東京の記憶_1

高田馬場の駅で、ある日駅員が始発のシャッターをがらがらがらと上げてみると、そこには肩を組んで一列にならんだ浮浪者のおっちゃんたちがいて音楽にあわせてラインダンスを踊って見せたという話がわしは好きである。
あるいは駅前のBIGBOX http://www.bigbox-baba.jp/ の斜向かいのビルの居酒屋では午後2時半から4時半は焼酎が飲み放題で、その時間にビルのリフト(エレベータ)に乗り込もうとすると、浮浪者のおっちゃんたちの口だけが4つほども胴体よりも先にあらわれて、いっせいに「おえええええー」と嘔き狂って階上のオフィスめざして乗り込むべく待っていたひとびとのスーツが台無しになったりしたという。

2Xあるいは、夜中に義理叔父が、小滝橋の方角から戸山へ抜ける、小さなJRのガード下を通って行こうとすると、物陰の暗がりに浮浪者のおっちゃんが蹲っていて、ズボンの裾をつかんで、「ちょっと寄っていけ」という。
義理叔父というひとは人見知りをする癖に浮浪者おっちゃんのようなひとは好きで、
はいはい、と述べて、一緒にしゃがむと、おっちゃんは線香花火をつけてみせて、
「おれの人生もこんなもんだったなあー」としみじみと述べたので、笑ってはいけないが、その子供じみたいいかたが可笑しくて、にっこりしたら、おじちゃんも自分の口調を悟って、「なあんちゃって」と言ってごまかしたりした。

だから、なんなの?とここまで読んで思う人がいるのは、そういうひとは不思議に「おまえの書くものには意義がない」とわざわざ書いて寄越すので知っているが、田舎では意義がないのは困ったものでも、都会では意義がないからこそ意味があるのです。

わしは都会が好きである。
ふだんは自然がいっぱいあるところに住んでいて、燃料をつむのを忘れてヒコーキで飛んでいってしまったり、船で沖合に出て、あの背びれがあるクジラはなんであるか、マッコウクジラにはみえないので、アカボウクジラかしら、げっ、こっちにくる、でけえええー、とかゆって遊んでいるが、もともとは都会で生まれて育ったので、ときどき都会のひとが自然を満喫して命を全自動洗濯しにでかけるように、わしは都会へとおもむきます。

東京は、思い出してみると、すごく変わった都会だった。
変わった、ということの意味は、マンハッタンは下町はオモロイがだんだん上に行くに順って退屈な町になって、リンカーンセンターがあるのでやむをえず北へ向かうというか、モニの独身時代くらい社交上の地位があって、オカネがふんだんに使えればいまでも面白い場所はたくさんあるわけだが、わしなどはビンボな上にケチなので、北上すると遊ぶものがなくなる。
だいたいミッドタウンくらいで停止してしまう。

そうなると、同じ店ばかりがあってオールドネイヴィ
http://www.oldnavy.com/
だのなんだので、どこにでもある店が並んでいて
Serendipity 3
http://www.serendipity3.com/
のようなところは行くが、あとはもうあんまり、いいや、になってしまう。
なんだかどこもかしこもだんだん同じになってくるので腹が立つ。

東京の神保町は面白い町で、80年代に靖国通りの裏に並んでいた長屋を使った店、
能楽屋や筆屋、いまは飯田町に越した「餃子おけい」というような店があった頃はもっと面白い町だったというが、「表通りばかりになって哀れである」とおじさんたちにゆわれるいまでも、わしなどには面白くて、日本語の本を買うときには心掛けて、新刊ならばアマゾンではなくて東京堂に行って、古本でも良い本ほど「ブックオフ」のほうが安いのを知っていても、神田古書店で買うことを心掛けた。
わしは建長寺裏の半僧坊の烏天狗から、4割引の560円で気配を消す術を教わって、物理的にデカイわりに目立たないで行動できるほうだが、色には出にけり、どうしても他人よりは目立つので、あんまりいかないで食べ物とかは他人に頼んで買ってきてもらうほうだが、神保町の「エチオピア」のカレーはうまかったので、どうしても店で食べたくて、でかけて食べたことがある。
あるいは、最後に行ったときは、突然従業員の行儀がチョー悪くなっていて驚いたが、子供の時にストップオーバーでやってきたときに、良い思い出があるせいもあって、あるいは義理叔父がむかしは贔屓だったせいもあって、「山の上ホテル」の天ぷら屋でくつろいだりした。

しつこくも、わしが馴染みの画廊や古書店は付き合いがこれからも続くので具体的な名前はここに及んでも書かないが、絵画や版画、あるいは欧州語の古書でさえ、この町で買ったものはたくさんある。

ロンドンもサンフランシスコも古書街あるいは良い古書のあるエリアが壊れてしまって、たとえば、わしが子供の頃あれほど好きでサンフランシスコに行けばその店に行くのが愉しみだったユニオン広場からそんなに遠くない、いつも日だまりに猫がねそべっていて、その寝床がバイロンの詩集の上であったりオーデンの評論集の上であったりした、詩と絵本ばかり置いてある、あの美しい古書店もとっくのむかしになくなってしまった。
マンハッタンの「ひとり古書街」みたいなSTRAND
http://www.strandbooks.com/
はまだあって、ユニオンスクエアのそばの本店は相変わらずわしの散歩コースにはいっていて、マンハッタンに戻る度に、ああ、まだある、えがった、と思うが、
近所の一風堂の行列は長くなる一方なのに、ストランドは以前ほどひとがいないような気がする。
まして新刊本屋はバーンズ&ノーブルが次次に店を閉めて、町を歩き回っては本屋によってのんびり棚を歩き回る愉しみはほぼ完全になくなってしまった。

ところが神保町は健在で、郊外にあった古書店が神保町めざしてやってきたせいで店の数は返って増えて、食べ物屋も原宿や渋谷、秋葉原ほどは下品でなくて、うどんの丸香くらいなら、上品にとどまっていて、わしガキの頃、とんかつというものを初めて食べて、そのときおっちゃんからもらったいかにもむかしふうのマッチをいまでも大事に持っている「とんかつニューポート」は閉店してしまったというが、あるいは共栄堂のカレーはじーちゃんが引退してから薄くなって、すっかり不味くなってしまったんだぜ、ガメ、というメールが来たりするが、神保町は神保町で、フクシマの事故が実は国を挙げての冗談で、ほんとうは放射性物質をぶちまけたりなんかしてないのでした、ははは、ということになるか、こっちの放射脳が狂泉の水を飲んで治るかなんかして、もういちど行けるようにならないかなあ、と考える。
安心してでかけられて、そこにあるのがいまもあの神保町なら、食べ物が全部汚染されてまくっていて、白山通りと靖国通りの角の六文そばしか食べられないのでも別にいいです。

住んでいるのが、いま考えてもガイジン好みに町ができていて、パチモンじみて、くだらなかった広尾なので、あんまり出かけたとは言えないが、銀座も好きな町だった。
わしには酔っ払うとタクシーを拾う程度でも家に帰るのがめんどくさくなる悪い癖があって、モニと一緒に朝ご飯をつくるのもめんどくさいので、銀座に遊びに行くと、よくそのまま日比谷のT国ホテルに泊まった。
T国ホテルは日本式サービスで有名で、普通のホテルの二倍は優にいる従業員のひとびとが入れ替わり立ち替わり、あれはダイジョブかこれは要らないかと訊ねてくる。
T国ホテルには外国人だけに適用される会員制度があって施設がタダになるので、害人はジムもプールも無料で、特に夏は愛用したりした。

だあれもいないプールでどばどば泳いで、お腹が空いてのどが渇くと、目の前にはモニとわしが熱狂的に好きだった有楽町ガード下の焼き鳥屋があるので天国そのままであった。

モニとふたりで秋の夜更けの議事堂前の道を、ダンスのステップを踏みながら歩いて、ところどころ立ち止まって、モニがわしの手の下でくるりとスピンしたりして遊んだ。
落ち葉が舞い上がって、東京の夜の、乾いた匂いがして、いつまでも朝にならないことを願った。
モニとわしは、東京ではどのような意味でも「お客」であり社会の外の「ガイジン」だったが、わしらにとっては、それは返って心地がよかったような気がする。
モニとわしのほうでも、少し距離をおいて、東京のよいところだけを眺めているのが好きだったよーでもある。

切りがないので、この辺でやめておくが、
どんなふうに言えばいいのかわからない。
きっと、こんな気持ちは、どんなふうにも言えやしないのだろう。
東京、なつかしいなあ。
また、行ける日がくるだろうか。

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