メディア鏡

 

Fさんと義理叔父が授業を終えてちゃんと留め金をとめていないランドセルをばたばたさせながら校門を走りぬけて帰ろうとすると黒めがねにレインコートの男が、きみたちちょっとここのウサギの小屋の前でしゃがんでウサギを見る恰好をしてくれない?あっ、ランドセルは脇においてね、という。
えっ?いいですけど、と言って言われた通りにすると次の日の朝の地方版におおきく
「懸命な努力が実って回復したウサギに大喜びで見入る飼育係の生徒達」という見出しで写真が出たそーである。
「Yさん(義理叔父ファーストネーム)は、どうして飼育係でもないのにほんとうでないことを言って写真を撮ったの。ちゃんと説明してごらんなさい」、と鎌倉ばーちゃんに詰問されて閉口した、という(^^)
その頃はまだ新聞にはほんとうのことが書いてあると妄想していたので、その点でも大ショックだった。

あるいは6年間通った学校の学園紛争で新聞一面に顔写真もなにも出てしまい、「民主主義の敵」「甘ったれた中学生高校生たち」「勉強の本分を忘れたおぼっちゃま学校のひまつぶしデモ」とテレビで言われたことがあった。
その頃、戦前からぶったるんでいるので有名で、学校全体が最も誇りにしていることが「戦時中の教練でもゲートルをまかなかったゆいいつの学校である」だったというチョー軟弱な義理叔父の学園は、このままではダメになるという「トーダイにいれてなんぼなのに何やってんだ」主義の父兄が導きいれた精神主義を呼号する「理事長代行」に対する不信と反撥から学園そのものをロックアウトするという「おぼっちゃまの叛乱」のなかにあった。
積み重ねた机の上から、どのセクトにも所属しないことを示す黒いヘルメットをかぶって、コーヒーをすすりながらジュラルミン盾を並べて威圧する機動隊を眺めている、どう見ても小学生にしかみえない生徒の写真は、いまは先祖は安禄山だったんでしょーかと聞きたくなるような巨大な太鼓腹の(件のトーダイおじさんたちのひとり)Mさんだそーだが、あどけなくて、寄る辺のない孤立した魂や、ふるえている指先の感じが伝わってくるようで、油断すると眺めているうちに涙がでてきてしまいそうである。

結局、孤立無援に陥って社会の悪罵を浴びながら「おぼっちゃまたち」は自分達で会計士を雇って理事長代行の帳簿を奪取して調査し、この「いいか、きみたちは、額に汗して努力することを知らないからダメだ」と朝礼演説を試みて、「うるせー」「ちんこ噛んで死ねー」「開成行け、開成」と箸にも棒にもかからないガキ共の罵声を浴びていたりした「精神主義者理事長代行」が5億円も学校のカネをちょろまかして横領していたことを暴いたのだった。

「次の日の新聞は、手のひらを返したよう、というか戦争に負けてあわてて中国語の勉強を始める田母神閣下というか、そーゆーていたらくであってだね」と苦笑いしながら義理叔父が教えてくれた。
「なんか、民主主義のお手本にされちゃったんだよねー。立派な中学生高校生諸君になっちゃって」

ぼくが日本で最も驚いたことのひとつはマスメディアの腐敗のひどさだった。
クレジットカードすらつくれない貧しい個人に対する金融サービスであるマイクロクレジットを考案してノーベル平和賞を受賞したバングラデシュ人のムハマド・ユヌスが日本にやってきたとき、ぼくは日本にいた。
本国ではcontroversialだが、世界では一般に受け容れられるようになった、この貧困に苦しむ人間達のための巧妙な金融システムをつくりあげた偉大なひとの講演と質疑応答を聴きに、ぼくはフランス人やエチオピア人たち、あるいは当のバングラデシュ人たちと一緒にでかけていった。
こみあげてくる敬意のために声が上ずっているようなアメリカ人の記者や、ソーシャルビジネスという概念そのものがうちに孕んでいる本質的な矛盾に対しての疑念についてイギリス人の記者がかなり執拗に質問したあと、日本人の記者が立ったが、このひとは、少し酔っているようにも見えた。
質問は「アメリカのイラク戦争をどうおもいますか?」
という頓珍漢もいいところの質問で、当惑と怒りの感情で明然と顔をそむける外国人記者たちや、顔を真っ赤にして記者をにらみつけながらかぶりをふっている見るからに上流階級出身のイギリス人のおばちゃん、…満場がどよめくぐらい酷い質問だった。
一瞬で、やや高い、良い種類の緊張があった会場の空気がこわれて腐っていった。

この日本を代表する新聞社の記者のひとは、さすがに会場の空気を察したのでしょう、
「やべー、ちょっとやばかったな、へっへっへ」というようなひとりごとを言いながらぼくの後ろを通っていったが、そのときの腰を屈めて、いやちょっと洒落っ気をだしすぎちゃったよ、ガイジンさんたちはシャレがわからないからまいった、まいった、と同僚らしい人に述べた、その言葉付きの卑しさをいまでも身震いするような気持ちで思い出す。

その酷い質疑がきっかけで、日本のマスメディアについていろいろ調べてみたが、この特別に選良意識が強い人間で出来ている職業集団が、日本の最も深刻な病巣であることに気が付くまで、あまり時間がかからなかった。そのときに調べたことは、そのうち気が向いたときにまとめて誌そうと思うので、ここでは書かないが、問題の根源は日本ではマスメディアのなかで「ジャーナリスト」と称するようになることは、上級公務員、伝統的大企業、学問研究者、という「試験の成績が良い人間」が行くことになっている架空なエスタブリッシュメントの一部にくいこむ、ということで、そうすると彼または彼女のうちなるジャーナリズムは自然のなりゆきとして死んでしまうが、それは当然のこととされていて、いわばジャーナリストになるためにはジャーナリズムを捨てることが条件である、という倒錯した世界が出来てしまっていることである。

実際、ぼくが紹介してもらった新聞社のひとびとは「優等生」という形容がもっとも相応しいひとたちだった。
たとえば「番記者」という制度がある。
首相なら首相にくっついて社名と自分の名前をおぼえてもらうことが初めの仕事である。
一緒に麻雀の卓を囲んで、一流レストランで毎度毎度夕ご飯を奢ってもらって、さらに親しくなればゴルフを一緒にまわったりもする。
他社がまだしらない「総理の意向」をそっと洩らしてもらえるようになれば、自分の立身も保証されたのと同じである。

一方では日本の外国人特派員達が発行している新聞である、ナンバーワン新聞
http://www.fccj.or.jp/publications/no1shimbun
やなんかを読めば、あちこちに不平と不信があからさまに語られている問題で、最近では福島第一原子力発電所の事故とその後の到底現実とはおもえないくらい国民を家畜として扱ったかのような処理をきっかけに日本国内でもやっと知られるようになってきた「記者クラブ」の問題がある。

いったい日本の人は日本のジャーナリズムが成し遂げた戦後最大の調査報道である立花隆の「田中角栄研究」の発表の舞台が新聞ではなくて雑誌であったことの意味をどのくらい深刻に受け止めているのだろう?

義理叔父が、子供のときから新聞の見出しというのは同じなのが当たり前と信じていて、アメリカに行ったら新聞の見出しがひとつづつ全部違うので、「アメリカの新聞は信用できなくてうさんくさいなあー」と思ったというので大笑いしてしまったことがあったが、記者クラブというものこそが一個の報道機関で読売、朝日、というような「会社」は単なる営業方針の違いによって命名されているにすぎない、ということを義理叔父は知らなかったものであるらしい。
産経新聞は「保守系」新聞ということになっているが、実際は保守でも何でもない、過去に経営危機に陥ったときに「左でも右でもなんでもいいから朝日新聞とことごとく反対のことを書け」という社長の大号令がくだって、結果的に紙面が「右翼っぽく」なってしまっただけのことである。

ナンバーワン新聞に義理叔父と言えば、義理叔父が特派員協会のバーで酒を飲んでいると横から聞き覚えのある声がする。
誰だっけ、と思って声のほうを見ると、朝のバラエティショーから夜までたくさんのショーを勤めている国民的な人気の司会者が、いや、絶対にダメですよ、と言っているバーテンに向かって、いや、頼むよ、ぼくの顔に免じて、断られると困るんだよ、と言い捨てたまますたすたとバーを出て行ってしまった。
へえええー、あのひともここの会員なのかあー、ああいうひとたちは、いったいどういう手づるで特派員協会の会員になるんだろう、とおもってびっくりしていると、夜になって8人くらいの大集団がはいってきた。
みな新聞者のひとで会員ではないひとたちだった。
しばらくして酒がまわると、その大声で話をしていた8人が座っていた一角で、衿をつかんでのなぐりあいが始まった。
ガラスが割れてとびちって、怪我をするひとがでそうなのでウエイターやバーテンがとんでいって「人間の壁」をつくって他の会員たちをなんとか守った。
あとで義理叔父が聞きつけてみると、その8人はテレビキャスターの「世話になっている新聞記者さんたち」で乱闘の原因は、「おれのほうが『上席』なのに、自分より目下のくせしやがって上席に座った」という理由だった。
ぼくは話を聞いていて、すげーな、と考えた。
すげーな、以外には考えが起きるような話ではなかったからでした。

鳩山由紀夫というひとは多分戦後もっとも評判の悪い首相で、どうかするとキチガイ扱いにされている。
ぼくから見ると日本にとっては危険な政治家で、特にアメリカからごまかしではなくてマジメに独立しようとしたところが、日本を危険にさらしたと思っています。
このひとがやろうとしていたことは、政治の世界で堂々とまかりとおっているウソを正面から改正して正しくしてしまおうということであって、日本というウソでなんとか潤滑されているウソぴょんな風土の世界ではとんでもないひとだった。
彼は「役人が牛耳っている官僚政治を破壊して国民の意思で決まる国家をつくる」と述べて、ほんとうに、そのとおりに実行しはじめてしまった。
「日本はおためごかしの独立をやめて、ほんとうの独立国家になるべきだ」と演説して、まさか、というか、発狂したのか、というべきか、アメリカが最終的な決定権をもつ構図を破壊して、まず、その第一歩に、あろうことか日本を中国の侵略から守る要である沖縄要塞を解体しようとした。
ほとんど、どれひとつをとっても、とんでもないことで、タブーで、タテマエとホンネが最もデリケートに、しかし周到に区分けされているところに手を突っ込んで「ほんとうのこと」だけで政治をつくろうとした。

慌てたのはまず官僚で、続いてマスメディアだった。
以心伝心という。
似たような出自で、下手をすると中学のときから模擬試験の成績優秀者名簿で名前を見慣れていて、大学の教養課程初日で顔をあわせれば、「えっ、きみが甘木正美か。正美というから、ぼくは何年もずっと女だとおもってたよ。学芸大付属の女って、あたまいいなあー、とか感心してて損した」と、にっこり笑って手をだして、その日から打ち解けた友達であった同士である。

以心伝心、鳩山由紀夫は電波中年にされてしまった。
実像とマスメディアが伝えた歪んだ像はかなり違うだろうと思っています。
ぼくは鳩山由紀夫が宇宙人のような発言を繰り返す度に、日本を代表する名門鳩山家のすさまじい反対を押し切って夫から逃げるために仲居をしていたアメリカの日本料理屋で見初めた女のひとと結婚してしまったひとであることを思い出していた。
とても人間とは思われないような、人間性が疑われるようなニューズが新聞で伝えられるたびに、どうしても、「でも、このひとはああいう結婚ができたひとだった」と繰り返し考えないわけにはいかなかった。

日本は階級社会がアメリカによって破壊されてから60年以上たつが、それでも鳩山家といえば軽井沢にも「鳩山通り」という美しい散歩道があるが、かつては日本にも存在した「上流階級」の残映が色濃く反映している家で、そういう家に生まれて、前回の結婚が解決してもいない既婚の(わざと卑しい感じのする言葉を使えば)バツいちの仲居と結婚する勇気というのは、ただの勇気とは別の種類のものであると思う。

なんだか長くなってしまって疲れたのでもうやめるが、われわれは(個人の視界などたかが知れているという理由によって)自分が暮らしいる社会を直截自分の目で見るわけにはいかないので、直視すれば石に変わってしまうかもしれないこの世界を、マスメディアという盾に映して間接的に眺めている。よく磨かれた盾の表面ならば、メデューサの姿がぼんやりとしているにしてもメデューサの姿のまま見えるだろうが、故意に曇らされた表面にはメデューサがペルセウスに見せたかった現実からはかけ離れた幻影が映るだけであると思う。

日本はもうすぐ国政選挙だというが、戸別訪問が違法で、ウエブページも作れず(なぜだろう?)SNSさえ使えない「選挙」で、しかもそうすると当然の帰結で殆ど唯一の政見に直截触れる機会の「立ち会い演説」は、耳がぶちこわれそうな音量で連呼される名前が聞こえるだけである。
疲れたので言ってしまうと、日本のマスメディアは日本という巧妙に民主主義にみせかけた「以前には国家社会主義であった何か」の土壌に湧いた狂泉
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/06/02/
の井戸にすぎないが、のどが乾けば、やはり水を飲まないわけにはいかない。
そうして、あの袁粲が述べた短い挿話の終わりにあるように、みなが同じ幻想を見て、
「幸福」になるのであるのかもしれません。

This entry was posted in 日本の社会. Bookmark the permalink.

One Response to メディア鏡

  1. 20代の前半にとある商事会社で会長秘書をしていたときのことです。当時、来客で一番やっかいだったのが1位;新聞記者、2位;株主、3位;総会屋さん、番外編;役員の奥様と集金にきたバーのママさんとの鉢合わせ…でした。私は田舎者だったので子供のころから文字通り「新しきことを聞く」記事を書く新聞社にお勤めの方たちは皆さんとてつもなく頭が良いだけでなく、正義感あふれる勇気と道徳心が人以上に高い人たちだと思っておりましたので、亀殿の記事のとおり非常にお下劣な方が多くてびっくりしたものです。アポ無しは当たり前、土足でテーブルに足をのせる、勝手に外線電話を使う、飲み物やたばこを買いに行かせる、私に学歴を尋ねて大卒でもなく美人でもないのになんで秘書なんかやっているのかというたいへんごもっともな質問をされたり、エレベーターでお尻をさわられるので常に壁を背にして胸にお盆を抱えて応対したりと、今だったら大騒ぎになるような話ですが、たいていのことにはやり過ごしておりました。一度だけ臨界に達したのは、とある新聞社の記者さんが、通常はお帰りの際はハイヤーを手配するのですが、チケットを忘れたので会社の役員車に乗って帰りたいとだだをこねられたときのことです。丁重にお断りしたしたのですが、「さっき見たら何台もいい車があって運転手がひまそうに車を磨いていたじゃないか。いいから一台ぐらい回せよ!」と大騒ぎするのです。運転手さんたちは自分のボス以外の人を乗せることを嫌がる上に、昔はちょっとやんちゃでらした方が多かったので配車はけっこう神経を使う仕事でした。そのため普段から彼らのお茶の入れ方の好みから好きなたばこの銘柄などを記憶してちょっとしたお使いもこなし、嫌われないように努めておりましたので、運転手さんたちが「お嬢」(どじょうではない)と呼んでくれてかわいがってくれました。で、そのうちのひとりの運転手さんにその記者さんを送ってもらうことにしたのですが、その際は「行先は蒲田だけれど天気も良いし丁寧な運転で遠出して差し上げて」とお願いしました。ずいぶんとたってから車が帰ってきて「お嬢のいうとおり丁寧な運転で横浜の先まで行ったらさ、気分が’悪いから降ろせって言うんで降ろしてやったら、あぜ道でかえると一緒にげろげろ歌って楽しそうだったから置いてきたよ」との報告を受けました。そんなこんなで私は新聞記者という職業の人を嫌悪するようになったので、つい最近まで会社に取材の申し込みがきてもえらい剣幕で断っておりました。ところが亀殿、3年くらい前から様子が変わってきました。いや、新聞記者さんの様子などどうでもよいのですが新聞には「新しく聞く」べき記事はなくなり、国民がすでに体感していることとずれているばかりか、後追い記事にすらなってきたのです。大事な話は載ったとしても紙面の隅にに小さく小さく印刷されて見逃してくれといわんばかりです。テレビも評論家の方がおっしゃることに何の目新しさもなく、へたをすると日本語が聞き取れません。すっかり日本のメディアを国民が見放しつつある現状は常日ごろ亀殿がおっしゃっるとおりです。若かったころ新聞記者の方にばかにされたことを思いだしました。「お姉ちゃん、新聞なんか読んでないでしょ?」今だったら「読むに値しないだろ?何言ってんの?」と言いかえせるのにと思います。長々乱文失礼しました。もはや亀殿の以前の記事は予言、いや卓越した千里眼ですね。 追伸;鳩山夫人は韓流ブームのころ(鳩山氏が首相になる前)何度か新大久保のレストランでお見かけしましたが、ご一緒の方たちが楽しんでおられるか常に気を配ってらして人様のうわさより好印象でした。明るくて華やかで。

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s