魚が釣れない午後

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ニュージーランドでは27センチ以下の鯛は釣れても海に戻してやらなければならないことになっている。
小さい鯛が釣れてしまうと、「きみは、日本で釣られていたら鯛飯にされていたのがわかっておるのか、もっと立派になるまで二度と釣り針にかからないよーに」と説諭して海に帰す。
「サビキ」を使うとどうかするといっぺんに3匹も4匹も釣られてしまうので、しみじみ「27センチ以下の鯛がこの餌を食べるのを禁止する」というサインを針の近くにつけておけばどーだろーか、とモニと話し合う。

鏡のように凪いだ海を小さなパワーボートで30キロくらいしか離れていないところにでかけて、錨をおろして、モニとふたりで日光浴をかねて釣りをするのは楽しい。
モニは眠るのが大好きなので、つばの広い帽子を顔の上にのっけてすぐに眠ってしまう。
仕方がないのでモニの釣り竿も監視しながら、ぼんやり海をみつめている。
通常はオークランドの海は、よく判らない理由によって、餌をつけなくても、真鯛や鰺のような魚はいくらでも釣れる。
でも、潮目に関係があるのでしょう、ときどき、2、3時間もソナーにたくさん魚が映っているのにまったく釣れなくなってしまうことがあります。
そーゆーときは、モニを起こすのも嫌なのでひとりで、ぼんやり海をみている。
中身を食べてしまってからテーブルの上で展げてみたチョコレートの銀紙のような海面に午後の太陽が乱反射して、なんだか現実でないような美しさであると思う。

おおきなボートとは違って小さいほうのボートででるときには、片道50キロもいかないのが殆どなので、3Gの圏内で、キンドルで面白そうな本をダウンロードして読んでいることもある(^^)
でも、たいていは、なあーんにもしないで、魚がかからないときには30分に1回くらいしかかからない魚の相手をするほか、ただもうぼんやりと空を眺めたり、クーラー(10mくらいまでの小さな船はバッテリーの容量の都合でだいたいエアコンや冷蔵庫はつけない)の氷のなかから取り出した白ワインを開けて飲みながら、モニと付き合いだしたばかりの頃のことや、子供のときに妹やデブPたちと一緒にツリーハウスで世界を救済する計画を練って、小川で二隻の縦列艦隊をつくって近隣に潜んでいると思われる悪の組織に見張りの眼を光らせたりしていた果てしのないガキわし時代、いまは麻薬戦争で行けなくなっているが大好きだったメキシコの内陸の小さな町や村、
https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/メキシコのねーちゃん/
(リンクは自分で書いたブログ記事なので昔から読んでいる人は押さないよーに。日付が1970年になっているのはアカウントを閉鎖したときに記事がどっかにぶっとんでしまって年月がデタラメになったせいでごんす)
なかんずく、まだ神様がとどまっていそうな風情の教会の公園に鋭い目をした子供たちが屯していて、
「写真を撮ってもいいかい?」と聞くと、
「絶対ダメだ」と鋭く言い放つ、いま考えてみれば、なんのことはない、もうすでに麻薬に染め抜かれた区域だった町のことを思い出したりする。

メキシコとならんで「特別な外国」だった日本のこともよく思い出します。
遠い国をおもいだすときというのは面白いもので、そこに滞在していたときに面白いと思っていたものは脳髄にたいした印象を残していなくて、思いがけない断片、氷に包まれた別荘地の道に忽然とたっていた鹿の姿や、トンネルを抜けた途端に、いちめんに広がる稲田を埋め尽くす黄金色の「はさ」、あるいは午後に鎌倉の家で眼がさめて、二日酔いで朝比奈の切り通しを歩いて、ふと見上げると覆い被さるように建っていた(いま絶対鎧を着たおっちゃんがクビをひっこめたのが見えたよーな)中世の砦のあと、池子の弾薬庫の縁の丘を散歩してみつけた旧海軍の標識、ポール・ジャクレーの家の石標、
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/06/05/
(このリンクも前と同じく自分のブログ記事なので注意も前に同じ)
そんなことばかりおぼえている。
義理叔父はいまはなくなった浄明寺の鮨屋に行くのに西脇順三郎が戦争中に「学問もやれず絵も描けず」と呟きながら歩いた切り通しを通ってでかけて、帰りは「出るに決まっている」ので、くるまの通行が激しい県道を通って帰ったものだった、というが、その「出るに決まっている自然石のトンネル」で夜中まで幽霊が大好きなイギリスからやってきた友達と酒を飲んですごしたりした。

福島第一事故があったから日本に行けないのではなくて、政府が事故によって日本中にばらまかれた危険を認めないから日本に行けないのだと思う。
日本に偵察にでかけた義理叔父や海外に住む日本人の友達たちから聞いたことを考えると、なぜ日本の政府は「放射性物質が危険だと思い込んでいる」国民のために産地を県別から市町村別にしたり、サイトを使って製品の流通経路を明らかにしたりしないのか、ぼくにはよく判らない。
放射性物質を危険だと思う自分の国の国民がいて、一方では、それを「こうだから絶対に安全だ」と証明できない非力な科学の現実がある。
「消せない火」であることで有名な原子力は、同時に人体へ与える影響が皆目わからない物質を原料とする「火」でもある。
事故のあと、「わかっている」と言い張る「学者」が日本ではたくさん出たが、そんなことは多少でも学問の常識が存在する大学ではありえない強弁でしかない。
それを強弁と呼ぶしかない理由は簡単で「明瞭に科学的にわかっている」などとは、単なるウソにしか過ぎないからである。

安全が証明できないのならば、なぜせめて、放射性物質を危険であると思う国民のひとりひとりが余分なコストを自分で負う形でもいいから、「自分で判断して危険でない食品を選択する」ためのチャンスを与えないのだろう。
県別表示を町村別表示に変えるどころか、「国産」表示に変えるという聞いていて吹きだしてしまいそうなマンガ的な露骨さも、それが個々の人間に自分の生命を大事にさせないための工夫であることに思い当たると、大笑いしかけた顔が凍りついてしまう。

「あの遠い国と同じ海でつながっている」というのは安物のロマン主義の常套句だが、無数の瓦礫が漂着するカナダの太平洋岸の人間たちは、おもいがけないなりゆきで「同じ海でつながっている」現実を考えなければならなくなってしまった。
太平洋戦争中に蒟蒻糊で紙を貼り付けてつくったしょぼい風船にくくりつけられた爆弾がオレゴンまで飛んで6人の人間を殺したのに、福島から放射性物質がとんでくる心配はしなくてもよいというあなたの根拠はなにか、とインターネット上で、「あなたは距離というものが判っていない」と述べた水力発電コンサルタントにかみついているアメリカ人の主婦のひとがいて、ほんとだよなー、と考えたが、世界中で原発擁護の記事を書いている人に多い職業である「元水力発電コンサルタント」の肩書きを無視して考えても、「科学に知識がない」主婦の直感のほうが正しそうに思われる。

人間には、ごく基本的な権利として、自分の判断で健康で病気にならない生活を選択する自由があると思うが、日本では、それは贅沢な望みにすぎないことを政府は簡単に白状してしまった。
日本人に生まれるということは日本という「全体」の国益に資する「部分」として国益に生みこまれることであって、日本人である限り、それ以外の人生はない、ということを日本政府はこれ以上ない明瞭さで提示してしまった。

日本の政府に欠落しているのは個々の国民に対する想像力で、これだけ露骨に「日本には個人の幸福を考える意思はまったくない」と言葉にして表明しておいて、個々の国民、特に若い人間が絶望しないと考えるのは、はっきりした想像力の欠如であると思う。
どこの国の政府も実務家を中心に「国民は愚かだ」と考える傾向をもつが、日本ははっきりと、どれほど国家に対して好意的な人間でも幻想をもてないほど明瞭に政府が国民を生きた愚昧としてしか認識していないことを示して、「個人の幸福」を否定してしまった。

日本の政府は、いわば、「国」というものを腐らせる中心に腐食をすすめる種子を植え付けてしまったのだと思う。
国というものを腐らせる中心、という表現がわかりにくくて「愛国心」と言い換えたければ言い換えてもよいかもしれない。

日本がここに至るまでには、たとえば知識人や芸術家たちの長い長い期間に及ぶびっくりするほどの無責任・無節操や、「ほんとうのことは別のところにあるが、言葉にするときは、こういうふうに言うものだ」という「タテマエ」という名前の集団的ウソの伝統があった。
言葉を現実からはぎとり、作家は「面白い物語」を書くことを誇り、なぜ自分が書く物語が社会を反映して破綻しないかを訝しくおもわない文学者の鈍感の伝統があった。
際限もなく続いて数え上げていける、たくさんの理由があるが、
その最大のものは言葉というものの恐ろしさを社会全体が理解できなかったことだろう。
言葉が現実から剥離してしまうと、すなわち、自分たちが盲いて、耳が聞こえなくなり、声がでなくなるのだ、という単純な事実に気が付かなかった。
いまの日本の姿は、影が自分の体についてきてくれなくなって途方にくれるピーター・パンに最も似ていると思う。

夕方が近付いて風が吹き出すとモニが眼を覚ます。
だいたいそれと時を同じくして魚…鯛、シマアジ、鰺…がびっくりするほど釣れだす。30分ほどでクーラーがみるみるうちにいっぱいになる。
ニュージーランド人が普通たべない鰺に眼をつけてレシピを研究したのは、「そろそろ30歳なのだから、健康のために魚を食べるように」という健康コンサルタントのおばちゃんの意見にしたがって始めた新事業だが、食べてみると取り立ての鰺は「食用に適さない」という図鑑の記述とは異なって、押し鮨やその日のうちに料理するフライや「シオヤキ」は不味くはない。
鮨屋でモニとふたりで二日間に亘って受講した「ガイジン向け鮨クラス」も役に立っている。アメリカ人のおばちゃんが話をしながら、身振り手振り、刺身包丁をふりまわすので、あの1回だけで「鮨クラス」は終わってしまったそうだが(^^) 

ふたりで船上でシャンパンを開けて、のんびりしてから暮れなずむ海を港に帰る。
夕陽で真っ赤に染まった海面を時速30ノットで辷るようにして戻る。
桟橋に着くと他の「海のひとびと」と冗談を言い合って、ときどきは近海の情報を交換する。
あの浜辺の沖は、夜、停泊すると夜光虫が綺麗なんだよ。
あそこは浅瀬に船を泊めて買い物にに行きやすいが、よく船泥棒が出るので注意が必要だ。
あのチャネルにはイルカがよく出るのさ。それを狙ってシャチの群れも来る。

…そうしているうちに、多分、ただこのブログ記事を書いているという理由だけで続いている「日本」の影が頭からするっととれてしまって、また日本語でものを考えるまでは、すっかりどこかに行ってしまう。
こういう習慣は、なんだかヘンだ、と自分でも思うが、なぜ日本語にこれほどこだわりをもったのか自分で理解できるように所まで、どうしても、その場所まで行けないものだろうか、と考える。

その、静まりかえった沈黙と巨大な悲惨がたたずんでいる場所へ。

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3 Responses to 魚が釣れない午後

  1. じゅら says:

    確か先月のことだったか、おやつ用に買っているミックスナッツの袋が新しいデザインに変わっているのを発見して、なんとなく裏返すと、「アーモンドはどの国、カシューナッツはどの国」といちいち原産国が付記されるようになっていました。前のバージョンの袋には書いていなかったものでした。
    また別の時、小さいパックにして売られているカットフルーツの棚に目を留めたら、これも「メロンはどの国、グレープフルーツはどの国」などと全種類の原産国が掲示されるようになっていました。一種類だけ国内産のがあったんですが、それには県だけでなく、市区町村レベルの地名が書いてあったような気もします。
    でも生鮮食料品は変わらないですね。「国産」という表示を見て買うのをやめる日が来るとは思っていませんでした。

    たまたま縁があって、その日そのへんの海で獲れたイカやタイの刺身を頂く機会があった時、その美味しさにびっくりしたものです。単にさばかれただけのものを普通のしょうゆで食べてるだけなのにすごく美味しい。
    事故で海が深刻に汚染され続けると知った時、最初に想起したのはあの刺身の美味しさでした。
    東日本とは違う場所だし、事故とは別の理由でもう食べられなくなりましたが、海産物の話を聞くとよく思い出します。

    >これだけ露骨に「日本には個人の幸福を考える意思はまったくない」と言葉にして表明しておいて、個々の国民、特に若い人間が絶望しないと考えるのは、はっきりした想像力の欠如であると思う

    最近放射能のことがあまりよく考えられません。
    絶望を直視するのは思っているよりずっと難しいんだなと思います。
    抹茶入りのお菓子をずっと避けていましたが、先日どうしても抑えられなくなり、いくつか買って食べました。美味しかったです。
    これでまた当分はがまんできそうに思えました。
    個人の幸福を考える意思が全くないのは、政府だけじゃないよなぁって気もします。

  2. oniku says:

    こんにちは。ガメさんのブログ、最近発見して読むようになったのだけど、コメントは初めてしてみます。

    日本の福島原発対応の人でなしっぷりを見た時、ものすごく既視感があって、それは、日本の医療分野でよく見かけた、「べつに死ななきゃいいじゃん」という発想でした。少なくても物事をコントロールする側においては、「生活の質」「生命の質」に思いを馳せることがなかったです。
    アレルギー科や皮膚科が怠惰にも、疾患を治す方法を放置して病人をそのままにしているのは、どうせアレルギーで死ぬ事なんてないよね、という発想で(アレルギーで亡くなることあるけど、アメリカで誰でも持ってるアレルギーショックの緊急薬も日本では扱ってる医者を捜すのも大変)
    がん末期の患者さんへの疼痛治療が大幅に遅れているのも、どうせ死ぬんだから痛いとかどうでもいいし、という発想があるようだ、と思いました。
    私の昔の上司曰く、日本の戦後医療はダメダメ軍医が牛耳ってしまったから、こんなことになっちゃって〜とのことですが、自分はこの発想がどこから来てるかはわからないです。
    それだけじゃなくて、もともと、自分の目に見えないものは、「ないとする」または「考えない」っていう発想が強いな〜って思ってて。
    というのは、精神科で医者が患者と十分に会話する時間が診療報酬上認められず、投薬中心になっている、ということや、「心理カウンセラーって話すだけでしょ。話すだけでなんで大金払うの」って誰も通おうとせず、代わりにマッサージ屋さんに行って悩み相談したり、そんな傾向も関係してるのかなって思ってたんですけど。

    っていう事と、ガメさんが言っている「言葉が現実から乖離」という事との間に何か関係があるのかな、としばし考えてみました。

    確かに、こじれた家族関係なんかを話し合おうとしても、そもそも、そんな問題なぞないのだ、と話すらできない、使ってる言語が同じ日本語でもどうやら違う言語らしい、ことへの絶望感なんかは、親の世代と接しててあるかなあ。国家レベルでおきてることは家族レベルでも起きてるから、まあそういうことなのかもしれませんね。(でも自分の家族は通じなくても頑張って会話続けてる)

    個人的な観察によると、内的世界、見えないものを言葉にして語ることへの恐怖、またはとうの昔にその機能は捨てました、みたいなのを団塊世代あたりに感じることがあります。スピリチュアリティの喪失と何か関係でも?とも思ったりします。
    長々失礼しました〜。

  3. says:

    まるで痛み以上の麻酔を打ち続けて、痛覚を失ってしまったかようです。
    出血している所からそっぽ向いたままだから、いずれ壊死して命すら失ってしまうのに、きっと死ぬ間際になっても気付かない。
    作家は麻酔を作ることでお金を稼ぐ職業になっているなと思う時があります。
    いや作家だけじゃなくて、社会がそうなっている。でも社会って自分の事なんだよね。
    そうして麻酔から脱却すると、激しい痛みによって自ら死んでいってしまう。少なくともその予感はあるから麻酔を止められない。
    それでも私達は痛みとの向き合い方を身につけなくてはいけなのでしょうね。

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