ボーティングの夜に

海がベタ凪だとボートは空飛ぶ絨毯のように巡航速度の39ノット(70キロ)くらいで進む。
ホワイトキャップ(波頭)があると船底に水があたって聞こえるガツンガツンという音のかわりに「しゃあー、しゃあー」という,か細い高い音が聞こえる。

小さいほうの新しく買った船でモニとふたりででかけることが多くなった。
「小さい人」ができてから、モニもわしも(軽い)ウツビョーなのではなかろーか、とふたりで言っていたのが、自棄を起こして大きい方も小さい方も新しいのに買い換えたら、ほぼ治療されてしまった。

夜明けの少し前のまだ暗いうちに家を出て、ワイヒキ島
http://www.waiheke.co.nz/
まで疾走して、夜明けを見る。夜のマリナを大きい方の船に乗った、家のひとびとと一緒に出て、満天の星空の下を眺めながら、ウイスキーを飲む。

むかしは、あんなに甲板の上で跳びはねる魚を見るのが嫌いだったのに、年をとるというのは怖ろしいことで、30歳が近付いたらヘーキになってしまった。
鰺、シマアジ、鯛、ヒラマサというような魚がどんどん釣れて、大きな船からディンギーで受け取りに来たひとびとによって料理されてゆきます。

モニとふたりきりで夜の空を眺めながら、やさしい波にゆられていると、ふと自分たちがこの世に存在していないような気がする。
モニもきっと同じ気持ちなので、わしの手をぎゅっと握る。
唇をあわせて、じっとしていると、なんだかたまらなくなって舳先の寝室にいってカーテンを閉めることになる。
波がない夜に入江に泊まっているモニとわしのボートのLED灯が揺れているのはそーゆー理由に拠っている(^^;)

人間が恋をするのは、すごくヘンなことだと思う。
モニとわしはすごくお互いとエッチがしたかっただけだった。
モニは、その頃からカトリックの尼僧でもここまでひどい人はおらんわ、というくらい潔癖がひどい人だったが、わしのほうは、チンパンジー並というか、知らない人とでも、見た目さえよければ、ほとんど挨拶がわりにエッチしているのではないかという蟻の這いいる隙もない、ではない、有りもしない噂がたつくらいで、世間の常識から外れているという点ではモニもわしも、どっちもとんでもないひとたちだったと思います。

でも、ひとりになって、チェルシーのクソアパートで冷蔵庫のなかを眺めながら、こんなんではハムサンドイッチも作れないではないかと考える午前2時とかに、突然、モニさんのアッパーイーストサイドにあるチョー高級アパートメントにタクシーをとばしていって押し倒してしまったらどうかと思うことがたびたびあった。
わしが結婚する前は、それはそれは酷いもので、実はわしの実体はペニスであって、ペニスがわしの魂をつかんでふりまわしているのではないか、と考えることがあったほどだった。
ほんとうにタクシーをとばしていってしまえばどうなったのかわからないが、なんだか、そんなことはよくないことのように思えたので、たとえば、すげー酔っ払ってるときでも、試してはみなかっただけのことでした。

ところが「やりたい一心」であったのに、それとモニが大好きな気持ちは全然別で、あとから考えると、ことの初めからモニと結婚すると決めていたよーな気がするのがヘンだと思う。

人間の恋は、人間が感知できる範囲とは別のところで決まって、理性の介入など金輪際、許さないもののよーだった。

うまい比喩ではないかもしれないが、わしは自分の一生において冬の雪山に不用意な軽装備で出かけてしまって遭難しかかっている無謀な素人登山家のような気がしていたのかもしれません。
そうして、モニのことを考えるときだけ体温が戻ってくるよーな気がしていたのに違いない。

もっと違う言い方をすれば、宇宙のなかで、ただひとりモニだけがこの世界から剥離した魂で、こんなことを言うのはきっと酷く残酷なことなのに違いないが、めぐりあった他の女びとたちは「世界」の一部だと思っていたのかもしれません。

(ちょっと、ひどいな)

わしは子供のときから陰に陽に「なに不自由なく育ったから心が冷たいのだ」と何度も言われて育った。
結婚してから、とつおいつ話してみると、国も言語も違うのにモニもまったく同じで、世の中って「きゃあ」だね、と話したりした。

初めてふたりで明け方まで過ごしたとき、その頃は考え方がふだんはパキパキで尼僧のようなのに長い(モニの国のひとには珍しい、明るい強い色の)金髪をふりほどくと、緑色のふだんは暖かい印象の眼に炎が忍び込んだようになって、まるで妖婦のようにみえる寝着姿のモニと床にぺったり腰をつけて、わしが手を火傷したりなんかしながらつくったローストビーフやチーズや果物が並んだ皿に手を伸ばしながら、どんなに下品にお互いとセックスしたかったか夢中になって話しながら、自分たちは正反対の人間だと思っていたのに同じひとのようだ、と発見したときに、もうモニのそばを離れられなくなってしまっていたのだと思う事がある。

モニとわしは結婚という制度に名を借りて、お互いを拘束してがんじがらめにして、
息もできないほど束縛して、お互いの自由という自由を奪いつくして、こんなに素晴らしいことは人間には一生にはないよーだ、と考えた。

ふたりでかまいあってゆくので手一杯なので子供をつくるのはやめるべなと言いながら「小さい人」が出来てしまったのも、ときどきベッドの上で(あるいはベッド以外の場所で)理性をなくすからであったと思われる(^^)

恋、などは「理性のひと」には納得がいかないに決まっている、
それは正に狂気で、あるいは人間の愚かさの(間違った方向に)最も止揚された姿であって、それがモニとわし自身でないならば、モニもわしも欧州人らしく口元は綻ばせても心のなかでは冷笑に近い笑いをもらしただろう。

でも、もう、これでいいみたい、
というモニの横顔をみて、「美神でもこんなに綺麗ではないだろう」と反射的に考える自分をいかにも愚かであると思う。

そう。
でも、もう、これでいいんです。
これが安手の狂気にすぎなくても、わしは、全身全霊でこの宇宙の書き割りをつくって、モニには「自分とガメ以外のすべての世界が狂っているのだ」とみせようとするでしょう。

そして、わしはそれに成功することを知っている。
恋に狂っている男の言葉で。

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