日本スタイル

PSYのGangnam Style (江南スタイル)
http://www.youtube.com/watch?v=9bZkp7q19f0
が世界中で流行っている。
わし自身は「なめらかすぎる」というか、いかにも流行りそうな旋律が邪魔をして、「へえ、流行しそうな曲だのい」とひねくれた反応しかおこさなかったが、モニさんなどは、たいへん気にいって、「可笑しい」とゆって何度もビデオをみて笑い転げている。
「ラウンジに来て一緒に踊ろう」とゆって呼ばれるので、ときどきラウンジにいってフランス人たちと一緒に踊って遊びます。
みんなで踊って遊ぶにはとてもよい曲である。
ふだん踊るのが苦手でカウチに腰掛けてることが多いFおばちゃんも、一緒になって大喜びで踊っている。
ツイッタでも述べたが、わしの大好きなアイ・ウェイウェイも日頃のストレスを吹き飛ばして踊っている(^^)
http://www.youtube.com/watch?v=n281GWfT1E8

日本語世界でだけは「捏造された人気」
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-929.html
ということになって、「韓国人のインチキの象徴」というだけで終わってしまって、日本語世界を通して眺めていたわっしはぶっくらこいてしまったが、なにしろ南京虐殺でも「なかった」ことを証明してしまう熟練した弾劾者ぶりで知られたお国柄なので、調べたわけではないが、「捏造された人気」という説のほうが捏造されているのではないだろーか、とおもうほうが普通であるような気がする。
どうも日本のひとは他人を貶めたり誹謗したりするのが上手でありすぎるよーだ。

いまの世界でヒュンダイのくるまが走っていないのは日本の道路くらいのもので、
モニのかーちゃんなどは、「ヒュンダイはホンダの輸出向けブランド名なので日本では走っていない」のだ、という精妙な理論を頭のなかで組み立てて説明としていたそーである(^^)
無理もない、というか、そういう複雑な仮説でも組み立てないかぎり、特にSUVにみられるように、「どこにでも走っている」ヒュンダイのクルマが走っていない説明がつかないからで、「うーんとね、多分、日本のひとは問わず語らずのうちにヒュンダイ買わないんだよね。理由を訊かれれば『ヒュンダイは十年前の三菱自動車のマネだから日本人は品質の点で買わない』と説明してくれると思います」とわしが解説すると、みな一瞬ぞっとしたような顔になる。
温和で成熟したオトナであるわしは言葉にしないが、その裏にある、「日本人の差別ごのみ」の定評をおもいだして、「そこまですごいのか」と考えるからであると思う。
ヒュンダイのほうでも、不買運動などしなくても問わず語らずに日本のひとがつくりあげた国民を挙げての「心理的抵抗」を感知して、最高級車のソナタをタクシー会社にタダで配る、というプロモーションを最後に日本を撤退してしまったもののよーである。

サムソンのS3は
買ってきて使ってみると、細部まで使う人の便利を考えて作り込まれていて、他の会社のアンドロイドフォンに較べると使い勝手が格段にいい。
ちょっと飽きやすいかな、というくらいしか欠点が思い浮かばない。
特に使いでがあるスマートフォンでバッテリを複数もって交換できるのはS3だけなので、いままでのようにiphoneをふたつもって歩かなくてもよくなった(^^)
日本でもやや流行っているが、コンピュータ・デジタルグッズの世界はむかしからクルマと違って文化的差別意識が少ない市場なので、サムソンはきっとスマホを足がかりにテレビを日本でも他国市場なみに売っていきたい、と思っているでしょう。
もっともサムソンも日本でのおきまりの抵抗を受けていて、発売前から
中身がiphone4Sと同じ
http://asianews2ch.livedoor.biz/archives/8154540.html
とゆーよーな記事が多くでた。

折角の記事だったが、日本で発売されたS3は外形と名前だけが同じで中身は日本以外の国で売っているS3とは異なる「LTEモデル」と称するものだった。
この「日本向け特殊S3」は最新4コアのCPUSamsung Exynos 4 Quadの替わりに2コアのQualcom Snapdragon S4がはいったもので、どうしてそういうマーケティングをしたのかわからないが、サムソン社内でも「日本だけは特殊」という意識があることは明らかで、そういう認識が世界中の会社に広まってしまうのは、もちろん、日本の経済にとってはよいことではない、どころか、致命的になる可能性があるような気がします。

香港が連合王国から中国に返還されるときに、たくさんの香港人が香港をあとにした。香港人が生まれてからずっと馴染んできた自由は中国の全体主義とは相容れるわけがない、と思ったのでしょう。もうひとつは、制約が多い中国パスポートを嫌って、連合王国のパスポートをもらって新天地へでかけたほうがよい、という判断もあったと香港人の友達は言う。

中国のひとには面白い考えがあって「移住先は祖国に近いほど良い」という考えをもつひとがたくさんいる。
余計なことを書くと、日本の、ほとんどただひとりとゆってもよいIT実業家に孫正義というひとがいるが、このひとは韓国系ということになっている。
よく、それで嫌がらせもされるようで、わしも福島事故のあとにこのひとが「半島出身」というので、ずいぶんあげつらわれていたのを目撃した。
いかにも単純な「チョン、だまれ」に始まって、ツイッタに、
「ここまでご苦労でしたが、あとは自分達日本人がやりますから、外国人のあなたは手をひいてください」という日本のひとらしい、手の込んだ、それでいて他人の魂まで切り刻むような巧妙を極めるサディズムに満ちたコメントまで並んでいた。

落ち着いて考えてみると、「孫」という姓は伝統的には半島人の姓にはないはずで、多分、何代か前は中国のひとのはずである。
もっとも、(もっとくだらないことを書くと)わしはある偶然から、孫正義さんの「孫」さんが法的に明然と日本姓であることを知っていて、孫さんの家族のほかは他にない、日本でただひとつの「孫」姓であることをしっている。
孫正義さんが、福島の事故の直後、ツイッタを通じて次次に適切な提案を行っていくのを、へえええ、と思いながら眺めていたわしは、前出のチョーやらしい発言のあと、急に黙ってしまった孫さんの発言を悲しい気持ちで眺めていたが、しばらくして、
「日本人でなければ、日本を思ってはいけないのですか?」と答えていた。
わしはこの孫正義という、あんまり自分の趣味にはかなっていないバリバリ型の実業家の、まるで自分が18歳だったときの魂の声を呼び起こすような発言に涙ぐんでしまったが、このひとがそこで言葉を立てて言わなかったことが、どういう思いであるのか、戸籍法を巧みに使って、かなり複雑な手順を踏まなければいけなかったはずの「ひとり創氏」ひとつとっても、わかるような気がする。

「孫さん」だけではなくて。中国の人はそうやって隣から隣へと這い伝って移住する傾向があるので、たくさんの、世界のどこででもやっていける腕前の香港シェフがおおぜい横浜中華街をはじめとする日本の中華料理の世界にやってきた。
「ところがね、ガメさん、日本のお客さんは炒飯と麻婆豆腐ばっかりなの」とSさんは苦笑してゆったものだった。
いろいろ工夫して新しい料理をメニューにいれても、誰も頼んでくれないんだよ。
たまに「シェフに挨拶をしたいからテーブルに呼んでよ」と言われて出ていってもさ、「きみの炒飯はご飯のつぶつぶがひとつづつ立っていて、パラパラでたいしたものだねえ」とかゆわれるんで嫌になっちゃった。
炒飯の米が立っているなんて、そのへんの町場の料理人でもあたりまえのことだから。
その香港人は、いまカナダで一流シェフとして名を成している。

ツイッタで「日本人であること自体が呪いであるような気がする」(^^;)という日本人友達がいた。
いくらなんでもおおげさな言い方で、おもわずからかってしまったが、日本を世界から切り取って孤立させているのは日本人自身であるかもしれない、と思う事はある。
解決などは簡単で、多分、ふだん読む新聞と雑誌とを英語の新聞に変えてしまえばいいだけです。
感覚的に言って一日に5、6時間も英語のソースだけにしぼって、日本語の新聞やなんかのほうはやめてしまえばよい。
「そんなことをしたら欧米に洗脳されてしまうから、そんなことをするのは嫌だ」と怒る人がいたが、多分、その程度では「洗脳」されるほど英語が思考にはいりこむわけはないので杞憂であると思われる。

もうひとつ、英語はもうアメリカ人やイギリス人の言葉ではなくなっている。
昨日ツイッタをみていたら誰かが「日本以外の国では大学卒はみな英語を話す」と書いたのがリツイートされていて、「それは言い過ぎ」「厳しい」というような反応が並んでいたが、インドではたいへんなスピードで、別に大学卒でなくても、その上職場や通りだけではなく家庭内ですら英語を話すように変わってきている。
クリケットが世界の競技人口で野球をぬいてしまったという記事が去年でていたが、英語人口の主体が近い未来にインド人になるのはほぼ明かで、その上に2050年くらいから(ちょうどいまの中国のように)顕在化して、そこからあとは世界の中心に育ってゆくに違いないアフリカも、いまのフランス語と英語の大陸からじょじょに英語の大陸へ変わってゆくだろう。
そのときに英語として中心になるのはインド英語であるのは、もういまの時点で明瞭に判っている。
わしが頑健なアル中ジジイになって家族に見放されて家の裏庭のガゼボで寂しく老後のウイスキーの味をかみしめる頃には、用法どころかアクセントまでインド英語がかなり影響しているのではなかろーか。

そうやって、とつおいつ考えていると、日本はどんな改革を考えるより、案外と英語でものを理解できるようになることがゆいいつの焦眉の急なのかも知れない。
その実現は、日本人が「読めるけど話せないんですよね」と英語人が聞けば微笑するに違いない不思議な言い訳をしながら思い詰めるよりは、ずっと簡単なことである。
そうして、日本のひとが英語で直截世界を見渡したり、世界のあちこちの人々とインターネットを通じて直截話をするようになる頃には、Gangnam Styleが韓国人の作った曲でも日本人が作った曲でも、あるいは東アジアのどこかの出身のアメリカ人がつくった曲でも、そんなことはどーでもよいことになっているのだと思います。

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One Response to 日本スタイル

  1. じゅら says:

    「江南スタイル」の捏造説があったなんて初めて知りました。ほんとにびっくりした。
    私自身はまだ見てないけど、英語のニュースで最初に流れてきたのはずいぶん前の話だし、全然関係ないYouTubeとかコメントとか見ててもちょくちょく名前が出るし、流行ってるのは全然疑ってなかったんです。
    でも、最初に触れた情報がその捏造説だったら、ころっと信じ込んでしまう人もいるのかな…。

    捏造説や孫さんの話みたいなことは、10年前はまだネットでもそうなかったような気がします。00年代のうちにびっくりするほどひどくなった感じ。疫病が広まったみたいです。単純に人が増えただけではすまされないような気がする。
    自分たちの下に置いて、好きに小突き回せる人たちを確保していないと、どうしても気がすまないのかと思います。

    それにしてもひどいなぁ。「孫」なんて、ドラゴンボールみたいでかっこいいのに。

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