長い夜

ひさしぶりに届いたTさんのメールには各務原でベトコンラーメンを食べたことや高速道のサービスエリアで食べた米沢牛のカレーが不味かったこと、むかし一緒にでかけた青山のバーがもうなくなってしまったことに混じって、阿房列車の3冊を読み直してみたこと、高校生のときは一向おもしろくなかったのに、40歳に近付いたいま読んでみるとだいぶん面白い、考えてみるとこれはガメにあらためてすすめられて買った本で、外国人のくせに若いときから、こんなものの面白さがわかるのはヘンだと思う、第一、なんだか腹が立つ、というようなことが書き連ねてあって、内田百閒はやっぱり岡山に帰りにくかったんだろうなあ、とふと思ったのでメールを書くことにした、と書いてある。

Kくんを憶えていますか?
Kくんは、おかあさんが病気で前から寝たきりになっていたおばあさんと一緒に倒れてしまったので、介護に専念することになって、いまは生活保護に頼っている、という。

それから唐突に、「もう何を言ってもムダなような気がする。窓のない部屋に暮らしているようなもので、太陽があがっても、いちどは希望の光で照らした太陽がまた沈んでしまうまで、ぼくは気が付かないような気がします」
と書いてあった。

「放射脳」のTさんが「米沢牛のカレー」を食べたと書いてあるところで、もうちょっとドキッとした。Tさんは観察眼があるひとなので、公団が運営している高速道路やJRの駅のなか、そういう公共性がある場所には明らかに政府の意図が働いていて、サービスエリアに行けば福島応援セールで福島の物産を売っているし、やはり高速道のサービスエリアで、いつも食べるカツ丼を頼んで、カウンタの向かいに座って、ふと見上げると、食材が変わっていて、「東北応援のために東北食材を使っています」と張り紙がある。
一方ではJRの駅のなかにある店で「○○県産を使っています」という牛のマンガ付きの表示が「○○県産」をなげやりなやりかたで消して、上からマジックで「国産」と書いてあるのだという。

住んでいるマンハッタンから東京に様子を見に行った義理叔父の友達Sさんは、下調べをして、むかしから徹底的に安全な食材だけを使っていると聞いた「E」という有名なイタリア料理屋に行った。放射能というような事はひとことも言わないが、注文したものの産地をひとつづつ説明して、イタリアから輸入したものは当然として、Sさんの知識に照らして放射性物質がとどかない九州のものや四国のものばかりだったので帰り際に支払いをしながら「ほんとうは、この店は放射性物質汚染に気を使っているのですね。ぼくは国外に住んでいるんだけど、嬉しいと思う」と思い切って言ってみたら、黒眼の勝った目をした店員の女のひとが、店の真ん前の道路でさえ汚染されて線量計ではかる数値が高かったこと、みなでこれはたいへんなことになったと言ってしばらく店をおやすみにして仕入れ先の再検討をしたこと、その結果年来付き合いがあった卸屋さんと喧嘩別れになってしまったこと、というようなことを話してくれた。
Sさんが外に出ると、さっき傍らに立って話をじっと聞いていた別の店員の女びとがドアの外に出てきて立って、「あの、ありがとうございます」という。
Sさんが、客として訪問したことを言われたのだと受け取って、「いや、こちらこそ、おいしかったですよ」と会釈すると、思い詰めた顔で「そうではないんです」という。
「あの、わたし、(福島の)S村の出身なんです。お客さんが仰る通り、みな政府に強制退去と言ってほしかったんです。それなのに、口だけの応援なんて、わたし、許せないんです」とやっとそこまで言うと涙が目にあふれてきて、声が出ないのだそーでした。
「だから、うれしかったんです」

Sさんは義理叔父の友達だけのことはあるというか、気の利かない、咄嗟には何も言えないデクノボーオヤジで、ただうなづいて、踵を返して、内堀通りに出たところで、突然、嗚咽に似たものがこみあげてきて、涙が次から次からびっくりするほど流れてきて、「いやあ、土砂降りの日でよかったぜ、実際」と述べていた。

ところでガメ、面白いんだぜ、という。
晴れた日には通勤のガイジンがみんなマスクをかけていて、その横を日本人のサラリーマンたちがグループでジョギングしている。
きみが大嫌いだった、肘まである長い手袋をしてマスクをしている女のひとびとは、マスクをしなくなって、顔を公開するのが流行になっているよーだ。
あの外国人たちがかけているマスクはN99だと思うがね。
ところが、銀座の薬局に行ってみるとN99はもう売ってないのさ。
店員に訊いてみたら、「目が細かいマスクが必要な冬場は売れますけど、それまでは必要ないんで、置いてないんですよね」だって。
放射能のことなんて、もう誰も気にしていない。
過ぎたことになってしまったようだ。
ほんとうに、過ぎてしまっていればいいのだけれど。

それから、次の日にぼくは鹿児島県が経営してるレストランに行ったんだ。
鹿児島豚で、米も鹿児島だっていうからね。
カツ丼を食べて、ガメに会ったら羨ましがらせてやろうと思って。

ところが、鹿児島のものは豚と米だけなんだよ。
仕方がないから生姜焼きを頼んで米と豚だけを食べた。
米と豚だけ!
皿にはキャベツも漬け物も、お椀には味噌汁がまるまる残ってて、われながら、なんという下品な食べ方をする客だろうと思ったよ。

むかしガメが「東京は東北のしっぽみたいな町だ」と言ってたけど、あれはほんとうにほんとうで、デパ地下に行っても、放射性物質を避けようと思うと食べられるものが何もないんだよ。
しようがないから、スペイン産のハモンと、パンのなかでそれだけはスペインからの輸入だという固い田舎パンを買って、きみが好きなテンプラニーニョでホテルの部屋でさびしい夕食を食べた。

きみの叔父さんとスカイプで話して「食うもんがねえ」とこぼしたら、おっさんは科学をかじったので、「蕎麦を食え、蕎麦。さすがに東北の蕎麦を食う気はしないかしれんが、冷たい蕎麦は茹で方からしても、たとえ放射性物質まみれの蕎麦でもセシウムがお湯に出るからマシだろう」という。
でも、そばつゆのだしが危ないだろう、と気が付いて訊くと、
「高いの食わないで安いの食え。安いそばつゆなんぞ赤道近辺の雑魚しか使わねーから、すげー安全だぞ。そば湯のむなよ。セシウム湯かしれん、と疑って、無粋を決め込むのが正しいであろう」って、えらそーに言うんだよ。
だから、それから三日間、岡山の蕎麦とかそんなのばっかし食べていた。

Sさんは航空会社に電話をかけて、機内食を、いらないから、と断わって、鳥取から取り寄せた押し鮨をもって飛行機に乗ったそーでした。
機内では、日本人パーサーが話しかけてきて、「ほんとうに何も召し上がらなくてよいのですか?」と訊くので、ああまた、日本人の余計なお世話乗務員か、やだなーと思いながら、それでもSさんの育ちの良さで、「ええ、ご迷惑でしょうけど」という。
「ところが、このパーサーはまともな奴でね」
とSさんは嬉しそうだった。
「いえ、わたしどもでも、機内食がどこで調達されるかは判らないのです」と控えめな言いかたではあっても、Sさんの心配は当然だと明然と判るように述べたあとで、暫くすると戻ってきて、日本産でないものを機内からかき集めてきたバスケットを渡して、果物やチョコレート、ポテトチップやチーズが不自然な組み合わせで山盛りになった中身をみて呆然としているSさんの目をみつめて、「わたしも日本人としてがんばりたいとおもってます」とチョーマヌケな決意を述べて立ち去ったので、Sさんは、そこでまた泣かなければならなかったのだそうでした。

Sさんは、50歳をすぎて、最近ちょっとボケ気味なので、「だからさ、ガメ、忘れちゃったひともいるけど、頑張ろうとおもってるひともいるんだよね」と、あたりめーだろーなことを呟いて、なにをおもったか、
「おれも頑張るんだ」
と意味不明な決意を述べてスカイプが切れた。

切れる前に、なんだか、しゃくりあげるようなビミョーな音が聞こえたような気がするし、いいとしこいて、訳の判らない決心を、おまけに外国人のわしにゆってどーすんだ、と考えたが、なぜかわしの視界もくもって、2年前と同じに、マオリ人たちの言葉で
がんばれ、日本
と、誰にも聞こえないように呟いてみたのでした。

Kia Kaha Nippon

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