夏の小景

barcelona1

くらげが洗濯ひもに並べて干してあった、というので笑ってしまった。
どうして、そんなことしてたの? と訊くと、
義理叔父のほうも判らないようで、なんでだろーねー、という。

義理叔父は、鎌倉じーちゃん、すなわち義理叔父の父親と一緒に毎年夏になると葉山に行った。
そこにはチョー元気なじーちゃんのとーちゃんが待っていて、義理叔父に水泳を教えるために手ぐすねひいて待ち構えていたのだそーである。
じーちゃんのとーちゃんは海軍将校だったので泳ぎが無暗に達者だったという。

「手ぐすねひいて、って、なに?」
さー、しばいちゃるぞー、という感じだろーか、というが、
説明になってないやん。

わしのスペイン語の先生の女のひとはオルビダメって、どーゆー意味だ?
とわしが訊くと、突然ものすごいデカイ声で、「忘れないとダメエエエエー!」という意味、とゆって澄ましていたが、これは「強調」という英語を忘れたためであったとおもわれる。

義理叔父の語彙の少なさもほとんどこの女の人と同じで、何を訊いても、さっぱり要領をえない。

沖に、でっかい発泡スチロールの島が浮いててね。
そこから、もっと沖まで泳いでいっては、戻ってきて這い上がってたら、ほら、子供だから、だんだん腕がくたびれてくるじゃない。
「オトナでも、くたびれるんじゃないの?」
いや、子供もくたびれる。
だから、子供かオトナか関係ないのでは?
うん、でも、とにかくくたびれてね。

なにしろ、ふたりとも、わしがわざわざ連合王国から抱えてきた地酒スコッチを飲みながら話しているので、だんだん絡みつくだけでほどけない会話になるよーだ。

腕がさがって胸をこするようになるものだから、胸じゅう血だらけになっちゃって。
ほんで痛いから、葉山の海岸にもどったら、くらげが干してあった。

くらげが干してある家の隣に、かき氷屋があってね、
「あんなもの食べるひとの気がしれないけど、ウイスキーかけるとうまいよね」
いや、シロップなんだよ、その頃は、というか、いまでもシロップ。
ウジミルキン!なんちって、抹茶とコンデンスミルクと小豆を甘く煮たのがはいってるの。
そこまで歩いていくのに、ウジ、ミル、キン(3歩)、ウジ、ミル、キン(3歩)ってかけ声かけながら行くと、あっというまに着くんだよ。
ウジが抹茶であまあいあずき。
「ぐえっ」
ぐえっ、て、失礼だなあガメは。うまいんだぞ。
「ぐわああああ」

まあ、いいや、ほんでさ、ほら、山形さんていたじゃない、
「ああ、あの下駄に鬼瓦の絵を描いたみたいな顔のひと」
そーそー、そのひと、
子供同士で夜過ごすんで、同じ葉山の、あのひとの別荘に泊まったらさ、
夜中にトイレ行ったの。
(もう、かなり日本語がヘンである)

ほんでね、男用の、あれ、英語ではなんていうんだっけ、Urine Cup?
「ははは、違う、Urinal」
そーそー、それ。その上にある窓からおばーさんと小さい男の子が話してる声が聞こえるの。
えー、ずいぶん遅くまで起きてるなー、もう午前3時なのに、と思ってそのまま寝ちゃったんだけどさ。
次の日の朝、考えてみたら、あの人の家、崖に立っててさ。
トイレの向こうって、崖の下でなんにもないんだよねー。
あれはマジでこわかった。

鎌倉ばーちゃんの家の、カッチョイイ石灯籠がおいてある庭が見渡せる縁側に腰掛けて、義理叔父とわしは、よくそうやって、益体ゼロのことを、いつまでもだらだらとだべって過ごした。
庭から縁側にあがるところにある(まんなかが少し窪んで水がたまった)踏み石や、あちこちにある美しいスギゴケの群生、湿気がおおい空気のなかに強烈な匂いをはなっている蚊取り線香の匂い、「日本の夏」というと、あの庭を思い出す。

ガメ、日本はどうなるかなあー、とあの庭で義理叔父が酔っ払いの悪い癖で過剰に情緒的な気持ちになったのでしょう、唐突に訊いたのは、もうだいぶん前のことだった。
ガメは、いつか、ほら、東海村JCOの事故をもっと重視しないとダメだと思う、って言ってたでしょう?
原子力発電の運営みたいなのは、いちステップづつ、枚挙的に、しらみつぶしに守らないと危ないって。
「うん。ゆった。だって、ほんとだもん」
あれから、おれ、考えてみたんだけど、発電所が爆発する、というような事故が起きる可能性もあるかな?
「ある。もんじゅ」
やっぱり、もんじゅ?
「それは、そーですよ。あんなの動かしてて爆発しなかったら、そっちのほうが驚きですがな」

もし原子力発電所に事故が起きて、日本中汚染されたら、どーなるんだろう。
義理叔父はため息をついて、そーゆえば、ぼくが小さい頃にはビキニ環礁の実験があってね、雨に濡れるとハゲるって言うんでさ、お互いに、ハゲるぞおお、あっ、濡れてる、K、ハゲ確定!とゆって脅かしあったものだった、というような話をした。
マグロもたべてはいけないことになっていたんだよ。
また、あんなふうになるのかなあ。

ふたりともウイスキーですっかり気持ちよくなって、わしはその頃は葉巻をすっていたので、叔父にさしだすと禁煙中だけど、という。
かーちゃんシスターには内緒にしておいてあげよう、とわしが述べると、意志が弱い義理叔父は、にかっと笑って葉巻の煙をくゆらせる。
義理叔父は、もうものすごく酔っ払ったようで、上体が少し揺れている。

ちょっと失礼して縁側にあがって横にならせてもらう、というと、わしの背中のうしろに寝転がって、長く横になったよーである。

しばらく静かにしてるな、と思ったら、天井をみながら、へんなことをいいだした。

ガメ、ぼくは、日本が大好きなんだよ。
きみが言うように、この国は軍隊みたいで、民主主義はただの看板で、言論の自由なんか、ありゃしない。
木をみれば切り倒してしまうし、川をみればコンクリートで固めたがるバカばっかりの国なんだけどね。
でも、どうしても心がここに帰ってきてしまう。
きみは日本のお墓はぜんぜん怖くないのは不思議だ、と言ってたけど、そういうことと、この気持ちは、もしかしたら関係があるのではないだろうか。
日本人にだけ了解される日本というものが、不可視のまま、この国をおおっているのかもしれない。

日本人には愛国心なんて、いらないのさ。
日本国なんか愛さなくても、日本人はみんな「日本」が大好きなんだから。

ただ、もう「政府」とか「大企業」とかの外から見えないおおきな家のなかで、なんだか自分達のことばかり考えている薄汚い奴らにうんざりしているだけなんだ。
あいつら、バカだぜ。
なんにも宣伝しなくても、日本が好きで好きでたまらないやつばっかりで、
ほっとけば頼まれもしないのに馬車馬みたいに働く国民を抱えているのに、わざわざ、やる気をなくさせるようなことばっかりやっている。
自分達の品性が下劣なもんだから、他の人間もみんな同じだと思ってやがる。
初めに教育をいじくりまわしてボロボロにしたと思ったら、今度は産業を「指導」して、ほっとけば勝てたものを、コンピュータも通信も的外れな「ご指導」で滅茶苦茶にしてしまった。
年金投資は天井になった株を次から次に買ってポケットを裏返しにしても何も出てこないほど負けくるうし、とうとう今度は、若いやつらに、このままでは消費市場も労働市場も縮みすぎるから、もっとセックスにはげんで子供を産め、と言い出した。
いったい、おれたちが政府と呼んでいる、あのくそくだらない家はなんだろう?

おれはね、ガメ、もうおれが大好きだった日本に帰るんだ。
こんな知らないやつらがでっちあげたパチモンの日本でなくて、おれが生まれて育った日本に帰るのさ。
ほんとうの日本は、ガメ、こんなんもんじゃないぞ、もっとやさしくて、もっとおもいやりがあって、もっとずっと共生の気持ちがあって、どんな人間も大切にするのさ。
こんなもんじゃないんだ。
この日本は違うんだ。
これは、ほんとうじゃないんだ。

ほんとうの日本て、なんなんだそれは、ヘンなことゆーなあー、と考えたわしが、
からかおうと思って、
「ほんとうの日本って、くらげが干してある日本のことなの?」とふりかえって訊くと、義理叔父はもう、真っ赤な顔をして、縁側にのびて、よだれをたらしながら眠ってしまっているのでした。

(画像はバルセロナの駄菓子屋の店先でごんす、ここでもカタロニア人のうさぎさんへの偏愛が出ておるよーだ)

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2 Responses to 夏の小景

  1. AgathaChrio says:

     子供の頃のことを覚えている人とあまりそうでない人がいるようです。中国やソ連の大気圏内核実験で放射能入りの雨が降ってくるという話がストロンチウムやプルトニウムという小学生には難しい名前とともに、しかも小学生のころの友達と、「お前は傘差さなかったからハゲるぞ」と囃しながら歩いたまだ都電が通っていた大通りが大きくカーブする場所の風景と一緒に、くっきりと思い出されるのは原発事故以前からでした。その後中年を過ぎて同世代の友人に聞いてみても、頭髪の多寡と関係なく皆そんなことはあまり覚えていないようで、自分としては大変不思議でした。
     過日お若い方とお話しする機会があり、子供の頃のことを覚えていますかとついお聞きしてしまいました。具体的な情景を生き生きと話してくださったので、とてもうれしく感じました。

  2. mint says:

     ガメさんのこの記事を読むまで、石灯籠に何らかの魅力を感じたことはありませんでした。そういう物の存在すら忘れていました。それが、いきなり「カッチョイイ」と言われてびっくりしました。イシドウロウ?それまで、何か古臭い日本の冴えない情景の中にぼんやりとあったものが、突然これまで見たこともない輝きを放って私の目の前に現れました。
     自分の国のありふれたものの魅力を、外国の人に教えてもらうということはよくあることです。でも、「カッチョイイ」という言葉で教えてもらったのは、初めてでした。何か難しい説明ではなくて、素直に思ったままの言葉。それから、私は石灯籠を見るたびに、「カッチョイイ」という言葉が、頭の中で明滅するのです。

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