バビロンへのメモ

「あのひとの作品はダメだ。いきざまが見えてこない」という。
生き様なのかあ、と思って、わしはげんなりします。
そんなスカートの下にあるよーなもの、みたくねーよ。
裾風が立つ、ちゅう言葉を知らんのか、と思います。
なまぐさくて、かなわん、と考える。

一方では、「某は脇が甘い」とおおまじめに述べる作家がいる。
脇が甘い、というような言葉がどのような局面でも日本語として浮かぶひとが「作家」なので微笑してしまう。
小説家というのも日本語ではずいぶん楽な商売なのだな、と考える。

前から何度も述べたように日本では現代詩が50年代から70年代にかけて「極端に」といいたくなるほど発達した。
鮎川信夫や田村隆一、中桐雅夫、吉本隆明がいた「荒地」にはじまって、岡田隆彦や吉増剛造の「ドラムカン」、あるいは戦争中には「学問もやれず絵も描けず」とうんざりしながら釈迦堂の切り通しを歩いていた西脇順三郎のようなひとも帰ってきて、「豊穣の女神」や「えてるにたす」のような素晴らしい詩集をだしていた。
ところが(多分)日本の近代文学が大正以降詩・散文・日記というようなもののアマルガムとして発展してきたせいで詩を理解する能力が欠如した小説家ばかりだった日本の文学は、外国人が読んですらまずい言語感覚のせいで衰退して、やがて実質的に消滅してしまう。

大岡昇平や小林秀雄は自分達が言語感覚において二流であることを自覚していた。
死後たくさんでた彼のスタイルのマネをした詩がお笑いにしかならないのでわかるように、まったくの天才詩人であった中原中也が身近にいたからであると思われる。
このふたりが物語性や空中に浮遊するような批評感覚にこだわったのは、「なにが鋭敏な言語感覚を代替しうるか」という強い意識があったからだろう。

ついでに述べると、最近の小説家で「自分が天才である」ことを前提にしていないとできるはずのない発言をするひとが多いのは、「文学仲間」がいなくなってしまったからであると思われる。
同人誌、というようなものはもちろん質が高い形で成立しないし、たとえば軽井沢の小さな別荘でひと夏酒をのみながら文学の話ばかりに明け暮れる、というようなこともなくなった現代の日本の作家は孤独で、小企業主たちのようである、というか、お互いに脇目を使ってちらちらと同世代の作家がやっていることを盗み見する程度のことであるように見える。

大岡信や飯島耕一のような「訳知り」の「物識り」が批評家として政治力をもってしまったのも日本の文学にとっては不幸なことだった。
両人ともろくな作品がないが、大学の教師であることを足場にして、支配的な政治力をふるい、ほぼ現代詩の息の根をとめてしまった。

このふたりに共通しているのは「教師くささ」で、若い人へのものの言い方が理にも礼儀にも適っていて、しかも親切でありながら、どうしても教室の黒板の前に立つものの発想であり、物事の述べ方であったと思う。

義理叔父はまだ高校生のとき、パーティの席で、西脇順三郎が(西脇の最大の理解者・解説者である)鍵谷幸信に向かって、「きみはいったいいつまでぼくの提灯持ちをしているつもりなのか。いい加減にしたまえ」と声を荒げて怒鳴りつけるのを目撃して、芸術家はすげー、と思ったそーである(^^)
あるいは、渋谷のNHKの食堂で、3メートル以上も隔たった2つのテーブルに腰掛けたままで、食堂中の人がふりかえるほどの大声で、激しい詩論の応酬をはじめた田村隆一と鮎川信夫を目撃したひとは、夜の二階堂の森に囲まれたテラスで、自分は大学生だったが涙がでるほど感動した。人間はこういうふうに生きていかなばならないのだ、と考えました、とわしに向かって述べた。

日本の社会は近代の歴史を通じて、背伸びを強いられ、難しい歴史を送らねばならなかったが、その極端に運営が難しい社会のなかで、なにによらず「強い同胞意識」をもって難局を切り抜けてきた。
横光利一は、それを「人民戦線のようだ」と感傷的に述べたというが、わしはそれを良い表現であると思う。

民主主義の国にやってきた日本人がぶっくらこいてしまうのは、戦後民主主義がもった「みなが親切で協調的な明るい社会」であるはずの社会とは似ても似つかない社会であることで、(80年代ならば)同じ時間の階上の同じ窓からゴミを投げ捨てる住民に同じ階下の人間が同じ罵り言葉で怒鳴りつけ、地下鉄に乗れば毎朝同じ老婆が(むかしのパリの地下鉄にはあった)一等車に切符をもたずに乗り込もうとして同じ車掌に見つかって、同じ言葉で罵りあいをするというような「自由主義社会」を見てしまうことだった。暗澹とした気持ちになって、自由主義社会はモラル上ここまでおちぶれたのか、とおもうようだったが、なあに、ことの初めからそういうわがまま勝手で「他人のことなんて知るかよ」な人間ばかりが住んでいるのが民主主義社会なので、事の順逆はむしろ天地さかさまで、そういう身勝手わがままなアンポンタンばかりだったから民主主義も自由主義も成り立ったのだとは、思いも付かないようでした。

ところが日本人が近代を通じて保持していた「社会的」情緒はといえば「気の毒だ」という言葉であり「おかわいそうに」であり、言葉もなく、そっと手をさしのべて、醤油をすら貸し借りして助け合うような、おおげさな言葉を使えば「共生の感覚」というものだった。

岩田宏を尊敬していた大江健三郎が岩田宏の詩をべたぼめして、「詩なんか少しもわからないくせにナマイキを言うな」とゆって田村隆一にぶんなぐられるところが大江健三郎の小文に出てくるが、だからとゆって大江健三郎は弁護士に相談して田村隆一に内容証明を送りつけたりはしなかった(^^)
それはお互いに「仲間」であることを知っていたからで、知っていたからこそ、馴れあうこともなく、くだらない誹謗中傷とも無縁だった。

とんでもない、と思うひとがあるだろうが、この「仲間意識」が次第に失われていったのは、冒頭で述べかかった「言語感覚」が失われたからであるように見える。
日本でなら二葉亭四迷や夏目漱石の仕事を考えればすぐにわかるが文学には「言語自体を生成して整理・保持する」という役割がある。
どんな言語でも、いまでも、どの言語においても主に物語作家たちが中心になって新しい造語や言い回しを次次につくりだしているし、あるいは、古くさくなまぐさく感じられる言葉は違う表現に置き換えられてゆく。
日本の社会が糸がとつぜんほどけてばらばらになった衣服のように、ぱらぱらと解体されてゆくのは80年代後半からであったように見えるが、だいたいこのあたりから、小説家の言語感覚は酷いものになって、代わりに商業コピーライターたちがキャッチーな表現をうみだして、それが社会にひろまってゆく。

いわば物語作者たちの怠慢をコピーライターたちが補ってゆくわけで、読んでいけば読んでいくほど、そういうことごとと日本社会の崩壊とは関係があるように見えてくる。

言葉が腐れば国が滅びる、というのは悪い冗談にしても突拍子もない感じがするが、しかし丁度バビロンに集まったひとびとのようにお互いに日本語が通じなくなってしまっている日本の社会の現状の淵源は、文学を含めた「言葉の世界」を軽んじた結果に見えます。
そうしてそれは、言うのがむずかしいが、日本人がかつてはもっていた「同じ地面に立って議論する場」が、あちこちから失われた結果であるように思える。

妄想なのかもしれないが、だいたいそんなふうに考えて、近代を測る言語と社会の変容の関連をしらべているところです。

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One Response to バビロンへのメモ

  1. jun says:

    きわめて硬直した社会では、言っても良い言葉が決まっている。別に何をしゃべってもいいのだが、きわめて効率の悪い状態になってしまう。そんな社会では、みんなが口元をわずかにゆがませて笑ったふりをしている。そんな顔でしゃべる言葉なんて口先で作っているだけで、体に響く「ことば」がでるわけがない。「ことば」は体全体を響かせなきゃ出てこないものだし、そんな「ことば」じゃなきゃ相手の体に共鳴を起こせないだろう。文学も同じじゃないだろうか。がめさんの「ことば」には強烈な光を感じる。くっきりとした影を伴った本物の光だ。できれば作家として日本でデビューでもして欲しい。

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