので、なんだか匿名でやってても実名でやってても同じじゃん、な状態になってしまったが、ここには面白いことがあって、ガメ・オベールという匿名の人格が自分の頭のなかに生じてしまっているので、これは予想外のことだった。 特に日本語では、自分は自分であるよりはガメ・オベールであるよーで、普段、日本語を使う機会がまったくないせいもあって、頭のなかが日本語に移行すると、言語の移行がそのままガメ・オベールへの人格への移行になってしまう(^^;) 匿名が実体を獲得してしまって、たいへん奇妙な感じがする。 「将来のため」に英語を勉強してしまったりするのも悪いことではないが、言語を学習することの最大の楽しみは自分のなかに別の人格が形成されることであると思う。 わしのなかの日本語人格は明らかに日本語のなかに堆積した、というか染みついた、情緒や逃れられない考え方の癖、日本語以外では表現することも不可能な寂しさや哀しみの感情を含んでもっている。 そういうことから類推すると、日本語人が英語を身につけると、英語の、現実がなければ何もないとでも言うような現実べったりなところ、あるいは、この世界にポンっと投げ出されて、野原をひとりで歩いて行くような英語人の情緒を自分の精神のなかに形成することは、「将来のため」というような電卓で計算された未来よりも遙かに重要なことと思われる。 そのとき初めて言語こそが自分という存在の実体であった、と実感できるのだと思います。

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言葉のない思惟

人間の愚かさの根源は、自分が死ぬことはわかりきっているのに、そこから逆算して自分の一生をすごせないことにある。 そのうえに30歳の自分にとって17歳の自分はほぼ他人なのだから、50歳の自分にとって30歳の自分も、人間の精神時間の流れ方を考えれば若い自分を振り返ったときのようにアカの他人とまではいかないだろうが、兄弟というか、そのくらいは違う自分であるだろう。 つまり簡便に述べると(言い古されたことになるが)20歳の夏の一日は、その日一日のことで繰り返すことができない。 せっかく睡眠というものがあるのだから、小規模で明日に連続されることが一応保証されている死だということにして、一日をその都度リフレッシュされた一生のように生きられればよいが、人間の意識は疎漏なので、一日一日を稠密な意識で埋め尽くすというわけにはいかないのを、われわれはみな経験的に知っている。 眠っているときの大脳はかなり忙しくて、どうやら記憶の棚の整理をしているらしい。右のものを左、反応した大きさで揃えたり、内容で揃えたり、索引をつけたりで、なかなか忙しいのだという。 ぼくはほとんど夢を視ないが、数少ない夢をてがかりに考えてみると、ある夢においては言葉が介在していないことがあるよーにみえる。 ヘルプ・ミーと言っているのに村人がみんなクマさんになってしまっていて、誰も助けにきてくれない、という怖い夢を視たこともあるから、言語が介在する夢が存在するのはたしかだが、思い出しにくいのに強烈な色彩的印象を残している夢のなかには、「言葉のない世界」に属しているものがあったような気がして仕方がない。 いまは、人間の夢には言語が存在しない動物の夢と言語が介在する人間の夢と両方が存在するということにしてあります。 ところで動物の夢をみる自分がいるということは動物の生を生きている自分が存在するということだろう。 あたりまえではないか、というひとがいるのかもしれないが、全然あたりまえではない。 思惟で存在を保障されている「我」の傍らなり足下なりに、動物の生を生きている「我」がいては近代の「人間」の定義に照らして甚だしく都合がわるいと思われる。 死から逆算させることを拒んでいる生は、この動物としての「我」ではないかと疑うことは、困ったことに理屈にかなっている。 ぼくはよく自分の語彙がとどかない自我(と呼びうるかどうかは判らないが)というものが人間の一生において決定的な役割を果たしているのではないかと狐疑する。 神や悪魔と名乗っているものは、案外とそこに眠っているかもしれないからです。 でも、そうだとすると、人間などは救済の可能性がない存在だということになってしまうが。

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余白_1

1 いまは「品下って」しまったが、わしガキの頃はジャガーはまだイギリスでは人気があるクルマで、だいたい首の後ろが赤そうで頭の固い傲岸なおっさんが好んで乗るクルマだった。 XJS http://en.wikipedia.org/wiki/Jaguar_XJS やXJIII http://www.youtube.com/watch?v=hVB66Pg1rz8 があった頃のことです。 乗ってるおっちゃんはだいたいにおいてくだらないひとが多かったよーな気はするが、ジャガーはたいへんイギリス的なクルマで、「スポーツ」という言葉そのままだと中古ガイドに書いてあったりするが、そういうこととは別に、たとえばクルマを(あるいはイギリス風のものの見方を)よく知らないひとにとっては、XJ12とDaimler Double Sixの違いがよくわからない、ということがある。 イギリスのひとであれば、相当なクルマ音痴でも、「フロントグリルが違う」「クロームの使い方が違う」「後ろに小さくダブルシックスと書いてある(^^;)」というようなことで、パッと見て気が付く。 それ以前にXJ12とデイムラーではまるで違うクルマやんね、と考えて違いの説明に苦労するひともいそうだが、それはそれでイギリス式価値観にズボッとはまってしまっていて、「えっ、建物に。ふつう、出口なんかあるのか?」と考えているひとでありそーな気がする。 これがレンジローバーになると、もっとものすごくて、レンジローバーはなぜ売れたかというと、狐狩りに使うような丘陵地帯の道なき荒野をどんどん行けて、その実運転している人間は会社はつぶれてしまったのになぜかメイフェアとナイツブリッジには店がある(^^;)コノリーの皮を張ったチョー楽ちんな座席に座って自分の家の居間の椅子と同じ質の車内で寛いでいられる、というので人気がでた。 プリンス・オブ・ウエールズなる人は、いまでは年上の憧れのひとを熱愛するあまりシンガポールの沖合に沈没してしまったが、貴族的な人間で、たとえば他人が足下にも及ばない自分でも力をいれているコレクションをもっているが、その世界的に有名なコレクションは「贋作コレクション」です。 レンブラントの偽物やピカソの偽物のうち、専門家でも鑑定に悶絶するような真に迫った「良作」だけを蒐集して私有の一大美術館をもっている。 もう少しのべると、ミニクーパーというクルマはプリンス・オブ・ウエールズがいなければ市場に存在しなかったはずで、天才Alec Issigonis  http://en.wikipedia.org/wiki/Alec_Issigonis がエンジンを横置きにするという物凄いアイデアをもってつくった、このちっこいクルマはBMCが出したときには、全然人気がなかった。 ただひとり、この「ミニ」をひとめみて熱狂的なファンになったのが、プリンス・オブ・ウエールズで、エバンジェリストとなって、友達の顔をみれば、きみ、乗ってみろよ、あんな面白いクルマはないぜ、とゆって奨めて歩いた結果が、そのあとに続くミニの長い興隆の歴史のおおもとであると信ぜられている。 このひとが当時狩りに愛用したクルマはディスカバリでレンジ・ローバーではなかったが、それは正面から一流ではかっこわるいな、というこのすべてにおいて趣味の良いひとの典型的な上流階級趣味があらわれている(^^)  ダイアナ妃は気の毒だったが、チャールズのような男にはもともとコーンウォール公爵夫人でなければならなかった、レディ・ダイでは無理であった、と思う人が多い由縁であると思う。 レンジ・ローバーはディスカバリと違って、もともとは十分な収入があるから買ってよい、というようなクルマではなくて、もっと下品で辛辣な価値観の体系によって出来たマーケットを念頭においてつくられたので、座席のコノリーにパイピングがあるかないか、皮のなめしが指定できるかどうか、そーゆーチョーバカな理由で値段が激しく異なるクルマだった。 いまのベントレー・コンティネンタルGT http://www.bentleymotors.com/models/new_continental_gt_speed/ と似ているかもしれません。 ニュージーランドはやたらとレンジローバーが走っている国で、アメリカ市場の2倍以上に設定された価格であるのに、ご苦労なこっちゃ、とわしは考える。 いまは、その頃とは(運営している会社も所有している会社も変わったので)異なるマーケットかもしれないがわしガキの頃家にやってきたおっちゃんが、アメリカのレンジローバー所有者の平均年収は50万ドルくらいと思うけど、と述べていたのを思い出す。 ニュージーランドでレンジローバーのディストリビューションをしているおっちゃんに訊くとニュージーランドのレンジローバー所有者の平均年収は2000万円がとこで、ほとんどの顧客がローンで買う。 しかも、その半分はローンの審査ではねられる、とゆっていたので大笑い(すみません)したことがあったが、さてそれを「夢」と呼ぶか「虚栄」と呼ぶかは、案外とそのひとがどんなふうに社会と向き合っているかについての自白になっているのではないかと考えることがある。 多分、若いひとがクルマを買わなくなり、あまつさえ、高いクルマを買う人間にむきだしの憎悪の言葉を投げつける日本の社会が正対している問題にも通じているのではないかと思います。 2 昨日、もじんさんというひととツイッタで話していたら、自分では夏の膝までのパンツのことをいうのだと思っていた「ショーツ」がもじん風にやや遠慮して述べれば「女性の下着」、英語でいえばニッカーズ、アメリカ人の言葉ではパンティ、であることを発見してローバイしてしまった。日本語をおぼえてからずっと「ショーツ」「ショーツ」と書くものすべて及び会話において連呼してきたからで、おもえば、わしは日本語を学習して以来、 「夏はたいていパンティをはいて過ごします。そっちのほうが趣味にかなっていますから」とオオマジメに述べていたことになる。 結婚する前にも、わしが会った日本人の誰も「うちの娘と会ってみませんか?」と遠回しにも述べるひとがいなかったわけである、としみじみと考えました。 みんな、わしのことを変態ガイジンだと思っていたのではなかろーか。 だいたい日本語を矯正するのは義理叔父の役割であって、ツイッタやなんかでも不眠症のひまつぶしに眺めていることが多いと思われて、「信じれる」とでも書こうものならチャット窓がいきなり開いて、「ぶわかもの、『信じられる』ぢゃ」とゆってくる。 高校生の頃クラブでかわいいねーちんと知り合いになって夜中に窓からこっそり忍び込んで、むふむふしていたら相手のおやじが突然ドアを開けて踏み込んできたときのような気持ちになります。 (そんな経験はないけど) (ほんとよ) … Continue reading

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昆布石鹸の味

向田邦子の「昆布石鹸」という文章は 「ビスケットとクッキーはどう違うのだろうか」 という一行で始まる。 ぼく知ってるもん、という意味ではなくて、読んでいて、へえ、と思う。 へえ、ではなくて、そうか、なのかも知れないが、 へえ、なのか、そうか、なのか、 要するに「そんな感じなのか」と発見して軽い驚きを感じる。 ビスケットとクッキーがどう違うかというとビスケットがある世界にはクッキーがない。 ニュージーランドでもCookieTime http://www.cookietime.co.nz/ という有名な会社があるが、「クッキー」なのは、この会社だけで、残りは「ビスケット」です。 クッキーはアメリカ語で英語では普及していない言葉であると思う。 ニュージーランドは狡い国で、英語圏で「うけた」番組を、あちこちから集めて来てテレビ番組の一日を形成する。 わしが子供の頃は、まだイギリスの番組が圧倒的で、再放送もラブジョイやインスペクター・モースで、だいたいAbsolutely Fabulous http://en.wikipedia.org/wiki/Absolutely_Fabulous の全盛期、ダジャレをいうと、すなわち前世紀までは、テレビから聞こえてくる英語はイングランドの英語やスコットランド訛りが多かった。 それが「Friends」 http://www.imdb.com/title/tt0108778/ を境に、アメリカ人の「R」がやたらと響くヘンテコな英語に耳が馴れて、まあ、いいか、というふうになってきたのだと思われる。 いまはアメリカの番組がぐっと増えて、次がイギリス、次がオーストラリアで、 残りは「ショートランドストリート」 http://tvnz.co.nz/shortland-street のように、イギリスのコロネーションストリートほどではなくても、まだわしガキの頃から、毎日延々延々と続くニュージーランドドラマがある。 (Rachel http://tvnz.co.nz/shortland-street-characters/rachel-mckenna-3106235 などは16年も毎日テレビに出ているわけで、いま番組のページで顔をみても、むかしのお子供さんぽい顔とは全然別の顔で、どひゃあー、と思う。わしジジイやん、と考える) アメリカの番組を観ていて「パンティ」とかゆわれると、耳にするのは、もう何千回目であるのに、いまでもやはり頭のなかで「なんじゃ、そりゃ」という反応が起こっている。 いったい、なにをどうやったら、このひとびとはニッカーズをパンティとかいう、けったいなパーぽい言葉で呼ぶのであるか、と自動的に思う。 折角、女優がナイトショーのホストに機知を機動させてコート狭しと応えているのを観て、頭のいい女のひとだなあ、と感心していたのに「パンティ」というひとことで、実はこのひとは頭が弱いのではなかろーか、と心のどこかで邪推を始めている。 イギリス人とアメリカ人は、ケミストリの良い相手と巡り会うと、なにしろ外国人同士でもあり、お互いが新鮮で、意気投合して、結婚にまで至るカップルが多い。 一方で離婚も多いので、観察していると、毎日に使う単語の意味範囲やニュアンスがビミョーに違うのでだんだん疲れ果ててくるもののよーである。 もうひとつ、同じ「英語」を使って欧州系同士アフリカ系同士なら見た目も同族なので、すっかり同じ部族だと妄信してしまうが、実はまったくとゆってよいほど考えの習慣が異なる外国人同士なので、なぜそこに絶望的な理解の壁が生じてしまうのかが判らなくて、 離婚に至ってしまう。 ニッカーズをパンティと呼ぶ相手が疎ましくやりきれなくなってしまうのだと思う。 パンティと言う側は、ニッカーズという呼び名しか自然に受け取れない辛辣な皮肉屋たちのとげとげしさが、どうにもいたたまれなくなってしまうのだと思量される。 日本のひとはやむをえない便宜と思うが「欧米」という言葉を使う。 あたりまえだが、「欧」と「米」はまるで異なる世界で、明瞭に対立的な世界です。 なぜわざわざ日本語でこんな小学生でも明らかでありそーなことをわざわざ書いているかというと、日本は便宜によって「欧米」「欧米」と述べているうちに欧も米も一緒というか、まるで欧州とアメリカが同じ枝に止まっているかのように思ってしまうひとがいるようで、その誤解は歴史的にいって何度も日本を破滅的な危機に追いやってきた。 そろそろ「欧米」という言葉を辞書から削除しないと、巡り巡れば日本は東アジアブロックに閉じ込められて中国が閂をかけたドアから出られなくなってゆきそーだと思う。 … Continue reading

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長い夜

ひさしぶりに届いたTさんのメールには各務原でベトコンラーメンを食べたことや高速道のサービスエリアで食べた米沢牛のカレーが不味かったこと、むかし一緒にでかけた青山のバーがもうなくなってしまったことに混じって、阿房列車の3冊を読み直してみたこと、高校生のときは一向おもしろくなかったのに、40歳に近付いたいま読んでみるとだいぶん面白い、考えてみるとこれはガメにあらためてすすめられて買った本で、外国人のくせに若いときから、こんなものの面白さがわかるのはヘンだと思う、第一、なんだか腹が立つ、というようなことが書き連ねてあって、内田百閒はやっぱり岡山に帰りにくかったんだろうなあ、とふと思ったのでメールを書くことにした、と書いてある。 Kくんを憶えていますか? Kくんは、おかあさんが病気で前から寝たきりになっていたおばあさんと一緒に倒れてしまったので、介護に専念することになって、いまは生活保護に頼っている、という。 それから唐突に、「もう何を言ってもムダなような気がする。窓のない部屋に暮らしているようなもので、太陽があがっても、いちどは希望の光で照らした太陽がまた沈んでしまうまで、ぼくは気が付かないような気がします」 と書いてあった。 「放射脳」のTさんが「米沢牛のカレー」を食べたと書いてあるところで、もうちょっとドキッとした。Tさんは観察眼があるひとなので、公団が運営している高速道路やJRの駅のなか、そういう公共性がある場所には明らかに政府の意図が働いていて、サービスエリアに行けば福島応援セールで福島の物産を売っているし、やはり高速道のサービスエリアで、いつも食べるカツ丼を頼んで、カウンタの向かいに座って、ふと見上げると、食材が変わっていて、「東北応援のために東北食材を使っています」と張り紙がある。 一方ではJRの駅のなかにある店で「○○県産を使っています」という牛のマンガ付きの表示が「○○県産」をなげやりなやりかたで消して、上からマジックで「国産」と書いてあるのだという。 住んでいるマンハッタンから東京に様子を見に行った義理叔父の友達Sさんは、下調べをして、むかしから徹底的に安全な食材だけを使っていると聞いた「E」という有名なイタリア料理屋に行った。放射能というような事はひとことも言わないが、注文したものの産地をひとつづつ説明して、イタリアから輸入したものは当然として、Sさんの知識に照らして放射性物質がとどかない九州のものや四国のものばかりだったので帰り際に支払いをしながら「ほんとうは、この店は放射性物質汚染に気を使っているのですね。ぼくは国外に住んでいるんだけど、嬉しいと思う」と思い切って言ってみたら、黒眼の勝った目をした店員の女のひとが、店の真ん前の道路でさえ汚染されて線量計ではかる数値が高かったこと、みなでこれはたいへんなことになったと言ってしばらく店をおやすみにして仕入れ先の再検討をしたこと、その結果年来付き合いがあった卸屋さんと喧嘩別れになってしまったこと、というようなことを話してくれた。 Sさんが外に出ると、さっき傍らに立って話をじっと聞いていた別の店員の女びとがドアの外に出てきて立って、「あの、ありがとうございます」という。 Sさんが、客として訪問したことを言われたのだと受け取って、「いや、こちらこそ、おいしかったですよ」と会釈すると、思い詰めた顔で「そうではないんです」という。 「あの、わたし、(福島の)S村の出身なんです。お客さんが仰る通り、みな政府に強制退去と言ってほしかったんです。それなのに、口だけの応援なんて、わたし、許せないんです」とやっとそこまで言うと涙が目にあふれてきて、声が出ないのだそーでした。 「だから、うれしかったんです」 Sさんは義理叔父の友達だけのことはあるというか、気の利かない、咄嗟には何も言えないデクノボーオヤジで、ただうなづいて、踵を返して、内堀通りに出たところで、突然、嗚咽に似たものがこみあげてきて、涙が次から次からびっくりするほど流れてきて、「いやあ、土砂降りの日でよかったぜ、実際」と述べていた。 ところでガメ、面白いんだぜ、という。 晴れた日には通勤のガイジンがみんなマスクをかけていて、その横を日本人のサラリーマンたちがグループでジョギングしている。 きみが大嫌いだった、肘まである長い手袋をしてマスクをしている女のひとびとは、マスクをしなくなって、顔を公開するのが流行になっているよーだ。 あの外国人たちがかけているマスクはN99だと思うがね。 ところが、銀座の薬局に行ってみるとN99はもう売ってないのさ。 店員に訊いてみたら、「目が細かいマスクが必要な冬場は売れますけど、それまでは必要ないんで、置いてないんですよね」だって。 放射能のことなんて、もう誰も気にしていない。 過ぎたことになってしまったようだ。 ほんとうに、過ぎてしまっていればいいのだけれど。 それから、次の日にぼくは鹿児島県が経営してるレストランに行ったんだ。 鹿児島豚で、米も鹿児島だっていうからね。 カツ丼を食べて、ガメに会ったら羨ましがらせてやろうと思って。 ところが、鹿児島のものは豚と米だけなんだよ。 仕方がないから生姜焼きを頼んで米と豚だけを食べた。 米と豚だけ! 皿にはキャベツも漬け物も、お椀には味噌汁がまるまる残ってて、われながら、なんという下品な食べ方をする客だろうと思ったよ。 むかしガメが「東京は東北のしっぽみたいな町だ」と言ってたけど、あれはほんとうにほんとうで、デパ地下に行っても、放射性物質を避けようと思うと食べられるものが何もないんだよ。 しようがないから、スペイン産のハモンと、パンのなかでそれだけはスペインからの輸入だという固い田舎パンを買って、きみが好きなテンプラニーニョでホテルの部屋でさびしい夕食を食べた。 きみの叔父さんとスカイプで話して「食うもんがねえ」とこぼしたら、おっさんは科学をかじったので、「蕎麦を食え、蕎麦。さすがに東北の蕎麦を食う気はしないかしれんが、冷たい蕎麦は茹で方からしても、たとえ放射性物質まみれの蕎麦でもセシウムがお湯に出るからマシだろう」という。 でも、そばつゆのだしが危ないだろう、と気が付いて訊くと、 「高いの食わないで安いの食え。安いそばつゆなんぞ赤道近辺の雑魚しか使わねーから、すげー安全だぞ。そば湯のむなよ。セシウム湯かしれん、と疑って、無粋を決め込むのが正しいであろう」って、えらそーに言うんだよ。 だから、それから三日間、岡山の蕎麦とかそんなのばっかし食べていた。 Sさんは航空会社に電話をかけて、機内食を、いらないから、と断わって、鳥取から取り寄せた押し鮨をもって飛行機に乗ったそーでした。 機内では、日本人パーサーが話しかけてきて、「ほんとうに何も召し上がらなくてよいのですか?」と訊くので、ああまた、日本人の余計なお世話乗務員か、やだなーと思いながら、それでもSさんの育ちの良さで、「ええ、ご迷惑でしょうけど」という。 「ところが、このパーサーはまともな奴でね」 とSさんは嬉しそうだった。 「いえ、わたしどもでも、機内食がどこで調達されるかは判らないのです」と控えめな言いかたではあっても、Sさんの心配は当然だと明然と判るように述べたあとで、暫くすると戻ってきて、日本産でないものを機内からかき集めてきたバスケットを渡して、果物やチョコレート、ポテトチップやチーズが不自然な組み合わせで山盛りになった中身をみて呆然としているSさんの目をみつめて、「わたしも日本人としてがんばりたいとおもってます」とチョーマヌケな決意を述べて立ち去ったので、Sさんは、そこでまた泣かなければならなかったのだそうでした。 … Continue reading

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新しい革袋

個人からみて、いまの世界の最大の問題は「競争が激しすぎる」ことだと思う。 バルセロナの革命広場に行けば昼間からギターを抱えた若い衆を中心に5、6人の20代の男達が群れていて、即興で中国人をバカにする歌や工夫もなければ他愛もない猥褻な歌をけらけらと笑いながら大声で歌っている。 クライストチャーチの町を歩けば骸骨がナチのヘルメットをかぶったデザインのアイコンをおおきく描いたクルマが必ず走っている。 アジア人とみればわざわざクルマの窓を開けて「クソ中国人め、てめーの国に帰れ」と韓国人や日本人観光客に向かって叫ぶチョーひまなハゲたちがいる。 しかしバカというものは目立つだけで、たいした数がいるわけではなくて、たとえば富裕な家に生まれたわけでなく、懸命に馬力をかけて勉強して、大学を卒業し、キャリアを積み、職場でもITならITのテクノクラートとして自分の人生を豊かにしようと志した人間にとっては、まるで呼吸をするヒマもなさそうなのがいまの世界であると思う。 ふたたび「個人からみて」日本社会の最もよいところは、ほとんど競争らしい競争がないことだった。 前に同じことを書いたら、50歳代らしきひとが、ていねいにみえるが存分の憎悪をこめて自分の部下や若い世代になげつける、件(くだん)の「日本中年話法」で、日本の社会の競争の激しさをしらないくせに、聞いたようなことをいうな、と部長の一喝のごときコメントを送りつけてきたことがあった。 それは、おたいへんさまでした、とつぶやいてゴミ箱に捨てたかもしれないし、過去のコメントをみてゆくと、案外、どっかに顔をだしているかもしれません。 自分が水の上にやっと顔をだして、犬かきで必死でわたった人生に鑑みて「競争がなかった」なんて言われるのは耐えられない、と考えるのは人の気持ちとして理解できなくはないが、日本の商社や大手会社のチューザイたちの仕事ぶりは、当の日本人チューザイの耳には聞こえないのかもしれないが、あまりの非効率とお茶ばかり飲んでいるので、つとに有名で、奥さん達もチューザイ序列にしたがって軍隊制度じみていて、ミッドタウンのマレーヒルにあるその名もずばりに改名した「麻婆豆腐」というレストラン http://www.yelp.com/biz/mapo-tofu-new-york に行けば、たいてい奥のまるいテーブルに腰掛けて、それでもいちばん入り口から遠いところにボスの奥さんが座って、誰かが冗談をいうと、一瞬、ボス奥さんの顔をちらと眺めて笑い出す徴候が存在するのを確かめてから、4分の1秒くらい遅れて笑い出すチューザイ奥さんたちの姿は有名である。 有名すぎて、わしは物好きにも友達と見物に行って、その噂に聞く「ヒエラルキー下達反応笑い」がほんとーだったのでカンドーした。 ついでに関係ないことを述べると麻婆豆腐もうまかった。 1970・1980年代の日本の快進撃がめざましかったので、仕事のやりかたや組織については日本の会社がどんなふうになっているか、日本のひとが想像するよりは、たとえばアメリカ人は遙かによく知っていて、ビジネススクールのケーススタディにも出てくれば、欧州でもイギリスで法廷弁護士でもやっぺかしらと思ってる学生でも、日本に行けば、その足でお門違いのトヨタの工場に向かったりしていた。 わしも行ったことがあるが、いまでも日本訪問の第一の目的地は、少なくともわしの友人どもにとっては名古屋で、トヨタである。 いろいろな人間が日本の経済を研究してたどりついた結論は、それが国家社会主義経済に近い構造をもっていて、銀行は財務省の下部機関としての機能しかもっておらず、わかりやすい例をあげれば接客カウンタの高さまで「指導」で厳格に決められていて、自分達で経営方針を決定する自由をもたず、したがって融資はほぼ共産主義国型で、「国家の意志」によって決まる、というふうに、競争を前提とせずに一個の巨大な軍隊として国家を経営しているのが日本という国で、それならば実は、それほど恐れる事はないのではないか、と考え出したのが80年代の終わりだった。 その「日本封じ込め」の政策は「すべてが政府に集中しているのだから政府を制圧すれば、それで事足りる」ということに主眼があったが、この記事では詳しい話はしない。 軍隊では訓練が激しい一方で軍隊内での競争は厳禁される。 軍隊というのは組織としては究極の官僚組織で、がっちがちの役人根性で出来ているので、「抜け駆けの功名」は絶対に許さない。 これは近代戦の「壁」をつくって敵と向かい合う知恵からきたのでもあって、いくら部分が突出して敵のなかにドリルのようにはいっていっても、弱い部分から敵が後ろにまわってしまえば、そこでおしまいなのはハインツ・グデーリアン http://en.wikipedia.org/wiki/Heinz_Guderian でなくても簡単にわかる理屈であり、突出部にしても両側から、わらわらと襲いかかられて切り取られてしまえば、孤立して、ぐじゃぐじゃぐじゃと皆殺しにされてしまう。 だから軍隊は規律をつくり、横並びを鉄の掟として、将校に考えさせ、兵隊は文字通り叩きに叩いて、ダメな兵隊は半殺しにするまでぶちのめして、パワハラやセクハラで、人格を破壊して、「自分」というものが崩壊するまで恫喝的に訓練する。 日本人の友達がスタンリー・キューブリックの「フルメタルジャケット」 http://en.wikipedia.org/wiki/Full_Metal_Jacket を観て、 その海兵隊訓練キャンプが「日本社会そのまま」だったとゆって息を呑んでいたが、 日本の社会がどのような意味においても「強兵」をつくるためだけに存在した社会であることをおもえば、あたりまえといえばあたりまえであると思う。 軍隊には、そうして、シゴキや人格を破壊するための恫喝はあっても、個人間の競争は存在しない。 「個人」というものは撲滅して、兵士を「全体の部分」に変貌させるのが目的なので競争というものは起こらない。 もちろん軍隊では完全武装のかけっこに始まって、順位を競うイベントはいくらでもあるが、それは技能の比較大会で個人の競争とは正反対の性質をもつ。 国家社会主義型経済の欠点は、いちど方針を誤ると、なにしろ号令されて一様性が出てしまっているので、軒並みだめになって、回復力がないことだと思うが、日本はGEと東芝、というように組み合わせた(組み合わせそのものに失敗したが)大型電算機産業への跳躍を準備していたのに、スティーブ・ジョブスやウォズニアックのような余計なことをする人間があらわれて、パーソナルコンピュータが出現し、それでもオモチャじゃないかとせせら笑っているうちに、あっというまに大型電子計算機を恐竜に変えてしまった、世紀の大失敗に始まって、ITに関してはやることなすこと愚かで、それにつづいてあらわれた通信では、なんだかもう述べるのもメンドクサイくらい的外れな施策を打ち出し続けた。 この通信に関してはインパールと牟田口廉也そっくりの事情があるが、この記事はそういうことを書くのには向かないと思う。 誰かがここに的をしぼって調べてゆくと面白いことがある、というにとどめておく。 軍隊で言えば将校の能力がなさすぎた、ということになるが、ではほんとうに個々の将校がバカにすぎなかったのかというと、仔細に現実を検討すると全然そんなことはなくて、たとえば経産省(むかしの通産省)の係長クラス(23、4歳)班長(24、5歳)よくわけのわからないバカタレなエネルギー政策の本とかを出していたひとがどういう理由によるのか役所をやめてアメリカに行くと、あっというまに個人としての能力を発揮してアメリカの意志決定に直截関係するような発想をもって中枢に座っていたりする。 そういう例を次から次にみてゆくと、これは多分個人の能力よりも全体の意思で、 ヒントは、せっかくMITIの例を挙げたのだから、MITIの例でいくと、ひとり一事務所と言われるほど個人で勝手に仕事をする通産省ですら家族主義で、研究してみれば研究してみるほど不穏なので、いまの原発だとぶっとぶんじゃないですかあー、と審議官におもいきって述べてみると、ばかもの、いままで無事に動いてるんだから、これからもダイジョーブだ、くだらん心配をしてないで地元の公聴会に行って灰皿をデコにぶつけられてこんかい、と言われる、という集団主義的「ノリ」で多忙な、というよりはほぼキチガイじみた、役人の仕事のハードスケジュールをこなしていった。 この例で言えば「ダイジョーブだ、ダイジョーブを前提にしろ」というのは、実はそうしないと仕事が全体の省としてこなせなかったのだ、ということが目を近づけていくと見えてくる。 福島第一にしても、なんであんなヘンなところに予備電源があんだ? ディーゼル補給にかかる経費をけちってるのか、バカかあいつら、という声はあったが、忙しいので「全体」としては拾いあげるわけにはいかなかったという。 全体の力を国家的な意志なりなんなりの全体の意志にそって集約してゆくと観念的で疎漏になる、というのは、どうやら上に挙げたような理由によっていて、福島第一事故は、そういう観点からは社会文化によって避けられなかったと言えるのかもしれない。 … Continue reading

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