Monthly Archives: November 2012

ジオラマを作りながら考えたこと

日本のひとは日本だけで閉じた世界が好きなのだと思う。 大庭亀夫という日本語人格を発明してブログ記事を書き始める前に カレル・ヴァン・ウォルフレン http://en.wikipedia.org/wiki/Karel_van_Wolferen について調べたことがあったが、彼に投げつけられた言葉のすごさにぞっとした。 インターネットの世界だけでなくて、インターネットのこちら側の世界でもひどいものだった。 だいたい「外国人が日本について述べることには意味がない」 「日本のことは日本人にしかわからない」 「おおきなお世話だ」 という日本人の反応は、他の国ならばサッカーを観ればフーリガンになって走り回るタイプのおっちゃんたちの立場だが、日本では遙かに広汎な立場なので、孫正義のようなひとが福島第一事故でいくら頑張っていろいろ提案してみても、 「ご苦労様でした。あとはわれわれ日本人にまかせてくれれば大丈夫ですから、あなたのような外国人はここまでで、おひきとりください」などという人が現れて、孫正義が「外国人が日本のことを考えてはいけないのですか?」と呻くことになる。 この孫正義に日本人らしい親切な忠告を行った人達のいうとおり、福島第一事故は字義どおり大丈夫になって、メルトダウンして地下にもぐった核燃料はないことになり、ぶちまかれた放射性物質は安全であったことになって、秋になれば放射性物質をたっぷりすいこんだきのこで彩られた「五色弁当」がレストランをにぎわせて、銀座の鮨屋にもひとが戻って、食べても即死するわけではないアナゴ寿司で舌鼓をうつひとびとの喜色に満ちた声が響いている。 このあいだテレビをみていたら、通勤外国人たちが、震災前にはあれほど「異様である。日本人はなんであんなもので顔を覆って外を歩き回っているのか」と訝しがっていたマスクを自分達のほうが着用して歩いていて、日本人のほうはマスクをしなくなっていたので、観ていて「ガイジンの放射脳ぶり」に笑ってしまった。 この期に及んでもまだ日本的解決や日本文化の本質に馴染めないもののよーである。 ドイツについて日本人が日本語で日本人に向かって話しかけることと、日本についてドイツ人が日本語で日本人に向かって話しかけることには本質的な違いがあるが、日本のひとは前者は明治以来大好きでも、後者は嫌いである。 日本のひとが英語で英語国民に批判的に話しかけた例は歴史上はいくらもあって、鈴木大拙や新渡戸稲造の巨大な成功をみれば、その習慣を偏狭な日本人たちがよってたかってダメにしてしまったのを残念であるとぼくは思っている。 日本人は、やはり世界で最も異見をもつひとびとであるからで、たとえば数学の世界ではそれはつとに有名で、日本のひとの数学的想像力はいっぷう変わっている、というか、もっとおもいきっていってしまえば宗教的な感じがする。 人間は「違う角度からものごとをみる」ということが極端にへたなので、たまたまフランス語に熟達した日本人がフランス社会を激しく批判したと仮定して、商人たちのようなタイプはともかく、歓迎されないわけはない。 日本人たちに向かって西洋社会の欠点をごたくさゆっているくらいなら、さっさと英語なら英語で向こうにいって文句を言ってくればいいだけのことで、いつだったか捕鯨についていいたいことがあるなら、英語圏の新聞なりなんなりに投稿すれば日本人が意見を述べるのはたいへん珍しいことなので取り上げられる確率が高いし、それもめんどくさければシドニーの街で拡声器をもって「捕鯨のなにがわるい。おまえらだってむかしはやっていたではないか」といつも日本語で日本人世界に向かって述べることをシドニーで述べてくればよい、と書いたら、「どうして、おまえはそういう出来るわけがないことをやれというような卑怯な人間なのか」という「お手紙」がわんさと来てぶっくらこいてしまったことがあった。 女優のヘイデン・パネッティーア http://en.wikipedia.org/wiki/Hayden_Panettiere が5人の友達と太地町にやってきてイルカ漁を妨害しにきたのは18歳のときだったと思うが、慈悲深い日本警察の許可もとらずに妨害はいかんではないか、イルカを涙をこらえて撲殺するやさしい心根の漁師のひとたちの気持ちを考えないのか、という話を別にして、日本以外の国では、文句があれば、そこまででかけていって、そこの人間たちに判るように文句を言うのが普通の行動であると思う。 もう3回くらい書いたが、日本人おっちゃんと一緒にマンハッタンの5番街を歩いていたらアメリカが交戦中だったイラク人たちがやってきて「ブッシュに死を!アメリカに死を!」と大音量の拡声器で叫んでいたが、血の気の多いアメリカ人たちも、一瞥を与えて、ちょっと顔をしかめて終わるだけだった。 日本人おっちゃんのほうは、自分でみたものがどうしても信じられなくて「映画の撮影ですか?」と聞かれたりした。 なぜ、イギリスのことならイギリスのことで、日本人の群れのほうを向いた解説者のようなひとが現れて「イギリスの大学システムは特殊なんですねー」とか「イギリス人はこーゆーところが紳士の国である」と述べてみたり、「イギリスが紳士の国なんてとんでもない、わたしはイギリスで暮らしているがイギリス人なんてランボーなだけのアホですよ」という「解説者たち」があらわれて、あまつさえ、それで食えてしまったりするかというと、要するに日本のひとたちは実は世界に興味などもっていないからで、中村伸郎の有名な俳句ではないが、「除夜の鐘、おれのことならほっといて」と思っているのだと思う。 ついでなので述べておくと、「イギリスもの」の論述者のなかでも日本語で「わたしはロンドンで差別されてて気持ちが暗い」というようなのは、話があっている、というか日本語で日本人世界にむかって述べることに必然性があって、ほんとうはどの国対象にもある(もちろんニュージーランドに住む外国人たちのものもあります)expatサイトのようなところで仲間をつくりながらやったほうが良いとはおもうが、それはおかしいとは思わない。 ヘンなのは洋風弁当みたいなものをつくってるひとがヘンだと述べているので、 宝塚の「ベルばら」や日本風のカレーが流行るのは日本のよいところだと思うが、 日本風のカレーとベンガルのカレーを混同して「カレーの本質」というようなことを述べ始めるひとが出てくると、歴史的にいって日本語世界自体に福神漬けがついていないカレーを食べるインド人は邪道で許せないというひとがいっぱい出てきてしまうのでやはりいまのような世界に対する正しい認識がないとにっちもさっちもいかなくなってしまう、(簡単な例で言えば作ったトヨタやソニーが売れなくなってしまう)時代にあっては有害でしかない。 ええええー、と思うかも知れないが、しかし、日本にはしたり顔で福神漬けのにおいのする欧州事情を述べたりする「欧州通」は何千人もいるのです。 自分がタミヤのジオラマなどはむかしから大好きなので日本のひとの、むかしは「箱庭的」などと呼んだ、タミヤ・ジオラマ的世界観は、嫌いではない。 子供のときにエウクレイデスの幾何学が大好きでたのまれもしないのに最初から最後まで証明しながら読んでしまったりしたのも、まったく同じ性癖によっていて、自分で自分を考えても「ひきこもりで、閉じた、安定世界」が好きなのだと思う。 日本についていえば、日本社会の自閉的な傾向について「鎖国経験をもった結果」というひとがいるが、考えてみれば、島国である連合王国でエリザベス女王が「スペインが攻めてくっかもしんないから鎖国する」と述べたとして、イギリス人が言うことを聞くかというとエリザベスが国外追放されて終わりだっただろう。 オカミの命令一下、あっというまに鎖国をして、海外の日本人町などにいた日本人の帰国を厳禁して、すでに海外にでていた同胞の帰国の道まで断ち、あまつさえ、じゃがたらお春の、子供でも嘘っぱちに決まってると考えそうな「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」というような爆笑文をマジメに信じてお春の「不幸」に涙を流すことが流行した国には、「鎖国」を魂の根本のところで支持する文明の深い根があったに違いない。 しかし、世界を拒絶したまま日本が生きてゆけるかというと、良い悪い、好き嫌いは別にして、世界をやりすごすことそのものが無理である。 江戸時代の終わりの黒船でわかるとおり、自分のほうでひきこもっていても民生委員のクソばばあは、やってきてしまう。 日本はアメリカの町内になるので、アメリカ訛りの民生委員がやってくるに違いない。あるいは雨戸を閉じて、欧州通の欧州の話に「欧州もいいが、実情はこうだな、やっぱり日本の方が良い国だ」などと思いつつ読み耽っているあいだに区割りが変わって、町内がいつのまにか中国になっていて、中国訛りの民生委員のおじちゃんが来るのかもしれない。 いずれにしても、こういうことに良し悪しや正しい正しくないをもちこむのはムダで、世界というのは自分の世界におしかけてくるものなのだから対処するしかない、と思い定めないとうまくいくわけはない。 そう考えていままでも日本人の友達その他と話してきたが、どうも、各人が英語なら英語、フランス語ならフランス語で、向こうのほうにでかけていって、「相手の言語で思考して議論する」場をつくるしかないよーな気がする。 中国人たちは、すでにそうしている。 … Continue reading

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航跡のない海図

1 菅原通濟は鉄道建設に伴う闇の世界の実力者菅原恒覧の息子で昭和電工事件 http://jikenshi.web.fc2.com/newpage135.htm の中心人物日野原節三の義兄、顔は小津安二郎映画が好きなひとにとってはお馴染みの顔で、「秋日和」「秋刀魚の味」のほか数本に端役ででてくる。 本人は、この「映画にちょい役で出る」趣味が好きだったようで、名刺にふざけて 「映画俳優」と刷り込んだりしていた。 鎌倉人にとっては鎌倉山の開発者としての顔がいちばん有名で、大船から日本で初めての有料道路を強引につくって無理矢理鎌倉山までもってきてしまったのもこのひとです。 作家や有名人との対談が好きで、50年代から70年代にかけての古本の対談集には、このひとの名前が出てくるものがいくつかある。 話がまったくかみあっていない吉行淳之介との対談などはたいへん面白くて、誰とでも話しがあわせられた吉行淳之介が珍しく憮然として、そのうちには怒りだしたらしい様子が書き起こした文面から伝わってきて、へえ、と驚いたりした。 「売春・麻薬・梅毒」追放でよくテレビに出た。 買春は日常で麻薬の世界にも若いときから馴染みだったことを考えると、案外、本人にとっては「俳優業」と同じくいっぷう変わった諧謔のつもりだったのかもしれません。 尖閣諸島の所有者栗原國起はこの菅原通濟の運転手だったひとで、テニスボーイやヨット好きのポーズをとった、はね返りとして政治経歴のほとんどを過ごした石原慎太郎にとってはいつも怖い視線を投げてくる世界の住人だった。 野田佳彦首相は内側の事情のみをじっと眺めていて、それなら国有化する以外に方法はない、と考えたもののようである。 風が吹けば桶屋がもうかる、というが、尖閣が国に売れれば江沢民が棺桶から蘇る。 野田首相が尖閣諸島を国有化することを決定して最も利益を得たのは政治的にはほぼ「死に体」であった江沢民と上海派、それに対外強硬派の「武闘派」というべき一群のひとびとで、大打撃を蒙ったのは胡錦濤たち「経済派」、中国にとって最も大切なのは経済の発展であって、そのためには日本等近隣諸国との問題はすべて棚上げにしてゆくのがよい、平和でなければ中国は破滅する、という一団のひとびとだった。 ブログでもツイッタでも、自分でもうんざりするくらい何度も書いたので、またか、といわれそうだが、日本が自分で自分の絞首刑台を建設しているというか、自分が銃殺されて倒れ落ちる穴を掘っているというかな、いまの不思議な状態は傍からみていて(皮肉ではなく)不思議でしかたがないので、やはり書き留めておかないわけにはいかない。 日本は中曽根康弘が胡耀邦に対して、ほぼ正確に同じことをやって、天安門事件を引き起こし、いまの中国人の日本への広汎な敵意を育てたので、中枢に中国がずっとスパイを飼っているのでもあればともかく、まさかそんなことはあるわけがないだろーから、どうなっているのかさっぱり判らない、と思う。 でも見ていて脱力する、といえばいいのか、日本はあれよあれよというまに自分の国の経済力と国民とを支払いの資とする、これからの悲劇的な運命を決定してしまった。 名前を挙げたほうがわかりやすいというただそれだけの理由で、いまは表徴としての意味しかもっていない老人の名前を挙げれば江沢民たちが経済音痴のまま膨大な経済テクノクラートを抱えた胡錦濤たちを凌駕してゆくためのゆいいつの可能なシナリオは「日本を犠牲にする方向においつめる」ことで、まさかそんなうまくゆくわけはないだろーに、とわし友達などが冷笑しているあいだに、日本のほうから屠殺場の複雑な追い込み口に自分で走り込んで、救い出せないところまで走って行ってしまった。 なんだか、ボーゼンとするような成り行きで、かろうじて、そういえば日本は原爆まで落とされる断末魔にスウェーデンの周旋の可能性も断ってよりによってソビエトロシアに和平の斡旋を依頼したのだったな、というようなよくわかならない歴史的な事実を思い出したりしただけだった。 ときどき、他者には絶対に理解不能な外交決断をするのが日本という国で、石原慎太郎はむかしから、そうと名の知れた跳ね返り右翼のごろつき政治家でも、どうも見えないところに、石原慎太郎のようなケーハクに深く共鳴して、もういちど鬼畜米英、白豚どもをぶち殺せとわめきちらしたいようなタイプの衝動を日本のひとは精神の奥深くに秘めていて、ときどき、それが出てきてしまうのかもしれません。 ともかく、ここまで来てしまえば欧州勢は未来の予想図を書き直すしかなくなってしまい、アメリカ側はヒラリー案を採用しておいてひとまずよかった、なんちゅうタカババ(タカダノババではありません)だと思っていたが、なんのなんの、玄人やんね、どうも旦那の治世も女房の知恵でやってたんだな、やっぱし、と考えて人心地がついたもののよーでした。 2 前に「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」の話をしたが、南太平洋には、「ジョン・ハワードの奇妙な捨て台詞」という小咄もあって、これはなんのことかというと、このひとが選挙に大敗して首相の座を去る直前、「オーストラリアには百万人の中国のスパイがいる」と述べて、百万人もスパイがいるわけねーだろ、と奥さんが中国との付き合いで大規模な利益をあげて、人民服を着て毛沢東語録をかざしているコラージュ写真がばらまかれたりした(丸顔に人民服がたいへん似合うと話題にもなった)ケビン・ラッドたちに嘲笑され、ハワードの発言を伝え聞いたオーストラリア人たちも、「とうとうハワードも頭がおかしくなった」という感想をもった。 オーストラリアの人口は2000万人なので、全人口の5%が中国のスパイだと述べたことになって、これは自国にいる推定外国スパイ人口の見積もりとしては世界最高で、申請すればギネスブックに載ると思う(^^;) ジョン・ハワードは笑いものになって政界を去ったが、ところが、スパイ百万人説は、またくの失言かというと、ほんとうらしいところがあって、なぜならば中国のスパイは「パートタイマー」が多く、専業ではなくて、たとえばたまたま解放軍が欲しい技術の研究をしている若い研究者に綺麗なねーちゃんを派遣してイッパツやらせておいてから、「図面やなんかを5万ドルでもってきてくんね?」とささやく、というふうにスパイになることを依頼する。 簡単に想像がつくことだが、むかしのKGBとは違って、美人女スパイのほうもパートタイムのねーちゃんで、ここのこいつを、この部屋につれてってイッパツやってきてくれれば5000ドルあげよう、とゆーふーに育成というか即成されるもののよーである。 ジョン・ハワードの発言をパーティで聞いた政治学者のアメリカ人おっちゃんPが「百万人?もっと、多いだろう?」と不思議そうに述べたのをおぼえている。 ニュージーランドでも中国政府のダミー会社の社長がつかまりそうになって逃亡したりするが、会社だったのがダミーになったりするのもあって、勝手が違うので、欧州でも困じはてている政府はたくさんあるよーです。 3 島嶼の強襲であるとかへたをすると塹壕がイメージされそうな防衛戦とかはすでに古い思想で、オスプレイをみればわかるとおり、強襲戦も防衛戦もロングレンジで機動的なものになったのは、要するに中国が空母をもったことが引き金で、ここからは世界の暴力バランスは新しい局面にはいってゆくように思われる。 軍事でいっても、いままでの感覚のひとでは役に立たないので、制服組以外は若いテクノクラートが大量に投入されている。 1937年に日本が始めて1945年に中国の勝利で終わった17年間に及ぶあの長い悲惨な日本と中国との戦争は、「局地限定」の紛争を企図する軍人のケーハクが、いかに重大な事態を招くかをあますところなく教えている。 魚がとれないので有名だという尖閣諸島に蝟集した中国漁船の写真を眺めながら、 どーなるんだ、と考える気持ちは、暗くなってゆく一方なのであることを書き留めておきたくて、記事にした。 2012年11月16日に、ぼくが描いた海図には、デッドロックがそこここにあって、こんな剣呑な海図はみたことがない、と考えたことを、ここにメモしておきたい、と考えました。

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議論の始めに(その1)

ものごとを考えるには、前のめりになってリキんではダメで、脳裏から去らせてもダメで、眼のはしっこのところでそれとなく視界にいれながら待ち受け状態にしておくのがいいのである、とわしのガッコの先生はえらそーに述べるのだった。 16歳のわしは、なあああにをエラソーに、このハゲめが、と考えたが、 意外やこのハゲの言葉はいまに至るまでわしの頭にこびりついているのであって、この発言もまだときどき思い出しては、そーだろーか?と考える。 焦眉、というが、四六時中眼の焦点がおもいきりなにかに合っている人は、ものを理解するという点で、てんでダメで、というのはダジャレのつもりだが、ともかく、ダメである。 見ようとすると見えないのはOS劇場と同じだからな、とトーダイおじさんのひとりが、家に帰ってからおよそ30分をリサーチに要した歴史的な比喩を用いて同意していたが、そんな所に通ってたのかあのひと、ということを別にしても、年をとると、いろいろ思い当たる事があるらしい。 小林秀雄の文章に志賀直哉をべったほめにほめた文章があって、そのなかに「ああいう何も見ていないような眼は、なんでもありのままに見てしまうからおそろしい」という趣旨の文章があったよーな気がする。 小林秀雄本人は通勤ラッシュの階段で立ち止まって夏の青空の積雲をハッタと睨み付けている鋭い目のジジイがいるので、こんなところで人波をブロックしやがって傍迷惑なやっちゃなあ、と思ってよく顔をみたら小林秀雄だった、という鎌倉人の証言もある。 「焦眉ハッタ」型のひとだったのでしょう。 焦眉ハッタ型であったのに、そーゆータイプの人物がだいたいにおいて陥る「なんでも観念、現実の細部がなんぼのもんじゃい。正しさバンザイ!」のひとにならなかったのは、ただひらすら頭がよかったか、友達の中原中也の恋人と駆け落ちをしたりする、小林秀雄の生涯を貫いてみられる地熱のような情熱が小林秀雄を「観念的な人」にすることを阻んだのであるに違いない。 ここまで書いて思いだしたが、小林秀雄というひとは、気に入りの掛け軸を、あるときいきなり日本刀でまっぷたつに切ってしまったひとでもあった。 毎日、眺めているうちに贋物であるのに気が付いて癇癪を起こした、というのです。 正しいこと、の難しさは、論理的に正しくてもダメで、その正しさを言語の側で納得して、うまく言い当てられて「当たり」の感覚が生じるのでないと正しさとして不合格であることにある。 なんのこっちゃ、と思うひとがいるかもしれないが、誰がどう考えても自明であるはずのことが、ほんとうは正しくなかった、などということは人間の歴史をふりかえってみれば年がら年中で、現につい最近までは太陽は地球のまわりを回っていた。 科学全般に関して「がんばろう」だったアリストテレスやヒッパルコスの天動説はなんだかよくわかんないまま、多分、こーゆーことだんび、でそれを修辞にのせて誰をも論破できるようにしただけのものなので、喧嘩と議論の区別がつかなくて論破が勝負のいまの日本語世界の多くの論者と同じでどーでもよいが、クラウディオス・プトレマイオスの本を読んでもまだ地球が全宇宙の中心であることを疑えるひとは、頭が悪いのだと思う。 あるいはジョルジュ・キュビエの精細で科学的精確さに満ちた議論を眺めたあとでもなお進化論のほうが正しいと考える人は科学的に不誠実なのだと思われる。 プトレマイオスとキュビエの鉄壁の、完全無欠の「正しさ」を見れば、人間にとっての「正しさ」は一個の巨大な罠であることのほうが遙かに多いことは容易にみてとれる。 なんらかのきっかけで、自分達が正しいことを確信した十万人乃至百万人の人間が「正しくない」人間を集団で攻撃する、というのは人間の世界ではよくあることだが、日本語の世界ではそれが「自明」「絶対真理」であると意識されるところまで容易にいってしまう。 ツイッタでも述べたが、西洋の学校の「いじめ」は日本の学校のいじめよりも酷くて陰惨だが、よく観察しているといじめるほうは何百人に膨れあがっても自分達が悪いことを知っている。間違ったことをしているという事実を拭いがたい真実としてわかっている。 ところが日本では、「おまえが悪い」と合唱しているあいだに気持ちが酔っ払ったようになるかなんかして、いじめている相手のほうが全面的に悪いので、自分たちは「絶対善」なのだと実感するようになるものであるらしい。 わしは、むかしからこのブログ記事を読んでいる人なら、ああ、あれのことか、と思い当たるかもしれない、いくつかの実験を友達たちと相談してやってみたが、それはまるで戦前の日本人たちが狂泉の水を飲んで、まったくわけのわからない狂気にとらわれてゆく姿がビーカーの底に映し出されるように瓜二つだった。 日本人は極めて知的な文化をもっているが、その知性がいわば人間性というものにおいて「無効」なところに根本的な問題があるのではないか、と考えさせられた。 観察していたひとたちは、口々に「日本人はもういっかい戦争をやるだろう」と述べあっていたが、いまそんな話をこんなところで述べても、みな一笑に付すだけなのが判っているので、ここでは述べない。 日本のひとの国民性を悪い方に受け取ると、正しさにそういう属性がある場合は、たとえば「反原発」のひとも「原発推進」のひとも、ほんとうはダイスを振って出た目で決めているのと本質的に同じなのである。 「たくさんのひとがどちらを先に正しいと感じたか」によって、行き先のほうが先に決められてしまい、あとは無数のひとびとが寄ってたかって「現実」のほうをつくりあげてゆく。事実でない現実をつくりあげるなどというのは「編集」ということを考えたことがあるひとなら熟知しているとおり途方もなく簡単なことで、現実など騙し絵ほどの苦労もなく「生み出せる」ものであるのは、どちらかといえばジャーナリズムのABCにあたることであると思う。 そのうえに、もちろんこれは日本のひとに限らないが「歴然たるウソをまぜておく」のがお手の物の職人のような他人を中傷誹謗する才能があるひともいるわけで、実際、わしがインターネットでであったひとのなかにも、そういうひとがいたが、特に「名前がある」ひとの場合は、手もなくぞろぞろとついて歩いているフォロワーの群れの方は信じてしまうので、このひとはいろいろな人に対して、その手を常用しているようだった。 ではどうすれば日本語が狂気としてではない「正しさ」を取り戻せるか、現実に対して有効になりうるか、ここで自分が考えた事を演説のように述べるのではなくて、せっかくここまで一緒に歩いてきたのだから、この頃は全然お返事書いてねーじゃんなコメント欄や、ダジャレばかりのツイッタを改善して、お友達たちと一緒に考えたいと思う。 これがその第一回目で、集中して討議したりせずに、のんびり、思い出したように、この問題に立ち戻るのがよいと思うが、それにしても始めなければ何も起こらないので、 この記事をここに置いておくことにする。 出来れば次の記事からは、ツイッタで交換した意見や、コメントへの返信を織り交ぜて、話がすすんでいくといいなあ、と希望します。

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ボーティングの夜に

1 海がベタ凪だとボートは空飛ぶ絨毯のように巡航速度の39ノット(70キロ)くらいで進む。 ホワイトキャップ(波頭)があると船底に水があたって聞こえるガツンガツンという音のかわりに「しゃあー、しゃあー」という,か細い高い音が聞こえる。 小さいほうの新しく買った船でモニとふたりででかけることが多くなった。 「小さい人」ができてから、モニもわしも(軽い)ウツビョーなのではなかろーか、とふたりで言っていたのが、自棄を起こして大きい方も小さい方も新しいのに買い換えたら、ほぼ治療されてしまった。 夜明けの少し前のまだ暗いうちに家を出て、ワイヒキ島 http://www.waiheke.co.nz/ まで疾走して、夜明けを見る。夜のマリナを大きい方の船に乗った、家のひとびとと一緒に出て、満天の星空の下を眺めながら、ウイスキーを飲む。 むかしは、あんなに甲板の上で跳びはねる魚を見るのが嫌いだったのに、年をとるというのは怖ろしいことで、30歳が近付いたらヘーキになってしまった。 鰺、シマアジ、鯛、ヒラマサというような魚がどんどん釣れて、大きな船からディンギーで受け取りに来たひとびとによって料理されてゆきます。 モニとふたりきりで夜の空を眺めながら、やさしい波にゆられていると、ふと自分たちがこの世に存在していないような気がする。 モニもきっと同じ気持ちなので、わしの手をぎゅっと握る。 唇をあわせて、じっとしていると、なんだかたまらなくなって舳先の寝室にいってカーテンを閉めることになる。 波がない夜に入江に泊まっているモニとわしのボートのLED灯が揺れているのはそーゆー理由に拠っている(^^;) 2 人間が恋をするのは、すごくヘンなことだと思う。 モニとわしはすごくお互いとエッチがしたかっただけだった。 モニは、その頃からカトリックの尼僧でもここまでひどい人はおらんわ、というくらい潔癖がひどい人だったが、わしのほうは、チンパンジー並というか、知らない人とでも、見た目さえよければ、ほとんど挨拶がわりにエッチしているのではないかという蟻の這いいる隙もない、ではない、有りもしない噂がたつくらいで、世間の常識から外れているという点ではモニもわしも、どっちもとんでもないひとたちだったと思います。 でも、ひとりになって、チェルシーのクソアパートで冷蔵庫のなかを眺めながら、こんなんではハムサンドイッチも作れないではないかと考える午前2時とかに、突然、モニさんのアッパーイーストサイドにあるチョー高級アパートメントにタクシーをとばしていって押し倒してしまったらどうかと思うことがたびたびあった。 わしが結婚する前は、それはそれは酷いもので、実はわしの実体はペニスであって、ペニスがわしの魂をつかんでふりまわしているのではないか、と考えることがあったほどだった。 ほんとうにタクシーをとばしていってしまえばどうなったのかわからないが、なんだか、そんなことはよくないことのように思えたので、たとえば、すげー酔っ払ってるときでも、試してはみなかっただけのことでした。 ところが「やりたい一心」であったのに、それとモニが大好きな気持ちは全然別で、あとから考えると、ことの初めからモニと結婚すると決めていたよーな気がするのがヘンだと思う。 人間の恋は、人間が感知できる範囲とは別のところで決まって、理性の介入など金輪際、許さないもののよーだった。 うまい比喩ではないかもしれないが、わしは自分の一生において冬の雪山に不用意な軽装備で出かけてしまって遭難しかかっている無謀な素人登山家のような気がしていたのかもしれません。 そうして、モニのことを考えるときだけ体温が戻ってくるよーな気がしていたのに違いない。 もっと違う言い方をすれば、宇宙のなかで、ただひとりモニだけがこの世界から剥離した魂で、こんなことを言うのはきっと酷く残酷なことなのに違いないが、めぐりあった他の女びとたちは「世界」の一部だと思っていたのかもしれません。 (ちょっと、ひどいな) 3 わしは子供のときから陰に陽に「なに不自由なく育ったから心が冷たいのだ」と何度も言われて育った。 結婚してから、とつおいつ話してみると、国も言語も違うのにモニもまったく同じで、世の中って「きゃあ」だね、と話したりした。 初めてふたりで明け方まで過ごしたとき、その頃は考え方がふだんはパキパキで尼僧のようなのに長い(モニの国のひとには珍しい、明るい強い色の)金髪をふりほどくと、緑色のふだんは暖かい印象の眼に炎が忍び込んだようになって、まるで妖婦のようにみえる寝着姿のモニと床にぺったり腰をつけて、わしが手を火傷したりなんかしながらつくったローストビーフやチーズや果物が並んだ皿に手を伸ばしながら、どんなに下品にお互いとセックスしたかったか夢中になって話しながら、自分たちは正反対の人間だと思っていたのに同じひとのようだ、と発見したときに、もうモニのそばを離れられなくなってしまっていたのだと思う事がある。 モニとわしは結婚という制度に名を借りて、お互いを拘束してがんじがらめにして、 息もできないほど束縛して、お互いの自由という自由を奪いつくして、こんなに素晴らしいことは人間には一生にはないよーだ、と考えた。 ふたりでかまいあってゆくので手一杯なので子供をつくるのはやめるべなと言いながら「小さい人」が出来てしまったのも、ときどきベッドの上で(あるいはベッド以外の場所で)理性をなくすからであったと思われる(^^) 恋、などは「理性のひと」には納得がいかないに決まっている、 それは正に狂気で、あるいは人間の愚かさの(間違った方向に)最も止揚された姿であって、それがモニとわし自身でないならば、モニもわしも欧州人らしく口元は綻ばせても心のなかでは冷笑に近い笑いをもらしただろう。 でも、もう、これでいいみたい、 というモニの横顔をみて、「美神でもこんなに綺麗ではないだろう」と反射的に考える自分をいかにも愚かであると思う。 そう。 でも、もう、これでいいんです。 … Continue reading

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東京の記憶_1

高田馬場の駅で、ある日駅員が始発のシャッターをがらがらがらと上げてみると、そこには肩を組んで一列にならんだ浮浪者のおっちゃんたちがいて音楽にあわせてラインダンスを踊って見せたという話がわしは好きである。 あるいは駅前のBIGBOX http://www.bigbox-baba.jp/ の斜向かいのビルの居酒屋では午後2時半から4時半は焼酎が飲み放題で、その時間にビルのリフト(エレベータ)に乗り込もうとすると、浮浪者のおっちゃんたちの口だけが4つほども胴体よりも先にあらわれて、いっせいに「おえええええー」と嘔き狂って階上のオフィスめざして乗り込むべく待っていたひとびとのスーツが台無しになったりしたという。 2Xあるいは、夜中に義理叔父が、小滝橋の方角から戸山へ抜ける、小さなJRのガード下を通って行こうとすると、物陰の暗がりに浮浪者のおっちゃんが蹲っていて、ズボンの裾をつかんで、「ちょっと寄っていけ」という。 義理叔父というひとは人見知りをする癖に浮浪者おっちゃんのようなひとは好きで、 はいはい、と述べて、一緒にしゃがむと、おっちゃんは線香花火をつけてみせて、 「おれの人生もこんなもんだったなあー」としみじみと述べたので、笑ってはいけないが、その子供じみたいいかたが可笑しくて、にっこりしたら、おじちゃんも自分の口調を悟って、「なあんちゃって」と言ってごまかしたりした。 だから、なんなの?とここまで読んで思う人がいるのは、そういうひとは不思議に「おまえの書くものには意義がない」とわざわざ書いて寄越すので知っているが、田舎では意義がないのは困ったものでも、都会では意義がないからこそ意味があるのです。 わしは都会が好きである。 ふだんは自然がいっぱいあるところに住んでいて、燃料をつむのを忘れてヒコーキで飛んでいってしまったり、船で沖合に出て、あの背びれがあるクジラはなんであるか、マッコウクジラにはみえないので、アカボウクジラかしら、げっ、こっちにくる、でけえええー、とかゆって遊んでいるが、もともとは都会で生まれて育ったので、ときどき都会のひとが自然を満喫して命を全自動洗濯しにでかけるように、わしは都会へとおもむきます。 東京は、思い出してみると、すごく変わった都会だった。 変わった、ということの意味は、マンハッタンは下町はオモロイがだんだん上に行くに順って退屈な町になって、リンカーンセンターがあるのでやむをえず北へ向かうというか、モニの独身時代くらい社交上の地位があって、オカネがふんだんに使えればいまでも面白い場所はたくさんあるわけだが、わしなどはビンボな上にケチなので、北上すると遊ぶものがなくなる。 だいたいミッドタウンくらいで停止してしまう。 そうなると、同じ店ばかりがあってオールドネイヴィ http://www.oldnavy.com/ だのなんだので、どこにでもある店が並んでいて Serendipity 3 http://www.serendipity3.com/ のようなところは行くが、あとはもうあんまり、いいや、になってしまう。 なんだかどこもかしこもだんだん同じになってくるので腹が立つ。 東京の神保町は面白い町で、80年代に靖国通りの裏に並んでいた長屋を使った店、 能楽屋や筆屋、いまは飯田町に越した「餃子おけい」というような店があった頃はもっと面白い町だったというが、「表通りばかりになって哀れである」とおじさんたちにゆわれるいまでも、わしなどには面白くて、日本語の本を買うときには心掛けて、新刊ならばアマゾンではなくて東京堂に行って、古本でも良い本ほど「ブックオフ」のほうが安いのを知っていても、神田古書店で買うことを心掛けた。 わしは建長寺裏の半僧坊の烏天狗から、4割引の560円で気配を消す術を教わって、物理的にデカイわりに目立たないで行動できるほうだが、色には出にけり、どうしても他人よりは目立つので、あんまりいかないで食べ物とかは他人に頼んで買ってきてもらうほうだが、神保町の「エチオピア」のカレーはうまかったので、どうしても店で食べたくて、でかけて食べたことがある。 あるいは、最後に行ったときは、突然従業員の行儀がチョー悪くなっていて驚いたが、子供の時にストップオーバーでやってきたときに、良い思い出があるせいもあって、あるいは義理叔父がむかしは贔屓だったせいもあって、「山の上ホテル」の天ぷら屋でくつろいだりした。 しつこくも、わしが馴染みの画廊や古書店は付き合いがこれからも続くので具体的な名前はここに及んでも書かないが、絵画や版画、あるいは欧州語の古書でさえ、この町で買ったものはたくさんある。 ロンドンもサンフランシスコも古書街あるいは良い古書のあるエリアが壊れてしまって、たとえば、わしが子供の頃あれほど好きでサンフランシスコに行けばその店に行くのが愉しみだったユニオン広場からそんなに遠くない、いつも日だまりに猫がねそべっていて、その寝床がバイロンの詩集の上であったりオーデンの評論集の上であったりした、詩と絵本ばかり置いてある、あの美しい古書店もとっくのむかしになくなってしまった。 マンハッタンの「ひとり古書街」みたいなSTRAND http://www.strandbooks.com/ はまだあって、ユニオンスクエアのそばの本店は相変わらずわしの散歩コースにはいっていて、マンハッタンに戻る度に、ああ、まだある、えがった、と思うが、 近所の一風堂の行列は長くなる一方なのに、ストランドは以前ほどひとがいないような気がする。 まして新刊本屋はバーンズ&ノーブルが次次に店を閉めて、町を歩き回っては本屋によってのんびり棚を歩き回る愉しみはほぼ完全になくなってしまった。 ところが神保町は健在で、郊外にあった古書店が神保町めざしてやってきたせいで店の数は返って増えて、食べ物屋も原宿や渋谷、秋葉原ほどは下品でなくて、うどんの丸香くらいなら、上品にとどまっていて、わしガキの頃、とんかつというものを初めて食べて、そのときおっちゃんからもらったいかにもむかしふうのマッチをいまでも大事に持っている「とんかつニューポート」は閉店してしまったというが、あるいは共栄堂のカレーはじーちゃんが引退してから薄くなって、すっかり不味くなってしまったんだぜ、ガメ、というメールが来たりするが、神保町は神保町で、フクシマの事故が実は国を挙げての冗談で、ほんとうは放射性物質をぶちまけたりなんかしてないのでした、ははは、ということになるか、こっちの放射脳が狂泉の水を飲んで治るかなんかして、もういちど行けるようにならないかなあ、と考える。 安心してでかけられて、そこにあるのがいまもあの神保町なら、食べ物が全部汚染されてまくっていて、白山通りと靖国通りの角の六文そばしか食べられないのでも別にいいです。 住んでいるのが、いま考えてもガイジン好みに町ができていて、パチモンじみて、くだらなかった広尾なので、あんまり出かけたとは言えないが、銀座も好きな町だった。 わしには酔っ払うとタクシーを拾う程度でも家に帰るのがめんどくさくなる悪い癖があって、モニと一緒に朝ご飯をつくるのもめんどくさいので、銀座に遊びに行くと、よくそのまま日比谷のT国ホテルに泊まった。 T国ホテルは日本式サービスで有名で、普通のホテルの二倍は優にいる従業員のひとびとが入れ替わり立ち替わり、あれはダイジョブかこれは要らないかと訊ねてくる。 T国ホテルには外国人だけに適用される会員制度があって施設がタダになるので、害人はジムもプールも無料で、特に夏は愛用したりした。 だあれもいないプールでどばどば泳いで、お腹が空いてのどが渇くと、目の前にはモニとわしが熱狂的に好きだった有楽町ガード下の焼き鳥屋があるので天国そのままであった。 モニとふたりで秋の夜更けの議事堂前の道を、ダンスのステップを踏みながら歩いて、ところどころ立ち止まって、モニがわしの手の下でくるりとスピンしたりして遊んだ。 落ち葉が舞い上がって、東京の夜の、乾いた匂いがして、いつまでも朝にならないことを願った。 … Continue reading

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夜爪、深爪

爪切り、というのは意外とよいものが少ない。 わしは銀座の店で買ってきてもらった「匠の技」とかっちゅうのを使っておる(^^) おおきいのと小さいのがあるが、どちらもすぱっすぱっと切れてすごい。 http://hands.net/goods/125321 酔っ払ってたりすると指をつめちゃってもわからなかったりして、と思うくらいよく切れます。 ほんで、この爪切りを使うたびに日本のことを思い出す。 年をとったら日本人が食べるものを食べろ、という。 もう1ヶ月くらいで30歳になるわしは、日本の諺でも「待ってはいかの塩辛」とゆわれておるので、 一計を案じて魚を食べることにした。 ニュージーランドでは魚はだいたいにおいて結膜炎みたいっちゅうか、目が真っ赤で、腐りかけているのが多いので、怖いので、そんな赤目鰺や赤目鯛を食べるわけにはいかむ。 ボートで50キロくらいの沖合に出て、魚を釣ってきます。 魚探に魚影がうつっている30mくらいの深さがあるところに来て、WASABIちゅうようなインチキな名前の中国製サビキをつけて、釣り糸をほうりこむと、餌なんかいらん、いっぺんに二匹づつくらい鰺や鯛がつれる。ヒラメやタコもつれるというが、わしはあんまり釣りそのものには興味がないので20匹くらい釣ると、さっさと桟橋にもどってくる。 ときどきフィジー人の友達やなんかと一緒にいくこともある。 フィジー人のほうは、どいつもこいつも釣りの神様みたいひとが揃っていて、一緒に行くと、鯛でもわしがふだん釣るよりふたまわりは大きい「目の下一尺」ばかり釣る。 鰺を釣るという段になると、なんだか書いていてもどーせ本気にしねーな、という気がしますが、サビキの針の数だけ、6つ針なら6匹いっぺんにかかったりする。 どーなってんだろう、と思う。 しこうして、わしが日本に縁故があると知るや、釣り具のリストをつくって、「こんだけ送ってもらえよ」という。 「ガメ、日本人ってのは、釣り化け物みたいなやつらで、あのひとびとの道具は神様がもってる釣り道具よりよく出来てるのね」という。 フィジーの神様は中国製の釣り具を使っているものだと思われる。 なんだか日本語のインターネットを見ていると日本のひとは口々に自分達の「匠の技」がいかにすぐれているか、日本の商品の品質がいかに世界サイコーか、ばかり述べているのでうんざりしてしまうが、ゆっていること自体は世界中のひとが認めていることでもあると思います。 トヨタのアルテッツア(初代のことね)というクルマは、多分、日本のクルマで初めて140キロを越えて頭をふらないクルマであると思う、と前にもこのブログ記事に書いた。 このクルマは、同時に、それまでの日本車の欠点だった「やれ」がないクルマでもあって、10万キロくらい走っても新品のようにドアが閉まる。 そうなると、不気味なもので、このクルマは20万キロ30万キロと平然と走る。 いったい日本のQCはどうなってんだ、と思います。 タミヤの模型は世界中のガキどもの、といいたいところだが、実際には日本から一歩外に出るとタミヤの模型などはオトナのオモチャなので、オトナの垂涎の的で、どうしてバリもなくて、部品と部品とがあんなにぴったり合うのか判らない。 現実はタミヤという会社は恐ろしい事に自前の射出成型機をもっていて、なんどでもやりなおせるので、あの精度で模型をつくることができる。 士農工商というが、日本人は自分の国のイメージを考える時に、この4つの階級をずいずいずっころばしでごまみそずいちゃつぼにおわれてとっぴんしゃんにするようにいれかえてきた。 尖閣のような問題が起きると武張ったひとが、顎をつきだして、ぶいぶいゆいながらあらわれて、「毅然とするべ、みなの衆」と、なんとなく田植えの手つきに似た文章で戦争を呼びかける。 TPPともなると農業はどーすんだ、拙者の道場では稲穂はみのってもアメリカ人に垂れる穂はない、と先生がゆっておった、という。 「士道」を唱えながら、その実「本音」の世界では「商」であくどく稼ぐのは、日本人のお家芸とさえみなされている。 でもこの国の背骨は「工」で、と言い出すと、わしも日本という国にばかされているかしら、と思わなくもないが、「工」のつくるものはすごくて、いまのこの世界では、どうしてもドイツ人の次くらいにはすごいよーにおもわれる。 (閑話休題) (と思ったけど、やめた) だから、日本に向かって「ものづくり」やめないとダメだよ、友達のつもりでアメリカ人や欧州人、あるいは、わしのようなわけわかんないプーのひとが呼びかけてもムダで、日本のひとは下を向いてものをつくるのをやめないのではないだろうか、と思うことがある。 わしは日本人のサディズムというか、他人を非難しているうちに、あることないことあげつらいだして、すっかりアドレナリンがでて、背筋もつきぬける悦楽に酔って、物凄い言葉をつらねて、コーフンする様子が、泥の臭いがしてカッコワルイと思うが、よく訳のわからんことに拘泥してすっかり血迷って、のめりこんで、たとえばカミオカンデみたいなヘンテコなものをつくってしまったり、おもわず島宇宙をつなぐ橋の姿を垣間見てしまって、島宇宙と島宇宙が互いに架橋された雄大な「神のいない宇宙」をまぶたの裏側に観ながら自殺してしまった数学者や、下を向いて、根付けや煙管の細かで優美な細工を刻むようなところが好きである。 なんてヘンなひとたちだろうと思う。 欧州にもヘンなひとはいっぱいいて、ME109の操縦席の座り心地をよくするのに熱中して他の部分はとっくのむかしにラインから出て、野ざらしにつみあがっているのに、「うるさいな、ちょっと待てよ、いま戦闘機史上最強の操縦席が出来るところなんだから」とゆってすべてを待たせて馬の毛を背もたれの革の下に忍ばせようとしたドイツの職人たちやなんかは、日本の、それで時速が2キロだか速くなるんだとかいう沈頭鋲を発明した日本の技師達ともさぞかし話が合っただろう。 モニはアジアのもの一般にあまり興味をもたないので、ときどき、ガメはインドと日本には随分興味があるな、と不思議そうにいう。 ははは、ほんとだよね、わしはヘンな奴だ、とわしは答えるが、わしはほんとうの理由をしっている。 わしはこの世界が「みな同じ」になってゆくのが嫌なのだと思います。 … Continue reading

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遠い隣人

1 小さい人、が現れてからモニやわしが自分で料理する機会はほとんどなくなってしまったが、わしはもともと料理は好きである。 厨房とは別にちっこいキッチンをつくってもらって、簡単に食べたいときはモニとわしのものだけを、ほほいほいとつくって食べる。 サンドイッチがおおいが、「年をとってきたらアジアのものを食べろ」という新しい健康上の格言に順ってアジア料理もつくります。 焼き豚は中国式の蜂蜜をぬったものよりも日本式の酒と醤油とニンニクと生姜のたれにつけたもののほうが「シブイ」ので好きだが、これは簡単につくれる食べ物なので、常備してある、というか、いつも冷蔵庫に用意してある。 作り方は簡単を極めている。 必要なものは 豚のフィレ1本(400gくらい) 酒 醤油 生姜 にんにく 好みで八角、肉桂 唐辛子 はちみつ 1 小さめのジップロックに 醤油:酒=1:1 ねぎ・生姜・にんにく(ねぎはいれなくてもいいと思う) (にんにくはクローブ(房?)で1−3個、つぶしていれる) (生姜は適当に切っていれる) (ねぎは青ネギが余っていればいれる) とまるのままの豚フィレをいれる ジップロックを使うと、たれが少なくてすむので、わしみたくケチな人は嬉しいのです。豚フィレ1本をつけこむのにコップの半分のたれですむ。 1を冷蔵庫のなかでほうっぽらかしにして、そのときによって1−3日ほっぽらかしにしておけばよいと思われる。 わし自身は、もっとほうっぽらかしにしていてもヘーキだが、どのくらい放っておいて大丈夫か日数をかぞえてみたことがないからわからん(^^;) 2 食べたくなったらとりだして、豚肉の上に少したれを塗って(あるいはかけて)からクッキングペーパーにくるんで、ちゃんと熱くしたオブンで20分焼く、ほんで、20分したら取り出して今度はクッキングペーパーを開いて10分焼く。 それだけで出来上がりでがす。 うまいんだよお。 わしが好きな数が少ない中華料理のひとつだが、中国人の友達が来たときに老酒のつまみにこれをだしたら、「これ、うまいけど和式だよね」とゆっていたので、中国には、こういう甘くない焼き豚はないのかもしれません。 日本式の煮豚も作ってみたことがあるが、わしはちゃんとローストしたこの日本式焼き豚のほうが好きなよーである。 ニュージーランドには生の「日本麺」と表に書いてある、やたらうまいラーメンの麺があるが、日本ならもっといろいろな麺があるはずで、自分の好きな麺を買ってきて、スープのほうは、めんどくさければチキンストックと醤油だけでも最低限の味のものは出来てしまう。やってみればわかるが、ラーメンなどは能書きが多いだけで、たいして難しくない食べ物だと思う。 (そういうと怒るひとがいっぱいいるのは知っているが) ラーメンのようにスープに浸かった麺と焼き豚を食べるときには、中国式、あるいはベトナム式に麺のポールとは別皿にしたほうがおいしいよーである。 野菜のようなものはスープにのっけたほうがうまいが、焼き豚や、これもわしがときどきつくるレモングラスをすったソースをかけた鶏の唐揚げみたいものは、別皿のほうがうまい。 普通にただ食べてもおいしいので、というか、わしはだいたいそーするが、焼き豚を切ってマスタードで食べます。 日本のひとなら和辛子だろうが、試してみると良いが、西洋のいろいろなマスタードでもちゃんとあうものはあう。あわないのは全然あわない。 人間と同じです。 2 わしが住んでいるRemuera http://en.wikipedia.org/wiki/Remuera というところは、大きな家がおおい。 … Continue reading

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